懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第九十四話:夢路

「宇宙に漂うこの子を見つけた時だ。もしもこの世界に神と呼ぶべき存在がいるならば、その声が聞こえた気がした。もう、俺の為すべき事はこの宇宙に一つも無いのだと」

 

 旧い友はそう言った。

 居並んだ我々の前には巨大な医療用カプセルと、その中で薬液に浸されながら傷を癒す、少女がいた。

 顔立ちの整った少女だ。同年代の少年ならば、誰しもが彼女に好意を抱くだろう。もしもこの少女が、それらの好意の中に、自分に相応しいものを見つける事が出来たなら、さぞ彩りに満ちた青春時代を送ることが出来るに違いない。

 金属製の認識票には、マルゴ・レイノルズと刻印されている。それが彼女の名前なのだろう。

 だが、今は、狭く薄暗い羊水の中で、深い傷が癒えるまで、ひたすらに堪え忍ばなければならない。孤独を供に。それは、蝶へと変態するまでの間、吹きすさぶ寒風に揺れる蛹の姿を思い起こさせた。

 

「分かるだろう、銀星。俺は、この子を殺さなければいけない。それが契約だからだ」

「お前は、殺したくないんだな」

 

 旧い友は微笑んだ。微笑みながら、愛おしげな手つきでカプセルのカバーを撫でた。

 

「子供を殺したがる老人がいるかよ。女を殺したがる男がいるかよ。まして、今回はその両方だ。極めつけに殺したくないさ」

「ならば、殺さなければいいだけの話だろう」

「そういう訳にもいくまいよ。彼女は俺の依頼を――インユェを守るかわりに事が為ればあの世へ届けてやるという契約を、果たしてくれたらしい。それが金銭で購える類の契約ならまだしも、彼女は正しく命を賭けて俺の依頼に応えたんだ。ならば、俺は何を擲ってでも彼女の望みを成し遂げなければならない。それが、俺のくだらん拘り程度ならば比べるべくも無い」

「女子供を手に掛けない、それがくだらない拘り程度なのか」

「そうさ。少なくとも、彼女が聞けばそう思うだろう。俺を嘘つきと、詐欺師と罵るだろうな」

 

 俺は、旧い友にかける言葉を失った。

 

「辛いな、こんな可愛い子に罵られるのは」

「……」

「唯一だ。唯一、この子に罵られないで済む方法があるとすれば、それは逃げ出すことだろうな。もう二度と、この子の目の届かないところに。この子の声の聞こえないところに」

「……」

「この世のどこにも、そんな場所はない。ならば、――あの世にでも逃げるとするさ」

「……そんな理由で、お前は死を選ぶというのか」

 

 旧い友は振り返り、首を横に振った。

 

「もう、だいぶ前からガタは来ていた」

「ガタ、だと?」

「お前が信じるかどうかは別だが……俺はな、この子とその仲間に、一度捕縛された。宵闇を襲撃されてな」

「闇の中で……お前が、負けただと?」

 

 その時の俺は、いったいどんな顔をしていたのだろうか。きっと、この世界が大きな亀の背に乗っているのだと地質学者達が真剣な顔で言ったとしても、その時の俺ほどに間抜けな顔をさせるのは不可能に違いない。

 旧い友は苦笑する。

 

「もう、長くはないのさ。あんなに小さかったインユェもメイフゥも、大きくなった。シェンブラックの親父がこの世を去ったように、次は俺の番だというだけの話だ」

「……ヤームル」

「だから、最後のわがままだ。銀星、お前の義父であり、腹心であり、そして親友だった、俺のわがままをきいてほしい」

 

 旧い友は、寂しそうな微笑みを浮かべて、じっと俺の目を見た。

 

「……お前には似合わず、卑怯な真似をする。そんな言い方をされて、誰が断れるというんだ」

「すまんな」

「何を望む」

 

 俺の問いに、旧い友は、遠い目をした。

 きっと、宇宙船の外側の、無限の空間を見つめていた。

 

「戦いたいんだ」

 

 ぽつりと、そう言った。

 

「あの男と戦って、出来るならば勝ってみたい」

 

