懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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幕間:勇者達

『お客様のお呼び出しをします。ペリティア星系エレノス宇宙港よりお越しのレオナール様、お伝えしたいことが御座います。お近くの内線電話より、三番お客様受付センターのほうへ連絡を頂きますようお願い申し上げます』

 

 無粋な船内放送が、心躍る会話に終了を告げた。

 ラナートは、目の前にいる少女との会話をもっと長く続けたいと考えている自分が、少しだけ意外だった。

 今日、初めて出会った少女だった。

 そして美しい少女だ。年の頃は、自身の子らと同じくらいだろうか。ならば、これからますます美しくなるに違いない。その姿を想像するのは、ラナートにとっても不快なことではなかった。

 だが、今の少女に対して異性としての魅力を感じているのかと問われれば、ラナートはそれを決闘の合図と受け取るかも知れなかった。星の数程、とは少々大げさであるにしても、両手の指では数え切れない女性と浮き名を流したのだし、一晩だけの情熱を交わした相手ならば一個中隊を編成するに足るだろう。端的に言えば、相手に不足はしていない。

 では、どうして少女との邂逅を、こうも名残惜しく思うのか。愛らしい外見にちっともそぐわない、まるで男のような話口調。口ぶりも老成していて、子供とはとても思えない。だが同時に、一緒にいると離れがたい魅力がある。安心感がある。生まれもって人を惹き付ける才能を持った人間がこの世にいるのならば、それはおそらく、目の前の少女のような人間なのだろう。

 なんとも不思議な少女だった。

 

「……と、いうことだ、お嬢さん。どうやら連れから呼び出しが入ったようでね。名残惜しいが失礼させて頂こう」

 

 ラナートが、安いビニール製の長椅子から腰を上げようとすると、少女が、少しだけ寂しげな表情を浮かべてくれた。

 ラナートは心中で苦笑した。どうやら生まれてくるのが少しばかり早かったのか。もしも自分がこの少女と同い年だったなら、例え拐かしてでも目の前の少女を自分のものにしたかも知れない。

 

「待って欲しい。まだ、俺の方が名乗り終えていない」

 

 少女が、きびきびと小気味良い動作で立ち上がり、未だ腰掛けたラナートと視線を合わせ、

 

「俺の名前はウォル。ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン。もうしばらくすれば、ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン・ヴァレンタインになるだろう。長ったらしい名前だが、どれも大切な名前だ。どれか一つでも覚えておいて頂けるとありがたい」

 

 少女の黒い瞳は、真っ直ぐにラナートの瞳を見つめた。

 その真っ直ぐさが、ラナートには、少しだけ苦しく、そして悲しかった。自分の人生を、一度足りとて恥じたことはない。太陽に顔を向けられない世界で生きてきたのだとしても、自己に課した掟だけは破らなかった。

 それでも、こんな真っ直ぐな少女に、本当の名前を伝えられなかった自分が、情けなかったのだ。

 

「そうか。では、ウォル、と呼んでもいいのかな?」

 

 ラナートの問いに、ウォルと名乗った少女は、太陽よりも暖かく、朗らかに、微笑んだ。

 

「ああ。親しい人達はそう呼んでくれる」

「じゃあ、俺のことはラナートと呼んで貰えると嬉しい」

 

 そう言い捨てたラナートは、少女の視線を振り払うようにして談話室を後にした。

 連邦大学星と辺境を繋ぐ大型旅客船は、今日が連邦大学の長期休暇の最終日だからだろうか、普段の倍以上の乗客でひしめき合っている。当然のことだが、年若い学生の姿が多い。

 大柄なラナートが歩くと、少し驚いたような顔で彼の顔を見上げ、行儀良く道を空ける。その様子を眺めるでもなく見遣りながら、自身が彼らと同じくらいの年の頃だったとき、何をしていただろうかと思いを馳せた。

 まだ、自分の世界は、どこまでも広がるのだと思っていた。背は伸び続け、視界はどんどん高くなり、力は際限なく身につくのだと。

 それが幻想に過ぎないことを知ったのはいつだろう。記憶の糸を手繰り寄せたラナートの脳裏に、遠く離れた星で、病魔に取り憑かれ、ベッドの上で苦しみ抜き、最後の最後には怪物のような異形と化し、血を吐き散らしながら死んでいった少女の、最後の笑みが浮かんだ。

 もう、遙か昔のことのはずなのに、その笑みはラナートの一番柔らかい部分に刻み込まれたまま風化することはない。きっと死ぬまでないだろう。彼女の顔を思い起こす度に、何もしてやれなかった自分の無力さを噛み締めることになるのだ。

 通路の真ん中で立ち止まり、痛ましげに息を吐いたラナートを、周囲の学生が奇異の視線で眺めていた。

 

「あの、どうかされましたか?御気分でも……?」

 

 気遣わしげな表情と声で、先ほどの少女──ウォルという名前だった──と同じ年頃の少女が、ラナートに声をかけた。

 こんな子供に心配される程、自分は老いて見えるのか。それはそうだろう。もう、かなりの人数の昔馴染みが、この世の人ではないのだから。

 ラナートは自嘲の笑みを浮かべるのをやっとのところで押しとどめ、爽やかな笑顔を少女に向けた。

 

「なんでもないよ、お嬢さん。少し、頭が痛んだだけだ。ありがとう」

「そうですか、よかったです。もしも体調が優れないようでしたら、すぐに船医さんに連絡してくださいね」

 

 少女がほんのりと頬を赤らめ、律動的な足取りで駆け去っていった。

 その後ろ姿を見送りながらラナートは再び歩き始めた。

 廊下の先の角を曲がり、設置されていた通話ブースに体を滑り込ませ、内線の3番を押す。

 

「ああ、すまない、先ほど呼び出してもらったレオナールという者だが……ああ、繋いでくれて構わない」

 

 機械的な口調のオペレーターの声が途切れ、次に、ラナートと同じくらいの年の頃だろうか、嗄れた男の声が受話器の向こうから聞こえた。

 

『お忙しいところ、申し訳ありません、お館様』

 

 一瞬、誰のことを指しているのか、分からなくなる。しかし、そのような呼び方を自分に向けるのは、この世で一人しかいないはずだった。

 

「二人で話す時は、その呼び方は止めるように言ったはずだぞ、ヤームル」

 

 これも何かの符合だろうか。

 先ほど思い起こした少女の死に顔。共に彼女を看取った古い友が、このタイミングで連絡を寄越すとは。

 心中で遠雷を聞いた気がしたラナートの耳に、懐かしい笑い声が聞こえる。

 

