鈴木よしお地獄道   作:埴輪庭

36 / 36
愛の伝道師⑫

 ◆

 

 翌週の定例集会。

 

 グリーフ・シェアリングが終わり、お茶の時間が始まった頃合いである。

 

 よしおはいつもの様にパイプ椅子に腰掛け、紙コップの麦茶を啜っていた。隣には「茜山」こと茜崎陽が座っている。陽は表向きは「愛に傷ついた哀れな新入会員」という設定だ。設定というか、よしおが勝手に作り上げたカバーストーリーなのだが。

 

 さて、よしおの周囲には今日()女性信者が集まっていた。

 

 比較的若めの女から中年女まで、彼女らはよしおの話を聞きたがり、よしおの近くに座りたがり、よしおに微笑みかけたがった。

 

 これは別段珍しい光景ではない。

 

 入信十三週目を迎えた鈴木よしおは、今やこの集会所における一種のカリスマであった。彼の言葉には不思議な重みがあり、人を惹きつける何かがあったのだ。

 

 そして女性信者の中には、もう少し踏み込んだ関係を望む者もいた。

 

 ◆

 

 美奈子──二十八歳、母の介護で心身共に疲れ果て、しかしよしおの言葉に救われた女である。以前、堂島という大男がよしおに暴力を振るおうとした時、よしおから堂島を守った事もある勇気のある女だ。あのまま堂島が無礼を働き続ければ、間違いなく堂島は良くて半殺しにされていた。

 

 そんな彼女の頬は僅かに紅潮していた。

 

「鈴木さん」

 

「はい」

 

「あの……もしよろしければ、なのですが」

 

 美奈子は声を落とした。周囲に聞かれたくないのだろう。

 

「私と、その……愛を、確かめ合いませんか」

 

 隣に座っていた陽の耳がぴくりと動いた。

 

 愛を確かめ合う──それが何を意味するのか、陽には分からなかった。だが女の頬の染まり方と声の震え方を見れば、おおよその見当はつく。

 

 ──この人、鈴木さんを誘ってる? え、なんで? いきなりこんな場所で……

 

 陽は横目でよしおを見る。

 

 よしおは穏やかな表情を崩さずに答えた。

 

「美奈子さん──あなたはもう、あなたなりの愛の形を既にお持ちなのですね」

 

「え、と……はい……」

 

「それは素晴らしい事です」

 

 よしおは首肯した。まずは肯定から。コミュの基本である。キチガイかキチガイではないかで言えば今のよしおは間違いなくキチガイなのだが、キチガイではなかった頃学んだ事はしっかりとよしおの血肉になっている。

 

「しかし僕はまだ愛の輪郭すら分からないのです。エーリッヒ・フロムは愛を『技術』と定義しました。習得可能なものであると。しかし僕に言わせればそれは愛の一側面に過ぎない。愛とは技術であると同時に状態であり、さらに言えば関係性の中で立ち現れる現象でもある。プラトンは『饗宴』において愛を欠如から生じる渇望として描きましたが、これもまた一面的です。愛は欠如から生じるのか、それとも充足から溢れ出るのか。僕にはまだ分からない」

 

 美奈子は目を見開いていた。

 

 よしおは続けた。

 

「僕が求めているのは愛の実践ではなく、愛の理解なのです。実践は理解の後に来るべきものだと僕は考えています。理解なき実践は、それが如何に情熱的であっても、砂上の楼閣に過ぎない」

 

「……鈴木さんはそこまで深く考えていらっしゃるのね……」

 

「いえ、まだ何も分かっていないのです」

 

「私、軽く考えていたのかもしれない……愛って、もっと複雑で、もっと大切なものなのね……」

 

 美奈子は感極まった様子で頷き、そして満足げに去っていった。尊敬の眼差しを残して。

 

 陽はよしおの言動を訝しんだ。

 

 言っている事は筋が通っているような気がするが、何かが決定的にずれているような気がするのだ。

 

 ふと、陽は数年前に調伏した人語を解する魔の事を思いだした。人の声を真似、言葉を真似、かどわかし、血肉を貪るよくある魔である。まあ恐ろしいっちゃ恐ろしいのだが、人に仇為す為に何段階かの手順を踏まないといけないあたり、気が狂った人間の通り魔とかのほうがよほど危険でおっかない。

 

 ──鈴木さんは……

 

 陽はよしおがブッチ切れた所を思い出し、ほんの一瞬、人と魔の境目、何を以てその存在を人とするのか、あるいは魔とするのかが分からなくなった。

 

 ◆

 

 これは毎週の光景であった。

 