 あの男。

 誰のことを言っているのか、聞くまでもないことだった。

 海賊王。

 この宇宙で、最も自由だった男。

 

「親父があそこまで惚れこんだ男だ。クレイジー・ダイアンを口説き落とした男だ。きっと、俺など及びもつくまいよ」

「……」

「それでも、勝ちたいと思った。いや、例え勝てなくとも、全力で挑んでみたいと思っていた。それなのに、あの男は死んだ。勝ち逃げですらない。勝負を挑ませてすら、もらえなかったんだ」

「……すまん。もし、お前が俺の部下でなければ……」

「当然のことだ。俺はお前に従うと誓った。そのお前があの男に惚れてしまったんだ。ならば、副頭目の俺が、あの男と戦うわけにはいかん。何せ、俺が倒すべき敵はお前が見定める、それが約束だったからな」

 

 旧い友は、旧い約束を口にした。

 そうだ、その約束が結ばれた時から、俺達は親友ではなくなった。一味の、頭目と副頭目。それがあるべき姿になった。

 

「諦めていた。あの男は死に、そして一味は解散した。インユェとメイフゥが生まれ、ユエが逝き、俺があの二人を育てなければならなくなった。もう、俺はそういう人生を送るべきではないのだと、誰かが言っているのだと思った」

「だが、キングは生きていた」

「そうだ。だから――欲が出た」

 

 旧い友は、恥ずかしそうに微笑った。

 もはや止める言葉は無い。だから、その代わりに問うた。

 

「無粋を承知で訊く。何故、戦いたいんだ。あの男はあの男、お前はお前だ。何かを比べなければならない訳ではないだろう」

「……理由など、いくらでも見繕える。海賊が落ちぶれたあの時代に、あの男が栄華を極め続けたこと。親父の跡を継ぐべき男が、親父の葬式にも顔を出しさえしなかったこと。何より、全ての海賊の憧憬を一身に受けながら、しかし誰にも敗れず、誰にも託すことなく死んだこと――」

「……」

「駄目だな、どうにも。言葉にすると、全てが薄っぺらい」

「それは、お前が、その言葉を信じていないからだ」

 

 旧い友は、照れたようにはにかみ、頷いた。

 

「牢屋でな、鎖に繋がれているあの男を見たとき、耐えがたいほどの怒りが沸き起こったよ」

「それは、何故だ」

「きっと、親父が惚れこんだほどの男が、海賊王と呼ばれるべき男が、鎖に繋がれていたこと――地上に繋がれていたことが、許し難かったんだと思う。お前は、ここにいるべきじゃない。こんなところにいるべきじゃない。こんなところにいてはいけない……」

「……」

「あいつは、一番高いところ飛ぶべき存在だ。地を這うのは、俺達に任せればいい……なのに、その男が、あんな場所に繋がれていた。それが許せなかった……」

「ああ、その気持ちは分かる」

「要するに、俺も、あの男のファンだったらしい」

 

 それは、意外なほどに真剣な声だった。

 真剣な声のまま、続ける。

 

「例えば、サッカーのスター選手が、タイムスリップでもして、自分が子供の頃に憧れたスター選手の全盛期の頃に会えたとしたら……喜びはあるだろう。驚きもあるだろう。だが、きっと、一度でいいから真剣に勝負をしてみたいと思うんじゃないだろうか」

「そうかも知れないな」 

「俺があの男と戦いたいのは、極論すれば、その程度の動機なんだろうな」

「……その程度とお前自身が言うことに、全てを賭けるというのか」

「……」

 

 旧い友は、何も言わない。

 ただ、虚空を眺めている。

 

「お前が長くないなら、それで良い。ならばこのまま老いて、或いは病に倒れて……最後はインユェとメイフゥに看取られながら、穏やかに逝く。そういう選択肢もあるんじゃないのか」

「ああ――それは、とても素敵だ」

 

 うっとりとした、それは声だった。

 そしてくすりと笑い、

 

「銀星、こんなタイミングで、未練を作るなよ」

「それが未練だと言うなら――」

「未練さ。未練だが――それは海賊の死に方じゃない」

 

 俺の口を塞いだのは、その言葉ではなく、どこまでも穏やかな友の瞳だった。

 それは、決意した男の瞳だった。もう、己の死に場所を定めた男の瞳だった。

 そうか、そんなに簡単なこと。

 

