「ご乗車ありがとうございました。間もなく終点、別所温泉です」
オレ達の乗った電車は、別所温泉駅に近づき、スピードを落とし始めた。
車内は、満員とまではいかないが、地元住民や観光客で混み合っており、皆が降りる準備をする。
やがて、電車はホームにゆっくりと入線して停車した。
車掌に切符を見せて改札を抜け、駅舎の外へ出た所で、久松は早足で何処かへ向かう。
「おい、何処に行くんだ?」
オレは声を掛けてあとを追いかけるが、久松はまったく聞こえていない様子で、懐中電灯を片手に駐車場の奥へ入っていく。
「おお、丸窓電車だ!」
久松は子供のように喜びの声を上げ、何かをじっと観察している。
「一体どうしたんですか?」
洋子もオレのあとについてきて、怪訝そうに久松に声を掛ける。
「ああ、ごめん。ここの留置線に保存されている電車がついつい気になっちゃった」
久松は照れくさそうに頭を掻きながら、懐中電灯で暗闇の先を照らす。
「まったく、お前は昔と変わっていないな」
オレは、久松の鉄道オタクぶりにあきれつつ、その場から連れ出そうと久松の腕を掴んだ。
「ほんと、電車好きなんですね」
洋子は、申し訳なさそうに項垂れている久松を見て、苦笑したのだった。
その後タクシーで、上田駅で電車に乗る前に電話をかけて予約しておいた旅館へ向かった。
予約した者だとフロントで告げると、それぞれの部屋のキーを渡された。
オレは四階の東端、久松は同じ階の中央、洋子は三階の東端で、それぞれ八畳の和室だ。
「ふう、疲れた……」
自分の部屋に入り、座卓の傍に荷物を置くと、疲れがどっと出てきて、オレは畳の上に寝転んだ。
暫くぼおっと天井を見ていたが、いつの間にか眠ってしまった。
「お~い、北山~、入ってもいいか~」
久松の声で目が覚め、部屋の時計を見ると、時刻は午後八時を少し回った頃だった。
「ああ」
オレが返事をすると、久松は遠慮がちに入ってきて、後ろ手に襖をそっと閉めた。
「なあ、近くに公衆浴場があるらしいよ。一緒に行かないか?」
久松の話を聞けば、部屋に付属している風呂も良いが、温泉に入りたくてフロントで場所を訊いたところ、五階にある大浴場は温泉を引いておらず、この旅館の近くにある公衆浴場の方が良いと教えてもらったそうだ。
「ああ、それいいな」
オレもこの旅館まで歩いてくる時、温泉に入りたいなと思っていたから、彼の提案に乗ることにした。
オレと久松は、着替えとタオルを持って部屋をあとにし、売店で石鹸類を買ってから、公衆浴場へ向かった。
旅館を出てすぐの所に、他の旅館やホテルに囲まれるようにして、こじんまりとした三層瓦屋根の建物が建っている。玄関の格子戸の上には、
「大湯」
と右から左に書かれた看板が掛かり、玄関脇にある飲泉場には、
「葵の湯」
と刻まれた石碑が立っている。
飲泉場の横にある券売機で入泉券を購入し、格子戸を開けて中に入ると、受付があり、その右側が女湯、左側が男湯となっている。
受付の人に購入した券を渡し、左側に向かうと靴箱があり、そこで靴を脱いで暖簾をくぐると、そこは脱衣所だった。
脱衣所の中は、脱衣棚があり、隅に脱衣カゴが置かれている。
浴室への出入口の引き戸上に源泉分析表が掲示されている。
着ているものをすべて脱ぎ、浴室に入ると、左側に仕切りの無い洗い場があり、隅に桶や椅子が置かれている。
洗い場で頭と体を洗ったあと、湯に浸かった。
浴槽は、五人ほどが浸かれるタイル張りのものが一つと露天浴槽が一つあるだけで、露天からの景観は、この公衆浴場が温泉街の中にあるだけあって最悪だ。
確かに露天風呂ではあるのだが、目の前に磨りガラスがあって、外は全く見えず、頭上には、申し訳程度に東屋のような屋根があるぐらいだ。
「期待はずれだな……」
「街の中にある公衆浴場だし、仕方ないよ」
何だか損した気分だが、温泉には一応入ったのだから、それで充分だと前向きに考えることにした。
