「これは……生理ですね」
ベッドに横たわって唸る俺に、冷静な診断を下すみはりちゃん。
「せ、せいりぃ……?」
聞き慣れないワードと、それが自分の身に降りかかっているという現実に理解が追い付かない。
「部屋はそんなに散らかってないと思うんだけど……」
「それは『整理』」
「喉は乾いているけど、俺、お腹弱いから牛乳は……」
「それは『セーキ』」
「ミルクセーキって、最初聞いた時は、なんてもん飲ませんだって思ったけぇ……」
「それはせい―――そうじゃなくて!」
途中で顔を真っ赤にして叫ぶ。連想ゲームから流れるようなセクハラは、普段の自分なら絶対にしないのだが、どういう訳かぼんやりとした頭は理性のストッパーがぶっ壊れているみたいだ。
「生理です。知識くらいはありますよね?」
「月一のお月様か。今夜は満月だなぁ……」
「思考力まで低下している」
心配そうにしながら、俺の前髪を分ける。徐々に理解が追い付いて来て、自分の現状が把握できてくる。
「俺は……どうして……」
「何処まで覚えてます?」
「えっとぉ……、確か……、そうだ。まひろと『何か』話してて、階段で―――」
「私達が合流した時には、まひろちゃんに寄り掛かってダウンしてました。意識も朦朧としていたので、かえでがおぶって家まで運んでくれました」
みはりちゃんの口から語られる事実に、イマイチぴんと来ないのは、本当に俺の意識が混濁していたからなのだろう。正直、階段に座ってまひろと話をしていたまでくらいしか覚えていない。
またかえでさんに迷惑をかけてしまったらしい。苦手意識とは裏腹に、恩が膨れていっている。今度、何かお礼をしなければ。
「……」
自分の頬を触る。もうそこには無いが、何となく分かる。記憶でなく、心が覚えている。臭い言い回しだが、それが一番似つかわしい。
「―――こんなに辛くて、切ないんだな」
「男の人には味わえない痛みですもんね。辛いでしょうけど、一日も経てば良くなりますから」
そう言いながら、俺の額に手を当てる。自分の額も同時に触り、温度を比べる。
「熱もありますね。体温計は……っと」
体温計で熱を測る。三十八度を超えていた。
「高いですね。生理は熱も出る事はあるんですけど、これは……」
顎に手を当てて思案するみはりちゃん。何やらブツブツと独り言を呟いているが、発熱で思考力が散漫な俺の耳には全く入って来ない。というか、さっきからみはりちゃんが喋っている事に適当な返しをしてしまっている。
「―――、一応、お粥作りますね。食欲無いでしょうけど、落ち着いたら食べてください」
何かあったら呼んで下さい、と、手に持つスマホを見せながら部屋を去る。
一人残された俺は、天井を見ながら下腹部を摩る。腹痛でトイレに籠っている時の比ではない痛みだが、何とか耐えられる。女の子の身体の方が痛みに強いというのは本当なのかも知れない。
「はぁ……はぁ……、それにしても」
額の汗を拭い、張り付いた前髪を掻き分ける。
「生理って、熱も出んのな」
「う……う~ん」
目が覚めて飛び込んできたのは、最近見慣れた天井だった。
仰向けになったまま背伸びをして、むくりと起き上がる。額の汗を拭い、タオルケットを退かし、床に足を付ける形でベッドに座る。
「……?」
何だか違和感がある。身体を締め付けられる感覚。上半身と下半身。どちらも同じ窮屈感。
後頭部を掻きながら立ち上がる。もう一度背伸びをすると、さっきから感じている違和感に気が付く。
服が小さい。パツパツだ。
鏡を確認する。部屋に備え付けられている姿見を見ると、そこには女性用衣服と下着を付けた男性が立っていた。
「……え?」
唖然とする。身体が戻っている。男の姿に。
それは喜ばしい事なのだが、俺はそれ以上に衝撃を受けた。本当に喜ばしい事のはずなのに。
それでも俺は唖然とするしかなかった。状況は理解できなかったが、鏡に映し出されている姿が、世界の事実なのだ。
「戻ってる……。『元の身体に』……?」
着ていた服と下着を脱ぎ、一糸まとわぬ姿で鏡に立つ。身体を動かして、軽くジャンプして、不具合がないか確認する。
万全のコンディションは、昨日までの倦怠感なんて嘘の様だ。もはや、本当に身体が女の子だったのかが疑わしくなるくらい、目の前の男はご立派な物を持っていた。
身体が戻った。そう、戻ったのだ。元に。始まりの身体に。
二十歳の身体に戻っていた。
「あきなさ~ん、起きてますか~?」
ガチャリとドアが開いて、プラスチックの桶に水とタオルを入れたみはりちゃんが入ってきた。
