霧の峠   作:chukuasama

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一週間の休暇を取って旅に出た北山は、信越本線の特急あさまで長野へ向かう。


第一章 いざ、信濃路へ

 山手線に乗り換えても、乗車率は減少するどころか、さらに増加した。

 もみくちゃにされながらも、上野駅に無事到着し、高崎線のホームへ移動した。

 やがて、列車の接近放送がホームに流れた。ホームに入ってきたのは、湘南色の古びた電車だった。

 ドアが開き、ぞろぞろと乗客が降りてくると、車内はがら空きの状態となった。

 平日の通勤時間帯に高崎方面へ向かう者は、少ないのだから当然だ。

 オレは人々の波が収まった頃を見計らって、すばやく電車に乗り込んだ

 間もなく、発車メロディーが流れ、ドアが圧縮空気の音を立てて、ピシャリと閉まり、電車はゆっくりと走り出した。

 「本日は、JR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。この電車は、高崎線各駅停車、高崎行きです。次は、鶯谷、鶯谷です」

 車内放送が流れ、電車は小春日和の柔らかな日差しの中を快走して行く。

 やがて、猛烈な眠気が襲ってきて、オレは、暫し眠りに落ちた。

 目を覚ますと、電車は高崎に到着していた。

 信越本線に乗り換えるべく、電車を降り高崎駅のコンコース内を駆け抜けた。

 何とか、特急あさまの発車時刻に間に合った。

 車内に駆け込んだオレを車掌は横目で見ながら、出発の笛を吹き、ドアを閉めた。

上野駅からこれに乗る手もあったのだが、車窓をじっくりと眺めたかったので、あえて高崎までは、各駅停車に乗ったのだ。

 だが、オレとしたことが、うっかり眠ってしまった。

 仕方がないと言えば、仕方がないのだが、こうなるのであれば、最初からこれに乗っておけばよかった。

 そうすれば、運賃も嵩まなくて済んだのに…。

 「本日は、JR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。この電車は、信越線特急列車、あさま3号、長野行きです。横川では、補助機関車連結のため、5分程停車致します」

 オレは、車掌の柔らかな声を聞きながら、窓の外を眺め、物思いに耽った。

「ああ、この列車に乗れるのも、あとどのくらいだろう・・・」

 近年、信越本線横川~軽井沢間が廃止されるのではないかという噂をよく耳にする。 

 横川駅を経由せず、大きく遠回りし、長いトンネルで碓氷峠を越える、北陸新幹線に取って変わられるそうだ。

 噂が本当なら、非常にもったいない話だと思う。

「間もなく、横川、横川です。降り口は、右側です。四分程停まります。これから、補助機関車を列車の後ろ寄りに二両連結し、千分の六十という急勾配に挑みます。この横川駅と軽井沢駅の標高差は、五五〇メートルあり、古くから碓氷峠は、交通の難所と言われてきました」

 やがて特急あさまは、ガタガタとポイントを跨ぎながら、横川駅の四番ホームに入っていった。

 すると、売り子達の大きな声が聞こえてきた。

 「釜飯、釜飯~! の釜飯はいかがですか~?」

 ドアが開くと、乗客達は一斉に下車した。

 もちろん皆、おぎのやの「峠の釜めし」を買い求めようとする者達である。 

 オレも慌てて、ホームに降り立ち、売り子から巾着袋に入った釜飯を購入した。

 「はい、九百円です」

 売り子は、さわやかな笑顔で代金を受け取り、オレに巾着袋を手渡した。

 電車とEF63の連結が終わり、発車ベルが鳴った。

 皆大急ぎで車内に戻ると、車掌が笛を吹き、ドアを閉めた。

 EF63がピッと汽笛を短く鳴らし、特急あさまは後ろから押されながら、ゆっくりと走り出した。

 「ありがとうございました、ありがとうございました」

 売り子達が、丁寧に何度もお辞儀するのが見えた。

 「ご乗車ありがとうございます。次は、軽井沢、軽井沢です」

 車掌が車内放送を始める頃には、彼らの姿が見えなくなった。

 横川運転所を横目に見ながら、列車は坂を登ってゆく。

 線路脇には、カメラを構える人々がずらりと並んでいるのが見える。

 旧丸山変電所跡の前を通過すると、国道と少しだけ並走する場所に差し掛かった。

 ここもカメラを構えた人々で溢れていた。

 やがて、一つ目のトンネルに入ってゆき、それらも見えなくなった。

 三つ目のトンネルを抜け、熊ノ平信号所を通過。

 ここまでくると、ギャラリーの姿もまばらになり、人里離れた山岳路線の様相を呈し始めた。

 時折、国道18号線と並走したり、険しい峡谷をコンクリート製の橋梁で渡ったりと、変化に富む風景である。

 勾配が変化する所では、モーターの回転する音が大きくなり、スピードが少し落ち始めた。

 だが、EF63が粘ってくれるおかげで、すぐにスピードも回復。なかなかのパワーである。

 昔は、ED42というアプト式の小さな電気機関車が、四重連で客車やディーゼルカーを牽引していたというから驚きだ。

 それでも、時速15キロ程しか出ず、約11キロの距離を45分もかけて走行していたのだ。

 それに比べれば、ずいぶんと早くなったほうだと言うから、いかにこの区間が急であるか思い知らされる。

 そんなことを考えているうちに、最後のトンネルに差し掛かった。

「ご乗車ありがとうございました。間もなく、軽井沢、軽井沢です。降り口は、右側です。軽井沢では、機関車切り離し作業のため、3分程停車致します。発車までしばらくお待ちください」

