創作ぐだのため、藤丸立香とは別人。
「正直、ここまで教え上手だったのはおどろいてる」
「そうは見えない、かな。もちろん、よく言われる。生前の私は天才型ではなかったからか、理屈で教えるのが得意らしい」
三月も一週間が過ぎ去ったころの、とある夜。カルデアのキッチンには、めずらしい組み合わせの影二つ。
漂う匂いは甘さを宿して、ことこと、小さな音がする。
要石はいつものように、ぼやりとした目で鍋を見る。
そのかたわらには、赤い外套、英霊エミヤ。
料理関係の諸々は何であっても引き受ける、台所のぬしが佇んでいた。
エミヤは要石と共に鍋の中を覗き込み、熱されていく砂糖の変化を鷹の目にも等しい視線で射抜いている。
「そろそろ焦げやすくなる頃合いだな。三度目ともなればわかるだろう?」
「感触が、少し変わってきたのはわかる。本当に、面倒な作業だ」
「料理は、そういうものさ。それに、面倒な作業を経験した今だからこそ、彼女たちの頑張りもわかるはずだ」
「否定できない、勝手は違うだろうけれど」
分量通りのバターとミルクに、砂糖。焦がさないように混ぜながら、じっくりと煮詰めるだけ。派手な変化はなく、わかりやすい合図もない。言葉の通りに、地味で退屈な作業だ。
「私としては、君が料理を知りたがることの方がおどろきだったがね。良い具合だな、硬さを試してみろ」
「諒解」
軽く混ぜると、液体にはない粘度を感じる。
火から下ろすと、かけらほどを冷水へ。要石が観察する前で、しずくはすぐに固体へと変化した。
「感覚的な判断だけれど、悪くない。型に流してみる」
「口出しはしないさ、君の感覚を信じろ」
鍋の中身を型へと移すひとしきりの工程が終わるまでは、無言。冷蔵庫に押し込めたところで、要石はやっと一息とばかりに肺の中身を吐き出した。
「おめでとう、マスター。ここまでくれば、失敗もあるまい」
「助かった、感謝するよ」
やり取りは短く、簡素なものだ。
それでも、エミヤは要石の言葉に満足そうな笑みをみせた。
その理由がわからずに、要石は眉を寄せて見返すのだ。
「いや、なに。感心しているのさ、愛の力というやつは強いな、とね」
「もう少し、わかりやすく頼む」
「そうだな……無駄を楽しめ、マスター。今の君は、とても人間らしい」
「だから、難しい」
それでいいのさと、エミヤは笑う。
夜中のささやかな料理教室は、要石の頼みから始まった。
返礼が必要なのだと聞かされて、考え抜いた結果なのだろう。食事を栄養素の摂取としか見ていなかった要石からすれば、らしくない行動だ。
だからこそ、エミヤは二つ返事で引き受けた。
人の形をしたいびつなものが、人の心を得ようとしている。手助けをするならば自分が誰より適任だろうと、エミヤ自身が考えていた。
事実、二人の噛み合わせは抜群に良かったといえる。
要石は素直に指導を受け入れて、エミヤは初心者にわかりやすく理屈で教える。凝ったものではなくとも、手製のものを。要石の思いに応えて、返礼の品は着々と完成に近づいていた。
「君が、他人のためにらしくないことをしている。しかも『そうしたい』という純粋な気持ちで、だ。愛という感情が君を変えた原動力なら、これほどロマンチックな話もあるまいよ」
「どうだろう。これが愛情なのか、僕にはわからない」
「それでいい。すぐにわかるほど、単純なものでもない」
エミヤはそれを愛と呼び、要石は静かに返す。
理解が及ばないと口にしても、問題ないと告げられる。
だから、要石もそれ以上は聞かなかった。
戦い、壊して、生き延びることしか知らない。ずっとそういうものであったから、今の空気は、要石にとってなんとも言いがたい収まりの悪さがある。
冷蔵庫の中でキャラメルが固まるまでの間、エミヤにそれを話したところで、答えは決まって、
「それでいいのさ、マスター」
だけだった。
三月十三日、二十三時、五十分。
夜が更けるにつれそわそわと、テノチティトランは落ち着きを失っていく。
先月のイベントに関しては、完全勝利だと自負している。
だからといって、油断はならないのもまた事実だ。
カルデアに所属するサーヴァントとして活動を始め、当世の知識は不要なほどに増えている。中でも今回のそれは、頭痛の種といっても過言ではない。
想定外だった。
そういうものがあるのだと、聖杯は教えてくれなかった。
バレンタインのイベントがあれば返礼のイベントもあると聞かされて、テノチティトランは頭を抱えたのだ。
思えば、前回の一件は要石に神たる自分をもてなさせ、祭事の返礼として特別に与えるという体裁だった。筋書きは完璧に進行し、現在に至る。
返礼の返礼は、果たしてありえるのか。
仕返しの仕返しは御法度だ。そんなことを続けていたら、秩序が崩壊する。
だとすれば、返礼の返礼もなしではないか。
考えれば考えるほど、心臓がばくばくと脈を打つ。勇んで調べものをしなかったのは、自分だ。誰が悪いと考えてみれば、やはり自分に落ち着く。
