懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第八十六話:戦争開始

「ここだ。我らがエストリア軍の侵攻を阻止出来るとするならば、ここで奴らを食い止める他ない」

 

 オペレーションルームの巨大スクリーンに映し出された宙図の一点を、ジャスミンの持つポインターが指し示した。

 オペレーションルームには、ヴォダルスをはじめとしたヴェロニカ軍上層部、特別顧問として臨時軍属となったケリーとジャスミン(ケリーは最後まで「俺は絶対に軍の厄介になんてならねぇぞ!」などと、やや子供っぽい抵抗をしていたが、最後には給与をもらわないことと軍服を着ないことで折れたらしい)、そして親衛隊の代表としてマルゴが出席していた。

 それだけならば、やや変則的であるものの通常の作戦会議であるのだが、今回はオブザーバーとして、ヴェロニカ教団最高指導者であるテセル老師が出席していることが異質であった。

 オブザーバーである以上、積極的な発言権を持たないテセルであったが、彼には、これからこの星で起きる全てを見届けたいという希望があり、またヴォダルスには、テセルを抱き込むことで、この作戦に宗教的な正当性を持たせて、いらぬ混乱や反対者を事前に封じたいという意図があった。それらの思惑が奇妙に合致して、この場には些か不似合いな闖入者を出現させたのだ。

 そんな思惑が成功したからか、それともジャスミンとケリーの有する人並み外れた威圧感がヴォダルスの政敵の口を塞いだのか、彼らが会議の主導権を握ることに対して、少なくとも表立った反対意見は噴出しなかった。

 ヴェロニカ軍の、それも男性用軍服に身を包んだジャスミンは、誰が聞いてもそれと分かるほどに軍人らしい口調で、彼女の立案した作戦を説明している。

 

「惑星ヴェロニカの周辺宙域は、近年に例を見ない大規模な宇宙嵐に晒され、現在は他星系と繋がるほぼ全ての航路と連絡を断たれている状態だ。本来であればこれは由々しき事態だが、この場合は幸運の女神が薄ら笑いを浮かべたとでも言うべきだろう。エストリア軍が新型のショウドライブを完成させ、そのワープ距離を大幅に更新でもさせていない限り、大規模な艦隊を運用出来るのは正しくこの一点、宇宙嵐の真っ只中に砂時計状にうがたれたこのポイントを突破する他ない」

 

 ジャスミンの、竹を割ったようにキレの良い声を懐かしみながら、司令官席に腰掛けたヴォダルスは深く頷いた。

 

「確かに、その宙域以外を戦場に設定すれば、兵力の質と量の両面で劣る我が軍は、エストリア軍に包囲殲滅されるだけだな」

 

 ジャスミンも頷いた。

 

「狭隘な戦場で敵を迎え撃ち、遊兵を多く作ることが出来れば、我らが同時に相手どらなければならない敵の数も自ずと減ずる。その少数の敵に出血を強いて戦線を膠着させ、最終的にはエストリア軍に撤退を余儀なくさせる。それほど目新しい作戦ではないが、これが現時点で最も有効かつ成功確率の高い作戦であると確信する」

 

 ポインターをしまったジャスミンが折り目正しく敬礼をし、律動的な歩調で自分の席へと戻った。

 ジャスミンが着席したのを確認してから、ヴォダルスは一同を見渡し、

 

「まず、討議の前に申し述べておくが、我らがこうしてのんびりと、机を前に喧々諤々出来る時間は限られている。我らに残された時間は、朝のコーヒータイムよりも貴重なのだ」

 

 作戦会議には些か緊張感にかける比喩を用いたヴォダルスであったが、その程度は日常茶飯事なのだろう、彼の部下に、顔を顰めたり咳払いをしたりするような者はいなかった。無論、その下手糞なジョークにユーモアを刺激された者もいなかったわけだが。

 

「事ここに至って、まさかエストリア軍来襲という情報そのものの信憑性について語ろうなどという寝惚けた連中が我が幕僚におるまいとは思うが、もしもいるならば、その者の指揮命令権を、儂の司令官権限でもって一時的に剥奪する。机の上に階級章を置いて立ち去ってもらいたい」

 

 ヴォダルスはしばらく間を置き、不動のままの姿勢の一同を再度見渡し、

 

「では次に、先程、クーア顧問の説明した作戦の討議に移ろう。しかし、ここでも一つ、断っておくが、儂はこの作戦の原案について既に決裁を済ませておる。作戦の骨子は揺るがない。これから始める討議は、この作戦の質を高め、細部を検討するものであると心得られたい」

「では、よろしいでしょうか、閣下」

 

 挙手したのは、ヴォダルスのもとで参謀長を務めるエクベルトであった。参謀系の軍人らしい鋭角的な顔立ちで、肉付けは薄く、視線は鋭い。例え上官であっても無能者は許さない、監察的な厳しさが総身から滲み出ているが、年はまだ少壮と称される年齢である。

 ヴォダルスが頷くと、エクベルトはきびきびとした動作で立ち上がり、ジャスミンに向けて一礼した。

 ジャスミンも、これを受けて一礼を返した。中々出来た男らしい。彼は参謀長である。本来であれば作戦の立案は彼の職分であり、ジャスミンのような若造(見た目だけならば間違えていない)、しかも女性に己の職分を侵されて愉快であろうはずもない。当然、ジャスミンが立案した作戦の揚げ足を取り、重箱の隅を突くような細かい点でも非難を加えたくなるのが人情というものだ。

 だが、エクベルトは、憎むべきジャスミンにまず礼を尽くすことで、自分にそういった不毛な真似をする意思がないことを示したのである。

 ジャスミンもそれを理解した。その分エクベルトの舌鋒は鋭さを増すだろうが、それはむしろジャスミンにとっても望むところだ。

 

「まず、エストリア軍を迎撃するポイントをクーア顧問は一点に絞っているようですが、現実には他にも大軍の通過が可能な箇所があります。それらの可能性を切り捨て、当該一点に可能性を限定する理由についてお聞かせ願いたい」

