第6話の窪地の大きさについて、流石に小さすぎたので直径2㎞に変更しました。
Scene.11 水たまり
『お~!川に出た!』
さくさくと、密に育った草を踏みしめながら木立の間を通り抜け…目の前に開けた青空と広く豊かな川の流れが現れる。こんなに大きな水の流れを見るのはいつぶりだろうか。少なくとも、この世界に来てからは一度も見たことが無い。まぁまだ3週間くらいしか経っていないけれど。
≪正確には湖です≫
コトさんから訂正が入る。しかし湖にしてはごく緩やかではあるものの流れがあるし、地形としても“湖”にしてはそこまで大きな水たまりであるようには思えない。
『湖にしてはちょっと小さくないかい?』
≪いいえ 以前イェルマスから回収したデータによれば ここは面積約4平方キロメートルの湖であるとされています≫
4平方キロメートル。言葉だけだとあんまりよくわからない大きさだな。えっと、確か東京ドームの面積がざっくり0.05平方キロくらいだった気がするから…80個分くらい?うわ結構広いな。
私は周囲に視線を巡らせ、近くの最も高い木に向けて跳躍を発動する。いつも通りに木のてっぺんに掴まり、湖とされるこの場所の景色を見やった。
『あ~なるほど。水深が浅いのか。』
見れば、いくつかの長細い“中州”によって水流が分けられ、川が何本も通っているらしかった。おそらくこの川全てが湖、あるいはかつて湖だったものなのだろう。
≪原因は不明ですが どうやら過去のデータと比較して湖の水量が少なくなっているようです このため中州が発達し一見して湖には見えないように変化しているのだと思われます≫
彼女はそういうや否や、私の中に一つの画像を送ってきた。どうやらこの湖の地形をざっくりと表したものであるようだ。探査を利用して地形を分析したのだろうか…おお、なるほどこれはわかりやすい。
画像には奇妙に曲がりくねった中州を持つ大きな水域が見て取れる。これ全体が湖なのだろう。私たちが立っているのは画像の右の方だ。正直に言うと湖というよりも湿地に近いんじゃないだろうか。
(あ、でもそうか。よく考えればいま世界に残ってるデータってほとんどが1800年前のものなんだ。そりゃ、地形が様変わりしててもおかしくないな。)
コトさんは1800年間ずっと起きていたらしく、彼女の管轄内であればある程度情報を更新することができていたという。しかし今回参照しているイェルマスのデータはイェルマスが機能停止したままだったため大昔のデータのまま更新されていない。これは相違点があってしかるべきだろう。
『ありがとう。これを参考に進もうか。』
考えを改め、感謝を伝えながら私は木の上から飛び降り、普段通りずどんと着地する。そしてふと、そういえばという風に頭に浮かんだ事柄を口にした。
『もうそろそろ1つ目の目的地に着くんだっけ?』
≪はい 目的地:1 デル・アドレはこの湖を超えた先 2キロメートルの地点に存在しています≫
『おっけい。急ぐものでもないし引き続きゆっくり行こうか。』
もう少しで目的地に着くというちょっとした安堵感と、目的地には何があるのだろうかという少しの不安感を抱きつつ、私は徐に腰に括り付けている正二十面体のフレームを手に取った。
大きさはゴルフボールくらい。普段はただの黒っぽい枠組みだが、手に取ると起動して透き通った青緑色の光を放ち始める。数秒の間を置いて、装置から一つのウィンドウが空中に表示された。そこには私がこれまでに見てきたこの世界の生き物や景色について細かく記されているのが見て取れる。
…そう。これは手帳だ。
イェルマス周辺を探索していた際に偶然見つけたもので、片手に余裕で収まるサイズながら推定10テラバイトもの大量の情報を記録しておける記憶域がかなり過剰なメモ帳。発見当初少々破損していたせいでメモ機能しか使えない上に起動にちょっと時間がかかるが、記録媒体としては十分以上。むしろ積極的に使わないと容量が果てしないので無駄すぎる。
この“手帳”は使わないときは丈夫な枠組みでしかないため、紐で腰に括り付ける形で携行している。頭で考えたことをそのまま書き込めるため一々手を動かす必要が無くて便利ではあるのだけれど…余計なことを考えるとそれも書き込まれてしまうため一長一短だ。
…ほら、今も考えたことがそのまま転写されてしまった。この部分は消去っと。ああ、それと送ってもらった地図もここに保存しておこう。よし。
さて、手帳を開いて確認するのはこれまでの道程、そしてここからどのような道を進むべきかだ。
イェルマスより南東に約120キロメートル。
私たちは2週間ほどかけてこの世界の植物や動物などを逐一記録しながらここまで大きく逸れることはせずに移動してきた。手段は勿論徒歩。あるいは木の上を飛び移って。