『そうだったな、インシン……いや、銀星』

「よく、ここが分かったな」

『そこらへんは、昔取った杵柄というやつさ。それにしても、いい加減通信端末の一つでも持ったらどうだ。ここはヴィーザルではないんだぞ。連絡を取ろうとする度にお前の行方を探らなければならないのは、そろそろ骨が折れる……』

「残念だが、この年になって、これまで貫いてきた主義主張をあらためるつもりもない。諦めてくれ」

『変わらないな……。もう、かれこれ十年も経つのか、お前と別れてから……』

「そうだな、ユエが逝ってから、もうそんなに経つのか……。老いるはずだな、俺も、お前も」

 

 もう、遠い昔の話だ。

 宇宙船の故障で、半死半生の傷を負いながら這うようにして辿り着いた、名前も知らない未登録惑星。そこが、まさか袂を分かって久しい友人の生まれ故郷だったなど、神の悪戯にしては安っぽすぎる。

 そして、その友人の娘と恋に落ち、二人の子供を設けるなど。

 ずっと戦い続け、走り続けた人生の中で、唯一、心から安らげる時と場所が、そこにはあった。思い出すことさえ勿体ない、宝石のような思い出。

 メイフゥもインユェも、もう、片手では抱え上げられないだろうか。彼らは若木のように成長し、その分だけ、老人は衰えていく。

 もう二度と、二人の前には顔を見せないと誓っている。それが、父としての責任を放棄した自分の、最低限のけじめだと。それでも、この世でただ二人、自分と、自分が愛した女の血を受け継いでくれた我が子らを、どうして愛さずにいられるだろうか。

 

『大したことじゃないが、一応、報告しておこうかと思ってな』

「何をだ?」

『お前がインユェに送った船……《スタープラチナ》が、借金のかたに差し押さえられるかも知れん』

 

 ラナートが無言で話を促すと、古馴染みであり亡妻の父でもある老人が、苦笑混じりに続けた。

 

『たちの悪い輩に騙されたのさ。そいつは、お前の古い友人だと偽ってインユェに近づいたらしい。そして、後はお決まりだな。お前が困っていて、金がいる。何とか用立てたいが手妻がないと泣き落とし。インユェはころっと騙された』

「下手な儲け話で目の色を変えたよりは、まだ愛嬌があるじゃないか。で、ヤームル、その男はどうした?」

『始末した』

 

 あっさりと、まるでそれが当然のことのように、ヤームルは言った。

 ラナートも頷いた。それが、この男には当然のことだと知っていた。どれほど遠くに逃げても、どれほど厳重に身辺警護をつけても、ヤームルがその気になれば相手に為す術はない。必ず仕留める。

 

「『猟犬』の鼻は、まだ衰えていないらしいな。安心したよ」

『それはいいさ。だが、そいつがばらまいた金の回収は、俺には出来ん。ついでに言うなら、銀行屋どもがコンピュータの中で管理している借用書を焼き払うこともな』

「船が売り払われるくらい、別に構わないだろう。気概があるなら買い戻すことも出来る。まぁ、買い戻す前にスクラップにでもされてしまえばそれまでの話だが。それよりも、インユェには良い勉強になっただろうさ。それを寧ろ喜ぶべきだと思わないか?」

 

 ラナートがそう言うと、受話器の向こう側で頷く気配があった。

 

『それでも、お前がどこかであの船が売りに出されているのを見かけたとき、あまりがっかりさせるといけないと思ってな。一応耳に入れておこうと思っただけさ』

「そいつは手間をかけさせた。だが、そんなことよりも、少し気になる。その男は、本当にけちな詐欺を目的に、インユェに近づいたのか?」

『ああ、それはどうやら嘘じゃないようだ。少なくとも、お前を誘き出す餌としてインユェに目をつけたとか、そういう事情は無いと考えて良い』

 

 ラナートは頷いた。

 

「万事お前に任せる。俺は確かにあいつらの親だが、口出しする資格があるなんて自惚れちゃいない。産んで育てて、独り立ちするまで見守ってこそ人の親だ。産み捨てるだけなら虫だって出来る……」

『それでも、お前はインユェとメイフゥの父親だ。俺の娘は、ユエは、二人の成長を見届けたくてもそれが出来なかった……』

「……すまん。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ」

 

 しばし会話が途切れた。

 

『……それよりも、面白い話がある。もう少し、いいか?』

「ああ。どうした?」

『《スタープラチナ》が担保にされた借金を返すために、今度、かなり遠出の資源探索に出張る予定だ。探査宙域は、インユェが選んだんだが……』

「ほう。それで?」

『聞いて驚くなよ。行き先は、N49-KS1173だ。どうだ、覚えているか銀星』

 

 ラナートは思わず絶句した。

 それは、かつてラナートの一味が、ある人物の好意から借り受け、本拠地として利用していた星だったからだ。

 

「冗談という訳ではなさそうだな。冗談にしては下手過ぎる。ヤームル、お前がインユェを唆したのか?」

『馬鹿を言うな。あの星は、既にマックスさんの娘か、それともその子供さんに受け継がれているはずだ。税金の支払いを滞納でもしていれば別だが、あの一家に限ってそれはないだろう?』

「ああ、しかし、彼女は死んだ。そして、一人息子だったあの赤ん坊も、事故で早世したと聞いているが……」

『どちらにせよ、既に他人の手垢がついた星さ。インユェが見つけても、一銭の得にもなりはしないだろう。そんな星を見つけるよう唆して何の意味がある?』

「……まぁ、お前のいうとおりだろうな。しかし、インユェには資源探索者としての才能があるのか、それとも無いのか、よく分からないな」

 

 ラナートは思わず笑みを溢した。

 N49-KS1173に目をつけたのは、確かにインユェの勘働きの鋭さを示すものだろう。そこは惑星をもたないとされる恒星系であり、普通の資源探索者ならば見向きもしない。しかしその宙域には、確かに惑星があるのだ。一般には秘匿され、探知機にも発見されない、あの星が。

 ただ惜しむらくは、あの星が既に個人の所有物となってしまっていることだろう。仮にインユェがあの星を見つけても、草木の一本、石くれの一片に至るまで、自分のものにすることは許されない。そしてそのことについては、インユェには一片の責任もない。

 ただ一言。運が悪かった。それだけだ。

 

