カッコいい女に愛されるシチュ   作:もぐら王国

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幻獣病患者に愛される

 

「ほのかお姉ちゃん、わたし、おおままごとしたい!」

 

 

場所は、幻獣病で行き場を失った子供たちが暮らす孤児院の一室の広い子供部屋。周りの同年代の子供たちがオモチャやら絵本やらで思い思いに遊ぶ中、ペタンと座っている一人の幼い女の子が向かい合ってあぐらで座っている自分より少し歳上の少女に向かっておねだりした。

 

 

「うん、いいよ」

 

 

みんなのお姉ちゃん代わりである髪の長い少女は、はにかみながらそう言って快く引き受け、女の子は“やったー”と無邪気に喜んだ。

 

遊びに誘って、誘われて。

 

そのやり取りはどこでもありふれた微笑ましいものであるがしかし、そんな二人の外見にはいわゆる普通の人間のものとはまた別の特徴が見て取れた。

 

女の子は、夕日のような真っ赤な髪が後ろに逆立っていて腕には飛翔するためのふわふわの羽根が規則的に生え、指先は鉤爪のようになっていて、つまりフェニックスを思わせる姿で、少女の方は獣の耳と長い尻尾が生えていて、両頬には3本ずつ赤い曲線が対になって刻まれており、手には肉球と鋭い爪が生えていて、つまり虎を思わせる姿をしていた。

 

異世界の獣になる病。幻獣病。彼女らはその患者であった。

 

 

「それじゃぁかけるくんは“せんせー”の役ね。わたしが“ししょー”。ほのかお姉ちゃんは“あくやく”ね」

 

 

女の子はいつの間にか、近くにいたユニコーンを思わせる角の生えた気弱な男の子を捕まえておままごとの演者に引き入れていた。嫌がっていたら注意をしようと思ったが、男の子も嫌そうでは無かったので少女は苦笑をするに留まった。その間にも、可愛い演出家さんはテキパキとシチュエーションを指示していく。

 

 

「ここは“しせつ”の中なの。そこに“あくやく”がやってきて“ししょー”をおそってきてるとこ。“せんせー”はそこに立ってて」

 

 

“しせつ”は自分たちが暮らしている孤児院のことで、“あくやく”は幻獣病患者を狙う異世界反対派、“ししょー”は自分たちに身の守り方を教えてくれる皆にとっての師匠であり自分にとってのお母さん、“せんせー”は幻獣病を研究している研究者で、自分にとってのお父さん。少女は、そう認識した。おままごとというよりも劇になりそうだった。

 

 

「えっと、まずは、“あくやく”は、わたしを、“ししょー”をねらって攻撃をしてくるの」

 

 

ご注文が入ったので、少女は指示通りに演じて見せる。

 

 

「わっはっは、雷虎。貴様の命もここで終わりだ!」

 

「ふん。わたしをたおそうなんて、100年早いわ。すぐにじ・ご・くに送ってあげる!」

 

 

女の子は前に子供たち全員で見たアクション映画の口調を気に入っているようだった。言い慣れていないせいだろう、地獄の言い回しがぎこちなくて可愛らしい。

 

 

「かかってきなさい!」

 

「うおーーー」

 

 

女の子の言葉を合図に少女は両手を掲げて熊みたいなポーズでわざとらしく襲い掛かった。だが“ししょー”は負けない。「やぁっ」「おりゃっ」と女の子に殴られたり蹴られたりしながら彼女の指示通りに少女は「うわー」と声を漏らし終始やられていく。なんとも情けない役だが少女は誇らしさを感じていた。

 

そう。お母さんは誰よりも強いのだ。例えどんな“あくやく”が襲い掛かってこようとも、あっという間にボコボコにしてみんなを守ってくれる。そんな母への認識が目の前の女の子にも共通して持たれていることを少女は嬉しく思った。

 

だからこそ、次の指示はちょっと頂けなかった。

 