 トンネルを出ると、列車は徐々にスピードを落とし始めた。

 そして、駅場内へ低速で進入した後、ピタリと所定の位置に停車した。

 ドアが開くと、清楚な感じの若い女性が他の客と共に乗り込んできて、車内をキョロキョロと見回した。

 空席が無く、困っている様子だったので、

 「あのう、オレの隣で良かったらどうぞ…」と、彼女にそっと声を掛けた。

 彼女は、申し訳なさそうにしながらも、オレの隣に座った。

 やがて、発車時刻になり、列車はゆっくりと走り出した。

 背後に異様な視線を感じて、そっと振り返ると、後ろの座席に座った、初老の男が羨むような目でオレを見つめてきた。

 「何だよ、じいさん? オレに何か文句でもあるのか?」

 あまりにも彼の視線が気になるので、睨みつけてやった。

 「いや、何でもない…」

 男は、何事も無かったように、視線を窓の外へやった。

 オレの隣に座った女性に見とれているのは、バレバレである。

 「フン、取り繕ってもバレバレなんだよ」

 オレが更に詰め寄ると、気まずくなったのか、彼は席を立ち、別の車両へ移動した。

 なんとか男を追い払うと、車内販売員を呼びとめ、飲み物を二つ注文した。

 「はい、どうぞ・・・」

 一つを隣席の彼女に手渡すと、彼女は

 「あ、ありがとう・・・」

 と少しためらいがちに礼を言った。

 発車後しばらくして、

 「次は、、です。降り口は、左側です」と車内放送が流れた。 

 窓の外を眺めていると、彼女が、遠慮がちに話しかけてきた。

 「あのう、先程から色々とすみません…」

 なんだ、そういうことか。

 「いや、別に気にしなくてもいいですよ。それより、あなたも長野まで?」

 オレの問いに、彼女は、

「ええ、知人の元を訪ねようと思いまして」と答えた。

 その後、思うように話は弾まず、何となく気まずい雰囲気になった。

 初対面の彼女に、気軽に話しかけることができないでいると、突然、彼女がさりげなく、オレの膝に手をそっと置いた。おいおい、まさかとは思うが、このオレに好感を抱き始めたということでは無いだろうな。

 まったく、あきれたことだと思いながらも、その柔らかな手に自分の手をそっと重ねた。

 「あっ…」

 彼女は照れくさいのか、ぱっと顔を赤らめ、顔を通路側に背けた。

 「済みません、つい手が…」

 オレも、申し訳ない気持ちになって、軽く握っていた手をそっと離した。

 「いいですよ、別に…」

 彼女は、恥ずかしそうに小さな声で言った。

 何だか、いい雰囲気になってきた。

 このままでは、ろくに話をせずに終わってしまいそうだったので、互いに自己紹介をすることにした。

「申し遅れました。私は、岸部洋子です。よろしく。」

 「お、オレは、北山 隆です・・・」

 握手を交わし、しばらく互いを見つめ合った。

 オレは、今までこんな経験がなかったので、内心ドキドキしていた。

 しかし、いつまでもモジモジしているのは、せっかく好感を寄せてくれている彼女に失礼だと思い、思い切って自分から、話を切り出した。

 「もし良かったら、今夜、ご一緒しませんか?」

 彼女の返事は、YESだった。その後話は弾み、気がつけば、終点の長野に近づいていた。

 その後、互いに話すことが無くなり、オレはいつの間にか眠りに落ちてしまった。

 目が覚めて窓の外を眺めると、列車は篠ノ井駅を通過したところだった。

 そういえば、せっかく買った釜飯を食べていない。

 長野に到着する前にさっさと食べてしまうことにした。

 「本日もJR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございました。まもなく終点の長野、長野に到着いたします。降り口は左側です。」

