何故だか二日ほど魂が抜けてしまっていたのです。何があったかは思い出せないのですが……。
「……死にそう」
目が覚めた瞬間から分かる。
熱がある。風邪だ。身体が熱くて爆発しそうだ。
起き上がる力もなく、転がり落ちる様にベッドから這い出る。フラフラと起き上がり、台所に向かう。コップに水を一杯入れて、勢いよく飲み干す。
「薬……ない……か」
棚を漁るが何もない。風邪なんて滅多に引かないから、一回切らしてから買い足していなかった。
覚束ない足取りでベッドに戻り、雑に身体を投げ出す。荒い息を吐きながら、少しでも体調を落ち着かせようと深呼吸する。
「とにかく……学校に……電話を」
枕の近くに置いてあるスマホを開き、学校に電話する。担任の先生に体調不良の旨を伝える。
「これで、いいか。……はぁ、はぁ……クソ。身体が怠い」
シャツは汗でぐちゃぐちゃで気持ち悪い。このまま寝るのは気分が良くないが、着替えるのも面倒だ。掛布団も鬱陶しい。
「はぁ、はぁ、また、ひと眠りするか……」
目を閉じる。視界が奪われると、身体中の怠さがダイレクトに伝わってくる。息苦しくて吐きそうで、頭も痛い。今にも泣き叫びそうだ。
何故、こんなにしんどいのだろうか。大学生になってから熱が出た時はあったけど、こんなに症状が酷くはなかった。いや、正確には、酷く感じる事は無かった。
―――そう言えば、子供の頃の熱って、大人の時よりしんどく感じたっけ。いつかは治るって理屈では分かっているけど、子供はどうしても、現状の苦しみが勝ってしまう。
「病は気からって……本当だな……」
中学生の身体に戻った弊害か。最近は心も中学生に引っ張られていた。大人だった頃の俺には何でもなかった感情が、心を蝕んでいた。
本当なら、こんなに風邪が辛い訳ないんだ。本当なら、こんな時に誰かいれば何て、思うはずないんだ。
―――本当なら、一人が寂しいなんて、思うはずないんだ。
俺は、一人で頑張ってきたのだから。
「んー! やっと終わったぁ~」
放課後。一日の終わりを告げるチャイム。解放感を全身で感じながら、背伸びする。
「まひろちゃ~ん。帰ろ~」
もみじを含む皆が、オレの机に集まってくる。オレは「うん」と返事をする。
帰り支度をしていると、女子生徒が一人、オレの所にやってきた。
「緒山さん、ちょっといい?」
「……へ? わたし?」
自分を指さすと、うんうんと頷く。彼女は立川あおい。クラス委員長の子だ。
「緒山さん、藤村くんのお家とか知ってる?」
「あきなの家?」
委員長は手に持ったプリントを見せてくる。今日配られたプリントが数枚。中には保護者宛の物も何枚かある。
あきなは今日欠席していた。昨日からマスクを付けていたし、体調も悪そうだったから、風邪が悪化したのだろう。
「このプリント、藤村くんのお家に届けてほしくて」
「わたしが?」
「このプリント、保護者宛のもあるし、出来れば早く渡したいんだけど……」
「確かに……でも、わたし、あきなの家知らなくて」
あきなの住んでいる場所は分からない。そう言えば、聞いた事無かったなぁ。
「そっか。しょうがないね」
「ごめんねぇ。力になりたいんだけど……」
「それなら、いい方法があるです」
謝っていると、なゆたんが手を挙げて発言の許可を求めている。
「いい方法?」
「なのです。おねーさんに聞いてみるのです」
そう言いながら、手に持っているスマホを指さす。おねーさんにとは確か、みはりの大学の先輩で、俺が女の子になる薬の開発を手助けした悪の親玉だよな? 名前はえっと……ちとせさんだったか?
