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──こ、これはまずいですわね……。
陽は慄然とした。百歩譲って自分に対する攻撃は良い──いや全く良くはないが、この際仕方がない。問題はよしおがもうこの集会所には通えないであろうという事で、陽にとってはそれがとても都合が悪い。
口論ならともかく、暴力沙汰は不味いのだ。
もちろん暴力自体が悪いと言う事ではない。陽のヴァイオレンスな価値観から言えば、タチの悪いセックス・カルトの構成員なぞ一人残らず焼殺してしまっても何ら差支え無い。だが今このタイミングは良くなかった。
潜入捜査もクソもなくなってしまうからだ。
武力で叩き潰せば良いと言う事ならばとっくにそうしている。そうしないのは陽もこのカルトの根が深い事を理解しているからである。どこどこの界隈にどれくらい
「きゃああーーーー!」
「血、血が!!」
「警察を呼べ!!」
そんな叫び声が響き、陽は内心で頭を抱えた。物理的に頭を抱えようにも今の陽の両手は甲の皮を突き破って白い骨が飛び出している有様なのだから、抱えたら最後自分の額が血塗れになるだけなのだが。
「いけません。傷口が外気に触れています。どなたか清潔な布と消毒液を」
すぐ目の前では惨状を引き起こした
──誰のせいでこうなったと思ってるのよこのボンクラッ!!
自律神経を強引にねじ曲げてひねり出したアドレナリンが陽の血管をドバドバと駆け巡っている。
◆
陽は考えた──このまま警察だの救急車だのが雪崩れ込めばどうなるか。
よしおは暴行の現行犯で連行され、負傷者の自分は病院へ搬送されて身元照会を受ける羽目になる。保険証に印字されている名前は茜崎陽、十六歳。よしおがでっち上げた
座主の嘆息と事務方幹部である椎名の冷ややかな目つきが脳裏をよぎった。
──それだけは御免だわ! 手までボロボロにされて成果ゼロで撤退なんて絶対に許せないッ!
ならば道は一つ。
今ここで起きた暴力を、もっともらしい
筋書きはこうである。普段は温厚で正義感の強い鈴木さんは、この集会所に潜んでいた悪党の余りの非道を知って義憤に駆られ我を失って鉄槌を下そうとした。自分はその場を宥めようとしてうっかり間に挟まり怪我をしただけ。これならよしおも仲間を想うあまり暴走した熱血漢という枠に収まるし、教団側とて表沙汰にすれば裏稼業が警察に漏れるから内々で揉み消す方向に動くはずだ。
──ちょっと無理があるかしら……?
自分で組み立てておいてなんだが、はっきりいって滅茶苦茶な気もしないでもない。だが突っ立っていれば百パーセント詰む以上、一パーセントでも通りそうな嘘に賭けるしかなかった。決断力とは西の姫巫女の代名詞でもあるのだ。
問題は『余りの非道を働いた悪党』という配役を誰に押し付けるかである。
よしおが最初に殴ろうとした目の前の職員は使えない。ついさっき陽自身が「この人は何も知らない一般人よ!」と大声で庇ってしまったばかりだからだ。舌の根も乾かぬうちに「やっぱりこいつが悪党でした」と指差したところで誰が信じるというのか。
別の誰かが要る。今この場にいて、ぶん殴られても文句の言えない後ろ暗い脛を持った奴が。
陽は鮮血の滴る両手を胸の前に浮かせたまま、ぎょろりと集会所の奥へ目を走らせた。
◆
いた。
パイプ椅子の列のさらに後方、壁際の給湯コーナーの前で紙コップを握ったままポカンと口を開けて固まっている中年男がいる。小太りの腹に安物のダブルのスーツを着込んだ、この支部を時折見回りに来る教団の幹部であった。
無論、陽とて適当にぶっ飛ばすつもりは毛頭ない。
巫祓千手の方でも潜入にあたってこの集会所に出入りする主要人物の裏はある程度取ってある。調査部が作成する霊能犯罪者の名簿、陽が個人的に『潰すリスト』と呼んでいる一覧表の三百番目あたりの余白に確かあの男の名前は載っていた。
もっとも教団の中枢で人身売買や呪殺を回すような巨悪とは程遠い。それどころか霊力の欠片も持たない純然たる俗物であった。真心の泉に拾われる前は地方都市で『先祖の因縁を断つ開運印鑑』だの『高野山の秘仏の気を宿した水晶ブレスレット』だのを老人に売りつける、ちょっとした霊感商法で小銭を稼いでいた前科がある。通信販売で一袋五百円で買ったプラスチックの数珠に除霊料込みで三十万円の値札を貼るようなせこい手口だ。巫祓千手からすれば祓い手を差し向ける価値すらなく、警察の生活安全課へ匿名でタレコミを入れておけば済むレベルの小物である。
リストの末端も末端。文字通りの埋め草だ。
だがリストに載っている以上は悪党である。四捨五入すれば巨悪と言ってもいい。いや、もう今日この場においては巨悪という事にする。
──よし、あいつを
陽は開き直った。
両手は襤褸屑も同然だが、フレアスカートの下から伸びる二本の脚は無傷だ。陽は足裏の血管へ霊力を一気に巡らせるとリノリウムの床を強く蹴った。
悲鳴を上げて立ち竦む信者たちの隙間を、茶色の髪をなびかせた小柄な少女が砲弾のごとく突っ切る。
「え……? 茜山さん?」
置き去りにされたよしおが、ぽつりと間の抜けた声を漏らした。
「本当にぶん殴るべきはこの男ですわ!」
集会所に凛とした、それでいてどこかヤケクソな叫びが轟く。
壁際で唖然としている幹部の視界が急接近してきた少女の影で埋まった。男が紙コップを取り落とすより早く、三メートル手前で床を踏み切った陽の体がふわりと宙へ舞い上がる。
空中で折りたたまれた右脚がバネのように跳ね上がり、後ろの方で唖然としている幹部の顔面へ、見事な飛び膝蹴りを叩き込んだ。