「止めないのか、ヤームル」

『これも、インユェにとっては良い試練だ。未登録の居住可能惑星を見つけ、しかしそれが他人のものだと知れば、落胆は計り知れないだろう。それで諦めて再起不能になるようなら、最初から資源探索者としての資質を備えていないということだ。今のうちに他の生きる道を探した方がいい……』

 

 なるほど、厳しいようだが一理ある。ラナートは頷いた。

 

『ちょうどあの星には、一度行ってみる必要があると思っていたところだ。お前の耳にも入っているだろう。あの星を舞台にした誘拐事件の顛末を』

「ああ、だいたいのところはな」

 

 それは、連邦大学の中等部の学生が、未登録の居住可能惑星に拉致されるという、前代未聞の誘拐事件だった。

 ヴェロニカ共和国が絡んだ一件だけに、少し気になったラナートはその事件の詳細を調べたのだが、まさか『惑星ヴェロニカ』が、その居住可能惑星だとは思いもしなかった。いや、半ば気が付いていて、気が付かないふりをしていたという方が正しいかも知れない。

 

『まさか、あの星をトリジウム密輸の拠点にするなんて考えるやつが、俺達以外にもいたとはな』

「それだけあの星は理想的な場所にあるということさ。ヴェロニカ共和国から遠すぎず近すぎず、他国への利便もいい。上得意のエストリアにも、最短距離を結んだ航路にほど近いからな」

『その星で、あんな事件が起きて、トリジウム密輸組織が摘発された。これが何かの前触れで無ければいいのだが……』

「昔からお前の勘は良く的中したからな。それも、悪い方向への精度は抜群だった」

『それは皮肉か、銀星?』

 

 無理矢理不機嫌を取り繕った声が受話器のあちら側から聞こえてきて、ラナートは笑った。まるで、昔に帰った気がしたのだ。

 

「とにかく、知らせてくれたことに礼を言う。だが、何度も言うように、俺はあいつらの親である資格を自分から放棄した男だ。気を使う必要はない。あいつらの親はお前だよ、ヤームル」

『それは違う……と言っても無駄なんだろうな。一応伝えておくが、二人とも、特にメイフゥはお前に会いたがっている。一度けじめをつけないと、あの子は前に進めないかも知れん。まだインユェは形態変化を覚えていない。メイフゥは、それを自分のせいだと責め続けている。誰かが、何とかしてやらなければいけない。そして、俺には無理だ』

「そうか……」

『今すぐとは言わん。考えておいてくれ』

 

 分かった、とは言わなかった。

 名残惜しむでもない、簡単な別れの挨拶を交わし、ラナートは受話器をフックに戻した。おそらく、これが我が子の近況を知る、最後の連絡になるだろうと思った。

 今も、彼らは元気で生きている。どうか、これからも元気でいて欲しい。それだけがラナートの願いだった。

 そして、二週間ほども時が流れた。

 ラナートは連邦大学に滞在していたが、それも今日で終わりだろう。中央学府の設置された州は初夏の気候で、そろそろ日差しが厳しさを増してこようという時季だが、その分、開け放たれた窓から吹き込む風が、得も言われずに心地よい。

 窓の外の新緑に目を遣ったのは、我知らず、この星に名残惜しさを感じていた証拠かも知れない。

 

「どうされました、ミスタ・レオナール」

 

 その声で我に返ったラナートは、恥ずかしげな表情を浮かべ、

 

「いえ、何でもありませんよグラッツェン学長。ただ、この星に来ると、自分の未熟だった頃を思い出し、今思い出すと冷や汗を掻くような過去がふと頭を過ぎるのです」

 

 ガラス製のすっきりとしたテーブルの向こうで、品の良い老紳士が微笑んだ。

 

「いつものことながら、我が校に対するあなたのご配慮には言葉に尽くせぬ恩義を感じております。これはどの教育機関、研究機関にも言えることですが、学生に対して万全の教育環境を用意しようとすれば、いつだって予算が足りない。研究設備を整えるためにも素晴らしい講師を呼ぶためにも、まずは金が要る……下世話な話ですがね」

「仰るとおりです」

 

 あまりにも率直な学長の言葉に、ラナートはかえって好感を覚えた。

 今の世の中……というよりも、遙か昔から現在に至るまで、人の世はいつだって金で動いてきた。金は、それ自体に善悪を持たない。結局は使う人間の本性を、金という鏡が映し出すだけのことだ。

 ローテーブルからソーサーごとカップを持ち上げ、豊潤なコーヒーの香りを堪能するように一口啜り、音も立てずに戻す。堂々たる偉丈夫であるラナートの洗練された動作は、学長に浅い溜息を吐かせた。

 

「口幅ったいことですが、学長、私は、自分の人生では使い切れないだけの金銭を貯め込んでしまった。これは、ある種の業なのですよ。金を稼いでしまえば、ある時点までは己の自由を約束するはずのそれが、足枷となり、鎖となり、首輪となって自分を縛り始める。自分のための金であるはずが、金のための自分になる。主従が逆転し、価値が人をこき使うのです。これを悪夢と言わず、なんと言うでしょう」

 

 学長は真剣な面持ちで頷いた。連邦大学の学長とは、一つの惑星を治める最高位の為政者と同義である。当然、ただの研究者に勤まる役職ではない。人の世の裏も表も知り尽くした人間でなければその職責を果たすことなど出来ようはずもないのだ。

 理想や理念がどれほど重要であることを知りつつも、それだけでは物事が前に進まないことを、グラッツェンは知悉していた。だからこそ、是も非も全てをひっくるめて丸く収めることが出来る金の力を決して軽視はしていない。

 

「ミスタ・レオナール、あなたは黄金のために働くのではなく、黄金の主人となることの出来るお人だ。羨ましい限りです。しかし、この世で我こそは金持ちと胸を張る人間のほとんどが、黄金の奴隷に成り下がっている事実に気が付いていない。情けないことですが、私自身そうなのかも知れません」

「幸い、私には守るべき家庭も無ければ、財産を受け継ぐ子供もいない。墓を錦で飾るわけにもいかない以上、貯め込んでしまった業は出来るだけ早く吐き出したほうがいいに決まっている。それだけの話です」

「しかし、その業のおかげで、前途洋々たる学生達の未来がより一層広く、そして明るく照らし出される。私はあなたと、あなたが背負ってきた業に感謝と敬意を表さざるを得ません。本当にありがとうございます」

 

