懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
エストリア軍にとってそれは油断ではなく、青天の霹靂と呼ぶべき一撃だった。
エストリアとヴェロニカ共和国は同盟国であり、その戦力は正確に把握している。例え隠し球が用意されているにしても、既存の兵力と国力や経済力から予測すれば大きな誤差は無く計算できるものなのだ。
そして割り出された予測最大兵数とほぼ同数の兵力を、ヴェロニカ軍は一気に活用し、この戦場に臨んできた。その決断は賞賛されるべきものであったが、逆に伏兵が存在し得ないことをエストリア軍は察知した。
エストリア軍の想定は事実そのものであった。ヴェロニカ軍は、この地で敗北すれば後がない、正しく背水の陣で戦いを挑んだのだ。逆に、それだけの兵数を用意せず遊兵でも作ろうものならば、最初の交戦でヴェロニカ軍は粉砕されていただろう。
ここまで互角の戦いを演じることが出来たこと自体、奇跡以外の何物でもないのだから。
つまり、伏兵などあるはずがない。あって良いはずがないのである。
「何故だ!何故、そこに伏兵がいる!?」
エストリア軍司令部の悲鳴がこだまする間も、レーザー砲とミサイルの群れは無数の流星となって、エストリア軍の無防備な横っ腹を直撃し続けた。ヴェロニカ軍に全砲門を向けたエストリア艦艇は、横合いから突撃してくる海賊艦隊に対して全く無力だった。
猛烈な攻撃を加えつつ、自分達をも弾丸に変えたかのように突進してくる艦艇群の様子に、ようやくエストリア軍も異常を察知した。
「何だ、こいつらは!?ヴェロニカ軍じゃないぞ!」
「所属を名乗り直ちに動力を止めて停船しろ!こちらはエストリア軍第十三艦隊だぞ……うわぁ!」
エストリア軍の発する命令など、今更海賊達の足を止められるはずがない。むしろ、停戦命令を出す艦艇を優先的に狙ったのは、彼ら一流の嫌がらせであった。
「けっ、何を寝言ほざいてやがる!てめぇらの憎い面を、誰が見間違えてたまるかってんだ!」
「お前らにぶっ殺された仲間の仇討ちだ!今日は腹一杯にミサイルを喰らわせてやるから覚悟しとけ!」
海賊達はそう嘲り、闇市場で買い揃えた型後れのミサイルを斉射する。
ミサイルの群れは、ようやくのろのろと回頭運動を始めたエストリア軍に直撃し、多数の艦艇を宇宙に咲く花火へと変じさせた。
「おうおう、威勢がいいねぇ!こうじゃなくちゃいけねぇ!戦は男の花道だぜ!精々ど派手に飾り付けなくちゃなぁ!」
嬉しげに叫んだのは『花火師』アーウィン・ショウである。百戦錬磨の老海賊は、旗下の艦艇を巧みに指揮し、ミサイルの弾雨を降らせるのと平行して、接近戦用の戦闘機の出撃準備を整えていた。
「一番槍を大将に任せるなんざ、海賊の名折れだ!野郎ども、俺に恥をかかせるんじゃねぇぞ!」
「言うまでもねぇことよ、親方!」
「『銀星』の旦那のためだ!この老いさらばえた命の一つや二つ、惜しくもねぇや!」
そう応じたのも、彼と同じ歳の頃の老人ばかりだった。しかし中には、壮年の男も、青年と呼ぶべき若者もいる。彼らに共通するのは、皆、ショウの掲げる旗のもとで宇宙を駆けた荒くれ者かその子供であり、ラナートに深い恩義を持つ者ばかりということだ。
もしもラナートの援助が無ければ、今頃自分達は路地裏でゴミ箱を漁り誰かの食い残しで腹を満たしていたであろうことを、全員が知っていた。それとも、もっと卑劣な犯罪に手を染め、人の倫から外れていたであろうことを。
だからこそ、ラナートの片腕と言われた男──『猟犬』ヤームルに助けを乞われたとき、一も二もなく駆けつけることを約したのだ。
「ショウの老いぼれにでかい面をさせるんじゃねぇぞ!こちとら、この宇宙で一番荒事が好きな海賊『血頭』一家だぜ!ここで臆病風に吹かれるような奴は男じゃねぇ!股ぐらの逸物をきれいさっぱり切り落として、この艦から放り出してやるから覚悟しろ!」
ダシール・ハメットが両の瞳を爛々と輝かせ、唾を飛ばしながら陣頭指揮を振るう。
彼の指揮下にいるのも、やはりショウの一味とほとんど同じような身の上の人間ばかりである。誰しもが生きるために船を下り、そしてラナートに救われた。