「熱はどうですか? 体調が優れないようなら薬持ってきました……よ……」
桶を持ったまま固まるみはりちゃん。俺は唐突に現れたみはりちゃんを呆然と見ていた。
「あきなさん、その……身体……」
「―――うん。なんか、戻ったみたい」
あははと後頭部を掻きながらそう答える。自分でも分からないが、身体が元に戻った。しかも、女の子の、更に前のあかりの薬を飲む前の元の身体。俺の本当の姿に。
目を見開いたみはりちゃんは、逡巡の後に、頬を赤くしてそっぽを向く。
「どうした?」
「あの、言いづらいんですけど……。取りあえず、前を隠してもらえると……」
そう言われ気が付く。自分がどんだけ奇天烈な格好をしているのか。
女児物の服を着て、女性用の下着を穿いている格好の成人男性は、控えめに言っても変態だ。
……しかも、それらの要素を置き去りにする程の変質者要素が、主に下半身に現れている。
完全にはみ出ている。ぽろりでは収まらない、ぼろり、とでも言えばいいか。とにかく絵面がヤバい。
咄嗟に手で隠し、部屋の隅っこで縮こまる。気まずい空気が流れ、俺はおずおずと言葉を絞り出す。
「……この姿でも着れる服、ありますか?」
「わふぅ、おはよ~……ん?」
リビングでコーヒーを片手に午後の一時を過ごしていると、ボサボサの頭を掻きながら階段から降りてい来たまひろと目が合う。
「おう、おはよ」
「……」
目が合ったまひろは俺から視線を離さずに後退りしながら、洗い物が終わって台所から戻ってきたみはりちゃんの背後にトテトテと近付き、背後に隠れる。
「……誰?」
「どうも、みはりちゃんの彼氏です」
「「え!?」」
まひろとみはりちゃんが同時に驚く。
「ど、どういう事だみはりぃ!!」
「お、落ち着いておに……まひろちゃん!? ちょっと! 何言ってるんですか!?」
ぐいぐいと顔を近づけるまひろを引き離しながら、俺にクレームを入れてくる。
「なんだそれ、本当の話なのか? 秘密だったから言っちゃダメだったのか!?」
「そういう意味じゃない! 嘘! 嘘だからぁ~!!」
勢いの止まないまひろにたじたじのみはりちゃん。その様子を、コーヒーを飲みながら優雅に眺めていた。
「ほ、本当にあきななのか?」
信じられないといった様子のまひろに、コーヒーを一口飲んでから短く息を吐く。
「―――そうだな。ロスクエはⅢが一番面白い」
「なるほどわかった。あきなだな、お前」
小さく頷くと、納得した様子のまひろ。俺達のやり取りにみはりちゃんは置いてけぼりだった。
「とにかく、元に戻って良かったです。改めてごめんなさい。私の不注意で迷惑をかけて……」
「いやいや、不注意は俺の方だ。みはりちゃんは悪くないよ」
「……なぁ」
ペコペコ頭を下げ合う俺達を、まひろが不思議そうに眺めていた。
「二人は、その、なんていうか……仲がいいのか?」
「―――あぁ、そうか。説明してなかったな」
まひろの様子を見て気が付く。そう言えば、俺とみはりちゃんの関係をまひろは知らないのだ。
「俺はみはりちゃんの彼氏なんだよ」
「なッ!?」
「違うって!!」
みはりちゃんに迫るまひろ。対するみはりちゃんはまひろを手で押し返しながら俺に「どうにかしろ」と視線で訴えてくる。
「というのは冗談で、俺が大学生って話はしたよな?」
「う、うん」
「俺はみはりちゃんと同じ大学に通ってるんだよ。みはりちゃんとは大学で知り合ってさ。それで―――」
俺は、ここに至るまでの経緯を話した。
大学の同期で、色々あって仲良くなった関係。
みはりちゃんと同じ研究室所属で、飛び級大学生の藤村あかりの存在。
そして、あかりの策略により、身体が縮んで中学校に通う事になった経緯を。
「―――と、まぁ、こんな感じなんだけど」
「……」
事のあらましを聞いて、腕を組んで悩まし気なまひろ。こんな話を聞かされたら、困惑するのは無理ないと思う。
暫く唸った後に、慎重に言葉を選ぶように話す。
「それは、その……なんだ。大変だったな」
「それはもう……ね?」
同情の言葉がこんなにも胸に来る事は無い。まひろの気遣う様な表情に、何だか涙が出そうになる。
「それにしても、やっぱり悪の組織だろ。お前の研究室」
「……もう否定できないかも」
気まずそうに顔を逸らすみはりちゃん。俺だけでなく身内からも疑われているのはよっぽどだ。
「あの時の白衣の人、あきなの姉じゃなかったのか」
「あれはアイツの悪ふざけだ」
「お姉さんにしては小さいとは思ったけど」
それどころか、高校生にしても小さいが、本人に言ったら殺される。