 鉄道唱歌の車内チャイムが鳴り、長野到着を知らせる放送が流れ始めると、他の乗客達は降りる準備を始めた。

 「さてと、私達も降りる準備をしましょうか」

 彼女はそう言いながら、大きな伸びをした。

 「ああ、そうだな」

 オレも大きな欠伸をひとつして、ゆっくりと立ち上がった。

 列車は、ガタガタとポイントを跨ぎ、ゆっくりと長野駅のホームに入った。

 ドアが圧縮空気の音をたててゆっくりと開き、オレと洋子は人々の流れに押されるように改札口へと向かった。

 駅員に特急券と乗車券を手渡して改札を抜け、そのまま長野電鉄長野駅へと向かった。

 時刻表を見ると、湯田中行きの電車が来るまでには、少し時間があるようだ。

 「ああ、なんか退屈だな…」

 券売機で切符を購入し、空いているベンチを探す。

 「そうですね、どうにか時間をつぶさないと」

 何とか空いているベンチを見つけ、そっと腰掛ける。

 少し離れた位置にあるベンチにはお年寄り達が集まり、他愛無い話をしている。

 所々訛りがあって、何を話しているのか分かりづらい。

 時間が昼間であるせいか、さほど人がいない。

 通勤・通学ラッシュ時は、もっと人が多いのだろうと考えながら、ふと腕時計をみると、電車がやってくる時間になっていた。

 「時間だ、もうそろそろ地下ホームへ行こうか」

 オレが声を掛けると、洋子は

 「そうですか、それでは行きましょう」

 と、にっこり微笑んだ。

 オレは周囲の視線を気にしながらも、そっと手を差し伸べた。

 「あっ、ありがとう…」

 その時、彼女の頬が少しだけ赤くなった。

 そういえば、特急あさまの車内でも彼女は、照れくさそうにしていた。

 シャイでかわいらしい女性だなと、いとおしく思いながら階段へと向かう。

 長野電鉄長野駅は、1981年に地下化され、地下一階は改札と待合室、地下二階はホームとなっている。

 だから、地下一階の改札を抜けたら、階段で地下二階に降りなければならない。

 転ばないように注意しつつ、早足で階段を降りると、ホームに停車している、行きの各駅停車に乗り込んだ。

 「この列車は、湯田中行き普通列車です。間もなく発車いたします」

 ドアが閉まり、電車はゆっくりと走り出した。

 三つ先の善光寺下までは地下を走行するので、窓の外は真っ暗だ。

「本日も長野電鉄をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。次は、市役所前、市役所前です。、善光寺下、本郷の順に各駅に停車いたします」

 車内放送が終わると、車掌が「次は、市役所前、市役所前です」と言いながら、車内を巡回し始めた。

 切符を見せると、車掌はそれに確認のスタンプを捺し、車両の後ろのほうへ移動していった。

 市役所前、権堂と列車はこまめに停車し、徐々に乗客数が減ってきた。

 地下区間最後の善光寺下に停車する頃には、オレ達二人以外の乗客がほとんどいなくなってしまった。

 地方の路線は皆、ラッシュの時間帯以外、車内ががら空きになることが多いのだ。

 「間もなく、発車致します。閉まるドアにご注意ください」

 善光寺下を発車した列車は、やっと地上へと出た。

 長野到着時には快晴だった空が、どんよりとした雲に覆われ始めていた。

 間もなく、パラパラと雨が降り始め、ついには本降りとなった。

 急な雨に備えて、雨具を持って来たのは正解だった。

 「ああ、せっかくいい天気だったのに」

 洋子は残念そうに、外を眺めている。

 その様子があまりにも子供のようだったので、思わず笑ってしまった。

 その後、彼女は用事で寄らないといけないところがあると言って、本郷で下車した。

 できれば、一緒に市内観光を楽しみたかったのだが、用事があるというのなら仕方がない。

 日没後に湯田中駅前で会う約束をして別れた。

 桐原駅で下車したオレは、駅前からタクシーに乗って、JR東日本長野支社の長野総合車両センター近くで降ろしてもらった。

 「お客さん、こんなところで降りて、いったいどうするんですか?」

 タクシーの運転手は、オレをいぶかしげに見つめる。

 電車が好きで、写真を撮りに来たと伝えると、

 「ああ、そうですか」

 納得したのか、オレから料金を受け取った。

 ドアがゆっくりと閉まり、タクシーは北長野駅の方へ走り去っていった。

 「さてと、どうしようかな」

 敷地内に入るわけにもいかず、良い写真が撮れそうな場所を探した。

 幸い、フェンス越しに多くの車両が見える場所を見つけた。

 横一列に、えんじ色のディーゼル機関車や(オレンジと深緑のツートン)の通勤型電車、青色の電気機関車などが並んでいる。

 留置線に停車していた電車が本線へ移動したり、仕事を終えて戻ってきた電車が、専用の洗車機で洗われたりするのもはっきり見える。 

 「ちょっと、こんなところで何しているんだ?」

 つい、写真撮影に夢中になりすぎて、背後に警官がいるのに気付かなかった。

 「変な人がうろついていると通報があったよ」

 確かに、こそこそと写真を撮っているオレは、不審者かもしれない。

 「すみません、すぐにどきます」

 手短に事情を話すと警官は、

 「敷地内には、立ち入らないように」

 と、くぎを刺した後、自転車に乗ってどこかへ行ってしまった。

 「ああ、ビックリした……」

 オレは、胸を撫で下ろした。

 気が付けば、先程までの雨が嘘のように止んでいる。

 撮影を再開して二十分後、満足する写真が撮れたので、その場を立ち去った。

 その後、一人寂しく市内の観光名所を巡り、午後8時頃、湯田中駅に到着した。

 




今回も拙い文章でしたが、いかがだったでしょうか。
いろいろと多忙なため、前回の投稿から長い期間が空いてしまいました。
今回は、特急あさまが碓氷峠を越えるシーンの描写に力を入れてみました。
次回もお楽しみに。
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