「老人に先を越されるぞ!先祖の受けた恩を受けたままにしておくな!新しい世代の海賊の戦い方を、古い世代に見せつけてやれ!」
今代の『亡霊師団』長、サミュエル・ドミトリクが《フライング・ダッチマン》の船長席で熱を込めて叫んだ。先ほど、二人の老海賊と渡り合っていた時の冷静さは欠片も無い。そも、冷静で合理的で損得の計算の利く人間ならば、一文の得にもならない戦いに身を投じるはずがないのだ。
彼の祖父であり、初代の『 亡霊師団』長でもあるエドワード・ドミトリクは、ショウドライブが開発され世に流布した直後、配下の裏切りにあい、失意の中で殺された。同時に父も殺され天涯孤独となった幼いサミュエルだったが、初代と親交の厚かったラナートの援助のもとで逞しく成長し、ついには憎き敵を見事に討ち果たし、己の力でもって祖父の形見でもある《フライング・ダッチマン》を取り戻したのだ。
「少しはいいところを見せなよお前ら!あたしが熱くなるような戦いを見せておくれ!」
『毒花』バーバラ・ベル・ゲデスは、配下を守るため下衆な三下海賊に力尽くで嬲られそうになり、寸でのところでラナートに助け出された。それ以来、冷凍睡眠を何度も繰り返し、美しい姿を保ったまま、目覚める度にラナートへと求婚をしている。一度も報われたことはないが、ラナートの臨終の際の枕席は誰にも譲らないと息巻いている。
彼ら以外にも、名の知れた海賊船が数え切れないほどに集結している。
『韋駄天』フレディ・アフォラビ、『朱の狼』オラ・ノーウッド、『鉄槌』マノロ・ディアス、『隻腕の獅子』リュー・エスコバル、『病風』フェルナンド・エクバーグ・レイドルフ、『戦鬼』エドウィン・チャーフィー……。いずれもがグランド・セヴンに次ぐ畏怖と尊敬を集めた、本物の海賊達である。
元々、海賊には横の繋がりが薄い。当然である。彼らは同じ獲物を狙うハンターであり、時には共食いもしてきた仲なのだ。極々例外の一部を除けば、常に険悪であり牽制し合ってきた。
その海賊達が、今、ラナートの指揮のもとで一つになり、放たれた矢が的に突き刺さるが如く、エストリア宇宙軍第十三艦隊に一斉突撃を仕掛けたのだ。
まるで死を恐れていないかのような突撃に、エストリア軍は浮き足だった。反撃のための戦闘機を発進させるタイミングが僅かばかり遅れた。
「遅ぇぞ、このでか物め!」
そう嬉しげに呟いたのは、いち早く《シルヴァー・スター》から発進し、慌てて戦闘機を発進させようとする宇宙空母を長距離ビーム砲の射程に捕らえた、ラナート海賊団突撃隊長『かぶきもの』ブルットである。
ヴェロニカ・シティの酒場から半死半生の態で逃げ出し、隠れ家に身を潜めていたところを、ヤームルに誘い出されたのだ。
自分やウォル達を痛めつけてくれたヴェロニカ軍のために戦うというのは何とも業腹であったが、逆に痛快と言えなくもない。取り締まりの対象である海賊達に、自分達が助けられたのだと知ったとき、奴らはどんな顔しやがるか。ブルットは堪えきれない笑みを浮かべた。
「恨みはねぇが、義理のためだ!大人しく成仏しやがれ!」
ブルットの駆るM7シェイクス4Sの砲塔が極彩色の光線を吐き出した。光線は、宇宙空母の開かれた胎内に深く突き刺さり、発進を心待ちにしていた戦闘機共々、巨大な船体を極小の塵と変えた。
「ぃようし!どうだ、見たかよヤームル!俺っちの腕もまだまだ鈍ってねぇだろうが!」
ジョッキ樽のような二の腕をぱしんと叩き、だぶついた腹を揺すらせながらブルットは哄笑したが、
『馬鹿を言うな。まだまだ敵さんの方が数は多いんだ。ほら、続々と獲物が押し寄せてくるぞ。油断するなよ『かぶきもの』』
「けっ、人使いの荒い爺だ!俺の店で小間使いしてやったときの意趣返しじゃねぇだろうな!」
『あの時はお前が店長だったが、今は俺が副頭目さ。悔しかったら生き延びて俺を殴りに来るんだな。出血大サービスで、一発だけなら黙って殴られてやる』
「なんだよ辛気くせぇ!敵機一機について一発だ!お前の澄ました顔を前衛芸術の彫刻作品みたいにしてやるから覚悟しとけ!」
『ああ、存分に期待してるよ。──だから、絶対に死ぬな、ブルット。お前には細君もいるんだからな』
ブルットはヘルメットの中で獰猛な笑みを浮かべ、通信機のスイッチを切った。
「戦場に女を持ち込むなよヤームル。そいつはマナー違反ってもんだ」
