山手線に乗り換えても、乗車率は減少するどころか、さらに増加した。
もみくちゃにされながらも、上野駅に無事到着し、高崎線のホームへ移動した。
やがて、列車の接近放送がホームに流れた。ホームに入ってきたのは、湘南色の古びた電車だった。
ドアが開き、ぞろぞろと乗客が降りてくると、車内はがら空きの状態となった。
平日の通勤時間帯に高崎方面へ向かう者は、少ないのだから当然だ。
オレは人々の波が収まった頃を見計らって、すばやく電車に乗り込んだ
間もなく、発車メロディーが流れ、ドアが圧縮空気の音を立てて、ピシャリと閉まり、電車はゆっくりと走り出した。
「本日は、JR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。この電車は、高崎線各駅停車、高崎行きです。次は、鶯谷、鶯谷です」
車内放送が流れ、電車は小春日和の柔らかな日差しの中を快走して行く。
やがて、猛烈な眠気が襲ってきて、オレは、暫し眠りに落ちた。
目を覚ますと、電車は高崎に到着していた。
信越本線に乗り換えるべく、電車を降り高崎駅のコンコース内を駆け抜けた。
何とか、特急あさまの発車時刻に間に合った。
車内に駆け込んだオレを車掌は横目で見ながら、出発の笛を吹き、ドアを閉めた。
上野駅からこれに乗る手もあったのだが、車窓をじっくりと眺めたかったので、あえて高崎までは、各駅停車に乗ったのだ。
だが、オレとしたことが、うっかり眠ってしまった。
仕方がないと言えば、仕方がないのだが、こうなるのであれば、最初からこれに乗っておけばよかった。
そうすれば、運賃も嵩まなくて済んだのに…。
「本日は、JR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。この電車は、信越線特急列車、あさま3号、長野行きです。横川では、補助機関車連結のため、5分程停車致します」
オレは、車掌の柔らかな声を聞きながら、窓の外を眺め、物思いに耽った。
「ああ、この列車に乗れるのも、あとどのくらいだろう・・・」
近年、信越本線横川~軽井沢間が廃止されるのではないかという噂をよく耳にする。
横川駅を経由せず、大きく遠回りし、長いトンネルで碓氷峠を越える、北陸新幹線に取って変わられるそうだ。
噂が本当なら、非常にもったいない話だと思う。
「間もなく、横川、横川です。降り口は、右側です。四分程停まります。これから、補助機関車を列車の後ろ寄りに二両連結し、千分の六十という急勾配に挑みます。この横川駅と軽井沢駅の標高差は、五五〇メートルあり、古くから碓氷峠は、交通の難所と言われてきました」
やがて特急あさまは、ガタガタとポイントを跨ぎながら、横川駅の四番ホームに入っていった。
すると、売り子達の大きな声が聞こえてきた。
「釜飯、釜飯~! の釜飯はいかがですか~?」
ドアが開くと、乗客達は一斉に下車した。
もちろん皆、おぎのやの「峠の釜めし」を買い求めようとする者達である。
オレも慌てて、ホームに降り立ち、売り子から巾着袋に入った釜飯を購入した。
「はい、九百円です」
売り子は、さわやかな笑顔で代金を受け取り、オレに巾着袋を手渡した。
電車とEF63の連結が終わり、発車ベルが鳴った。
皆大急ぎで車内に戻ると、車掌が笛を吹き、ドアを閉めた。
EF63がピッと汽笛を短く鳴らし、特急あさまは後ろから押されながら、ゆっくりと走り出した。
「ありがとうございました、ありがとうございました」
売り子達が、丁寧に何度もお辞儀するのが見えた。
「ご乗車ありがとうございます。次は、軽井沢、軽井沢です」
車掌が車内放送を始める頃には、彼らの姿が見えなくなった。
横川運転所を横目に見ながら、列車は坂を登ってゆく。
線路脇には、カメラを構える人々がずらりと並んでいるのが見える。
旧丸山変電所跡の前を通過すると、国道と少しだけ並走する場所に差し掛かった。
ここもカメラを構えた人々で溢れていた。
やがて、一つ目のトンネルに入ってゆき、それらも見えなくなった。
三つ目のトンネルを抜け、熊ノ平信号所を通過。
ここまでくると、ギャラリーの姿もまばらになり、人里離れた山岳路線の様相を呈し始めた。
時折、国道18号線と並走したり、険しい峡谷をコンクリート製の橋梁で渡ったりと、変化に富む風景である。
勾配が変化する所では、モーターの回転する音が大きくなり、スピードが少し落ち始めた。
だが、EF63が粘ってくれるおかげで、すぐにスピードも回復。なかなかのパワーである。
昔は、ED42というアプト式の小さな電気機関車が、四重連で客車やディーゼルカーを牽引していたというから驚きだ。
それでも、時速15キロ程しか出ず、約11キロの距離を45分もかけて走行していたのだ。
