荷物を見知らぬおじさんに預けて、荻野屋に向かうと、中年ぐらいの女性店員が開店準備をしているところだった。
「あのう、すみません。何時開店ですか?」
店員に声を掛けると、少し待っていて欲しいと言って、慌しく店の中に入って行った。
しばらくすると店員が戻ってきて、
「お待たせしました」
と僕に声を掛け、入り口近くの地面に置いた、支度中と書かれた木の札を店内に片付けた。
店内に入って注文し、釜飯ができるまで待っていると、いかにも旅をしているといった感じのする若い男が店内に入ってきた。どこかで見たことのある顔だなと思ったら、なんと、父さんだった。若い頃の父さんの写真は、何度か見たことがあるので、思わず声を掛けそうになった。
声を掛けたいのを我慢して、さりげなく様子を窺っていると、父さんは釜飯を注文し、近くの席に座った。
「おい、あんたも一人旅か?」
まさか声を掛けられると思ってもいなかった僕は、
「えっ、ああ、そうだよ……」
と返事をしたのはいいものの、目線を合わせることができなかった。父さんはそんな僕を見て、何か悩んでいると思ったのか、
「ああ、すまない、邪魔したな」
と、店の外へ出て行った。
「びっくりした……。なんで、こんなところに居るんだよ……。」
父さんと話をすると、余計なことを言って、色々と面倒なことになりそうだと思ったので、出て行ってくれたのは良かったが、父さんに対して、素っ気無い態度を取ってしまったのは、何だか申し訳ない。
父さんのことを考えていると、僕のことを心配しているであろう家族や北山君の姿も思い浮かんでくる。
「今頃、皆、僕のこと必死で探し回っているだろうな……」
無事に一九八三年に戻ることができるのだろうかと、次第に心配になってきた。
「…さん、お客さん、ちょっと、聞こえてる?」
気がつけば、中年ぐらいの男性店員が、何度か僕の肩を叩き、心配そうに顔を覗き込んできている。
ふと、カウンターの方を見ると、益子焼の小さな釜が置かれている。どうやら、釜飯ができたようだ。
「お客さん、とても深刻そうな顔をしていたけど、一体どうしたんだい?」
店員は、僕が色々と考えごとをして、大きなため息をついたりしていたのを見て、何事かと思ったようだ。
「すみません、ちょっと考え事を……」
支払いを済ませ、釜飯を受け取って店を出ようとすると、店員は僕を呼び止める。
「何か悩んでいるようだけど、本当に大丈夫かい? 一人で抱え込むのは良くないよ。一体何があったんだい?」
店員があまりにも心配そうにするので、鬱陶しく思いつつも僕は、何でもないようなふりをして、
「本当に、大丈夫ですから」
と言って安心させてから、店を出たのだった。
店の前には、煙草を吸っている父さんが居た。
父さんは僕の方をちらりと見たが、何も言わず、煙草の火を消してから店内へ戻って行った。
横川駅に戻ると、僕の荷物を見ていてくれたおじさんは、駅舎の軒先で煙草を吸っていた。お礼を言うと、
「ああ」
と短く返事をして、再び煙草を吸い始めた。
待合室に入ると、薄橙地に赤の帯が入った急行型ディーゼルカーがホームに停車し、こげ茶色の電気機関車との連結を待っているところだった。
「ふう、よいしょっと……」
ベンチに腰掛け、益子焼の小さな釜から素焼きの蓋を取ると、醤油出汁で炊いたご飯と色とりどりの食材から、おいしそうな香りがした。
ディーゼルカーと電気機関車が連結される様子を眺めながら、釜飯を食べていると、釜飯を小脇に抱えた父さんがやって来て、駅員に声を掛けた。
「すみません、長野方面の急行に乗りたいんですけど」
駅員は運賃を告げて、父さんからお金を受け取ると、切符を発行し、切符の隅に専用のハサミで切り込みを入れた。
「はい、どうも」
父さんは駅員から切符を受け取ると、改札を抜けて、連結作業を終えた急行列車に乗り込んだ。
「間もなく、長野行き急行志賀が発車いたします。閉まるドアにご注意ください」
駅員の放送のあと、発車ベルが鳴った。車掌は周囲の安全を確認してから笛を吹き、ドアを閉めた。
そして急行列車は、数両の電気機関車に引かれてゆっくりと走りだした。
僕は釜飯を食べるのを中断し、走り去っていく急行列車をただ茫然と眺めたのだった。
「さてと、今夜の宿、どうしようかな?」
急行列車が行ってしまって十分ぐらい経った頃、僕は本来の目的を思い出し、駅の外に出た。
駅の外に出た瞬間、急に天気が悪くなってきて、雨が降り出した。
「あっ、雨だ!」
慌てて駅舎の中に駆け込もうとしたところで転んでしまった。
「あいたたた……」
手や足を見ると、少し血が滲んでいたが、大したことは無く、痛みに耐えながらカメラを拾い上げ、なんとか立ち上がった。
しかし、急に立ち眩みがして、その場にしゃがみ込んだ瞬間、周囲が真っ暗になり、僕は気を失ったのだった。
気を失った久松君は、いったいどうなってしまうのだろうか?
次回をお楽しみに。