酔漢峡と呼ばれる渓谷内には、行商人たちによる様々な露店があり賑わっている。
「あっ、次はあれをみたいわ」
ナヒーダに腕を引かれるようにして露店を見て回る。
行商人が出店しているだけあって、品揃えは多種多様。遠くから運ばれてきた品も少なくはない。
「このパティサラの香はスメールから遥々運ばれてきたのね」
ある物を目にした途端、彼女のその視線が釘付けとなった。
「……ナツメヤシキャンディ!」
ひと際目を輝かせ、やや早口になる。
「ハルヴァとも呼ばれるこれは携帯食としても優れているのよ! 是非っ、是非、買うべきだわ!」
これはもはや、要求を断るのが怖いレベルだ。
彼女は宝物を手に入れたかのように、嬉しそうに両手いっぱいの大きさの瓶を抱えて歩く。
「ずっとたべたかったの!」
「それってそんなに美味いのか?」
「……実は、その、他人の体を借りて食べたことが」
「借りて?」
巫女に神が降りた、みたいな感じだろうか。
そういうところは変に神さまらしい。
「ごめんなさい。隠しごとをしたくないという気持ちと、嫌われたくないという気持ちが喧嘩していて上手く話せないわ」
「そうか。ならいいよ」
ガシガシと、子供をあやすように、わざと雑な手つきで頭を撫でる。
彼女は薄く微笑みながら、乱れた前髪を指で払った。
酔漢峡を抜け、清泉町の大きな風車を観光してから、その少し先で野宿をする。
「あまりイタズラしては駄目よ?」
わざとらしく指一本を口元へ持っていきからかうような笑顔で言う。
「約束はできないな」
そのからかう表情の裏には、彼女のお茶目さと、彼女からの信頼が見え隠れしていた。
二人で横になったが、今までと違い、能力を行使して眠りへと落としてこない。
昨夜を除くなら、眠れない夜というのはここに来てから初めてかもしれない。
ナヒーダは腕の中で丸くなり、人の胸元に顔を寄せて呼吸する。
服一枚を介すとはいえ、ほんのりと吐く暖かく湿った感触がハッキリと伝わってくる。
だが胸元に息を吹きかけられると、そのくすぐったさから、彼女の小さく柔らかな唇を思い出してしまう。
昨晩の事件が刺激的過ぎて、俺はまだ心の整理がついてないらしい。
心臓の音を落ち着かせるよう一度深呼吸してから、抱き合ったままゆっくりと過ごす。
緊張するわりに不思議と落ち着く、そんな矛盾した気持ちが何故か心地よい。
「……眠れないの? 眠らせてあげましょうか?」
「いや、いい。こうして微睡んでいる時間も嫌いじゃない」
背に腕を回して、彼女が丸くなれないほどに抱き寄せた。
少し寒かったのが、密着する面積が増えて暖かくなる。
「ドキドキするわ」
「俺も。また何かされそうで」
「流石にもうしないわよ」
「どうだか」
そう言って軽く笑いあう。
小柄な彼女を抱きこむようにしているので、彼女の髪の香りが漂ってくる。
花ではなく、草木のような。甘ったるくない優しい香り。
それに誘われるようにゆっくりと眠りに落ちた。
翌朝。日差しに照らされて暖かい。
腕の中では仰向けで眠るナヒーダの顔が見える。
これでずっと年上だというから、なんというか……。
彼女はこちらへ振り向くように寝返りをしてきた。
まつ毛が長く、ふわふわとしてる。
綺麗で柔らかな目元、女優が如く整った口元。
今は閉じていて見えないが、丸く大きく、優し気な瞳。
顔だけ見ればもうすでに美人。
きっと背が伸びればとんでもない美女になるんだろうな、と思う。
中身が大人なだけあって、今でも既に、ふわりと微笑む姿にはドキリとする。
落ち着きと知識深さが、その姿を遥かに大きく見せる。
時折みせる子供っぽさはむしろ、子供っぽく振る舞う大人、大人の持つ遊び心のよう。
裏打ちがリズムを強調するかのように、見た目とのギャップが中身を目立たせる。
美女になった姿も見てみたいが、きっと寿命が足りないだろう。
それが惜しいような、安心するような。
彼女が今の姿でなければきっと、こんな気軽な関係にはなれなかったから。
ふと、彼女の口元が笑っていることに気づく。
そして次の瞬間、パッチリと目が開いた。
「あら、少しぐらい触ってもよかったのに」
そう冗談を言う彼女。
気づけば指カメラを胸元に突きつけられている。
今日はナヒーダが先に起きて寝たふりしていたらしく、ドッキリを仕掛けられて妙にご機嫌だ。
「その指カメラはなんなんだ?」
「なんでもないわ」
ナヒーダは誤魔化すかのように慌てて両手を解く。