 学長が深々と頭を下げた。

 何故か、居たたまれない気持ちになったラナートは腰を持ち上げようとしたが、ふと思い至ることがあって、もう一度ソファに腰を沈めた。

 それでも口ごもるラナートに学長は不審の眼を向けた。それほど頻繁に親交があるわけではないが、それでも二人が知己となってから長い年月が経っている。その中で、これ程までにラナートが話しにくそうにしているのを初めて見たからだ。

 

「どうなされたましたか、ミスタ?」

「……学長。これは、恥を承知でお願い申し上げるのですが……一つ、無理を聞いては頂けませんでしょうか」

「無理を、と仰る。いったい、どういうことですかな?」

 

 ラナートの言葉を聞いた学長は思わず目を丸くした。

 

「……些か、驚きました。もう、二十年近くも我が校への多大な寄付を続けておられるあなたが、今になって、そのようなことを仰るとは……」

「如何でしょう。私の願いを聞き届けてくださいますか?」

 

 学長は荘厳な面持ちでラナートに相対し、ゆっくりと口を開いた。

 

「あなたの願いを私がお断り申し上げたとしても、あなたは今まで通りの寄付を続けてくださるのでしょうか」

「はい。寄付と、先ほど申し上げた恥知らずなお願いは、全くの別物です。例え今、この瞬間に、あなたが私に唾を吐きかけたのだとしても、来年以降の寄付は変わりなく続けさせて頂くことを約束します」

 

 そういうと、学長はにっこりと笑った。

 

「では、あなたのお願いは、はっきりとお断りをさせて頂きましょう」

 

 ラナートは、悪戯がばれた子供のような表情で頷いた。半ば、この返答を予想していたから、別に落胆しなかった。ただ、こんなことを言いだした自分が意外であり、そして気恥ずかしかっただけだ。

 

「詮ないことを申し上げました。どうか忘れて下さい」

 

 ラナートが立ち上がると、笑顔の学長もそれに倣い、ラナートのために学長室のドアを開け放った。

 

「それでは、ここで」

「はい。また、いつでもお越しください」

 

 二人は、儀礼ではなく、親しみを込めて握手を交わした。先ほど、ラナートの頼み事を二の句も告げぬ調子で撥ね付けたグラッツェンだが、二人の間に気詰まりな空気は流れていない。それは彼らの信頼関係の強さを十分に表していた。

 そして、グラッツェンはにこやかな調子で口を開き、

 

「ミスタ・レオナール。先ほどの件ですが……」

「いや、それはもう忘れて欲しいのですが」

 

 困惑顔のラナートを珍しがるように笑顔の学長は、

 

「我が校には、数多くの学生がいます。その中には、王侯貴族の子女や、各国の首脳の子女もいる。当然、我が子可愛さに特例扱いを求める例が後を絶ちません。しかし、我が校は全ての学生の平等を建前としている以上、僅かな優遇措置であっても認めるわけにはいかない」

「ええ、それが学府のあるべき姿でしょう」

「だからこそ、我が校の門を叩く学生が、如何なる出自の人間であっても、門前払いを喰らわせるような愚かなこともしません。学ぶ能力があり、気概があり、覚悟があるならば、我が校の門は全ての人間に対して、平等に開かれるでしょう。それをご理解ください」

 

 学長の言わんとするところを理解したラナートは、深く頭を下げ、学長室を後にした。

 静謐な廊下に、窓ガラスを透過した陽光が滑り落ちている。

 空が高い。この大陸は、初夏の爽やかな気候に包まれている。空調の管理されたこの学長棟の空気にも、青々とした若葉の香りが混じっているような気がするのである。

 ラナートは軽く深呼吸をした。

 ふと外に目をやれば、芝生でスポーツに興じる学生や、ベンチで足を休める男女の姿が目に入る。

 そういえば、船で知り合ったあの少女──名前を、ウォルと言っただろうか──は、連邦大学の学生なのだろうか。

 きっとそうだろう。あの船は、連邦大学と辺境を繋ぐ定期便なのだ。あの船に、保護者を連れずに乗っていて連邦大学に無関係の子供がいれば、その方が余程不自然である。

 

「学長に、聞いてみても良かったか……」

 

 あの少女にもう一度会ってみたいというのが、ラナートの偽らざる心境であった。船内では碌な話も出来なかったが、一度腰を落ち着けて──もしも少女が望むなら、軽い酒でも挟みながら──彼女の生い立ちを聞いてみたいものだ。さぞ愉快な話が聞けるに違いない。

 そんなことを考えながら歩いていると、長い黒髪の少女の後ろ姿を見かける度に、あの少女のことを思い出してしまう。これではまるで、恋に落ちた青い少年のようではないか。我ながら、ラナートは呆れるばかりだった。

 どちらにせよ、もう、しばらくはこの星に用はない。もしもあの少女と再び顔を合わせることがあったとしても、それは来年、この星を訪れる時のことになるだろう。

 そんなことを思いながら廊下を歩いていると、背後から声をかけられた。

 

「レオナール様、少々お待ちを。お電話が、繋がっております」

 

 振り返ると、そこには壮年の頃合いの、品の良い女性が立っていた。片手に、電話機の子機を握っている。

 確か、グラッツェン学長の秘書を務める女性だったのではないか。少し息が乱れているのは、デスクワークばかりで体力が低下しているのに、小走りで自分を追いかけてきてくれたからだろう。

 

「私に、電話ですか?」

「はい、確かに、レオナール・リモン・ベルタンに繋いで欲しい、と。ヤームルという、おそらくはお年を召された男性です。取り次いでいいものか悩みましたが、あなたがこちらに来られているのを知ってるならば、不審な相手ではないかと思いまして……ご迷惑でしたでしょうか?」

「いえ、ミズ、とんでもないことです。それは、私の古い友人でして、大事な用件をお願いしていたのです。危うく行き違いになるところでした。本当にありがとうございます」

 

 ラナートは爽やかな笑顔を作り上げ、女性から子機を受け取った。

 女性は、必ずしも愛想笑いではない笑顔を浮かべた。

 

「電話は、後で受付の者にお渡しください。それでは、私はこれで……」

 

 気を利かせてくれたのだろう、女性はラナートに一礼すると、学長室の方へと引き返していった。ラナートが学校組織にとって、非常に重要な人物であることが、下にまで行き届いているらしい。

 どうにも面映ゆい気持ちを堪えながら、ラナートは子機を耳に当てた。

 

