カッコいい女に愛されるシチュ   作:もぐら王国

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元暗殺者に愛される

雪が降り静寂なる闇が広がる深夜。感情の伺えない冷徹な瞳をした青年が、人目に付かない路地裏を慎重に歩いていく。

彼は、暗殺者であった。

国に雇われている身で、先日まで敵国の要人暗殺の任務に当たっていた。今はその帰り道。吐く息は白く、冬の夜に着込んだ漆黒のコートは血で赤黒く汚れている。

先程、同業者に襲われたのだ。と言っても、彼の方が気付くのが早かったので返り討ちにすることが出来た。薄く雪の積もった地面にひっくり返し頭に銃口を突きつけ死をプレゼントするその間際、襲撃者は彼が許してもいないのに勝手に口を開きわざわざ敵国の言葉で恨み言を言ってきた。それで敵国からの追手だと知れた。お偉いさんの恨みを買ったらしい。珍しいことではない。彼は躊躇なく引き金を引いてそいつの頭を吹っ飛ばした。

彼は帰宅を急ぐ。身体が震えている。その震えは寒さだけでなく恐怖心によっても、もたらされている。身体に付着した血と肉片が彼に彼を狙う刺客の来訪を予感させ続けていた。

彼は臆病者なのだ。それも極度に。だから小さい頃から殺される前に殺さなければならないという強迫観念の元に沢山の殺しを行ってきて、気付けば生業にまでなってしまった。隠れて殺す分にはよいが、対人は、苦手だ。

彼は内心、暗殺者に暗殺者を送り込むとはなんて無駄な事をと嘆きながら、しかし他の襲撃者がやって来るのではないかと怯えを捨てきれず、緊張の面持ちで周囲を伺いながら、唯一の安らぎの場である我が家を目指した。

 

 

 

 

やがて、玄関に辿り着いた。幸いにもあれから追加の追手がやってくることは無かった。

この時間では流石に妻も寝ている。彼は妻を起こさないよう、冷たいドアノブにゆっくり手を掛け音もなく玄関を開け、そして閉めた。

廊下を包んでいるのは暗闇。しかしそれは外の世界に広がるぼんやりと気持ちの悪い暗闇では無く、もっと柔らかく落ち着く暗闇である。

心地の良い静寂。

彼は緊張を解いて安堵の息を吐きながら靴を脱ぐためにしゃがみ込んだ。だがその瞬間、

 

ばっ。

 

電気が付いた。予期せぬ視界の変化に彼の心臓は跳ね上がる。

 

(侵入者っ!?)

 

疑念と共に飛ぶように立ち上がりながら、流れるような動作でコートの内ポケットに仕込んだ拳銃を握り、前方に構えた。

しかし、そこで彼は目を見開く。

彼の目の前に立っていたのは、肩の上辺りで切り揃えた短い髪に切れ長の瞳を持つクールな雰囲気の女性――つまり彼の妻、イルダであった。

 

「すみません。驚かせるつもりはなかったのですが・・・」

「いや。僕の方こそすまない。まさか起きているとは思わなかった」

「さっきまで寝てましたよ。ただ、貴方の足音が聞こえたので」

「相変らず耳が良いんだな」

 

彼は小さく笑いながら拳銃をポケットに仕舞い直した。

イルダは、元々彼と同じ暗殺者で、彼の教え子でもあった。現役時代は諜報活動にも長けていて、足音を聞き分けられるのも暗闇の中に気配もなく立てるのも、不自然な事では無かった。

彼は靴を脱ぐために再びしゃがもうとしたが、その前にイルダが意味深に両手を広げた。

それを見て彼の動きは止まる。

一体何を意味しているのか。

暫し思考して、彼は最悪な可能性に行き着いた。

もしかして身体に何かしらの発信機を取り付けられていたのか、と。だから妻は黙って自分に腕を広げさせるジェスチャーをして、それを取り除こうとしている……。

彼の心臓は焦燥で早鐘を打ち始める。思考は急速に回転を始める。

まずい。盗聴器か?それとも位置情報か?盗聴器ならまだお互い名前を呼んでいないし個人情報を割り出される心配は低い。だけどGPSなどの場合は??わざわざ複雑な道を通って来た意味が……。

彼が顔面蒼白で思考の渦に呑まれている間に、イルダは足が汚れるのも構わずに裸足で土間に降りて、彼の頬に手を添えた。

 