「おねーさんがあきなの家を知ってるのか?」
「おねーさんと藤村くんはお知り合いなので、把握していると思うです」
あきなとちとせさんは知り合いなのか。ぼんやりと昨日の授業参観を思い出す。確かに話をしていた様な気がする。
「……頼んでいい? なゆたん」
「はいなのです」
そう言うが早いか、なゆたんはちとせさんに電話を掛ける。電話は直ぐ済み、スマホの画面をオレに見せてくる。
「地図を送ってくれたのです」
「……成程。うちの近くだったのか」
これなら、帰り道に寄れそうだ。
「ありがとう。なゆたん。おねーさんにもお礼言っといてくれ」
「了解です。ふへへ」
嬉しそうに敬礼するなゆたん。オレも敬礼を返す。
「委員長、プリント貰うね。わたしが届けるから」
「本当に! ありがとう~」
委員長からプリントを預かる。鞄にプリントをしまい、帰り支度を整える。
「これでよし」
「じゃあ、行こうか」
「うん、わたしはあきなの家に寄って行くけど、皆は?」
「私も付いてくよ」
「僕も行くのです」
もみじ&なゆたんが同行してくれるみたいだ。正直、一人で男子の家に行くのは、委員長に了承した手前言い出せなかったが、ちょっと緊張していた。男子同士のはずなのだが、どうにもこの身体だと不安になってしまうので、二人が一緒に来てくれるのは有り難い。
「ごめんね、まひろちゃん。私は今日は早く帰らないといけなくて」
「あさひも今日、皆でご飯食べに行くから、寄り道できないぞ」
みよ&あさひは申し訳ないと断る。全然いいよと添えて、先に帰ってもらった。
「―――じゃあ、わたし達だけで行こうか」
「そうだね。お見舞いだし、何かコンビニとかで買っていった方がいいかなぁ?」
「ヨーグルトとか、です?」
もみじとなゆたんの三人であきなの家まで向かう。途中のコンビニで適当に食べ物や飲み物を買う。もはや、遊びに行く格好だ。
「―――ここなのです」
ちとせさんの地図の場所に到着する。そこにはアパートが建っていて、三人で外観を見上げる。
「結構年期入ってるな」
「お姉さんと二人暮らしなんだよね?」
かなり老朽化が進んでいる。ここにお姉さんと二人暮らしと考えると、防犯の面で心配になる様なアパートだった。
「二階の三号室なのです」
すたすたと歩いていくなゆたんの後に続く。一回の共有ポストには『藤村』の文字がある。
部屋の前に到着する。チャイムを鳴らすが、応答はない。
「……寝てるのか?」
「かもね」
ノックをしても出てこない。耳をくっ付けてみるが、物音一つしない。
「電話してみる……と思ったけど、連絡先知らないや」
「私も。そう言えば、交換しそびれてから聞いてなかったなぁ」
二人揃って連絡先を知らない。そう言えば交換していなかった。
「おねーさんに聞いてみますね」
再びなゆたんが電話。そして数秒であきな連絡先を入手する。
「掛けてみるです」
「……本人に無許可で、連絡先が流出してるけど、いいのか?」
個人情報が守られていない気がするが、それを許容できる程の仲なのだろう。そう思う事にした。
「―――出ないです」
「音は聞こえるぞ」
耳を近づけて澄ますと、中からケータイの着信音は聞こえる。ケータイが中にあるなら、やっぱり寝ているのだろうか。
「しょうがない。無理に起こすのもあれだし、ポストにプリント入れて帰ろう」
「そうだね」
「なゆたん。悪いけど、後でポストにプリント入ってるって電話してくれないか?」
「了解なのです」
お見舞いは諦めて、当初の目的だけ達成する。一回の共有ポストにプリントを入れて、アパートを後にする。
「買った物、無駄になっちゃったね」
「プリンとか、ヨーグルトとかか。折角だから、家で食べる?」
「まひろのお家で、ですか?」
「うん」
「いいの? じゃあ、お邪魔するね~」
ノリノリのもみじ。対するなゆたんは少し遠慮がちだ。
「その、いいのですか?」
「勿論。みはりも喜ぶしさ」
「―――ッ! はいなのです!」
笑顔で頷くなゆたん。嬉しそうで何よりだ。どうせなら、皆で食べた方が美味いし、楽しい。
自宅への岐路を進んでいると、前に見覚えのある背中が見える。
「あれ? かえでちゃん?」
「お姉ちゃんだ」
走って駆け寄る。後ろ姿は間違いなくかえでちゃんだった。
「もみじにまひろちゃん、それとなゆたちゃんだねぇ。どうした?」
「今からまひろちゃんのお家行くの?」
「おー、じゃあ、私と同じだね」
「かえでちゃんも?」
「みはりに勉強教えてもらう約束しててさぁ」
いやー、と頭を掻くかえでちゃん。前もみはりに勉強を見てもらっていたのを思い出す。
「皆も一緒に勉強する?」
「……遠慮しておきます」
地獄に道連れにしようと手招きしている。生憎とテストはゴールデンウイーク前に終わったし、暫くみはり塾は通わなくていい。