 言うまでもなく真心の泉はセックス・カルトである。「愛の交歓」と呼ばれる性的な儀式が教義の中核にあり、信者同士が肉体関係を結ぶ事は奨励されている。むしろ推奨されていると言ってよい。

 

 しかし鈴木よしおはこの十三週間、一度たりとも「愛の交歓」に参加していなかった。

 

 誘いがなかったわけではない。むしろ多すぎた。

 

 美奈子だけではない。四十代の経理担当だった女。三十代の離婚経験者。二十代のフリーター。彼女らは皆、よしおに声をかけた。「愛を確かめ合いませんか」と。「魂の交感に参加しませんか」と。

 

 よしおは全てを断った。

 

 断り方は常に同じだった。愛について語るのだ。フロム、プラトン、アリストテレス、キルケゴール、有島武郎、トルストイ。古今東西の哲学者と文学者の名前を引き合いに出し、愛の定義について滔々と述べる。そして最後に「僕にはまだ分からない」と締める。

 

 誘った女性は例外なく感動した。

 

 この人は本気で愛について考えている。自分たちは愛を軽く考えていたのかもしれない。愛とはもっと深く、もっと複雑で、もっと崇高なものなのだ──と。

 

 結果としてよしおへの尊敬は深まり、よしおの影響力は増大した。

 

 ちなみによしおがこの教団の「愛」が何かを知っているのかという向きもあるが、当然知らない。よしおが愛の交歓を断るのは、他人の中ですでに出来上がっている愛を押し付けられたくないからだ。

 

 よしおは独力で──自分の力で愛とは何かという答えを見出したいと思っているのだ。

 

 要するに自己中心的な理由から断っているのであった。 

 

 ◆

 

「茜山さん、大丈夫?」

 

 谷川が陽に声をかけた。二十四歳の配送業アルバイト。口にフィルターがない男だ。

 

「あ、ええ、大丈夫よ」

 

「なんか難しい顔してたから。鈴木さんの話、分かんなかったっすか?」

 

「いえ、その……ちょっと考え事を」

 

 美奈子が陽の隣に座った。先ほどまで頬を染めていた女だが、今はすっかり落ち着いた様子だ。

 

「茜山さん、初めての集会はどうだった?」

 

「あ、はい。皆さん優しくて……」

 

「辛かったわよね。色々と」

 

 美奈子の目が同情に満ちている。

 

 陽は内心で唸った。

 

「色々」というのは、よしおが作り上げたカバーストーリーの事だ。事故で恋人が死に、カウンセラーに襲われ、コー横広場で売春をしていた──という、あんまりにあんまりな設定。

 

「ここなら大丈夫よ。鈴木さんもいるし」

 

「そ、そうね……」

 

「鈴木さんに出会えてよかったっすね!」

 

 谷川が無邪気に言った。

 

 ──なんだかちょっと、空気が変ね。

 

 陽はよしおを見ながら思う。

 

 確かにこの建物内には全体的に余り良くない空気──霊気が淀んでいるようだ。この組織の「性質」についてもおおよその察しもついた。

 

 ──危ないわねココ。この場にいるだけで、耐性がない人は()()()()()()になっちゃうわ。よほどの左道使い(悪い霊能力者)がこの()を掌握しているのでしょうね。

 

 無論、陽は問題ない。彼女は単なるイキった小娘ではなく、高い霊力を有する巫女なのだから。耐性ならマシマシである。しかしそういった分かった事を差し引いてもなお、この空間よりもよしおの方が危ういように思えてならないのだ。

 

 なぜなら──。

 

 ──ああ、もう。

 

 陽は首を振る。

 

 隠し鬼の一件以来、陽はよしおのことを考える時間が増えていることを強く自覚していた。

 

 霊能の世界では女が強い霊力を持ちやすいとされている。茜崎の家は代々巫女を輩出する名門であり、陽もまた幼い頃から「民草を護る守護者」としての自覚を植え付けられてきた。男がどうとか女がどうとか、そういった色のある話とは無縁だったし、むしろそんなものに現を抜かす同世代の少女たちを内心で見下していた節すらある。自分は特別なのだ、と。守護者としての傲慢が陽の中には確かに存在していた。

 

 しかし隠し鬼という恐るべき魔には、陽一人では到底敵わなかった。

 

 座主も認める西の巫女が、火之迦具土神の系譜に連なる炎の力が、あの白く薄汚れた化け物の前では紙屑同然だったのだ。陽の炎は喰われ、陽の誇りは砕かれ、あと一歩で陽の命も奪われる所だった。

 

