……決して、四日、三日で一週間を割っている訳ではないのです。本当です。
これが嘘を吐いている人間の眼か!
「……暇だ」
流れる時間を全身で感じながら、呆けた顔でソファーに座る。
緒山宅のリビングで、俺は身体をソファーに投げ出す様に座っていた。身体中の力を抜いて、完全にだらけ切っている。
人の家でこの態度は如何なものかと思う程の溶け具合だが、まひろはもみじと出掛けており、みはりちゃんも大学に行っていて、家には一人。そうなると全身から力が抜けるのも必然と言えよう。全ては夏の暑さと、エアコンの快適さが悪いのだ。
ぼんやりとしていると時間だけが流れていく。特にやる事もなく、動く気力もなく、ダラダラとソファーで寝転がってみたり、無駄に腹筋して三回でダウンしてみたり。
とにかく暇だ。夏休みとは、こんなにも怠惰に過ごす期間だっただろうか?
過去の夏休みを思い出す。大学はずっとバイトだったなぁ。高校の時は必至で勉強してたし、中学は―――。
「―――暇だ」
仰向けで天井を見ながら、置かれている状況と心境をそのまま口にする。とにかく時間を持て余している。
起き上がって背伸びをする。ボサボサの髪に指を通し、ぶかぶかのシャツで無駄に風を起こしてみる。ばふばふすると下半身が冷えて、途端に尿意が登ってくる。
お花を摘み、洗面所で顔を洗う。鏡に映し出される姿をぼんやりと眺め、歯を磨き、軽く櫛で髪を梳いて、再びソファーにダイブ。
「―――暇だ」
少しくらいは時間が潰れるかと思ったが、所要時間十分未満の身だしなみチェックでは、退屈はちっとも埋まらない。何か暇つぶしになるものはないだろうか。
人の家で一人テレビゲームするのは気が引けるし、宿題も殆ど終わってるし、自己学習は飽きたし―――。
「―――暇」
今度はうつ伏せになってソファーに顔を埋めていると、スマホがぶるりと振動する。手に取って画面を確認すると、みなとからメッセージが来ていた。
遊びの誘いだ。駅前に集合して遊ばないか、と。
「おぉ!! いいタイミング!」
嬉しさに思わず飛び上がる。暇を持て余して溢れんばかりだった今、友達からの誘いはまさに天啓。
爆速で返信し、ウキウキで身支度を整える。寝癖を直し、服を選び、鏡の前で一回転。
「よし! 行くぞ!」
気合を入れて玄関のドアノブを掴んだ所で身体の動きを止めて、自分がしてしまったミスと見落としに気が付く。
俺、今……女の子だった。
完全に失念していた。この姿のままみなとの前に行ってどうする? 女の子になりましたとか言うのか? というか、そんな事言って信じて貰えるのか? そもそも、ばらしてどうするんだ?
色々考えるが、結論、意味不明な事を言っているだけの変質者になるだけだという結論に至り、渋々みなとに断りのメッセージを送る。
「……くっそぅ」
頭を抱えてしゃがみ込む。せっかくおめかししたのに無駄になってしまった。玄関からリビングに戻り、鏡の前で再び一回転。
みはりちゃんに買って貰った白を基調としたワンピースは、長くて艶やかな黒髪とよく似合う。自分でもドン引きの美少女姿を眺め、今度は膝から崩れ落ちる。
「何を楽しくオシャレしてんだ俺は……!」
自然と女の子の服を着て外出しようとしていた。身体が女の子になって数日で慣れてしまっている自分が恐ろしい。余りにも適応力が高い。自分でも驚きだ。これも、身体が縮んだ経験が生きているのだろうか?
