カッコいい女に愛されるシチュ   作:もぐら王国

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ファイアードレイクに愛される

金曜日の夜遅く。

電車の扉が開き、沢山の人間がホームに放出されていく。男もまた残業を終えて、ようやく最寄駅へと辿り着いたところだった。

スーツはヨレて身体はくたびれている。靴が重い。彼は一刻も早く帰りたい一心で、ホームの階段を降り、駅から外へと出た。

まず感じたのは、夜の冷たい空気だった。冬の冷気が容赦なく肌を刺す。次いで視界に映るのは居酒屋から漏れ出た明かりと、酒飲みたちの喧騒。皆、明日が休日だからと羽目を外している。実に楽しそうだった。もちろん彼は混ざる気などは微塵もなく、店の横を通り抜け、足早に自宅を目指していた。

が。

ふと、足を止めた。見れば、通りに立つ電柱の近くで、タコみたいに真っ赤な顔のおっちゃんが空き缶片手に綺麗な女性に絡んでいた。コスプレだろうか、女性の頭には捻れた赤黒い角が二本生えていて、腰からは、先っぽに向かって細くなっていく爬虫類のモノにも似た尻尾が生えている。

おっちゃんはその女性と随分と近い距離、他人ならば絶対に不快に思われるであろう距離まで顔を近づけていた。

宵が深まれば酔いも深まる。

おっちゃんのそれは残念ながら悪酔いであった。ちらほらいる通行人はそんな二人を見事に無視して通り過ぎていく。皆んな面倒ごとは御免なのだ。男もそうだ。そんな事より早く家に帰りたい。彼は周りの人間と同じ様に、二人の横を通り抜けようとした。

 

「お姉ちゃん美人さんだねぇ。俺と一緒に呑もうよぉ」

「儂に触るな。人間風情が」

「照れちゃってさぁ。若い奴が言うツンデレってやつかなぁ。可愛いねぇ」

「うるさい。臭い。離れろ」

「まあまあ俺と気持ちよく一杯さぁ! 何なら別の気持ちいい事でも……」

「殺すぞ」

 

通り抜けようと、した。

だが、再び足を止めてしまった。

理由は。

おっちゃんが死ぬと思ったから。

ふざけているわけでも何でもなく本気でそう感じたのだ。彼女の言う殺すぞは、まだ言葉の重みを知らない子供たちが軽く口にする様な冗談としての言葉ではなく、もっとずっしりと重みがあって、ハッキリと言葉のナイフを首に突きつけてるのが目に見える様な、そんな脅しの言葉であった。だから第三者であるはずの彼の身体が一瞬恐怖で震えたのだ。

思わず止まった足。

遠くで見ていたさっきとは状況が違う。彼は二人のすぐ横に立っていて二人に存在を認知されている。現に女性は男の次の行動を観察する様におっちゃんを無視してじっと男を見ていた。

なんて力強い瞳だろうと男は思う。ただ見つめられているだけなのに身体が本能的に緊張していた。それに、絡まれている筈の女性は全くおっちゃんに物怖じせずに凛とした雰囲気を纏い、高貴な者のみが漂わせる気品すらも感じさせた。怯まないおっちゃんが凄いとすら思った。

彼女に褒めてもらいたい。

なぜかそんな願望が強く芽生える。

そうして、気付けば男は彼女とおっちゃんの間に割って入っていた。

 

「なんだぁてめえー」

「まあまあまあ。彼女も嫌がってますから、ここら辺で」

「うるせぇな。若造が指図しやがって。俺はなぁ、この街で一番強ぇ男なんだよ!」

「そうですよねぇ。そうかも知れませんけど」

「しつけぇなぁ! ぶっ殺すぞぉぉ!」

 

今度のそれは偉く軽い言葉であった。だが同時に拳を力一杯握った右腕が肩の後ろに引かれたのを見れば、身体は自然と恐怖せずにはいられなかった。

殴られる。

彼が身構えたその瞬間、おっちゃんの髪の毛が燃えた。自然発火では無い。おっちゃんに向けて彼女が、口から、火を吹いたのだ。

 

