あれからさらに、森の奥へと進んできた。
林相は森に入った時から変わらず落葉広葉樹林なのだが、森の入り口付近よりも少し緑が濃くなり雰囲気もより暗くなってきているように思える。森林特有の不気味さがにじみ出てきているのだ。まぁ、私はそういう森に入るとわくわくしてしまうたちなので純粋にいい場所だなと思っているところだ。
しかしながら、森の様子とは別ベクトルの要因が不安を煽っている。相変わらずふよふよと不規則な軌道を描いて飛んでいく“子”(ベティという名前らしい)についていっているのだが、一向に彼(彼女?)の目指す場所に着かないのだ。湿地の植栽用の種を探しているはずなのに、こうも森の奥へ奥へと進んでいくのは何か思惑があってのことなのだろうかと少し心配になる。
『…おや?』
木立の境目から空が見える。見上げているとかではなく、地面と平行な視線の先、そのままに空が見えているのだ。まるで自分たちが小高い山の上にいるかのような…
≪計算終了 現在の位置は出発地点である湖より約200メートル高い位置にあります≫
『あ、ほんとに山を登っていたんだ。』
傾斜があまりないためか、気付かないうちに結構高所に来てしまっていたらしい。私自身肉体的疲労と無縁なのも相まっていつの間にやら長い距離を移動してしまうことがままある。
うわ、メモ書きだしていたけど結構な量になってしまっているな…いよいよ私単独では戻れないかもしれないくらいには複雑に進んできてしまっているらしい。
≪目的地:1 デル・アドレは現在地の近傍 南西に150メートルの位置にあります≫
あ、そういえばそうだった。当初の目的は湖の近くにあるアクセスポイントに辿り着くことであって、今現在の状況は完全に予定外なのだ。取り敢えず、偶然とはいえ位置を確認できたのは僥倖といえよう。
『ありがとう。これまでのルートと合わせて位置情報をマークしてくれる?』
≪はい “メモ帳”に記録を転送 書き込み終了まで残り2秒 …書き込み完了≫
『ん!』
メモ帳を開くと、私が記録していたルートメモを補正したものにデル・アドレの位置が記されている。場所は…下か。谷にあるのだろうか。
「…貴様は、その胸の存在を余程信頼しているようだな。」
不意に、ムル爺さんから言葉を掛けられた。
しまった、意識を外していたのは拙かっただろうか。
『すいません…そうですね、彼女は、いうなれば相棒といいますか…。』
「相棒、か。」
のしのしと前へ進んでいく彼からは…特段怒りなどは感じられない。
純粋に思ったことを口に出したのだろう。
『ええ、まだそこまで付き合いが長いわけではないのですが…とても助けられています。私は世間知らずなもので、知らないことが多いのです。彼女無しでは、私はとうの昔に死んでしまっていたことでしょう。』
この世界で目覚めてからというもの、初日に彼女と会っていなかったらどうなっていたことか。きっと巨大イノシシやらクマやらバッタやらによって破壊されてそのまま…それか、よしんば再生修復機能が働いたとしてもトラウマになって動けなくなってしまっていたかもしれない。そして森のなかで行く当てもなく彷徨い続けるのだ。考えただけでも恐ろしい。
そんなことを考えている一方で、応えを受けた彼は若干の呆れと困惑が入り混じったような声色で言った。そして、それは私に深く突き刺さる。
「…それは、本当に相棒と言えるのか? 聞くに、貴様が道具を使っているようにしか思えんが。」
『………それは、……。』
…言葉に詰まった。
思えば、私は彼女を都合よく利用しているものの、彼女に対して還元しているものがほとんどない。彼女を道具のように使役している状態とも言えてしまう。
(あれ、なんか、薄っぺらい言葉になってるな…)
人工知能とは、人がより効率的に仕事をこなすために作った存在だ。故に、たとえ自然な会話ができるAIが出現したとしても、それはあくまで道具として使うのが適切である…そういう認識が前世で一般的であった。何を隠そう、私もそういう認識でいた。
それを踏まえてみると、今しがた私の発した言葉は途端に底の浅い言葉となってしまう。彼女…コトさんのことを無意識的に道具として扱ってしまっていた。いや、それでいいのだろうか…?わからない…。
そうして葛藤する私を、ムル爺さんは空虚な眼窩で見下ろしている。今の彼の眼には何も灯っておらず光の無い穴でしかない。しかしながら、不思議と見透かされているかのような圧を受けるのだった。
「…ふん。貴様がどう思っていようと、それと長く関わるのはやめておいた方が賢明だ。」
『え?それって…どういう…』
彼に、言葉の意味を聞き返そうとしたその時だった。
ピンク色の光球が興奮したように、せわしなく私たちの間を飛び交い始めた。
「どうした、ベティ。 泉はまだ先だろう。」
光球…ベティはムル爺さんの前で何かを訴えるように飛び回っている。それに対してムル爺さんは、耳を傾けるようにこくこくと小さく頷き、何事かを聞いているようだ。私にそのやり取りは聞き取れないことから、おそらく彼ら精霊同士でのみ通じるコミュニケーションをしているのだろう。
「…ふむ。 この先に、“
『“くろいぬ”…?』
