携帯電話のアラームの音と共に目覚めたオレは、寒さに体を震わせながら、枕元に置いたエアコンのリモコンに手を伸ばした。
「おおっ、さむっ」
寝ている間に電気が復旧していたのか、エアコンは無事に動き出した。
部屋が暖まるのを待ってから、布団を這い出し、窓の障子を開けた。
「う~ん、今日もいい天気だ」
大きく伸びをしながら、結露で濡れている窓ガラス越しに外を見ると、昨晩久松と入った公衆浴場から湯気が立ちのぼっている。
時折、車や原付が旅館の前の道路をゆっくりと走り去っていく。
そんな光景をのんびり眺めたあと、窓の障子を閉め、テレビをつけて、八時のニュースを見つつ、着替えを済ませた。
「さてと、茶飲んでから、朝飯食いに行くとするか…」
着替えを済ませ、部屋の隅に置かれている蓋付の盆から、緑茶の入ったティーバッグと湯呑を取り出し、水が入れられている備え付けの電気ポットの電源コードをコンセントに差し込んだ。
カチッという音がして、湯沸かし中の赤いランプが点いたのを確認し、湯が沸くまで座椅子に座って待つことにした。
「ええっと、昨日は上田市内に行ったから、今日は久松が行きたいと言いそうなところに行こうかな。う~ん、でも洋子がいいと言ってくれるかどうかが問題だな……」
リュックサックの中から、長野県内の地図を取り出し、それを見ながら今日行く所を考える。
「う~ん、あいつなら、碓氷峠とか二本木駅のスイッチバックとか言い出しそうだな、鉄オタだし……。まあ、朝飯食ったあとで訊けばいいか……」
そんなことを一人、ブツブツ言いながら考えていると、電気ポットの中の水が沸騰する音が激しくなってきた。
「あっ、もうそろそろだな」
やがて、沸騰する音が小さくなり、カチッという音がして、湯沸かし中のランプが消え、保温のオレンジ色のランプが点いた。
ティーバッグを入れた湯呑に電気ポットの湯を入れ、充分に抽出してからそれを口にした。
「あったまるな……」
茶をゆっくりと味わったあと、電気ポットの電源コードをコンセントから抜いた。
必要なものを手にして部屋を出たオレは、二階へと向かった。
三階で洋子がエレベーターに乗り込んできて、オレに挨拶した。
「おはようございます、北山さん」
「ああ、おはよう…」
互いに言葉少なに挨拶すると、エレベーターは間もなく二階に着いた。
レストランに入り、窓際の席に着くと、洋子は久松のことを訊いてきた。
「たぶんまだ寝てると思う。まあ、その内来るだろう」
オレはそう答えてから、メニューを見た。
それぞれ料理を注文し、他愛もない会話をしつつ、料理が運ばれてくるのを待った。
やがて、それぞれが注文した料理が運ばれてきたが、その頃になっても、久松は姿を現さなかった。
朝食を終え、勘定を済ませたオレと洋子は、久松の様子を見に行くことにした。
エレベーターで四階へ行き、久松の部屋の前まで行って、ドアを何度かノックしたが、まったく反応が無い。
「おい、オレだ。体の調子でも悪いのか?」
オレがそう声を掛けても、まったく反応が無い。
「もしかしたら、この旅館のどこかに居るのかも知れませんよ」
洋子にそう言われて、オレは渋々部屋に戻ったのだった。
三十分後、今度はオレ一人で久松の様子を見に行ってみたが、のだった。
さすがに不安になってきたオレは、一度自室に戻り、内線電話でフロント係を呼び出した。
電話に出たフロント係は、
「いかがなされましたか?」
と、穏やかな口調で訊いてきた。
オレは、友人と昨夜からこの旅館に宿泊しており、今朝、朝食を済ませた後、友人の様子を部屋まで見に行ったが、全く反応が無く、友人の携帯電話に掛けてみても全く電話に出なかったことなどを話し、心配なのでマスターキーで鍵を開けて欲しいと頼んだ。
「かしこまりました。直ちにそちらへ参りますので、少々お待ちください」
フロント係は丁寧にそう答えて、電話を切った。
しばらく、久松の部屋の前で待っていると、フロント係がマスターキーを持ってやってきた。
フロント係に鍵を開けてもらい中に入ったのだが、もぬけの殻だった。
「おい、嘘だろ?」
オレは、思わずその場に立ち尽くした。
部屋の外で待っていたフロント係が中に入ってきて、声を掛けてくれたことで、ようやく我に返ることができ、久松の部屋から出た。
フロント係にどうするのか訊かれ、警察に通報して欲しいと伝えた。
フロント係は、
「分かりました」
と言って、オレに軽く頭を下げてから、フロントに戻って行った。
自分の部屋に戻る気にもなれず、オレは少しでも気を紛らわせようと、同じフロアにある自販機コーナーに向かった。
ホットの缶コーヒーを購入し、それを飲みながら、以前の失踪事件のことを思い出した。
「あの時も確か、警察を呼んだが、結局意味無かったんだよなあ……」
今回も警察を呼ぶしかないのだろうが、それは無意味どころか、面倒なことになると考えると、頭が痛くなってくる。
「あいつがタイムスリップしたなら、オレも一緒に行きたかったな。まあ、そうなったらそうなったで、洋子に迷惑かけるだろうな……」
しばらく何をするでもなく、自販機コーナーで立ち尽くしていると、洋子がやってきた。
「北山さん、久松さんは部屋に居ましたか?」
オレは、
「いや、フロント係にマスターキーで部屋の鍵を開けてもらって、中に入ったんだが、もぬけの殻だったんだ……」
と、ありのままのことを伝えた。
「えっ、どういうことですか?」
彼女はオレの言うことが信じられないのか、訝しげにこちらを見てくる。
「実は、以前にもこんなことがあったんだ……。ここでは話せないことだから、オレの部屋に来てくれるか?」
缶コーヒーをもう一本買って洋子に渡し、自分の部屋に来てくれるよう頼んだ。
洋子は、オレのことを少し警戒しながらも、渋々承諾してくれた。
一緒に部屋に入り、座卓を挟んで座り、洋子に話が長くなることを断った上で、以前の出来事を話したが、それが全て終わる頃には、昼近くになっていた。
「あっ、もうこんな時間か……。あんたをこんなことに巻き込んで申し訳ない……」
オレが土下座すると洋子は、
「あのう、あなたの話を聞いていて、思い出したことがあります……。十二年前、飯田線の車内で確かに、あなた達二人と話をしました……」
と、打ち明けた。
「えっ、もしかして、あの時の……? おい、嘘だろ?」
オレは記憶に残っている、十二年前の女子高校生の顔と、今目の前にいる彼女を比較し、その変わり様に驚いた。
「あっ、あの時の私は、自分で言うのもおかしいですけど、内気でオタクで、地味な女の子でしたから……」
彼女は顔を赤らめ、モジモジしながらそう言った。
オレは偶然の再会に、何も言えなくなってしまった。
「じっ、実は、特急あさまの車内で、あなたと会った時、どこかでお会いした気がするなと、思ったんです……。それで、あなたが長野を旅行する予定だとおっしゃって、私と同じ行き先だし、ご一緒することにしたんです……」
彼女はそう言い終えると、耐えられなくなったのか、部屋の外に出て行ってしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ……」
オレが呼び止めると、洋子は戻って来て、
「そっ、外の空気を吸ってきます……」
と、消え入りそうな声で言った。
「ああ、べっ、別に構わないさ……」
洋子が何処かへ行ってしまった後も、オレは動揺が収まらず、意味もなく部屋の中を歩き回ったのだった。