「お前は、海賊として死にたいんだな」

 

 旧い友は、何も言わなかった。

 つまり、俺は、あの時代の海賊に生き場所を作ることはできても、死に場所を作ることはできなかったということか。

 そんな簡単なことに、今更気が付いた。

 

「手段は任せる。俺とあの男を、戦わせて欲しい」

「……分かった。だが、後で文句は聞かんぞ」

「勝つにせよ、負けるにせよ、どうせ長くない人生だ。望みさえ果たすことができれば、悔いはないさ」

 

 旧い友は――ヤームルは、もう一度、微笑んだ。

 

 

「決闘?」

「ああ、決闘だ」

「誰と誰が?」

「俺と貴様が」

「いつ?」

「今」

「どこで?」

「ここで」

 

 ケリーの問いに対するヤームルの答えは、一つ一つが明確で、一切の妥協を許さないものだった。

 その声は低く、ぼそりと、冷たい小石を吐き出すようだ。

 それは、ヤームルの底冷えのする眼光とともにケリーを貫いた。

 普通の人間であれば、恐怖の冷や汗を流すか、ともすれば失禁しかねないその眼光を受けて、しかしケリーは、片手を口元に、俯き加減の姿勢で、くつくつと笑いはじめた。

 ケリーの乾いた笑い声が、ひんやりとした格納庫の壁に反響し、吸い込まれ、やがて消えていく。

 

「……何がおかしい」

 

 やはり何の感情も籠らないようなヤームルの声に、

 

「ああ、そういうことか」

 

 おそらくは笑みに歪んだ口元を隠し、目を三日月のかたちにして、ケリーは無表情のヤームルを見遣る。

 たまらなく可笑しいというふうに、思わず漏れ出した笑い声を何とか隠そうとするように。

 

「……何が、そういうことなんだ」

「あんた、俺に惚れてるだろ」

 

 ケリーの声こそ、まるで恋人に睦言を囁くように、小さな声だった。

 その言葉を聞いても、やはりヤームルはぴくりとも表情を動かさない。

 鍋底をちりちりと炙るような、冷たい熱の籠った視線でケリーをねめつけている。

 

「そうかそうか、悪かったな、ヤームルさん。色々悪いこと言っちまってよ。色々悪いことさせちまってよ。今、あんたが、あんたの孫娘を叩きのめしたのも、俺を本気にさせるためだろう?そんなことしなくても、俺はいつだって本気でやってやるさ。俺に惚れてる男が相手なら尚更だ。失望させちゃ悪いからな」

「……」

「シェンブラックに対する裏切り?あの時代の海賊達に対する背信?そんなご大層なもんにあんたは怒った訳じゃねぇな。怒ったのは、俺に失望したからだ。俺が宇宙を捨てたことに、大企業のトップなんていう表の世界の枠に収まっちまったことに対してだ。あんたの期待を裏切っちまったことに対してだ」

「……」

「要するに、だ。あんたは――」

「貴様の言う通りだよ」

 

 ヤームルは、口元だけを歪めて嗤った。

 

「貴様の言う通りだ。海賊王、俺は、貴様に惚れてる。ぞっこんだ。貴様が生きていることを知ってから、寝ても覚めても、貴様のことが頭から離れない。四六時中貴様のことを考えている。これは、つまり貴様に惚れてるってことさ」

「嬉しいことを言ってくれるねぇ」

「だが、今まで俺が口にしたことは嘘なんかじゃないよ。貴様が親父のシマを受け継がず、海賊達を捨てて、クーア財閥のトップにあり続けたことは、唾棄すべき裏切りだと思ってる」

「分かるよ、あんたの言いたいことは」

 

 ケリーは、照れくさそうに頭を掻いた。

 申し合わせたように、二人は視線を足元に落とした。自分が口にしていることを、恥じ入るかのように。

 ヤームルは、淡々と続ける。

 

「貴様が宇宙を捨てた以上、海賊王を名乗る資格があるのは、ここにいるラナートだとも思っている。だが、貴様以上に海賊王と呼ばれるに相応しい男が他にいないことも分かっている。業腹なことだけどね」

