私、後藤もうひとり。残念なことに本名だ。この名前で十五年やってきている。
自分の名前に思うところがないと言えば嘘になる。
私たちは一卵性の双子だった。姉の方は一人目の子供だからひとり。予定外にもうひとり産まれることになったから。妹である私の名前はもうひとり。両親の単純なネーミングだ。
流石にひらがなの並びが五文字あると呼びづらいとか、思わなかったのだろうか。
最近では『もとり』と略されるまでになってきた。最初からその名前を付けておけよ、と思わんでもない。
自分のこの名前が、私はどうしようもなく嫌いである。
姉の方に、名前の主格がある気がして、まるで私は引き立て役みたいだ。
それが嫌いである。
双子であるという事実は、足枷でしかない。
私は、大抵の分野で姉より優れている自覚がある。
私がテストで百点を取る時、姉は決まって十点かそこらの最低レベルの点数を叩きだすし。
友達の数だって、私の方が多い。姉はいつもぼっちだ。友達なんてできた試しがない。
超が付くほどコミュ障で、私が居ないと他者とのコミュニケーションが図れないし。
人として、色々と終わっている。
世界が生んだダメ人間、それが後藤ひとり。
残念なことにそれが私の姉で、それの介護を押し付けられているのがかわいそうなもうひとり――、もとい『もとり』である。
後藤ひとりはダメ人間だ。
とんでもないダメ人間だ。
後藤ひとりはコミュ障なんて言葉ではとうてい表しきれないほど、他者とのコミュニケーションが図れなくて、人と話す時は大抵私に助けを求める。多分、病院にかかれば病名が付く。多分世界的にも珍しい症例で、きっと姉が初めての罹患者だから、姉の名前がその病名に付くに違いない。『ひとり病』だとか。私は絶対かかりたくない。
おまけに後藤ひとりは立っても座っても姿勢が悪いし、猫背はどれだけ指摘しても治らないし、挙動不審で奇行にすぐ走る。傍目から見てドン引くくらいには。母の遺伝子の影響らしい。その遺伝子が少なからず自分に刻まれていることに恐怖を覚える。
後藤ひとりのダメっぷりを表すには、あまりにも頭の余白が足りない。多分後藤ひとりのヤバいところを書き連ねたら、ノート一冊埋まってしまう。
私は、そんな姉のことが嫌いだ。
とことんダメな、姉のことが、大嫌いだ。
介護されなきゃ生きていけない、ひ弱な生き物。
これで私が生まれてなければどうするつもりだったのか。
私に頼りきりの姉に訊いてみたい。
――貴方はひとりで、何ができるの? って。
流石に意地が悪いし、性格の悪さが露呈する質問がすぎる。
自分でも分かっている。分かっているけど、分かっていたけど、小学生の頃の自分は聞いてしまった。
『お姉ちゃんは自分で、何もできないの?』
その言葉に、姉は大層ショックを受けたらしい。
結果、引きこもった。
引きこもりに引きこもり、引きこもりを重ね――、中学校生活、まさかの登校日数0日。
罪悪感が、ないわけではない。
正直に言ってしまえば、姉の現状は自分のせいではないかという自覚がある。
というか、絶対に私のせいだ。
姉が学校に行かなくなったのは、私のせいだ。
昔からそうだった。
自分は、頼られるとやってしまう。
私は昔から、姉の代わりに、いろんなことをやってきた。
姉の代わりの、もうひとり。それが私。
やりすぎた結果が、これだ。
姉の成長の機会を、私が奪ってしまったのだ。
姉の代わりに喋った。
姉の代わりに助けた。
姉の代わりに動いた。
そのせいで、姉は、何もできずになって。
実に差別的な、悪意の言葉に晒された。
『ひとりちゃんって、もとりちゃんがいないと何もできないね』
そんなことを、誰かに言われた。
私も思っていたことだ。そもそも私が進んでやったことなのに。
その矢先のあの言葉だから、姉がひきこもるのも当然の結果と言えるのかもしれない。
自分の手足が、急に反抗の意思を示したのだ。
まぁ、それは、そうか。そうなるか。
――姉の部屋からはいつも、ギターの音が聞こえる。
1年間ほど無気力に何もしないでいたことを危惧した両親が、孤独を和らげるたすけになればと思って、買い与えたギター。
何もしないよりは、何かした方がいい。
それは至極当然のことで、父は熱心に姉にギターを教えて、姉もそれに応えた。
あわよくば、と父は思ったのだろう。
過去に自分が成し遂げれなかった夢の世界を、姉に遂げてほしい。
ギター一本で食っていくことが、父の夢だったらしい。
母には定職に就かないと別れる、と脅され、泣く泣く断念したらしいが。
姉は、幸いと言うべきか、傍から見ても分かるほどにギターの才能に溢れていた。