急速にクールダウンして、胡坐で鏡の前に座る。頬杖をついてぶっすりとした表情で鏡を睨む。こんな顔でも可愛く見えるのは、もはや自惚れを通り越して、本当に美少女なのだと思う。
「……」
再び立ち上がり、またしても鏡前で一回転。飛んだり跳ねたり、ある程度動いた所で決意する。
「……よし、出掛けるか」
せっかくおめかししたのに、自宅だけで楽しむのは勿体ない。そんな貧乏精神なのか何なのか。暇だけでなくこの美少女すらも持て余している現状に耐え兼ねる。
玄関のドアノブを掴み、一回深呼吸し、意を決して外の世界へ。
女の子の身体になって、初めて一人で外出した。
勢いで駅前まで来た俺だったが、特にやる事もなく突っ立っていた。
取りあえず疲れたのでベンチに座る。歩き疲れた。駅前まで来るのに疲れたと感じたのは初めてだ。年齢の低下と共に身体能力も低下しているのか。
「あっちぃ」
手で顔を仰ぐ。夏真っ盛りの日差しが照り付けて、リビングでだらけていた時とは違った状態で溶けそうだ。
胸周りが熱い。普段は付けていない布が多い影響だろうか。特に谷間が蒸れる。
何の気なしに胸元をパタパタさせて風を起こしていると、視線が集まっている事に気が付く。主に道行く男性諸君の視線が。
「……あ」
咄嗟に胸元を両手で隠し、その反応してしまった自分を断罪する為に頭を叩く。
イカン。イカンぞ。女の子になってからというもの、徐々に性別まで引っ張られている感覚がある。女性として羞恥を分かってしまう自分がいる。
「何か、段々自分を見失ってる気が……ん? あれは―――」
頭を抱えて悩んでいると、ふと視界の端を見知った顔が横切る。
「ゆうたと……高田さん?」
見るとそこには、並んで歩く二人。一人は桜田ゆうた。中学校での友達だ。そしてもう一人は確か、高田さつき。明るくて気が強そうな子だ。
普段から高田がゆうたに突っかかっているのをよく見る。突っかかっていると言っても、主にゆうたがやらかして注意されている構図だが。その二人が並んで歩いているという事は……。
「怪しい」
十中八九デートである。嫌よ嫌よも好きのうち……というか、そういう意味合いがあってゆうたにちょっかい掛けているという事か。成程成程。
「これは、後を付けない訳にはいかないよなぁ?」
飢えた魚だった俺に、美味そうな餌が与えられてしまったのだ。食らいつかない訳にはいかない。正に水を得た魚の様に生き生きとして尾行を開始する。
つかず離れずをキープしながら、二人の様子を観察する。会話は聞き取れないが、何やら楽しそうな雰囲気は伝わってくる。
「青春やなぁ」
若かりし男女が長期休みにデート。正に青春の一ページ。大変微笑ましくもあり、友達の恋愛模様に歯ぎしりを禁じえない。
クソ、楽しそうやんけ。見せつけてきやがってよぉ?
「……邪魔してやりてぇ」
邪悪な心が顔を覗かせる度に、己を恥じて尾行を続ける。妬ましいが、流石に中学生のデートの邪魔をするのは人としての恥だ。男としての矜持は無くなってしまったが、人としてはまだギリギリをキープしている……自負がある。
唇を噛みながら後尻付いていくと、二人がファストフード店に入っていった。時計を確認すると、十二時を回っていた。もうお昼時か。
二人に習って俺も店内へ。今日の昼飯は自分で用意するとみはりちゃんには伝えていた。ジャンクフードを食べる予定はなかったが、久しぶりにそれもアリか。
お昼時で賑わう店内。列に並んだ二人の真後ろに付ける。これでは尾行がバレる危険があると焦ったが、よくよく考えてみれば俺は今、女の子の姿なのだ。あきな君ならいざ知らず、あきなちゃんである俺が二人から怪しまれる可能性は皆無。
(最初からこうすれば良かった)
コソコソしなくても堂々と近くで聞き耳を立てることが出来る。この身体に感謝だ。……本当か?
混雑する店内で、前に並ぶ二人の会話が聞こえてくる。
「何食べる? 俺はビックバーガーかなぁ」
「私は……普通のハンバーガーで」
「奢りだからって遠慮しなくていいぞ? もっと食べるだろ?」
「そッそんな事ないもん! バカぁ!」
「いてっ! 何で殴る!?」
ヤバい。胃もたれする程濃厚なやり取りが聞こえてくる。これで付き合ってないんだぜ? ……本当か? 本当だよね?