「……もしかして」
「その可能性は考えた事なかったな」
飛び級高校生の実態は、薬で若返った中年研究者なんて、笑えない冗談だ。
「……」
「……わ、私は違いますよ!?」
何となくみはりちゃんを見ていたら、大きく手を振って否定してくる。まひろを見ると、うんうんと頷いている。
「―――それで、あきなさんはこれからどうするんですか?」
「え?」
「元の身体に戻った訳ですけど、大学に戻るんですか? それとも」
「―――あぁ、それは……まぁ、あかりに聞いてみないと何とも」
俺の大学の単位はあかりの研究に協力する事で取れているらしい。それが途中で止めて、普通に講義を受ける生活に戻っても大丈夫なのか。いや、それが当たり前の形なので、ダメとは言わせない。
「……あきな、中学、辞めるのか?」
「成行き次第かな。ただ、突然居なくなったりはしないから安心しろ」
「そう、か」
不格好な笑顔で答えると、少し言葉を詰まらせながら受け答えするまひろ。微妙な空気が部屋に流れ出したが、パンッと手を叩いたみはりちゃんが、その重い空気を晴らす。
「身体が戻ったなら、あきなさん自宅帰りますよね?」
「え? あぁ、そうね」
「なら、今日の夕食は豪華にいきましょう。最後の夜になりますし」
「―――そうだな。俺も手伝うよ」
俺もみはりちゃんの気持ちに応える様に腕まくりする。まだ昼過ぎで気が早いが、やる気だけは十分とアピールする。
「夕飯までゲームしようぜ」
リビングのテレビ前に置いてあるゲーム機のコントローラーを片手にまひろを誘う。
「……うん。やる」
「そうこなきゃな」
夕飯までの暇つぶしに、友達とのゲーム大会が開催される。
なんて事のない、ありふれた光景。友達との日常がそこにある。
当たり前だけど、掛けがえのない瞬間。決して侵されない大切な記憶となる。
夕飯までの数時間。俺とまひろ、みはりちゃんの三人で白熱した勝負が繰り広げられた。
「―――という事で、今は自宅に戻ったって訳」
『そうでしたか。お疲れ様です』
珍しく素直な労いの言葉を口にするあかり。人の心がない事に定評のあるあかりにも、まだ良心が残っていたみたいだ。
久しぶりの自室で、ベッドの縁におっかかりながら足を大の字に伸ばしてあかりと電話をする。
『若返る薬と女の子になる薬が、何かしらの化学反応を起こして今回の様な結果になったと思うんですが。正直、全く分からないので、確実な事は言えないですね』
「想定外の挙動って感じか?」
『もっとデータを取れれば分かってくる事もあると思うんですけど。先輩で実験しても?』
「言い訳あるか」
何の抵抗感もなくさらりとこういう事を口走ってくるのは、流石としか言いようがない。
『冗談です。もし、先輩の身体に何かあったら大変ですから』
「どの口が言ってんだか」
あまりにも今更な発言だ。心配なら最初から変な薬を飲ませるな。
『体調はどうですか? 熱が出ていたと言っていましたが』
「昨日まではな。みはりちゃん曰く生理だったらしいけど、一日経って身体が戻ってからは一切熱も怠さもないし」
『うーん。もしかしたら、生理ではなく、何らかの副作用だったのかも知れません。ホルモンバランスの崩れからくる症状だったのかも……』
電話越しにも悩ましげなのが伝わってくる。俺には専門的な事は分からないが、思い返してみると、昨日の倦怠感は、知識として知っている生理現象に近いものだった。
「まぁ、何んせよ、今は元気だし、今後なんかあったら連絡するわ」
『そうですね。近い内に薬を届けに行きますけど、暫くは服用しない方がいいかも知れません。少なくとも、夏休み中は控えた方がいいかも』
「……」
『こちらでも可能な限り調整しておきますので、安心して―――、先輩?』
「……ん?」
『どうしました? 黙っちゃって……』
「いや、何でも」
『数日中には連絡します。それまで、元の身体を楽しんでくださいね~』
冗談交じりの口調で締めるあかり。通話の終わったスマホを眺める。
「……元の身体ねぇ」
あかりとしては、実験の継続による『限られた時間』という意味合いなのだろう。まぁ。間違ってはいない。有限という意味では。
溜息を一つ吐き、ぶっきらぼうにスマホをベッドに投げる。乱暴に頭を掻いて、財布だけ持って家を出る。
……取りあえず、酒でも買おう。飲まなきゃやってられない。
中学校の夏休みが明けて一週間。私はちとせ先生から聞いた『情報』を確認する為に現地に赴いた。
