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ある日の午後二時十五分。
いつものように傷のなめ合いをしていると、不意に集会所の入口が開いた。
入ってきたのは見知らぬ男だった。
人好きのする顔だ。五十代の男性としては平均以上に身なりが良い。グレーのジャケットにノーネクタイの白いシャツ。靴はきちんと磨いてある。髪は薄くなりかけているが前髪で上手くカバーしている。目は大きめの二重で、笑うと更に人が良さそうに見える類の造り。
要するに、女にモテる顔だ。
よしおはそう判断した。証券マン時代にこの手の顔をした上司や同僚を何人も見てきた。営業成績はさておき飲み会には必ず呼ばれる男。合コンでは必ず幹事を任される男。顔のパーツそのものは平凡なのだが「雰囲気」で六割増しになるタイプ。
信者達が一斉に立ち上がり、拍手が湧く。
「先生!」
「鳥飼先生!」
そんな声があがる。
そう、何を隠そうこの中年こそ鳥飼真人当人であった。
鳥飼は両手を軽く上げて拍手を制し、穏やかに微笑む。
「皆さん、座ってください。気楽にやりましょう」
声が良い。低くて耳当たりが柔らかいそれは、FM局の深夜パーソナリティにいそうな声質だ。よしおはジョン・Kという男を思い出した。ジョンはテレビの超人気コメンテーターだ。れっきとした日本人だが、経歴詐称で報道界隈から追放されている。学歴、職歴、名前、そして外見や国籍にわたる広範囲な詐称──つまり、何からなにまで全部嘘だった。それでもなおジョンは不思議と根強い人気や「どこか憎めない」とする再評価の声が常に存在していた。
実力だけは本物であった──そんな声すらある。
よしおも嫌いではなかった。今も嫌いではない。
コメンテーターに必要なものは何か。それは学歴でも職歴でもない。説得力だ。要は実力。それがジョンには確かに存在しており、よしおは
よしおも立ち上がり、力強い拍手で鳥飼を迎えた。
しかしすぐに気づく。
──この人の中には何もない。
怒りがない。悲しみがない。喜びがない。渇望がない。焦燥がない。嫉妬がない。自己嫌悪がない。期待がない。諦念がない。愛情がない。憎悪がない。
何もない。
器だけがある──そんな風に感じた。
まるで精巧に作られた蝋人形が笑っているような。
あるいは──死体が立って歩いているような。
◆
鳥飼真人が壇上に立った。
壇上といっても集会所のそれは十五センチほどの段差に過ぎない。パイプ椅子を半円形に並べた信者達の正面、ホワイトボードの前に立つ。マイクはない。この程度の広さなら肉声で充分だ。
「今日はグリーフ・シェアリングの時間を少し長めに取りましょう」
鳥飼はそう切り出した。
「最近、皆さんの表情がとても明るくなったと聞いています。嬉しい事です。報告を読むたびに、ああ、皆さんの中に愛が育っているんだなと感じます」
信者達が頷く。汐里は壁際に立って微笑んでいたが、その目の奥に薄い疲労の色があった。
「愛とは何でしょうか」
鳥飼が言った。
「難しい問いですね。哲学者も詩人も何千年もかけて答えを出せていない。でも私は思うんです。答えは案外シンプルなんじゃないかって」
間を置く。信者達が息を詰める。
「愛とは、受け入れる事です」
鳥飼の声が部屋に響いた。
「相手のすべてを──長所も短所も、美しい部分も醜い部分も──丸ごと受け入れる。ジャッジしない。評価しない。ただ、あるがままを認める。それが愛の第一歩だと私は信じています」
信者たちは鳥飼に釘付けである。
「皆さんの中に既に愛はあるんです。気づいていないだけで。この場に集まっている事自体が、愛を求める心の証です。そしてその心がある限り、皆さんは必ず愛に辿り着ける」
拍手が起きた。
◆
自己啓発セミナー、カルト教団の説法、キャバクラの接客、高級エステの初回カウンセリング、そして大手証券会社の資産運用提案書。これら五つに共通する話法構造がある。
抽象語の多用だ。
「受け入れる」「繋がり」「内なる力」「本当の自分」「可能性」──これらの単語には具体的な定義がない。定義がないからこそ強い。聞き手は各自の経験でその空白を埋める。失恋した人間は「受け入れる」を恋愛の文脈で解釈し、親を亡くした人間は死別の文脈で解釈し、職場で虐められている人間は自己肯定の文脈で解釈する。全員が「先生は私の事を分かってくれている」と感じる。
鈴木よしおも証券マン時代にこの手法を使って年間三億円の手数料収入を叩き出していた。まあ今の彼はそれを栄誉ある事だとは欠片も思っていないが。
そんなこんなで鳥飼の話は三十分ほど続いた。
まあ抽象語のオンパレードであった。一つとして具体的なエピソードを含まないのだ。チェンマイの瞑想リトリートで聞いた受け売りばかりでろくな中身がない。
それでも信者達は感動していた。涙を流す者もいるが──
よしおの腹の奥で何かが疼いた。それは非常に暴力的な何かであった。薄っぺらさを感じるのだ。上っ面めいた何かを……。よしおは
そして「こいつは
──彼は、ジョンじゃない。
よしおの目に危険な光が宿る。
言うまでもないが、よしおは病気であった。