二人が注文を終え、俺の番になる。メニューを眺めて適当に決める。
「えっと……ダブルバーガーにポテトL。後、コーラはMで」
起立型の番号札を貰い、先に席に座っていた二人の近くの席に座る。
談笑する二人を眺める。楽しそうな二人を見ていると、急に自分の立場が空しく感じてくる。
休日に友達のデートを尾行する大学生。字面だけでも最悪だし、行為も最低だ。そう考えると、罪悪感なるものまで生まれてきてしまった。
何だか白けてしまって席に深く座り込んでいると、注文した商品が届く。
「おまたせいたしました。こちら、ダブルバーガーと……あれ?」
店員が注文を確認する手を止め、俺の顔を見ている。
「あきなちゃん?」
「え?」
「やっぱり、あきなちゃんだぁ~!」
名前を呼ばれて店員の顔を見ると、ぱぁっと明るい表情をしたかえでさんがいた。
「かえでさん? どうして……あ」
言いかけて思い出す。そう言えばここはかえでさんがバイトしている店だった。
「ここでバイトしてるんだぁ~って、見れば分かるか」
「そ、そうなんですねぇ~。初耳~」
苦笑いしながら驚いてみせる。初出の情報ではないせいで、変な返しをしてしまった。
「結構食べるんだねぇ」
トレーをテーブルに置き、俺が頼んだメニューを見ながら驚いている。
「これくらいはまぁ」
「凄いなぁ」
ハンバーガーにポテト、ドリンクくらいは平均男子なら食べるだろ?
「じゃ、ごゆっくりぃ~」
ひらひらと手を振って戻っていく。それを見送ってハンバーガーに噛り付く。
「……うん。久しぶりに上手いな」
ハンバーガーを食べる手が止まらない。むしゃむしゃと食べて、箸はないが箸休めにポテト。それらをコーラで流し込む。たまにはこういうのも悪くない。
久しぶりのジャンクな味わいに、尾行を忘れて黙々と目の前の食べ物を貪った。
「……う、気持ち悪い」
パンパンのお腹と、無理矢理詰め込んだポテトの風味が口に残り、吐き出しそうになるのを必死に抑える。
毎回毎回忘れている。俺は今、身体が女の子なのだ。男と同じ感覚で居てはいけない。今回もそれで失敗した。
胃袋の許容量が変わっていた。と言っても大食いに男女の差はないので、性別のせいとは言い難いが、俺の胃袋は見た目と同じく縮んでいたらしい。
最初は調子よく食べていたのだが、徐々にペースが落ちて、しまいには一口食べるごとに休憩を挟んでいた。残す訳にはいかないので限界を超えて食べ続けていたら、完食は出来たが、店を出て数歩で動けなくなる。
のそのそ食べていたのでゆうたと高田はいなくなり、尾行の代償と言わんばかりに、壁にもたれて動けない俺。
「天罰……かな?」
友達の恋路を妨害しようとした俺に対する神様の忠告……ではないな。完全に俺が悪いです。はい。
座り込んで動けなくなる。本当に何してんだ。今日の俺は。
「大丈夫?」
俯いている俺に声が掛かる。顔を上げると、かえでさんが心配そうに俺を見下ろしていた。
「かえでさん……あれ? バイトは?」
「今日はショートでお昼までなんだ~。忙しい時間だけのね。それより、あきなちゃん大丈夫? 立てる?」
そう言いながら手を差し伸べてくる。その手を取り立ち上がる。
「歩けなくはないです」
「どうしたの? お姉さんに言ってごらん?」
「……食べ過ぎです」
「あー、成程」
お腹を摩って答える。さっきは「これくらい余裕」みたいな態度を取っていた手前、恥ずかしくて顔を逸らしてしまう。
「私、お薬持ってるから、飲む?」
「え?」
「お水もあるよ~。取りあえず、近くのベンチまで行こう」
俺の身体に手を回して、支える様に歩いてくれる。
身体と身体の密着で、嘔吐感が少しだけ増したが、それ以上に彼女の優しさに気分が楽になった。
ベンチに座って薬を飲む。安静にしている間も、かえでさんが隣で見守ってくれた。
「気分が悪くなったら言うんだよ。動くのも億劫なら私が背負って歩くね!」
「……ありがとうございます」
うんうんとにこやかに微笑んで頭を撫でてくる。気恥ずかしさから俯くのと同時に、心に懐かしい温かさが広がっていく。
