円環の勇者   作:まんじゅう卍

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第8話 須美の長い1日(上)

 須美が『勇者』としての役目から逃げ出して2時間が経過しようとしている。須美は空に浮かぶ孤独な雲に親近感を覚え、それに連れられるようにして讃州市を巡っていた。

 既に学校は始ってはいるが、珍しく須美には一ミリも罪悪感というものが生まれてはいなかった。ちょっとした休憩も必要だと、自分に言い訳をしているのかもしれないと須美は思った。

 

「私は……どうするのが正解なのかしら」

 

 せっかくここまで何も考えずにいたというのに学校のことを思い出し、銀と園子の顔が去来した瞬間、突然迷路に迷い込んでしまった。

 須美は気付きつつある。銀は助けられない、と。欲張れば須美にとって大切なものを二つ失うという事も。

 銀の弟の「どうして姉ちゃんなんだよ!」と言う言葉がおもむろに頭によぎる。

 

「そうよね。どうして銀なのかしら」

 

 自分がその役目を代わってあげられればいいのに。と何一つと解決にならない考えが浮かぶ。

 立ち止まってからどう思う?と雲に問いかけても、雲は無言で空を漂うだけで答えなど返してはくれやしない。車が舗装されたアスファルトの上を駆け抜ける音を聞きながら須美は再び止まってしまった足を前へと動かした。

 

 それからどれだけの時間が経過しただろうか。須美のお腹は可愛い音を立てて、自身が空腹なのを暗に伝えてくる。

 

「朝ごはん食べてないものね」

 

 須美は今朝の自分を思い返す。母親や父親。使用人さんからも声はかけられたがどれも断るか無視したのだったか。おまけに朝は食欲が湧かず何もお腹に入らなかったのだ。

 

「はあ……でも、やっぱり何か食べようとは思合わないわ」

 

 須美は諦めにも近いため息をついてから近くの砂浜に立ち寄ることにした。須美を導いてくれた雲はまだ不思議と須美の上空を漂っている。須美はなんとも不思議な事もあるものだ。と呆れ混ざりな苦笑を浮かべた。砂がスカートに付くこともいとわず、須美は砂の上に座り息を吐いた。

 

(私がこのままお役目に戻らなかった場合どうなるのかしら)

 

 本音を言ってしまえば須美は感情に任せてこのままずっと逃げてしまいたい気持ちでいっぱいだった。須美は努力を怠るような性格ではない。しかし、今回ばかりはその領域を超えている。

 そんなことを考えてしまったばかりに須美の脳裏に二人の親友を失った時の光景がフラッシュバックした。首筋から冷たい汗が溢れ、それは急速に須美の体温を奪う。自分の体温は気づけば目の前で絶命した銀と園子のものによく似ていた。それを感じてしまったが最後、須美の瞳は大きく揺れた。思わず須美は膝を抱えて泣き出してしまった。せめてもの抵抗で声を押し殺し、人知れず静かにその頬を涙で濡らしたのだった。

 

 須美が自分自身で泣き止んだと感じたのはかなりあとだった。手鏡で自分の顔を覗くと目の下は真っ赤に腫れ上がっていた。自分の顔の惨状を確認すると、須美は更に自分の顔を強く擦る。そして、上空を仰いだ。

 

「ぐすっ……どうしてあなたはまだそこにいるの」

 

 あれからかなりの時間が経っているにも関わらず、ずっと須美の上に寄り添うように漂っている雲にいつのまにか須美は愛着が沸いていた。

 

「私はどこで間違えたと思う?」

 

 須美は雲へと問いかける。それでもやはり雲は無言で須美を見下ろすだけで問いに対する答えを出してくれることはなかった。

 

「誰でも良いから、何か一言だけでもーーーーー」

 

 助言をください。

 須美はまた自分の膝に顔を埋めたのだった。

 

〈神樹館〉

 

「わっしーまだ連絡つかない?」

「うん。さっきから何度も電話してるけど出ないや。電源が切られてるって」

 

