須美がとある事を計画し出した二日後の六月十六日。須美は計画可能の段取りをつけると教室で銀と園子に提案を持ちかけた。二人は今、互いの頬を軽く引っ張り合っている。
「そのっち。銀。少しいいかしら」
須美がそう言うと二人とも顔だけを須美に向ける。互いに変な顔をしていたものだから須美は軽く吹き出した。
「ふふっ。さっきから思っていたけど何をやってるの?」
「スキンシップ〜」
「園子がアタシを主人公に勝手に小説を書いたからお仕置き?してるだけ」
二人とも言っていることが違うのが尚更須美には面白く感じた。銀の理由はともかく、園子にとっては頬を引っ張られるのがスキンシップだというのだろうか。何とも痛みを伴う辛いものだと思った。
須美は一度軽く咳払いすると今度こそ本題を切り出した。園子も銀も須美の咳払いによって手を離し、話を聞く体制になる。
「明日から二日間、学校もお休みでしょ?だから私の家で、その…お泊まり会兼合宿のようなものをやりたいな…と」
自分で考え提案した割に二人が乗ってくれるのかを不安に思ってしまった須美の言葉は最後になるにつれて弱々しいものとなる。
しかし、そんな不安など無用だと言わんばかりに二人は目を輝かせる。まるで餌を与えられる前の犬みたいだと須美は思った。
「「いいね!楽しそう!」」
ぐいっと二人は須美の方に身体を乗り出す。二人のタイプが違うとはいえ、整った顔立ちが近くに来たことでわずかに心臓が跳ねる。最近は銀と園子にドギマギさせられてばかりだ。
そんな須美とは対照的に冷静になった二人は首を傾げる。
「するのはいいけどどこでやるん?」
銀のその当然とも取れる問いに須美は待ってましたとばかりに答えた。それと同時に須美は登校カバンの中から紙の束を取り出し、銀と園子の前に置く。ドスン。という少々重たい音が聞こえ、それを目撃した二人は目を丸くする。
「二人とも乗ってくれて安心したわ。場所は私の家でやろうと思ってる。お母様とお父様にも許可はとったから大丈夫よ」
「それもいいんだけど……」
「わっしー、これは〜?」
合宿を開催する場所以前にどうしても目の前の紙束の方が気になったのだろう。二人ともそれをじっと凝視している。須美はその反応に満足して一体それが何であるかをネタバラシした。
「それは合宿のしおりよ」
「……分厚くない?」
「頑張ったわ」
ページをめくりながら苦笑いを浮かべる銀を視界に捉えながら、須美は汗を拭う仕草をした。園子は凄いね〜。なんて言いながらその内容に見入っていた。そして、一通り目を通したのか顔を上げる。
「どう?そのっち」
「いいと思うよ〜。それに、わっしーは凝り性さんだね〜」
「そうかしら…。というよりこの会話、どこかでしたことあるような」
わっしーは凝り性さんだね〜。これと同じような会話をどこかでしたようなデジャブに須美が囚われ、小首を傾げている間に銀も全てのページに一通り目を通し終わったみたいだ。
「アタシも賛成!すっごい楽しみ!」
銀からも満点の笑みと回答が得られ、ようやく須美は自分の胸を撫で下ろす。そんな二人の前で園子と銀は楽しげな言葉を交わし続けている。まるで言葉の舞踏会だ。とこれまた以前のように詩的な発想が須美の脳裏にヒョイっと顔を覗かせた。
須美の眼前で繰り広げられている会話は次第にズレていき……。
「ミノさん何持っていく〜?」
「トランプとか?三人で遊べるものがあればOK!」
「それなら私、石臼持っていくんよ〜」
「え、なして?園子サン」
「うどん打つんだ〜。みんなで作れば何でも美味しいよね〜」
楽しそうにする二人とは対照的に須美は二人に背を向け、思わず頭を抱えたのだった。
翌日、須美はどこか落ち着かない心持ちで自分の部屋の中をぐるぐると歩き回っている。なんだかんだと須美がこうして二人を家に招くのは初めてのことだった。ちゃんと来てくれるのだろうか。どのようにして待つのが正解なのか。おもむろに須美はピタリと足を止める。そして壁と睨めっこ。今、自分は一体どんな表情をしているのだろう。生憎、鏡がないのでそれはわからず仕舞いだ。
「座して待とうかしら」
一度試しに須美はその場に正座してみる。何だかむずむずして自分の足が自分のものではないみたいだ。