眼前に、編隊を組んだエストリア宇宙軍の戦闘機が群れとなって押し寄せる。先ほどのように、発進前の空母を沈めるような幸運は、これから先は期待出来ないらしい。
「ちっ、忙しねぇ奴らだ。さっきの連中と同じように、空母の腹ん中でお寝んねしてりゃ、あっという間にあの世に送り届けてやるのによ。あーあ、めんどくせぇったらねぇぜ!」
ブルットの後方から、ラナート海賊団の戦闘機が駆けつけ、たちまちに戦闘態勢を整える。そのいずれもが、古き懐かしき日、宇宙を共に駆けた同僚だ。
「行くぞ糞ったれども!俺はヤームルとは違うぜ!死ぬな、なんてしみったれたことは言わねぇ!ここで死んで最後の一花、見事に咲かせてみせようじゃねぇか!」
◇
海賊連合軍の出現に仰天したのはエストリア軍だけではない。むしろ、突然現れた正体不明の艦隊に危急を救われたヴェロニカ軍こそ、我が目を疑う思いだったに違いない。
「参謀長、何が起きている!?」
ヴォダルスの言葉に、エクベルトは首を横に振って答えた。
「分かりません、閣下、少なくともあれらは我が軍ではない。しかし……しかし 私には、彼らの船に見覚えがあるのです……」
「見覚えだと!?」
「あの一団を先導する、銀色の船……。あれは、まさか、グランド・セヴンの一角、『銀星』ラナートの《シルヴァー・スター》ではありませんか……?」
信頼すべき参謀長の言葉を、ヴォダルスは初めて疑った。
ヴェロニカ共和国のような辺境宙域に、中央銀河を荒らし回っていたグランド・セヴンが姿を現したことなど一度もない。
しかし第一級の国際手配犯であった銀星ラナートの顔と旗艦は、それが例え半世紀近くも昔の記憶だったとしても、およそ軍と警察で禄を食む全ての人間にとって忘れ得るものではない。彼らを縄に捕らえること、もしくは宇宙の藻屑に変えることは、あの時代を生きた全ての軍人の夢であり野望であったのだから。
そして、今、スクリーンの向こう側で宙を疾駆する船体は、ヴォダルスの大脳新皮質の最深部を刺激し、ある種のロマンとともにその記憶を沸き立たせた。
細部こそ異なるものの、それは紛れもなく《シルヴァー・スター》だ。見間違いなどしてたまるものか。
いつか捕まえてやる。いつか撃沈してやる。過去の自分が闘志を沸き立たせた対象であり、ついに出会うことの出来なかった空想の中の好敵手。
銀星ラナートが、半世紀の時を越えて、自分達の眼前にいる。ヴォダルスは、自分でも理解出来ない感動に、声を打ち振るわせた。
「おお……なんということだ……神よ……」
「それだけではありません、閣下!《シルヴァー・スター》に追従する船をご覧ください!『花火師』アーウィン・ショウ の《ファイヤ・クラッカー》、『毒花』バーバラ・ベル・ゲデスの《ベラドンナ》、『血頭』ダシール・ハメットの《デザート・フォックス》、『亡霊師団』エドワード・ドミトリクの《フライング・ダッチマン》……いずれもが第一級から準一級の国際手配海賊団の旗艦ばかりです!」
「……つまり、あれは海賊の集まりだということか?」
「はい、おそらくは。それ以外、考えられません……」
「……半世紀も昔に行方知れずとなった海賊達が、我々を助けるために大挙して駆けつけてくれたと、そういうことだな?」
「……目の前の現象をそのままのかたちで受け取るならば、それ以外に理解のしようがありません」
束の間の呆然とした時が過ぎると、ヴォダルスは、単一の強烈な衝動を抑え込むのに苦労した。
どうしても吊り上がってくる口の端を何とか厳めしく曲げたまま、歓喜の雄叫びを上げそうになる喉を必死に自省して荘厳な声を出す。
「ぼやぼやするなヴェロニカ軍人諸兄!今、ヴェロニカ共和国とは縁もゆかりもない海賊達が、我々のために戦ってくれているのだ!あの勇者達を、一兵たりとも無駄死にさせてはならん!」
ケリー達が孤軍奮闘する間に苦心して作り上げた円錐陣の鋭鋒を、エストリア軍の中央に向ける。
先ほどまで、これは生き残るための戦いだった。しかし今は、勝つための戦いに変じた。
「全軍突撃!侵略者共をこの国から叩き出せ!」
死に体だったヴェロニカ軍が息を吹き返した。戦意に満ちた視線を、遙か彼方のエストリア軍に向ける。病み疲れた老鹿のようだった彼らは、いつの間にか群れを守る若い狼に変じていた。
