今日しか休みがありませんでした……。
「―――いてッ!」
床に落ちる。それで目が覚める。最近こんなんばっかりだ。
むくりと身体を起こし、眠気でシバシバする目を擦る。薄っすらと開いた瞼の隙間に、朝の日差しが差し込んでくる。
隣のベッドを利用して立ち上がり、大きく背伸びをする。するといつもと違う感覚でバランスを崩してベッドに倒れ込んでしまう。
「ぐへ」
変な声が出る。ぼんやりと天井を眺める事数分。改めて起き上がり、後頭部を掻く。髪を指で梳かすようにすると、長い長い髪が手に絡まる。
普段から猫背の背中が、胸部の重みで更に前のめりになる。両の膨らみを両手で支えるように持ってみる。フニフニぷにぷにの塊を揉んでみるが、何の感情も沸かない。
ボサボサの髪を振り乱し、ベッドから降りる。再び背伸びをして、またしても倒れそうになるのを必死で堪えて体制を立て直す。
身体が女の子になってから二日目の朝。何の変化もない自身の身体に肩を落としながら、部屋を出る。
「おはよ~、あきな君」
「おはよ~」
リビングでは、みはりちゃんが朝食を作っている最中だった。俺は覚束ない足取りで椅子に座り、テーブルに突っ伏す。
「まだお眠ですか?」
「う~ん……まだ慣れないって感じかなぁ」
身体の疲れが取れていない。昨日はぐっすり眠れなかった。冷房の利いた部屋で、アパートの部屋の百倍快適な室内のはずなのに。寝不足になるのは同じだった。
「身体の異変があったら直ぐに言って下さいね。他の薬と併用するなんて想定外なので、万が一があるかも知れませんから」
「何それ怖い」
元々飲んでいた『子供になる薬』と、追加で飲んだ『女の子になる薬』。結果として小学生の女児の姿になっているが、単純な足し算ではないのだろう。かけたり割ったり、はたまた引いたりが身体の中で起こっているかも知れない。
何が起こるか分からない。正に人生と同じじゃないか! そんな適当な事を考えて誤魔化す程度には戦々恐々としている。
「取りあえず、あかりには私から連絡しておきます」
「……頼む」
「何か引っかかる事でも?」
即答しなかった俺を訝しむみはりちゃん。あかりに連絡を取ってくれる事は有り難い。専門家同士でないと解決できない案件なのは重々承知している……のだが。
「あかりの耳に入ったら、どんなに揶揄われる事か……」
「そうですねぇ……。撫で回されそうな気がします」
想像するだけで怖気を震う。身震いする俺にそっとコーヒーを差し出してくれる。
「どうぞ。ブラックです」
「おぉ……ありがてぇ」
まるで雪山で遭難した時の様に両手でカップを掴む。真夏でクソ暑い中、暖かいコーヒーが身体に染みる……。
「―――にっがぁ~」
下顎が外れそうになるくらい開く。舌を出してうえぇっとなる。
「味覚も退化してるんですね」
幼体化は舌にまで及んでいる。当たり前ではあるが、改めて突き付けられた現実に愕然とする。
「朝のコーヒータイムが……」
もう一度トライしてみるが、舌が苦みを受け付けない。あんなに愛しいベスト飲料水が、ただの茶色い液体にしか見えない。
「……ミルクを」
「どうぞ」
そうなるだろと予め準備していた様に、さっと差し出されたミルクを大量に投入し、何とか身体に流し込む。甘いものは好きだが、人生で常にブラックを愛飲していた俺には屈辱的だった。
「くっそぉ~。負けた……」
「勝ち負けなんですか?」
悔しさの余り台パンする。軽く殴っただけなのに、手にはジンジンと痛みが走る。身体全体の耐久値も著しく下がっている。
弱体化した悲しみに浸っていると、階段を降りてくる音が聞こえてくる。テーブルに乗っている頭だけ動かして見ると、昨日と同じくまひろが眠そうに欠伸をしていた。
「おはよ~。みはりぃ、あきなぁ~」
「おはよ~」
「……おはよ」
顔を背けて挨拶をする。まひろが俺の隣に座る。
「……」
「おい。どうして離れる?」
俺はまひろから距離を取る様に立ち上がってソファー席へ。俺の露骨な態度に不満げなまひろ。
「身の危険を感じた為」
「……昨日のはその……悪かったって」
昨日の一件。胸揉みしだき事件(しだいてはいない)から、まひろとは一定の距離を保っている。
「ごめん! 悪かったよ! 許してくれ!」
「……善処する」
「これは許して貰うの大変そうだねぇ」
手を合わせて謝罪するまひろだが、そう簡単に首を縦に振れない。正直、胸を揉まれた事は別にいいのだが、問題はそこじゃない。
「……俺も別に怒ってる訳じゃ―――」
言い終わる前に玄関チャイムが鳴り、みはりちゃんがリビングを出ていく。途中まで言いかけた言葉を飲み込む。
怒っている訳じゃない。ただ、警戒しなければならない理由があるんだ。女の子の接近を警戒する理由が、俺にはある。
俺にとってそれは、人生に掛けられた呪いの様なもので―――。
「やっほ~。まひろちゃん、あきな君、遊びに来たよ~」
リビングに入ってきたのは、後ろ手に髪を結んでいるギャル系高校生、穂月かえで。みはりちゃんの親友で、大人びた雰囲気があるお姉さんだ。
そんな彼女と目が合う。まじまじと見つめう俺達だったが、その均衡を破ったのはかえでさんだった。
「この子……誰?」
「……は!?」
言われた気が付く。そう言えば今の俺は藤村あきなではない。いや、藤村あきなではあるのだが……いやいや! そもそも藤村あきなではなく、八神あきななのだが……!!