言葉の意味をそのまま受け取るなら、体毛が黒い犬ということだろうか。しかし、それならベティがこうも慌てふためく理由が分からない。確かに野犬は狂犬病などの危険な病原を有しているものだが、魔力の塊である彼らはそういった病気とは無縁ではないだろうか。犬側としてみても、空を飛ぶ光の玉なんておもちゃとして興味は沸くかもしれないが木々を超えるほど高く飛べる子らを積極的に獲物にするとは思えない。
…まぁ、この世界の犬が木々を余裕で跳び越えるというのなら話は変わるが。
しかしながら、そんな悠長なことを考えていた私とは対照的に、ムル爺さんは真剣な口調で言葉を発した。
「…ここ数年で現れ始めた、不吉なる存在だ。」
そう言うと、彼は一つ体を震わせ、パキパキと爪を伸ばし始めた。…臨戦態勢に入っている。察するに、この先戦闘は避けられないのだろう。
「突如として現れ、木々を枯らし、同胞を食らう。すぐにも取り除かねばならぬ存在だ。」
これまでの、ぶっきらぼうながら穏やかであった雰囲気とは打って変わり、鬼気迫るその姿からは…“黒狗”という存在が非常に厄介であることを示していることが察せられた。彼の強さは身に染みている。その彼がここまで警戒しているならば、手伝うべきであろう。
『…私も、「でしゃばるな。」 …っ。』
協力しよう、という言葉はそれが発される以前に釘を刺されることとなった。空虚であった彼の眼には、既に赤い光が灯っている。…無用な手出しをするなということか。
「これは森の事だ。儂が解決する。貴様の手出しは不要だ。」
そう告げると、彼は風と木の葉に姿を変えて飛んでいってしまう。後には事情に通じていない私たちと、おどおどと浮遊するベティが残された。
『…行っちゃった。 コトさん、黒狗って何かわかる?』
とりあえず、気になったことから整理もかねてコトさんに質問してみる。現状私にわかるのは、その存在が単純な犬では無さそうで、かつムル爺さんが本気で対処しようとするほどに強力であるということだ。
≪検索結果:該当無し すみません 私にもわかりません≫
『コトさんも知らない…?となるといよいよもって正体がわからないな…』
これまで道中で見かけた動植物に関しては、コトさんに聞けば詳しいことはわからずとも名前程度なら知ることができた。しかし彼女にもわからないとなると、もはや妄想の域でしかものを語れなくなってしまう。コトさんが有する動植物のデータは結構古いものだから、該当するものが無いということは先程のムル爺さんの言葉通り、黒狗とやらはここ最近になって突然出現するようになったものなのだろう。
『正体不明…なんとも不気味だ。大丈夫かな…』
“未知”というものを生物は本能的に恐れるという話を耳にしたことがある。知らないということは相手が何をしてくるのかわからないあるいはこれから何が起こるかわからないという不安に駆られるのだ。現に私も、じっとりとした不安感を抱いている。視線を巡らせてみれば、怯えてしまったのかベティが体の光を明るいピンクから茶色がかったくすんだ色になってしまっている。そんなにヤバい存在なのか。
『う~ん…どうしたものかな…』
ムル爺さんを信頼して、このままおとなしく待つというのがいい気もする。しかしながら、彼に危険を押し付けてしまっている現状に歯がゆい思いをしているのも事実だ。そんな時、一つの耳寄り情報が飛び込んできた。
≪周辺から“ムル”の魔力痕跡を確認しました これをもとに後を追うことが可能であると思われます≫
『!』
ムル爺さんの魔力は特徴的だ。あの緑と黒の…なんというか、2色の絵の具を水面に垂らして軽く混ぜたみたいなマーブル模様の色合いをしている。あの魔力は一目見たら忘れないだろう。
魔力探査の精度を高めてみると、確かにうっすらと彼の魔力が細い筋となって森の奥側へと続いているのが見て取れた。これを辿れば彼に追いつくことができそうだ。
『…行こう。』
端的に言おう。好奇心が不安の恐怖に勝った。
私は意を決し、魔力の痕に続いて森を進み始める。すると、ベティが大慌てといった風に私の周囲を飛び回り始めた。必死に止めようとしてくれているらしい。
『大丈夫、大丈夫。離れたところから見るだけだよ。なんたって、私は目がいいからね。』
自分の顔を指差しながらベティに対しアピールして見せる。これはなにも強がりなどではない。私の強化された視力は本気を出せば2、3キロ先の小石だって見えるのだ(ただし視野がめちゃめちゃ狭まる)。この視力をもってすれば、いかに敵が厄介だとしてもそもそも感知できないところから観察できるだろう。
さらに、これは前世でとった杵柄なのだが、私は探し物を遠くからでも見つけられるのだ。見つけるのが得意というほうが適切ではあるけども。
写真家として、長年野山で被写体を求め歩きまわってきた経験から、例え小指ほどの大きさしかない小さな植物だって視力を強化せずともめざとく見つけられる自信がある。
それと比べれば3メートルもあるアグレッシブな木の精霊なんて発見するのは簡単だ。魔力痕というヒントもあるわけだし、そう時間もかからないだろう。
『約束するよ。絶対に近づかない。それに、危ないと思ったら本気で逃げる。』
ベティに真摯に説得を試みた結果、折れてくれたらしく渋々といった風体で私の後ろに張り付くようにして飛び始めた。別に、君まで付いて来る必要はないんだよ?
…あ、一人は寂しいのね。
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