「どうした。まだ、こないだの電話から一月も経っていないぞ。年を取って、人恋しさに耐え難くなったのか」

 

 ラナートの冗談口に、しかし運命は残酷をもって報いた。

 

『シスが殺された』

 

 がつんと頭を殴られたような気がした。

 古馴染みの、友の名だった。宇宙物理学の博士号持ちという、おそらくはあの頃の海賊でもたった一人の変わり種であり、凄腕の航海士だった。シスがいなければ、おそらくラナートの率いる海賊団は、二度は宇宙嵐に飲まれて難破し、三度は連邦警察に拿捕されているだろう。

 恩人と言ってもいい。

 そして、良い奴だった。気弱でおどおどした態度とは裏腹に、誰よりも熱い魂を持っていたことを、ラナートは知っている。それに、一度言いだしたら、他人の意見に耳を貸そうとしない、頑固者だった。

 だから、彼が船を下りると言った時、説得する言葉をラナートは持たなかったのだ。

 

『う、奪うのがね、嫌になったんだよ。だ、だから、な、何かを作りたくなったんだ』

 

 こちらの顔色を伺うように俯き加減で寄越した視線には、しかし何者にも屈しない覚悟が込められていた。泣き出す一歩手前のような不安定な語調に、不屈の闘志が込められていた。

 ラナートは彼の下船を許可した。説得の無駄を悟ったのだ。もしも拷問を加えたとしても、シスはこの船を下りるだろう。少なくとも、もう海賊船の航海士として働くつもりはないだろう。

 ならば、気持ちよく送り出してやるのが、長く一味のために身を粉にして仕えてくれた彼に対する、せめての礼儀ではないか。

 下船の日、密かにシスの私室を訪れたラナートは、一枚のキャッシュカードをシスに押しつけた。その口座には、彼とその細君が、一生喰うに困らないだけの金が入っている。

 シスは、頑なに受け取りを拒んだ。自分の我が儘で一味に迷惑をかけるのだ。その上、こんなものを受け取る訳にはいかない、と。

 ラナートは、しかし拒むことを許さなかった。一度はお前の我が儘を聞いたのだ。ならば、今度は自分の我が儘を聞き入れてくれ、と。

 最後は、シスが折れた。涙で顔を濡らし、しゃくり上げる胸を必死に押さえながら、何度も何度も礼を言い、船を下りていった。

 その時の、おそらくは罪悪感に打ち拉がれた小さな背中を、ラナートは今でも思い出すことが出来る。

 

「……あの酒が、今年は届かなかったよ、ヤームル。そうか、そういうことだったのか、ならば納得だ」

 

 送話口の向こうの古馴染みは、何も言わなかった。何を言う必要もない。思いは同じだ。そして掟も。曰く、仲間の敵を許すな。同胞の敵を討て。それが海賊の掟だ。海賊だった者の、掟だ。

 

「誰が殺した」

 

 ラナートの声は、大きくも鋭くもなかったが、決定的なほどに冷え切っていた。先ほどの女性が今の声を聞けば、レオナールという人間とラナートという人間は、全く別個の者だと確信するだろう。

 

『どこの糞が殺したのかは分からん。だが、どこの糞共が殺したのかは分かっている』

「それは?」

『ヴェロニカ教の糞共だ。奴らが、シスを野良犬よりも呆気なく撃ち殺した』

 

 ヴェロニカ教。

 ラナートは、頭の奥に軽い疼きを覚えた。

 記憶の奥底で、あの少女が、あの坊主が、そして今は亡き父代わりのあの人が、固く乾いた棺桶を内側から食い破り、地の底から腕を突き出すのだ。死者が蘇る。悪夢が蘇る。弱かった昔の自分が、今の自分を責め立てる。

 

『……聞こえているか、銀星』

「……ああ、大丈夫だ、聞こえている」

『分かっているだろう、銀星。これは、俺達の罪でもある。どんな言い訳も出来ない。俺達も、あの星の呪縛から、結局逃れることは出来なかった。何を変えることも出来なかった……』

「そうだ。お前の言うとおりだ、ヤームル」

『必要があった。トリジウムを売りさばき、巨億の富を得る必要が。そうでないと、誰も救えない。だが、それはあの星の連中が、ずっと続けてきたことと同じだ。それを承知で、俺もお前も、トリジウムの密売に手を染めたんだ』

 

 ショウドライブの隆盛は、即ち古い時代の海賊への死刑宣言だった。

 ゲート航法の衰退に伴い、重力波エンジンは無用の長物と化し、海賊たちが秘匿していたゲートのほとんどは過去の遺物となった。

 高性能のショウドライブを積んだ警察船や軍艦は、容赦なく海賊を追い散らし、彼らの生きる術を奪った。時間と手間をかけて計画を練り上げ、実行の段には血の一滴も流さない義賊的な海賊達は姿を消し、その代わりに、彼らから畜生働きと蔑まれた凶賊達が隆盛を極めたのだ。

 凶賊は、豪華客船だろうが一般の旅客船だろうが、獲物を見つければ原始動物的に触手を伸ばし、貪欲に、残虐に、全てを略奪した。男を殺し、女を嬲り、子供を拐かし、己の快楽のために奪い尽くした。

 まるで、悪夢のような時代だった。

 一味の尊敬を一心に集めた大親分が、勤めを果たすことが出来なくなり、部下から見放され、落ちぶれ、ついには凶賊の小間使いをさせられることすらあった。海賊という言葉が凶悪で血に餓えた犯罪者の代名詞となり、過去の英雄達はテレビや小説の中以外、活躍の舞台を失った。

 ラナートは、その全てを見てきた。見たくもない現実を、知りたくもない真実を、常に見せつけられてきた。

 だからこそ、守らなければならないと思ったのだ。

 

『銀星。お前がしたことは間違いじゃなかったと俺は思っている。そうでなければ、寒さとひもじさに耐えかねて、一杯の暖かいスープのために人殺しをしていた海賊が、いったいどれだけいただろうな。お前は、確かに彼らを救ったんだ』

 

 トリジウムの密輸には人手がいる。それも、口が堅く、逃げ足が早く、絶対の信頼をおける人手が。その点、生き場所を奪われた本物の海賊達は最適の人材だった。海賊の約束は絶対だったからだ。無論、全てではない。しかし、限られた一部の中では、口約束こそが最も神聖で守られるべき契約だった。