 

「“あくやく”は強い“ししょー”から弱い“せんせー”にねらいを変えるの。そこのめがねのヒョロヒョロの弱そうな棒切れみたいな男から“しまつ”してくれるわーって“あくやく”は言って」

 

 

少女は手持ち無沙汰に突っ立っていた男の子の方に身体を向けた。その顔は不満げである。

 

確かに、お母さんが“強い”としたらお父さんは“弱い”になるのだと思う。だけれどもその言葉は何だかお父さんを馬鹿にされているような気分になって少女には少し不快だった。

 

 

「ねぇ言って!」

 

「……うん」

 

 

女の子は劇を動かすことにすっかり夢中になっていて、少女の口角の下がっている微妙な表情の変化には気づいていない。少女は劇だからと自分に言い聞かせて口を開く。

 

 

「そこの眼鏡のヒョロヒョロの弱そうな棒切れみたいな男から始末してくれるわー」

 

「そうしたらかけるくんは“ひぃっ、ごめんなさい。なんでもしますからいのちだけは許してくださいーっ”ってなさけなく言って!」

 

「ひぃっ、ごめんなさい。なんでもしますからいのちだけは許してくださいーっ」

 

 

男の子が注文通り情けなく言う。前に見た映画そのまんまだ。でも、少女は心のもやもやが大きくなる。

 

 

「そしたら“あくやく”は、“ふん。それらならば、じぶんは弱い人間であるとみとめて、どげざをしながら、じぶんはむりょくな人間です、とあやまるがいい”って言って!」

 

 

もやもやが大きくなる。

 

 

「……ふん。それらならば、自分は弱い人間であると認めて、土下座をしながら“自分は無力な人間です”と謝るがいい」

 

「ほらかけるくん、言われた通りやって!」

 

「じぶんは、むりょくな人間です」

 

 

“お父さん”が跪く。

 

もやもやが大きくなる。

 

 

「そしたら、次は……」

 

 

大きくなった。

 

溢れた。

 

 

「ねぇ」

 

 

少女は気付けば声が漏れていた。自分でも一瞬驚いたけれど、一度口を開けば言葉を紡がずにはいられなかった。

 

 

「これ、すっごく嫌だ」

 

「え、え?」

 

 

少女の不機嫌な低い声を聞いて、女の子は驚き目を丸くする。

 

 

「お父さん、絶対こんなことしない」

 

「……するもん」

 

「こんなに弱くない」

 

「弱いもん!」

 

 

まだ、自分とは違う感じ方の人間がいるということを学び始めた年齢である。受け入れるのは難しい。女の子は、表情をくしゃくしゃにしていって、次の瞬間には大泣きし始めてしまった。二人の会話を傍で聞いていた男の子はただおろおろし、彼女の泣き声を聞いて周りにいた子供たちも手を止め、何事かと集まって来る。気付けば彼女と少女を中心に子供たちの輪が出来ていた。

 

 

「どうしたの?」

 

「なんで泣いているの?」

 

「どこか痛いの?」

 

 

みんなが口々に女の子に尋ねる。女の子はただ、

 

 

「ほのかお姉ちゃんがぁぁ!! ほのかお姉ちゃんがぁ!!」

 

 

と訴えながら泣く。皆の視線が向けられて少女は慌てて説明をする。

 

 

「私は、ただ、お父さんは弱くないって言っただけで」

 

「弱いのおおぉぉ‼‼‼」

 

 

少女の弁護も女の子の泣き声がかき消す。その限られた情報を聞いて、周りの子供たちが各々口を開いた。

 

 

「確かにせんせーって弱そうだよな」

 

「ししょーに腕相撲で勝てたことないって言ってた」

 

「運動苦手そう」

 

「細いよねー」

 

 

周りの言葉を聞いて自分の味方が一人もいないと知ると、急に自分が悪者になった気分になって少女の目にも涙が浮かんできた。

 