それに比べれば、ずいぶんと早くなったほうだと言うから、いかにこの区間が急であるか思い知らされる。
そんなことを考えているうちに、最後のトンネルに差し掛かった。
「ご乗車ありがとうございました。間もなく、軽井沢、軽井沢です。降り口は、右側です。軽井沢では、機関車切り離し作業のため、3分程停車致します。発車までしばらくお待ちください」
トンネルを出ると、列車は徐々にスピードを落とし始めた。
そして、駅場内へ低速で進入した後、ピタリと所定の位置に停車した。
ドアが開くと、清楚な感じの若い女性が他の客と共に乗り込んできて、車内をキョロキョロと見回した。
空席が無く、困っている様子だったので、
「あのう、オレの隣で良かったらどうぞ…」と、彼女にそっと声を掛けた。
彼女は、申し訳なさそうにしながらも、オレの隣に座った。
やがて、発車時刻になり、列車はゆっくりと走り出した。
背後に異様な視線を感じて、そっと振り返ると、後ろの座席に座った、初老の男が羨むような目でオレを見つめてきた。
「何だよ、じいさん? オレに何か文句でもあるのか?」
あまりにも彼の視線が気になるので、睨みつけてやった。
「いや、何でもない…」
男は、何事も無かったように、視線を窓の外へやった。
オレの隣に座った女性に見とれているのは、バレバレである。
「フン、取り繕ってもバレバレなんだよ」
オレが更に詰め寄ると、気まずくなったのか、彼は席を立ち、別の車両へ移動した。
なんとか男を追い払うと、車内販売員を呼びとめ、飲み物を二つ注文した。
「はい、どうぞ・・・」
一つを隣席の彼女に手渡すと、彼女は
「あ、ありがとう・・・」
と少しためらいがちに礼を言った。
発車後しばらくして、
「次は、、です。降り口は、左側です」と車内放送が流れた。
窓の外を眺めていると、彼女が、遠慮がちに話しかけてきた。
「あのう、先程から色々とすみません…」
なんだ、そういうことか。
「いや、別に気にしなくてもいいですよ。それより、あなたも長野まで?」
オレの問いに、彼女は、
「ええ、知人の元を訪ねようと思いまして」と答えた。
その後、思うように話は弾まず、何となく気まずい雰囲気になった。
初対面の彼女に、気軽に話しかけることができないでいると、突然、彼女がさりげなく、オレの膝に手をそっと置いた。おいおい、まさかとは思うが、このオレに好感を抱き始めたということでは無いだろうな。
まったく、あきれたことだと思いながらも、その柔らかな手に自分の手をそっと重ねた。
「あっ…」
彼女は照れくさいのか、ぱっと顔を赤らめ、顔を通路側に背けた。
「済みません、つい手が…」
オレも、申し訳ない気持ちになって、軽く握っていた手をそっと離した。
「いいですよ、別に…」
彼女は、恥ずかしそうに小さな声で言った。
何だか、いい雰囲気になってきた。
このままでは、ろくに話をせずに終わってしまいそうだったので、互いに自己紹介をすることにした。
「申し遅れました。私は、岸部洋子です。よろしく。」
「お、オレは、北山 隆です・・・」
握手を交わし、しばらく互いを見つめ合った。
オレは、今までこんな経験がなかったので、内心ドキドキしていた。
しかし、いつまでもモジモジしているのは、せっかく好感を寄せてくれている彼女に失礼だと思い、思い切って自分から、話を切り出した。
「もし良かったら、今夜、ご一緒しませんか?」
彼女の返事は、YESだった。その後話は弾み、気がつけば、終点の長野に近づいていた。
その後、互いに話すことが無くなり、オレはいつの間にか眠りに落ちてしまった。
目が覚めて窓の外を眺めると、列車は篠ノ井駅を通過したところだった。
そういえば、せっかく買った釜飯を食べていない。
長野に到着する前にさっさと食べてしまうことにした。
「本日もJR東日本をご利用いただきまして、誠にありがとうございました。まもなく終点の長野、長野に到着いたします。降り口は左側です。」
鉄道唱歌の車内チャイムが鳴り、長野到着を知らせる放送が流れ始めると、他の乗客達は降りる準備を始めた。
「さてと、私達も降りる準備をしましょうか」
彼女はそう言いながら、大きな伸びをした。
「ああ、そうだな」
オレも大きな欠伸をひとつして、ゆっくりと立ち上がった。
列車は、ガタガタとポイントを跨ぎ、ゆっくりと長野駅のホームに入った。
ドアが圧縮空気の音をたててゆっくりと開き、オレと洋子は人々の流れに押されるように改札口へと向かった。
駅員に特急券と乗車券を手渡して改札を抜け、そのまま長野電鉄長野駅へと向かった。
時刻表を見ると、湯田中行きの電車が来るまでには、少し時間があるようだ。
「ああ、なんか退屈だな…」
券売機で切符を購入し、空いているベンチを探す。
「そうですね、どうにか時間をつぶさないと」