とにかく、今の俺の見た目はかえでさんが知っている俺ではない。黒髪ロングの幼女で、みはりちゃんの中学生時代のジャージを着ているロリっ子。そりゃ、かえでさんが俺を認識できないのは当たり前だ。
「……」
思わずたじろぐ。何故かは分からないが、とてつもなく嫌な予感がする。野生の勘が、本能が、人生経験が、この場は逃げろと言っている。
一瞬の思考で目を光らせた俺は、咄嗟にリビングの出口に向かう為に体制を低くする。推進力を生む為に足に力を込めて踏ん張る。
逃げる。ただそれだけでは駄目だ。明確に逃げる場所を考え、目指さなければ。
二階は駄目だ。何処に逃げようとも最終的に行き止まり。捕まってしまう。なら取れる択は一つ、外だ。出た後の事は未定だが、とにかく無限の可能性が広がる外界に出る。話はそれからだ。
一歩。右足を踏み込む。お次は左足を前へ。この連なりで起きる現象は一つ、走る。走ってこの場を抜け出し、外へ脱出する。この思考、僅か二秒!!
「さらば―――ぶへッ!!」
三歩目を踏み出した所で、サイズの合わない余った裾を踏んで前にこける。思いっきりビタンと倒れてそのまま突っ伏していると、両脇腹からするりと回された手に身体を抱えられる。
「大丈夫?」
かえでさんに捕まり、そのままソファーに連行。かえでさんの股の間に挟まれる形で座らされる。
「怪我とかしてない?」
「……ふぁい」
上ずって噛みまくりの返事しか出来ない。かえでさんは「良かった~」と頭を撫でている。傍から見れば微笑ましい光景かも知れないが、俺としては生きた心地がしない状態だった。
冷や汗が止まらず、身体も震えだす。焦点の合わない目はグルグルと回り続け、思考力も低下しどんどん青ざめていく。
俺がまひろを警戒していた理由。見た目が同性のせいで気安くなったスキンシップ。でもそれは、俺にとっては死活問題だ。
女性恐怖症の俺にとって、女の子との過剰な密着は避けたかった……のだが、ルンルン気分で俺を後ろから抱きしめているかえでさんには伝わっていない。俺は、借りてきた猫以上に身体を硬直させて耐えるしかなかった。
「いや~、かえでが来るの忘れてたよ~」
「ちょっとぉ、酷くない!?」
突然のかえでさん襲来……だと思っていたら、予定通りだったらしい。
「昨日色々あって、すっぽ抜けてた」
「みはりも案外ドジな所あるしなぁ」
うんうんと納得しているまひろ。逆にみはりちゃんは納得していない様子だが、俺もみはりちゃんのドジっ子属性には気が付いていたのでまひろに共感だ。
まぁ、そのせいでこの状況になっているなら容認できない気持ちでいっぱいだが……。
「お名前は~?」
「な、名前!? 名前……」
後ろから聞こえてくるかえでさんの声にびくりとする。名前……俺の名前……。
「―――八神あきな」
「え!?」
ぼそりと呟くと、みはりちゃんが驚いて俺の顔を見る。言いたい事は分かるんだけど、特に何も思い付かなかった。というか、思考を巡らせる程の余裕がない。
「あきなちゃん?」
「……はい」
「へぇ~、あきなちゃんかぁ。私の友達にもあきなって子が居るんだ。男の子だけどね」
そう言いながらまひろやみはりちゃんの顔を見るかえでさん。愛想笑いをしている二人には申し訳ない。
「―――そう言えば、あきな君は?」
「え? あ、えっと~……友達の所に遊びに行ってるよ?」
あきな(♂)の所在を聞かれたみはりちゃんが適当に話を合わせてくれる。そう言えば、俺が緒山宅に泊まる事になったその現場にかえでさんも居たんだった。
「あきなちゃんは、まひろちゃんのお友達?」
「う、うん! そうそう!」
動揺しながらも肯定するまひろ。
「クラスの子?」
「え!? いやぁ~……」
言い淀むまひろ。クラスの子と言えばそうだが、違うと言えば違うなぁ。
まひろが俺を見てくる。そっちで何とかしろという意思表示だとは思うが、今の俺に上手い言い訳を思い付く思考力はない。
「……ネット! ネットゲームで知り合った友達だよねぇ~? まひろちゃん?」