 

「というか、ししょーって本当にせんせーのお嫁さんなのかな?」

 

 

誰かが言った。

 

その疑問は皆の関心を強く惹いたようで瞬く間に話題の中心となる。

 

 

「言われてみればそうかも」

 

「全然釣り合ってないー」

 

「変だよね!」

 

「もっと強そうな人の方が似合ってるかも」

 

「おかしいよね」

 

 

「ほのかお姉ちゃんのお父さんとお母さんって、本当にお父さんとお母さんなの?」

 

 

 

悪意の無い純粋な質問に少女の心が貫かれる。腹が立ったけど不安にもなって心がぐちゃぐちゃになって、気付けば少女も泣き出してしまった。

 

それから暫くは、二人がわんわん泣き続けて、釣られて周りの子も何人か泣きだして、世話役のおばさんが来るまでひどい騒ぎだった。

 

 

 

 

 

衝撃を吸収する白いタイルに覆われた、奥行きも高さもあるドーム状の広い空間は、幻獣病患者たちが戦闘訓練をするためのトレーニングスペースである。子供たちは順番に“ししょー“と呼ぶ女性、つまり少女の母親に扱かれ、今は少女の番であった。

 

ドームの中心で、半そで短パンの動きやすい恰好の少女はしなやかな腕を晒す黒いタンクトップ姿の母親と組手を行っている。

 

 

「ほら。遅い遅い遅い」

 

「くっっ」

 

「もっともっと早く早く」

 

 

少女の放つ拳や蹴りを涼しい顔で悉く防いでいるのは、少女と同じく両頬に3本ずつ対になる真っ赤な曲線が刻まれていて、獣の耳と尻尾を生やした大人の女性である。親子だけ合って目鼻立ちはよく似ている。あえて少女と比べて違う所を挙げるとすれば髪を肩に触れる程度に短く切り揃えていて、“凛々しい”という言葉が似合いそうな落ち着いた雰囲気の美人な女性であるということだろうか。

 

彼女は少女の攻撃を全て受け止めている。

 

 

「手数を意識しても力が入って無きゃ意味無いよ。もっと体重を乗せて」

 

「くっそぉ」

 

 

少女がそれに応えるように右の拳を思いっきり振りかぶった。

 

しかし、

 

 

「違う」

 

 

彼女はそれをひらりと躱し、少女が渾身のパンチを避けられて前のめりに体重を崩した、その鳩尾に

 

 

「こうっ」

 

 

後ろに引いた右の手の平を身体を捻りながら軽く押し当てた。

 

 

「うぅぅっ⁉」

 

 

たったそれだけで少女は唾液と息を口から吐きながら、すごい勢いで後方へと吹っ飛んでいった。軽い身体。石ころのように転がる少女。しかし娘だろと彼女は容赦しない。敵が手加減する筈もないのだから。

 

彼女は床を蹴ってすぐに少女に接近し回し蹴りを放つ。少女は慌てて高く飛んで避ける。

 

 

「隙が出来るからそんなに飛ぶなっていつも言ってるでしょ」

 

 

言いながら着地点に駆け寄る。少女は焦った表情のまま口を大きく開けて、やがて青白い稲妻を近づいてくる母親に吐き出した。

 

 

「電撃も必ず当たる場面以外禁止」

 

 

彼女は言いながら瞬きする間に飛んでくる秒速数百キロの稲妻をそれでも軽々避けて、少女に急接近。少女が苦し紛れに繰り出した顎に向けての掌底打ちは躱そうとははせずに、代わりに彼女は少女の細い足を払ってバランスを崩させ、床に転がした。

 

 

「足元にも意識を向けなさい」

 

 

彼女は立ったまま汗一つ流さずに少女を見下ろし、一方の少女は小さな体を使って目一杯呼吸をしながら、母親の事を呆然と見上げていた。

 

 

「どうしたの。いつもより動きが鈍いじゃない」

 

「……ごめん……なさい」

 

「具合でも悪いの」

 

「……うんうん」

 

 

少女は仰向けに倒れたまま首を振る。実際の理由は、さっきみんなに言われた言葉が心に引っ掛かって集中できていなかったからだ。

 

“ほのかお姉ちゃんのお父さんとお母さんって、本当にお父さんとお母さんなの?”