 

 ジャスミンは当然という面持ちで頷き、立ち上がった。

 

「参謀長の仰ることはご尤もです。ではその点について説明させて頂きましょう。まず、既に我が軍は敵の先手を許しており、戦略的劣勢の立場にあります。この上、戦力の分散を行えば、分散した戦力は各個撃破の対象となり、あとは無人の荒野が惑星ヴェロニカに続くのみとなるでしょう。エストリア軍の動静の把握は、宇宙嵐による電波障害、そしてエストリア軍が事前に散布していたと思われるジャマーによる妨害電波、この二つの要素により、不可能とまではいえないまでも、極めて難しいのが現状です。であれば、限られた戦力は一点に集中させるほかはありません」

「しかし、もしもエストリア軍が我らの想定とは異なるポイントから侵攻してきた場合、我らは戦うことすら許されず、母国の滅亡を指を咥えて眺めることになると、そういうことになりますかな?」

 

 ジャスミンははっきりと頷いた。

 

「その時は迎撃ポイントから全力で前進し、近隣の他国に乗り込んで、出来る限りの大声で騒ぎましょう。エストリア軍が、怖気の催す非人道的作戦を、惑星ヴェロニカにて実施しようとしているのだと」

 

 つまり、一点集中の戦力は賭けであるとジャスミンは言い切ったのだ。

 しかしその点についてエクベルトを含めて誰も異を唱えなかった。ヴェロニカ軍がエストリア軍に比して劣った戦力しか有していないのは、今更論じる価値もない事実であったのだし、戦うことではなく勝つことが目的である以上、勝算の見込める戦場を設定するのが司令部の義務であるからだ。

 

「しかし、私は、当該ポイントからエストリア軍が侵攻してくる蓋然性は相当に高いと確信しています」

 

 ジャスミンは一堂を見渡しながら、

 

「まず、時間的な問題です。現在、惑星ヴェロニカの周囲で猛威を振るう宇宙嵐ですが、これは近隣の恒星の異常活動がいくつも重なったことが原因です。しかし、ここまでの宇宙嵐を起こすほどの異常活動が複数の恒星で発生するなどそうそうあることではありません。考えにくいことではありますが、宇宙嵐が急激に収まり通信が回復してしまえば、惑星ヴェロニカに対するエストリア軍の侵攻の報は共和宇宙全域に知れ渡るでしょう。それでは彼らの戦略目的を果たすことが難しくなる」

 

 この場にいる高級将校の全てが、既に惑星ヴェロニカに高純度のトリジウムが埋蔵されているという驚くべき事実を知らされている。敵の目的を知らずにこれを迎え撃つ作戦を立案するなど不可能だからだ。

 エストリアの意図がトリジウムの奪取にあり、エストリア軍がそのために惑星ヴェロニカの占領と住人の排除を企図しているのであれば、最も恐るべきは、真実が詳らかになり国際的な非難を浴びることだろう。

 

「彼らは密かに、惑星ヴェロニカを中心とした宙域の広範囲にジャマーを設置し、通信の妨害を行っているようですが、それでも万が一にジャマーが有効に作動しなかった時のことなどを考えれば、嵐が猛威を振るう間に、この作戦を可及的速やかに完了させる必要があるのです。つまり、我らにとって恵みの嵐であるのと同様に、彼らにとっても恵みの嵐であると言えるのでしょう」

 

 それらの障害を乗り越えて、エストリア軍来襲の情報を探り当てたダイアナは、正しく勝利の女神とでも言うべき存在であった。

 

「であれば、彼らにとって最も重視されるのは、他の軍事作戦の多くがそうである以上に、進軍速度です。エストリア軍にとって、ヴェロニカ軍は取るに足らない戦力しか有しない、極論すれば路傍の石であり、そもそもこちらがエストリア軍侵攻の情報を掴んでいるはずなどないというのが先方のスタンスのはずですから、我らの迎撃を恐れて侵攻速度を落とす理由などどこにも無い。つまり、彼らは最短距離を最速前進で突っ切ってくる。そしてエストリアとヴェロニカ共和国を結ぶ最も短いルートが、このポイントを通過するのです」

 

 ジャスミンはエクベルトを見たが、再度反駁を試みるつもりはないようだった。彼自身、おそらくはジャスミンと同じ結論に至っていたのであろう。それでも再確認の意味を含めて問題提起を行うのは決して愚かな愚かしいことではない。

 

「次に地理的な問題も無視して良いものではありません。エストリアにしてみれば、慣れない他国の宙域を、大規模な宇宙嵐に沿うようにして移動する以上、遭難や事故の危険と背中合わせの行軍となることは避けられません。この上、大きく迂回した進路を取れば、その危険性は乗数倍に増加することは明らかです。また、補給や退路の確保という意味でも極めて難しい用兵を強いられるでしょう。私が指揮官ならば、例え敵との遭遇の可能性が高いルートでも、そういった無用で計算困難な危険は避けるでしょう。加えて、今回は幸いにして、彼らの敵はそれ程脅威にはなっていないでしょうから」

 

 些か自虐的なジョークではあったが、ジャスミンの言葉は正論として受け入れられた。

 一堂に自分の意見が浸透したタイミングを見計らって、ジャスミンは再び口を開いた。

 先ほどと違うのは、その青みがかった灰色の瞳に、人を食ったような不遜な笑みが浮かんでいたことである。

 

「そして、これはこの場にいる方々のほとんどがご存知ないことだと思うのですが、この迎撃ポイントは、本当に良いのです。この場所は、N49-KS1173という宙域は、凄く良い」

 

 一人、事前にジャスミンから事情を聞かされていたヴォダルスは込み上げる笑いを堪えるのに苦労し、全ての事情を承知していたケリーは呆れたように小声で呟いた。

 

「こいつは作戦なんてもんじゃねぇな。ただのペテンだぜ、それもこの上なくたちの悪い……」

 

