私は凄い気分屋なんだ。
ギターヒーローは下北沢の往来で死にかけていました。
単純に日差しの強さに耐え切れず、身体が液状に溶け、排水溝に流されかけたところを妹に助けられ、死に瀕したことも関係あるが、それだけではありません。
知らない土地に、足を踏み入れているのでした。
こみあげてくるものがある。喉から。
俗にいうゲロである。知らない空気と人の気配に、吐きそうになっています。
後藤ひとりは、病院で診断された病名を思い出していました。
『うつ病』『解離性障害』『強迫性障害』『睡眠障害』『摂食障害』『双極性障害』『統合失調症』……etc。
詳しく言うならまだあるが、とにかくひとりが認識すべき事柄は、色々な精神疾患が併発してやべーことになっている、ということです。
自分の身体は、自分が思っている以上にヤバいことになっている。
まず、寝れなかった。
目を瞑っても、瞼の裏に恐ろしい悪夢を見た。
主に、もとりが死んでいたり、殺されたり、叫んでいたり、もだえていたり。
自身の分身ともいえる存在が、ひたすらに苦痛の下にさらされる。
怖くて、目も瞑ることも億劫だ。
傍にもとりが居なければ、目を瞑ることすらできなかった。
だから、眠るときは、もとりが傍に居なければいけない。
なんて不甲斐ない姉だろう。
もとりの隣で、枕を濡らしていることにはとっくに気づかれていて、後ろから抱きしめられる温もりに、更に泣きたくなった。
次に、食べれなかった。
口に入れても、身体が栄養を拒否した。
好きだったものが食べれなくなったし、嫌いなモノの味も感じなくなった。
それに今まで気づかなかったのは、ギターを弾き続ける日々に、食事の味を感じる必要が無かったからだろう。
どんなものにも味がなく、無味乾燥とした食事を送らなければいけなかった。
しかし、例外として、もとりが作ったものには味があった。
どういう訳か、何故だか知らないが。
とっても、美味しく感じる。もとりが作ったおにぎりに、涙をこぼしたひとりを見て、何か決意した表情になった、もとりは言った。
「これからは、お姉ちゃんのご飯、毎日私が作るから」
なんて不甲斐ない姉だろう。
もとりの食事に、不器用な笑みを浮かべるひとりは、彼女の寄生虫に過ぎない。
ああ、とても気持ち悪い。
最後に、外に出れなかった。
家の外はとても怖くて、空に無数の目があった。
瞳。単眼、赤い虹彩をしているソレは、ひとりの動向をどこまでも、どこまでも追い続ける。
空は、青いはずなのに、赤い、血と同じ色。
幻覚だ。そう分かっているけど、ダメだった。
雲には人の表情が張り付いている。雨は人が流した血の涙。
そう、見える。
もとりと、手を繋げば、そんなことは無かった。
そらはあおかった。
晴天が、眩しく見えた。
歌詞で何度も慣れ親しんだフレーズは、実際に体感することで、素晴らしい物だと思った。
もとりと手を繋いで、誰もいない早朝の街を歩いた。
それが久しぶりの外出となった。
散歩と変わりのない、ソレは数年ぶりのまともな運動。
外の空気は、室内の薄暗い空気と違った。
気持ちが良いということを、久方ぶりに実感した。
妹と、手を繋いで、歩いた。
妹の先輩がやるというライブに誘われたが、流石に行く勇気が無かった。
妹はその先輩に謝罪のメールを送ったらしい。
『行けなくなりました。ごめんなさい』。
そんなメールを送らせたのは、全部ひとりの責任であった。
気持ち、悪い。
やはり、こみあげてくるものがある。
そもそも、今、何故一人で。
ぐるぐる、思考が回ります。
下北には、ついに壊れてしまったギターの代わりを買いに来ました。
何年も何年も、引き続けたのだから、壊れるのも当然でした。
お金は無駄にあったので、妹の先輩の勧めの楽器ショップに訪れようとしていた。
ここまでは良かったはず。
何故、今、ひとりで、ベンチに座って。
冷静に考えれば、思い出した。
もとりの帰りを待っているのだ。
(そうだった。お手洗い中だ、もとりは)
パニックに陥るまで、離れてたった数十秒でした。
流石のひとりもトイレにまでついていくわけにはいかず、姉としての意地として、公園の、ベンチにとどまる姿勢を見せましたが、さっそく吐き気が襲い、空も元の色を取り戻す始末。
一分も目を離していない。それにもかかわらず、コレ。
自分でも自分が信じられない。
それでも止まらない、吐き気。
いつもならもう少しマシだと思うけど、どうしてこんなにひどいんだっけ。
分からない。
ひとりは、馬鹿だから。
誰かに委ねることでしか、生きることが出来ない寄生虫だから。
自分でも自覚している通り、色々と人として終わっている。
お医者さんには、ゆっくり直していくしかないと言われました。
頑張って、生きたいと思います。
それでも、難しいのです。
一か月くらい、地元で慣らして、ようやく訪れた下北沢。
(どうしていつも、うまくいかないんだろ)
分からない。
空から目を伏せることしか、いまのひとりにはできない。
(太陽は、私を殺したいのかな……)
一つ歌詞を思いついて、ああでも、意味がないかとひとりごちる。
その時でした。
「もとりちゃんっ! 大丈夫!?」
聞きなじみしかない名前を呼ぶ、知らない誰かの声。
目の前に差し出された水が入ったペットボトル。
遠巻きに見て、調子が悪いことは十分伝わったらしく、彼女は心配そうにしていた。
こちらを視認して、即座に行動を決めたらしい。
買ったばかりのペットボトル。急に駆け出したせいで荒い息。
もとりの知り合いなのだろうとひとりは思いました。
しかし、
「ぁ。ぅぇっと。ぇ、ぃぃぇいぁっでぇぅぁさぃ」
「え、何て?」
喋れませんでした。
後藤ひとりは、家族以外の人間と喋ることが出来ません。
『あ、えっと。気にしないでください』
その発音すらできません。
呂律が完全に死んでいました。
人間として、完全に終わっている。
その姿を目にしても尚、目の前の彼女は失望することはありませんでした。
「とりあえず水飲んで水!」
ごきゅり、と水を飲んで。
乾いた喉が急激に潤されて、なんだか少し落ち着いてきました。
落ち着いた視界で、彼女の姿を捉えると、なんだか可愛らしいな、と思いました。
とってもかわいい顔をしています。
お人形みたいです。
不思議なことに、そこまで怖くありません。
初対面の人とは、目も合わせられないのに、目が合っても、そこまで怖くない。
どうしてだろうと、不思議に思いました。
相手もやはり、不思議に思ったようでした。
「あれ? 髪の色が少し違う……?」
長年の引きこもり生活を送る中で、元の綺麗なピンクの髪はくすんで、桃色に灰色を少し混ぜた、冴えない色合いをしています。
その違和感に相手が気づいたのでしょう。
その瞬間にもとりは現れました。
「あれ、お姉ちゃん。と、虹夏先輩?」
待望のもとりに視線を向けるひとりと、状況をようやく把握したらしい虹夏。
「双子のお姉ちゃんって、この子がーー?」
「はい。社会不適合者の姉です」
「ひっ、酷い」
「事実でしょ、お姉ちゃん」
とにかく、それが少し遅くなった二人の出会いでした。
ひとりがやばいくらい病気にかかってる件。
もう終わりだよ。。。
次回、ようやくもとりに視点が戻ります。
虹夏によるひとりのメンタルケアにご期待ください。