疲れない身体であるため、夜通しまっすぐ進み続ければ120キロ程度の距離であれば山道とはいえ2日くらいで移動しきることもできたと思う。しかしそうせずにわざわざたっぷり2週間かけたのは…ひとえに異世界の動植物が魅力にあふれていたからだ。
強酸性の粘液状生物“モリスライム”、日中は地面に体を埋めて身を隠し、背中にコケやキノコをはやして自身の食料とする“ナマケイノシシ”、体調40センチはあろうかという巨大な青い蜜蜂“アオスジスイマ”、またアオスジスイマと共生関係にある導眠効果のある花粉を出すサイミンボク…などなど。この他前世では見られなかったような生物が目白押しで寄り道しまくりなのである。…命名が安直?生物の名づけってそんなもんです。
流石に動物を捕獲したり大きなサンプルを採取したりはしていないが、葉っぱや実、体毛といったあまりかさばらないものなら少量採取もしている。個人的なお気に入りはこの“スライムの核”と“サイミンボクの花”だ。今後使い道があるかは不明だが、取り敢えず面白い物なので保管しておきたい。他にもいくつかサンプルがあるので目的地に着いたら何かケースになるものが無いか探してみよう。
ん?…おっと、そうだった。話が逸れてしまった。いけないいけない。面白い生き物の事となるとつい熱が入ってしまうのだ。
これまでの道程についてだけれど、実のところ特段気にするような危険には遭遇しなかった。体がめちゃめちゃ丈夫なのはご存じの通りで(金角の戯れみたいな)よほどのことが無い限り私は怪我をしない。バカでかいミツバチに針を突き立てられても、そもそも針が刺さらないので間近で観察してやったくらいだ。
強いて言うならギロテオオグマ(体長5~7メートルの巨大な熊。足の筋肉が異様に発達しており直径15センチ程度の樹木であれば後ろ蹴りでなぎ倒す。長い灰色の体毛と背中にある白い斑点模様が特徴。)などの大型魔物が脅威ではあったものの、それらに関しては探査に簡単に引っかかるため回避は余裕を持って行えたのである。大型魔物は数もそう多くないので回避の回数自体も2週間で3回程度と少なかったし。
まぁそんなこんなでえっちらおっちらと移動してきた結果、森を抜けてこの湖に着いたというわけだ。
これまでの記録を流し見した私は、新たに白紙のページと先程の湖を表した地図を表示した。目的地はこの湖の向こう側にあるらしいので、進みやすそうな道を探すのだ。…いやまあ、溺れないので別に水を無視してまっすぐ進んでもいいのだが、それはそれとして道を考えながら歩くのはやはり楽しい。
『コトさん。この湖って名前とかあったりする?目印になるからメモしておきたいんだけど。』
通った場所に地名があるならもちろんメモする。これまでもイェルマスは勿論、コトさんの本体がある“エルトワ市”、サイミンボクの一大群生地“トーワ植民区”、ギロテオオグマの巣穴があると思われる元行政施設“イルナメス”などなどメモしてきた場所はそこそこある。特にトーワにはまた今度、研究や道具作りのためにじっくり立ち寄りたいところだ。
そして、おそらくここにも湖の名前があるだろう。
せっかくの大きな水域なのだから記録しておいて損はない。
≪はい この湖はラン・アドレと呼ばれた場所であると思われます 水源地はここより西北西に位置する山岳部であり 水質は中性で冷たく無機質に富んでいます≫
『ラン・アドレ、と。アドレっていうのはここの地域に何か関係している名称なのかな?確か目的地もアドレが付いていたよね。』
〇〇市の△△みたいなノリなのだろうか。
≪はい アドレは今しがた話に挙げた水源地である山岳の名称です かつて星が落ちたという伝説があるとされていました≫
なるほど。山の麓にあるからつけられているのか。
私は彼女の言葉を聞きつつ、西北西にそびえる白い峰を見やった。おそらくあそこがアドレ山なのだろう。星が落ちた山だなんて、ちょっとロマンチックじゃないか。
『伝説かぁ…ちょっと意外かも。この国って科学一辺倒でそういう説話的なのはあんまりないんじゃないかと思ってたよ。』
この国の文章や情報にはとにかく叙情性が欠如しているのだ。コトさんになるべく原文に寄せた表現で音読してもらったことがあったのだが、児童向けの本であってもお堅い論文のような語調で書かれていたりして目を白黒させてしまったことがある。
≪あなたは少々ギロテクノァの文化に対して誤解を抱いているようです 確かに大衆文化はさほど発達していませんでしたが多少のユーモアはあったとされています 自己認識矯正プログラムを起動しますか?≫
『………もしかして、それ冗談だったの?』
≪はい≫
『すごい…全然面白くない…!』
◆
『うわっなにこれ!』
いざ中州を伝って向こう岸へと、一歩踏み出したところで経験のない感覚に足を引っ込めた。地面がぶよぶよとしているのだ。いや、ぶよぶよというか…ぼよんぼよん?
