カッコいい女に愛されるシチュ   作:もぐら王国

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アーマードザリガニ


画家が愛される

青年は絵を描くのが好きだった。小さい頃は、どんなに下手な絵でも両親が手放しで褒めてくれて、それがとても嬉しくて夢中になって描いた。小学校に上がると周りの子が褒めてくれて、それで得意になって描いた。中学・高校では大人達が天才と持て囃してくれて、自分の才能にワクワクして描いた。

大学在学中には大きなコンテストで大賞を受賞して、幸運にも作品の展示や販売を仕事にする画商の目に止まって、遂には個展なんかも開けるほどの知名度と評価も手に入れた。画家としてはこれ以上無い程に順調な人生だった。

だが、青年はあるとき思ってしまった。

自分は評価されるための画ばかり描いている、と。というのも当時の青年の画は風景画や動物画が多く、イケメンや美女が無条件に相手に好印象を抱かせるように、自分の描いた画もその優れた題材の持つ分かりやすい美しさによって支持されているように感じていた。

美しい物を美しく描く。それは確かに技術の為せる業ではあるけれど、それよりもっと内側に潜む美しいモノ―人間の心を描きたいと青年は強く望んだ。混じり気の無い美しさがそこにあると青年は信じたのだ。

それから青年は自己の内面と向き合って、己の感情や気持ちを観察してその価値を問い続け、やがて半年掛けてF100号大型キャンバス(長辺162cm、短辺130cm)に渾身の一作を描き上げた。

信じた感覚の行き着いた先。

それは。

酷くおぞましい画だった。

『ある男』と題されたその作品は、寒色で塗りつぶされた溶けた顔の男がどこか哀しげな笑みを浮かべてこちらを見つめている画であった。青年はこの溢れる悲壮感の中に内包されている美しさを信じた。だが実際の所この画は、見る者の背筋を凍り付かせ心に恐怖を抱かせ、怯えさせるに留まり、美しさは受け入れられなかった。

画家は作品の一つ一つが名刺代わりである。

青年の評価は覆る。

今までの作品と真逆の作風であったのも余計に印象を強くした。

それまで熱烈に支持してくれていたファン達は嘘みたいに離れ、SNSでは不気味過ぎると囃された。

それでも青年は諦めずに人間を描き続けたが、それが人々を魅了することは無く、やがて目を掛けてくれた画商にも見放され、青年は自分を信じられなくなり、遂に画を描けなくなった。

 

 

 

マンションの一室。玄関に続く廊下の壁際には分別もされずに無造作にゴミを詰められて口を結ばれた透明なゴミ袋が列になって並べられている。捨てられる事無く溜められたゴミ袋達は壮観であるものの、袋に収まっているだけ幾らかましと言える。リビングではそもそも袋に入れられることも無く、空き缶やレトルト食品の包装やレジ袋やペットボトルなどがそこら中に散らばっていて、酷い有様である。尤も、ここに暮らす住人が元来は几帳面な性格でかつては毎日掃除機を掛ける習慣を持ち合わせていたことを考えれば如何にその生活が荒んでしまっているかが窺える。

リビングと同じくベランダに面した隣の部屋は作業スペースである。中央にはぽつんとイーゼルが置かれ、その上には何も描かれていない真っ白なキャンバスが置かれ、それと向かい合うように置かれた椅子には、髪の毛がボサボサで眼鏡を掛けて無精髭を生やした青年が座っている。

レンズの先の覇気の無い瞳でぼんやりと無地のキャンバスを見つめるその猫背の背中には全く気力が宿っていない。まるで座ったまま死んでいるようである。

最近はずっとこんな感じだった。描きたいものが全く何も思い浮かばない。それでも何か描かねばならないという焦燥感だけは確かにあって、ただ意味も無くキャンバスの前に座り無為に時間を過ごしていた。

 

「おっじゃましまーす」

 

不意に玄関の方から陽気な声が聞こえて、足音が近づいてきた。やがて作業部屋に入ってきたのは、一人の女性。ショートの髪は明るい茶色に染められていて、服装は初夏らしく半袖長ズボン。何が楽しいのか微笑を浮かべていておっとりとした空気を纏っているその女性は、青年の恋人で間違いなかった。青年は耳に入ってきた間延びした第一声から彼女の来訪を知っていたので、わざわざ振り返ることはしない。彼女は両手を背中で組んで抜き足差し足と作業部屋に踏み入って青年の顔を覗き込む。

 

「お、良かった生きてるね~」

「何か用か」

 

視界端に現れた彼女に青年は顔を向けて尋ねた。

 

