霧の峠   作:chukuasama

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第二十章 電話

 家を飛び出し、自転車で奥多摩駅に向かったが、生憎電車は駅を発車したあとだった。

「クソ、遅かったか……」

 電車が走り去ったあとのプラットホームで、息を切らして立ち尽くしているオレを駅員は、あきれたように見ていたのだった。

 しばらく待合室のベンチで休んでいると、母さんが息を切らしながら駆け込んできた。

「電車に乗ったのかと思ったわ。ミイラ盗りがミイラになってどうするの。まったく、困った子ね」

 母さんは、息を整えてからそう言って、オレの頭を軽く叩いた。

 駅の外へ出て、駅前の駐輪場へ向かうと、オレの自転車の近くに母さんの自転車が置かれていた。

「さっ、家に帰るわよ」

 母さんはそう言うと、駐輪場から自転車を出し、オレが自転車に乗るまで待ってくれた。

 家に帰ると、母さんは冷蔵庫から食材を出し、昼食を作り始めた。

 昼食ができるまで待つつもりで自室に向かおうとすると、台所から母さんが声を掛けてきた。

「ご飯ができたら呼ぶから、冷めないうちに来てね。食べずに寝ちゃだめよ」

 母さんは、オレの行動パターンをよく分かっている。オレは、飯を食わずに自室に篭ることが多いので、母さんが飯を作っているときに自室へ行こうとすると、いつも母さんはこんなことを言ってくるのだ。

「は~い……」

 きちんと返事をしないと、母さんの機嫌が悪くなるので、素直に返事をしておいた。

 しばらく、自室のベッドで寝ていると、オレを呼ぶ声が聞こえてきた。

「隆、ご飯できたよ~。早く降りてきなさい」

 オレが布団の中でぐずぐずしていると、母さんは、苛立ったように壁を何度か叩き始めた。

「はいはい、行くよ~」

 オレは返事をしながらベッドから飛び出し、部屋を出た。

 ダイニングへ行くと、丁度母さんができた料理を台所から持ってきたところだった。

 朝はまったく食欲が無かったが、久松の無事が分かって安心したのと、奥多摩駅まで自転車を全力で漕いだためか、今は腹が減っている。

「焼きソバか……」  

 椅子に座って、テーブルに置かれた焼きソバを見ると、腹がグウとなった。

「あら、すごい音がしたわね」

 母さんは、オレの腹の音で笑いのツボにはまったのか、クスクス笑った。

 母さんに笑われて、少し不愉快になったが、腹が減っていたので、無視して食べることにした。

「ごめんごめん、怒らないでよ~」

 母さんは、相変わらず笑いながらオレを宥める。

 それでもオレが無視するので、母さんは、幼い子供が駄々をこねるように拗ねた。

「もう、無視しないでよう~」

 まったく、母さんは面白い人だなと思いつつ、オレは無視し続けたのだった。

「ごちそうさま」

 オレが焼きソバを食べ終える頃には、母さんの機嫌も元通りになっていた。

 母さんは、焼きそばを食べ終えておらず、クロスワードパズルを解いていた。

「ほんと、それ好きだよな」 

 オレがそう言うと、母さんは、

「ああ、そうね」

 と、一言だけ返事をして、目線を手元に戻したのだった。

 部屋に戻ったオレは、何をする気にもなれず、音楽を聴くことにした。

「えーっと、あのレコードは何処にしまったかなっと……」

 棚に並べている本やレコードジャケットの中から、赤い服をきた男性三人とマネキン二体が、ジャン卓を囲んで椅子に座って写っているジャケットを取り出した。

 ポータブルプレイヤーに、レコードをセットし、針を落とすと、ピコピコと機械的な音色の音楽が流れ始めた。

 このまま、スピーカー出力で聴くのもいいのだが、母さんはテクノポップ系の音楽が嫌いらしく、以前もスピーカー出力でこのレコードを聴いていて、耳障りだと怒られたことがある。