雄叫びが、全てのヴェロニカ艦艇を満たした。
◇
「まったく、ひでぇ冗談だ」
相変わらずのケリーの口癖を、通信機越しにジャスミンが咎めた。
『馬鹿を言うな海賊。これはな、素敵な冗談と言うんだ。物事は正確に言い表さないといけないぞ』
堅苦しい程に真面目な声の我が妻に、ケリーは苦笑をもって応じた。
「そうだな女王、あんたの言うとおりだ。こいつは素敵な冗談だ。どいつもこいつも、今の今までどこで隠れてやがったのか。みんなみんな、もうおっ死んじまったと思ってたのによ……。花火師の爺さんも、血頭のおっさんも、毒花の小娘も……」
この時ケリーの胸に沸き上がった感情を、一体何と言い表すことが出来ただろうか。
遠い昔、自分を縛り付ける何物も、この宇宙には存在しないのだと信じられた年の頃。たった一人の相棒さえいれば、どこまでも飛べると思っていた。この宇宙の果てをこの目で見られるのだと確信していた。
自分と愛機以外、何もいらない。むしろ、それ以外の存在は、自分の魂を縛り付ける不純物だと撥ね付けていた気がする。
そんな時代に、しかし自分の心を安らげてくれる者達が、不思議とケリーを気に掛けて彼の周囲に集まった。
大海賊シェンブラック、グランド・セヴンの名を冠する勇者達、その他にも名の知れた海賊達。彼らと知り合い、親交を重ねて、一度だって不快な思いをしたことがないのはどういうわけか。
無論、ずっとべったり仲良し小良しだったわけではない。仕事の上で、あるいは他に譲れないものがあって、対立し、仇し、相食んだことは数え切れない。むしろ、一度も敵味方にならなかった海賊の方が珍しいほどだ。ケリーがその手にかけた海賊も数え切れないだけ存在する。
それでも、ふと彼らのことを思い起こしたとき、胸中のどこにも憎々しさはなく、ただ清々しさと懐かしさ、そして僅かな寂寥感が込み上げてきたのはどうしてだろう。
その答えをケリーは知っている。しかし、永遠に彼の口がその答えを喋ることはないに違いない。何故かと問われれば、きっと皮肉げに頬を歪ませ質問者を嘲るだけだろう。
「海賊王、か。なるほど、あのおっさんの言ってたことはあながち間違いじゃない。俺なんかより、今のお前の方が何倍もその呼び名に相応しいんだな」
ケリーは、暗黒のキャンパスを疾駆する銀色の船影を眺めながら、ふ、と呟いた。
果たして今の自分に、これだけの海賊達を死地に駆り立てるだけの覚悟があるだろうか。そして、彼らを惹き付ける偶像性を持ち合わせているか。
──まぁ、ないわな。
内心で、ケリーはあっさりと認めた。元から、他人に頂いた呼び名である。そんな恥ずかしい称号を自分から名乗ったことなど一度もない。むしろ、いつだって脱ぎ捨てる機会を狙っていたと言ってもいい。
あれだけの勇者達を従えるために、ラナートがこれまで、どれだけの労苦を背負い込んできたか、ケリーには手に取るように分かった。ケリーとラナートは、一匹狼と一家の頭目という立場こそ違えど、その本質として相通ずるものが非常に多かった。つまり、二人とも、根っからの船乗りであり、心の底から宇宙を愛しているのだ。
ケリーにとってのクーアカンパニーの総裁業務がそうであったように、ラナートが海賊達を率いることも、きっと彼の本質からは外れた仕事であり、義務だったに違いない。それを、ケリーのいなくなった宇宙で、ラナートは淡々とこなしていたのだろう。
重たい王冠を被るのがあの野郎なら、悪くはない気持ちだ。戦火の只中にあるはずのケリーの心中が、穏やかなものに満たされていた。
『どうかしたか、海賊?』
「いんや、何でもないさ。ただの独り言だ」
『戦場でこうも嬉しげな独り言とは、まるで恋する乙女だな。どうやら目の前の大事を忘れてしまったらしい』
くすくすジャスミンが笑うと、
「そういうあんただって嬉しそうじゃないか。大昔、あいつの船に逃げ込んで、しち面倒な会見やらパーティやらを俺一人に押しつけてバカンスを楽しみやがったこと、俺は忘れちゃいないんだぜ?」
『おいおい、可愛い妻が犯した一夜の過ちに目を潰れないなんて、お前はそれほど狭量な夫だったか?』
「一夜?俺があんたの代役で目を回してたのは、たっぷり四日の間だったと思うが、俺の記憶違いかい?」