 須美が砂浜で打ちひしがれているのと同時刻、銀と園子は須美へ繰り返し電話を続けていた。それでも一向に電話に出る雰囲気もない。大赦も唐突に消息を絶った須美に困惑が隠せず、捜査も難航しているとのこと。

 

「安芸先生のあんな表情初めて見たよ〜」

「あはは。目飛び出しそうだったもんね」

 

 安芸としても最初はただの欠席だと思ったのだろう。蓋を開けてみれば消息不明。親も行き先を把握していないときた。クラスメイト達も心配していると言うのに須美はどこで何をしているのか。と銀は思わず鼻を鳴らす。

 

「須美の最近の様子ってどうだったっけ」

「私たちとなんだか距離を取ってたような〜?14日を過ぎたくらいに突然豹変してたよね〜」

「アタシの感覚と一致するね。そして今日は大失踪と。人間性変わりすぎじゃない?」

「何かあったのかな〜」

 

 相談の一つでもしてくれればいいのに〜。と園子は相変わらずの調子だ。それでも銀は園子なりに須美のことを心配している事を知っている。銀はそんなことを思いながらポロッと言葉を漏らした。

 

「相談できるわけないよね。あんな事」

「え?みのさん知ってるの?わっしーの隠し事」

 

 銀は思わずしまったと口を押さえる。園子はその様子に怪訝な視線を向けた。銀も園子が見たことないくらいに視線を鋭くし、銀と園子の視線が交錯する。

 

「知ってるなら話してよ。みのさん」

「………終わるんだよ」

「………」

「イネスのジェラートのお店が!!」

「っ!?み、みのさん。それ本当!?」

「ああ!割りかし近いうちに、確か……」

 

 銀はその日付を思い出し、肩をがっくりと落とした。すると園子もショックを受けたのか口を何度もパクパクと動かし、空気を求めている。しかし、すぐに真顔に戻った。

 

「でもそれわっしーに関係なくない?」

「あ、バレた?」

「誰でもすぐわかるよ〜。みのさんは嘘をつくのが下手だね〜」

「うっ。まあ、確かに得意ではないよ」

「というわけで本当はなんなのかな〜?」

「………」

 

 誤魔化しに失敗した銀は自分の軽率な口を怨んだ。今だけは憎くて仕方がない。銀は無駄に嘘をつくのをやめ、園子にしっかりと向き合った。そして遠回しにそのことを伝える。それを聞いた園子は特に何も口にすることなく銀の目を見続けた。きっと銀の言った言葉の一つ一つが本当かどうかを見極めているのだろう。

 

「本気?」

 

 再度口を開いた園子は珍しく真剣な表情だった。間延びした話し方も今回ばかりは鳴りをひそめている。

 

「本気も何も事実を言ったまでだよ。アタシはーーーーー」

 

 今から2週間後遠足の日、その命を落とす。

 そう言ってへらり。と銀は笑った。園子はそんな銀に何一つと声をかけることが出来なかった。

 

〈須美side〉

 

 泣き疲れた須美は再び途方に暮れていた。須美の耳に届くのは穏やかな波の音、鳥の囀り、それらを運ぶ風。その全てが今の須美には何一つ心地の良いものではなくなっていた。人の心とは脆いものだ。ここに来てそれを再び実感する。

 時間は既に14時を回ろうとしていた。時間を知った時、須美は自分のことながらかなり呆れた。そしてかなりの時間、須美は泣き続け事実に向き合っていたからか思考は少なくとも冷静にはなっていた。

 もうそろそろ場所を移動しようとスカートについた砂を払い、立ち上がった時だ。須美は背後から声をかけられた。

 

「こんな場所で何してるの?」

「あ、いや」

 

 須美は思わず肩をビクッと震わせる。聞き慣れない声に須美は大赦の人ではないかと疑いながらゆっくりとその声の主の方を見た。そこに居たのは大赦の職員などではなく、自分も同じくらいの歳の少女だった。須美はほっとして胸を撫で下ろす。