「結構いい曲だと思うんだけどなあ……」

 個人的には、アナログシンセサイザーや電子ピアノ、シンセドラムなどの奏でる音色がとても気に入っているのだが、母さんにとっては、ただの雑音らしい。

「仕方ない、ヘッドフォンにするか」

 オレはブツブツと愚痴を言いながら、ボリュームを落とし、アウトプット端子にヘッドフォンをつないだ。

 何曲か聴いていると、一番お気に入りの曲が流れ始めた。

 階下に音が響かないように気をつけながら、小さな声で口ずさみ、ドラムを叩く真似をしていると、母さんがまたオレを呼んだ。

「隆、留守番お願いね。あっ、あと、犬の散歩も頼むよ~」

 音楽を止めて返事をすると、母さんは家を出て行った。

 母さんは塾の講師をしていて、週五回の頻度で仕事がある。仕事は昼過ぎからの出勤で、夜は帰りが非常に遅くなる。

 とはいっても、月に何回かは休みが貰えるので、仕事が休みの日は特にやることがなければ、夕方まで居間でクロスワードパズルをやったり、昼寝したりして過ごしていることが多い。

 昨日は、久松とオレが起こした騒動のせいで仕事を休んだので、何だか申し訳ないなと思い、窓を開けて外に居る母さんに声を掛けた。

 母さんは、犬の頭を撫でてから車に乗り込もうとしていたところだった。

「母さん、昨日はごめんな……」

 オレが謝ると、母さんは、

「そんなこと、別にいいわよ。あんたは無事に帰ってきたし、久松君も無事だったんだから」

 と、言って微笑んだ。

「いってらっしゃい」

「いってきます」

 オレは母さんの車がガレージを出たところで窓を閉めた。 

 引き続き、某テクノポップアーティストの曲を聴いていたが、次第に飽きてきて、また久松のことが気になってきた。

「あいつちゃんと帰ってくるかな? また居なくなったら容赦しないぞ。あっ、そうだ。帰ってきたら一発殴らせてもらおうかな?」

 そんなことを考えていると、一階のリビングにおいてある電話が鳴った。

 階段を駆け下りて、リビングに向かうと、電話が鳴り止んでしまった。

「まったく、なんだよ……」

 二階の自分の部屋に戻ろうとすると、また電話が鳴った。

「もしかして、久松か……?」

 妙な胸騒ぎがして受話器を取ると、相手は旅館のおばあさんだった。

『もしもし、北山さんのお宅でしょうか?』

 おばあさんが丁寧な口調でそう訊いてきたので、

『はい、そうです』

 と、オレは答えた。

 おばあさんは、電話に出たのがオレだと分かると、

『ああ、あんたかい。あれから、何か進展はあった?』

 と、心配そうに訊いてきた。

『はい、今日の昼頃、友達本人から電話がかかってきて、軽井沢駅に居るって言ってました』

 オレが久松の無事を伝えると、おばあさんは、大きなため息をついた。

『そう、よかったわ。なんせ警察が、久松君は戻ってきたかとしつこく訊いてくるものだから、本当に鬱陶しくて……』

 なぜ、警察はそんなにもおばあさんを疑っているのかとこちらが訊くと、

『以前にもねえ、あんたの友達が消えたときと同じように、お客さんが消えたことがあってねえ……』

 と、数年前にも起こった失踪事件のことを渋々話してくれた。

 おばあさんの話によると、五年前の失踪事件でも停電があって、客室の様子を見に行ったら、何人かの宿泊客の内、一人の男性客が忽然と姿を消していたそうだ。

 警察は、通報したおばあさんを第一に疑い、何度も同じことを質問してくるので、最終的には警官と口論になったが、無事だった宿泊客達が宥めてくれて、なんとかその場は収まったそうだ。