「メッセージに既読付かないし電話も出ないし折り返してこないし、もしかしたら死んでるかと思って」

「それでわざわざ?」

「その通り。そのために遠くから平日に有給とって電車で2時間掛けてわざわざ来たのです。偉いでしょー? 褒めて欲しいよ」

「ご苦労だな」

「みじか! というかげっそりし過ぎ! 最期にご飯食べたのいつ」

「2日前」

「うわぁ……。死んじゃうよ」

「生きてるだろ」

「まあ……。一応生きてみたいだし取りあえずいっか」

 

彼女は冗談っぽく言って笑った。

青年は彼女に言われて久しぶりにスマホの存在を思い出した。どうせ仕事の依頼が入るわけも無いからと、電源を切ってリビングのどこかに放り投げたきりだった。

彼女は鼻をすんすんと鳴らすとベランダの方へと歩いて行く。

 

「こんなに暑いのに閉め切ってたら死んじゃうよ」

「換気扇は回ってる」

「そういう問題じゃ無いってー。人間はお日様の光浴びないと廃人になっちゃうんだから。それに匂いも何かやばいことになってるもん」

 

事実、部屋に熱気が籠もっていた。さらに油絵の具の独特な臭いとゴミ袋の口の隙間から漏れ出ているのであろう食べ物の腐ったような据えた臭いと、一週間ほど風呂に入っていない青年の汗の臭いが部屋の淀んだ大気中で混ざって大変な悪臭が醸成されていた。

彼女は窓を開けた。

 

「うーん、気持ちいい~」

 

夕陽に照らされて新鮮な空気が部屋に入ってきて、彼女は全身に風を浴びながら気持ちよさそうに声を漏らした。

それから“お風呂沸かしてくるね”と言って浴室へ向かい湯沸かしのスイッチを入れると、“食べ物あるかな~”と呟いてキッチンの冷蔵庫を漁り始めた。青年は作業部屋から出てきて、その様子を棒立ちで見つめていた。

 

「うーん。消費期限切れの卵とマーガリンだけか。

これは買ってこないと駄目だね~。あーでも、買い物の前にお部屋の掃除かな~」

 

彼女の声を聞きながら青年は苛立ちを募らせていた。環境の変動に対する苛立ちだった。青年は画が全く描けなくてそんな自分に対する嫌がらせで、部屋は閉め切り物は散らかり風呂にも入っていなかったのだ。だから急に環境を改善させられるのは居心地が悪かった。

 

「帰ってくれ」

 

思わず言った。青年は自分でも思ったより大きな声が出て驚いた。彼女への罪悪感が沸いた。

 

「おっきな声が出たねぇ、どしたん話きこか~」

 

彼女はキッチンからひょっこり顔を出した。表情は柔和で気にしている素振りは全く無かった。

 

「そういうんじゃないんだよ。俺は望んでやってるんだよ」

「望んでこんな廃人みたいな生活してるの?」

「そうだ。俺は、画を描くことしか能の無い人間で、画の描けなくなった画描きだから、生きていてもしょうが無いんだ。だから放っておいてくれ」

「ふむふむ。なるほどなるほど」

 

彼女はキッチンで腕を組んで頷いていたが、やがてきりっと顔を上げた。

 

「ところがどっこい、私は君の恋人なので帰る訳にはいきませーん」

「恋人だから、何だってんだよ」

「ならば教えて進ぜよう。私は君のことが好きな人なので、ヘラってる君を放っておく訳にはいかないのです!」

 

彼女は決め台詞のように堂々と宣言して見せたが、

 

「でたその言葉」

 

青年は冷めた口調で返す。

 

「かつて俺の画を評価してくれた人たちもみんな“好き”って言ってた。でも今じゃ誰も言わない。誰もが手の平を返して“方向性変わって残念”とか“迷走してる”とか言いやがる。俺はもうその言葉は信用できないよ」

「あちゃー、今回は随分とヘラっちゃったね~」

「うるせーよ」

 

青年の悪態も気にせず彼女はすすっと傍に寄ってくる。

 

「でもねぇ。恋人5年目の私からするとそこらの顔も知らない一般人達の“好き”と一緒にされるのは流石に心外かなぁって」

「口でだったら何だって言える」

「それなら、どうしたら信じて貰える?」

 

微笑みと共に、まるで小さな子をあやすように尋ねてきた彼女に青年はベランダの方向に顔を向けて答えた。

 

「じゃあ……そこから飛び降りたら信じる」

 

勿論、本気では無かった。

青年の借りている部屋はマンションの4階の一室。地上から約12mの高さがあって、落ちたら只では済まない。だからただ彼女に言い負かされ無いように、適当に思いついたことを言っただけだったのだが……

 

「おk~」

 

彼女は一切の躊躇いなくそう言葉を返すと、ベランダの方へと歩いていった。それが余りにも自然な動作だったので青年は制止するタイミングを失い、気付けば彼女は窓を開けてベランダに出て手すりに片足を掛けようとしているところだった。青年は血相変えて駆けだして、彼女を捕まえて室内に無理矢理引き摺り戻すと、床に転がした。

