鈴木よしお地獄道   作:埴輪庭

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鈴木よしおと隠し鬼②

 ◆

 

 神社とは本殿・幣殿・拝殿など、基本的にいくつかの社殿を総称した建築物を意味する場合が多い。

 そして神主は大体隣の家に住んでいたりする。

 

 星周も例に漏れず、東陰神社の隣のこぢんまりとした一軒家をあてがわれ、そこにすんでいた。

 物件を管理しているのは彼の所属している組織だ。

 

 その一軒家の、とある一室に依子は連れられて座らされていた。目の前には机があり、お茶の入った湯呑が置かれている。ちなみに依子をここに連れてきた両親は先に帰された。

 

 依子の対面に座る星周だが、彼は先ほどからずっと黙り込んでいた。どうやら何か考え事をしているらしい。

 

 そしておもむろに立ち上がり、方々へ電話を掛けだした。

 依子にはその話の内容は全ては分からないが、聞く限りでは誰かを呼ぼうとしている様だった。

 

 やがて用事が済んだのか、再び座り込む。

 星周の視線は依子の腕に向けられており、その鋭さときたらまるで星の光に照り返される一本の針を彷彿とさせた。

 

「あの…」

 

 依子が声をかけるが星周は返事をしない。

 

「あの…」

 

 もう一度声をかけたところでようやく視線があった。

 目の端に鋭さの残滓は残っていたものの、依子と目を合わせた瞬間に目じりが少し下がって印象が反転する。

 依子に尻軽の気があるわけではないが、彼女は星周の目つき1つで彼への好感度を大幅に高めた。

 

「…ああ、すまないね。依子ちゃんも心配だろう」

 

 星周の言葉に依子は頷く。

 依子とて馬鹿ではない、自身が非常に良くない事に巻き込まれている事を理解している。

 あの時あった、あの“怖いの”から守ってもらうために自分はここに来たのだ、と依子は思っている。

 

「はっきり言うが、君が出会ったであろう怪物はとても…とても危ないものだ。だから追い払わなければいけない。腕をみなさい。段々と色が濃くなってきてるだろう?黒く、黒く。その手形が真っ黒に変わった時、怪物がやってくるだろう」

 

 依子はぶるりと震えた。自分が見たものはやはり現実だったのか、そんな恐怖で震えが止まらない。

 しかし、そんなものを追い払うなんてできるわけがない。だってあれは…

 

 ――とっても、とっても怖いモノ

 

 そう思うと依子の目に涙が滲む。

 それを察してか、星周は優しく語りかけるように続けた。

 

「大丈夫だよ。僕に任せておきなさい。こう見えても僕は凄いんだ」

 

 星周は懐から一枚の札を取り出した。

 そしてそれを依子の腕に近づける。

 “アレ”に掴まれて痕がついた腕に御札が触れると、ぱしん、という乾いた音がして御札が木っ端微塵に砕け散った。

 

 依子は不安気な視線を星周へ向け、星周は苦笑を浮かべる。

 

「そこそこ強い御札なのだけど。あっというまに容量一杯か。まあいいさ。おいで、依子ちゃん」

 

 星周は立ち上がり、依子を別の部屋へ案内する。

 

「今から行く部屋は特別な部屋だ。少し内装が変わっているけれど、驚かないでくれよ」

 

 星周は廊下を進みながらそういい、木扉を開ける。

 

 そこに広がっているのは壁、天井に一面に貼り付けられた御札だらけの部屋だった。

 部屋の中心には座布団が敷かれている。

 そして、その四方には赤いロウソクが四本。

 更に、楕円形の姿見が部屋の奥に鎮座していた。

 

 呆気にとられている依子に、星周はにやりと笑いながら言った。

 

「ウチの流派では闇鍋って言ってる。どういうモノか良く分からない相手の場合、そしてそれを調べる時間がない場合。大体何にでも効くように準備をするのさ。雑だけど、効くといえば効く」

 

