鈴木よしお地獄道   作:埴輪庭

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愛の伝道師⑯

 ◆

 

「あの、鈴木さん」

 

 毎週恒例の会合の後、よしおはとある女性会員に声をかけられた。飯塚 友美、年齢は三十手前の主婦である。入会した理由は夫のDV。顔中あおたんだらけで彷徨っていたところを保護された。現在は避難用のシェルターに住んでおり、教団が友美に代わって諸々の法的手続きを進めている。

 

 まあそこだけ切り取れば胡散臭いカルトにもいいところがあるじゃないかで終わるのだが、そうは問屋が卸さない。

 

「はい、なんでしょう」

 

 よしおは友美の表情に憂いがあるのを見た。面倒くさいな、とはもちろん思わない。よしおにとってこの会の者たちは言ってみれば同士だ。人それぞれ愛の形を模索し、惑い、それでも前に進もうとしている素晴らしい仲間たちである。悩みの一つや二つ、喜んで聞こう──よしおはそう思っていた。

 

「私、“愛の奉仕”をもうこれ以上やりたくないのです……。でも、私が救われた事は事実で……」

 

 よしおは小首を傾げる。

 

 愛の奉仕なるものがどんなものか分からなかったからだ。なにせ、この会にはいってからもよしおは誰ともセックスをしていない。普通は入ってから一、二週間もすれば薬物を用いて感覚を鋭敏化させた──いわゆるキメセク──でこの会に於ける愛の奉仕の何たるかを感得するものなのだが、よしおはまだそれらを経験していない。

 

 誘い自体はドカドカとあるのだが、どうにも最後(キメセク)まで話が進まない。女たちがよしおと話すと、その霞んだ妄心に一滴の清涼な正気の雫を垂らされたかのごとき心地になるからだ。

 

『この人と誠心誠意、対話したい』

 

『この人の心に寄り添いたい』

 

 そんなよしおの思いが霊力に伝播し、対する相手の精神に強い影響を与えているのである。友美もまた、よしおによってアタオカ成分が大分薄められた者の一人だ。いや、よしおの事はとてもとても良い人だと思ってしまっているので大分アレかもしれないが。

 

 とはいえ、彼女の誤解──よしおがいい人などという妄心もすぐに雲散霧消することになるだろう。

 

「その……愛の奉仕とは?」

 

「えっと、それは──」

 

 友美が淡々と語りだすにつれて、よしおの表情がヒクついていく。

 

 こめかみに太い血管が浮き出てくる。

 

 ◆◆◆

 

 ところで、愛の奉仕とは何か。

 

 身も蓋もなく言ってしまえば売春である。

 

 真心の泉は女性会員を外部の人間に斡旋し、対価を受け取っている。会員同士が教義の実践として行う愛の交歓とは似て非なる制度だ。交歓で女を教義に馴らし、十分に馴れた頃を見計らって外の客へ出す。養殖といってもいいだろう。

 

 一晩の相場は客の格と注文次第で上がり、百万を超える案件も珍しくはない。金は全額教団に入る。奉仕した女には一円も渡らない。渡らないどころか、尊いお務めの機会を頂いた感謝として供物を納めさせる場合すらある。取って、取る。見事な二重取りである。

 

 客はと言えば政治家、会社社長、開業医。金と地位があり、なおかつ表に出せない欲を抱えた紳士の皆様だ。教団は客を選ぶ。誰の金でもいいというわけではなく、後々「使える」人間の金だけを頂くのだ。奉仕の一部始終は録音録画され、本人の与り知らぬ所で保管される。

 

 無論、たかが売春にそんな大きな金が動くのかという向きもあるだろう。

 

 これが動く──動くのだ。

 

 なぜならば、文字通りなんでもありだから。

 

 なんでもありというのは、なんでもありという意味である。

 

 年齢の下限はなく、プレイのNGは存在しない。エプスタインなど真っ青な乱痴気っぷりだ。で、話を友美に戻すが、彼女が初めて奉仕に出たのは入会から三月目の事であった。

 

 シェルターの布団と殴られない朝。夫との間に立つ弁護士まで、その全部を友美はこの会に世話になっている。だから「あなたの愛を必要としている方がいます」と告げられた時、友美は頷いた。私の愛で誰かが救われるのならと。本気でそう思って、見も知らぬ男の布団に入ったのである。

 

 以来一年と少し。友美が「救った」男の数は二十を超える。

 

 風向きが変わったのは、お茶の時間によしおと話すようになってからだ。よしおは友美に説教めいた事など何一つ言っていない。ただ一度こんな事を言っただけだ。

 

「与えるばかりの愛を僕は好みません」

 

 愛とはすなわち、分かち合う事。

 

 よしおはそんな自身の愛について淡々と述べた。

 

 ──この人と話すと、なんだか自分がとても静かな場所にいるような気がする。でも……

 

 その静かな場所でものを考えると、自分のしている事の輪郭が見えてくるのだ。自分が為している事は本当に救いなのか。自分がされている事は、何(・)なのか。

 

 かくしてここ二月ほど、友美は奉仕の日が近づくと吐くようになった。知らない男の手が腰に回り、酒の匂いのする息が首にかかる。のしかかられると酷く重い。以前は感じなかった種の重さである。

 

 信心とは麻酔に似ている──切れて初めて気づくのだ。

 

 世話になった、恩があるはずのこの真心の泉に対する皮膚が粟立つ様な嫌悪感たるや! 

 

 様々なモノが混然一体となった自身の感情を、友美は懸命によしおに伝えようとしていた。

 

 そして──「ひゃあっ」と甲高い悲鳴をあげた。

 

 目の前で話を聞いていたよしおの両の眼(まなこ)がひっくりかえり、口の端からブクブクと泡がたっていたからだ。

 

 己が最も貴(たっと)ぶ愛に対する、余りに冒涜的かつ侮辱的な在り様に全身と全霊がアレルギー反応を起こしたのである。

 

「す、鈴木さん!? 鈴木さん! 大丈夫ですか!?」

 

 友美が悲鳴混じりの声をあげた。

 

 言い終わるより早く、よしおの体がふらりと傾いだ。

 

 友美は咄嗟に腕を伸ばした。頭だけは床にぶつけさせまいと膝をつき、存外に重いその体を抱き留める。

 

「どうしました!」

 

 騒ぎに気付いた職員の男が駆け寄ってくる。

 

 その時である。

 

 よしおが友美の腕の中からふらりと立ち上がった。

 

 その無表情の中に満とひしめく厄の気配に、友美は思わず後退った。

 

「鈴木さん、どうかされまし──」

 

 男が声をかけた、その瞬間。

 

 よしおの右腕がふっとブレた。

 

 パァン、と乾いた音が弾ける。

 

 見れば職員とよしおの間に、小柄な人影が割り込んでいた。

 

 茜崎 陽である。重ねた両の掌で、突き出されたよしおの拳を受け止めていた──甲の皮膚を突き破った骨から鮮血を滴らせて。

 

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