再び立とうとしたところで馴染みのある使用人さんに後ろから声をかけられた。
「お嬢様。乃木様がお見えですよ」
「ついに……」
須美の顔が強張っていたのだろう。そんな須美を見かねて使用人さんが気を使って笑いながら言った。
「お気持ち、お察しします」
その言葉を聞いた時、須美は今、自分がどんな表情をしているのかを知った。使用人さんの目に映る自分の表情はとても安堵したものだった。
「いらっしゃい。二人とも」
「お邪魔します〜」
「お邪魔します!うわー、須美の家初めて来たからすっごい新鮮」
ワイワイと騒ぐ二人を連れて須美は自分の部屋に案内する。園子と銀は須美の部屋を見ると更にテンションが上がったようだった。
そこまで私の部屋って盛り上がる要素あるのかしら。と須美は自分の部屋を俯瞰して見てみる。部屋はとても簡素で、机とパソコン。数冊の本が並べられた本棚があるだけ。須美は二人の会話に耳を傾ける。
「凄いね〜。何もないよ〜。でも、凄くわっしーっぽい!」
「わかる。わかるよ園子。これでアタシ、須美の部屋にポスターとか大量に貼ってあったら爆笑してる」
一体二人の中で自分はどのように映っているのか。須美はその末端を覗いたような気がした。
「そうそう。ミノさん。私持ってきたよ〜」
「……マジ?」
銀が苦笑いを浮かべる傍で須美は首を傾げる。そして、昨日の会話を全力で思い出した。思い当たる節は一つ。突っ込んでしまいそうなのを堪え、その場でくつろぎ出そうとする二人を須美は無理矢理外に引っ張り出す。二人の不満をこれでもかと突き詰めたような声を須美は背に受け続けたのだった。
それからは三人は普段しているようなトレーニングをこなし、連携の訓練に移った。とは言っても大赦が今回用意してくれたわけでもないので、やれることは限られてしまうがそれでも一定の成果はあったと須美は感じている。ただ、これでこの先の戦いを切り抜けられるかと聞かれれば真面目な須美は頷くことすらできないだろう。そのくらい、大赦の援助有り無しでは話が違った。
そんな事を思いながらその日の夜、須美達は何故か三人でお風呂に浸かっている。どうしてこうなったのか。須美は先程から頭の上でクエスチョンマークが溢れかえっていた。それもざばーん。というお湯がお風呂内から溢れる音と共に流れていってしまう。要するに須美はこの状況をすぐに受け入れた。
ほっ。と一息つく須美の隣で園子が何度も手を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返す。須美がその手を覗くと、園子の手のひらには血の滲んだマメが出来上がっていた。
「そのっち、手大丈夫?痛くない?」
「うん!心配してくれてありがとう〜。痛いことは痛いけど、バーテックスの攻撃に比べたら比にもならないよ〜」
「それは比較対象がどうかとも思うけど……。言ってくれれば絆創膏あげたのに」
「自分で持ってきてるから大丈夫〜」
「そう?それならいいのだけれど」
あまりしつこく言うのもな。と思った須美は大人しく引き下がった。
そもそもこの三人でお風呂に入ると言う状況を作り出した当の本人は浴槽の外から須美の身体をジッと見つめている。先程から視線が交錯し続けており、何とも言えない空気感を二人の中に生み出していた。
交錯し合う視線の先で銀がニヤリと笑う。須美は眉を顰めながら銀の言葉を待った。そして案の定、口から飛び出た言葉は須美の想定していたものであった。
「須美のむぐへえ!」
その先は言わせないと言わんばかりに桶いっぱいに入れたお湯を銀にぶちまける。お湯をかけられた銀の身体からは水が滴り、床に水滴の溜まり場を作り出した。
言葉を阻まれた銀は恨めしそうな視線を須美に送る。
「酷くない?」
「当然のことよ。それにお風呂は落ち着いて入るものだと私は思うの」
「私の首に凄い水圧をかけたくせに落ち着いて入るものだ。とはよく言うよ」
よっぽど不満だったのか銀は唇を尖らせながら三人で入るには狭い浴槽に身体を埋めた。もう少し阻むにしてもやり方があったのではないか。須美の心は何だか申し訳ない気持ちで包まれた。