「そ、そうなんだよ~。あははは」
みはりちゃんの提案に乗るまひろ。俺も精一杯の意思表示で頭を縦にぶんぶん振る。
「成程。私知ってる。オフ会ってやつだよね?」
「そんな所かな~、あははは」
とにかく愛想笑いをするまひろ。どうにか誤魔化せた様だ。
「あきなちゃんゲーム好きなんだねぇ。面白いの合ったらお姉さんにも教えて欲しいなぁ~」
「……あう。あの……」
上手く喋る事も出来ない。コミュ障ここに極まれりといったレベルだ。……というか、これ以上喋ろうとすると―――。
「ほら! かえで。今日は勉強する為に来たんでしょ! 私の部屋行くよ!」
「え~!? もうちょっとあきなちゃんとお話ししたいな~」
「あきなちゃんも困ってるでしょ? このまま勉強するの忘れてたみたいになると悲惨だよ」
「自分は私の事忘れてたくせにぃ~」
みはりちゃんがかえでさんを引っ張って二階に上がっていく。ようやく解放された俺は床に膝を付く。
「はぁ……はぁ……」
「だ、大丈夫か?」
まひろが心配そうに声を掛けてくる。
「大丈夫……じゃないッ!」
口を抑えながらその場を去る。向かったのはトイレだ。勢いよくトイレに駆け込む。
―――数分後に戻ってきた俺は、気持ちを落ち着かせる為にソファーに座る。
「だ、大丈夫か?」
再びまひろをそう聞かれ、俺は顔を逸らす。
「……コップ貰っていいか?」
「え? あ、あぁ」
用意されたコップを手渡される。俺は水を入れて、口を濯ぎ、水を飲む。
「はぁ~……」
「お、おい。本当に大丈夫か?」
再三にわたりまひろに心配される。俺はフラフラとソファーに戻って、深く座る。
「……大丈夫だ。問題ない」
「流石に分かってきたぞ。お前がそう言う時は大体ダメだな時だって」
「……」
「なぁ、何かあるなら言って―――」
まひろが言い終わる前に玄関のチャイムが鳴る。俺は明後日の方を向いて何もないアピールし続けると、まひろは諦めて玄関に向かう。
「―――言える訳ないだろ。俺が女性恐怖症だって……」
これは俺のプライドの様なもので、今まで人に自分から話した事は無い。理由は色々あるが、特に異性には言いたくなかった。
―――まるで、自分の境遇に言い訳してる様で癪だから。
「お邪魔しまーす」
そう言いながらリビングに入ってきたのは、見覚えのあるショットヘアの少女、もみじだった。
「お邪魔します」
「まひろん! お菓子は何処だぁ!?」
「用意するか待ってって!」
「お邪魔するです」
後に続いて入ってきたのは、その友人である室崎とあさひ。あさひ引っ張られるまひろと、最後になゆた。
いつもの仲良しパーティの襲来に、俺は空いた口が塞がらない。
「な、なん……ッ!」
「え? 誰?」
もみじと目が合う。驚いた様子でこちらを見ており、後の三人も俺を不思議そうに見ている。
「……いや~、そう言えばもみじ達と勉強する予定だったの忘れてたよ~。てへぺろ」
唯一まひろだけがお道化た様子だった。俺はまひろを凝視するが、顔を逸らされてしまう。先程とは逆だ。
姉妹揃って抜けている所を見ると、仲良し似た者同士で大変微笑ましくて尊いのだが、被害を受ける俺はたまったもんじゃないよなぁ。いや、本当に。
五月の投稿も今日が最後ですね。長かったなぁ。
今後の更新頻度ですが、誠に勝手ながら、今までは三日に一話をなるべく厳守していたのですが、六月からは一週間に二話。三、四日に一話になります。
理由は単純で、ストックが無くなったからです。決して気力がないからではありません。寧ろやる気が満ち溢れています。ないのは時間です。社畜あるあるです。
以前にも少しだけ書きましたが、この作品は必ず最後まで書きます。途中で終わる事は絶対にありません。それだけは信じて頂ければ幸いです。
もし更新されなくなったら、僕がこの世に居ないからだと断定してください。
これからも書き続けます。付いてきて頂ける方が居られましたら、何卒よろしくお願いします!