「大丈夫です。貴方の予想は外れです」

「……え?」

「何も仕掛けられていませんよ。そもそも、そんなミスをしない事くらい貴方自身が一番ご存じじゃないですか」

「あ、あぁ。そう、か」

「ね?」

「すまない。ちょっと気を張っていて」

「いえいえ」

「でもそれなら、さっきのは」

「分かりませんか?」

「……ああ」

「そうですか……。仕方ない人ですね」

 

そう言って彼女は彼の背中に手を回し、耳元に口を寄せ、

 

「正解は……」

 

呟いた。

 

「“抱きしめさせろ”です」

 

その言葉と共に彼女は彼をぎゅうっと大事そうに抱きしめた。

彼は―生きている人間特有の―柔らかさと温かさに包まれて、安らぎに満たされていく。

 

「おかえりなさい。アッシュ」

「……ただいま。イルダ」

「心配してたんですよ。予定の日になっても帰ってこないし、連絡もしてこないし」

「それは、すまない…。でもほら、よくあることじゃないか。任務予定期間が延びることなんて」

「だとしてもっっ」

 

そう彼の言葉を遮るように言って、イルダは顔を起こし、彼の顔と向かい合った。

彼女の瞳は涙で潤んでいた。

 

「殺られたかもしれない、って思うじゃないですか。 ……人間は簡単に、殺せるん、ですから」

 

彼女は俯く。暗殺者の言うその言葉に間違いなど有る筈もなく、実際、彼女も彼も沢山の仲間の死を目の当たりにしてきていた。死をもたらす暗殺者は、自身もまた気まぐれな死神の鎌の上で辛うじて生かされているに過ぎないのだ。

 

「だからいっぱい抱きしめさせてください。アッシュ。貴方が生きていることを感じるために」

「……ああ」

 

それから二人はしばらく無言のまま抱きしめ合っていた。随分とゆったりした時間が流れた。お互いの心拍が同期して重なるくらいの長い時間が、過ぎた。

やがてイルダの方から口を開いた。

 

「震え、止まりましたね。良かった」

「バレていたのか」

「当然ですよ。アッシュは昔から臆病なんですから」

「情けなくてすまない」

「いいえ。むしろ嬉しいです。臆病であれば死を恐れることが出来ますから。」

「任務遂行が最優先事項の暗殺者としては致命的だな」

「私の夫としては百点です。私には貴方しかいません。私を一人ぼっちにしないのは偉いです」

 

“偉い、偉い”

 

彼女はそう呟きながら彼の血で固まったぼさぼさの髪を繰り返し撫でた。彼は自分が子ども扱いされているようなむず痒さを感じながらも、黙ってそれを受け入れていた。

生きていることを肯定されるのが嬉しかった。

それから少し経って。

やがてどちらからともなく身体を離した。そしてまだ若干名残惜しそうな表情をしているイルダの姿を見た時、彼は「あっ」と声を漏らした。

血濡れた彼のコートを抱きしめた彼女の服や肌が、同じく血だらけになってしまったのだ。

 

「イルダ、申し訳ない。身体が血まみれになってしまった」

「はい。そうですね」

「そうですね?」

「最初に気付いていましたよ。震えていたことから推測するに、帰り道に襲撃にでも会ったんじゃないですか?」

「それは、そうなんだが」

 

“今、そんな事どうでもいいだろ”と軌道修正する彼に、”そうでした”と彼女は笑う。

そして平然と言った。

 

「一緒にシャワーを浴びないとですね」

 

どうやら妙な軌道に乗ったらしいと彼は悟った。

 

「どうしてそうなる」

「私、血だらけになっちゃいましたから。あと寝間着で廊下に立っていたので寒いです」

「そうだ。だから順番に浴びればいいだろう」

「駄目です。私にはもう一つ重要な任務があるので」

「任務?」

「アッシュの身体に傷が無いか、有ったらどのくらいの傷か確認する任務です」

「そんな任務は存在しない」

 

さも当然とばかりに発言するイルダだったが、照れくさい彼は当然のように突っぱねた。

だが彼女は尚も食い下がる。ここまで頑固な一面があるとは彼も知らなかった。

何か理由があるのか。

彼は不思議に思って、尋ねた。

すると彼女は凛とした目つきで彼を見つめながら言った。

 

「貴方が無事だと分っていても、実際に目で見て触れて確認しないと安心できないんです。だから、お願いします」

 

そこまで言われると、断ることは出来なかった。

結局この後二人は裸同士で浴室へ入り、一緒にシャワーを浴びた。

 

彼女は愛おしそうに目を細めて、彼の肌を撫でた。

 

 


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