「――」

「しかし、ヴェロニカ共和国のトリジウムの一件にかたをつけてくれたことは感謝してもいる。インユェとメイフゥの二人を守ってくれたことは、恩義以外の何物でもない」

「まぁあいつらについては俺たちも助けてもらった。貸し借りはなしだろうな」

「それでもだ。あの二人が生きていた。それだけで、俺は貴様に恩義がある……」

 

 言葉は、ケリーに感謝を述べている。

 しかし、視線は、極寒の殺気を込めてケリーを眺めている。

 

「だが、そういうことじゃないんだよ。分かるだろう、貴様にも」

「ああ、分かっているさ」

「全てだ。全て……怒りも悲しみも憎しみも失望も羨望も感謝も敬愛も……全てひっくるめて、それでも貴様を殺したいんだ」

「……」

「先に言っておこう。俺は、もう長くない」

 

 ヤームルの言葉に、しかしケリーの表情は露ほども動かない。

 

「惑星ヴェロニカで、下手を打った。ウォルとともに攫われた時のことだ。言い訳するわけでも、まして自慢をするわけでもないが、万全の俺ならばあの程度の危地、難なく逃れることができた。少なくとも、ウォルを敵の手に落とすようなへまは絶対にしなかった」

「あんたがそう言うなら、そうなんだろうな」

「あの一件で悟ったよ。俺は、もう長くない。自分の体だ。まぁ、もって三か月というところだろう」

「さっきの、メイフゥとの戦いだけを見ると、どうもそうは思えないがね」

「冗談を言うな。全盛期の俺なら、あれで確実に殺している。今は、全力であの程度さ」

 

 ケリーは、ジャスミンとメイフゥの戦いを間近で目撃している。その時の、メイフゥの人間離れした風貌も、何よりもその戦闘能力も。

 ならば、それを一息で瀕死に追い込んだヤームルの技量がどれほどのものなのか、想像もつかない。しかも、ヤームルの言葉を信じるならば、老いに力を削ぎ落されて、まだメイフゥを遥かにしのいでいるという。

 少なくとも、素手ならば、自分の及ぶ力量ではあるまい。ケリーはそう見切った。

 

「まぁ、そのへんの話は置いておこうか。俺達に大事なのは、戦う理由じゃない」

「その通りだ。理由が何であれ、俺と貴様が戦うという結果は変わらない」

「俺とあんたが、今、ここで戦う。それはいいさ。だが、最後にもう一つ、大事なことが決まってない」

「どうやって戦うか……」

 

 ケリーは頷いた。

 ヤームルは、初めてくすりと笑い、

 

「決闘を申しこんだのは俺だ。時間を決めたのも、場所を決めたのも俺だ。ならば海賊王、何で戦うか、それくらいは貴様に決めさせてやる」

「いいのかい?ずいぶんと太っ腹じゃないか」

「いいさ。俺と貴様の仲だ。ただし条件がある」

 

 ヤームルは笑みを消し、

 

「条件は二つ。俺とお前の一騎打ちであること。そして――互いの命をかけること」

 

 互いの命をかける。

 なんともシンプルで、逃げ道を許さない、条件だった。

 抜き放った白刃のような言葉に、しかしケリーは皮肉気な笑みを浮かべ、

 

「例えば、ポーカーなんてのはどうだい?」

 

 無表情のヤームルは肩を竦め、

 

「それが、お前の命と俺の命、そしてマルゴの身命を賭けるに足りる戦いだと判断したのならば、俺はそれに従おう」

 

 ケリーは苦笑した。

 

「なるほど、中々難しいな」

「まぁそれでも、俺にとって、おそらくは最後の戦いだ。直接、貴様と力比べをできる戦いがいい。白打、剣術、射撃……何でもいい。それを選ぶのは、貴様だ、海賊王」

「そうか、何でもいいのか」

「何でもかまわん」

「なら――船だな」

 

 その言葉を聞いて、ヤームルの老いた身体がぶるりと震えた。

 期待はしていた。望んでいた言葉だ。しかし、感情が昂るの抑えられない。

 無表情の顔が僅かに赤みがかり、そして口の端が、僅かに、ほんの僅かに持ち上がる。

 