 翌朝には、宿泊客の事情聴取も行なわれ、全員の嫌疑は晴れて、失踪した男性客の捜索が行なわれたものの、発見に至らず、数日で捜索は断念された。

 更に一週間後、失踪した男性客は、遠く離れた九州の山奥にある、大畑(おこば)という駅で、たまたまそこを訪れた鉄道オタクによって発見されたが、既に死亡していた。

 その後、おばあさんの民宿には、マスコミが押し寄せて、興味本位の報道がなされたことで、来てくれるお客の数は激減するわ、近所の人には奇異の目で見られるわで、おばあさんは散々な目に遭った。

 おばあさんは、人の噂も七十五日と思って耐え続けたが、二年前のある日、ついに耐えられなくなったおばあさんの旦那さんは、近くの山で首吊り自殺してしまった。

 遺書には、おばあさんに対してのお詫びの言葉やもう耐え切れなくなったので自殺するとの旨などが綴られていたそうだ。

 おばあさんはショックのあまり、二ヶ月以上にわたって引きこもってしまったが、常連客の人から励ましの手紙が何通も届き、知人が様子を見に訪ねて来ることもあった。

 そんなこともあって、おばあさんは何とか元気を取り戻し、民宿を再開させることができた。

 再開後も相変わらず、マスコミが度々取材に来たりしたが、おばあさんを犯人扱いする報道は次第に減っていき、その代わりにオカルト好きな人々が泊まりに来るようになった。

 そして次第に世間の関心は薄れていき、事件前と同じようにとは行かないものの、ようやく客足も戻ってきた。

 そんな中起こったのが、今回の事件だった。

『おばあさん、本当にすみません……』

 オレは申し訳なくなって、おばあさんが宥めるのも聞かず、電話口で何度も謝った。 

 オレと久松のせいで、おばあさんが再び、風評で悩まされる事態になるのかと思うと、本当に申し訳ない気持ちで一杯になる。

 しかし、おばあさんは、

『もう、いいのよ、そんなことは……。何より、あんたの友達が無事でよかったよ』

 と、言ってくれた。

『で、でも、また以前の事件の時みたいに苦しむことになりますよ……』

 オレは、おばあさんのこれからが心配で仕方が無かったが、おばあさんは、

『何とかするから、あんたは気にしなくていいの。それよりも、ちゃんと警察に連絡してよ』

 と念を押すように言って、半ば強引に電話を切ってしまった。

「まったく、本当に大丈夫なのかよ……」

 これ以上ウダウダ悩んでいても仕方が無いので、警察に連絡することにした。

 水窪(みずくぼ)の警察署の電話番号は、オレと話をした警官が渡してくれたメモがあるので、それを見て、間違わないようにゆっくりとダイヤルを回した。

相手は三コール程で電話に出た。

『はい、こちら、天竜警察署水窪交番です。』

 電話に出たのは女性だった。どうやら、受付担当の人らしい。

『あのう、昨日事情聴取を受けた、北山孟司というものですが……』

 オレがそう言うと、相手は分かったようで、少し待っていて欲しいと言って、電話を保留にした。

 しばらくすると、オレと話をした例の警官が電話に出た。

『ああ、昨日の北山君だね?』

 相手の警官は相変わらず、低音のいい声で、話しかけてくる。

 オレは、その声になぜかドキッとしながらも、久松本人から電話があったことを伝えた。

 相手の警官は、

『そうか、そうか、それは良かったなあ』

 と、嬉しそうに反応してくれた。

 その後も警官は、オレのことを気遣って、労を労ったりしてくれたのは良かったが、ふと時計を見ると、五分近く話していたので、電話を切ることにした。

『それでは、また何かあったら電話しますんで、失礼します』

 俺がそう言うと、相手も

『ああ、頼むよ』

 と言って、電話を切った。 

 




「赤い服を着た男性三人が二体のマネキンとともにジャン卓(麻雀用のテーブル)を囲んでいる写真」のアルバムは、分かる人は分かると思います。我ながら、音楽の趣味が実年齢と合っていないな(笑)。
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