目が覚めると腕の中に彼女が居ない。
開けっ放しの扉を抜けてリビングキッチンへと向かえば、既に朝食を作り始めていた。
「おはよう。今日はお祭りでしょう? だからなんだか早起きしてしまったの」
挨拶代わりに、火の番をしている彼女を背後から抱きしめ、その肩に顎を乗せる。
彼女の肩はこちらの肘の高さなのでそこに乗せるにはかなり腰を曲げる必要があるが、寝起きの微睡みの中でこうして抱いていると非常に安心感を感じられる。
少し邪魔かもしれないが、彼女も料理をする俺に抱き着いてくることがあるので、お互い様だ。
一つ大きな欠伸をして『何か手伝うことはある?』と聞いたが、見た限りではもう仕上がりを待つだけであり返答もそれに準じた。
なので彼女を抱いたまま、ぬくもりを摂取しつつ料理の完成を待つ。
食後は、彼女が朝食を作った代わりに俺が洗い物を担当した。
ああ見えて彼女は意外と面倒くさがりな部分もあり、当然ながら俺に関しては言うまでもない。
なので目に入っていてもスルーする俺と、そもそも目に映らない彼女による同棲において、こういう雑事は残しておくと軽い惨事になる。
そうこうして、更に出かける支度を終えれば、もうそろそろ祭りの開始時刻となった。
だが準備を終えて扉へ向かおうとしたところで"待った"が掛かる。
「はい、忘れ物よ」
渡されたのはいつしかの、視線の検知機能が付いたサングラス。
「迷子になったら困るでしょう?」
「チョーカーで探せばよくないか?」
俺の首飾りには位置把握機能がついていて、わざわざこの色眼鏡で通話せずとも居場所を探せる。
しかし、彼女はその提案を受け入れなかった。
「心が……」
「分かりました」
魔法の言葉を使って要求を押し通した彼女は、諦め半分な俺の返答を聞いて、口元に片手を当てて楽しそうに笑う。
こうして笑うことができるのはまあ、だいぶ精神状態が回復している証だ。
慰めになるのならば、可愛い理不尽ぐらいは問題ない。
腕を組み指を絡めて、しかし身長差ゆえ、組むというよりも腕に抱き着くような形の彼女と共に祭りを見て回る。
脇の下にピッタリ嵌る背丈なので、上腕に触れるその頬の感触が柔らかくも暖かい。
彼女は目立つ髪飾りを外しているが、相変わらず、後ろ髪全てを左側頭部で束ねたサイドポニーと右耳後ろの長い編み込みは残している。
普段の彼女はあまり黒を入れず、白いベースカラーに黄緑や深緑など複数の緑色を入れるコーディネートを好む。
だが今日は俺の要望に沿って、白いブラウスの首元に赤いリボン、黒いプリーツスカートとローファーの、いわゆる学生スタイルにしてくれた。
……思えばこうして俺の好きな服を着てくれると言い出したのも、例のサングラスを着けさせるための布石だったのだろう。
「ひと口ちょうだいな?」
「ほい、どうぞ」
彼女は小食なので一人分を食べているとすぐお腹一杯になってしまう。
なのでこうして一口だけ齧ることで、多彩な店舗を試食して好奇心を満たしている。
片手を繋いだまま隣の彼女に差し出すのだが、顔の位置が低いせいで動物に餌付けをしている気分だ。
「ねぇ」
「どうした?」
腰を曲げ、彼女の身長に合わせて軽く顔を下げる。
別に顔を下げずとも互いの声は聞こえるが、こういった雑踏で話す際にはこうしたほうが話しやすい。
それになにより、二人きりで内緒話をしているような不思議な感覚が心地よかった。
「次はあれを見に行きましょう」
「ああ。ゴミを捨ててくるから少し待ってくれ」
足早に残りを食べ、くず入れに投げ込む。
しばらく通りをぶらついているとダーツのような出店を見つけ、彼女が興味を示したので少し立ち寄ることにする。
「わたくしの権能を使えば、全て丸見えよ。……あら?」
「目を瞑って投げるのは止めないか?」
「でも計算通りに行けば、目を瞑っていても当たるはずだもの」
「だが結果として当たっていないだろ。きみには計算通りに身体を動かす為の運動神経が足りてない」
「……じゃあ、あなたがやってみせて」
欠点を指摘する言葉に彼女は少しむくれているが、目を閉じて針を投げる暴挙は怖いので止めてほしい。
さて、難しすぎるものを狙う気はないが、簡単なものも詰まらないので少し難度が高めのものをねらう。
一発目は狙わずに自然体で投げ、その感覚を元に微調整して二回目を投げた。
「わぁ! ……どうして狙い通りに当たったのかしら?」
「最初と同じ相対位置に投げたんだ。狙いをつける代わりに、立ち位置と角度を調整すればそれで当たる」
「そんな方法があったのね。試してみる」
彼女は再びダーツ投げへと勤しむ。
「どうして……」