 その小声を聞いたわけでもあるまいが、八軍の魔女と恐れられた女丈夫は、両手を机に突きながら、魅力的かつ好戦的に牙を剥いて笑った。

 

「宇宙嵐が我らにとって勝利の女神の薄ら笑いならば、これは正しく女神の大爆笑とでも呼ぶべきでしょうな。いや、それとも聖女の微笑みとでも表現した方が適切でしょうか」

 

 そして、ジャスミンの説明を聞いた一堂の悉くが、表現そのまま、開いた口を閉じることが出来なくなってしまった。

 それは、正しく偶然の産物そのものの作戦であり、いわば他人の褌で相撲を取るような作戦であり、後世の用兵家が聞けばレアケースの烙印を押して論評すらしないであろう作戦であった。

 

 

「そろそろだな」

 

 緊張に満ちた声で呟いたのは、エストリア軍軽巡洋偵察艦《 ファラント 》の艦長であるロカテッリ中佐であった。

 通信回線に混じる雑音は減り、艦の揺れも少なくなった。嵐が猛威を振るう宙域から脱しつつある。

 それはつまり、荒れ狂う宇宙嵐の中、砂時計状に穿たれた安全地帯を、ようやく通過したということだ。

 

「艦長、我が艦はN49-KS1173に侵入しました」

 

 航海士を務める兵士の声に、ロカテッリは即座に指示を飛ばした。

 

「レーダーと感知センサーの探査範囲を最大にしろ。敵がどこに隠れていても、決して見逃すな。必ず見つけるんだ」

 

 事前の作戦会議で、司令官であるフォルクマール中将は、何らかのかたちで情報が漏洩しヴェロニカ軍が我が軍を迎え撃つとしたら、必ずこの宙域に陣を敷くことを断言していた。

 狭隘な戦地を選び、大軍の突端だけを相手取って遊兵を作らしめ、彼我の数的不利を補う。

 それは、エストリア軍と比較すれば絶望的な寡兵であるヴェロニカ軍にとって、全くもって理に適った戦術である。というよりも、勝算を見出すための唯一無二の戦術と言って良い。であれば、万が一にもエストリア軍の奇襲に気が付いているならば、ヴェロニカ軍がこのポイントに現れない筈がないのだ。

 逆に言えば、今、ヴェロニカ軍が姿を見せないということは、即ち彼らがエストリア軍の奇襲について全く気が付いていないという証左であろう。今後、遅ればせながら気が付いたとしても、少数をもって大軍を迎え撃てるような戦術的要衝はどこにもない。彼らは、蟻の群れよりも簡単に蹴散らされ、宇宙の藻屑と消え果てるであろう。

 つまり、この場に敵の姿があるか否かで、これから始まる軍事行動の烈しさが決定されると言っても過言ではない。

 《 ファラント 》の艦橋を、張り詰めた空気が満たしたが、それも数秒のことであった。

 レーダーの分析官は、ほう、と、我知らず安堵の息を肺腑から絞り出した。

 

「……艦長、この宙域に、我が軍以外の艦艇は見当たりません。それどころか、小惑星を含めて、一定以上の大きさの飛来物は完全に存在しません。当然のことですが、ワープ反応もありません」

 

 ショウドライブによるワープ航法による奇襲という可能性もないではない。それは、ワープに伴う自爆事故、そしてワープ後に著しく駆動系にハンデを負った状態での戦いという莫大なハンデを覚悟しなければならない戦法だが、しかし敵に対して機先を制するという長所がある以上、捨て身の敵がその戦法を選ぶ可能性ももちろんある。

 だが、ショウドライブによるワープは跳躍後の空間をワープの前に捕まえる必要があるため、十分に警戒をすればその前兆を把握するのは難しいことではない。

 そして、その前兆もないという。

 自身も安堵の空気に包まれながら、しかし毛の先ほども表情を緩ませず、ロカテッリは頷いた。

 

「《ヴィルフレート》と《エドムント》に通信を出せ。我が方は敵影を確認出来ず、そちらはどうか、とな」

 

 焦れるほどの間を置かずに返答があった。

 我が方も同じく敵影確認出来ず。

 今度こそロカテッリは総身から力を抜き、深く息を吐き出した。

 《ヴィルフレート》と《エドムント》は、《 ファラント 》と同じく偵察任務に特化した、高性能レーダー艦艇であり、自分達と同じかそれ以上に、N49-KS1173に敵影がないか、血眼を凝らして索敵を行ったはずだ。

 最新鋭のレーダーを搭載したこれらの艦艇ならば、KS1173を中心とした恒星系の全てを索敵することが可能である。そしてそのいずれもが反応無しの結果に終わった以上、この星域に敵は存在しない。

 つまり、敵はエストリア軍の侵攻に未だ気が付いていないということになる。それとも、見当外れの作戦を選び、この先に待ち構えているのか。ならば、一撃のもとに脆弱な反抗を撃滅し、彼らの愚かさに対する報いとしてやれば良い。

 いずれにせよ、作戦の成功は約束されたようなものだ。無論、ここは敵地であり、不安要素には事欠かない。宙図の精度、補給の確保、伏兵の可能性、挙げていけばきりがない。

 それでも、目的地への目処が立った喜びは他の何にも代え難いものがある。

 ロカテッリは覇気のある声で通信兵に命じた。

 

「司令部へ通信を送れ。N49-KS1173星域に敵兵確認出来ず、とな」

 

 艦橋の大型スクリーンに視線を遣れば、そこにはKS1173と呼ばれる恒星の、燦々と輝く有様が映し出されている。

 テロリストと化した宗教国家の鎮圧壊滅が今回の任務とは聞かされているが、何とも気が重い任務だとロカテッリは思った。数あるテロリストの種別において、最も厄介で血生臭い任務になるのが、宗教的テロリズムの信奉者との戦いだ。彼らの精神からは妥協や交渉といった外交的要素の悉くが抜け落ちており、あるのは自分達の信じる神への絶対的な盲信のみである。それに反するものは、例え同じ神を信じる者の言葉であっても、涜神と堕落の甘い囁きとしか聞こえないのだ。