 そういう人間を集め、ラナートはトリジウムの密貿易に手を染めた。幸い、ヴェロニカ共和国も、大海賊シェンブラックの死後、実働部隊として動いてくれる人材を求めていたから、その点では需要と供給が合致したのだ。グランド・セヴンの大看板は、こんなところでも役に立った。

 ヴェロニカ共和国で産出された違法トリジウムは、そのほとんどをエストリアへと運んだ。危険なことは何一つない。昔、連邦警察の影に怯えながら勤めを働いていた時代が馬鹿らしく思えるほど、儲かった。反吐が出るほどに儲かった。

 その金で事業を興し、職にあぶれた海賊達を養ったのだ。幸い、事業は成功を収めた。金は金を生み、事業は事業を育て、レオナール・リモン・ベルタンの名を経済界で知らぬものはないまでに発展した。経済に無知だった海賊達は、優れた社員となり、或いは独立し、新しい生き場所を見つけていった。

 しかし、そこまでだ。ラナートにとってその仕事は、生き甲斐を感じこそすれ、一度だって心を燃やしてくれるものではなかった。

 会社の経営に携わるということは、相応の責任を背負うということだ。自分の経営判断が、数百万という社員、その家族、下請け企業の生活を左右する。決して生半可な覚悟で臨んでいい仕事ではない。当然、それ以外に費やすことの出来る時間は奪われる。そう、それが例えば、愛した妻を看取るための時間であっても、愛した子供を慈しみ育てるための時間であっても。

 そしてラナートは、宇宙を捨てたのだ。遠い昔、海賊王と呼ばれた古き友人が、宇宙を捨てたのと同じように。

 

『だが、それでも俺達は禁忌を犯したんだ。あの子の死から目を逸らし、死臭の染みついたトリジウムに尻尾を振ったんだ。そのツケが、シスを殺したんだ。全ては俺達の責任だ。いや、俺達を含めて、トリジウムに魂を売った、全ての人間の』

「……何が言いたい」

『分かっているはずだ銀星。今が、おそらく、全てのツケを払うべき時だ。溜まりに溜まった膿を絞り出すときだ。今を逃せば、きっと後悔する。この連鎖は続くだろう。ずっと、誰かの命を挽き潰しながら。別に、俺の知らない誰かが犠牲になるのは構わんさ。顔も知らない誰かさんが理不尽に死んだところで、怒れるだけの感性を俺は持ち合わせちゃいないんだ。それでも、もしもあの子達が巻き込まれ、血を流すようなことがあれば、俺は俺を許すことが出来ないだろう』

 

 ラナートは目を閉じた。遠く、子供の遊ぶ声が聞こえる。もしかしたらそれは、窓ガラスの向こうで、連邦大学の学生達がはしゃいでいるのかも知れない。だが、その声が、草原を駆ける我が子の、父親を呼ぶ声ではなかったと、誰が言い切れるだろうか。

 

「……そうだな、ヤームル。お前の言うとおりだ。そんなしみったれた、糞みたいな後悔に塗れて、土の下で眠り続けるのはまっぴら御免だな」

 

 受話器の向こうで、ヤームルがくすりと笑ったらしい。

 昔のような伝法な口調で、

 

『どうせ、俺もお前も老い先短い爺じゃねぇかよ。やりたいことは全部やりきるべきだ。今の俺達が考えるべきは、どう生きるかじゃねえ。どうやって死ぬかだ。どれだけ悔いを残さないかだ。そうだろう……』

 

 その日、レオナール・リモン・ベルタンは、連邦大学の地表から姿を消した。入国記録はあるが、出国記録はなかった。財界の要人の失踪事件は数々の憶測を呼び、大学惑星の警察庁舎を不夜城へと変貌させた……。

 

 

『はっはぁ!こいつは凄え眺めだ!俺達をさんざ追い回しやがった軍の糞共が、あっちにもこっちにも溢れかえってやがるぜ!』

 

 通信画面に映し出された《デザート・フォックス》の操縦室で、『血頭』ダシール・ハメットは、餓えた猛獣が舌なめずりせんばかりの様子を隠そうともせずにそう言った。

 眼前に広がる宇宙を我が物顔に占拠する猛々しい艦艇は、共和連邦加盟国でも一、二を争う精強さを誇る、エストリア軍のものだ。それらを前にしてこうも血を沸き立てる海賊は、宇宙広しといえどこの男くらいのものだろう。

 荒事が起きればいの一番に馳せ参じ、起きなければ自分で種を撒く。それが広く知られたハメットの評判だが、実は海賊行為において一般人の血を一滴も流したことがない。

 

『今回の獲物はこいつらだろう、海賊王!つまり、しち面倒くさい海賊流の掟は全て省かれるわけだ!』

 

 その言葉を聞いて、ラナートが苦笑した。

 海賊流の掟、即ち、困窮するところから奪わず有り余っているところから奪い、殺さず、そして女を犯さない。今の海賊が聞けば鼻で笑うであろう掟を、彼らは守ってきた。それは偏に、自分達が鬼畜生ではないのだという自己正当化の一部に過ぎないのかも知れない。

 しかし、掟を破り誇りを捨てた人間を獣と呼ぶのならば、彼らは辛うじて人間の領域に片足を残していた。

 

「その呼称は私には相応しくない。そう、何度も申し上げたはずですよ、ハメット老」

『何ぬかぁしやがるか、若造!あの野郎は俺達と宇宙を捨てて、商売人に成り下がっちまったじゃねぇか!商売人は俺達の獲物だ、王なんかじゃねぇ!その上、あっさりとおっ死にやがってよ!ちくしょう、誰が野郎のことを海賊王なんて、口が裂けても呼んでやるもんかえ!』

 

 吐き捨てるようにそう言ったハメットが、あの野郎──ケリー・クーアの死んだ夜、まるで長年連れ添った恋人が死んだように悲嘆に暮れていたことを、ラナートは彼の部下から聞かされていた。

 ハメットは言った。海賊王ケリー・キングは死んだ、と。それが、世間一般のところの常識であり真実である。

 だが、事実がそれと異なることを、今のラナートは知ってしまった。今も、あの男は生きている。そして、あの頃と変わらぬ信条を持ち続けているならば、おそらくはこの戦場にいるのだろう。

 ラナートは苦笑した。もしもあの男の艦をここに集った海賊達が発見することがあるならば、一体どのような顔をするのだろうか、と。

 