 確かに時間はなさそうだ、とよりこは腕を見た。

 “アレ”から握られた腕に鈍痛がはしる。

 痛みは1秒ごとに僅かずつ強まっているかのようだった。

 

「依子ちゃんはこのまま一晩…もしかしたら二晩。この部屋に籠って貰う。悪いのだけど食事もなしだ。水はかまわないよ。辛いかもしれないけれど、ぐっと堪えてね。悪い奴が手を出せない所に籠って、依子ちゃんを狙う悪い奴に諦めてもらうのさ。一先ずは、という所だけど。そして時間を稼いで…そうすればお兄さんの仲間が来てくれるから。そしたら本格的に“アレ”を退治する事ができる」

 

 星周は既に本部へ援軍を要請していた。

 並の祓い師ではなく、星周に並ぶほどの業前の持ち主達を寄越すようにと。

 それにはやはり時間が掛かる。

 

 一人では命を懸けても果たして調伏できるかどうか。

 もう他に取れる手段が無いとくれば腹も括るが、援軍を呼び寄せるという手を取れるなら取らない理由はない。

 星周はこんな所で死ぬつもりはさらさら無い。

 

「あの、私…一人でここに…?」

 

 依子は不安そうに星周へ言うが、星周はかんらと笑って首を振った。

 

「まさか!僕もここにいるよ。大丈夫。依子ちゃんは僕が護るさ。お籠りしている間は色々お話でもしようか」

 

 依子は安堵して頷いた。

 星周の様子はいかにも自信に満ちており、依子にはとても対処出来ない異常な現象にも快刀乱麻を断つが如くに解決してくれそうな様子であった。

 

「視た所、夜までは時間がありそうだ。…うぅん…ああ、いくつかおまじないを教えてあげよう。気休めだけれど、依子ちゃんの体質なら今後役に立つ事もあるかもしれない…」

 

 ◆

 

 その日の夜。

 

「へえ、じゃあ依子ちゃんはこれまでも色んな物を見たりきいたりしてきたんだね」

 

 緊張を見せない様子で星周が依子へ尋ねた。

 依子が頷く。

 

「あの…怖くはないんですか…?」

 

 今度は依子が尋ねる。

 星周はにんまりと浮かべ答えた。

 

「怖いとも。でも人間ってのは不思議でね。こういう恐怖に耐え、打ち勝つことで普段以上の力を出すことが出来るんだよ。特に僕らのような仕事の人間はね。負けて堪るか、と歯を食いしばっていればね、不思議と何とかなったりするものだよ」

 

 そういって星周は柔らかい笑顔を浮かべた。

 その笑みから放たれる言語化しづらい陽性のなにかは、未知の恐怖に冷え込む依子の心の体温を幾分か上昇させてくれた。

 

 依子は10にも満たない少女ではあるが、その内面は既に十代半ば程度には成熟していた。

 子供というのは人間関係に妥協ではなく理想を優先する性であり、子供ゆえに評価が厳しいという事もままある。

 

 その厳しい目線…優男然としていて、どこかナヨっちい星周をこれほどまでに頼りに思うというのは、幼い依子をしてちょっと驚きでもあった。

 

 星周と依子はそれからも話を続けていく。

 依子の頬には淡い朱が浮かんでいた。

 

 ◆

 

 依子は我知らず腕を摩った。

 室温が少し下がった気がしたからだ。

 すると星周は持ち込んでいたどてらのような上着を依子に渡した。

 

 ――ぎい、ぎい

 

 濃紺一色で潔い程に華やかさに欠けるそれはしかし、香のようなものが焚き染められており、その香りは依子の精神を僅かに慰撫する。

 

 ――ぎい、ぎい

 

 いい香りだろう?と星周が言う。

 

 ――ぎい、ぎい

 

「薫衣草…ラベンダーの香でね。出産祝いでよく贈られたりするんだ」

 

 出産?と依子が首をかしげる。

 

「ははは、依子ちゃんのというわけじゃないよ。まあ出産というのは生の象徴のような出来事だろう?そういう観念が込められたモノというのは、幽世…つまり、この世のモノじゃない存在が嫌うんだ」

 

 こんなにいい匂いなのに、と依子は思い、だがそれ以上に気になる事があった。

 瞳に不安を湛えながら、依子は部屋の扉のほうを見た。

 先ほどから聞こえる木が軋むような音は一体なんなのだろうか?

