夜になって、オレの部屋に昼間の警官がやって来た。
彼の話によると、この旅館の中にいる全ての人だけでなく、旅館周辺でも聞き込みをしたのだが、有力な目撃証言は得られなかったそうだ。
明日は周辺の捜索をするそうだが、それで見つかる可能性は低いだろう。
「う~ん、そうですか……。じゃあ、お願いします……」
オレはただ、そう言うしかなかった。
警官は、
「それでは、失礼します」
と言って、部屋を出て行った。
「さてと、これからどうするかな……」
食欲は全く無いし、寝る気にもなれないし、かといって外には出られない。
そうなれば、久松の無事を祈る他ない。
「はぁ、明日の捜索で見つかるといいが……」
もし、無事に現代に戻って来たとしても、この別所温泉よりも遠いところに飛ばされてしまう恐れがある。
もし、誰も来ないような山奥に飛ばされると、生存は絶望的だ。
「とにかく、無事に戻って来てくれよ、久松」
オレは携帯電話を握りしめ、ただ液晶画面を見つめる。
そうすれば、久松から電話が掛かってくるような気がする。
「ああ、心配だ……。早く掛けてきてくれ……」
突然、携帯電話が鳴り、久松かと思って焦ったが、画面の表示をよく見ると、母さんからの電話だった。
「こんな時に何だよ、まったく……」
イライラしながらも電話に出ると、母さんの能天気な声が聞こえてきた。
『夜分遅くにごめんね。最近、あまり掛けてこないもんだから、どうなのかなと思って』
何だ、そういうことか。
「ああ、元気にやってるよ。そっちはどうなんだ?」
『ええ、いつも通り、元気にやってるわ』
「ああ、そうか。それは良かった」
しばらく、母さんと話していると、電話口の向こうの方で、テレビの音と父さんが歓声を上げるのが聞こえてきた。
『あなた、ちょっと静かにしてくれない? 今電話中よ』
母さんが父さんに向かってそう言い、父さんが、
『ああ、すまん……。今、良いところなんだ』
と答えているのが聞こえてきて、オレは苦笑した。
どうやら、父さんは野球中継を見ていて、応援している選手が、ホームランを打ったので、嬉しかったようだ。
「父さん、相変わらずだな……」
昔から父さんは、野球中継を見るときは必ず、やかましくなるのだ。
『ほんと、うるさくて仕方がないわ』
まったく、母さんの言う通りである。
「それじゃあ、オレは寝るから切るよ。おやすみ」
『ええ、おやすみ。たまにはこっちに帰ってきなさいよ』
「はいはい、分かってるって」
そして、オレは電話を切った。
「ああ、久しぶりに母さんの声聞いたな……」
そういえば、今年の初めに電話を掛けて以降、まったく電話していない。
久しぶりに母さんの声を聞いたおかげか、張りつめていた心が、随分と和らいだ気がする。
「ありがとう、母さん……」
オレは一人、母さんに感謝しながら、携帯電話を座卓の上に置いた。
そして、次第に眠気が襲ってきて、座卓に突っ伏した状態で眠ってしまったのだった。
ふと、手のしびれと頬の痛みを感じて、目が覚めた頃には、すっかり朝になっていた。
「ああ、いてえ……」
手のしびれが収まるのを待っていると、
携帯電話のアラームが鳴った。
「七時か……」
携帯電話を掴んで、アラームを止めようとするもうまくいかず、悶々としていると、一晩中付けっ放しになっていた部屋の照明が、いきなり消えた。
「停電だ……」
突然の停電に驚いていると、ようやく手のしびれが収まり、なんとかアラームを止めることができた。
「ああ、痛かった……」
手をさすりながら、復旧するのを待っていると、外から車のけたたましいブレーキ音が聞こえた。
窓の障子を開けて外を見ると、旅館の前に白のワンボックスカーが停まっており、狭い道の中央には、様々な物が散乱しているのが見える。
その中に埋もれるようにして横たわっている人物は、運転手のおじいさんが体を揺さぶっても、全く起き上がろうとしない。
よく見ればそれは、久松であった。
「おいおい、冗談じゃねえぞ」
オレは大急ぎで部屋を飛び出した。
現場に駆け付けると、おじいさんは大声で周囲に助けを求めている所だった。
「すみません、手伝います」