我が妻が他の男に抱かれたことよりも、その妻の代役を演じなければならなかったことに恨み言を口にするあたり、ケリーの感性もどこかずれている。
その男の妻は、嬉しげに返して、
『一夜だろうが四夜だろうが、誤差の範囲内さ。何せ、お前と一緒のベッドで過ごした時間は、もっと遙かに長いんだから。それにわたしは、お前と以外の子供をまだ産んでいないんだぞ』
「なるほど、一理ある話だが、まだってどういうこったまだって。何か予定でもあるのか?」
『お前があんまりにも情けない様子ばかりだと、本格的に他の男に靡くこともあるかも知れんということさ。何せ、今のわたしに時限爆弾はセットされていないんだぞ?じっくり時間をかけて雄を選ぶ権利があるということにならないか?』
ケリーは心地よく微笑みながら首肯した。
「舐められっぱなしは、性に合わねぇよな、お互いよ」
『ああ。敗者に手を差し伸べるのが勝者の権利なら、勝者の手をはね除けて逆転カウンターパンチをくれてやるのが敗者の気概さ。あちらは好意でやったことだろうが、こちらが気に食わないんだ。やるべきことをやってしまおう』
怪獣夫婦が、スクリーン越しに危険な笑みを見交わした。
その時、もう一人の姿がスクリーンの端に映し出された。《パラス・アテナ》の化身、『クレイジー』ダイアンである。
『さてお二人さん、いちゃいちゃするもいいけれど、そろそろわたしも我慢の限界よ。逃げるなら逃げる、戦うなら戦う、はっきり決めて頂戴。でも、もしも逃げるなら、あなた達を放り出してわたしだけで戦うんだけどね』
「ひでぇなダイアン、それじゃあ事実上選択肢は残されてないじゃねえか」
『ふふん、あなた達のお熱い時間を優しく見守って上げただけでも感謝なさい。機械のわたしでも、他人のラブシーンは見ていて楽しいものじゃないんだから』
《クインビー》の操縦席でヘルメットを被り直したジャスミンが頷いた。
『まったくだ。そして、このまま放っておけば今度はわたし以外の二人のじゃれ合いを見せつけられることになりそうだから、さっさと決断するとしよう』
ケリーは一度くすりと笑い、それから表情を引き締めて眼前の宇宙を睨み付ける。
「ダイアン。あの降伏勧告を寄越した艦がどれか、もう目星はついているんだろうな」
『もちろんよ。拡大するわね。ほら、あの艦よ』
スクリーンに映し出されたエストリア軍の艦艇群のほぼ中央に、一際大型で厳めしい戦艦が鎮座していた。
正しく、エストリア艦隊の旗艦といった風情の、重厚な装い。
『なるほど、あれがターゲットだな』
舌なめずりせん有様でジャスミンが呟き、指の関節をぽきりと鳴らす。
お気の毒様、と心中で呟き、ケリーは操縦桿を握りしめた。
「挨拶には挨拶を返すのが礼儀ってもんさ。ただし、何から何までを叩き返してやる。それでこそ、相手に無礼がないってもんだからな」
『まるで子供の喧嘩遊びだ』
「あんたがそれを言うかよ、女王」
『知らなかったか海賊。わたしはこういうのが大好きなんだ』
「知ってるよ。これでもあんたとは付き合いが長い方だ」
《パラス・アテナ》の周囲は、しっちゃかめっちゃかの大混戦となっている。エストリア軍、ヴェロニカ軍、そして海賊連合軍が入り乱れ、噛み合い、既に収拾のつかない状態だ。
海賊連合軍にしてみればお得意の土俵に敵を引きずり込んだかたちであり、正しく望むところに違いない。ヴェロニカ軍にしても、絶体絶命の危地からここまで失地回復したのであればまずはよし。
狼狽激しいのはエストリア軍である。数々の機略をねじ伏せ、別働隊を用いてまで手に入れたはずの勝利が、予想外の闖入者の出現によって掌から零れ落ち、大渦のような泥仕合に巻き込まれてしまったのだ。
勝ち戦を確信し、勝利の美酒を舐めてしまったエストリア軍にとって、敗北と死の気配は限りない恐怖となって判断を鈍らせる。死兵と化した海賊ヴェロニカ連合軍の両者を相手取って戦線を維持していること自体、むしろ非凡と言わなければなるまい。
その指示を下しているのは、間違いない、自分達に降伏勧告を寄越したあの男だろう。
「行くぜダイアン!」
『了解よケリー!』
二人の呼吸が磁石のようにぴたりと重なり、《パラス・アテナ》は息を吹き返した。