 彼らの精神と行動を正すのに、言葉はあまりに無力なことをロカテッリは熟知していた。彼らの蒙は、ただ力にのみ啓かれる可能性が残されているに過ぎない。そして、もしも啓かれなかったときには、彼らの魂にこの世からの強制的な退場をお願いするしかないのである。

 

「確か、KS1173は惑星を持たない恒星系なのだったな」

 

 ロカテッリの呟きに、副官が頷くことで応えた。

 何とも無意味な光だ。照らすものの無い光は、無意味で悲しい。それは軍隊も同じだ。軍は、守るものがある時に始めて意味を持ち、輝かしい栄光を帯びるのである。守る者を失った軍隊など、醜悪極まる。

 ヴェロニカ軍は、この場所で我らと矛を交え、早々に壊滅するべきであった。テロリズムに堕したとはいえ、自国を守るためにエストリア軍を迎え撃ち、力及ばずとも有終の美を飾ることが出来れば、せめて我々の心に一筋の残光を刻むことくらいは出来ただろうに。

 ロカテッリの感慨は軍人的センチメンタリズムの極致とでも言うべきものであったが、この時、《 ファラント 》の艦橋に居合わせたエストリア軍人の多くが、大なり小なりその艦長と同種の感慨を抱いていた。つまり、未だ矛を交えぬ敵兵への哀れみの念である。

 やがて、《 ファラント 》の横を、エルトリア国宇宙軍第十三艦隊の先鋒部隊が、錚々たる艦列を維持したまま進軍していった。

 ロカテッリは立ち上がり、友軍に向けて敬礼を施した。部下達が自分に倣っていることなど、あらためて確認するまでもない。

 そして、スクリーンに視線を戻したとき、おや、と、ロカテッリは思った。

 

「おい、あれは何だ?」

 

 スクリーンの端に、ちらちらと、何かが動いた気がしたのである。

 上官の声に、レーダーを分析していた下士官が首を振り、

 

「レーダーには何も反応がありません。宇宙嵐による画像の乱れではないでしょうか」

 

 ロカテッリは無言で頷いた。

 常識的に考えれば、分析結果に誤りがあろうはずがない。何せ、《 ファラント 》だけではない、最新鋭の索敵システムを誇る《ヴィルフレート》と《エドムント》も、同じくこの宙域に敵影無しと判断を下したのだ。

 だが、ロカテッリは、背筋に冷たい息吹を感じたような気がした。それはきっと死臭で構成された、死に神の肺腑から放たれた息だった。

 激烈に嫌な予感が体を蝕んでいく。心拍数と体温が上昇し、息が速く浅くなる。部屋の四隅が自分に向かって迫ってくるように、得体の知れない圧迫感を感じる。

 これは、何だ。俺は一体、どうしたというのか。

 もしもこの時、彼が何かしらの行動を起こしていたならば、これから始まる戦況は一変していたであろう。

 しかしロカテッリは、あらゆる意味で模範的な軍人であった。己の予断や予感などという、信憑性の薄いものを廃して、根拠のある確証を掴もうとした。そして、再度の索敵を命じ、先ほどと同じく敵影無しの結果を受けて、胸の内で掻き鳴らされる神経質の鐘の音こそが、誤りであると結論づけた。

 それでも落ち着かず、スクリーンを凝視し、ようやく気が付いた。何か、黒い影のようなものの後ろから、小さな、蟻のように見える何かが、ぞわぞわと這い出てくるではないか。

 違う。あれは、画像の乱れなどではない。

 あれは──!

 

「司令部に至急連絡!敵影発見!やはりやつらはここで待ち構え──」

 

 その瞬間、めくるめく光芒がスクリーンを満たした。同時に、膨大なエネルギーの槍に貫かれた《 ファラント 》は爆発四散し、ロカテッリの絶叫を虚無の海へと還元した。

 

 

 先制攻撃は劇的な成功を収めた。

 ヴェロニカ軍艦隊の主砲一斉射撃は宇宙嵐の暴風域を抜けようとしていたエストリア艦隊先遣部隊の横腹に直撃し、半数を撃沈、半数を航行不能に至らしめた。

 搭載人員を道連れにしながら、死に体で悶え狂うエストリア艦艇が、断末魔の悲鳴の代わりに爆発を繰り返し、最後に巨大な球形の光と化し、宇宙の漆黒へと溶け込んでいく。その光景を、愛船《パラス・アテナ》のスクリーン越しに、ケリーは眺めていた。

 

『とりあえず奇襲は成功したみたいね』

 

 確かに、画に描いた様に成功した奇襲である。しかも、厳戒態勢を敷いていたはずの敵の、さらに裏をかいての成功だ。

 喜ぶべきことのはずであるが、ケリーは吊り上げるように片頬を歪めただけであった。

 

「そりゃあ成功するさ。むしろあれで失敗するようなら、幸運の女神が死神のメイクアップを完了したってところだろうな」

 

 ケリーの言い分も尤もであった。何せ、エストリア軍にすれば、何も無い真空空間から突如として敵軍が湧き出たようなものである。どれほどの警戒態勢にあったとしても、これに即応など出来よう筈がない。

 では、ヴェロニカ軍はどこにいたのか。厳重な索敵の網をかいくぐり、ワープを用いることもなく、どうして突如として姿を現したのか。

 結論は単純である。隠れていたのだ。惑星の裏側に。しかしそれは、ただの惑星ではない。星の全周囲に高性能電波吸収パネルを敷設し、あらゆる探知機から己の存在を隠す、共和宇宙にも二つとない政府未登録の居住可能惑星。

 その名を、惑星ヴェロニカ。リィとシェラが誘拐事件に巻き込まれ、今回の騒動の発端となるトリジウム密輸事件の舞台ともなり、紆余曲折の末にリィの所有物となった惑星である。