―――昔、姉にも同じように事をされた。泣いて帰った日は、家で姉が慰めてくれた。頭を優しく撫でてくれるのが好きだった。あの時の温もりが蘇る。
「座ってるのも辛かったら、お姉さんの膝もあるからね」
「―――」
ほらと手を広げている。その姿も実妹と重なる。どの世界でも、姉はこんな感じなのだろうか。何処までも優しくてお人好しで、頼もしい存在。
「―――なら、お言葉に甘えて」
こてんと膝に頭を乗せる。かえでさんの「お?」という声が上から聞こえてくる。
「気が済むまでこうしてていいからね~」
「……」
頭を撫でられる。その度に甘い声が出そうになるのを必死に堪える。如何に身体が女の子であっても、超えてはいけない一線がある。俺基準だが。
暫く、胃袋が落ち着くまでかえでさんの膝を借りていた。その間、ずっと優しい手つきで頭を撫でたり、身体を摩ってくれた。
体調は平行線だったけど、心地の良い時間を過ごさせて貰った。
「ご迷惑をかけて申し訳ありません」
「いいって、いいって」
深々と頭を下げる。弁明の余地もない程俺が悪い。自業自得の食い過ぎにここまで手厚く介護してもらった。
「何かお礼を……」
「もー、いいからいいから。あきなって子は皆生真面目だねぇ」
頭を下げ続ける俺にうーんと唸るかえでさん。彼女はいいと言っているが、何かお礼をしないと気が収まらない。
「……お礼を」
「そんな事言われてもなぁ……そうだ! なら、今度ちょっと付き合ってよ」
「? 何に?」
「私の趣味に」
妖艶に微笑む。……何だか嫌な予感がする。
「因みにどんな……?」
「まずはお化粧かなぁ。あきなちゃん可愛いから絶対映えるし。後はマッサージとか。得意なんだけど、あきなちゃんにも練習相手になって貰おうかな?」
「そ、それはまた」
ハードルの高い要求を仰る。マッサージとは、身体への接触が多い行為は恐怖症的に危険だ。どうなるか分かったものではない。
まぁ、マッサージはまだいいとして―――化粧!? 男でも化粧をするのは最近の流行りらしいが、女の子としてするのでは訳が違う気がする。どんどん自身の性別が乖離していく。
「あ、何なら今からする? 簡単なのならここでも―――」
「遠慮します!」
「まぁまぁ、そう言わずに……ね?」
ずずずと近付いてくる。背筋に嫌な汗が一筋。これは恐怖症由来のものではなく、これから起こる事への冷や汗だ。
「ま、また今度でぇーっ!!」
「あぁ待って!」
走ってその場を離れる。自己統一性の危機に全力で逃げ出す。
その必死さのせいで、前を歩く人に気が付かず、背中に突進してしまった。
「きゃ!?」
「のわっ!?」
ぶつかった男性は仰け反ったが、倒れる事は無かった。逆に俺は跳ね返され、尻餅を付いてしまう。
「いてて……」
「大丈夫か?」
「すみません。前見てなくて―――」
差し出された手を取ろうとした時、ぶつかった相手の顔を見る。その顔を見た俺は、思いっきり立ち上がってその彼に飛び付く。
「ゆうたぁー!」
「うわっ! 何だ!?」
ゆうたに抱きついて泣きつく。この時、自分の姿がどうだとか、一切頭に入っていなかった。
「助けてぇ! ゆうたぁ!」
「お、落ち着けって!? というか、誰だ!?」
「ゆうたぁ~」
泣きながらしがみ付く。最近、女性ばかりに囲まれていたので、男の身体に安心感を覚える。この思考も危険なのだが、この時の俺は気が付かない。
「女の子泣かせてる。サイテー」
「ち、違うって!」
ゆうたと俺を見て、冷ややかな視線を高田が向けていた。暫くゆうたにしがみ付く俺と、必死に言い訳をするゆうた。それを光彩の消えた目で聞いている高田。そんなシュールな光景が続いた。
意図せず、ゆうたのデートを妨害した事に、案の定俺は気が付かなかった。とにかく何も気が付かない、著しい脳の老化を感じさせる一日だった。
その頃みなと君は、ゆうたにも遊びの誘いを断られ、あきなにも断られ、一人家でゲームをしています。
ごめんな。みなと君。