《パラス・アテナ》を包囲していた艦も、急変した周囲の状況に反応が遅れた。その一瞬の隙を、《クインビー》とTYPHON零型は見逃さず、乱舞する20センチ砲が艦の多くに風穴を開けた。
爆発四散する艦の残骸に紛れて、猛スピードで《パラス・アテナ》と《クインビー》、そして数機にまで数を減らしたTYPHON零型が飛び出す。その速度にエストリア軍は誰一人反応出来ず、ビームは宙を空しく奔り、ミサイルは追尾すべき敵を見失って自爆した。
「おのれ、奴らを逃せばエストリア軍の恥だぞ!」
ケリー達の追撃を企図したエストリア艦艇が急発進を試みたが、その艦橋部分に巨大なエネルギーナイフが突き刺さり、艦長を含めた主立った乗員を瞬時に蒸発させた。
マルゴの駆るTYPHON零型は、一瞬動作を停止させたその艦に、無慈悲なビーム砲を叩き込むと、ケリー達に背を向け、彼らを追う敵に胸を晒し、
「ここは、わたしたちヴェロニカ特殊軍が通さないわ!あなた達はここで指を咥えて見ていなさいな!」
既に数機にまで数を減らし、編隊と呼べない規模の陣形を組んだ鋼鉄の騎士達。
傷だらけのTYPHON零型が咆えた。
『遅れるなよ海賊!』
「誰に言っている女王!」
眼前に立ちはだかる敵を、躱し、いなし、あるいは粉砕し、その一団は進軍した。
その速度に反応出来なかったエストリア軍艦は、むしろ幸運であった。彼らは呆気にとられた顔で、自分達のすぐ横を通り過ぎた敵影を見送るしか出来なかったのだから。
不幸だったのは、《パラス・アテナ》達の前に立ちはだかり、その進路を妨害した者達だ。彼らの放ったビーム砲やミサイルは、まるで幻影を照準に捕らえたかのように悉く外れ、しかし《パラス・アテナ》や《クインビー》の砲撃は、彼らの急所に悉く命中し、乗員を道連れにして爆散させるのだ。
「やつらの狙いは旗艦だぞ!」
「止めろ!これ以上好き放題を許すな!」
勇猛なエストリア兵はこの不遜な敵の足を止めるべく転進を試みたが、すぐ前にいる海賊船やヴェロニカ軍艦の猛攻をかいくぐりつつそれを成功させるのは難事そのものであった。
というよりも、古株海賊一流の命知らずな操縦技術を用いた戦闘機戦に、最新鋭の感応頭脳により制御された行儀よろしいエストリア戦闘機がついていけない。機体の性能は圧倒的に勝っているはずなのに、どうしても戦術的優位を確保することが出来ないのだ。
そのような状態で、神速の進軍を続ける《パラス・アテナ》の妨害など、誰も出来ようはずがない。ただ、幸運にも──あるいは幸運を司る女神に見放されて──彼らの進路に位置していた艦だけが、散発的な抵抗を試み、破壊されていくのみだ。
エストリア軍にとって、《パラス・アテナ》は再び死の壁となった。前進を阻もうとする艦の悉くは、死の壁にぶつかり、為す術もなく不吉な光球と化しその生涯を終えた。
そして《パラス・アテナ》は、まるで無人の野を走る狼のように、あるいは天空を駆ける彗星のように、敵の旗艦へと一直線に駆け抜けた。
「お、おいあれを見ろ、血頭の!」
戦いの渦中にあった『花火師』アーウィン・ショウが、その船を指さしながら瞠目した。
「なんだ、こっちは忙しいんだ!」
「ばかやろう、んなこたぁ百も承知だ!それでも見ろって言ってるんだ!」
『血頭』ダシール・ハメットは、《デザート・フォックス》の艦橋で、その光景を見て絶句した。
「あれは……。おい、花火師の、おいらはいつ、地獄の門を潜ったんだ?見えちゃいけねぇもんが見えるんだが……」
「ああ、俺の目にも見えるのさ。だがな血頭の、残念だが俺たちゃまだくたばっちゃいねぇみたいだぞ。あれは、うつしよの光景さ。これが夢じゃなけりゃあな」
「夢さ。こいつは夢だ。夢でなけりゃぁ、畜生、くそったれな神様も粋なことをしやがるじゃねぇかよ」
声を打ち振るわせ瞳をしょぼしょぼと潤ませたハメットの眼前を、光よりも速く駆け抜ける一隻の艦艇。
「誰かが、クレイジー・ダイアンを口説き落としやがったのか?」
「あのじゃじゃ馬を手懐けられる命知らずが、あの野郎以外にいてたまるもんか!」
ハメットの呟きを、ショウが全力で否定した。
そして、同じ光景を、全ての海賊が目撃した。
「あれは……!」
「おい、冗談だろう?」
「馬鹿な!確認しろ!そんなことがあるはずがない!」