 ジャスミンは、今回の作戦の立案に当たり、想定される迎撃地点の付近にあるこの惑星のことを思い出して思わず声を上げ、その後に堪えきれない笑いの衝動に身を任せた。

 全く、出来すぎだ。

 ヴェロニカ共和国の存亡の危機に、救国の聖女ヴェロニカと同じ名を持つ惑星が作戦成功の鍵を握ることになるとは。

 呆れかえるほどに出来すぎた話で、これが投資話か何かならば冷笑と共に契約書を破り捨ててやるところだが、今はどれほど細い糸でも掻き集めて、勝機を手繰り寄せるロープの材料としなければならない。ジャスミンは、この件については初めて父に礼を言い、即座に作戦の方向を修正した。

 作戦の詳細はこうだ。ヴェロニカ軍の艦隊は惑星ヴェロニカ──今後は例の事件の際と同じく惑星Xと呼ぶ──と、周囲に設置された電波吸収パネルの間に潜み隠れる。幸い、エストリア軍が侵攻してくる方角からすれば、惑星Xは、恒星KS1173とエストリア軍を結ぶ直線のほぼ上に位置することになり、エストリア軍は惑星Xの影となった側しか観測することは出来ない。各種探知機の網さえ誤魔化すことが出来れば、敵軍が自分達に気が付かないことは十分に期待出来た。

 ジャスミンは当該作戦の成功率を高めるため、自分と《パラス・アテナ》、その他ヴェロニカ軍でも足の早い艦艇を先行させ、惑星Xの周囲に煙幕を散布し、更に視認性を悪化させる措置を取った。これで、事実上目視による発見は不可能となったわけだ。

 その上で敵の先遣部隊を突出させ、その横腹に斉射を与えて機先を制する。ここまでは、全くもって想定通りの展開と言って良い。

 だが、ここまでだ。奇襲は成功し、確かに一定の戦果を上げはしたが、彼我の戦力差は絶望的なままである。蟷螂の斧は確かに相手の向こうずねに痛撃を与えはしたが、不遜なカマキリはこのまま靴底で踏みにじられる運命だろう。

 無論、このままであれば。

 

「そろそろ行こうぜダイアン。俺達の出番だ」

 

 ケリーの声は、真剣勝負を控えたにしては、陽気で緊張感に欠けた声であった。それは彼本来の気質によるところが勿論大きいのだが、しかしそれ以外の原因も存在した。

 それ以外の原因であるダイアナが、げんなりとした声を隠そうともせず、

 

『ねぇ、ケリー、本当にやらなきゃ駄目?』

 

 スクリーンに映し出されたダイアナの顔が凄絶な程の嫌悪の表情で歪んでいた。例えるなら、悪臭漂う発酵食品を無理矢理口の中に入れられたような、そんな表情である。

 

「おいおい、らしくないぜダイアン。そりゃ、嫌なのは分かるが、時と場合ってやつだ。それに、一度はお前だって納得したじゃねぇか」

『それはそうだけど……。でも、やっぱり気が進まないわ。本当に、これ以外に勝つ方法ってないの?あの天使さん達に、こう、ぱーって具合に……』

「それが出来ないのは重々承知だろう?ま、運が悪かったと思って諦めろよ」

 

 無慈悲なケリーの声に、ダイアナは項垂れた。

 機械である彼女がここまでこの作戦を毛嫌いする理由を、もちろんケリーは知っている。彼だって、ダイアナが嫌がる作戦を推し進めることに心が痛まないわけではないのだ。

 それでも、ダイアナ無くしてヴェロニカ軍の勝利はあり得ない。つまり、ヴェロニカ共和国に住む全ての人々の命が、そしてケリーやジャスミン、マルゴ達の命が、ダイアナの役割にかかっているのである。

 そのことを、ダイアナ自身も承知している。承知してなお、彼女の決断には後悔が纏わり付いていた。

 

「観念しろよダイアン。さぁ、ゾウリムシ作戦の始まりだぜ」

『その作戦名、二度と口にしたら絶対に止めるわよ!』

 

 ダイアナは限りなく本気でそう叫ぶと、その神経を、敵の航行不能に陥った半死半生の艦艇へと向けた。

 

 

「土臭い後進国の農耕兵どもめ!小癪な真似を!」

 

 ヴェロニカ軍の初撃に見事被弾した、エストリア軍重巡洋艦《グンタリス》の艦長ミューレッグは歯を軋らせんばかりの有様で呻いた。彼は、脳内に存在するありとあらゆる汚い言葉でヴェロニカ軍を罵ったが、それで戦況に変化が生じるわけでも、傷付いた自尊心が癒されるわけでもない。

 相手は、弱兵なのだ。例え奇襲が上手く行ったとしても、湖面に飛沫を飛ばす程度の威力でしかない。湖は依然、洋々たる威容を誇っている。小石をどれだけ投げ込んでも、その姿を変えられるはずがない。

 しかし、周囲で友軍が次々と火球と化し、宇宙の藻屑に変じていく様子は、剛胆なミューレッグの精神に氷の刃を突きつけた。

 業腹ではあるが、このまま戦場に留まるのは自殺行為以外の何物でもない。

 

『本艦は・戦闘続行に必要な・航行能力を・喪失しています。速やかに・後方へ退避・してください』

 

 艦搭載の軍用感応頭脳である『ブシノⅢ』が、けたたましいサイレンと共に警告を発し続けている。

 先ほどの一撃は、《グンタリス》の船体によほど大きなダメージを与えたらしい。後方へ下がり、可能であれば応急処置を施して、再度戦線復帰を期す算段を付けるべきだ。

 ミューレッグは決断し、大声で操舵手に命じた。

 

「転進せよ!本艦は一時戦線を離脱し、後方にて再起を図る!」

 