 

「珍しい制服だ。ここら辺の子ではないよね」

「えっと、そう、です。それに特に何かしてるわけでは…」

 

 彼女の問いに須美はどう答えて良いか分からず、モゴモゴと口を動かしつつも一応は返答をした。少女はそんな須美の様子を見て「はえ?」と首を傾げた。須美はなんだか不思議とこの子には話しても良いかもしれないと思い、詰まりながらも今の心境を吐露していった。

 

「いえ。ちょっと困ってて……」

「困ってるの!?」

「そ、そんなに食い気味で来られるとは思ってなかったわ」

「あはは。ごめんね。私で良ければ話、聞くよ?」

 

 少女は人懐っこい笑みを浮かべ、須美の内側に容易く入り込んできた。しかしそれも嫌なものではなく、須美はあっさりと受け入れてしまった。まるで初対面のようにも思えない。そう感じた。

 須美は話すためにその場に腰を再び下ろし、それに続くようにして彼女が須美の隣に座ったのを確認してから須美は口を開く。

 

「……大切な友達がいなくなっちゃいそうなの」

 

 須美がそう切り出すと彼女はうん。と相槌を打つ。先程までの人懐っこい表情とは逆に真剣なものに変わっていた。

 

「喧嘩でもしたの?」

「喧嘩なんかじゃない。……二人とも亡くなりそう」

「亡くなり、そう?何か重たい病気なのかな?お、おー……。それは、なんと言うか」

 

 須美の口から出た予想外の言葉に狼狽える彼女の様子を見て、須美は思わず笑みが溢れた。彼女からすれば友達との別れというのは喧嘩によるものという印象が強いのだろう。それにあの二人は病気というわけではないが、その方が都合が良いので須美はこのまま続けることにした。

 

「ごめんなさい。戸惑わせて」

「ううん。大丈夫。続けて」

 

 彼女は謝る須美に対し、首を横に振ってまた人懐っこい笑みを浮かべる。それを見た須美は心の中で感謝しながら再びその重たい口を開いた。

 

「同じ目標に向かって努力する仲間だったわ。少し前までは全然仲良くもなかったのに気づけば無くてはならない大切な友達になってた。いつでもずっと一緒に居てくれる。そう思ってた。でも、そんなことなかった。二人ともそろそろ遠くに行ってしまいそうで。それが怖くて」

「その子たちは助かる方法はないの?」

「一人はどうにか。だけど、もう一人は多分…。可能性がないわけではない、のかしらね」

「…そうなんだ。なら、貴女は別れるのが寂しくて、怖くて逃げ出して来たんだ」

「そう、ね。逃げてきたの。私」

「そっか。大変だったね」

 

 大変だったのだろうか。そのあたりは須美もよくわかっていなかった。彼女の言葉を反芻していると、突然隣から啜り泣く声が聞こえた。

 

「ええええ!?どうして貴女が泣いてるの!?」

「ぐすっ!なんだか、想像したら泣けてきちゃって」

「そ、そう?」

 

 須美はなんと感受性の高い子だ。と半ば感動しながら彼女が泣き止むのを待つ。いつか自分が園子にしてもらったようにハンカチを差し出すと彼女はありがとう。と言って須美のハンカチで目元を拭った。力強く擦るものだから目が腫れてしまった。数分もすると彼女は泣き止んだ。

 

「ぐすっ。ごめんね。話の腰を折って。ずびっ。話を聴いた上で私から聞くね。ぐすっ。貴女はどうしたいの?」

「どうしたい?」

 

 思わず質問に質問で返してしまった須美に彼女は泣き腫らした目を細め、クスッと笑うと目の前に広がる地平線を見つめ、幼いながらに言葉を選びながら須美に再度問いかける。

 

「私あまり賢くないから上手く言えないし、それに貴女の気持ちをわかった気になるのも嫌。貴女に失礼だから。でも、聴いた以上はアドバイスはしてあげたい。だからもう一回聞くね。貴女はどうしたい?」