錯綜する情報と思惑の中、『毒花』バーバラ・ベル・ゲデスは一人、妖艶に微笑む。
「ったく、男共はやっぱり阿呆だねぇ。自分の目で見たものがこの世の全てなのにさ。あの船がいて、あの船が戦っているなら、あの男が乗っているってことじゃないか。それ以外にどう理解出来るんだい」
『亡霊師団』サミュエル・ドミトリクは、一度だって見たことがない、しかし祖父から何度も昔語に聞かされ、記憶に刻み込まれたその姿と名前を必死に思い出そうとしていた。
「《セクメト》……《ユグドラシル》……《パールヴァティー》……違う、全て過去の船名だ。確か、最後につけられたのが……」
そしてその姿を、《シルヴァー・スター》の艦橋のメインスクリーンで、ラナートは確かに見た。
もう、半世紀も前に刻まれた鮮烈な記憶が蘇る。それは、宇宙を司る神に愛された、この世で最も美しい艦。キング・オブ・パイレーツにのみ背を許した誇り高き神馬。
その名を。
「《パラス・アテナ》……やはり来ていたか、キング」
その言葉に意外の感は含まれていない。淡々と、事実を確認するような響きだけがあった。
あの男がここに来ないはずがない。何故なら、これは海賊達が抱えた過去の清算のための戦いなのだ。
海賊達は、ラナートの援助を受けて新たな生活を得ることが叶った。しかしそれは、間接的にトリジウムの密輸の恩恵にあずかることであり、即ちトリジウム汚染で死んだ無辜の誰かの怨念を背負うということだ。
今、全ての過去の因果を断つための戦いがここで繰り広げられるのだとして、どうして海賊の王が、その場に姿を見せないなどあり得るだろうか。
王の軍勢がここに集ったならば、その陣頭に立つのが王の務めなのだから。
歓喜、懐古、驚愕、愛憎、悲嘆、憤激。その男は、海賊達のありとあらゆる感情を喚起させた。その男を思い出して無感情でいられる海賊など、この世にいるはずがなかった。
万感の想いを込めた視線が注がれる中、幾多の防衛陣を切り裂き、《パラス・アテナ》はついに、敵旗艦《ネプトゥーン》をその射程に捕らえていた。
「馬鹿な!たった一隻だぞ!それも、戦闘開始から今の今まで戦い詰めの、死体のような一隻だ!どうして止められない!どうして撃墜出来ない!」
エストリア宇宙軍第十三艦隊旗艦《ネプトゥーン》の艦橋で、イレックスの悲鳴じみた叫びがこだまする。
「守備隊は何をやっている!旗艦にこれほど敵を近づけるなど恥と知れ!即座にあの艦を包囲殲滅するんだ!」
「騒ぐな少佐。皆、よくやっている。それでも非難を受ける何者かがあるとすれば、それは私だ。あの時──あの艦と紅い機体を包囲したとき、降伏勧告などせずに一息で打ち落とすべきだった。それが、我らの敗因だ」
「閣下、敗因など……!」
イレックスは振り返り、尊敬すべき司令官の顔を見て、はっとした。
悔しさなどどこにもなく、むしろ清々しい、憑き物が落ちたような顔で、迫り来る敵影を眺めていた。
あの、まるで熱帯魚のように優雅なフォルムの五万トン級艦は見覚えがないが、しかしその横を飛ぶ、鮮紅色の戦闘機には嫌というほどに見覚えがあった。
見間違えるはずがない。かつて、フォルクマールがまだ一介の戦闘機乗りでしかなかった若き日、自分の所属していたチームをたった一機で撃滅した、あの紅い化け物だ。
「……そうだ、あの時は……」
フォルクマールは目を閉じた。
あの時は、宇宙海賊の排除を目的とした作戦の途中だったはずだ。しかし後から耳に挟んだところでは、母国に不利益な事実を知ってしまったために逃亡している少女を亡き者にするのが真の目的だったらしい。
今になって分かった。あれはきっと、死神なのだ。それも、軍神の遣わす死神。高潔であるべき軍人が、畜生の如き罪を犯そうとしたときに遣わされる、刑吏なのだろう。
ならば、当然だ。自分が死ぬのは。
フォルクマールは、ふ、と微笑みを溢した。
言葉を失った副官に、フォルクマールは淡々とした調子で語る。
「私は、何と罪深い男だろうな。この作戦の総責任者を拝命し、しかしこのような……そう、恥ずべき作戦を心底毛嫌いしつつも、軍人として成功に導かねばならないかった。だからこその敗北だ。そもそも勝つつもりのない司令官を頂いた軍が、どうして勝てるものかよ。事実、こうなってしまっては作戦の成功など望むべくもない。戦略目標を達成できなくなった時点で、我らの敗北だよ」