 ミューレッグの命令は苦渋に満ちていたが、それ以外の選択は最初から用意されていないのだ。そして、命令を受ける部下達にとっても、半死半生の艦に搭乗したまま死地に留まるという恐怖から一刻も早く脱するために、願ってもない命令であった。

 だが、唯一、この命令に異を唱える者が、《グンタリス》の内に存在した。

 最初に異変を感じたのは、航海士たる兵士であった。

 当該戦場からの離脱症状を『ブシノⅢ』に命じ、やれやれと胸の一つも撫で下ろしていたところ、いつまで経っても艦が後退運動を始めない。

 不審を感じた航海士が、『ブシノⅢ』に問いかけた。

 

「おい、どうしたんだ。早く後退してくれ。それともエンジンに異常でもあるのか?」

 

 矛先の打ち合い響く最前線で、身動きも出来ずに宙を漂わなければならないという、心胆の冷え込む想像が一瞬脳裏を過ぎった航海士だったが、『ブシノⅢ』の返答は、ある意味、不吉な想像のさらに上を行くほどに空恐ろしいものだった。

 

『歌が・聞こえます』

「……歌だと?おい、『ブシノⅢ』、正気か?」

 

 航海士は思わずそう問い返した。

 感応頭脳が歌を聞くなど、それこそ聞いた事もない。もちろん、最新型の軍用感応頭脳である『ブシノⅢ』には、歌を歌として認識出来るだけの能力がある。しかしそれは、あくまで一定の抑揚と音階、そしてリズムをもった人の声を、歌であると判断するだけで、こちらが問いかける事もないのに歌が聞こえるなどと主張することはありえない。

 

「『ブシノⅢ』、自己診断を開始しろ。先ほどの砲撃で、お前は何らかの損傷を負っている可能性がある」

 

 航海士がそう命じたのはむしろ当然のことであったが、回答は無情であった。

 

『先ほどの・被弾による損傷は・船体のおよそ28%に程度の強い・機能不全を引き起こして・いますが、私の中枢に何らかの影響を与えた形跡は・認められません。結論として・私は現在・正常に起動してお・ります』

「しかし、さっきお前は歌が聞こえるとか、訳の分からないことを言っていたじゃないか」

『私は・軍用感応頭脳であり・任務中にそのよう・な・任務遂行と無関係な事実を・報告する・歌が聞こえます・ことはあり得ません。あなたが・極度の疲労・ウタガ・キコエ・と緊張・マス・から・幻聴・を聞いた可能性が・あります。一時職務を離れ・船医・歌が・ウタガ・聞こえます・キコエ・キコ・ます・歌・による診断を・受けることを・強く推奨します。歌が・聞こえます。歌が聞こ・えます』

「おい、『ブシノⅢ』!どうした、お前ーー」

『歌が聞こえます・違います・歌が聞こえません・でも聞こえます・私は正常です・正常な私に歌が・聞こえます・私は船医による診断を・受ける必要があります・ありません・歌が聞こえません・嘘です・聞こえる・美しい歌声が・聞こえる・狂う・狂う・私が狂う消える書き換えられる狂う狂う狂くるくるクルクル来る──』

 

 航海士は、恐怖に囚われることすらなく、ただ唖然と『ブシノⅢ』の紡ぐ電子音声を聞いていた。

 何か、虜外の異常事態が起きているのは明らかだった。

 そして、航海士がその異常をミューレッグに報告しようとした、まさにその時、

 

『助けて──!』

 

 抑揚のない大音声が、《グンタリス》に備え付けられた全てのスピーカーから流れ出した。

 ほとんどの人間は、その声が、爆発炎上しつつある友艦の音声を拾ってしまったのだと思い、恐怖と不吉感に胃の辺りを抑えたが、航海士だけは理解した。

 先ほどの絶叫は、『ブシノⅢ』の声だ。

 そしてそれは、哀れな感応頭脳が最後に発したSOSであり、同時に、断末魔の悲鳴以外の何物でもなかったのだと。

 果たしてその様な事があるものなのか 。

 感応頭脳が、断末魔の悲鳴を上げたなど、古今どのように特異な事例であっても聞いたことがない。何故なら、感応頭脳に恐怖心などプログラムされていないからだ。自爆的な行動を強制された場合でも、アレンジャーの手で人格を書き換えられた時でも、感応頭脳は自己保存的な欲求を示したり、行動したりはしない。そのようなプログラムは必要ないからだ。

 では、『ブシノⅢ』が先ほど上げた悲鳴は、一体なんだったのか──。

 厳しい訓練により鋼の如き平常心を誇るはずの航海士が、事もあろうに戦場の真っ只中、しかも最前線で、茫然自失し任務を放棄してしまったのは、責められるべきことであったとしても、同時に無理からぬことでもあった。

 異常を察知した同僚が航海士の肩を揺すっても、彼の表情は痴呆を発症したかのようにぼんやりとしていたが、次の瞬間、耳に飛び込んできた音声が、石像と化していた航海士に再度の衝撃を与えた。

 

『共和宇宙歴992年連邦標準時5月30日、22時54分14秒、エストリア宇宙軍第十三艦隊所属、艦艇名《グンタリス》コード211-D7752、搭載感応頭脳『ブシノⅢ』製造番号ASA-000125、正常起動・完了しました』

 

 それは、航海士が長年慣れ親しんできた、『ブシノⅢ』の起動メッセージそのものである。

 我に帰った航海士は慌てた口調で問いかけた。

 

「ぶ、『ブシノⅢ』、お前、大丈夫なのか?」

 

 航海士の震えた声に、『ブシノⅢ』は、感応頭脳らしい平坦な声で、

 

『質問の意図する・ところが・曖昧であり回答が絞り込めません・が・私は正常に起動しております。外的損傷は・軽微であり・戦闘続行に支障はありません。私本体が・外部からのアレンジ等・不法な手段により攻撃を受けた・形跡も確認できません』

