円環の勇者   作:まんじゅう卍

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第一話 歓喜と現実

「落ち着いたか?須美」

「うん。ありがとう。銀」

 

 あの後、泣きじゃくり続けた須美は安芸の判断によって銀が同行する形で保健室にまで連行されたのだった。授業の進行を妨げたのだから当然の措置と言えた。真面目な須美は後で迷惑をかけてしまったことを安芸に謝罪しなければいけないな。と頭の片隅に置いておいた。

 

「泣きすぎて頭が痛いわ」

「そりゃ須美。私が今服を着替えている時点で察してほしいね」

 

 銀に言われ、服に注意を向けると銀は制服ではなく『HelloWorld』と刺繍が施された服を着ている。体操服を持っていなかったのだろうか。学校の備品とは言え、須美は普段なら外国語に対して文句の一つでも言っていたが今はそれよりも先に申し訳なさが勝った。

 

「!ごめんなさい!私、銀の服を」

「あはははは!いいって。大丈夫だよ。そのくらい。気にしないで」

 

 それでもーーーー。とまだ謝ろうとする須美の唇に銀は人差し指をそっと添え、ニコッと須美に優しい笑みを向ける。須美の心臓はその笑みにドキッと跳ね上がった。顔が熱くなったのを必死に隠す須美に気づかず、銀は須美に当然の疑問をぶつけた。

 

「なにかあった?」

 

 なにかあったにはあったのだがそれをどのように言語化すれば良いのか須美は迷った。そもそも、それを銀に伝えてしまってもいいのか。迷った末に須美はその問題を先送りにした。

 頭が痛いと言う痛覚があるのを見るにこれは夢とは言い難い。

 それに、先程の銀の手の暖かさを夢という想像上の世界だけで作り上げられたものとは思いたくなかった。

 だから今は。今だけは須美は教室に来る前までの出来事を夢とした。

 

「ううん。なんでもないわ。ちょっと嫌な夢を見ていただけ」

「いやいやいや。須美、さっきまで国語の教科書音読してたんだから寝てるわけないじゃん!」

 

 ケラケラと軽く笑う銀の表情と声は須美の耳に自然と馴染み、土に雪が溶けこむようにじわっと心の奥底で広がった。そしてまた出し切ったはずの涙がポロポロとこぼれ落ちた。

 

「えええええ!?なんでまた泣く!?」

「ごめん。私、制御できなくて。ぐすっ」

 

 鼻を啜ると頭にあの独特な痛みが走る。須美が少し顔を顰めたところで銀はまたケラケラと笑い声を上げた。

 気恥ずかしさと涙を拭き取るために目を服の袖で乱暴に擦る。

 その様子を見て、ニヤッと悪戯を思いついた銀はスッと須美の前に保健室に置いてあった手鏡を滑り込ませた。鏡には目元をこれでもかと赤く腫らした自分の顔が写っていた。

 なんて顔だ。須美は思わず笑いそうになった。

 

「本当に須美は泣き虫だなあ」

「そうですよ。私は泣き虫ですよ。銀の言う通りです」

 

 せめてもの抵抗で頬を膨らませて須美は拗ねてみた。しかし、それすらも銀には面白く見えたのかずっと笑い続けている。

 保健室のカーテンが海から吹き込む穏やかな風によって揺れるのを目に端に映しながら須美は掛けてあるカレンダーに目を向けた。カレンダーは六月十日となっている。

 須美は首を傾げ、何度も何度もそのカレンダーを凝視する。しかし、いくら見返してもその数字は変わることなく、そこに今がいつかを明確に示してくれていた。

 

「六月…十日?そんなはずは……。銀、あのカレンダーって本当?」

「急に泣き出したと思ったら次は不思議なこと聞くね。そうだよ。祝すべき遠足までちょうど一ヶ月!」

「遠足まで……一ヶ月?」

 

 須美の中で様々な記憶がどんどんと溢れ出す。一ヶ月後の七月十日は須美が通う神樹館の小学六年生の自分達の遠足の日だ。須美達はその日、公園でアスレチックで遊んだり、陶芸をしたり。沢山の思い出を紡いだ。その日は同時に銀のーーーーー。

