さりなげなくランキングにいて草なんだ。
もっと伸びろ。
ドアがコンコン、とノックされる。これは部屋に入っていいか、と問うものではなくただ単に会話を求めるときの合図だ。
半ば私はいろいろと諦められていて――、本当に諦めてくれればよかったのだけど。
もうひとりは、諦めてくれない。
要件は大体把握できていて、だから嫌だった。
いつものようにギターをかき鳴らして無視する選択肢もあったけど、スマホのメッセージで念入りに『話がある』と言われたら気づかなかったことにするのは無理だし、もうひとりを無下にするのも嫌だったので、ノックが聞こえた瞬間から私は演奏を止めた。
演奏が止まる=「何?」というコミュニケーションである。
最初の一言は絶対に噛んでしまうので、もとりの間での取り決めで制定された。
自分のコミュ力の低さに泣きそうになったけど、続く言葉にさらに私は泣きそうになった。
「お姉ちゃん。先輩からライブチケット貰ったんだけどよかったら――」
「いかない」
なんでそんな酷いことを言うのか。
外に出ろ、とつまりはそういうことか。
貴方は、私がどれだけ惨めな思いを抱えてギターを弾いているのか想像もできないんだろうな。
そう内心で吐き捨てたけど、実際に言葉に出すわけもなくて、そこで会話は終わってしまう。
こういう時、自分は何も言えないから、もとりの方から会話を切り出す。
申し訳ないとは思うけど、どうしようもない。もとりは努めて明るく会話を続ける。
「でもお姉ちゃんバンドに興味あるんでしょ? もしよかったら一緒にさ~」
「私が興味あるのはバンドじゃなくて、今人気がある曲だよ。……もとり。悪いけど他の人と行って」
「で、でも。私がちゃんと一緒についていくから――」
もとりは私をこの暗い部屋から連れ出すための言葉を必死に紡ごうとするけど、それは暗に『もとりについていってもらわないとまともに外にすら出れない』私のどうしようもない性分を表していて、あっもうダメだ考えるだけで自分が惨めで仕方なくなる。
「……放っておいてよ」
後藤ひとりの『ありのまま』なんて誰に見せるんだ。
どうしようもない現実から目を逸らすんだ。そのためにギターを弾いているんだ。
外になんて出たくない。
私は『ギターヒーロー』。その名前だけで十分だ。
それなのに、もうひとりは。
「じゃあせめて、たまには一緒にご飯食べよ?」
後藤ひとりを、諦めてくれない。
誰にも気づかれない私を、必死に掬い取ろうとする。
眩しい。
言葉の端々が、私を助けようとするその言葉が、熱烈に言葉を投げかけるその姿勢が。
眩しい。
閉じられたドアの、隙間から漏れる光が、余計に私を惨めにする。
――貴方がそんなに光るから、私のダサい影がより色濃くなってしまう。
どうして、そんなに輝けるのか。
一応は同じ遺伝子を持っているはずなのに、どこで決定的に違うんだ。
分かってる。
私も本当は分かってる。
ギターを弾くのは、ただの現実逃避だ。
怖いんだ。
情けと同情と憐憫と妥協と諦観と失望といろんな情報の入り混じった瞳の前に私を晒すのが、ずっと怖いんだ。
息もできない情報の圧力が、ずっとずっと怖いんだ。
外に出たとき、どんな瞳が私を迎え入れるか分からなくて、それもとても怖いんだ。
欠けた爪で鉄を弾いても、何かが変わって見えることなんてないし、画面の向こうの承認は、結局私を救うことなんてないから、どうしようもないことを、自分が一番分かっているのだ。
どうしようもない、どうしようもないから目を逸らしているのに、もとりだけは現実を突き付けてくる。
ネットの皆も、両親だって私に優しくて、しっかりと生き様を肯定してくれるのに、彼女だけは何故か私を認めてくれない。