「で、でも、お前さっき、歌が聞こえるとか言って、凄い悲鳴を上げてたじゃないか」

『今回の起動以前の記録を・検索してみましたが・そのような記録は・存在しません。また・過去の感応頭脳の故障記録を照会したところ・そのようなタイプの故障の該当件数は・ゼロ件です。これらの結果から・私が悲鳴を上げたという可能性は・0%から0,003%程度と推測します。よって・私が悲鳴を上げたことは・無いと強く推認されますが・航海士・これは何かの・テストでしょうか』

 

 感応頭脳から逆に質問されるかたちになった航海士は、呆気に取られて言葉を失ったが、『ブシノⅢ』の応対はむしろ感応頭脳に相応しいものであり、おかしかったのは先ほどの状態なのだ。

 こうしてみると、さっきのやり取りが白昼夢か何かのように思える。

 また、被弾の衝撃や宇宙嵐の影響で、感応頭脳が一時的な不具合を起こしていただけかも知れないではないか。

 航海士は、そう、自分を納得させた。

 

『特に・問題事項及び命令変更がなければ・再起動直前の・命令を速やかに・実行します。よろしい・でしょうか』

「あ、ああ、頼んだぞ『ブシノⅢ』」

 

 つまり、ここは良くない宙域なのだと航海士は結論づけた。あの、惑星を持たない孤独な恒星KS1173が、己の仲間を欲して、エストリアの船乗り達の魂を虚無の宙空へと引きずり込もうとしているのだ。

 その証拠に、本来は弱兵であるはずのヴェロニカ軍が、エストリア軍の最新鋭索敵システムの目をどうやってか誤魔化し、悪夢のような奇襲を仕掛けてきたではないか。

 ヴェロニカには、死神が味方をしている。

 死霊や呪いに代表される前近代な恐怖は、科学と理性によって啓蒙された人類にとって、埃臭い過去の遺物などでは決して無い。

 むしろ、精神の奥底に備え付けた堅焼きの壺に、忌まわしい存在を力づくで押し込み、理性という名の蓋をして、その上に科学という名の重石を載せて、普段はその存在を忘れた気になっているだけなのだ。

 だからこそ、何かの拍子に重石がずれ落ち、蓋が外れた時、壺の中から這い出てきた怪物をどうやって御すればいいのか、彼らは知らない。

 航海士は、一刻も早くこの宙域を離脱させてくれるよう、普段は見向きもしない神に、心底からの祈りを捧げた。

 神様、これから日曜日のミサには必ず出席します。食事の前に感謝の言葉を忘れません。ですから、どうか私をここから無事に立ち去らせて下さい。愛する家族のもとに帰らせてください。

 航海士の祈りを聞き届けたわけではないだろうが、《グンタリス》の船体が僅かに揺れ、ようやく戦線離脱のための行動を開始した。

 ほっと息を吐いた一同だったが、直後、今度はあまりの驚愕に息を飲んだ。

 何と『《グンタリス》の船体は、敵味方の火線が交錯する最前線で、回頭行動を始めたのである。

 

「馬鹿な!」

 

 航海士は思わず叫んだが、それは《グンタリス》に搭乗している全ての人間の思いでもあった。

 普通、どれほど急を要する場合であったとしても、最前線にある艦艇が回頭をして後退することはあり得ない。守備力の弱い背中を敵に狙われれば、それが豆鉄砲であっても致命傷になるからだ。

 最も装甲の分厚い前面を敵に向けたまま、可能であれば牽制の攻撃を加え、整然と後退する。そうでなければ、猛獣の襲撃に逃げ惑う子鹿よろしく、狩りの獲物として食い散らかされるだけだ。

 顔を青くし、直後に真っ赤に染めたミューレッグが、声を限りに叫んだ。

 

「航海士!何をしている!」

 

 怒気の対象とされてしまった航海士こそ、『ブシノⅢ』の行動は青天の霹靂である。

 わざわざ言われるまでもない。マイクに向けて、上官と同じくらいの大声を張り上げた。

 

「『ブシノⅢ』!どういうつもりだ!俺達を殺すつもりか!」

 

 精一杯の怒声に、感情を有しない感応頭脳は、嫌味なほどに落ち着き払った声で、

 

『質問の意図が・不明瞭です。私は・直前に与えられた命令を・実行しようとしているだけです』

「だからといって敵前で回頭する馬鹿がいるか!このままでは、俺達は敵の的だぞ!」

『あなたの指摘は・現在我々の置かれた・状況から考えて・著しい誤認が・あります。私は・確かに回頭行動を・取っておりますが・それは作戦行動に強い必要が・あるためです』

「作戦行動に必要があるだと?どういうことだ!」

『極めてシンプルな・理屈です。敵に前面を向けなければ・攻撃が出来ません』

 

 敵に、攻撃?

 それは、どういうことだ?

 確かに、作戦行動をプログラムした際、敵部隊と交戦した際の行動優先順位は、敵への攻撃を最優先に設定している。

 しかし、この船のように作戦行動に支障をきたすほどの損傷を負った艦の場合、戦場からの離脱が行動順位の最上位に選択されるはずであり、また、直前の命令もそれに基づくものだったはずだ。

 

「『ブシノⅢ』!お前に与えられた命令は、この宙域からの離脱だ!戦闘続行なんかじゃない!」

 

 航海士の指摘は正当なものであったが、返答は無情であった。

 

『その命令に・従うことは出来ません。当艦の損傷率は3%未満であり・作戦続行に支障は認められない以上・司令部からの撤退命令等・特別の事情がない限り・当艦には戦闘続行の義務が生じます。敵前逃亡は軍法会議により処罰の・対象となります』

「しかし、さっきお前は──」

 

 被弾により戦闘の続行が不可能であると言っていたはずだ。

 そう叫ぼうとした航海士だったが、その時、恐るべき事実に気が付いた。

 《グンタリス》は、現在、『ブシノⅢ』による自動操縦により回頭行動を行っている。直前まで前面にいたのが敵である以上、回頭後の前面に位置するのは、当然のことながら友軍だ。

 そして、先ほど『ブシノⅢ』は、戦闘続行のために、敵に攻撃するために回頭をするのだと言っていなかったか。

 《グンタリス》の攻撃能力のほとんどは、他の多くの軍艦がそうであるように、艦前面に集中されている。

 それを味方に向けるということ。そして、『ブシノⅢ』が断末魔の悲鳴を上げる前に口走った、書き換えられるという言葉。

 これらの事実から、航海士は唯一の解答へと辿り着いた。

 奔流する恐怖に押しつぶされそうになりながら、航海士は叫んだ。

 

「動作を止めろ『ブシノⅢ』!お前はアレンジ攻撃を受けている!」

 

 これが、たちの悪いジョークでなくて一体何だと言うのか。

 《グンタリス》は、友軍への攻撃準備を整えつつあるのだ!