 

 依子が思わず星周を見遣ると、あ、っと声をあげそうになって息を吞んだ。

 先ほどまで朗らかに話をしていた星周が、眦をきりりと吊り上げて木扉のほうを見ている。

 いや、睨みつけている。

 星周の唇が小さく震えていた。

 ともすれば色気すら感じられる桜色は、青紫色に見えるほどに変色している。

 

 木扉にもベタベタと御札が貼り付けてあるのだが、その内の1枚が星周達が見ている前で弾け飛んだ。

 

 紙の破損にはどのような形が多いかといえば、これは圧倒的に“破ける”パターンが殆どなのだが、御札は弾け飛んだ。紙の繊維の一本一本に微小な爆弾が仕掛けられていて、それが起爆すればこのような仕儀になるだろうか?

 

 宙に散った細かい紙片は、その一片一片がポゥっと燃えて灰となってしまった。

 

 その光景は時と場所が違っていたならば、美しいという感想も出たのかもしれないが、依子にとっては恐怖以外の感想は出てこない。

 

 ――わ、だあああしぃの、赤…ぢ、ゃあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ん…

 

 余りにも重苦しい呻吟の声。

 身動き出来ない程に拘束した母親の前で、その子供を寸分斬りにしていければ母親はこのような声を出すのだろうか?

 依子は自身の正気を支える糸を鋸で引かれているような気分だった。

 

 だが問題は気分ではない。

 その声が響くと同時に腕が何かに引っ張られるような気がした。不可視の何かが依子の腕を掴んでいる。

 

 ぐい、っと木扉まで腕が引かれるとおもいきや、ばしん、と乾いた音が響く。

 

 星周が手に持つ大幣で依子の腕を叩いたのだ。

 腕を掴む力が弱まり、ばしん。

 星周は再度依子の腕を叩いた。

 依子は腕が自由になったような気がした。

 腕を掴んでいた何かからの圧力が消えてなくなり…

 

「う、ぐ」

 

 詰まるような声が響いた。

 見れば星周の左腕が、袖の上から何かが大きな手で掴まれているではないか。

 左腕の袖の布が手型に窪んでいる。

 

 星周の顔には脂汗が滲んでおり、依子にも彼が多大な苦痛を受けている事が分かる。

 だが依子も星周を気遣っている余裕などはなかった。

 恐怖は彼女の正気の堤防に楔を何本も打ちつけている。

 

 星周はぎり、と歯を食いしばり、震える唇から何か唄の様なものを吟じた。

 

「斬りり、斬りりとさぶらい曰く。白刃、血に塗れ半ばに果つる、――されど我が身の刃は之に有り」

 

 ――斬

 

 星周は右手の人差し指と中指を立てて、左腕に振り下ろした。

 

 ぎゃあという声。

 ぶちんという音。

 それらが同時に響く。

 

 依子は手で自分の口を押さえた。

 床には2本の指…星周の人差し指と中指が転がっている。

 

 ◆

 

「腕は持って行かれずに済んだ…けれど。良くないね…」

 

 星周の声は暗い。

 扉の向こうからは何の音も、声もしない。

 だが“それ”がまだ居る事が依子にも分かる。

 扉の向こうから濃厚な血の匂いが漂ってきたからだ。

 殺意や敵意という攻撃的な負の情念が、血の香りという形で鼻腔へ漂ってきた。

 

 そして、音が聞こえた。

 木扉周辺の御札が次々に弾け飛ぶ音だ。

 

 ばつんっ

 