 

「あははははっっ。結構ひやっとしたね~」

 

仰向けに寝転ぶ彼女は楽しげに笑った。見下ろす青年の顔は真っ青で強張っていて笑顔とは程遠い。ひやっとした、なんてもんじゃない。心臓が止まりかけた。

 

「馬鹿っ! 本当に飛び降りようとする奴がいるかよ!」

「えー君がやれって言ったのに」

「落ちたら大怪我するかもしれないんだぞ!」

「君に“好き”を信じて貰う対価はなかなか高くつくねえ」

「馬鹿。頭いかれてる」

「いいね。いかれてる同士お似合いカップルじゃんいえーい」

「笑えねえよ……」

 

ふざけてピースをする彼女に青年は呆れ顔である。一瞬とは命を危険に晒したと言うのに全く動じていない彼女は肝が据わっているのか、はたまた脳天気なのか。いずれにしても得体の知れない強さを青年は彼女から感じざるを得ない。

 

「それで、好きって信じて貰えたのかな?」

 

起き上がった彼女が上目遣いで訊いてくる。

青年は照れ隠しに顔を逸らした。

 

「……まあ」

「ようしっ!」

 

彼女は嬉しそうに笑った。

 

「それならそれなら、私にここまで好きって思われるなら、生きてる価値あるって思えない!?」

「それは……それは、お前が道端の石ころに価値を見いだす物好きな奴って思う」

「うわ~強情捻くれ面倒くさ男だ~」

 

眉を下げておどけた調子で彼女が言う。

青年には正直反論の言葉が思いつかない。素直になれていないという情けない自覚だけがあった。

彼女はリビングを見渡して、部屋の壁に立てかけてある画を指さす。

 

「あの桜の画って確か病室から見えた桜を描いてるんだよね? 君が階段踏み外して指骨折して入院したときに見えたやつ」

「そうだな。二ヶ月くらい画が描けなくて退屈だった」

「あのフクロウの画もさ。実物見なきゃ描けないからって一緒に北海道のフクロウが見られるって噂の宿に泊まってそれでも見られなくて、諦められずに粘って粘ってやっと見れてさ。それまで描けなかったよね」

「あれも実物に会えるまで一ヶ月くらい掛かったな」

「今もさ。そんな感じで準備期間なのかも」

「準備期間?」

「そう。今度は人を描くために必要な準備期間。画を描くことが君にとって大事なことなら、それに繋がる準備だって大事なことだよね?」

「でも、描けないんだよ。俺はもう何も描けない」

「描けるよ。絶対また描ける。君のことを5年間傍で穴が空くほど見続けてきた私には分かるもん。君はまた描けるよ!」

 

確かな根拠も無いくせに彼女は自信満々に言う。

 

「描ける!」

 

その言葉に信憑性など無いけれど、

 

「描けるよ!」

 

所詮は言葉なのだけれど、

 

「ワタシ、ウソ、ツカナイ」

 

彼女が言うもんだから、信じてみたいと思えたのだ。

「胡散臭い外国人かよ」

「ワタシ、ニク、タベタイ」

「さっきベランダで思ったけど、お前ちょっと太ったよな」

「ふぁ!?」

 

驚愕の表情をする彼女を見て青年は初めてふっと笑った。

 

「てか嘘つかないは嘘だろ」

「いや、嘘つかないよ私」

「前、お化け屋敷余裕って言って出て来るときには号泣してただろ」

「それは、子供っぽく思われるのが嫌で……」

「おじさんの船に乗せて貰って一緒に釣りに行くときに船余裕って言って永遠にゲロ吐いてたろ」

「あれは、いけると思って……」

「あとは」

「わ~終わり終わりっ!。そんな意地悪言えるならもう元気だね! はい、もうお風呂沸いてるからとっととお風呂入ってきて! 正直絵の具と汗の臭いでもうすっごい臭いんだから!」

 

彼女に背中を押され、促されるまま脱衣所へと向かう青年。その途中で足を止め、僅かに顔を後ろに向けて言った。

 

「ありがとう」

 

その態度には照れがあって何とも素っ気ない言い方だけれど、彼女は「ふふんっ」と満足そうに笑った。

「君が風呂入ってる間に掃除しちゃうからね~。それで後で一緒にご飯買いに行こ」

 

こうして青年はもう人生で何度目になるかも分からないが、また彼女に救われる。

健康的な精神と生活を取り戻すことになる。

そうして青年は翌年『救済』というタイトルで眠る女性の画を描いて界隈から多大なる評価を受ける事になる。

モデルが誰かは━言うまでも無い。

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