「分かってるよ。お前さんが海賊王としての俺と戦いたい、それも命を賭けるってんなら、それはそういうことだろう?」

「……気を使わせてしまったな」

「俺をぶん殴って倒したとしても、剣でばっさり切り捨てたとしても、銃で撃ち殺したとしても、それは俺を倒したということだけであって、海賊王を倒したことにはならない。あんたはそう思ってる……」

「貴様のいうとおりさ」

「海賊王を倒す。それは、この宇宙で、船と船の戦いで、正面から正々堂々叩きのめして、はじめてそう言うことができる。あんたはそう思ってる」

「それも、貴様のいうとおりだな」

 

 ケリーは小さく溜息を吐き出し、

 

「なんともご大層なもんだな、海賊王ってのは」

 

 ヤームルはくつくつと笑い、

 

「そのとおりだ。それが分かっていないのは、ケリー・クーア、この宇宙で貴様ただ一人だろうさ」

「難儀な話だ」

「それが嫌ならとっとと海賊王の看板を下せば良かったのさ。宇宙を捨て、クレイジーダイアンを捨て……だが、貴様にそれは死んでもできないことだろう?」

 

 ケリーは、応とも否とも答えなかった。

 答える必要のない問いだったからだ。

 

「ケリー・クーア。決闘の開始は一時間後だ。その間に、適当な船を見繕っておけ。もちろん、《パラス・アテナ》でも一向に構わん。貴様の棺桶となる船だ、後悔のないよう慎重に選ぶんだな……」

 

 

「宇宙船による一騎打ちだと!?」

 

 瀕死の重傷を負ったメイフゥを《パラス・アテナ》の医務室へと運び込んだジャスミンは、デッキに戻った途端、集まった一同からあまりに突拍子もない事の成り行きを聞かされ、目を丸くしてしまった。

 デッキには、リィ、ルウ、シェラ、ウォルの異世界組、そしてケリーとジャスミンのゾンビ組の全員が揃い、全員が立ったまま、情報の共有のため話し合いをしている。

 

「それは何とも――馬鹿らしい話だ。お前はそれを受けたのか?」

 

 にべもないジャスミンの言葉に、

 

「仕方ねぇじゃねぇかよ。マルゴがあちらさんの手の中にあるんだ。どんな無茶を言われても断ることはできねぇさ」

 

 ケリーは面倒くさそうに髪をかきあげながら言った。

 そして続ける。

 

「そんなことはどうでもいい。メイフゥの容態は?」

 

 どう考えてもどうでもよくないことなのだが、ジャスミンは、諦めたようにため息を一つ溢し、

 

「……なんとも言えんな」

「そんなに悪いのか……。いや、あれだけ痛めつけられれば当たり前なんだが……」

 

 ヤームルの連撃は、百戦錬磨のケリーやジャスミンの目ですら捉えきれないほどに速く、鋭いものだった。その全てを叩き込まれ、吹き飛ばされ、ボロ雑巾のように倒れたメイフゥが、無事であるはずがない。

 そんなことはケリーも無論承知しているのだが、しかしジャスミンは、ケリーの想像を否定するかのように首を振った。

 

「いいとか悪いとか、そういう話ではない。あれは、我々の想像の及ぶ生き物ではないぞ。いや、メイフゥがおかしいのか、それとも彼女の仲間が皆そうなのかまではわからんが……」

「……どういう意味だ、女王」

「……ダイアナ、医務室の映像を映せるか?」

「……ええ、そうねジャスミン、百聞は一見にしかずという的を射たことわざもあるくらいだし、一度見てもらったほうが私達の気持ちを理解してもらえるわね」

 

 呆れた、というよりは、途方に暮れたようなダイアナの声がデッキに響き、メインスクリーンの映像が切り替わった。

 そこに映し出された映像に、皆が首を傾げた。何も映し出されていないのだ。

 いや、映し出されていない、というのは正確ではないかもしれない。映し出されてはいるのだ。ただ、本来であれば部屋全体を俯瞰するように写すはずのカメラが、真っ黒の映像をスクリーンに届けている。

 

「なんだ、こりゃ?カメラが故障してるのかな?」

 