オレはおじいさんに声を掛け、たまたまそこを通りかかった人と協力して、路上に散乱しているものや久松、おじいさんの車などを通行の邪魔にならない場所に移動させた。
「おい、大丈夫か? しっかりしろ!」
旅館の軒先に寝かせた久松の体を何度か揺さぶると、ようやく意識を取り戻した。
「ああ、ここは……?」
久松は、ゆっくりと起き上がり、周囲を見渡す。
「まったく、人騒がせな奴だぜ。まあ、無事に戻って来て、何よりだ」
オレがため息を付くと、久松は、
「北山、心配かけて、ごめん……」
と言って、申し訳なさそうに頭を掻いた。
おじいさんも、久松が元気そうなのを見て、胸を撫で下ろした。
その後、旅館の中から、警官や旅館の従業員を含む、何人もの人が出てきて様子を見に来たり、救急車が来るなどして、旅館の前は騒がしくなった。
オレは一旦、久松の荷物を四階の自室に運び込み、自分の財布と携帯電話を手にしてから、救急車が停まっている所に戻った。
そして、久松が道路の真ん中で倒れていた時の詳しい状況をおじいさんに訊いた。
おじいさんの話では、久松は突然、車の前方に姿を現したそうだ。おじいさんは咄嗟にブレーキを踏み、左にハンドルを切ったが避けきれず、車の右前方と接触した久松は転んだ拍子に、地面で頭を打ったらしい。
念のため、オレと久松、おじいさんの三人は、救急車に乗り込み、病院まで行くことにした。
病院に着いて、直ちに久松は医師の診察を受けた。しかし、はねられた際、車のスピードがそれほど出ていなかったためか、大したことはなく、ただの脳震盪であった。
一応、経過を見ようということになり、他の病院への紹介状を書いてもらった。
おじいさんも、ブレーキを踏んでハンドルを切った際に、額をしかと打ってしまったらしく、少し腫れていたので、診てもらったが、大したことはなかった。
オレは病院の外に出てから、旅館に電話を掛け、洋子の部屋の電話につないでもらった。
電話に出た洋子に、久松が旅館の前の道路で見つかったこと、車にはねられたので病院で診察を受けたが、大したことは無かったことなどを話した。
『ああ、良かった。ところで、これからどうするんですか?』
洋子は久松の無事を喜びつつ、オレが旅館に戻ってからどうするのか訊いてきた。
「う~ん、そうだな……。とりあえず、警察には、詳しく状況を話さないといけないな」
『ええ、そうですね。まあ、慌てずに帰って来てくださいね』
「ああ、分かった。警察にも、このことを伝えておいてくれよ」
『はい、任せてください』
「じゃ、電話を切るぞ」
『は~い』
洋子に必要なことを伝え終えたオレは、電話を切った。
病院の中に戻ると、二人は待合室でオレを待っていた。
二人に声を掛け、タクシーを呼ぶからもう少し待ってほしいと伝えて、室内の公衆電話と電話帳が置かれている所へ行き、タクシー業者の番号を調べた。
病院の近くのタクシー業者に電話を掛け、病院の名前を告げて、電話を切った。
しばらくすると、タクシーがやって来た。
おじいさんは申し訳ないと、お金を出そうとしてきたが、オレは要らないと断って、おじいさんを乗せた。
そして、オレ達三人を乗せたタクシーは、ゆっくりと走り出した。
十分程走ると、タクシーは旅館の前に着いた。
代金をオレが支払って、タクシーを降りた。
旅館の中に入ったところで、何人かの警官が待っていた。
オレ達三人は、二階のレストランの隅の方の席で、事情を訊かれることになり、エレベーターで二階に向かった。
まず、久松は昨夜の状況を訊かれて、記憶がはっきりしないが、旅館全体が停電した直後、急に気分が悪くなって、布団で横になろうとした瞬間に気を失い、気がつけば朝になっていて、旅館の前の道路で車に轢かれたと話した。
温和で人の良さそうな顔付きの警官は、本当に覚えていないのかと再度訊いたが、久松は首を横に振るばかりであった。
次に、オレとおじいさんは、久松を見つけた時の状況を話したが、久松が急に車の前に現れて、避けきれずにはねてしまったというおじいさんの話だけは信じてもらえなかった。