 

言葉が心をぐるぐるする。

 

そんな心中を察したのか、

 

 

「とりあえず休憩にしましょうか」

 

 

母は今までの厳しい表情とは一変、優しげな微笑を浮かべて言った。

 

 

 

 

 

無機質な白い壁に背中を預け、二人は並んで足を伸ばして座っていた。少女の頭には白いタオルが掛けられていた。母親が渡してくれたものだった。

 

広い訓練場には静寂が満ちていた。一人だったら寂しさを感じたかもしれないが、隣で母が時折身じろぎする音が少女に安心感を与えていた。

 

 

「それで? 何かあったの?」

 

 

母は穏やかな口調で尋ねた。

 

少女はすぐには口を開くことは出来なかった。何だか聞いてはいけないような気がしたから。答えを聞くのがちょっと怖かったから。それでも少女はやがて勇気を振り絞って顔を上げると、母に尋ねた。

 

 

「ねぇ、お母さん。お母さんとお父さんは結婚してるんだよね? 私のお母さんとお父さんだよね?」

 

 

少女は真剣な顔で答えを待つ。

 

それは余りに想定外な質問だったらしい。

 

母は口を半開きのまま沈黙し、数秒後に「……は?」と素っ頓狂な声を漏らした。

 

 

「それは……どういう意味なの?」

 

 

怒っているわけでも無く純粋に困惑している母に、少女は経緯を話した。父と母が夫婦なのは変だと言われた事。父が弱いと言われた事。自分はそうは思わない事。

 

母は少女から説明を一通り聞くと「なるほどね」と納得したように呟いた。そうして宥めるように、少女の頭にタオルの上から手を置いた。

 

 

「安心しなさい。ほのかのお母さんは私で、ほのかのお父さんはいつもくだらない冗談ばっかり言ってる白衣ばっかり着てるあのお父さんよ」

 

 

「……そっか。良かった……」

 

 

少女は安心したように息を漏らした。それでも、もう一つ訊かなければいけない事があるのを忘れてはいない。

 

 

「お父さんは、弱いの??」

 

「うーん」

 

 

少女の祈るような視線を受けて、母は腕を組み困ったように微笑を浮かべた。

 

 

「どう説明したらいいのかしら……」

 

「やっぱり、弱いんだ……」

 

「いや、それはないわ。あの人は私よりずっと強い」

 

「え?」

 

 

聞きたかった答えを、それも予想していなかった答えをあっさりと言われて少女は驚いてしまった。さっきの母と似たような表情になる。親子だ。

 

 

「ただ、その“強さ”を説明するのが難しくて……」

 

 

それから母は暫らく考え込み、少女はそんな母が口を開くのを辛抱強く待った。やがて、母が「よし」と短く声を出すと、こう切り出した。

 

 

「今から、お母さんとお父さんが出会った頃の話をしてあげる」

 

「お父さんとお母さんの?」

 

「ええ。今から10年くらい前ね」

 

 

母が懐かしそうに頬を緩め、少女は瞳を輝かせた。両親の馴れ初めなど今まで聞いた事が無かった。初めてお家に地下室があることを発見したときのような、そんなワクワクがあった。

 

 

「……あの時は丁度、異世界条約が締結されて、異世界とこの世界を繋ぐゲートが日本の数か所に設置された時だった。私の住んでいた港町にもね」

 

「異世界条約……」

 

「テレビでしょっちゅうやってるわね。今は異世界の住民を受け入れるのか、行き来を出来るようにするのかどうかで大揉め中だけど」

 