『先輩』との定期連絡は隔週程。基本的には身体の不調や経過の報告や、先輩からの実験の意に反しない範囲での要望などを聞くことを目的としている。と言っても、今までに体調不良を訴えてきた事は無いし、欲のない先輩から特別何かをおねだりされる事もない。大抵の場合は近況報告と軽い雑談で終わる。だから最近は、何かあったら連絡してもらって、定期連絡を疎かにする週が増えていた。
そんな矢先、ちとせ先生経由で聞かされた話に、私は居ても経っても居られなかった。
先輩が、夏休みが明けても学校に行っていないというのだ。しかも一週間、無断欠席との事。
ちとせ先生の根回しで学校側には一身上の都合という理由で欠席している事になっている。先輩の保護者という名目で学校側が登録している連絡先はちとせ先生なので、何かあったら先生の所に連絡が入る。
今回は、登校再開日から無断欠席している先輩を不審に思った担任から、ちとせ先生に連絡が入った形だ。その後にちとせ先生が先輩と何らかのやり取りをしたらしいのだが、その話を聞かされたのが数十分前。話を聞いた私がこうして先輩の住むアパートの前に来たのが数秒前。
そして、合鍵で部屋に入り、カーテンの閉め切った真っ暗な部屋の中、布団に包っている先輩を目の前にしているのが今な訳だ。
「先輩」
「……」
「せんぱーい?」
呼びかけても反応がない。寝ているのだろうか。
「起きてくださーい」
「……」
「貴女の可愛い後輩がお越しに来たゾ☆」
「……起きてるっつーの。だからその、台詞と行動が一致しない起こし方は止めろ」
ゆっくりと亡霊の様に布団から出てくる。カーテンを開けて、差し込んだ明かりで照らされた先輩の目元には、心なしか隈があった。
「先輩を足蹴にして起こす後輩がいるか?」
「先輩が無視するからですよ」
「……」
ばつが悪そうにそっぽを向く。まるで、母親に問い詰められた子供が誤魔化す様に顔を逸らす様な。
何処かあどけない、少年じみた反応だ。
「あれ? 先輩、その姿……」
今更気が付く。差し込む光で照らされた先輩の姿は、慣れ親しんだ大人の身体。当たり前過ぎて気にならなかったのか、先輩の態度が、歳相応に見えなかったからなのか。
「薬、飲んでないんですか?」
「……」
「どうして……」
「……」
何も答えない。気まずそうに、顔を逸らすだけ。
「う~ん……?」
こういう時の子供の思考はこうだ。バレたくない事実を隠す時。悪戯がバレて怒られるのが怖い時。
何か言いずらい『真実』があるのだろうか?
「何か話があるなら、聞きますよ?」
ベッドに腰掛け、先輩の隣に座る。背中を丸めている姿は、中学生の体躯よりも小さく見えた。
「話づらかったら、ゆっくりでいいです。話したくなるまで待ちますから」
「……」
数分間の沈黙の後、先輩が重い口を開く。
「……あかり」
「何ですか?」
「実験の終了条件を確認していいか?」
「―――? はい」
思いがけない言葉が出てきて、意表を突かれる。
「終了条件は確か、『俺が異性に恋をする』だったよな?」
「そう、ですね。先輩への救済措置として設けた条件です」
実験の『一環』に、先輩の女性恐怖症を克服させるというものある。そして、先輩が克服したという証明として、異性に恋をする事と定めた。
私としては納得いかないが、無理矢理実験に参加させられた先輩への救いとして設定した温情なのだが……。
「それがどうしたって……」
「……」
「……先輩、まさか」
「……俺」
先輩が俯きながら、頬を少し赤らめ、震える手を見ながら恥ずかしそうに答える。
そう、それは本当に。恥部を母親に打ち明ける子供が如く。同世代の友達に、初めての感情を打ち明けるかの如く。初心で甘酸っぱい、余りにも目の前の男に似つかわしくない台詞だった。
「俺……好きになったみたいだ」
そう言い退けた先輩の顔は、言葉には言い表せない表情だった。嬉しいんだか、悲しいのか、よく分からない。いや、そもそも人を好きになって悲しいっていうのは違うはずなのだが、喜怒哀楽で表現するなら、その全てを内包している、そんな感じの表情だ。
……まぁ、その可能性がないとは思っていなかった。寧ろ、今までがおかしかっただけで、これが正常なのだ。受け入れるしかない。導いて、誘導したのは私なのだから。
ただ、その『お相手』の名前を聞いて、私は、自分の過ちに気が付く。いや、間違っているのではないが、それもまた可能性の一つな訳であって……。
とにかく、言い終えた先輩と、聞き終えた私は、きっと違う理由で同じく頭を抱えていた。
まだ、何とかなる様なので、活動していきます。