その日の晩、母親がキレた。
「着いたわよ」
母さんの少し疲れたような声でオレは目を覚ました。母さんが運転席のドアを開けた瞬間、冷たい風が吹き込んできた。オレはジャンパーをさっと羽織り、車を降りた。
二人がかりで自転車を後部座席から降ろした後、家の中に駆け込んだ。家に入るなり、
「もう、勝手にどこかへ行っちゃだめよ」
と母さんに言われたが、疲れが一気に出てきて、反論する気にもなれなかった。
そのままオレは二階の自室に篭ったが、三十分位経って、母さんが部屋に入ってきた。追い出すのも面倒なので入室を許した。先に口を開いたのはオレだった。
「なあ、どうしてオレの居場所が分かったんだ?」
車の中では気まずくて訊けなかったが、やはり気になって仕方がなかったので、思い切って訊いてみることにした。すると母さんは、大きなため息をついた。
「だいたい、あんたの行動は単純すぎるのよ。何か悩みがあるなら、話してくれたらいいのに……」
そして、オレを見つけるまでの経緯を話してくれた。オレがいなくなったことにいち早く気がついたのは、父さんだった。いつものように母さんは、朝五時に起きた。
朝食の支度をし、六時頃に父さんが起きた。オレも学校がある日は、同じぐらいの時間に起こされる。休日なら、父さんはだいたい八時半ごろに起きて、オレは昼前まで寝ている。いつもだいたいそんな感じなので、冬休み中のオレは当然、起きる時間がとても遅い。
七時頃、出勤しようとした父さんは異変に気がつく。そう、ガレージからオレの自転車が無くなっていたのである。だが、オレがいなくなったと聞いて慌てる母さんに対し、
「家出だろう、どうせそのうち帰ってくるさ」
と父さんはまったく気にする様子もなく、そのまま会社へ行ってしまったのだそうだ。
オレのことが心配な母さんは、見当のつく場所を探すことにした。久松の家に電話をかけたり、車で近所の公園や河川敷を探したりしたが、ついにオレを発見できなかった。途方に暮れた母さんは、ふとあることを思い出した。それはオレが以前、自転車で新宿まで遊びに行ったことだった。母さんは、まさかとは思いつつも新宿に向かい、駅前を彷徨っているオレを偶然発見したという次第である。
「もう、勝手に何処かへ行っちゃだめよ。心配するじゃないの」
母さんはオレの頭を優しく撫でてくれた。
「はいはい、分かったよ」
オレは適当に返事して、そのまま布団の中に潜り込んだ。
「うまくいかない事があっても、一人で抱え込んじゃだめよ」
母さんはオレに念を押すと、一階に降りて行った。
その日の夕食時、母さんと父さんは大喧嘩した。母さんは普段おとなしい人で、父さんには素直に従うことが多いのだが、この時はものすごい剣幕で怒っていた。
父さんは、いつも何かしらの理由でオレや母さんにつらく当たる。また、オレに対しては、何をするにしても口うるさく指図するのだ。とにかく、重箱の隅を突く様なことばかりだ。それが原因で、オレはいつしか、激しく反感を抱くようになったのだった。それでも母さんは、大して文句も言わず、ずっと我慢してきたのだった。
二人はダイニングでしばらく言い争っていたが、遂には母さんがキレた。
「もう、いい加減にしなさいよ! いつもいつも、私や孟司に八つ当たりして、あなたはいったい何がしたいのよ!?」
母さんはそう叫ぶなり父さんの胸倉を掴み、壁に押し付けた。
「何をするつもりだ!?」
父さんがそう言い終わらないうちに、母さんは思いっきり父さんの鳩尾を殴った。
「グヘッ、ウグッ…」
父さんは苦しさのあまり、思わずしゃがみ込んだ。
「これで終わると思うなよ!」
母さんはそう言うと、強制的に父さんをその場に立たせ、今度は股間を蹴り上げた。
「こっ、殺す気か……?」
母さんは、その問いには答えず、悶え苦しんでいる父さんを引きずり倒し、無茶苦茶に殴ったり蹴ったりした。父さんは鼻や口から血を流しながら、ヒーヒー悲鳴を挙げた。
「ああ、すっきりした」
母さんは自分の分の食器を片付けて、そそくさと風呂に入ってしまった。
「父さん、大丈夫か……?」
逃げた先の脱衣所からダイニングでの惨劇を見ていたオレは、倒れている父さんの元にそっと歩み寄った。
「ウウッ、だ、大丈夫だ……」
父さんは、何とか立ち上がるも足がおぼつかず、すぐその場に座り込んでしまった。オレは父さんを助け起こし、とりあえずリビングのソファーに座らせた。
「ティッシュを何枚か取ってくれ……」
父さんにティッシュを手渡すが、とにかくすごい量の出血で、なかなか止まらなかった。冷凍庫の氷を小さなビニール袋に詰めたものとティッシュペーパーを父さんに手渡した。
「すまないな、隆……」
父さんがそうつぶやくが、オレは素直に返答することもできず、その場に立ち尽くすしかなかった。しばらくしてなんとか口や鼻からの出血が収まった。
「自分の食器を片付けておけよ……」
父さんはオレにそう言うと台所の流しで顔を洗い始めた。
「まだ、食べ終わってねえよ……」
とオレは答えたが、食欲が失せてしまい食べる気にもなれなかった。
しばらくして母さんが風呂から出てくる物音がした。
「隆、風呂に入りなさい」
母さんが脱衣所からオレを呼んだので、
「は~い……」
と、オレは何事も無かったかのように返事をしたのだった。
北山の母親、めっちゃコエエエ!