何とか空いているベンチを見つけ、そっと腰掛ける。
少し離れた位置にあるベンチにはお年寄り達が集まり、他愛無い話をしている。
所々訛りがあって、何を話しているのか分かりづらい。
時間が昼間であるせいか、さほど人がいない。
通勤・通学ラッシュ時は、もっと人が多いのだろうと考えながら、ふと腕時計をみると、電車がやってくる時間になっていた。
「時間だ、もうそろそろ地下ホームへ行こうか」
オレが声を掛けると、洋子は
「そうですか、それでは行きましょう」
と、にっこり微笑んだ。
オレは周囲の視線を気にしながらも、そっと手を差し伸べた。
「あっ、ありがとう…」
その時、彼女の頬が少しだけ赤くなった。
そういえば、特急あさまの車内でも彼女は、照れくさそうにしていた。
シャイでかわいらしい女性だなと、いとおしく思いながら階段へと向かう。
長野電鉄長野駅は、1981年に地下化され、地下一階は改札と待合室、地下二階はホームとなっている。
だから、地下一階の改札を抜けたら、階段で地下二階に降りなければならない。
転ばないように注意しつつ、早足で階段を降りると、ホームに停車している、行きの各駅停車に乗り込んだ。
「この列車は、湯田中行き普通列車です。間もなく発車いたします」
ドアが閉まり、電車はゆっくりと走り出した。
三つ先の善光寺下までは地下を走行するので、窓の外は真っ暗だ。
「本日も長野電鉄をご利用いただきまして、誠にありがとうございます。次は、市役所前、市役所前です。、善光寺下、本郷の順に各駅に停車いたします」
車内放送が終わると、車掌が「次は、市役所前、市役所前です」と言いながら、車内を巡回し始めた。
切符を見せると、車掌はそれに確認のスタンプを捺し、車両の後ろのほうへ移動していった。
市役所前、権堂と列車はこまめに停車し、徐々に乗客数が減ってきた。
地下区間最後の善光寺下に停車する頃には、オレ達二人以外の乗客がほとんどいなくなってしまった。
地方の路線は皆、ラッシュの時間帯以外、車内ががら空きになることが多いのだ。
「間もなく、発車致します。閉まるドアにご注意ください」
善光寺下を発車した列車は、やっと地上へと出た。
長野到着時には快晴だった空が、どんよりとした雲に覆われ始めていた。
間もなく、パラパラと雨が降り始め、ついには本降りとなった。
急な雨に備えて、雨具を持って来たのは正解だった。
「ああ、せっかくいい天気だったのに」
洋子は残念そうに、外を眺めている。
その様子があまりにも子供のようだったので、思わず笑ってしまった。
その後、彼女は用事で寄らないといけないところがあると言って、本郷で下車した。
できれば、一緒に市内観光を楽しみたかったのだが、用事があるというのなら仕方がない。
日没後に湯田中駅前で会う約束をして別れた。
桐原駅で下車したオレは、駅前からタクシーに乗って、JR東日本長野支社の長野総合車両センター近くで降ろしてもらった。
「お客さん、こんなところで降りて、いったいどうするんですか?」
タクシーの運転手は、オレをいぶかしげに見つめる。
電車が好きで、写真を撮りに来たと伝えると、
「ああ、そうですか」
納得したのか、オレから料金を受け取った。
ドアがゆっくりと閉まり、タクシーは北長野駅の方へ走り去っていった。
「さてと、どうしようかな」
敷地内に入るわけにもいかず、良い写真が撮れそうな場所を探した。
幸い、フェンス越しに多くの車両が見える場所を見つけた。
横一列に、えんじ色のディーゼル機関車や(オレンジと深緑のツートン)の通勤型電車、青色の電気機関車などが並んでいる。
留置線に停車していた電車が本線へ移動したり、仕事を終えて戻ってきた電車が、専用の洗車機で洗われたりするのもはっきり見える。
「ちょっと、こんなところで何しているんだ?」
つい、写真撮影に夢中になりすぎて、背後に警官がいるのに気付かなかった。
「変な人がうろついていると通報があったよ」
確かに、こそこそと写真を撮っているオレは、不審者かもしれない。
「すみません、すぐにどきます」
手短に事情を話すと警官は、
「敷地内には、立ち入らないように」
と、くぎを刺した後、自転車に乗ってどこかへ行ってしまった。
「ああ、ビックリした……」
オレは、胸を撫で下ろした。
気が付けば、先程までの雨が嘘のように止んでいる。
撮影を再開して二十分後、満足する写真が撮れたので、その場を立ち去った。
その後、一人寂しく市内の観光名所を巡り、午後8時頃、湯田中駅に到着した。
今回も拙い文章でしたが、いかがだったでしょうか。
いろいろと多忙なため、前回の投稿から長い期間が空いてしまいました。
今回は、特急あさまが碓氷峠を越えるシーンの描写に力を入れてみました。
次回もお楽しみに。