それが銀があえて狙った油断であったとも知らずにーーーー。
「引っかかったな!親父、その桃くれ!」
「なっ!?ちょっと、やめなさい銀!」
唐突に掴みかかる銀に対し、狙い通り油断してしまっていた須美は銀の手に反応する速度が遅れてしまった。それでもそこは勇者。脅威の反応速度で身体を倒すと銀の手が僅かに須美の肌をかすめていく。銀の顔が悔しさで歪む。須美は何故そこまで銀が悔しがるのか理解できなかった。
「わわわわわ〜!二人とも危ないよ〜」
二人の戦闘に巻き込まれる形となった園子は落ち着いて入ることも出来ず端にまで追い詰められた。
何度でも言おう。この浴槽は三人で入るには少々狭い。だと言うのに二人が暴れたらその結果何が起きるか。
「うわあ!?」
「きゃあ!?」
「ひゃあっ!?」
三人とも総崩れ。何が。とは言わないがこの一瞬の攻防の勝者は紛れもなく銀であった。
お風呂から出た三人は柔軟体操などをこなしたあと、勉強タイムへと移った。そんな中、部屋の空気感はどこか微妙なものを孕んでいた。
「ごめんって、須美。悪気はなかったんだよ」
銀の謝罪の言葉が須美の耳に入ってくる。しかし、あれから須美は不貞腐れ、部屋の隅で月曜日までの宿題をこなしていた。
園子は園子でペンを持ちながらずっと船を漕いでいる。目を覚ましたら閉じてを繰り返し続ける様子はさながら滑稽だった。
そんな園子を視界の端に映しながら、須美は銀の方へと身体を向けた。
「悪気がなかったらあんなことしないわよ。普通」
須美は先程の出来事を思い出し、段々と顔が熱くなるのを感じた。あぁ、今すぐ水でも浴びに行って精神統一を図りたい。と酷く思った。
そんな須美の事などいざ知らず。銀は爽やかな笑みを浮かべサムズアップ。
「最高だったぜ」
「……少しは反省しなさいよ。全く」
「いや、アタシも流石に申し訳ないと思ってるよ?だけど、それを凌駕するくらいの達成感に満たされてる」
誇らしげに胸を張る銀を見て、須美はもうこれ以上何かを言うのを諦めた。せめてもの仕返しとばかりに大袈裟にため息を吐いてみる。銀は相変わらずカラカラと軽く笑っているばかりだ。須美はふと、銀はいつも笑っているな。と思いながら、その視線を段々と逸らしていった。
視線の先にはかつて
今回は何が間違っていた?須美の思考の先にあるその結論を導き出すのは容易い。
何もかもが足りなかったのだ。ここで須美は実感した。あの合宿は必要不可欠なものであり、何が何でも安芸に提案して行わなければならない。生憎、時間ならまだある。ギリギリだが無茶を言わせれば可能だ。何故だか須美は口から安堵の息が漏れ出た。しかし、須美は自分のその行動にギョッとした。
(私、銀の死を悲しめなくなってる?)
冷静にこれまでの出来事を振り返り、次のことばかりを考えていた須美とは対照的に隣では園子が泣きじゃくっている。その光景も何度も目にしてきたものだ。計二回、須美はこの光景を目撃してきている。言ってしまえばたったの二回。たったの二回でこれなのだ。この先、させるつもりはないが今と同じ光景を目にした時、自分はどうなってしまっているのか。そう考えただけで背筋が凍るような恐怖が須美を支配した。
そんな思いを振り払うようにして須美は銀の最期の姿を眼前に捉える。今度は逸らさないようにーーーーー。
(大丈夫…。これで絶対にしてはならない行動の選択肢は絞られた。次は。次こそは……!)
須美には確証があった。次はまた別の日に戻るだろうと。一見、無駄なように見える今回もおそらく何処かで身を結んでくれるはずだ。
そんな淡い期待を抱きながら須美は一歩前に踏み出した。二歩、三歩と銀へと近づいていく。あと十歩、足を踏み出せば銀の元へと辿り着く距離にまで近づいた時、世界は暗転した。
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『勇者遺失録』
以前とは異なる形の合宿ではあったがとても楽しかった。だけど、その先に待つ痛みや苦しみをそう何度も与えられてしまうと心が折れてしまいそうだ。
今はまだ大丈夫。そうやって自分を励ましておこう。
神世紀298年 6月16日