長いトンネルを抜けた電車は、天竜川を渡ってしばらく行くと、短いトンネルを抜け、千代駅に着いた。
「何だ、この駅。周りに何もないじゃないか」
窓から見える景色は、畑のみ。人家は全くない。
「本当だね。でも、もしかしたら、崖の上に集落があるのかもしれないね」
反対側を見れば、駅前に小さな駐輪場があり、崖の上へと延びる細い道がある。よく、こんなところに線路を通したものだと話していると、電車は次の駅へと向けて走り出した。
天竜川に沿って走ること数分、金野駅に着いた。この駅も同じような造りで、周囲は一面畑だった。金野駅を出た電車は、長いトンネルに入り、やっと抜けたと思ったら、再びトンネルに入る。
いくつかのトンネルを抜けると、右手に天竜川がはっきりと見えるようになり、唐笠駅に着いた。その後、いくつかの駅に停まり、しばらく行くと、やっと大きな集落へと出た。
「間もなく、、温田です。降り口は……」
ここまで、乗客は俺たちを含めて五人ほどだったが、老人数人が新たに乗り込んできて、車内が少しだけ賑やかになった。だが、彼らの話す言葉は訛りがきつく、ほとんど何を話しているのか分からなかった。
温田駅を出ると、いくつかのトンネルを抜け、変電所らしき建物の前を通り過ぎた。
その後も左右にクネクネと進んだり、トンネルに入ったりと忙しい。電車がスピードを落とし始めたかと思うと、為栗駅に到着。 天竜川がすぐそばに見える他は何もない。
為栗駅を出た後も無人の小さな駅ややたらと長いトンネルなどの繰り返しで、いい加減うんざりしてきた。
「久松、城西駅が近づいてきたら起こしてくれ」
彼と話すことも無くなってしまったので、オレは眠ることにした。
「ああ、分かった。僕は景色でも眺めているよ」
彼はそう言うと、窓の外へ目をやった。オレもしばらく景色を眺めつつ、いつの間にか眠りに落ちていった。久松に何度か体を揺さぶられて目が覚めると、トンネルの中だった。
「北山、もうじき城西駅に着くよ」
オレは目をこすりながら、持ち物の確認をした。
トンネルを抜けると、電車はカーブに差し掛かった。
窓の外に多くの家々が見えてきたかと思うと、小さな川を渡り、スピードを落とし始めた。
「間もなく、水窪、水窪です」
水窪駅には、写真を撮り終えた後に戻って来るが、その頃には日没を迎えていることだろう。この駅でオレ達以外の乗客が降りてしまったので、車内は一気に静まり返ってしまった。水窪駅を出て間もなく、向市場駅に停車。この駅を出れば、電車は渡らずの鉄橋を渡って、城西駅に着く。
「次は、城西、城西です」
電車がトンネルに入ると、久松も降りる準備を始めた。
トンネルを抜けると、右手に川を見ながら、うっそうと茂る木々の間を進んでいく。
「もうすぐ、渡らずの鉄橋を渡るよ」
久松はオレにそう言いながら、カバンからカメラを取り出した。電車は木々の間を抜けると、渡らずの鉄橋をゆっくりと渡り始めた。彼は、窓から見える川や対岸の集落にカメラを向け、一枚写真を撮る。ここで、電車は対岸へ渡るもすぐに緩やかなカーブで元の岸へと戻っていく。再び対岸へ渡れば、もう城西駅だ。
「もうカメラを片付けたほうがいいぞ。写真は降りた後でいくらでも撮れるじゃないか」
オレがポンポンと肩を叩くと、彼は軽く頷き、すばやい手つきでカメラを片付けた。
「間もなく、城西、城西です。降り口は……」
電車は、減速しながらガタガタとポイントを跨ぎ、やがてぴたりと停まった。プシューと圧縮空気の音がして、ドアが開くと車内に冷たい風がふわりと吹き込んできた。
「ああ、寒い……」
オレと久松は、寒さに体を震わせながら車掌に切符を渡し、電車を降りた。
「ええと、次の電車は……」
オレは、駅舎内に掲げられている時刻表と運賃表を見ながら、水窪駅へ戻る分の切符を券売機で二枚購入。 久松は、かばんからカメラやフィルム、望遠レンズなどを取り出し、何やらガサゴソやっている。
「ええと、フィルムは大丈夫。あっ、レンズはこれにしようかな……」
ブツブツと呟きながら作業をしている彼を横目にオレは、木造の小さな駅舎を出た。駅前は、二車線にも満たない狭い道路が通っており、家が何件か建っている他は何も無い。 何か温かい飲み物を買おうと自販機を探すが、全く見当たらない。
「チッ、何で自販機が無いんだよ…」
