失禁ゼニスの黄金譚:変態能力における青春と倒錯的情動 作:マグルマン
◆◇◆
右に天真爛漫で誰からも愛される大貴族の令嬢が居たとして。
左に『相手を失禁させる』力を持つ平民出身の卑劣漢が居たとして。
その男の前で彼女がお漏らしをした時、一体誰が男の無実を認めてくれるというのか。
駆け付けたアイナ様の取り巻きは、演習場の地面に吸い込まれていく水溜りを見て全てが手遅れであることを悟り、魔力を迸らせながら詰め寄って来た。
今こうして考える脳みそが残っているのも、五体満足で自室のベッドに寝転んでいられるのも、全てアイナ様のおかげだ。
アイナ様がスカートをたくし上げたことにより、ぱっと見のお漏らし跡は存在せず、太ももを滑り落ちる雫や足元の水溜りといった痕跡も「これは汗!」という彼女の強硬な主張によりそれ以上の追及は許されなかった。
彼女はこの演習場で起きた出来事を、少年少女の健全な腕の磨き合いに昇華させてしまったのだ。
「しかしアイナ様………汗にしては………」
もちろん彼らも納得はしなかった。なにせ、どう見ても汗の量ではない水跡が彼女の足元のみに存在しているのだ。
アイナ様自身その主張に無理があることは分かっているのか、俯きながら足早に演習場を後にしたので、彼らはそれ以上何かを言えるはずもなく渋々引き上げていった。
では、ここで冒頭の問いに戻ろう。
一体誰が俺の無実を認めてくれるというのか。
なにせ俺の無罪とは、アイナ様が自発的にお漏らしをしたと主張するも等しい。
過去に実績のある俺を差し置いて、アイナ様の粗相を疑う者がどこに居ようか。
俺の力が意識を飛び越えて暴発したと言われた方が俺自身納得もいくというものだ。
しかし、強硬的に行われた模擬戦やスカートたくし上げオプションがアイナ様自発的お漏らし説を補強している。
企みや
そもそも入学試験の出来事を覚えていないという前提からして間違っていたのだろうか。
分からないことだらけだ。
目の前で突然お漏らしされることがこれほどまでに恐怖だとは……。
何はともあれ。
もうアイナ様との模擬戦などゴメン被りたい。大貴族のお誘いだから、などと言っていられない。
今更評判を取り繕ったところで手遅れ感は否めないが、やってもいないお漏らしの罪まで俺のせいにされては堪ったものではない。
尤も、いくら気を付けたところで、廊下ですれ違い様にお漏らしされたり、授業中にお漏らしされても俺のせいになるだろう。
無数に存在するお漏らしテロの可能性を考えるだけで頭が痛くなる。
「…………サボるか」
しばらく学園に行くの止めよう。誰とも会わずこの六畳間の自室に引きこもっていよう。
人の温もりを求めていた入学当初と打って変わり、今は1人で居たかった。
別に出席を取られているわけでもない。授業はまだ選択期間中だ。
むしろ今まで、後ろ指を刺されながらも律儀に登校していたのがおかしい。
誰とも会わなければ、他人の膀胱の不始末を俺が負う必要もないのだ。
そうと決めたら胸がスッと軽くなった。
その日は、身体の温まるものを食べ、真新しいパンツに洗い立てのパジャマを着て、早めに床に就いた。
穏やかな眠りであった。
今にして思えば間抜けなものだ。
なぜ引きこもっていれば俺のせいにされないと思い込んでいたのだろうか。
「誰とも会わなければ大丈夫」なんて考えが全くの見当違いであることは次の日に思い知らされることとなる。
右にお漏らしをした人がいれば、左には必然的に俺が居たことになるのだ。
◆◇◆
父の口が臭いので指摘すると酷く怒られた。
あまりに怒るので見かねた母が宥めに入り、「ごめんよ、グリア。もうパパは怒っていないよ」と謝られたが、やっぱり腐った卵の臭いがするのでもう一度指摘してあげると、その日夕食を抜きにされた。
一体いつ頃からだろうか。
それが『嘘』の香りであり、他の人は感じないのだと分かったのは。
血統魔法の変異で不思議な力に目覚めるという話は昔からあり、その類だと納得した。
父の言葉は以後も腐った卵の臭いであったが、気にしないことにした。
父に限らず、口の臭い人が居ても指摘しないことにした。
嘘が分かることも秘密にした。
大なり小なり皆、臭い息を吐く。
人は生きていく上で嘘をつくことも必要なのだと理解した。
皆と同じように何にも気付いていないと
それは私が7歳になって数か月経った頃のこと。
この歳の子は皆、派閥の社交パーティーに連れて行かれる。そこで同年代の子らと顔合わせを行う。
多くの人が集まる場所は決まって臭いので気が進まなかったが、逆らうことはできない。
父に手を握られながら会場に入る。
おとぎ話とはかくの如し。
煌めくシャンデリアや調度品の数々、豪勢な料理、着飾った人々。それら全てが私を物語の一員として歓迎していた。
それと同時に、ムッと悪臭が香り、思わず顔を顰める。
会場のあちこちから臭いが立ち込めていた。
それでも鼻をつまむようなことはしない。無意味だと知っている。
魔法的な何かが作用した結果と思われるこの力は、物理的な障壁をいとも容易く乗り越え私の鼻腔に届く。
父が私の反応を見て苦笑する。緊張していると思ったのだろうか。