確かに、エストリア軍とヴェロニカ軍、そして海賊連合軍の戦いは既に泥仕合と化しており、一方的な勝者など生まれようもない混戦となっている。
こうなってしまえば、仮に三つ巴の戦いを制したとしても、惑星ヴェロニカを死の星に変えるというエストリアの思惑が達成出来る可能性は、限りなく低い。
「閣下、何を弱気なことを!迫り来る敵はたったの一隻!ここはいったん退き、時間をかけて攻撃すれば、どれほど化け物じみた艦であっても……」
「無駄だ。あの船足を見ろ。この艦が全速前進で逃げたところでたちまちに追いつかれるだろう。ならば、せめて敗軍の将として、堂々と取るべき責任を取りたいと思う。君は、この艦から脱出したまえ」
その時、通信兵が、震える声で、敵兵からの通信が入っていることを告げた。
「繋いでくれ」
フォルクマールの指示がくだされるや否や、スクリーンに一人の男が映し出された。
端正な顔立ちの、男だった。琥珀色の双眼から放たれる視線には一分の隙もない。年の頃はまだ少壮と呼ばれる頃合いのはずだが、放たれる威圧感は尋常ではない。
フォルクマールは思わず立ち上がり、敬礼を施していた。
『総司令官はあんただな、ミスタ・フォルクマール』
ぶっきらぼうな口調が、不思議と不快ではなかった。それはきっと、画面に映し出された男に、勝者の優越感が一分も含まれていなかったからだろう。
「そうだ、私だ。そして君は、あの艦の艦長だな?」
『艦長って呼ばれ方をしたのは久しぶりだが、まぁそうだ』
「私の名をご存じのようだが、自己紹介をさせてもらおうか。エストリア宇宙軍中将フォルクマール・アンドレーエだ。エストリア宇宙軍第十三艦隊及び当該作戦における指揮官を務めている。この作戦の責任者は私だ。貴官の戦いぶりには脱帽せざるを得ない。この上は、貴官の手を借りるまでもない。私は潔く自分に決着をつけるつもりだ。その代わりと言ってはなんだが、この艦の他の乗員の脱出を、どうか許して欲しい」
『気の早い爺さんだ。誰があんたを殺しに来たなんて言った?俺は、もっと別の目的のためにここまで来たのさ』
男が、今にも噛みつきそうな笑みを浮かべ、言った。
『さっきの降伏勧告は有り難かった。ただ、あんたはどうやら俺の腕と、俺の自慢のこの船の性能を、相当低く見積もってくれてたみたいなんでな。こういうことは口で説明しても分かってもらえないだろうから、実際に見せてやったのさ。どうだい、見事だっただろう?』
「……貴官は、何を言っている?伝えたいことがあるならば簡潔に述べたまえ」
『これ以上ないくらい簡潔に言ってるつもりなんだがね、こっちは。要するに、あの降伏勧告が些か気に食わなかったのさ。あんたらは俺達を高く値踏みしてくれたらしいが、中途半端な買いかぶりは逆に誇りを逆撫でするもんだ。だから、そこんとこを分かってもらおうと思ってね』
「……それは何かの冗談か?」
『まさか。俺には珍しいってくらいに大真面目な話さ。あんたや、ちょいと轢き潰しちまった他の艦には申し訳ない気もするんだが、まぁ仕方ないと諦めてくれ』
フォルクマールは言葉を失い、男がくつくつと笑う様を唖然として見守った。
この男は、まさか本当に、自分を殺すためでもこの戦いに終止符を打つためでもなく、あの降伏勧告を突き返すためだけに、ここまで来たというのか。
『それに、この不毛な戦いを止めるのは、俺の仕事じゃない』
その時、通信兵が、慌てた様子で叫んだ。
「司令官!惑星ヴェロニカより、全宇宙に向けて映像記録が発信されています!如何いたしましょうか!」
惑星ヴェロニカの周辺には通信妨害用のジャマーが、武装した防衛衛星と共に設置されている。その働きと、大規模な宇宙嵐により、外部への救援要請を妨害しつつ作戦を遂行する。それが軍の立案した作戦だったはずだ。
この点でも、既に作戦の根幹は揺らいでいるというべきだ。正に、この作戦は失敗したというべきだろう。
深く息を吐き出したフォルクマールが、低い声で、
「……繋げ」
そう言ったのと時を同じくして、ケリーも、こちらは思わず安堵の溜息を吐き出し、小さな声で呟いたのである。
「ちょっと遅かったぜ、黄金狼」、と。