仕方がないのでオレは、事故当時の状況を目撃した人は必ず居る筈だし、その証言さえあれば、おじいさんの証言が嘘では無いと証明できるのではないかと言ってやった。
警官はため息をつき、
「仕方ありませんね。とりあえず、目撃証言を集めてみましょう」
と言ってから、他の警官に指示を出した。
そして警官達は、おじいさんを連れて、その場を後にしたのだった。
「はあ、疲れた……」
オレが大きなため息をつくと、久松は、
「ほんと、ごめん……」
と、申し訳なさそうに俯いた。
「まあ、お前が無事に帰ってきてくれて良かったよ。とりあえず、朝飯食おうぜ」
オレは、申し訳なさそうにしている久松を励まそうと、何が食べたいのか訊いた。
オレは、ご飯や味噌汁、焼き魚などがセットになったものを、久松は、ご飯やスープ、レタスやトマト、サラダなどがセットになったものをそれぞれ注文した。
注文したものが運ばれてくるのを待つ間、オレは久松に話しかけることもできず、ただ、ぼうっとするしかなかった。
やがて、先にオレが注文したものが運ばれてきて、オレは久松に、
「お先に」
と声を掛けてから、食べ始めた。
しばらくして、久松の注文したものが運ばれてきたが、久松はなかなか食べようとしない。
「おい、どうしたんだ? 食べないのか?」
体の具合でも悪いのかと思い、久松の顔を覗き込むと、なぜかニヤニヤしていた。
「あれ? 前みたいに僕を殴らないのか?」
久松は、先程の申し訳なさそうな態度とは打って変わって、オレを挑発してきた。
「まったく、人がどんだけ心配したと思ってんだよ」
オレはあきれて、怒る気にもなれず、ただ苦笑するしかなかった。
朝食を終えて、勘定を済ませたオレと久松は、四階のオレの部屋に向かった。
「ほら、あんたの荷物だぞ」
オレは、部屋の隅にまとめてある久松の荷物を指し示す。
「ああ、良かった。ほんと、済まないな」
久松は荷物を確認し、また申し訳なさそうにする。
「もういいって。無事に帰って来たんだからな」
オレは久松の肩を叩いた。
「ああ、前みたいに山の中じゃなくて良かったよ」
久松はそう言って、ニコリと笑った。
その後、久松はオレにタイムスリップした時の話をしてくれた。
彼の話によれば、前回と同じ場所にタイムスリップしたようだが、季節は前回とは異なり、冬だったそうだ。
ジャージを着てスリッパを履いた格好で、寒さに凍えながら途方に暮れていると、前回と同じ駅員が彼の元にやってきて、駅舎の待合室に案内した。
待合室内は、石油ストーブによって暖められており、ベンチに座った彼は、駅員から毛布をもらった。
彼が駅員に、自分は以前にもここに来たことがあることを言おうかと悩んでいると、駅員は、以前にもタイムスリップしてきたという学生に会ったことがあると話した。
久松は意を決して、あなたの話の学生は自分だと打ち明けた。
駅員は驚きつつも、久松との再会を喜び、近況を尋ねた。
久松が、今はとある雑誌社に勤めていると答え、駅員に調子はどうかと尋ねた。
駅員は、こんな山の中の駅は、さっさとやめたいものだと愚痴って苦笑した。
その後、駅員室にあるタブレット閉塞器のベルが鳴り、駅員は、軽井沢駅の駅員と専用電話で連絡を取って、タブレット閉塞機の操作をしたり、やって来た列車の運転士にタブレットキャリアーを手渡したりと、忙しくなった。
列車が行ってしまった後、駅員はホームに積もった雪を除雪し始めた。
久松は、駅員に手伝うと声を掛け、長靴や雪掻きの道具、外套などを借りて、駅員の除雪作業を手伝ったそうだ。
除雪作業を終えた頃に、再び駅員室のタブレット閉塞器のベルが鳴り、駅員は次にやってくる列車を迎える準備をし始めた。
久松は、列車がやってくる前に除雪作業を切り上げないとまずいと思い、駅員のタブレット閉塞器の操作が一段落した所で、駅員にどうしようか尋ねた。
駅員は、久松が除雪作業を手伝ってくれたことに礼を言い、道具を片付けて待合室の中に入るよう勧めたのだった。
待合室に戻った久松は、外套と長靴を脱いで、それをストーブの近くに置いて乾かしながら、これからどうしようかと悩んだ。
