「そう、催眠アプリ。このタブレットの画面を見ているとユウカは段々エンジニア部の部費を増やしたくなる……」
「なるわけないでしょ。何よこれ」
「だから催眠アプリだってば」
「それはわかったから!」
ミレニアムサイレンススクールの某所、数人の生徒が話し合っている。声を荒らげる少女、早瀬ユウカと相対するはエンジニア部の部員である白石ウタハ、猫塚ヒビキ、豊見コトリの3人。そしてエンジニア部の所属ではない少女がもう1人。
「そのアプリの効果は本物だよ」
「ハレ、どうしてあなたがここに……?」
「まぁ、成り行きで?」
「なんで疑問形なの?」
小鈎ハレ。ミレニアムサイレンススクールのハッカー集団『ヴェリタス』所属の天才ハッカーである。ダウナー気味な彼女だが今日はいつもと違い元気な様子である。当社比、という枕詞が付くのを忘れてはならない。
「で、そろそろ状況を説明してくれないかしら。急に呼び出されたかと思えば、こんなことに私を付き合わせている理由は?」
「はい!」
ユウカは苛立ちを隠そうともせずにエンジニア部の面々に鋭い視線を送った。そんな様子に物怖じもせずに元気よく返事をしたのはコトリだ。
「先日我々エンジニア部が作り出したこの『催眠アプリ』なのですが、なんと全く効果を発揮しなかったのです。設計に間違いはなかったはずなのですが、作動しても誰も催眠にかかってくれません…。今のところハレ先輩にかけた『段々眠くなる催眠』以外は成功例がありません」
「9日ぶりの睡眠はとても気持ちよかったよ」
「それ本当に催眠アプリの効果なの……?」
ユウカの疑問はスルーされた。
「失敗かと思いましたがハレ先輩という成功例があるのも事実。そこで手当り次第色んな人に試してみようということになったのです」
「そういうこと。まったく、なにやってんだか……」
ユウカは呆れのあまりため息を漏らした。正直にいうとユウカ自身興味がなかったわけではなく、これがもし本物であれば次の予算はエンジニア部に多少多めに流してもいいと思っていた。
なにせ人を思い通りに動かせるアプリなのだ、完成すればミレニアムサイレンススクールのキヴォトスでの影響力もバカに出来なくなる。
早瀬ユウカという少女はミレニアムサイレンススクールの生徒会こと『セミナー』の会計という立場もあり、ミレニアムという学校の利益を考えることも少なくない。
「ユウカも協力してくれないかい?私たちだけじゃ手が回らないし、ユウカは交友関係も広いだろう?」
「ウタハ先輩、あなたはその広い交友関係を壊そうとしているんですが」
「なに、悪戯みたいなものじゃないか」
「これきっかけで他校と関係が悪くなるとか、考えたくもないわ……」
「それに、試すこともせずにアプローチのひとつを棄却するのがミレニアムサイレンススクールのやり方なのかい?いつだって発明は思いもよらぬ発想と偶然から生まれるものさ」
「う、それはそうかもしれないけど……」
ユウカはウタハから目をそらす。するとタブレットを構えたヒビキがそこには立っていた。
「ユウカは段々私たちに協力したくなる」
「ああもう!わかったわよ!でも事情は全部説明してから使うこと!いい?」
「うん、わかったよ」
最後は押しに弱いユウカが折れる形で実験に協力することになった。まぁ爆発なんか起こして修繕費がかかるよりはマシか、と心の中でユウカは自分を納得させたが基準がマイナスになっていることには気づかなかった。
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「それでこのタブレットを押し付けられたってわけ」
「なるほど、しかし催眠ですか……」
ユウカは机にタブレットを置いた。普段使っているものと見比べても大して違いはない。
「どうしてそんなものを作ったんでしょうか?」
人差し指を唇に当て、もう1人の少女は首を傾げる。透き通るように白く、腰まで伸びた髪が彼女の動きに合わせて揺れた。ユウカはユラユラと揺れる髪を無意識のうちに目で追っていた。
彼女の名は生塩ノア。ユウカと同じくセミナーに所属している生徒であり、書記を担当している。ユウカとは仲が良く、こうして愚痴を聞いたり相談に乗ったりと何かとユウカのことを気にかけているようだ。
「さぁ?いつもの思いつきでしょ、どうせ」
「ふむ……まぁ、そうかもしれませんね。それで、ユウカちゃんはもし催眠が成功したら誰に何をさせたいんですか?」
「え、それは……えーっと……」
ノアの質問にユウカは考え込んだ。ユウカにしてみれば計算外もいいところである、なにせ成功するなんて微塵も思っていなかったのだから。取らぬ狸の皮算用、という言葉の通りユウカは架空の狸を捕まえたあとのことなど考えていなかった。
「他校との交渉の場に持っていったりとか……?」
「わあ、思ったよりすごい答えが返ってきちゃいましたね」
「じょ、冗談よ冗談!うん、倫理的に良くないわよねそういうのは……うん……」
「私はユウカちゃんのそういうところも好きですよ」
「どういうところよ!」
クスクスと笑うノア。ユウカはからかわれているのだと思っているが、彼女にしてみればちゃんと本気の言葉である。
ユウカは合理的な判断を好む性格ではあるが、年相応に俗っぽいところがある。目先の欲に目が眩むこともあれば、自分の計算能力の高さを誇り他者に自慢することだってある。つまるところ等身大の少女であり、人格者であるというわけではないのだ。
そういう意味では横で笑っているノアの方が、年不相応に理性的であるといえる。そして倫理から外れる判断をする時も、あくまで理性的に、より合理的に。だからこそ理屈を好み冷静であろうとするが、結局最後は人情家で感情的なユウカのことをとても好ましく思っているのだ。
「てっきり私は、先生に……」
「わあああああ!?何言い出すのよ!!」
先生、というワードが出た途端にユウカが大声で遮る。
「まだ何も言ってませんよ?」
「もうほぼ口から出かけてたわよ!」
明らかに過剰な反応だった。ノアからしてみれば計算通り、完璧……な反応だったのは違いないが。
「変なこと言わないでよ……明日シャーレの当番なんだから」
「あら、じゃあ丁度いいじゃないですか」
「ちょっと、本気で言ってるの!?」
「もちろん。あの先生のことですから、案外乗り気で付き合ってくれるかもしれませんよ?」
「それは……そうかもしれないけど」
ユウカの頭に浮かんだ人物は笑顔で目を輝かせていた。
「それにもし上手くいけば……ねぇ?」
「ノア!!!」
再演である。
「まだ何も言ってませんよ?」
「さっきやったじゃないこれ!」
ノアから目を逸らす。ユウカはそんな卑怯な手は使わない……と自分では思っている。なりふり構ってられない状況になってしまえば、もちろん保証は出来ない。
「いいんですか?モジモジしてるうちに他の娘に取られちゃうかもしれませんよ?」
「それは!良くない……けど……」
「それに、好みを聞いたりとか自分のことをどう思ってるかとか、それくらい普通の女の子なら誰だって聞いてると思いますよ?」
「そう、かしら……まあでも、それくらいなら……」
ノアはユウカの返答にうんうんと満足気に頷いた。
「そうと決まれば善は急げ、ですね。ユウカちゃん、応援してますよ」
「も、もう!…………ありがとう、ノア」
顔を赤くしながらも礼を言うユウカに、ノアはにこりと微笑んだ。
「こんな素直で可愛くて照れ屋で真面目なユウカちゃんを選ばないとか、ありえませんよね普通に」
結構過激派なノアだった。