「うん」

 

「当時はまだ、物のやり取りだけだった。巨大なゲートを通じて異世界の物を輸入して、この世界の物を輸出した」

 

 

それは今や日本国民の誰もが知っている異世界との交流の歴史だった。そしてそれは必ず、招かれた悲劇と共に記憶されている。

 

 

「お母さんはある日目覚めたら、動物みたいな耳と尻尾が生えてた」

 

「幻獣病」

 

「そうね。ゲートからウイルスが入ってきてたまたまお母さんに感染して発症した。お母さんの場合は、ほのかもそうだけど、“雷虎型”ね。電気を操る虎。あくびをしたら口から青白い電気がびりびりって出てびっくりしたのを今でも覚えてる」

 

「ふふっ」

 

 

幻獣病は異世界に住む獣の特徴が身体に現れる病気だった。これは国も全く予期していなかったことで、社会は大きな混乱に陥った。

 

 

「お母さんはそれから酷い差別を受けた。歩いているだけで石を投げつけられたり、通りすがりの人に見た目の悪口を言われたり、入店を断られることもしょっちゅうだったわ」

 

「何もしていないのに……ひどい……」

 

「そうね。でもしょうがないのよ。差別は人間の習性みたいなものだから。それに皆怖がってた。自分にもうつるんじゃないか、うつったら死んじゃうんじゃないかって」

 

「でも、そんなことないよ」

 

「当時は誰にも分からなかった。それに、事実は重要ではないの。大事なのはイメージ。人間の判断基準なんて案外テキトーなものなのよ」

 

「……うん」

 

 

それは少女にもよく分かっていた。周りの子供たちも無邪気に“ほのかお姉ちゃんは虎さんだからお肉食べるでしょ?”とやたら肉を食べさせたがった。虎=肉食獣のイメージがそうさせるのだ。少女は実際は野菜の方がずっと好きだった。

 

 

「それでお母さんね、暫くは黙って耐えてたの。そのうち治療法が出来ると思って。でもいくら待ってもそんなことはなくて……。お母さん、ある日キレちゃった」

 

「キレちゃったの?」

 

「ええ。“なんで私だけが”って」

 

「ブチギレ?」

 

「ブチギレ」

 

 

母は少しおどけたような口調で言った。少女は想像する。母は普段は優しいけれど、服を脱ぎっぱなしにするとか夜更かししてる時とか、怒った時は本当に怖かった。

 

 

「幻獣病患者が本気でキレるとどうなると思う?」

 

「獣になっちゃう」

 

「その通り」

 

 

幻獣病患者は制御できない程の強い情動に呑み込まれると獣に姿を変える。少女は幸いにも母のその姿をまだ見たことが無かった。

 

 

「お母さんはビルくらい大っきい青い虎。雷虎そのものになってゲートを壊すために暴れたの。周囲の無人の建物を沢山巻き込んで」

 

「青虎事件?」

 

「そう呼ばれてるわね」

 

 

それは死傷者こそゼロだったものの、初めて幻獣病患者が起こした印象的な事件もしくはクーデターとして国民に記憶された。

 

 

「でも、噛みついても電撃を放っても引っ掻いても全然ゲートは壊れなくて、そうこうしている内に国が協力を依頼していた異世界の戦闘部隊がゲートから出てきて、お母さんを魔法で丸焼きにしようとしたり氷漬けにしようとしたりした」

 

「……うん」

 

「お母さんは命からがら逃げだして、気付いたら人間の姿に戻ってて、まるで知らない都心の人目の無い路地裏で全身から血を流して死にかけてた」

 

「……」

 

「そこに眼鏡をかけた男の人が近寄って来た」

 

「お父さん!」

 

「そう。お父さん」

 

「やっと来た!」

 

 

少女は歓喜の声を上げた。ずっと母が可哀想な話が続いていたから早く父が現れて欲しいとうずうずしていたのだ。

 

 