だから、恐ろしい。小さな自尊心だとか、照れ隠しだとか、そういったものをかなぐり捨てるべきであった。
「……こんなところで会うとは偶然ですね、トラマカスキ。ところで明日は、ホワイトデーらしいです、よ。知っているかもしれませんが、ホワイトデーというのは、……」
虚しい。
これでは、あまりにみじめだ。作戦変更、どう接するのが自然なのだろう。
「道を間違えていますよ。こちらの部屋の方が、上質の休憩がとれます……」
いや違う。
これでは、日常そのままだ。作戦変更、どうすれば特別感が出るのだろう。
腕組みをしてうんうんとうなるテノチティトランに、カルデア職員やほかの英霊たちが言葉をかけることはない。
知らぬは彼女ばかりなり、というべきか。
夜ごとにキッチンで、エミヤと何やら作り込んでいる要石の姿を、テノチティトラン以外が目撃している。だからといって事情を考えればおいそれと教えるわけにもいかず、精々が心配するなと励ましながら静観する程度であった。
結果、テノチティトランの心配事は日付が変わってもなお続いているのだ。
「そもそも、ホワイトデーを知らない可能性もありますね、トラマカスキは世間知らず。将来は私の神殿に住むのですし、私に尽くす上で大切な祭事として覚えてもらわなくては……」
「なにをだ」
「気配遮断っ?!」
おどろきのあまりに口を突いて出たのは、悲鳴だとか鳴き声ですらない、サーヴァントのスキル名であった。
振り返れば、要石がいる。
相も変わらず、ぼやりとした目で見下ろして。
いつものように、何を考えているのか読み取れない表情のまま。
「……こほん。偶然ですね、トラマカスキ」
「無理がある、無理があるぞ、トラロック」
「私は、日課の花壇の水やりをしていたところです」
「それは先月もう聞いた、あとごまかせてない」
「ところで今日はいい天気です、よ。絶好の祭事日和、です」
「聞けよ」
負けを認めたように、テノチティトランは黙り込む。
妙な空気になってしまったものの、やはり、胸は弾む。深夜、二人きりの廊下。いつもと変わらぬ景色の中、邪魔者だけがいない空間は、特別な雰囲気に満ちていた。
「……私に、なにか、用です、か」
「そうだよ、だから黙っておまえの独り言を聞いてた」
「待って、待って、トラマカスキ」
今度は別の意味で、顔が熱くなる。
慌てるテノチティトランを見下ろしたまま、要石は紙袋を差し出した。意に介せずというのか、鋼の精神の持ち主なのか。雰囲気はマイナスだとしても、サーヴァントの身でありながら、緊張で口の中が乾いていくのを感じる。
「……これ、は?」
「ホワイトデーのプレゼントだろ、キャラメルを作ってみた。おまえのみたいに、上手くはできなかったけれど」
がさがさと紙の擦れる音を立てて、テノチティトランが袋を覗く。
ラッピングされたカラメル色の立方体は、定規で測ったようにまっすぐで、飾り気がない。形状も相まって、四角四面という言葉がぴったりだった。
「チョコレートでハチドリを作るとか、正直、正気の沙汰じゃないと思った。真似事でしかないけれど、おまえがどれだけ大変なことをしたのか、理解できた気がする」
僕にはこれが精一杯だと付け加えて、要石はため息を漏らす。
硬そうな見た目とは裏腹に、指で摘めば軽くゆがむほどには柔らかい。もったいないことをしたと、テノチティトランは眉を寄せる。
「……神への供物としては、悪くありません、よ。少なくないアナタの時間がこもっている、それはわかります」
黙って見守られる前で、まずは一つを口へと運ぶ。
甘さと、ほのかな苦味と、心地の良い香り。要石の捧げものは、舌の上であっという間に溶けていった。
「なにより、とても、美味です。トラマカスキ、私は気に入りました、よ」
二つめを、今度は崩さないようにそっと摘む。体温にほどけていく濃厚な味わいは、なぜだかとても、くせになる。今まで味わった砂糖菓子の中でも格別に感じる理由は、テノチティトランにとって考えることではなかったが。
「砂糖を煮詰めただけなのに、不思議だ」
「野暮」
最後の一つと要石を交互に見つつ、テノチティトランはため息を漏らす。
製法の問題ではないと言いかけたところで、ふと、思いついた。
「せっかくですから、祭事をしましょう、トラマカスキ」
「ここで?」
「そうです。供物の品質は悪くありません、百点をあげても良いほど、です。しかし、敬いもてなされるはずの神がこのように手ずから口に運ぶというのは、いただけません、ね」
しばしの、沈黙。
次第に上気していくテノチティトランの頬に、要石も察してうなずく。
邪魔をするものもなく、静まり返った廊下の片隅。
要石がキャラメルを摘み、テノチティトランは唇を開く。
どれも同じはずなのに、最後の一つは、ずっと甘い。
溶けてしまうなと願うほどに、甘く愛おしい味わいだった。