言い切る前に反応したその動作は、まるで動きを読んでいたかのように妙に素早かった。
清泉町からモンド城下まではそこまで遠くはないため、昼過ぎには辿り着いた。
シードル湖に掛けられた大きな橋を渡り、巨大で堅牢な城壁を抜ければ、湖上に浮かぶ広大な街へ。
古欧州じみた趣のある街並みは旅人を歓迎するかの如く三角旗で彩り飾られ、吟遊詩人が歌を響かせる。
これが自由と学芸の国、モンド。
中央通りで到着記念の撮影をすると、まずは宿を予約した。今日から明後日にかけての二泊分だ。
予定では今日はゆっくり旅の疲れを癒し、明日は丸一日を情報収集に費やし、明後日からは動き出すこととなっている。
宿の確保を終えて通りに出ると、『鹿狩り』というお店の二階テラス席で遅めの昼食を取ることにした。
目前には巨大な風車がそびえ立ち、他方はちょっとしたビル街がごとき古建築に囲まれる。
どうやらここは食肉専門店とのことで、おススメされたのは冷製肉の盛り合わせ。
冷製ゆえにさほど待たされることなく提供された料理に舌鼓を打つ。
「こんな贅沢な食べ方があるだなんて」
「ハムやベーコンを料理に使うのではなく、素材そのままに盛り付けるのは意外と見ないよな。ミントを使ったソースも素材を引き立てて美味い。これはお酒が欲しくなる」
「……なら頼みましょ?」
「今はコーヒーでいいだろ」
意外なことにスメールではコーヒーがよく飲まれていて、それで舌を慣らしたため彼女も飲むことができた。
俺が頼んだのはゴールデンエデン、ナヒーダは甘いムーンリットアレイ。
いわゆるカフェラテとカフェモカだ。
気温は暖かく、しかし湿度が低く涼やかな風の吹くこの地では、無為に体の温まる酒よりも香り豊かなコーヒーの方が舌に合う。
交易点である璃月港とは違うために人は適度に疎らで、ゆったりとした雰囲気が流れている。
昼時を過ぎているために席が埋まることはない。
コーヒーをおかわりし、購入しておいた新聞を片手にしばしくつろぐ。
「稲妻が鎖国だって。ここから近いのか?」
「わたくしにも見せてちょうだい」
ナヒーダは椅子から立ち上がり、伸びをして新聞を受け取ると、短い腕で器用に読み込む。
「……稲妻は璃月の海を挟んだ隣国よ。もしわたくしたちが稲妻へ向かっていたら、ギリギリで追い返されていたわね」
「そりゃあ、行く先を間違えなくてよかったな」
ふと、モンドへ向かった切っ掛けを思い出した。
「そういえばモンドへ行きたいと言ってここへ来たけど、なんでモンドだったんだ?」
「わたくしには自由が無かったから。自由の国と呼ばれるここを見てみたかったの」
「そうか。……実際に見た感想としてはどうだった?」
「素晴らしいわ! わたくしの国とは違って歌や踊りが盛んで、文字通り自由に溢れている。スメールでも学芸を守れればよいのだけれど……」
いつか、彼女がスメールに戻る日は来るのだろうか。
そのとき、俺は彼女についていくだろうか。
しばらくすると、日暮れが近づき席が混んできたので、店を出て城下を歩く。
モンド城下は道が折り返すように左右へ大きく曲がりくねっていて、真っすぐ城へは向かえない。
これはここが戦争を前提とした地である証拠だ。道の折れ曲がる箇所に付随する巨大な風車も、昔は監視塔であったのだろう。
また、この街はその階層ごとに住む人の身分が分かれているようで、道を曲がって階段を登るたびに家々は大きく豪華となっていく。
つづら折りとなった道を進めば、大聖堂前の広場で行き止まりとなる。
「おー。ここが俺たちの旅の終点か」
「その言い方は嫌よ。わたくしたちの旅はまだ続くの」
「別に終わってもまた始めればいいだけだと思うが、まあ、愛着を持ってくれてるのは素直に嬉しいよ」
見上げれば巨大な像がそびえ立ち、俺たちを見守っていた。
散歩を終えて城門近くへ帰ってくれば、日は落ちて腹もこなしたので夕食に良い時間だ。
「記念日だもの。今晩は認めて貰うわ」
やけに自信満々な彼女が、酒を含めた注文を行う。
「えぇっと……」
店員さんは困った顔で俺を見る。
「一応、彼女はこの身なりでも成人しているんで。少しだけでいいので頂けませんか?」
「じゃあ、ショットグラス程度なら……」
「それで大丈夫です。俺も同じサイズで」
「……小さい」
出された酒を見て、彼女は呟いた。
「まあ、祝い酒なんてこんなもんだろ。……後で一本買うから、そんなにしょげるな」
「それもそうね」
『モンド到着を祝して』
ふたりで小さく乾杯する。