「お父さんは傷だらけのお母さんを見て、その耳と頬の曲線と尻尾を見て全部察したみたいで、お母さんを国に差し出さずに、お父様、つまりおじいちゃんがやってた個人病院に連れ帰って看病したの」

 

「おじいちゃん好き!」

 

「ほのかのこと大好きだものね」

 

 

母は微笑んだ。今は娘に甘々な好々爺という言葉が似合う背中の丸いおじいさんだが、当時は厳格な雰囲気を纏った人間だった。幻獣病患者に対しても否定的な立場だったが、少女の父が必死に頭を下げて母の治療を行うように説得したのだった。

 

 

「それでね、お母さんは何とか命を救ってもらった。それで、事件から数か月後に起きて、テレビのニュースを見て、初めて自分がやってしまった事の大きさを知った」

 

「……?」

 

「日本各地で似た事件が起きていたの。今まで虐げられていた幻獣病患者が獣に姿を変えて社会に対する怒りをぶつけるように暴れ回っていた」

 

「黒犬事件とか赤牛事件とか……?」

 

「そう。ケルベロス型と火牛型ね。それ以外にも沢山。彼らが暴れた要因はいくつもあったと思うけど、その大きなきっかけになったのは間違いなくお母さんだった。お母さんが、皆の背中を押してしまったの」

 

「でも、そんなの時間の問題だから、お母さんは悪くない」

 

「そうかもしれない。でもあの時お母さんはひどく責任を感じた。死人も怪我人も沢山いて、世間の幻獣病に対するイメージはますます悪化して、幻獣病患者の未来を壊してしまったと思った。それが怖くて悲しくて悔しくて。お母さんの心がぐちゃぐちゃになって、気付いたら泣いちゃったの」

 

 

恥ずかしそうに微笑する母。

 

母のその感情に少女は覚えがあった。自分の父と母の関係を疑われた時の心境と一緒だと思った。だから母の苦しさを少女なりに少しは理解できた。

 

 

「それで身体を抱えてベッドの上で泣いていたら、お父さんが布団を掛けながら抱きしめてくれて、“大丈夫。僕が幻獣病治療の薬を作って、みんなが生きやすい未来を作るよ”って言ってくれたの」

 

「かっこいい!」

 

「ふふ。そうねぇ。でもあの時まだお父さんは大学院の博士、つまり研究者の卵でしか無かったし、言動もお父さんにしてはキザ過ぎて、今思い出すとちょっと面白いかも」

 

 

そう言う母はそれでも大切な思い出と一目で分かるほどに優しい笑みを浮かべていた。

 

 

「それからお母さんは、お父さんの家を隠れ家みたいにして居候になって、気付いたら好き同士になって、夫婦になったの」

 

「ふーん……」

 

「お父さんの胸に酷いやけどの傷あるでしょ」

 

「うん。一緒にお風呂に入ってる時に見た」

 

「あれはお母さんが救ってもらった時に抵抗して付けちゃった傷みたいなの。たぶん感電したときは胸を金槌で思いっきり殴られたみたいな痛さを感じたと思うんだけど……それも愛の大きさだよね!っとかあの人は言うんだから理解できないわよね」

 

「お父さん、お母さんの事大好きだもんね」

 

「……」

 

「……それで、お父さんってどんなところが強いの?」

 

「あ、そうだったわね。昔話に夢中になっててすっかり忘れてたわ」

 

 

母は照れくさそうに“ごめんごめん”と笑った。

 

 

「信念を貫き通している事よ」

 

 

母は少女と目を合わせて言った。

 

 

「信念?」

 

「そう、信念。当時は幻獣病患者に対する風当たりが強かったけれど、それでもお父さんは自分の良心を信じて死にかけていたお母さんを助けて、自分の想いを信じてお母さんをうざいほど好きになって、自分の力を信じて今では幻獣病研究の第一人者となって獣化を抑える薬も作ってみせた」