「私は」

 

 逃げてきた。一周前の出来事が辛くて、何も考えたくなくて。このまま銀を諦めるという選択肢もある。須美だってもう薄々気がついているのだ。あれは逃れようのない事象であり、結末の変動として、銀の死とプラスワンで園子もしくは自分が加わるだけだ、と。

 銀を救える可能性はゼロに近い。でも、まだ可能性はある。それならば。

 

「私は諦めたくない」

「そう言うと思ったよ」

「え?」

「んー、私これも上手く言えないんだけど、貴女はきっと誰かに自分の隠れてしまった決意を後押しして欲しかったんじゃないかなと思って。その後押ししたのが偶然私なだけだよ」

 

 なぜそう思うのか。それを聞いてしまうのはなんだか野暮な気がして、須美は口をつぐんだ。それにどこか納得してしまったから。諦めたくない。その言葉を口に出すと、消えてしまった須美の心の炎は簡単に再び灯された。

 胸の奥が熱くなる感覚を抱きしめ、自分の本心に気づかしてくれた彼女にお礼を言おうと口を開きかけると彼女は何故か右手に100円玉を持っていた。思わず須美は首を傾げる。そしてその右手は須美の方へ伸ばされているのだから尚不思議である。

 

「ごめんなさい。その手は何?」

「何って募金」

「ぼ、募金?」

「その子の手術の足しにならないかなって。いやー、恥ずかしながらこれだけしかないんだけどね」

 

 そう言って彼女は照れたのか自分の髪を左手でかき混ぜた。須美は自分が嘘をついていたと言う事実を今更思い出し、どうしたものかと軽く焦りを覚えた。ここで嘘だと言うのは彼女の誠意に背を向けるように感じ、須美は泣く泣く設定を貫き通した。でも、一応断っておこうと言うのを思いつく思考回路は残っていた。

 

「大丈夫です!話を聞いてもらったばかりかそんなことは頼めません」

「でも、困ってるんでしょ?」

「それはそうですけど……」

 

 須美はどうしたものかと考えたところで、今更自分は彼女の名前を聞いていないことに気がついた。自分を僅かではあるが立ち直らせてくれた彼女の名前はどうしても聞いておきたかった。

 

「見ず知らずの私に声をかけて、話を聞いてくれただけで十分すぎます。その代わり、名前を聞いてもいいですか?」

「え?私の?」

「あ、貴女以外に誰がいるんですか」

 

 思わず須美は苦笑してしまう。自分を指差して首を傾げる彼女はどことなく園子と似ているような気がした。彼女は軽く咳払いをし、先ほどの人懐っこい笑みとは違う、ニカッとしたとても勝気な笑みを浮かべた。それはどこか銀に似ているような気がした。

 

「そう言うことならば名乗らせていただきます!私は結城友奈!」

「ゆうき、ゆうな」

 

 須美はその名前を繰り返す。

 

「そう!生まれも育ちもここ讃州市だよ!せっかくだから貴女の名前も聞いてもいい?」

「わ、私の?」

「この出会いも何かの縁だよ!さ、ほらほら!」

 

 須美は押しに負ける形で自分の名を名乗る。なんだか自分は結構押しに弱いのだと感じた。一度空を見上げてみる。そこにはもうすでに雲は無い。

 須美は呼吸を整えた後、自分の名を名乗った。

 

「私の名前はーーーーー」

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『渦』  120ページ

 

 何周目だったか。僕は不思議な出会いをしたのを覚えている。僕はその子に僕の秘密を話した。その子は黙って僕の話を聞いてくれる。きっとその子は僕を励ました気など一つもないのだろう。それでも僕は救われたのは紛れもない事実だ。名前も互いに伝えた。だから僕はこの周で一度、会いに行こうと思った。相手が僕のことを知らなくてもだ。ただ、僕は首を傾げざるを得なくなってしまったのだ。大事な何かが欠落していた。

 

「あの子の名前、なんだっけ」

 

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