鈴木よしお地獄道   作:埴輪庭

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(0412NEW)「月間名弄実話 七月号」
多摩のA市に蠢く国営退魔組織「巫祓千手」の正体
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「月間名弄実話 六月号」
愛を売る教団の闇
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「真心の泉HP」
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愛の伝道師⑦

 

 ◆

 

 鈴木よしおが真心の泉に入信してから十二週間が経過した。

 

 この間のセミナー参加延べ人数は六十七名。うちよしおと三分以上の会話を交わした者は二十九名。二十九名のうちセミナー以外の場──集会所の清掃や偶然を装った廊下での雑談などでよしおと二度以上接触した者は十四名。

 

 十四名。集会所に定期的に通う信者数のおよそ半数だ。

 

 この十四名の中に、ある変化が生じていた。

 

 具体的に言えば、先生の言葉を引用する頻度が減っていた。いや、減っていると書くと語弊がある。先生の言葉を否定する者は一人もいない。先生の言葉を引用しつつ、その後に「鈴木さんも言ってたんですけど」と付け加えるようになっているのだ。

 

 先生の言葉がメインディッシュでよしおの言葉がデザート。そういう構図だった。まあしかし、世の中デザートの方がメインディッシュより口に合う場合なんて事も往々にしてあるのだが。

 

 ◆

 

 その日のお茶の時間。

 

 美奈子がよしおの隣の椅子に座った。紙コップの麦茶を両手で包んでいる。目元が赤い。今日も泣いた──のではなかった。セミナーの涙ではない。セミナーの前から赤かったのだ。

 

「鈴木さん……ちょっと相談したい事があるんですけど」

 

 声が低い。何かこう、ただならぬ事を告げようとしている気配がある。

 

「はい」

 

「あの……感謝の供物の事なんですけど」

 

 感謝の供物。教団独自の呼称だが要するに寄付金だ。真心の泉では入会金五千円と月会費三千円のほかに、信者の信仰の深度に応じて「感謝の供物」と称する献金を求める。

 

 最初は月三千円。半年で五千円。一年を超えると月収の一割から三割。ステージが上がるたびに金額は青天井に近づいていく。

 

 宗教法人への寄付は所得控除の対象になるから節税にはなると言えば聞こえはいいが、実際には可処分所得をはるかに超える額を要求される信者が後を絶たない。

 

「先月からステージが上がって、月に二万円をお納めすることになったんです」

 

「なるほど」

 

「私、今は貯金を切り崩しながら母の介護をしていて、収入がないんです。貯金も……あと数か月で底をつくと思います。でも供物を減額してほしいと言ったら、それは愛の後退だと言われて」

 

 愛の後退──巧みな言い回しだ。金を出さないことを信仰心の欠如すなわち愛の欠如として再定義している。出さないという選択肢を心理的に封じる構造であり、マルチ商法の「あなたはまだ本気じゃない」と骨格は同じだ。

 

 よしおは少し黙った。

 

「美奈子さん。一つ聞いてもいいですか」

 

「はい」

 

「お母様を介護することと、教団に寄付をすること。どちらが愛の行為ですか」

 

 美奈子の手が止まった。

 

「……え?」

 

「先生は愛は行為だと仰っている。僕もそう思います。ならば毎日お母様のそばにいて食事を介助し夜中に徘徊すれば探しに行く──それは愛の行為ではないですか」

 

「……はい」

 

「その愛の行為を続けるには生活基盤が必要です。月に二万円、年間二十四万円。美奈子さんの貯金があと八ヶ月ならば年間二十四万円の供物は、貯金の寿命を約三ヶ月縮めます。三ヶ月早くお母様の介護ができなくなる。その三ヶ月分の愛の行為を失う事は、教団が定める所の()にそぐわないのではありませんか?」

 

 周囲の椅子に座っていた信者が何名か、紙コップを口に運ぶ動作を止めていた。聞き耳というほど露骨ではないが明らかに耳がこちらを向いている。

 

「金はすべてではありません。さらに言えば、金があることで愛が歪むこともある。金で愛を量ろうとした瞬間、愛は数字に変わる。数字になった愛は比較可能になり、比較可能になった瞬間から愛は競争に堕ちる。しかァし!」

 

 よしおが意図的に声を張ると。美奈子の肩がびくりと跳ね上がった。

 

「金がなければ愛を保つための余裕が失われます。余裕のない人間は自分自身の生存に精一杯になる。先生がお求めになっているのは愛の持続であって、愛の消耗ではないはずです。生活を犠牲にしてまで寄付する必要はないと僕は思います。今のあなたにとって最も価値のある愛の行為は、お母様の介護です。それを守ることが先生の教えに最も忠実な姿ではないでしょうか」