「うぁあああああぁあぁっっ!?」

 

おっちゃんは途端に情けない声を出しながら駆け出して、道の先の続く暗闇へと消えると、次にはじゃぷんと、大きな何かが底の浅い川に飛び込む音だけが聞こえた。

残された女性が男を真っ直ぐと見据えて、ニヤリと笑う。

 

「お主、良い奴じゃな」

 

男の胸が高鳴った。

 

 

男は女性に懐かれた。女性が野宿をすると言ったので男が「こんな寒いのに冗談ですよね?」と返せば「何かおかしいか?」と女性。男は彼女に、”良い宿を提供したい”という想いに駆られ、家に上げた。

驚いたことに彼女は住所を持っていなかった。さらに家も金も服も食糧も何一つ持っていないと言った。ホームレスどころの騒ぎでは無かった。

今までどうやって生きてきたのかと男は不思議で仕方が無かったが、彼女の次の言葉がその疑問を吹き飛ばす。

 

「儂はファイアードレイクじゃ」

 

彼女は揶揄う風でもなく至極真面目な口調でそう言った。

ふぁいあーどれいく……。

ファイアードレイク……?。

ぴんと来ていない男の為に彼女は説明をしてくれた。

曰く、ファイアードレイクとは古の火竜の事で、人間を含めた全ての生物のピラミッドの頂点に君臨する生物らしかった。つまりは王。

”だからか”と彼は納得する。

火を吹くし尻尾生えているし、なにより、この女性に尽くさねばならないと感じてしまう圧倒的な威厳。それらは彼女が動物として人間より遥か格上の最上位種であるという事実に基づく畏怖の念から来るものなのであった。

 

「今まで地球のどこかで生きていたのですか?」

「いいや。儂はこの世界とは別に存在する異世界で生きていたのじゃ」

 

彼女が言うには異世界にはダンジョンと呼ばれるものがあって、彼女はその奥。ラスボス部屋の手前にある試練の間で気高い竜の姿で眠り、門番の役割を担っていたらしい。だが彼女があまりにも強過ぎて彼らが一向にラスボス部屋に辿り着くことが出来ず、退屈で痺れを切らしたラスボスの大魔導士がとうとう彼女の事を解任したんだとか。そうして自由になった彼女は、戦闘が唯一の趣味であったにも関わらず彼女に敵う者などもはや存在しなくなっており、戦闘以外の新たな楽しみを探すために観光がてら異世界に飛ぶことを決意。実際に転移魔法で別の世界に来てみたまでは良かったが、この世界には魔力がほとんど存在しないという衝撃の事実に直面し、致し方なく魔力燃費の良い人間の姿に変身している、と。

 

「意外とおっちょこちょいなんですね」

「否定は出来ぬ」

「これからどうするするつもりですか?」

「今は転移魔法を使う魔力も残っておらぬからな。これから暫くはお主ら人間社会の生活とやらを楽しませてもらおうかの」

「そのためには、お金とか最低限のマナーとかが必須になってきますが」

「なんじゃそれは」

 

彼女は当然のことながら、人間社会のあれこれを何も知らなかった。これはよろしくない。火竜本来の力があれば彼女が一人で生きていくことも容易であろう。しかしながら今の彼女は、火が吹けて、人より力持ち程度の能力に抑えられている”ただの”人間であり、知識も無しに社会で自由を謳歌するのは少々だいぶ無茶だと言えた。

そして彼は、彼女を助けずにはいられない。

 

「……しばらくうちで暮らしますか?」

「うむ。世話になるぞ」

 

そうして二人は生活を共にすることになった。

 

 

 

初め、彼と彼女の関係は、親と子の関係に似ていた。彼女はとにかく好奇心が旺盛で人間社会にある様々なものに興味を示した。彼女が求めれば男は、テレビを見せ、ゲームを与え、水族館に連れて行き、遊園地で遊び、音楽ライブに参加した。

 