 ばちんっ

 

 ばつんっ

 

 ばちんっ

 

 “それ”は明らかに怒っている。

 

 ばんばんばんばんと扉を叩く音、弾ける御札。

 床に転がる人間の指。

 

 依子の正気の堤防はあっという間に決壊し、しょろろと下腹部に生暖かいものが伝う。

 

 ばん、ばんという音が一層激しくなり、そして木扉周辺の御札がすっかりと取り除かれていく。

 

 星周は指の切断痕に唇を当て、自身の血を口いっぱいに含んで霧吹きのように扉へふき掛けて言った。

 

「野の犬等より姫を護らむとする侍従は、はつかなる、かくてこはき毒を飲む。かくて手首引き裂き、振りまきてののしりき。“ここより先へ進まば命無し。さりとて来や?”」

 

 応えはない。

 

 ◆

 

 これで暫くは、と星周は思った。

 

 血には様々な霊的な観念が込められている。

 霊的感応力に優れた血に、拒絶や警告などの意を込めた言葉を吹き込む。

 

 そうする事で幽世の存在に、こちらの意思を何となく理解させるのだ。

 

 星周がやったことは、扉の向こうの何かに“ここは自分の縄張りだから入ってこないでくれ“と宣言したようなものである。ただ、普通はもう少し柔らかい言い回しをするものだが。

 

 宣言するだけじゃ意味ないだろう、と思う人もいるかもしれないが、これが案外に効果があったりする。

 

 霊的な存在と言うのは必ずしも言葉を解するわけではない。

 “それ”は日本語らしきものを操るが、だからといって通じると断じるには早計なのだ。

 

 例えば同じ日本人でも、水中に在る人と水上に在る人の会話が成り立つだろうか?

 

 しかし、言葉自体は通じなくとも立ち居振る舞いなどで相手が何を考えているか、相手がどういう状況におかれているか…というのは何となく推測できる。

 

 この立ち居振る舞い…自身のスタンスを相手に表明する事が除霊の業といっても過言ではない。

 

 この世のモノならぬ存在のすべてが生者に対して危害を及ぼそうとしているわけではない。

 生者に干渉してくるモノ達の、それこそ大部分は深い孤独に耐えかねて、何らかのコミュニケーションを求めているだけに過ぎない。

 

 鏡に映りこんだり、ラップ音を立てたり。

 そういう存在を主張するような現象の殆どに実害はない。

 

 だから、意外にもこちらが明確に拒絶すれば事態が収まる事もないわけではない。

 

 ◆

 

 ――明確な悪意がある存在というのは意外にも少ない。だからここまで拒絶されていると分かれば、運が良ければ退いてくれる

 

 星周がそう思った瞬間、部屋中の“全て”の御札が弾けとんだ。木造りの扉がきいいいいと音を立てて開いていく。

 依子はぱらぱらと舞う紙吹雪の向こうに、腹が妙に膨らみ、目が落ち窪んだ老女の姿を見た。

 

 白く薄汚い衣を纏ってはいるが、腹の部分がはだけている。

 そして、腹には無数の赤子の顔が浮かび…

 

 

 ――わ、たじぃぃのあがちゃん…知りませんかァ…

 

 おぎゃあ

 

 ――おいじぃぃあがちゃん、知りませんガァァ…

 

 おぎゃあ

 

 

 ひぃっと依子は喉の奥から甲高い悲鳴をあげた。

 星周はそんな依子の手を乱暴に握り、彼自分の後ろにひっぱって叫んだ。

 

 ――依子ちゃん!鏡の後ろに小さい扉がある!そこから逃げなさい!

 

 逃げるって何処へ、と依子はぼんやりと思う。

 しかし逃げなきゃダメなのだ、という事も分かった。

 生存本能が大声で逃げろ逃げろ逃げろ逃げろと言っている。

 

 ――早く!急げ!

 

 星周の切羽詰った叫びと共に依子は駆け出した。

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