 

 美奈子の目から涙が零れた。今度は悲しみの涙ではなかった。

 

 向かいの五十代の女性信者が小さく頷いた。その隣の若い男性信者が同じく頷いた。

 

 連鎖──。

 

 そう、よしおの言葉はこうやって浸透する。教義を否定せず教義の上に自分の構造物を建てる。先生の教えを土台にしているから信者は受け入れやすい。受け入れた瞬間に足元の土壌がわずかに動いている事に気づかない。角砂糖がコーヒーに溶けるように、よしおの思想が信者達の信仰に溶け込んでいく。溶けた角砂糖を元の形に戻す方法は存在しない。

 

 ◆

 

 翌週。

 

 堂島(ドウジマ)という男が集会所に現れた。

 

 身長は百八十五センチ前後。肩幅はパイプ椅子の幅に収まらない。坊主頭。顎が角張っている。首が太い。ワイシャツの袖を肘までまくった前腕は成人男性の太腿ほどの太さがあった。柔道でもやっていたのだろう、耳がつぶれている。

 

 やけに暴の気配が濃密な男だ。

 

 秩序、統制。それが堂島という男に与えられた役目である。教団幹部である高梨の部下であり、都内西部の集会所を巡回して信者の「指導」にあたる実動要員だ。

 

 教義の護衛者ではない。

 

 組織の護衛者と言った所である。

 

 お茶の時間になると堂島はパイプ椅子の一つに腰を下ろした。椅子が軋む。

 

 堂島の視線はまっすぐによしおに向いていた。

 

 ◆

 

「鈴木さん、でしたっけ」

 

 堂島が切り出した。獣の威嚇を思わせる低い声だった。

 

「はい。そうです。フルネームは鈴木よしお」

 

「まあそう硬くならないでください。熱心な信者さんだって聞いてますよ」

 

 嘘ではないが本意でもない。高梨が汐里の報告書を読みそれを受けて堂島を送り込んだ。「指導」が目的だ。

 

「最近、皆さんに色々とお話しされてるみたいですね」

 

「はい。お茶の時間に少し」

 

「先生の教えについて、ですか」

 

「先生の教えも含めて、愛について色々と」

 

「先週、ある信者に供物について助言をされたと聞きましたが」

 

「助言というか……感想を述べました。生活を犠牲にしてまで寄付をする必要はないのではないか、という僕の個人的な感想です」

 

 堂島の目が据わった。

 

「供物は先生の教えに基づくものです。信者が自発的に感謝を形にする行為であって、入信三ヶ月の新参者がとやかく言う事じゃない」

 

「新参者、ですか。僕も信者ですが」

 

「だからこそだ。まだ教えの深いところが分かっていないんじゃないですか。供物には信仰を深める意味がある。金額の多寡の問題じゃない」

 

 堂島は声を上げていない。しかし声に含まれる圧力が上がっている。百八十五センチの体幹が発する物理的な威圧だ。

 

 よしおは穏やかなままだった。

 

「僕は供物そのものを否定したのではありません。ある信者の方が生活に困っていたので、先生の教えに照らして考えを述べただけです」

 

「先生の教えに照らして、だと」

 

「はい。先生は愛は行為だと仰っている。行為には持続性が必要です。持続性には生活基盤が必要です。生活基盤を壊してまで供物を捧げることは愛の行為の持続性を自ら断つことになる。これは先生の教えの延長線上にある論理だと僕は理解しています」

 

 堂島は黙った。

 

 工藤が三週間前に味わったのと同じ構造だ。教義を土台にした三段論法。「愛は行為である」→「行為には持続性が必要」→「持続性には生活基盤が必要」→「ゆえに生活基盤を壊す寄付は教義に反する」。この論法を崩すには教義そのものを否定するしかないが教義を否定することは教団の幹部には不可能だ。

 

「……屁理屈だ」

 

 堂島が吐き捨てた。声量が一段上がった。

 

「屁理屈かもしれません。でも先生の教えのどこと矛盾するか、具体的に指摘していただけますか」

 

「教えの事はいい。要するにな、鈴木。あんたはここのやり方を分かっていない。供物にケチをつけるような真似は──」

 

「ケチではありません。むしろ先生の教えを大切にしたいからこその発言です」

 

 堂島の拳が膝の上で握られた。前腕に血管が浮いている。

 

「じゃあ聞くが、あんたは供物をいくら納めてるんだ」

 

「月会費の三千円です」

 