そー…っと足を出し、再び地面に見えるその足場へと踏み出す。途端に帰って来るのはぐにゃりと地面に沈み込む感覚だ。しかし、それは体重を掛けていくと途中で止まる。そうなったときの感触はまるで…
『……柔らかいトランポリンみたいだ。』
(体重的な意味で)少々不安もあったが、勇気をだして両足で足場に立ってみた。ぼよぼよと不安定ながら優しい感触がなんだか面白い。体を上下させてみればやはりトランポリンに似た感覚で足場が上下に跳ねる。
『あー…わかった。これ湿性遷移だ。』
この湖の水量が減った理由に完璧に合点がいった。まぁ特に気付いたところでどうということは無い。なにせ前世でも見ることができた自然現象の結果なのだから。
湿性遷移。湖や沼地といった水を湛える場所で起きる遷移現象だ。
植物は陸上水上を問わず様々なところに生育しているのはご存じだと思うが、特に水中で生育する植物がこの現象に深くかかわってくる。いわゆる“水草”とひとくくりにされがちな水中植物にも様々種類があるのだが、ここでは例としてスイレンを挙げてみよう。
スイレンは流れが緩やか、あるいはほぼ流れの無い水域の水底に根を張っており、そこから長い茎をのばすことで水面に葉を展開し光合成を行うという生態を持つ。このようにして貯めた養分を使って花を咲かせ、新たな世代を残していくのだ。ここで、このサイクルが長い間繰り返された場合どうなるかを考えてみる。そう、花を咲かせ新たな世代を残して寿命を迎え枯れたスイレンたちが幾重にも重なっていくのだ。
これにより、かなり長い時間がかかるものの水草の豊富な湖沼ではやがて枯死体によって底の方から埋め立てられていくことになる。ここに土砂災害が起きて山から土砂が流入してきたとしたらさらに埋め立ては早くなるだろう。
年月を重ね徐々に徐々にと様々なものが堆積していくことにより、湖は湿原へ、湿原は草原へと変わっていく。これが湿性遷移だ。
そしておそらく、この湖でも同じような要因により水量が減っていった…というか水が入る余地がなくなったのだろう。だから緩やかながら川のような流れも発生しているのだ。水が溜まることなく別の場所へと流出していっているということだろう。
…ちなみに豆知識だが、見た目が似ているスイレンとハスは全く異なる植物だ。どのくらい違うかというと分類上の共通点が被子植物であることまでで、それ以降はまるっきり異なる。“目”からして違うのだ。収斂進化とは実に面白いものである。
『…うん。取り敢えず、沈まないから大丈夫そう。』
しばらく様子を見ていたが、かなりの量の枯草が堆積しているらしく、私の身体がずぶずぶと沈んでいくことはない。気を付けて歩いていけば底なし沼状態の足場にはまるようなこともないだろう。はまっても跳躍で解決できるし。
徐に、一歩踏み出してみるとぶよんぶよんと足場が形を変える。続けざまに数歩歩いてみても、同様に連続して足場がぐにゃんぐにゃんと変わってなんだかそういうアトラクションのようだ。
『…ふふ。』
なんだか、ちょっとこの足場が気に入ってきてしまった。
もうちょっと堪能していこう。
評価・感想よろしくお願いします。
筆者が観天喜地します。