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──まあ確かに、ああいう影のある人は嫌いじゃないですけれど。って、私は何を考えているんだろう……
そんな事を思いながら、先日の事を思い返す。
里村 このみが数日に渡ってよしおの「攻略」に動いていた事は知っていた。汐里の経験上、このみが本腰を入れて落としにかかれば、大抵の男はコロッといってしまうものだ。しかしよしおは全く動じた様子もなく、それどころか逆にこのみを──。
──彼女が人前でああも泣きじゃくるなんて。
汐里にはどうにも信じられない。汐里の知る限り、このみという女は疑心の塊である。父親に捨てられたという彼女は男はもちろん、同性にでさえ心を許そうとはしないのだ。
汐里はこのみと出逢った頃の事を思い出す。
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ある日、汐里はこのみに叱責をしたことがある。
というのも、このみが勧誘した男性会員──信者のパンク率が高すぎたからだ。かなり無理をさせて御布施を出させている。パンクそのものが悪いというわけではなく、可能な限り生かさず殺さずというスタンスで搾り取るというのが教団にとっての理想であった。
汐里はこの、いうなれば教団の闇の側面に賛同していた。無論全面的に、ではない。心中には一抹の罪悪感がある。それでも彼女が教団に居続けるのは「救い」があるからだ。
例えば集会所の受付に、いつも早めに来て名札を並べている若い女がいる。
二年前の冬に汐里が声をかけた子だ。当時二十二歳。勤め先の上司に半年間怒鳴られ続けて心を壊し、退職し、実家には「正社員を辞める馬鹿がいるか」と怒鳴る父が待っていた。汐里が接触した時、彼女は三日ろくに食べていなかった。痩せて目だけが大きくて、それでも街頭アンケートを断るのは申し訳ないという顔で立ち止まった。そういう子ほど壊れるまで頑張ってしまうのだ。断り方を知らないから。
汐里は食事と寝る場所と「あなたは悪くない」という言葉を与えた。無論どれも教団の金であり教団の建物であり教団の教義であるが、差し出した手は汐里のものである。
その子は今、受付で信者たちに名前を呼ばれて笑っている。先月は名簿の字が綺麗だと褒められ、耳まで赤くして俯いていた。
救いは確かにあるのだ。
だから汐里は教団が救った人間と、教団が壊した人間。その二つを並べて数える真似はしないのだ。数えれば答えが出てしまう。答えが出てしまえば汐里はもう、ここにはいられない。
居場所がなくなる事──それこそ、汐里が最も恐れる事だった。
だがどうにも、このみは汐里とはまた違った動機があるようだった。
「里村さん。少し、やりすぎではないですか」
「ノルマは超えてますけど」
「そういう話ではありません。その……教団の方針は、長くお付き合いする事のはずです。ああいうやり方では続くものも続きません」
「汐里さん」
このみは手元の名簿から顔も上げなかった。
「それ、方針の話をしてます? それとも、可哀想って話をしてます?」
汐里は言葉に詰まった。
「方針の話なら、高梨さんを通してもらえますか。可哀想の話なら──」
このみはそこで顔を上げ、にこりと笑った。
「──ごめんなさい。私、そういうの分からないんです」
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そんなこのみが泣いたのだ。
人目も憚らずに。
そして翌週の集会でも、よしおはいつも通りだった。いつも通りパイプ椅子に座り、紙コップの麦茶を啜り、誰かの打ち明け話に頷いている。
──あの人は、一体何なんでしょうね。それと……
ふとよしおの視線が宙を彷徨う事がある。
視線の先を追ってもそこには何もない。しかし眼球は動き、まるで虫か何かが飛んでいるのを見ているかの様だった。
──そういえば。
汐里は学生時代、夏休みに母方の祖母の家に行ったときのことを思い出した。
休学していた年の夏である。汐里は療養も兼ねて、九十九里の外れに一人で住む祖母の家に預けられていた。古い平屋で、縁側があって、ミケという名の雌猫がいた。
ある日の午後、そのミケが縁側の隅で天井の辺りをじっと見上げていた。
何かいるのかと汐里も見上げたが、天井には染みと木目しかない。しかしミケの首はゆっくりと左右に揺れていた。羽虫を目で追う時の動きにも似ている。
「おばあちゃん、ミケが変」
祖母は台所から顔を出してミケを一瞥し、小首をかしげるばかりであった。
そしてその年の十二月、祖母は自宅の鴨居で首を吊って死んだ。
ぶらん、ぶらん、と。
汐里が見た祖母の体は、風もないのになぜか左右に揺れていた。
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そんな事を思い出した汐里はもう一度よしおを見て、ぶるりと一度体を震わせた。