 この時、ふと須美の脳裏を掠めたのは最近見た小説の内容だった。

 とある主人公が死んだ友を助けるために何度も何度も同じ時間を繰り返す摩訶不思議な物語。

 

「そんなはずは…ない、わよね」

 

 いくらなんでもそれは架空の話であり、そんな都合のいい話があるわけがない。須美も子供だがそのくらいわかる。

 幻想とある種の願望を振り払うために須美は頭を横にブンブンと振った。

 流石の銀も今の須美の行動の落差についていけなくなってしまったのか、須美の隣で永遠にクエスチョンマークを浮かばせていた。

 一度あり得もしない願望を振り払っても、それはまた須美を嘲笑うかのように湧き上がり、同時にそれに須美はすがってしまった。

 

「でも、万が一にでも仮にそうだとするならーーーーー」

 

 まだ時間はある。もしかしたら銀を救える!

 そう考えが至った瞬間、須美を興奮を伴った高揚感が包み上げる。思わず握り拳。

 

「???」

 

 遂についていけなくなった銀は須美の肩を軽く叩こうとした。あと少しで銀の手が須美に触れようか。と言う時、保健室の扉が勢いよく開け放たれた。同時に長い綺麗な髪を揺らしながら園子が突貫し、須美に抱きついた。

 

「わっしーーーーー!!」

「そ、そのっち!?」

「よがっだあーー!しんじゃうがどおもっだあああああ」

 

 園子は先程まで泣いていた自分のように須美の制服に顔を押し当て、咽び泣いた。

 驚きながらも園子の頭に手を置いて軽く撫でる。その時、自分はただ泣いていただけなのにこの子はなんて縁起のないことを言うのだろう。と須美は少々他人事になってしまった。

 

「泣き止んでそのっち。私は大丈夫よ。ちょっと気持ちが昂っちゃっただけ」

 

 これで果たして理由として納得してもらえるだろうか。先程まで自分が何を音読していたのかを思い出せないがそれっぽい事を須美は口にした。

 園子はそんな須美のかなり良い加減な説明に目の端に浮かんだ涙を拭いながらうんうん。と頷いた。

 

「わかるよ。かわいそうだよね〜、ヨダカ。私も泣きそうになっちゃった〜」

 

 なるほど。自分はよだかの星の一部を読んでいたのか。須美はようやく自分の先程までの行動を理解した。

 須美は自分の胸元を見ると見事に園子の涙やらなんやらが混ざり合ってぐちゃぐちゃになっていた。

 園子にバレないように息を吐いている間、銀は園子に何やら耳打ちしている。須美は着替えるためにカーテンを閉め、保健室の先生が置いていってくれた服に着替えながら聞き耳を立てた。

 

「どうだった。須美のやつの感触」

「なんだか凄かったんよ〜」

「さすが、やっぱり持ってるものは本物……。くっ!アタシもどさくさに紛れて触っておくべきだったか」

 

 銀の悔しそうな声がカーテン越しに聞こえてくる。須美は改めて下着だけになった自分の胸元を見下ろしてみた。

 

「我ながら立派よね……」

 

 思わずそんな言葉が口をついて出てきた。次第に羞恥心が襲いかかってきて顔が熱くなる。それを覆い隠すように服を着てカーテンを開けた。

 カーテンの先では園子と銀が何事なかったようにニコニコと笑っている。聞こえていたぞ。と心の中で文句を言いながら須美は姿勢を正す。

 椅子に座る三人の視線が互いに絡まり合う。それがなんだか面白くて、三人とも笑みが自然に溢れた。

 須美は園子のあの影の落ちた表情を知っている。銀のあの冷たい手と写真だけとなってしまったその笑みを見る辛さを知っている。それ故に、先程まで夢でない。現実だと思っていた今を二人の笑みを見た瞬間に夢でも良いかと思えてしまった。

 

「戻ろっか」

 