結局、オレ達は二十分程で浴室を出て、脱衣所で服を着替えてから外に出た。
飲泉場で水分補給した後、 二人仲良く旅館に戻った。
そして、エレベーターホール前で待ち合わせる約束をして、一旦それぞれの部屋に戻った。
使用済みのタオルや脱いだ服などを入れたビニル袋を荷物の傍に置き、財布を持って部屋を後にしたオレは、久松と共に、二階のレストランへと向かった。
レストランの店内は、多くの客で賑わっており、空席を探すのにも苦労した。
やっとのことで空席を見つけたが、そこは隅の方の席だった。
「やっと座れた……」
「腹減った……。さてと、何にしようかな」
腹が減って仕方がないオレ達は、テーブルに置かれているメニューを開き、とにかく腹を十分に満たせそうなものを探した。
オレは、一ページ目におすすめメニューとして記載されているオムライスを、久松はカツカレーの大盛りをそれぞれ選び、店員を呼んだ。
「ええっと、オムライスがお一つと、カツカレーがお一つでよろしいですね?」
店員は注文を確認すると、カウンターへ戻って行った。
それぞれが注文した料理が運ばれてくるのを待っていると、そこへ洋子がやって来た。
「あら、北山さんと久松さん。お二人は、これからご飯ですか?」
オレがそうだと答えると洋子は、
「ご一緒しても構いませんか?」
と訊いてきた。
「ああ、別に構わないさ」
「ええ、もちろんどうぞ」
オレと久松が、ほぼ同時に言う形になり、洋子はそんなオレ達を見て、
「フフッ、そんなに嬉しいんですか?」
と、いたずらっぽく笑ったのだった。
洋子が加わったところで、店員が新たにコップを一つ持ってきて、氷水を注いだ。
「ありがとう」
洋子は店員に礼を言って、そのコップを受け取った。
店員は洋子に、
「注文がお決まりになりましたら、お申し付けください」
と言って頭を下げ、カウンターへ戻って行った。
そして、洋子はメニューを手に取り、パラパラとページを行ったり来たりし始めた。
「え~っと、何にしようかしら……」
しばらくして洋子は店員を呼び、タラコスパゲッティを注文した。
店員は、注文伝票に追記してから、カウンターに戻って行った。
数分後、久松が注文したカツカレーが運ばれてきて、オレと洋子はその量の多さに驚いた。
「おいおい、こんなに喰って、大丈夫なのか?」
オレは、久松が腹を壊しはしないかと心配するが、久松は、
「大丈夫だよ。平気、平気。それよりも、腹が減って仕方がないんだよ」
と言って、何食わぬ顔でそれを食べ始めた。
「ほんと、お前は見た目に因らず、すごい食欲だな……」
「そうですね……」
オレと洋子は、唖然とするばかりで、何も言えなくなった。
しばらく固まっていたオレと洋子だったが、オムライスとタラコスパゲティが運ばれてきて、ようやく我に返った。
「ご注文は、以上でよろしいでしょうか?」
店員が注文の最終確認をしてきたので、オレは、これで全部だと答えた。
店員は、
「伝票は、ここに置いておきますね」
と言って、注文伝票をテーブルの隅に置いてから、軽く頭を下げて、カウンターへ戻って行った。
夕食を終え、勘定を済ませたオレ達は、おやすみを言ってから、それぞれの部屋に戻った。
部屋に戻ったオレは、エアコンをつけ、部屋の電気を消して布団に潜り込んだ。
尿意で目が覚めて、枕元に置いた腕時計の光っている文字盤と針を見ると、深夜一時を回った頃だった。
部屋の電気を付け、トイレで用を済ませた後、座椅子に座り、しばらくぼうっとした。
そろそろ布団に戻ろうかと思い、立ち上がろうとしたところで、いきなり停電した。
「おいおい、何だよ!?」
突然の停電に驚いたオレは、ふと長野電鉄の車内で久松と話していた思い出話の内容を思い出したが、杞憂だと一蹴し、電気が復旧するのを待たずに、手探りで布団に戻った。
そして、翌日の予定を呑気に考えながら、携帯電話のアラームを午前七時にセットし、再び眠りについたのだった。