「頭で考え事をしていると、考えに応じたタイミングで力みが出てしまう。無心で投げないと同じ場所には飛ばない」
「………」
彼女は無言で投げ続け、偶然か必然か、無事に景品を手に入れた。
矢が的を得たその瞬間の表情の変わりようは横から見ていても面白く、そして可愛らしいものだった。
昼もまた買い食いをし、祭りによって彩られた街並みやあちらこちらの大道芸人を見て回る。
しかし夕方になると本格的に人出が増えて、身長差もあり一緒に歩きづらくなった。
なので首に腕を回してもらい、彼女の両脚を腕の中に抱き込むようにして、片腕に腰掛けさせる形で抱き上げる。
「こうしているとあなたの視点で世界を眺められる。なんだか新鮮ね」
「きみからしたら周りは人の壁で、まったく先が見えないだろうからなあ」
とはいえ日本では別に背の低い方ではなかったが、モンドではガイアをはじめとして欧米レベルに背の高い人が多く。
だから俺にも遠くは見渡せない……、目立つウサギ耳が人込みに混じっていることに気づく。
「あーっ!」
「うげっ」
コレイを連れた赤いウサ耳に遭遇してしまい、思わず狼狽の声が漏れた。
「あっははははっはははっははははっ!!!」
「うるせぇし、指差すな」
「うさっ、うさんくさっ、あははははっ!!」
アンバーは怪しい丸サングラスを掛ける俺を見て爆笑する。
だが正直、ウサ耳付けてるやつに笑われたくはない。
「うぇははははっ!」
「うるせぇ……」
笑い止む様子のない彼女の、そのあまりにも特徴的な服装に目を向けた。
へそ出しのお腹が開けたトップスに、太ももを存分に曝け出したホットパンツ。
アンバー自体が目元のパッチリとした正統派美少女であるのも相まって、とてつもなく火力が高い。
小尻であるが健康的な脚をしていて……。
「……ああいう服が好きなの?」
背中に氷を入れられたかのような寒気が駆け抜ける。
その質問をされた時点で既に半分詰んでいた。
否定すれば視線の意図はアンバー自身への興味だと取られるし、肯定してもアンバーへの興味は消しきれない。
なので消去法に従い、苦渋ながら言葉を出す。
「……きみが着れば似合うだろうなと思って」
「じゃあ、着てあげるわね」
どこまで思惑を理解されたかは知らないが、にっこりと、含みのあるような表情で彼女は微笑んだ。
しばらく雑談してからアンバーたちと別れ、人混みから外れて抱っこから降ろし、暗さを増した街並みを二人で歩く。
祭囃子、とは違うものの、祭りに準じた異国の音楽があちらこちらで場を盛り上げて非日常を奏でている。
「元の世界の夜景が、少しばかり恋しいな……」
モンドの夜は暗くはないが明るくもない。
ヨーロッパ風の美しさと風情はあるものの、流石に夜の日本都市ほどの煌びやかさには欠けている。
「わたくしはモンドの夜景も十二分に綺麗だと思うのだけど」
「綺麗ではあるが元の世界と比べると夜が寂しいかな。隠れる場所の無いようなあの明るさには、あれはあれで安心感があった」
「………」
その言葉を重く受け止めてしまったようで、彼女は黙り込んだ。
恐らくは俺がまたホームシックを発症してしまうことを恐れているのだろう。
だが本心を隠すことは彼女の望むところではないし、どうフォローしようか。
思慮に耽ながら歩いている最中、ふいに袖を曳かれて路地裏の暗がりへと連れ込まれる。
そして誰も居ない二人だけの暗所で、彼女はつま先立ちとなって顔を突き出した。
「……まだ寂しいかしら?」
「いいや。きみのお陰だ」
彼女は不安の晴れた笑顔を浮かべ、手を絡めてまた歩き出す。
裏路地を抜けて開けたカフェに差し掛かると、見覚えのある背の高い男性を見つけた。
恐らく俺たちの様子を見に来たと思われるので、挨拶をしに行く。
「ふむ。息災のようだな」
「どうも、ご無沙汰です」
鍾離さんの姿を認めた途端に、ナヒーダは俺を盾に使って顔を隠していて、彼女の代わりに俺が矢面に立たされている。
絶対に怒られると思っているらしく、ぴったりと背中にしがみ付いて離れようとしない。
「そう隠れるな。叱りに来た訳ではない」
「……本当に?」
彼女が背後から顔を出し、ギュッと服の裾を握ったまま様子を伺った。
「お前たちの間で解決できたのなら俺から言うことは何もない。せっかくお前たちが自力で課題を乗り越えたのだ。それを叱ることは貶すことに等しいゆえ、俺が口を出すことがあろうか」
反語表現で立場を表した後に、以前にも問われた質問を、彼はもう一度問い直す。
「ただ、今ひとたび、人であるお前に問おう。お前にとって、彼女はどのような存在だ?」
関係を表すか、思いを表すか。言葉にしようとすれば、悩んでしまう部分が色々とある。