鼻をつまんだりはしないが、せめて顔くらいは顰めさせてほしいものだ。
繋がれた手に引っ張られ、促されるように足を進めた。
すれ違う他家と挨拶を交わす。
父が臭いおべんちゃらを言えば、相手も負けじと臭い言葉を吐いた。
「ほら。グリアも挨拶をなさい」
自分の前に立たせるように背中を押される。
相手は同じく連れてこられたエレガント派閥の子だ。
親が親なら子も同じ。
「私たち良いお友達になれますわね」という悪臭に対して、「もちろんですわ」と返す。
自分の『嘘』の臭いは分からないがきっと酷いに違いない。
でも皆そうやって生きているのだ。
空疎なやり取りを会場中で繰り返してしばらく。
このパーティーの主役が登場した。
無気力に繋がれた私とは正反対に、エレガント大公の手を引っ張りながら奥の扉から現れる。
揃いの真っ赤な髪が上下に揺れた。
五大貴族の令嬢とは思えない無邪気な振る舞い。ともすれば失笑されかねない行為だが、会場には暖かな笑みが生まれる。
その時、私は気づいたのだ。
さっきまで立ち込めていた悪臭が嘘のように消えたのを。
「………グリア・レイヒです」
「私はアイナ!!お友達になりましょう!!」
紛れもない真実の言葉。
それが初めての出会いだった。
嘘を付かない人間も極稀に居るだろう。
しかし、アイナはそれだけではない。
彼女の純真さは人に伝播するのだ。
彼女を語る時、人は無垢になれる。その尊さを語る時、人は己を偽ることが出来なくなるのだ。
アイナこそが虚飾に塗れたこの世界に光をもたらす存在なのだ。
そう信じ、アイナについて語っている内に親衛隊という組織が出来上がった。
賛同者は歳も派閥も、身分の壁すら超えて増えていった。
無論おべっかを使う者も居る。親衛隊にも居た。しかし、そういった人もアイナのことを知る内に嘘が消えていった。
穢れなき天使。
それがアイナなのだ。
それがアイナなのに━━━━
「1番?大丈夫か?」
「………あ、あぁ、すまない。これより、第104回アイナ様親衛隊会議を始める」
投げやりに言うと、それに応じるように一斉に口が開かれる。
「それで?何から話す?何を話す価値がある?もはや我々の存在に何の価値もないと言うのに……。アイナ様は知ってしまった。二度もアイナ様とあの男が二人きりで接触することを許してしまったのだぞ。それも、緊急会議のせいでシフト回しにミスが生じたからなど笑い話にもならない。我々の存在価値があると、どうして言えようか」「確かにその通りだ。だからこそ、次の対応を検討すべきなのだ。アイナ様は全てを知った上でそのことを隠そうとしている。今まで我々が懸命に隠そうと動いていたことに気づき、その努力を無駄にしたくないと!!そう思っておられるのだろう!」「そうだ!アイナ様は何でもないフリを装っておられるが傷心のご様子。あの後、明らかに元気を失っていたし、模擬戦で疲れたと言って授業も休んでおられる」「………名誉会員様は既に知っているのか?」「ふん、貴様はエレガント派閥だものなぁ。今回の件が知られるのも恐ろしかろう。だが安心しろ。今はまだ知らないはずだ」「なっ!!私は決して保身のためなどでは……。ただ、あまりの醜態。今後の活動にも影響が出るのではと……」「であれば尚更伝えるべきだろう。ご家族なのだ、そのうちお気づきになる。隠し立ては逆効果だ」「だ、だったら速く!!」「おいッ!!話が逸れているぞ」
会話が頭に入ってこない。
不快な臭いだけが鼻をくすぐる。
今解決すべき問題など明らかなのに、皆は何をグダグダと話しているのだろうか。
あぁ、皆は分からないのだ。
だから、そんな呑気に話が出来るのだ。
『嘘』の臭いを知らないから。アイナが嘘をつくということがどういう意味なのか。
勢いに任せて立ち上がると椅子が大きな音を立てて倒れ、皆が一斉にこちらを見た。構うことなく部屋を後にする。
皆は分からないから私がやるのだ。
「これは汗!」
小水の匂いに混じり、『嘘』の臭いが鼻を付いた。
紛れもなくアイナが嘘をついた瞬間。
「トイレに行ってくるね」
あの男と会うために、私を撒くために吐いた言葉。
あの時は臭いが感じられなかった━━もしかしたら本当にトイレに行くつもりで偶然、あの男を見かけただけかもしれない━━が、今回ははっきりと分かった。
アイナが嘘をついた。
それは己の粗相を恥入り、誤魔化すための嘘なのかもしれない。
けれども、アイナの純真が穢されたことには間違いなかった。
アイナについて語れば誰もが純真になれるはずなのに、それが崩されている。親衛隊の皆を見ればそれは明らかだ。
アイナの晴れた心が私たちに染み渡るのと同じように、彼女の心の乱れが私たちにも伝わっているのだ。
だから、こんなにもささくれ立つのだ。
ではアイナが悪いのか?
そんなはずはない!!
全てはアイナを穢す存在、ゼニス・アーデ。
あの男の姿を見かけるたびに、アイナの心は曇るだろう。
あの男が居る限り、アイナは誤魔化し続けるだろう。
あの男さえ居なければ、アイナも私たちも以前のように戻れる。
皆ではない。
私がやるのだ。
私があの男を排除するのだ。