「三千円」

 

「はい。入会規定通りの額です」

 

「規定通りの額で愛を語るのか。他の信者は収入の一割も二割も捧げてるんだぞ」

 

「そうですね。僕は今の自分に無理のない額を捧げています。先生は無理をしてまで供物を捧げよとは仰っていないと理解しています」

 

 堂島の顔に血が昇った。こめかみの血管が蚯蚓のように浮き上がっている。論理で勝てないと悟った肉体が発する最後通告だ。

 

 論理で負けた人間に残された選択肢は二つしかない。感情的否定か物理的強制かだ。前者を選べば信者の前で醜態を晒す。だから後者を選ぶ者も少なくない。この堂島という男もその例に漏れずに──。

 

「黙れッ!」

 

 と、恫喝をする。

 

 堂島の体が椅子から立ち上がった。パイプ椅子が背後に倒れてがしゃんと鳴った。百八十五センチの大男がよしおを見下ろしていた。

 

「新参のくせに先生の教えを都合よく切り貼りして他の信者を惑わすな」

 

 よしおは座ったままだ。少しも怯えている風をみせず、それがまた堂島の癪に障る。

 

「立てよ」

 

「……堂島さん、でしたか。あなたにとって()とは、信者の皆さんがより多くのお金を落とす事なのですか? それはそれで良いですが、その愛が、ほ、ほ、本物であると──お、()に、押し付けるのか?」

 

 ぶるり、と一つ。よしおの体が震える。

 

 よしおの言葉を反抗と見た堂島は、右手をよしおの胸ぐらに伸ばし──その手が届く前に一つの影が割り込んだ。

 

 ◆

 

「やめてください!」

 

 美奈子だった。

 

 百五十五センチの痩せた体が百八十五センチの堂島とよしおの間に入っている。美奈子は両手を広げて堂島の前に立ちはだかっていた。装甲車の前に素手で立った歩兵のような光景だ。肩が震えているし足も震えている。

 

 しかし声は震えていなかった。

 

「暴力はいけません。愛を忘れたんですか! かわいそうに……鈴木さん、震えていましたよ!」

 

 堂島が固まった。

 

「先生は仰っていました。愛は行いのなかにあると。暴力は愛ですか。人を殴ることが行いですか」

 

「……あんたには関係ない」

 

「関係あります。鈴木さんは私の話を聞いてくれました。私が困っている時に助けてくれたのは鈴木さんです」

 

 二人目が立ち上がった。スーツの中年男だ。紙コップを置いてゆっくりと立ち上がった。

 

「堂島さん、落ち着きましょう」

 

 三人目。谷川が椅子から腰を浮かせた。

 

「暴力はダメっしょ、さすがに」

 

 四人目。五十代の女性信者が口を開いた。

 

「堂島さん。ここは皆が安心していられる場所のはずです」

 

 五人、六人。パイプ椅子の円から次々と声が上がった。暴力はいけない。愛を思い出せ。先生の教えに立ち返れ。

 

 教団の教義が教団の幹部に向けられている。信者達は先生の言葉を盾にして先生の組織の人間を制している。教義が正しければ正しいほど堂島に居場所はない。

 

 堂島は周囲を見回した。四方八方から視線が突き刺さっている。味方がいない。彼が守るべき信者の全員が彼ではなくよしおの側に立っている。

 

 堂島は舌打ちをした。何かを言いかけてやめた。上着を掴んで乱暴に出口に向かい階段を降りていった。足音が壁に響き、一階の扉がばたんと鳴って消えた。

 

 美奈子がよしおの方を振り返る。目には涙が浮かんでおり──。

 

「鈴木さん、大丈夫ですか」

 

「大丈夫です。ありがとうございます」

 

 よしおは微笑んだ。いつもの穏やかな笑みだ。

 

 その瞳の奥で何が渦巻いていたのかは──まあ、よしおの事だ。深く考えない方がいいだろう。

 

 ただ、美奈子や他の信者が暴行を止めた事はよしおにとっても堂島にとっても良い事だったことは間違いない。

 

 よしおの場合は愛を学ぶ居場所を失う所だったし、堂島は命を失う所だったのだから。

 

 ◆

 

 水沢汐里はこの一部始終を壁際で見ていた。

 

 汐里は動けなかった。堂島が立ち上がった時に止めに入るべきだった。進行役は自分だ。集会所の秩序を守るのは伝道師の仕事だ。

 

 しかし体が動かなかった。

 

 動かなかったのは恐怖のせいではない。

 

 見たかったのだ。

 