 銀の一言に頷いて須美たちは保健室の先生にお礼を言って、保健室を後にした。

 

 須美は自宅に帰った後、一人であの遠足の日に起こる出来事をノートに文字化することによって冷静に分析することにした。それと同時に自分の身に起こった不可思議なことも。

 須美は固定概念に囚われやすい。それを自覚しているからこそ、今だけは否定から入るのをやめた。

 まずノートに書いたのは敵の数。進路。攻撃手段。

 

「……なんだかこれだけの情報があれば余裕そうな気もするけど」

 

 あまりにも物語として出来すぎではなかろうか。何度も自分の書いた文字を凝視するがやはり導き出せる結論は「勝利」の二文字だ。結局、またその結論に疑いを持つのだが自信のない須美はその確率を半分にする事で自己を納得させた。勝率五割。微妙な事この上ない。

 須美たちはあの日、不意打ちを喰らって全滅へと追い込まれた。それさえ回避できればまだどうとなるのではないか。

 須美はここまで考えたところで深く息を吐いた。メモ書き程度に使ったノートを誰にも見えない位置にしまった後、次に脳裏によぎるのは自分のことだった。

 これも別のノートに記すことにした。

 須美は記憶の海を辿って簡略化した今後一ヶ月の予定を書き記してみる。やはり、書き記せるのはこれから一ヶ月後の七月十三日まで。逆に考えれば自分は間違いなくその七月十三日までは見てきたと言うことになる。

 

「やっぱり私、あの本の主人公みたいに時間を戻ったのかしら」

 

 須美は椅子から立ち上がり、本棚に近づいてその本を手に取った。表紙には『渦』と言うシンプルなタイトルが文字には似合わず主張激しめに印字されている。

 須美は普段SF小説など滅多に読まないが、これを手に取って読破した事も何か理由があるのかもしれないと考えた。

 この本の主人公は一人の少年が事故で亡くなってしまった友人の死を受け入れる事が出来ず、時間逆向を繰り返す話だったと須美は記憶している。その結末は言ってしまえばハッピーエンドとは程遠いものであったと記憶もしている。

 改めてその内容を知ろうとパラパラとページをめくってみるが、須美は後半に向かうに連れ眉を顰めた。

 

「ない。何で結末が書かれたページのないの?前はちゃんと見れたのに」

 

 再度、最初からページをめくって確認するが計300ページほどある本は後半の結末が描かれた20ページほどが欠落している。

 須美はそれを理解した時、目眩がした。

 なるべく常識にこだわらず、園子のように柔軟に。銀のようにありのままを受け入れるようにしたと言うのに今目の前で起きていることは須美のその努力を上回り、押し潰さんと襲いかかった。

 

「まだ時間はあるし、今日はもういいわよね。銀とそのっちには……話した方が良さそうね」

 

 須美は今日は色々あって疲れたのでその本を本棚に戻し、布団に飛び込んだ。

 まだ一ヶ月ある。そう思えたら須美にもある程度の余裕は出てきた。今日は寝て。また明日考えよう。

 須美は部屋の電気を落とし、深い眠りについたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 須美は荒い呼吸を何度も繰り返す。霞んだ視界の先には赤い装束を見に纏い、壁を睨む一人の少女。その装束は血に濡れたことによってさらにその色を鮮烈にした。

 須美の隣に佇む園子は膝から崩れ落ち、その顔を苦悶の表情で埋め尽くした。須美も悔しさのあまり、拳を樹海に叩きつける。そして、顔を上げその後ろ姿を見ると自然と涙がこぼれ落ちた。

 

「銀……」

「みのさん…。一緒に帰ろうよ。ねえ、みのさん!」

 

 あれから一ヶ月。須美はありとあらゆる対策を取りこの天下分け目の合戦と言っても差し支えがない戦闘に身を投じた。順調だった。順調だったはずなのに結末は変わらなかった。

 

「「ぐっ!ううっ!あああああああああああああああああああ!!」」

 

 須美と園子の二度めの慟哭が樹海に響き渡った。

 

 1周目、惨敗ーーーーー。

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