悩んでいる彼を見かけた駅員は、列車の運転士にタブレットキャリアーを手渡して、列車を見送り、隣の駅に連絡してから、久松に声を掛けた。
久松は、これからどうするか悩んでいると、駅員に打ち明けた。
駅員は、仕方がない奴だなと言いながら、久松にお金を貸そうとした。
久松は、その内また元の時代に戻ると思うので、要らないと断った。
そんなやりとりをしていると、駅舎のそばに雷が落ち、停電した。
突然の落雷に二人は驚きつつ、電気が復旧するまで待った。
復旧後、駅員は久松をその場に留めて駅舎の外に出て、ホームの様子を見に行った。
しばらくして、久松の荷物を荷車に乗せて、駅舎に戻って来た。
久松は、荷物を荷車から降ろしながら、それが自分のものであることを確認し、駅員に礼を言った。
そして、駅員が運んできた荷物の中に靴があるのを見つけ、スリッパと濡れた靴下をリュックサックに入れていたビニル袋に入れて戻し、新たな靴下に履き替え、靴を履いた。
久松がそんなことをしている間、駅員は駅舎の外に出て、信号機に異常がないか確認したり、駅舎に戻って駅員室の電話で横川機関区に、落雷による停電があり、復旧後に確認したが、何も異常は無かったことを報告したりした。
電話での報告を終えた駅員は、久松に荷物はそれで全てなのか訊き、久松はそうだと答えた。
その後も駅員は、熊ノ平駅に次々とやって来る列車から不要になったタブレットを回収して、新たなタブレットを渡し、腕木式信号機とポイントを操作し、隣の駅と連絡を取る一連の作業を何度もこなしたが、熊ノ平駅で降りる客は一人も居なかった。
昼近い時間になり、腹が減った久松は、リュックサックに入れていたペットボトルのジュースとスナックパンを口にしたが、それではもの足りず、偶然ポケットに入っていたガムで空腹を紛らわせる他無かった。
駅員は、作業の合間に弁当を平らげつつ、タブレット閉塞機のベルが鳴ると、すぐさま専用電話の受話器を取り、
「はい、二一五一列車、閉塞承知」
と、電話してきた横川駅の駅員に応答して、電話を切る。
その後ベルが二回鳴り、駅員は送信ボタンを二回押す。
検電器の針が半開を指し、駅員は解錠ボタンを押しながら、下側の引き出しを半分ほど引き出し、今度は送信ボタンを押し続ける。
ベルが一回鳴ると、タブレット閉塞機の操作は一旦終わる。
そして、駅にやって来た列車の運転士から不要になったタブレットを回収し、それを閉塞機の上側の引き出しに収納し、半開状態になっている下側の引き出しを押し込み、送信ボタンを四回押す。
ベルが四回鳴ると、駅員は送信ボタンを押し続け、ベルが一回鳴ったのを確認し、横川駅とのやり取りを終える。
今度は、軽井沢駅の駅員を専用電話で呼び出して、
「二一五一列車、閉塞」
と伝える。
後は同じように送信ボタンと解錠ボタンを押して、下側の引き出しからタブレットを取り出し、引き出しを戻した後に送信ボタンを一回押して、新たなタブレットを取り出したことを相手に伝える。
列車の運転士に新たなタブレットを手渡し、腕機式信号機とポイントをレバーで遠隔操作して、列車を出発させる。
列車が駅を発車して、軽井沢駅方面のトンネルに入っていくのを見届けてから、もう一度送信ボタンを押して、軽井沢駅の駅員に列車が定時発車したことを伝えた。
久松は、先程まで空腹を紛らわせていたことも忘れて駅員の作業を眺めていたが、そのうちに眠くなってきて、いつの間にか眠りに落ちてしまったようだ。
そして、目が覚めた瞬間に白のワンボックスカーにはねられ、後頭部を打って脳震盪を起こした。
久松は、一連の出来事を話した後、実は出版社に勤めているというのは嘘であり、都内の大企業に勤めていたが、企業の業績悪化による人員整理により、数日前にリストラされたと打ち明けた。
オレは、久松の嘘に憤りつつも、これからどうするつもりなのか尋ねた。
「う~ん、そうなんだけど……。今まであの会社で一生懸命で働いてきたのは、いったい何だったのだろうと思うとなあ……」
久松はそう言うと、頭を抱えこんで俯いた。
「まあ、早いとこ、次の仕事を見つけろよ」
オレはただ、そう言って彼を励ます他無かったのだった。