「今日は臨時なので、覚悟もありません」
手に持っている袋をかえでちゃんに差し出す。中身を見て、小首を傾げる。
「プリンにヨーグルト、ミネラルウォーター。……お見舞いみたいなラインナップだね」
「そうなんだ。実は―――」
オレは、今日の出来事を掻い摘んで説明する。
「―――それで、お見舞いに行ったけど、寝てたから諦めたって訳ね」
うんうんと頷くオレ達。あきなの為に買ったけど、本人に渡せなかったので、皆で食べることにしたと付け足す。
「成程ねぇ。……あきな君、大丈夫かなぁ?」
「お姉さんと二人暮らしいし、心配ないと思うけど……」
「あきな君って、お姉さん居るの?」
「そうらしいよ。親御さんが海外出張で、今はお姉さんと二人暮らしいなんだって~」
道すがら、あきなの家族事情をもみじが説明する。
「それなら一安心だけど、やっぱり気になるなぁ。後で私もお見舞い行こうかな」
「あきな、結構しっかりしてるし、大丈夫なんじゃない?」
中学生にしては大人びた言動が多いと感じる事が多い。大変遺憾だが、オレよりもしっかりしている。
「逆にそれが心配なんだよ。普段気丈に振る舞ってる子って、案外脆かったり―――」
途中で言葉を区切る。不自然に思いかえでちゃんの顔を見ると、前方の一点を見つめていた。
「あれ、あきな君?」
かえでちゃんが指さす先を見ると、ジャージ姿のあきなの後ろ姿があった。
「本当だ。でも、さっきまで家で―――」
またしても途中で言葉が切れる。言い終えるより早く、状況が進んでしまったからだ。
フラフラと覚束ない足取りのあきなは、自動販売機に身体を持たれかけている。
そして、そのままズルズルと身体が下がっていき、最後は地面に倒れて動かなくなってしまった。
目が覚めると、夕日が部屋に差し込んでいた。もう夕方か。
背中が痛い。上半身だけ起き上がると、隣にベッドがある。また落ちたのか。
遅れて気が付く。背中どころが全身が痛い。身体も寝る前より熱い。体温計で測ってみると、朝よりも熱が上がっていた。掛布団を掛けないで寝ていたのが悪かったのだろう。身体が冷えて風邪が悪化してしまった。
頭がクラクラする。取りあえず水を。台所でまた水を飲む。
本格的にヤバいかも知れない。これ以上悪化する前に、動けるうちに動いた方がいい。
まずは薬を買ってこよう。一番近い薬局でいいか……。
スマホでメモを確認すると、今日がスーパーの特売日と記載されている。そうだった。昨日までは覚えていたし、今日の特売での食料調達を頼りにしてた。朝からの発熱ですっかり頭から飛んでいた。
どうする。買い出しには行きたいが、この体調では……
スマホの画面に表示されている『藤村あかり』の名前。あかりに協力してもらえば、このまま家で安静に出来るが……。
「……」
スマホを机に置き、出かける支度をする。汗ばんだシャツを脱ぎ、畳んであるジャージを着る。髪はボサボサのままだが気にしている余裕はない。
マスクをして、最低限財布と自宅の部屋の鍵だけ持って、家を出る。
ふらつく足取りで目的地に向かう。寒気が止まらない。もう少し厚着して来ればよかった。
何だか視界もぼやけている。身体が怠くて重い。とにかく辛い。
辛い。辛い。辛い。こんなに辛いのは久しぶりだ。―――思い出してしまう。あの頃。最近夢に見るあの頃。
辛くても抜け出せない。背中を丸めて、蹲っていたあの頃。―――そうだ。丁度、今くらい。中学生くらいだったよな。
「……下らない記憶、思い出させやがって」
立ち止まって、自動販売機にもたれ掛かる。これがいけなかった。一度足を止めると、中々動きだせない。
重力が強まった錯覚に陥る程に、身体が地面に吸い寄せられる。足腰は砕けて、横向きに身体が倒れる。
荒い息を吐く。ぼんやりとした視界の中で、また、昔の記憶を思い出す。
惨めに這いつくばった記憶。悔しくて逃げ出して、丸まっていた記憶。
「……ほんと、下らないなぁ。俺―――」
薄れゆく意識の中、コンクリートの冷たさが心地よく、外気は涼しくて、ベッドの上より寝やすかった。
目が覚めると、見慣れない天井が広がっていた。最初に感じたのは、額に広がる冷たい感触。
手で触ると、何かが乗っている。冷たい布。タオルだろうか。水に浸したタオルを額に乗せるのは、熱を出した患者への対処だ。
身体が少し軽くなっている。本当に少しだが、思い出せる最後の記憶より体調がいい。
「……ここは」
視線を動かすと、布団で寝かされている事に気が付く。そして、枕元で座り込んで漫画を読んでいる少女が一人。
「お、起きたか」
「……まひろ?」
名前を呼ぶと「おう」と返事をする。どうしてまひろが? というかここは何処だ?