 そこに現れたのがよしおだった。陽が守るべき「弱者」の側にいるはずの男。そんな男が隠し鬼に真っ向から立ち向かい、自らの血肉を以て化け物の根源を腐らせ、打倒してしまったのだ。

 

 己の裡から湧いてくるこの感覚──甘酸っぱいような、疼く様な()()は、果たしてこの場によって齎されているのだろうか。それともよしおから発される霊力が、自身の精神防壁を浸食しつつあるからなのだろうか。ある種の霊力が人心を乱す事は一端の霊能力者ならば誰でも知っていることだ。

 

 しかし陽はこの時、第三の答えがある事に気づかなかった。

 

 あるいはそれを、努めて無視したのかもしれないが。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
一言
0文字 一言(任意:500文字まで)
※評価値0,10は一言の入力が必須です。参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

お姉さんと僕(作者:埴輪庭)(オリジナル現代/ホラー)

幼い頃、家に居場所を感じられなかった「僕」は、母の再婚相手のサダフミおじさんに厳しく当たられながらも、村はずれのお山で出会った不思議な「お姉さん」と時間を共に過ごしていた。背が高く、赤い瞳を持つ彼女は何も語らず「ぽぽぽ」という言葉しか発しないが、「僕」にとっては唯一の心の拠り所だった。しかし村の神主によって「僕が魅入られ始めている」と言われ、「僕」は故郷を離…


総合評価:8437/評価:8.84/連載:123話/更新日時:2026年05月09日(土) 19:30 小説情報

運の悪い俺は、今日も湾岸の地下へ降りていく(作者:シドロンモドロン)(オリジナル現代/冒険・バトル)

突如、東京湾岸に口を開けた巨大な異常空間《第七湾岸回廊》。▼高報酬の求人と派手な広告、そして“回廊帰りは人生が変わる”という根拠のない噂が人々を地下へと誘う。▼奨学金という名の借金だけ抱えて大学を中退。▼就職に失敗し、コンビニと倉庫バイトを渡り歩きながらの生活。▼病気の母と失業中の父、進学を控えた妹を支える——はずだった境直耶(さかい・なおや)の毎日は▼不運…


総合評価:2255/評価:8.88/連載:44話/更新日時:2026年01月31日(土) 21:50 小説情報

スキルレベルしか上がらない一般身体能力学生が迷宮に挑んだら(作者:石田フビト)(オリジナル現代/冒険・バトル)

迷宮という存在が当たり前となった現代社会で、冒険者になろうとしている青年がいた。▼何か高尚な理由があったわけではない。▼ただ生きるためには、母を楽にさせるためには金が必要だった。▼されど一攫千金も莫大な名誉も求めずに。▼永遠と続く薬代を稼ぐことだけを希望として。▼その青年は一人、迷宮へと足を踏み入れる。▼……はずが、何故か個性的な女性達と関わり合い、彼自身も…


総合評価:1695/評価:8.34/連載:31話/更新日時:2026年03月16日(月) 20:37 小説情報

プリミティブ・プライメイツ ~暴君転生~(作者:翠碧緑)(オリジナルファンタジー/冒険・バトル)

気が付くと、俺は人間と魔族が争うクソみたいな世界で、赤ん坊として捨てられていた。▼孤児院で育ち、飢えと貧困に耐える日々。▼そんな中、外見の特徴を理由に貴族に拾われる。▼どうやら俺の血には「特別な何か」が混じっているらしい。▼理不尽(暴力)。▼理不尽(陰謀)。▼そして、逃れられない理不尽(因果)。▼それでも、俺は生きることを諦めない。▼「そっちがそう来るなら、…


総合評価:5390/評価:9.15/連載:133話/更新日時:2026年05月20日(水) 20:38 小説情報

☆1キャスターの俺、現代ダンジョン出現当日、F級ダンジョン60個を周回特化自爆スキルで焼き払ってたら低レア最強パーティが育っていた〜アーラ◯ュ系周回スキルで人類全員を育成し尽くします〜(作者:人見小夜子腹パン部)(オリジナル現代/冒険・バトル)

火賀灯真は、世界が終わる日を知っていた。▼正確には、世界が“サービス終了する”日を。▼午前十時。▼現代日本にダンジョンが出現し、人類の一部にレアリティとクラスとスキルが配られる。▼世間は混乱し、国家は対応に追われ、凡人は怯え、英雄願望のある者は浮かれる。▼そして俺は、ゲームの周回で猛威を振るった、自爆宝具…もとい戦闘不能と引き換えに繰り出す超火力広域攻撃スキ…


総合評価:4829/評価:7.99/連載:26話/更新日時:2026年05月09日(土) 23:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>