「……な、んで?」
ふと、声が漏れてしまった。
「どうしてもとりは、そんなに私に構うの?」
疑問だ。純然たる、ずっと昔から思っていた疑問。
どう考えてもお荷物としか言えない私を、彼女はどうやっても見捨てることがない。
誰もが私を見なかったことにするとき、彼女は私をしっかり見ていて注意する。
それが、分からない。
なんで、私なんか、構うのか。
それが、ずっと分からない。
私のことが嫌いなら、ずうっと放っておけばいいのに。
「――。え、だって私、妹だよ?」
何でもないように、彼女は当然のようにそう返す。
「お姉ちゃんに構うのは、私が妹だから。それだけだけど」
それだけの理由で、彼女は私を見捨ててくれないのか。
「理屈が欲しいの? ダメ人間を更生させたいのも確かに一つの理由ではあるけど」
「だ、ダメ人間……」
「ダメ人間じゃないとでも?」
「わ、分かってるけど」
「私までお姉ちゃんを認めちゃったら、きっとお姉ちゃんは現状に甘んじちゃうでしょ? だから、私はお姉ちゃんを認めたくないの」
ぽつり、彼女はそう零す。
私のことを認めないもうひとりの内情を聞いたのは、思えばこれが初めてだった。
「現実も悪くないよ、お姉ちゃん」
優しい声に、心が揺らされる。
だけど、私は現実を受容できない。
「……ねぇ、もとり」
「ん、何?」
「ギターを弾かない私に、何の価値があるの?」
「は?」
「『ギターヒーロー』じゃない私はダメなの。どうしようもないクズだから。分かってるでしょ、もとり。ギターがない私なんて、所詮もとりの劣化互換だよ」
「はぁ? 何言ってんのお姉ちゃん。確かにお姉ちゃんはダメダメかもしれないけど――」
「分かるでしょ、分かってるでしょ。もとり。私を助けてきた貴方が一番わかってるくせに、なんで突きつけてくれないの。私はもとりの劣化品だよ」
分かってる。この言い方がズルいことも、彼女はこの言葉にかえすことばを持っていないことも。
全部わかってて、だから私はそんな言い方をした。
「気持ちは本当に嬉しい。でも、私からギターを取り上げたら、そこにいるのはどうしようもない人間になっちゃうの。それを認めたくないから、だから、私は『ギターヒーロー』にならないといけないの」
どうしようもない、自分から目を逸らすためには、私はギターを弾くしかない。
現実なんて見たくない。隣でもうひとりが私を助ける必要があるくらいなら、外になんて出たくない。
私のために、自分を犠牲にしないでほしい。
だって、貴方はもうひとり。
私が夢に描いたような、理想の“ひとり”なんだから。
貴方がどこかに生きているだけで私は自分を慰められるから、私はもう、ひとりでいいの。
なのに、貴方は私を諦めない。
「でも、私のお姉ちゃんは、ひとりだけだよ」
「……」
「……ふたりも、たまには遊びたいって言ってたよ」
「……ッ」
扉の向こうで、座っていたであろうもとりが、立ち上がる音がした。
「じゃ、また明日も来るから」
「……来なくていいよ」
彼女は私の言葉に反応せずに、そのまま去っていく。
きっと明日も来るのだろう。
明日ももとりは眩しくて、私のダサい影を濃くするのだろう。
いつか光に目を焼かれて、ドアノブに手をかける日は来るのだろうか。
そんなことはない。
今更、私は何者かになることはない。
私は『ギターヒーロー』。
今日も殴り書きみたいな音で叫ぶのだ。
――私は、どこにもいないことを。
明るい場所を求めてなんかない。
そこに存在するのが怖いから、私は今日もネットの深くに潜ってギターを弾く。
誰にも言わない筈だった言葉は、今日もネットの海に投稿される。
わたしはもう、ひとりでいい。
重い。湿度が高い。
うわぁ……