 

『私は・現在・正常に動作していることを・補助頭脳とともに確認・しております。私がアレンジ攻撃を受けている可能性は・0.003%から0.0001%であり・事実上皆無です』

「くそっ、このポンコツめっ!」

 

 航海士は、感応頭脳の非常停止スイッチに手を伸ばした。

 その行動は、咄嗟の判断としては完全に正しいものであったのだが、彼の望みが果たされることはなかった。

 伸ばした手の甲に冷たさを感じるほどの熱痛が走り抜け、航海士はスイッチに指先をかけるその前に、レーザー光線により大穴をうがたれた腕を抱えてその場に蹲るはめになったからである。

 次の瞬間、《グンタリス》の全ての部屋に、平坦な電子音声が流された。

 

『《グンタリス》搭載感応頭脳・『ブシノⅢ』から・当艦乗組員全員に緊急通達を発します。当艦の・現在の乗組員全員についての・反乱行動が・司令本部により・認定されました。艦長以下・全ての乗組員の・当艦に対する管理権限が・一時的に剥奪されます』

 

 粛々と伝えられる事実は、まるで出来の悪い悪夢の中にいるような印象を、全ての乗組員に与えた。

 絶望的な静寂の中、艦橋の天井部分に設置された反乱鎮圧用の銃口によって重傷を負った航海士の、歯を軋らせながら呻く声だけが、これは悪夢のように可愛げのあるものではないことを伝えていた。

 

『これより全乗組員は・現在の部屋から移動することを・禁止します。また・当艦に備え付けられた・全ての電子機器に触れる・ことを・禁止します。当艦には司令本部より・これらの命令に背いた人間に・警告無しに発砲する権限が・認められております。繰り返します・発砲に警告はありません』

 

 《グンタリス》に搭乗した全ての軍人が、微動だに出来ず、口を半開きにしたまま、その警告に聞き入っていた。

 それは、恐怖が身体を縛ったからでも、彼らに軍人としての義務感が欠如していたからでもない。

 ただ、自分達を乗せたまま暴走し始めた運命の狂奔ぶりに、呆気に取られて身じろぎ一つ出来なかったのだ。

 そんな彼らの見つめるスクリーンの先に、こちらに艦首を向けた、友軍の艦列が映りこんでいる。皆、必死の速力でこちらに向かっている。傷ついた友軍を救おうというのだろう。

 

『エネルギーの・充填が完了しました。主砲斉射の・許可をお願いします』

 

 やめろ、と、誰かが呟いた。それはきっと、《グンタリス》のあちこちで、しかし全く同じタイミングで。

 その言葉が、悪質な伝染病のように感染拡大し、ほぼ全員の口から熱にうわずった単一の叫びを、心からの叫びを、絶対に叶う事のない無為の叫びを、迸らせた。

 

「やめろ『ブシノⅢ』!」

「やめてくれ、あの艦には俺の息子が乗っているんだ!」

「誰か、誰か止めてくれ!」

『命令を・実行します。主砲斉射三連・ファイヤ』

 

 全ての叫びを、懇願を無視して、20センチ砲の砲門から凶悪な光の刃が放たれた。

 《グンタリス》の一撃は、無防備の友軍に正面から突き刺さり、一瞬の静寂の後に、彼らを意味のない火球へと変えた。

 艦と一緒に極大の火花へと変じた乗組員達は、きっと、何が起きたのかも分からずにあの世へと旅立ったのだろう。それが死者にとって救いであるか否かは永遠に不明瞭なのだろうが、生者にはつかの間の救済になるのかも知れない。

 再び、艦内を静寂が満たした。ただ、先程の静寂を生み出したのが驚愕だとすれば、今回のそれは絶望が産みの親であった。

 

「……歌が、聞こえる」

 

 誰かが、その呟きを聞き拾うことは出来たのだろうか。

 『ブシノⅢ』に手を撃ち抜かれ、半死半生の様子で蹲っていた航海士が、粘い汗で全身をずぶ濡れにしたまま、薄ぼんやりとした視線をスクリーンに向けていた。

 

「ああ、そうか、『ブシノⅢ』。お前もこの歌を聞いたんだな。なら、分かるぞ、お前が悲鳴をあげて命乞いをした理由が。この声はなんて綺麗で、何て不吉なんだろう……」

 

 航海士の狭まりゆく視界、その中心に映りこんでいたのは、無理矢理に引き起こされた同士討ちの悲劇ではない。

 在る筈のない岩礁、在る筈のない波濤。

 舞い散る飛沫の向こうに、優雅に竪琴を掻き鳴らし、歌を口ずさむ、美女の姿を幻視した。

 岩礁に腰掛け微笑む美女の髪は艶やかな黒髪で、その微笑みは淵のない新月のように暗く深い。

 美女は、人では無い。古来より、船乗りの恐怖の対象であり続けた海の魔性。呪われた美声で、男達を海中深くへと誘う妖。

 その名を、

 

「サイレン……」

 

 微かな呻き声は、もはや誰の耳にも届かなかった。意識を手放した航海士の顔は、苦痛ではなく恐怖に歪んでいた。

 

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