仰向けになりながら見渡す。壁には女性が描かれているポスター。パソコンや漫画本が並べられた棚など、如何にも男性の部屋といった内装だ。
そんな部屋に、普段は見ない服を着たまひろ。部屋着なのだろうか。パジャマ姿で髪を下しているまひろは、悔しいが俺の好みの格好をしていた。
(……夢、か)
そこまで来て気が付く。これは夢か。不釣り合いな部屋に、俺の性癖を突く風貌をしているまひろ。こんな都合がいい状況が現実な訳がない。
ぼんやりとした視界。夢と現実の間の様だ。少しでも気を抜くと目が覚めそうだ。
頭を動かすと、タオルが頭から落ちる。乗せようとすると、まひろがタオルを取って、乗せ直してくれる。
「ほら、あんまり動くなよ」
「……うん」
思わず変な声が出てしまうが、夢の中なのだ。多少は許されるだろし、恥ずかしがる事もない。
俺は、布団から手を出して、近くにあったまひろの手を掴む。
「お、おい。どうしたんだ?」
「……握ってて、いいか?」
「ふぇ!?」
驚くまひろ。あぁ、現実ならこんな反応しそうだな。俺の思考の中なのだから、俺の想定する反応するのは当然なのだが。
「安心……するんだ」
「……まぁ、いいけど」
顔を赤らめて承諾してくれるまひろ。スゲー可愛い。―――当然か。俺の夢の中なのだから。俺の感性に寄っているはずなのだから。
「まひろって、可愛いよな」
「な、何だぁ!? いきなり!」
熱で思考力が低下しているのか。それとも夢の中でタガが外れているのか。普段言えない事を平然と口走ってしまう。
「転校してきた時から思ってたんだぁ。可愛い子だなって」
「お、おお、お前!? 何言ってんだ!?」
「髪も綺麗だし、小柄だし、仕草もいちいち可愛くて……」
とめどなく口から漏れ出る。普段本音を言えない反動が、夢の中で爆発する。
「あぁ、可愛いなぁ。本当に、可愛い……」
「か、可愛い連呼するなぁ!? バカバカぁ!!」
顔を真っ赤にして怒っている。その様子も可愛くて、どうしようもなく愛おしい。
「……みはりちゃんの妹だって知った時は驚いたなぁ。でも、みはりちゃんも可愛いし、少し納得したよ」
「……いつからちゃん付けで呼ぶ仲になったんだ?」
「そりゃ、同期だし、同じ大学だし、当然だろ?」
「同じ……大学?」
「そぉーそぉー、同じ大学の同期で、みはりちゃんは―――」
「……ん? あきな?」
「―――すう」
「寝た。……もしかして、寝言だったのか?」
「―――」
「……全く。変にドキドキしただろうが、この!」
次回に続くって感じです。火曜日に投稿できるように頑張ります。
まひろの部屋の内装は、アニメ準拠なので、美少女ポスターがいっぱい張ってあります。漫画の大掃除回後はどうなっているのか。気になりますね!
まぁ、いつかアニメで見れますよね!