「ハメット老。私は海賊王などと呼ばれる器ではありません。口幅ったいながら、私が海賊達のまとめ役であった時期は確かにありましたが、しかしそれはまとめ役以上の何者でもなかった。王は、人を導き人に夢を抱かせる存在でなければならない。少なくとも、この宇宙では。私にその器は無かった。それが出来るのは、この宇宙でただ一人の男だけだった。だから、私に王の呼称は相応しくないのです」

『だからどうした!戦って領土を広げるだけが王の仕事じゃねぇだろうが!身を粉にして働いて民に飯を食わせるのだって立派な王の仕事だぜ!ラナート、てめぇはやり遂げたんだよ!今ここに集まった海賊の数が、その答えだろう!』

 

 ハメットが指し示した宇宙には、エストリア軍と同じか、それを凌ぐほどの艦艇がひしめいている。形式も違えばサイズも不揃いで、およそ統一感のない艦艇の群れである。エストリア軍の整然たる有様とは比べようもない。

 それらは全て、半世紀ほども前、宇宙を海として駆け回り連邦軍や連邦警察を相手取って一歩も引かなかった、伝説の勇者達の駆る海賊船だ。

 もう、稼業から手を引き、堅気の生活を手に入れた者も数多い。それでも船だけはいつでも宇宙に漕ぎ出せるよう、整備を怠らなかったのだろう。どの船も、骨董品並の年式型番にも関わらず、ぴかぴかに磨き上げられている。

 彼らは、いずれもラナートに窮地を救われた海賊達だ。そして、宇宙に生き場を無くし日々の生活に困窮していたところを助けられた恩を、一瞬たりとも忘れていなかった。だからこそ、折角手に入れた日々の安息をかなぐり捨て、戦場へと立ち戻ってきたのだ。

 

『ハメットの老いぼれの言うとおりさ、ラナート。少なくとも、今はあんたが俺達の王だ。そうでなくては駄目なんだ。あんたにはその責任と自覚が必要だ。そうでなくて、どうしてエストリア軍に戦いが挑めるかよ』

 

 そう言ったのは、《ファイヤ・クラッカー》の艦橋で不敵な笑みを浮かべた、『花火師』の異名を持つ古参の海賊、アーウィン・ショウであった。

 仕事を終えた後、追いかけてくる宇宙警察に向けて攪乱と嫌がらせの意味で大量の花火を撒き散らしたのが異名の始まりという巫山戯た海賊だが、その実力は折り紙付きである。

 もう既に百を越えて久しいという高齢だが、重たそうな瞼の奥の視線は未だ現役時代の鋭さを失ってはいない。

 

『誰が老いぼれだこの怪物爺!俺が現役の時からちっとも変わらず老いぼれのあんたに、どうして老いぼれ呼ばわりされなきゃならねぇんだよ!』

『じゃあケツの青い餓鬼と呼ばれた方が満足かえ、ハメット坊や?こっちはそれなりの敬意ってやつを込めて老いぼれ呼ばわりしてやったのに、年長者の気遣いの分からないのは大昔から変わらねぇな!』

 

 世間一般でいえば、孫や曾孫に囲まれてのんびりと余生を送るような老人が、顔を真っ赤に染めて罵り合いをしているのだ。目前に、血で血を洗うような死闘を控えながら。

 ラナートは思わず苦笑した。人に比べれば老いの気配の薄い自分も、いずれはああなるのだ。何とも楽しみなことではないか。

 

『やれやれ、先輩方、あまりはしゃぎすぎると緊張と不安の裏返しにしか見えませんよ。まぁ、血気盛んなご様子はまことに結構なのですが、どうか戦闘の前に口げんかで息切れを起こされませんように。前方の敵を恐れはしませんが、後方の傷病人は恐るべきものですので……』

 

 溜息混じりにそう呟いたのは、《フライング・ダッチマン》の船長である。

 《フライング・ダッチマン》といえば、広大な縄張りの中で神出鬼没を誇り、旗下の艦艇を一度だって連邦警察に捕縛されたことがないという、『亡霊師団』の長、エドワード・ドミトリクの旗艦である。

 しかし、今、偉大なる先輩に不敬の呟きを寄越したのは、まだ少壮の年かさにも達しない、若木のような青年だった。

 サミュエル・ドミトリクが彼の名であり、エドワード・ドミトリクは彼の祖父である。

 知的で怜悧な容貌の青年である。海賊に世襲などという生やさしいシステムが存在しない以上、祖父の作り上げた組織をそっくりそのまま引き継いだこの青年の手腕がどれほど非凡か、ラナートは承知していた。

 それでも、ラナート以外の年長者にとっては、どれほど非凡であろうとも殻の取れない雛鳥程度の若造であることに違いはないのだ。

 

『しゃらくせえ口を叩くんじゃねえ、この青二才!』

『誰が緊張してんだべらんめぇ!こちとら、てめぇの親父が爺ちゃんのきんたまにいた頃から海賊をやってんだ!この程度の修羅場、掃いて捨てるくらいに乗り越えてらぁ!』

 

 先ほどまで啀み合っていた二人の息を合わせた集中砲火に、しかしサミュエル・ドミトリクは呆れ顔で首を横に振るだけであった。

 その余裕たっぷりの様子が癪に障ったのだろう、こめかみに血管を浮かせて二の矢を継ごうとした二人だったが、

 

『やめときな、二人とも。そういうふうに安い挑発に乗るようだから、あんたらの言う青二才に舐められるのさ。それにほら、ラナートが困ってるよ』

 

 妖艶な微笑みを浮かべた妙齢の女性が、扇情的な装束に身を包み、煙管片手に紫煙をくゆらせている。

 ようやく脂の乗りきった、今が盛りの女海賊といった風情のその女性が、『血頭』や『花火師』と時を同じくして活躍した大海賊、『毒花』バーバラ・ベル・ゲデスだなどと、一体誰が信じるだろうか。

 

『女は黙ってろ!』

『ったく、気色悪ぃったらありゃしねぇ!いつまでその姿でいるつもりだ!冷凍睡眠までして若さを維持してぇのか、この妖怪婆!』

 

 老海賊は二人して罵詈雑言を口にしたが、バーバラは余裕綽々の笑みを浮かべ、

 

『ふふん、昔馴染みの前だからって強気だねぇ二人とも。でも、そんな口を利いていいのかい?あたしは何でも知ってるよ。あんたらの生まれも育ちも嫁さんのことも子供さんのことも、そして下の事情だってね。それをあんたの可愛い可愛い部下の前でぶちまけてやろうかねぇ?』

