『えっ、何だって!? また居なくなっただと!? すまん、明日も朝イチで乗務があって、そっちには行けないんだ。本当にすまん……。何か進展があったら、連絡をくれ』
とある建物の一室で、一人の男は電話をやや乱暴に切り、倒れ込むように椅子に腰掛けた。
「ハァー……。まったく、あいつはどうしていつも居なくなるんだ?」
彼が頭を抱えていると、別の男が部屋に入ってきて声を掛けた。
「ああ、何だい?」
彼は苛立った声で、その男に声を掛けた。
「何か、深刻そうに話していたけど、いったいどうしたんだ久松?」
片山は、彼に缶コーヒーを手渡す。
「ああ、すまない。また、健二が行方不明になったんだ……。」
久松と呼ばれた男はそう言うと、大きなため息をつき、コーヒーを一口飲んだ。
久松兄弟の父親である治(おさむ)は、横川運転所に配属されている運転士で、主に電気機関車の乗務を担当している。
治の同僚片山一郎も彼と同じく、ここに配属されている運転士だ。
治は今し方、最終列車の乗務と報告を終えたところだった。
片山も、軽井沢駅から横川運転所へ電気機関車を回送する乗務と報告を終え、休憩室で一息ついていた。
治が運転所に戻ってくるのを待って、一緒に運転所の近くにある宿舎へ帰るつもりだった。
しかし、治が運転所に戻ってきて、一緒に宿舎へ帰ろうとしたところで、急に便意を催した。
片山は、治に一言告げてから、トイレに駆け込んだ。
治は仕方なく、片山がトイレから出てくるのを玄関で待っていると、誰も居ない休憩室の電話が突然鳴ったのだった。
「ああ、健二君って、小さい頃からよく迷子になるって子だよな? 去年の夏も友達と旅行中に行方不明になって、次の日になぜか、北海道の富良野で見つかったんだっけ? まったく、困った奴だなあ」
片山はあきれたように笑った。
「まったくだ。今回はいったい何処へ飛ばされたんだろうか……」
治は、片山から視線をそらして、残ったコーヒーをゆっくりと飲み干した。
翌朝、二人は貨物列車の乗務のため、電気機関車を留置している留置線へと向かった。片山は、貨物列車の先頭に連結する電気機関車に、治は、貨物列車の最後尾に連結される電気機関車をそれぞれ運転する。
碓氷峠越えをする貨物列車は、横川から軽井沢へ向かう場合は、勾配の上側に電気機関車を一両連結し、勾配の下側になる最後尾に、電気機関車を二両連結する。
逆に、軽井沢から下ってくる場合は、勾配の下側に電気機関車を三両連結し、機関車に備わっている特殊なブレーキを使用しながら、ゆっくりと坂を下るのだ。
横川駅構内でそれぞれの機関車の入れ替えを行い、貨車との連結が済むと、二人は列車無線で出発前の点検を始めた。
『こちら、ロクニーの運転士です。ロクサンの運転士さん、ブレーキの制動試験を開始してください』
『はい、こちらロクサンの運転士です。制動試験了解』
片山からの連絡を受けた治は、二つあるブレーキレバーを動かして、ブレーキが正常に動作するかチェックする。
ブレーキは問題なく作動し、コンプレッサー(空気圧縮機)の作動も問題なかった。
『制動試験、完了しました』
彼は、片山にブレーキテストが完了したことを伝える。
『制動試験完了、了解。横川四番出発進行!』
片山が出発歓呼をすると、治は復唱する。『横川四番出発進行!』
治は、復唱した後に汽笛を鳴らし、片山にマスコンのノッチをシリース段(マスコンにSと刻まれている部分)までゆっくりと進段するよう指示する。
『ロクニーの運転士さん、シリースまで進段お願いします』
二人が運転する三両の電気機関車に連結された三両の貨車は、ガタガタ、ギーギーと耳障りな音を立てながらゆっくりと動き出した。
二人は状況を見ながら、マスコンのノッチを一段ずつゆっくりと進段していく。
やがて、ある程度速度が出てきて、シリース段まで進段し終えると、片山は治に連絡する。
『シリースまで進段完了!』
ここからは、車輪を空転させないようにマスコンを調節して、軽井沢まで延々と続く急坂を上って行かねばならない。
しばらく坂を上り、いくつかトンネルを抜けると、熊ノ平信号場に差し掛かった。
片山は汽笛を鳴らし、周囲を注意深く眺める。この信号場は変電設備があり、上下の列車が行き違う場所でもあって危険なので、原則関係者以外立ち入りである。しかし、鉄道ファンの間では有名な撮影スポットで、ここを訪れる者が後を絶たない。
マナーが良い者は、列車の往来を妨げないように気をつけてくれるのだが、ごく稀にマナーの悪い者が居て、列車が接近しているにも拘らず、無理に撮影を続けようとするのだ。
二人以外の運転士も乗務中に、熊ノ平信号場でヒヤリとしたことが何度もあるらしい。
「今日は誰も居ないな」