自販機が無いことにイライラしつつ、公衆電話ボックスに入った。五十度数のテレフォンカードを入れ、自宅の番号をプッシュしてしばらく待つが、なかなか相手が出ない。
「ただいま、留守にしております。発信音の後に用件をお話下さい」
残念、やっと呼び出し音が鳴り止んだと思ったら留守だ。
仕方が無いから、城西駅に着いたことや今夜は水窪駅周辺で泊まることなどを話し、録音した。
電話ボックスを出ると、駅舎から出てきた久松が声を掛けてきた。
「待たせてごめんね……」
駅舎から出てきた彼は、申し訳なさそうに俯いた。
「別に構わないさ」
オレは先程購入した切符を一枚渡した。
「ああ、帰りの分の切符だね。ありがとう」
彼は礼を述べてそれを受け取り、ゆっくりと歩きだした。そして、例の撮影ポイントについて長々と話し始めた。
彼の話をまとめると、水窪駅に向かって二十分ぐらい歩いたところにバス停があり、そこの橋の上から渡らずの鉄橋が見下ろせるそうだ。そこは、鉄道ファンには良く知られた撮影ポイントらしい。
渡らずの鉄橋は、佐久間ダム建設に伴う線路の付け替え工事で造られた橋で、水窪川東岸を通る断層を避けるように架けられている。本来の計画では、その水窪川東岸にトンネルを掘って城西駅につなげる予定だったが、掘削中のトンネルが大雨で崩壊。
そこで考えられたのが、川の上を通す、つまり、川の上にS字を描く形の橋を架けるというものだった。一度対岸へ渡り、そのあと放棄されたトンネルがある東岸に戻り、再び対岸へ渡る構造となった。その特異な構造から、渡らずの鉄橋と呼ばれるようになったらしい。
「へえ、よく知っているなあ」
流石は久松だ。彼の知識の豊富さには、いつも驚かされる。
「えっ、そんなにすごいことかな……」
彼は少し照れくさそうに頭を掻いた。
やがて、目印のバス停が見えてくると、彼は急に走り出した。
「確か、もうじき貨物列車が鉄橋を通過する時間だったと思うから、ちょっと急ぐよ」
オレはそのあとを追いつつ、腕時計を見た。
なんとか、貨物列車がやって来る前に撮影ポイントへたどり着くことができた。
やがて、警笛の音が谷間に木霊したかと思うと、青地に白の電気機関車が眼下に姿を現した。オレと久松は、今まさに鉄橋を渡り始めた貨物列車にそれぞれのカメラを向けた。
電気機関車は数両の貨車を牽引し、キィキィと車輪を軋ませながら鉄橋をゆっくりと渡っていく。久松は連続撮影で撮影、オレはタイミングを見計らって、何回かシャッターボタンを押した。貨物列車が走り去った後も鉄橋を渡る旧型国電や新型車両を撮影し、城西駅へ戻った。
「はあ、疲れた」
城西駅に着いた頃には、すっかり日も暮れていた。オレは、大きなため息をついてベンチに座った。久松は疲れた様子を全く見せず、某テクノポップアーティストの楽曲のメロディーを口ずさみながら、荷物の整理とカメラの片付けをする。なぜ、そんなに上機嫌で居られるのかと尋ねれば、
「いい写真を撮るためなら、どんなに手間が掛かっても苦じゃない。むしろ、楽しいよ」
と写真に対する想いを熱く語りだした。こうなると、彼は自分のペースで長々と話してしまうので、こちらが適度なところで止めてやらねばならない。しかし、彼の話は聞いていてとても面白いので、こちらもついつい時間を忘れて聞き入ってしまう。
「あっ、いけない! 早く片付けないと、次の電車が来る!」
やっとのことで我に返った久松は、駅の時計を見て、大慌てでカメラの片づけを再開した。オレも彼の片づけを手伝い、なんとか電車が来る直前に終えることができた。
「おお、危ない、危ない。もうちょっとで乗り損ねるところだったな」
「そうだね、君が手伝ってくれなかったら、今頃大変なことになっていたよ」
車内に駆け込んだオレと久松は、互いに息を切らせながら笑ったのだった。 そして、おんぼろな電車は、グワーンとモーターを唸らせながら、オレ達を乗せてゆっくりと走り出した。
この話で出てくる「某テクノポップアーティスト」とは、イエロー・マジック・オーケストラのことです。“ライディーン”や“テクノポリス”、“ソリッド・ステート・サヴァイバー”が個人的に好きです。この話の舞台になっている1983年といえば、イエロー・マジック・オーケストラが解散した年ですね。
我ながら、音楽の好みが渋すぎるwww