「見よ! 新作FPSじゃ! 買って共にやるのじゃ‼!」

「あれは何じゃ⁉ 随分とデカい魚じゃ⁉ お主も早くこっちに来い‼! ほら、あそこじゃ‼」

「このジェットコースターとやらは最高じゃああぁぁぁぁ‼! うひゃああああぁぁぁ‼!」

 

彼女は心から楽しんでいる時に、ファイアードレイクとしてのプライドをまるで感じさせないほど、無邪気で純粋な子供のような笑みを見せた。それは社会人になり社会の歯車として淡々と仕事に励むようになった男が随分と前に失ってしまった混じり気の無い輝きで、男は彼女を見ていると心が癒されていくのを感じた。それだけで、彼女との暮らしにはお金に代えがたい価値が充分にあると思えた。

だが時間が経つと、その関係もやがて変化する。

彼女は男に養われる日常を楽しむ傍ら、家事にも精を出すようになった。仕事から家に帰った時に、温かいご飯があることはとても嬉しかったし洗濯物が取り込まれているのは有難かったが、それは別に男から頼んだわけでは無かった。

 

「別にやらなくてもいいですよ」

 

気になった男がある日言った。

すると彼女は”ふふんっ”と笑い、自慢げにこう返す。

 

「儂は最近気付いてしまったのじゃ。戦いに勝ったときの気持ちと、お主を喜ばせることが出来た時の気持ちはとてもよく似ておる」

「と言いますと」

「心がすごく満たされるのじゃ。この前見たアニメの表現を借りれば、心がぽかぽかする、が相応しいかの」

「……そうですか」

「お主はどうなんじゃ? お主は儂を喜ばせるのが好きじゃろ?」

「ええ、大好きですよ。貴方が喜んでいると心がぽかぽかします」

「そうじゃろ! この感覚は人間の状態でしか味わえない素晴らしいものじゃ‼」

 

彼女はさぞ嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

そうして、二人での暮らしが当たり前になったとある日の夜。

彼女がリビングのソファに座ってロボット系のアニメ映画を見ていると、

 

ガチャ

 

いつも通りの時間に男が会社から帰宅した音がした。だが、いつものような「ただいま」の声が無い。不思議に思った彼女が首を反らして玄関を見ると、男は玄関で四つん這いになっていた。

彼女はテレビを消して、玄関へとすっ飛んでいく。

アニメより男の体調の方がよっぽど重要であった。

 

「お主。大丈夫か??」

「んん……ただいま……」

 

彼は顔を上げると、地を這うような声で返事した。顔は赤く、荒い息を吐いている。見るからに発熱していた。今朝方、二人で一緒に朝ごはんを食べている時に彼は彼女に卵焼きの味付けを変えたか尋ねていた。可笑しいのは味覚の方。予兆はあったのだ。

彼が鞄を横の壁に立て掛けて立ち上がろうとしたが、足元がおぼつかずにふらついた。

 

「おっと」

 

彼女が素早く支えて肩を貸す。

 

「大丈夫か?」

「すみません」

「とりあえずリビングに行くぞ」

「んん……」

 

廊下を二人で歩き、彼女は男をテーブルの椅子に座らせた。

彼は深く座り、背もたれに首を預け天井を仰ぐ。彼女はその間にぱぱっと男の寝間着を持ってきて床に置いた。

 

「さぁ。まずはスーツを脱がせるからの。ほれ、両手を広げぃ」

「大丈夫です。そのくらい自分で……」

「いいから儂に任せろ」

 

彼が薄く開けた目でそう抗議したが、彼女はまるで受け付けない。というのも今の彼女の頭は、男を助けたくて仕方がないモードに切り替わっていた。勿論心配が前提にある。その上、普段は割と一人で何でも卒なくこなしてしまう彼が珍しく足元がおぼつかない程に弱っている様子を見ると、彼女の中の庇護欲がこの上なく刺激されるのであった。

彼が、愛おしくて仕方がない。

彼女は手際よく男のスーツを脱がしシャツを脱がし裸にすると、タオルで身体を拭いていく。

 