だが恐らく問われているのは言葉の内容の正しさではないのだろう。
「大切な家族だ」
シンプルに、されど決意を込めてハッキリと言い切る。
「ふむ、では人でないお前に問おう。お前にとって彼はどのような存在だ?」
前と同じく、俺の次には彼女へ問いかける。
「掛け替えのない家族よ」
ナヒーダは以前と同じく、掛け替えがない存在だと答えた。
俺らの回答を聞いて改めて納得したというような、まるで儀式染みたような荘厳な身振りで、彼は頷く。
「初心を忘れるな」
そう短く、俺たちに言い聞かせた。
この"初心"とは何を表すのかといえば、恐らくはあの時に答えた関係性であり、意訳するならば互いを思う心。
そしてそれを口にした意図としては、劣化や摩耗をさせずに、最初の心を保ち続けろということだろうか。
だとすれば、永く璃月を守り続けた鍾離さんらしい言葉だ。
「さて、わざわざ俺のために手間を取らせてしまったな。若者たちの邪魔をするつもりはない。だから構わず祭りを楽しめ」
彼は見守るような笑みを浮かべ、話は終わりだという風に手元の茶へと意識を戻す。
『相変わらず彼は堅物だねぇ』
鍾離さんの居たカフェから離れるなり、サングラスの通信機能から春風のような呑気な声が聞こえた。
『あっ、彼女にバレるといけないから応答はしなくていいよ。ただひとつ君に伝えておきたいことがあってさ』
こいつは以前に夢の中で話しかけてきたやつだが、鍾離さんを知っているということはそういった部類の者なのだろう。
『コレイといったね。あまり彼女から目を離さないほうがいい。……という訳で忠告はしたからね、ばいばーい』
どういう意味かと聞き返しそうになったが、ナヒーダにばらさない方がいいという口ぶりなので躊躇する。
迷った結果として、今までを顧みるに少なくとも俺たちへ危害を加える意図はなさそうなので、素直に従っておくことにした。
あれがもし神やそれに類するモノである場合、下手に機嫌を損ねると何かしらの祟りが起きて面倒ごとになるかもしれない。
「アンバーとコレイの様子が心配だから探しに行かないか?」
「あら、どうして?」
「あいつらの事だから、何か問題を引き起こしているかもしれない。夜になって人混みが増えたし、念のため様子を見よう」
祭りを楽しみながらもウサ耳を探して歩き回ったところ、遠目にも目立つため、あっさりとその姿は見つかった。
そして俺たちはコレイとアンバーの後を付け、彼女らの参加することとなったサーカスを遠くから眺める。
俺はこの薄暗くも幻想的な雰囲気に乗じて、普段は言い出しづらいことを話すことにした。
「きみは日々を楽しめているか?」
「あなたとの日々はとても楽しいわ。その毎日が記し残されるべき記念日で、まるで地下から出てきたキノコンが日差しの温かさを知ったかのように、貴重で代えがたいものよ」
「……籠の外での思い出は、楽しいことばかりでもないだろ」
以前に彼女の口にした『籠から出ない方がマシだった』という言葉が、まだ心に引っかかっている。
彼女はとてつもなく意志が硬いために、俺たちの関係を否定するような発言は絶対にしようとしない。
にも拘らずあの時に言わせてしまったということは、その鉄のような意志を打ち砕くほどの後悔を抱かせたということだ。
隣の彼女はジッと顔を見上げてくる。
その姿が視界の隅に映っているが、俺は顔を硬くしつつも舞台を眺め続けた。
「確かに色々なことがあった。……でもわたくしは、あなたとの思い出を"楽しくなかった"だなんて思いたくない」
いつもより明瞭な口調で彼女は言った。
小さな手が俺の手に触れ、一本一本を確かめるかのように、しっかりと指を絡める。
「あなたはわたくしの言葉を気にしてくれているのね。でもあれは、あなたがわたくしを裏切ったと勘違いした故の言葉なの」
どうやら彼女は、あれを裏切りの範疇には入れないと決めたらしい。
「余りの衝撃に考え直す余裕がなかったけれども、あなたは心まで浮気をした訳ではないのでしょう?」
「体の浮気は否定しないのな」
「だって事実だもの。それはわたくしは許してない」
ばっさり切られる。
だが俺は、こういう芯の強さが好きだった。
「俺が好きなのはきみだよ」
言い訳染みた言葉で、彼女の小さな肩を抱く。
当然、彼女にはその誤魔化しがお見通しであり。
「悪い子には罰が必要ね」
そういって彼女は意地悪げに自らの唇を叩くので、周りにチラホラと人がいる中で、その暖かな月明かりを優しく塞いだ。
ショーが終わると見計らったようにガイアがやってきて、アンバーに対して何やら話しかける。
そして赤ウサ耳はどこかへと去っていき、彼はコレイを連れ去った。