姉は勘違いしている。昔から、ずっと。
自分が両親を笑顔にする方法は、ギターしかないって。
まるで、取り付かれたみたいに。
姉は、縋るようにギターを弾く。
姉の話によれば、一日十八時間、ギターを弾いているらしい。
「は?」
私は当然愕然とした。
頭おかしいのかお前は。
私は思う。
でも姉は言った。
ダメな自分を救うには、ギターしかないのだと。
ギターでダメな自分すら救う、『ギターヒーロー』になるには、それしかないのだと。
姉は、縋るように、そう語る。
説得した日があった。
学校に行けと。私が、助けてやるからと。
「いかない」
その時だけ、姉は普段曖昧な意思を確固たるものにして告げる。
なんで、と聞くと、彼女は決まってこう返す。
「――そこにはもう、『ひとり』が居るでしょ」
実にその通り。
だから思う。
双子であるという事実は、姉にとって足枷でしかない。
姉が、少しでも、強く生きるための、足枷。
ギター一本に、縋るしかなくなってしまった、姉の足枷。
それ以外の選択肢を、幼い頃の私が潰してしまった。
姉は凄い。
ギターに関しては、どうしようもなく、ただ凄い。
隣の部屋から聞こえてくる旋律に感嘆の意を漏らす。
一つのことを極めぬいた人間は、強い。
『guitarhero』――チャンネル登録者数、100万人。
認めざるを得ない。
姉は、天才だ。
ネットで生きる天才。ネットでしか生きられない、天才。
ギター一本でそこまでいった。
姉を称えて、認める声がネットにはある。
世界一ギターが上手いとまで言わしめる。
実際、そう思う。
姉は、世界一ギターが上手い。
金は広告収入やらでがっぽり入ってくる。
メディアからも注目を集めている。取材に応じたことは、一回もないけれど。
それを職業にするのは、悪くないと思うけどさ。
「……お姉ちゃん」
現実もそこまで悪くないよ。
――ネットで生きる
どうしても、思う。
「――たまには、一緒にご飯食べようよ」
姉の部屋からのギターの音。
それに反発するように声を上げたけれど、ギターの音が響くのみ。
「お姉ちゃん!」
聞こえない、と現実に反発するように、また強くギターの音が響く。
扉越しなのに、どうしようもなくこの距離が、月よりも遠い。
もう朝ごはんの時間だ。毎回、部屋の前においておけば、勝手に食べる。
そういう生態なのは、分かっているけれど。
返事に期待して、何分も待った。
何もない。ただ聞こえるのは、感情任せなギターの音。
「……私、もう行くけど。ご飯は、置いとくから」
今日は、高校の制服に身を包み、私が高校一年生になる日である。
高校の入学式。どうやら姉はついてこないらしい。
メッセージでのやり取りがほとんどだ。姉の声は、大分昔から聞いていない。
「ねぇ、お姉ちゃん」
扉から、目を逸らしきれずに、言葉が漏れる。
「私、高校生になったよ」
意外なことに、そこでギターの音が止まる。
「……そう、なんだ」
意外にも返答があった。
「お姉ちゃんは、何になるの?」
「――『ギターヒーロー』」
それを最後に、またもやギターの音がかき鳴らされる。
会話の終了の合図のつもりか。もうすこしうまく会話できないのか。
出来るわけないか。一日十八時間をギターに捧げる女のコミュ力なんて、たかが知れていた。
会話を期待していたわけではないから、予想外の言葉が嬉しかったけど、もう少し会話をしてほしいという気持ちがないわけじゃない。
問題の先送りだという自覚はある。
本来なら、更生施設やらにぶち込むべきなのだ、この姉を。
でも、まぁ、私のだから。
双子に生まれた私のせいだから。
後藤もうひとり。
自分の名前が、私はどうしようもなく嫌いである。
姉の代わりに、私はなれてしまうから。姉が座るはずだった席に、もう私が座ってしまっているから。
姉が縋るものを、それ以外に無くしてしまったから。
「――双子になんか、産まれなきゃよかったね」
後藤ひとり。私のダメな姉。
私が、ダメにした姉。
ギターの音色が、部屋から漏れるけど。
つくづく思う。
「その音で、お姉ちゃんは救われるの?」
その音色は、時に言葉より雄弁に感情を語る。
世界は『ギターヒーロー』と彼女をはやし立てるけど、私はそうは思わない。
私にしてみれば、後藤ひとりは。
ちっぽけで、ギター以外に何もできない、等身大の人でしかない。
世界に思われるほど、後藤ひとりは凄い存在じゃない。
――自分すら救えない人を、私は英雄なんて呼んでやらない。
ただ私のアイデアを出したくなっただけ。
よっぽど好評じゃない限り続かない。
エタる。ではッ!