翌朝、二人は一切言葉を交わさなかった。オレは、前夜のことで一睡もできなかった上に朝早くに目が覚めてしまい、気まずい雰囲気の中で朝食を食べざるを得なかった。
朝食後、父さんは痣だらけの顔で出勤した。オレは、母さんが何やらブツブツ言っているのを尻目に服を着替えた。リビングでくつろいでいると、何か小言を言われそうで嫌だったので、すぐさま二階の自室に籠った。
「ああ、もうそろそろ真剣に受験勉強しないとまずい時期だよなあ……」
オレは、教科書や参考書、ノートを本棚から取り出し、机の上に置いた。椅子に座ったものの、勉強する気にもなれず、ラジカセの電源を入れ、適当にチューニングをまわした。何処の局に合わせてみるも、つまらない番組しかやっていない。
「しかし、今更頑張っても手遅れだよなあ……」
そもそも、オレは大した人間では無い。 何かを実行するにしても必ず、くだらないミスを連発。うまくいかないことがあると、すぐに人や物のせいにしてしまう。
また、終わったことをいつまでもグズグズと引きずって、なかなか次の行動に移ることができない。優柔不断で不器用だと言わざるを得ない。だから、父さんはオレを罵倒し、母さんは色々と思い悩んでいるのだろう。
「オレって本当に駄目な奴だなあ。なんで、この世に生まれて来たんだろう……」
己の情けなさに非常に腹が立つ。いっそのこと、死んでしまったほうがいいのではないか。思い切って死んでしまえば、色々と思い悩むことも無くなるだろう。でも、死ぬのは非常に怖い。いったいどうすれば、楽に死ねるのだろうか。
色々と方法を考えてみるが、どれも実行するには勇気が要る。死に損ねて重い後遺症が残ってしまったら、余計に周囲の人間に迷惑を掛けてしまう。かといって、このまま生き続けても苦しい思いをするだけだ。
ふと、時計を見ると結構時間が経っていた。
「あっ、もうこんなに時間が経っているじゃないか……」
くだらないことを考えて時間を潰していても何の解決にもならない。それに、さっさと勉強に取り掛からないと、様子を見に来た母さんに何を言われるか分からない。母さんの小言を聞かされるのは嫌なので、英単語の暗記をすることにした。
「えっと、あれっ、この単語の意味って何だっけ?」
普段あまり勉強をしていないせいか、忘れている単語が多く、結局思い出せたのはごく僅かだった。おかげで、一から覚え直す羽目になった。
日ごろの積み重ねの大切さを改めて痛感させられたのだった。次第に調子が出てきて、他の科目の勉強も始めると、あっという間に時間が過ぎていった。
「隆、お昼も食べないで何やってんの?」
ふと誰かの気配を感じて振り向くと、母さんが少し不機嫌そうな顔でオレの背後に立っていた。
「ノックぐらいしろよ、まったく……」
ふと窓の外を見れば、日が西に傾いていた。
「あっ、もう夕方か……。ごめん、勉強していたら昼飯食べ損ねた……」
母さんは、仕方なさそうにため息をつき、
「晩御飯ができたら呼ぶから、すぐに降りてきなさい。食べないで寝るのはだめよ」
と、釘を刺した。
「はいはい、分かったよ」
オレが適当に返事をすると、少し拗ねたような態度で部屋から出ていった。
夕食も朝食と同じように、父さんと母さんは口を利かなかった。あまり気にしても仕方がないので、速やかに夕食を平らげて、風呂に入った。
湯に浸かりながら色んなことを考えていたが、だんだん嫌気が差してきた。
「ああもうっ! イライラするぜ!」
苛立ちが頂点に達し、思わず大きな声で叫んだ。
「一体、どうしたんだ? 急に叫んで」
父さんは話を中断し、オレの様子を見に来たが、いちいち答えるのも面倒だ。
「何でもねえよ」
オレがあっちに行けと手を振ると、少し悲しそうな表情で扉を閉じた。
風呂から上がり、寝間着に着替えてダイニングに向かうと、二人はテーブルに突っ伏していた。どうやら、酒を飲みながら話していて、そのまま眠り込んでしまったらしい。グラスの中の氷は溶けてすっかり小さくなっていた。
「まったく、片付けぐらいしろよな……」
オレはそっと、空になった皿を台所の流しへ持っていくことにした。 二人は全く起き上がろうともせず、スース―寝息を立てていた。
できるだけ物音を立てないように注意しながら皿を片付けた後、脱衣所の流しで歯を磨き、すぐさま自室へと向かった。しかし、勉強をする気にはなれず、ラジカセの電源を入れ、ボリュームを小さくし、ベッドに寝転んだ。
ちょうど、ジャズばかりを流す番組をやっていた。軽やかなピアノの音やドラムの音、コントラバスの音が眠気を誘う。
「さてと、今日は結構頑張ったし、もう寝るか……。」
午前中悩んでいたことを思い出し、あまりのくだらなさに苦笑したり、色々なことを想像したりしつつ、電気を消して眠りについた。
翌朝、さわやかな音楽と共に目覚めたオレは、ラジカセの電源を切り、カーテンを開け放った。冬の弱弱しい朝日が、結露の生じた窓を通して部屋の中に差し込んでくる。大きな伸びをした後、部屋を出て階段をそっと降りた。
台所では、母さんがいつものように朝食と弁当を作っていた。父さんは、ダイニングで新聞を読みながら、コーヒーを飲んでいる。
「おはよう……」
いつもは父さんとあまり口を利かないオレだが、このときは自然と言葉が出た。
「ああ、おはよう……」
父さんは、オレのほうを少しだけ見ると、新聞に目線を戻した。
「はい、弁当」
母さんが、少々不機嫌そうに父さんの分の弁当箱をテーブルの上に置いた。
「ああ……」
父さんは母さんに全く目を合わせようとしない。
「いい加減、仲直りしない?」
母さんがふと、そう言った。
「そうだな、このままじゃ孟司とも仲直りできないな」
父さんはそう言うと、母さんを抱き寄せた。
「今まで二人につらく当たって済まなかったな……」
「今までのことはもういいわよ……」
二人はなぜか目に涙を浮かべていた。
「まったく、なんでそこで泣くかなあ?」
オレは大きなため息をつきながらも、心の内では二人が仲直りしたことに安心したのだった。
北山の両親、仲が良いんだか悪いんだかはっきりしない人達だなあwww