『うぐっ!』

『て、てめぇ、卑怯だぞ!』

 

 まるで魔女が呪文を唱えるように、二人の老海賊は黙り込んでしまった。

 大いに勝ち誇りながら豊かな胸を反らせたバーバラに、

 

『助かりましたよ、ミス。しかし、あなたは本当にいつまで経ってもお変わりない。そろそろ諦めて老いを受け入れては如何ですか?まさかジンジャー・ブレッドを目指しているわけでもありますまいに』

『ふん、サミュエル坊やも口が達者になったもんだ。嬉しいねぇ、目が覚める度によちよち歩きの赤ん坊が見目麗しい青年になっているのは。あたしにしてみりゃほんの昨日は、バーバラお姉さんと結婚するんだ、お嫁にするんだって泣き喚いてたくせに』

『……私にすれば、もう二十年も前の話です。そんな昔の話、忘れましたよ』

『どうだか。男って生き物は、初恋の女性のことをいつまでも覚えているっていうじゃないか。どうだいサミュエル坊や。まだ女の匂いを知らないなら、あたしが教えてやろうかえ?』

 

 今度は青年海賊の方も黙り込んでしまったのだ。

 一人勝ち残った女海賊が、最後にラナートに視線を遣り、

 

『さぁ、小うるさい爺さんや若造は黙らせたよ。あとはあんたの仕事さ。あんたが王だろうが王じゃなかろうが、そんなことはどっちだっていい。でもさ、今のあたしらの頭目は、間違いなくあんたなんだ。なら、お勤めの前にするべき仕事ってやつがあるんじゃないのかい?』

 

 まったくもって反論の余地の無い、それは正論だった。

 

「すまないバーバラ。いつも、お前には迷惑ばかりをかける……」

『いいさ、馬鹿な男ほど可愛いもんだから。それに、惚れた男に命をかけるのは、いつの時代だって一番の女冥利なんだ。その代わり、あんたの死に水をあたしに取らせておくれよ。そのためだけに、手間暇掛けて若作りをこさえているんだからね』

「ああ、分かっている。だが、もう少しだけ待ってくれ。情けないと笑ってくれても結構だが、まだこの世に未練があるんだ」

 

 かつて恋人だった女海賊に、ラナートは精一杯の微笑みを送った。彼にとっての妻という存在が、ただ一人の女性の占める位置であるならば、他の女性に贈るべきこれ以上の品をラナートは持っていなかった。

 それを理解していたのだろう、バーバラも、少し寂しげに微笑んだ。

 さて、旧交を暖める時は終わった。これからは、戦う時だ。

 ラナートは表情をあらため、烈しい視線をスクリーンに遣り、通信を全艦隊に向けて開く。

 

「みんな、聞いてくれ。俺はラナート。『銀星』ラナートだ。俺の名を直接知っている者もいるだろう。親父やお袋から聞かされた者もいるだろう。だが、俺の名を知らず、恩を受けたこともないという奴がもしもこの場にいるのならば、すぐにこの宙域から離脱してくれ。俺は、命を賭けて戦うお前に、報いてやれる何物も持ち合わせてはいないからだ」

 

 通信機の向こう側の静謐な空気を、ラナートはひしひしと感じていた。己の率いる全ての海賊達が、己の言葉に全神経を集中させているのだ。

 

「それでも、もしも、俺への恩義を忘れない頑固者で、俺のために戦ってくれる愚か者がいるならば、聞いてくれ。今から俺達が挑む戦いは、俺やお前達の過去の清算だ。人の世の裏側で、薄汚い仕事をして糊口を凌いできた俺達が、最後に出来る罪滅ぼしだ。つまり、この仕事はどこまでも後ろ向きな仕事さ。やり遂げたところで誰も褒めてはくれん。むしろ、後ろ指をさされかねない仕事だ」

 

 我ながら阿呆なことを言っていると、ラナートは自覚していた。こういう時は、例え嘘であっても、聖戦やら敵討ちやらの甘く刺激のある言葉を使い、戦意を鼓舞してやるものなのだ。

 それを、馬鹿正直に、こんなことを言っている。もしも自分が副官ならば、首領の尻を蹴っ飛ばしているだろう。

 だが、嘘は吐きたくなかった。何の損得もなく、ただ自分に従ってくれる古強者達を、嘘で騙して死地に送りたくはなかったのである。

 

「誰かがやらなければならない仕事なんだ。もしもここで俺達が目を瞑り耳を塞げば、何億という人が死ぬ。これからも死に続ける。過去から誰かが背負い続けてきた厄介な荷物に、決着をつける時なんだ。そのために俺は命を賭けたい。だから、お前達も命を賭けてくれ。お前達の命を、俺に預けて欲しい」

 

 ラナートは目前に広がる宇宙空間に目を向けた。そこは、エストリア軍がヴェロニカ軍を一方的に屠る、殺戮の場と化している。

 その中に、きっとあの男はいる。何故なら、あの男はヴェロニカ共和国と深く関わってしまったからだ。そして、あの男はどこまでもお人好しで物好きで酔狂で、この自分が惚れた男だからだ。

 誰よりも、海賊王の二つ名に相応しい、あの男。

 何度となく助けられた。あの撮影会だけで返しきれる恩だったとは思っていない。ならば、この戦いは、ラナートの今生の精算と言ってもいい。

 十分に、命を賭ける価値のある戦いではないか。ラナートはコンソールを操作し、用意していた通信文を《パラス・アテナ》のセキュリティコードに向けて送信して、一人微笑んだ。

 

 ──少し気障な内容だったが、さて、顔を合わせた時に何て言われるやら……。

 

 そして通信機を握りしめ、肺腑の限りに叫ぶ。

 

「行くぞ!獲物は、あそこでふんぞり返ったエストリア軍人どもの、丸々と肥えた自尊心だ!」

 

 百戦錬磨の海賊に、細かな指示はかえって害悪である。どうせお行儀良く戦っても、行儀の良さで軍人に勝てるはずなどないのだから。

 軍人には軍人の戦い方があり、緻密な作戦が必要なのだろう。そして海賊には海賊の戦い方があり、そのためにはたった一言の指示で良い。

 

「食らいつけ!徹底的に叩きのめして粉々に磨り潰せ!誰が狩人で誰が獲物かを思い知らせてやれ!この宇宙が誰のものだったか、不遜な軍服連中に思い出させてやれ!」

 

 無数の雄叫びが、通信機の向こう側から響き渡った。

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