片山はそう呟き、胸を撫で下ろした。
しかし、貨物列車が信号場の中程に差し掛かった瞬間、停電が発生した。
「えっ、停電?」
運転席の電圧計や電流計の針がゼロを示し、機関車が次のトンネルを抜けたところで止まってしまった。
「おいおい、」
片山は動揺を抑えつつ、マスコンをオフにして、速やかにブレーキを掛け、機関車が後退しないようにしてから降りた。
車輪に手歯止めを噛ませた後、久松が乗務している後ろの機関車に向かって声を掛けた。
「久松、そっちは大丈夫か?」
しばらくすると、治も機関車から降りてきた。
「ああ、大丈夫だ」
二人は周囲に異常がないか点検をしたが、電気機関車や貨車に異常は見られなかった。 そして、二人はそれぞれが乗務する機関車に戻った。
片山は、気を落ち着けるために深呼吸をした後、列車無線で横川運転所と連絡を取った。
『こちら、横川運転所。先程、熊ノ平変電所にて停電が発生致しました。付近で停車中の列車は応答願います』
『はい、こちらロクニーの運転士片山です。ただいま、熊ノ平信号場内で停車しております、どうぞ』
『はい、了解しました。復旧まで待機し、復旧後は軽井沢駅まで走行してください』
『了解』
横川運転所との無線交信の後、機関車の乗務員室で復旧まで待っていると、治が慌てた様子で、彼のところまで走って来た。
「健二が、健二が……」
彼の言葉に片山は、
「おい、嘘だろ?」
と驚きつつも、彼についていくことにした。
変電所の前まで行ってみると、何と健二が気を失って倒れていた。
「おい、しっかりしろ! 俺だ!」
治が必死に何度も体を揺さぶっていると、健二はようやく目を覚ました。
「えっ、なんで父さんがここに居るの?」
健二は状況を把握することができないのか、地面に横たわったままで、ぼんやりと二人の顔を交互に見つめている。
「ああ、良かった……。お前、どれだけ人に迷惑を掛けたと思っているんだ、この馬鹿!」
治は息子の無事に喜びつつ、彼を乱暴に起こし、彼の頭に拳骨を一発落とした。
「ご、ごめん、父さん……。それで、あなたは?」
彼は治に謝った後、ただ唖然としている片山の方を見た。
片山は数秒の後、健二が見ていることに気がつき、
「ああ、俺かい? お前の父さんと同じ運転士の片山一郎だ……」
と、自己紹介した。
「ああ、すみません。僕は、久松健二です」
健二も片山に自己紹介し、照れくさそうしながら、殴られたところをさすった。
「とりあえず軽井沢駅まで行くぞ」
治はそう言うと、周囲に散乱している健二の荷物を拾い集め始めた。
「ごめん、父さん。僕の荷物だから、自分で纏めるよ。ああ、乱暴に扱わないで、カメラが壊れちゃう」
治が散乱しているものを集め始めたので、健二も慌てて手伝ったのだった。
軽井沢駅で降ろされた健二は、父親にこっぴどく叱られた。
「あのなあ、あの信号場は無断で立ち入ったらだめなんだぞ! 列車に轢かれたらどうするんだ!」
父親の剣幕に彼は怯えながら、
「ご、ごめんなさい。一応、列車に轢かれないように注意して撮影していたんだけど、変電所の傍まで移動したところで、急に立ち眩みがして、気を失ったんだよ。それで、気がついたら、父さんと片山さんが居たんだ……」
と、その場任せの嘘を言った。
父親はグチグチと小言を言った後、
「まったく、困ったやつだ。まあ、いい。さっさと家に電話しろ」
と言って、健二を駅舎から追い出した。
追い出された彼は、大きなため息をつき、
「さてと、家に電話しなきゃ……。母さん、怒ってるだろうな……」
と、呟いた。
電話ボックスの前でしばらくウロウロした後、やっとのことで電話ボックスに入った。
十円玉を一枚入れて、おそるおそるダイヤルを回し、相手が出るのを待った。
しばらくして、電話に出たのは母親だった。
『はい、久松です』
彼は意を決して声を出した。
『ああ、もしもし……。僕だけど……』
その瞬間、母親の怒鳴り声が受話器から聞こえてきた。
『あんた、どれだけの人に迷惑かけたと思ってるのよ!』
母親は怒りが収まらないようで、彼が弁解する余地も与えず、しばらくヒステリックに喚き続けた。
『か、母さん、ごめん……。本当にごめん……。そっ、それでさあ、とっ、とりあえず、落ち着いてくれないかな?』
彼は母親を宥めながら、これまでの状況を正直に話した。
やっとのことで落ち着いた母親は、
『まったく、どれだけ心配したと思ってるのよ……。まあ、無事だったからよかったわ。とにかく、道草食っていないで、早く帰ってきなさい』
と言った。
『うん、分かった……』
彼は一言だけ返事をして電話を切ったのだった。
横川運転所と運転士のやり取りは適当です。
誤りがあれば、ご指摘願います。