「すごく、恥ずかしいんですけど……」

「今更気にする中でも無かろうが。ほら背中、浮かせろ」

「……はい」

「よし。大体拭けた。今はこれくらいで我慢しとくのじゃ」

 

そういって今度は彼の腕に上着を通し、足にズボンを通し寝間着を着せてあげた。彼はもはや為すがままである。

 

「今度は薬じゃな」

 

彼女が台所へ行くと、以前に男が病院から処方されていた風邪薬の残りと水の入ったコップを持ってきて、テーブルの上に置いた。

 

「どうじゃ? 飲めそうか?」

 

男はこくりと頷くと、錠剤を片手にもう片手にコップを持った。しかしコップを浮かせた瞬間、力が緩んだのか手元からコップが滑り落ちた。倒れたコップから水が豪快に机の上に零れた。

 

「あ、すみません……」

 

彼は眉を下げ、残念そうに申し訳なさそうに謝った。普段あまり表情を変える事の無い彼のレアな困り顔であった。

それを見て彼女の心はきゅっと高鳴る。

 

なんじゃ、こいつは。

 

彼女は内心悶絶しながら彼を強く抱きしめたい衝動に駆られたが何とか抑えた。

 

「気にするな。すぐに新しい水を持ってくるからの」

「あ、、はい」

「机もそのままで良い。後で儂が拭いておく」

「すみません」

「謝るな」

 

彼女は台所へ行き、再び水の入ったコップを持ってきた。しかし今度は彼に渡すことはしない。彼女自らが薬の錠剤とコップの水を口に含み、ぼんやりと項垂れている彼の顎に手を当て天井に向かせると、その口に自分の口を上から重ね合わせ薬と水をやや強引に流し込んだ。

ドラゴンがヒナに餌を与えるときの方法であった。

 

「んん……‼!」

 

彼が目を見開きながら喉を鳴らして飲んだ。飲みきった彼は口の端を袖で拭い、息を吐く。

彼女は尻尾をぶんぶんと振っている。

 

「良い子じゃ」

 

頭を撫でて来る彼女を、男は文句あり気な、しかしとろんとした目で見上げた。

そのあと男は彼女にトイレまで連れていかれた後で、ベッドに連行された。

 

「まだ、寝るには、早いですって」

「風邪は寝て治すのが一番と決まっておる」

「明日の仕事が」

「明日は休みじゃ」

彼は抵抗しても無駄だと判断し、大人しくベッドに横になった。彼女は満足そうに微笑を浮かべると尻尾で布団を掴んで彼の首元まで被せてあげた。

 

「おやすみ」

「……おやすみ」

 

彼は目を閉じた。

 

暫しの静寂が訪れる。

 

カチカチカチ。

 

時計の音。

彼が瞳を閉じている。彼女は枕元に腰かけ男の寝顔を見守っている。

不意に、彼がゆっくりと目を開いて、彼女を見上げた。彼女が不思議そうに見下ろす。

 

「どうかしたか?」

「……なんか、身体が、寒くて」

 

そう言って彼は布団から手を伸ばし、ベッドに着いていた彼女の手首を掴んだ。

その手は確かに冷たく汗ばんでいて、震えていた。

男の目はどうにか助けてほしいと彼女に縋っている。

 

反則が過ぎるのじゃ……。

 

という意味でため息を吐いた彼女は、

 

「すみません面倒をかけて」

 

と勘違いで反省する彼を差し置いて、彼の隣に横になり一緒に布団を被った。そのまま、横になっている彼を後ろからぎゅっと抱きしめ、足と尻尾も彼の下半身に絡める。

 

「あれ、布団を増やしてくれるとかじゃ……」

「なんじゃ。嫌か?」

「嫌では」

「ならば、いいじゃろ」

「……風邪がうつるかも」

「儂はファイアードレイクじゃからな。風邪などに罹らん」

「…………そうですか」

「温かいじゃろ」

「………………気持ち良い」

「おやすみ」

「…………………………」

 

男はやがて寝息を立て始めた。

彼女は上がった口角を宥めるのに必死であった。

 


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