 教団の幹部がよしおに暴力を振るおうとした時に信者達がどちらの側に立つのか。その答えを。

 

 答えは出た。全員がよしおを守った。教義を引用して。先生の言葉を盾にして。

 

 それは正しい行動だった。教義に照らせば文句のつけようがない。暴力は愛ではない。先生の教えは明白だ。

 

 だが汐里の胸の底で地盤が微かにずれていた。大きな断層ではない。地震計にかろうじて引っかかる程度の微動だ。

 

 信者達は正しい事をした。教義通りの事をした。しかしその教義が今この場で守ったのは教団の秩序ではなく鈴木よしおだった。教団の言葉が教団から乖離してよしおの盾になっている。

 

 それは──教団にとって正しいことなのだろうか。

 

 そしてもう一つ。汐里の頭の中にこびりつく疑問がある。

 

 暴力で人を黙らせようとした堂島と、言葉だけで人心を動かしたよしお。教団の幹部と新参の信者。どちらが先生の教えを体現していたか。

 

 答えは明白なのだ。明白すぎて汐里は目を逸らしたかった。

 

 ◆

 

 三日後の夜。

 

 汐里のスマートフォンが鳴った。

 

 高梨からだった。

 

「汐里。明日の午後、来い」

 

「……はい」

 

「堂島から聞いた。話がある」

 

 電話は十二秒で切れた。高梨はいつもこうだ。用件だけを言って切る。

 

 ◆

 

 高梨の自宅は都内西部の住宅街にあるマンションの一室だ。教団の支部としても使われているこの部屋に汐里は何度も訪れている。

 

 何度も、だ。

 

 インターホンを押すと三秒で鍵が開いた。

 

「入れ」

 

 高梨は三十代後半の男だ。長身で痩せている。顔の造りは整っているが目が細く笑うと更に細くなる。笑っている時の方が怖い、と汐里は思った事がある。

 

 リビングのソファに高梨が座り、汐里はローテーブルを挟んだ椅子に腰を下ろした。

 

「鈴木よしお、だったな」

 

「はい」

 

「報告書は読んだ。堂島からも聞いた。あいつが手を出しかけた件は堂島が悪い。処分する。だがそれとは別の問題がある」

 

「……」

 

「供物の件だ。信者に減額してもいいと吹き込んだそうだな、あの男は」

 

「減額してもいいとは言っていません。ただ、鈴木さんの発言は先生の教えと矛盾していません。堂島さんも論理的には──」

 

「論理の問題じゃない」

 

 高梨の声が冷えた。声の温度だけが下がって音量は変わらない。

 

「金の流れを止める人間は放置できない。それが教団の方針だ。汐里、お前はそれを分かっているはずだ」

 

「……」

 

「お前の顔を見ていると不安になるな」

 

 高梨が立ち上がった。

 

 ローテーブルを回り込んで汐里の横に立った。見下ろしている。

 

「揺れているだろう」

 

 汐里は答えなかった。答えられなかったのだ。

 

「覚えているか。お前が初めてここに来た日の事を」

 

「……覚えています」

 

「二十三歳だったな。鬱で死にたいと泣いていた」

 

「……」

 

「俺がお前に愛を教えた。覚えているだろう」

 

 覚えている。

 

 あの日、高梨は汐里の髪を撫で、肩を抱いた。そして「魂の交感」と称する行為を行った。教義においてそれは段階的な愛の教育の最終段階であり汐里はそれを救いだと信じた。先生の教えの体現だと信じた。

 

 高梨の手が汐里の肩に置かれた。鎖骨を滑り、ブラウスの上から左の胸に触れた。

 

「もう一度、教育しなおしてやろうか」

 

 指が汐里の胸を揉みしだいた。汐里の体がこわばる。

 

 これまで何度も受けた行為だった。教義に基づく愛の実践。先生の教えの延長。汐里はそう信じてきた。そう信じることで三年間を保ってきた。

 

 だが今この瞬間──汐里の胸の内に生まれたものは信仰でも感謝でも安堵でもなかった。

 

 嫌悪だ。

 

 本当に小さな小さな嫌悪感。波にも満たない。漣にも届かない。水面に落ちた一粒の雫が生む僅かな波紋程度の嫌悪感である。

 

 普段ならば高揚感すら覚えるその行為が、今日に限ってほんの少しだけ──気持ちよくなかった。

 

 もしかしたら力の強さの問題かもしれない。

 

 もしかしたらそんな()()ではないのかもしれない。

 

 それだけだ。

 

 それだけの話である。

 

 まあどんな事にせよ、よしおが絡む場合──それだけで終わるはずがないのだが。

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