 皆の心情を代弁したかのようなリィの声に、

 

「リィ、よく見てみろ」

 

 ジャスミンの声に、リィは目を凝らす。すると、真っ暗な画面を、よくよく見なければリィでも気がつかないほどにうっすらと、いくつかの線が走っているのに気がついた。

 砂嵐のようなノイズではない。その線は、確かにカメラが捉えた映像なのだ。その線が、周期的に上下を繰り返している。まるで、寝入った動物が安らかな呼吸を繰り返すかのように。

 その時点で、ようやく気がついた。これは、恐ろしいほどに接写された動物の毛並みであると。そして、医務室にいるべき生き物はただの一人――この場合は一匹になるのだろうか――である。

 

「もしかして……これ、メイフゥか?」

 

 目をまんまるにしてスクリーンを指さすリィに、ジャスミンは無言で頷いた。

 

「五万トン級の宇宙船といえど、医務室はそれほど広いわけではない。それでも、狭っ苦しい貧乏学生用アパートではないのだぞ。その部屋を、いつの間にかみっしりと毛玉が占領して、どんどん膨らんでくるんだ。慌てて扉から脱出した。危うく押しつぶされそうになったぞ」

 

 身震いするようにジャスミンは言った。

 確かに、医務室に運び込んだ瀕死の少女が、救命処置も待たずに巨大な毛玉に変貌し、自分を圧殺するかのようにどんどん巨大化していく様子というのはかなり怖い。冗談抜きでホラーである。

 

「ということは、とりあえず、メイフゥは無事なのか」

 

 リィの疑問に、頭痛を堪えるような表情のダイアナが、

 

「……バイタルサインに問題はないわ。推測だけど、これがメイフゥちゃんの休眠形態なんでしょうね。昆虫で言えば、繭みたいなものだと思うわ。……昆虫で言えばっていう表現を、仮にも人間に対して使うこと自体がとんでもない間違いだと思いたいけど……」

「……あの時――ヤームルという老人に叩きのめされた時、確かにメイフゥの心臓は止まっていた。普通の人間なら、《パラス・アテナ》の医療設備をフル稼働させて、すぐに救命治療を始めても、助かるかは五分五分の賭けだったはずだ。それが、自分の力だけで生命活動を安定させている。或いは、ヤームルという男はそれを知っていたから、あれほど遠慮なく叩きのめしたのか……とんでもない生き物だな、これは」

 

 ジャスミンの呆れかえった声である。

 リィもルウもシェラも、その場にいた全ての人間が頷くことで同意した。

 

「でもまぁ、メイフゥは一応無事だとして……インユェは?」

「彼は普通に無事よ。医務室がこんな有様だから、別の部屋に寝かせてる。脳震盪を起こしてたみたいだけど、特に異常はないわ。時間が経てば目覚めるはずよ」

 

 ダイアナが言った。

 とにかく、姉弟は大丈夫だということだ。一同は、胸を撫でおろした。

 そして、これからのことについて話を始める。

 口火を切ったのはリィである。

 

「よく分からないけど、ケリーはこの宇宙で一番の船乗りなんだよな、ジャスミン」

「ああ、それは間違いないぞ、リィ。何せ、このわたしが言うんだからな」

 

 リィが小首を傾げる。

 

「じゃあどう考えても、あのヤームルって人に勝ち目はないよな?なんで、決闘だなんて言いながら、宇宙船同士の一騎打ちなんて、相手に有利な方法を選ばせたんだろう」

「エディ、それはキングの言った通りだろう。海賊王としてのキングに勝負を挑みたいなら、それはもう宇宙船で戦うしかない。それ以外の方法で勝ったとしても、ケリーという個人に勝っただけで、偶像としての海賊王に勝ったことにはならないからね」

 

 相棒であるルウの回答に、

 

「その気持ちは十分に分かるけど……それ以上に、おれは、命を賭けて勝ち目のない勝負に挑むってのも理解できない。負けてもともと、勝負が挑めればそれでいいっていうなら別だけど、あの爺さんからはそういう雰囲気はなかった。全身全霊で勝ってやる、そういう気概を感じた。なら、悪くても互角以上の勝負になると、少なくともあの爺さんは考えているんだろう」