 

「……すごい」

 

「でしょ。お父さんは確かに細くてお母さんより力は全然無いけれど、お母さんよりも誰よりもずっとずっと強い心を持っている」

 

「心……」

 

「強さは力だけじゃない。色んな種類があるのよ。理解できた?」

 

「うん!」

 

 

少女は満面の笑みで頷いた。

 

お父さんは強い。

 

そんな揺るがない“信念”を少女も持つことが出来たから。

 

そして大きな疑問を解決した今の少女には、果たさなければならないもっと大事な任務が一つできていた。

 

 

「ねぇ、お母さん」

 

「ん?」

 

 

それは、

 

 

「お父さんとどんな風に好き同士になっていったの??」

 

 

両親のコイバナを聞くことだった。

 

 

 

 

 

主に少女にせがまれる形で二人が長らく喋っていると、やがてトレーニングスペースの入り口の扉が音を立てて開いた。二人が視線を向ければ、そこに立っていたのは件の“お父さん”と、その足元に立つ今朝方に少女と言い合いになった赤髪の女の子であった。

 

 

「今日は異世界担当大臣と会議があってね。それでとっても美味しそうなケーキを子供たちにどうぞってたくさん貰って来たんだ!」

 

 

父は弾んだ声でそう言って女の子の背中を押す。ゆっくりと歩み出た彼女のその小さな手には、縦長の家にも似た箱型の紙の容れ物がぎゅっと握られている。中身はケーキに違いない。

 

父の微笑みに母も微笑みで返し、少女の背中を押した。少女は少し緊張した面持ちで女の子の元へ歩み寄る。向かい合う。

 

 

「これ」

 

 

女の子が容器を開いて中を見せた。少女が覗き込めばそこにはたくさんの種類の美味しそうなケーキが入っていた。

 

 

「ほのかお姉ちゃん。朝は……ごめんなさい」

 

「うん。私の方こそ、ごめんなさい」

 

 

二人はペンギンのように可愛らしくペコリと頭を下げ合った。

 

これでもう仲直り。

 

顔を上げた女の子は、ぱぁっと表情を明るくする。

 

 

「ほのかお姉ちゃん! ケーキ、一緒に食べよ!」

 

「うん。食べようね」

 

 

それですぐに、女の子が先導する形で二人は皆が待つ食事場に向かうために、トレーニングスペースから出て行こうとした。そんな二人の様子を少女の父と母が優しい笑みで見つめている。だがふと、少女が足を止めて振り返った。母が、忘れ物でもしたのかと尋ねる前に、少女が口を開いた。

 

 

「お母さんね。お父さんの事、世界一好きだって‼」

 

 

少女の可愛い悪戯であった。

 

少女はニシシっと満足げに笑うと、今度こそ女の子と一緒に扉から出て行った。

 

残されたのはニヤニヤと笑っている眼鏡の男と、顔を真っ赤にして彼の視線から目を逸らしている女である。

 

 

「なんだい? ほのかに僕たちが愛の逃避行をした昔話でも聞かせていたのかい??」

 

「うっさい」

 

「いやー、あの頃の君は寂しがりな猫、いや虎みたいにいつもくっついてきて実に可愛かったね! もちろん今のツンデレな感じも凄く好きだけど!」

 

「……うっざい」

 

「あれ、僕の事嫌いになっちゃったのかい? いやぁ、悲しいなぁ!。まぁそれでも僕は君一筋で君に愛を捧g……ぐぇ⁉」

 

 

女は床を蹴って一瞬の内に男の背後に回り込むと、その襟首をやや強引に引っ張った。

 

 

「……嫌いなわけないでしょ」

 

 

その囁きを聞いてまた元気に何かを言おうとした男だったが、女がそのままずるずると襟首を引っ張ったまま少女たちの後を追って出口へと向かっていくので、男は呼吸をするので必死で、それ以上何も言うことは出来なかった。

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