 

 リィの言葉に、ルウは頷く。

 

「どうかな、ジャスミン。僕らは、あなたやキングほどに、宇宙船には詳しくない。もし、本当にキングと、あのヤームルっていう人が宇宙船で一騎討ちなんてしたら、どちらが勝つと思う?」

「無論、わたしの夫が勝つに決まってる」

 

 力強く断言したジャスミンである。

 ジャスミンは、ケリーと共に、いくつもの修羅場を潜っている。そのたびに、ケリーの操船技術には驚かされてきた。僅か数日前の、エストリア正規軍一個艦隊が相手という常識外れの戦いでも、それは遺憾無く発揮された。もしもケリーと《パラス・アテナ》がいなければ、いくらジャスミンといえども、あの戦いを生き残れなかっただろう確信がある。

 しかし、口調を変えて、こう続けた。

 

「だが――問題が一つある」

「ああ、その通りだな女王。何せ、今回は、《パラス・アテナ》が使えない」

 

 ケリーの言葉に、ジャスミンは頷いた。

 理由はいくつかある。

 まず、エストリア艦隊との戦いで、ダイアナを含めた《パラス・アテナ》が酷く損耗しているという点。戦いの後はすぐにマルゴ達の救助活動を行っていたため、整備に割く時間がまるでなかったのも痛かったところだ。

 加えて、今、《パラス・アテナ》の医務室で体を休めるメイフゥの存在がある。あれが昆虫でいうところの繭なのだとしたら、その状態で強い衝撃を加えることが彼女にどんな悪影響を与えるか分からない。そして、あの状態のメイフゥを下船させるのは、医学的にも物理的にも不可能である。

 ヤームルは、戦いは一時間後だと期限を区切った。それが、果たして今の事態を計算に入れての条件設定だったのかは分からないが、とにかく今回の戦いに《パラス・アテナ》を使うことはできない。

 

「だが、条件は相手さんも一緒のはずだぜ。もしもウェルナー級戦艦でも用意するなら別だが、普通の海賊船程度なら、ダイアンの手を借りるまでもねぇよ。俺だけで片を付けてくるさ」

「キング、それは――些か、ヤームルを甘く見すぎているな」

 

 いつの間にか開け放たれていたデッキの扉から、声がした。

 そこに、一人の男が立っていた。それは、ケリーやジャスミンには見覚えがあり、それ以外の面々にとっては、先ほど居並んだ海賊達の中に見出した顔であった。

 

「ラナート」

 

 ケリーの呟きに、グランドセヴンの一人、『銀星』の異名を持つ大海賊、ラナートは苦笑する。

 

「先に言っておく。ダイアナを責めないでやってほしい。俺が頼み込んで、ここに入れてもらったんだ」

 

 ケリーは、画面のダイアナに目を向ける。

 ダイアナは、肩を竦めて応えた。

 

「危険物は持っていないわ。それに、ラナートは、海賊としてではなく、あなたの友達として会いたいと、そう言ったのよ。断るわけにはいかないじゃない」

「ダイアン、お前を責めるつもりなんてねぇよ。むしろ、こいつとは一度、腹を割って話さなきゃならないと思ってたところだ。手間が省けてありがたいくらいさ」

 

 そう微笑んだケリーは、ラナートに再び顔を向ける。

 

「お前とこうして顔を合わせるのも、いったいいつ以来だろうな」

「お前ともだが……細君ともだな」

 

 魅力的な低音でそう言ったのは、ラナートであった。

 ジャスミンは、あらためてラナートの顔を見た。ジャスミンにとっては数年前、世界の時間の流れでは数十年も前、邂逅した男の顔である。

 

「久しぶりだな、ミズ。あなたは相変わらず美しい。以前、《シルヴァー・スター》でお会いしたときよりも美しくなっている」

「おいおい、夫の前で、貞淑な妻の、一夜限りの過ちのことをほじくり返さないで欲しいな」

「こら、女王、前にも言ったがたっぷり四日間だったはずだろうがよ」

 

 苦笑したジャスミンであり、そして苦笑したケリーである。

 気を取り直したようにジャスミンは表情を改め、

 

「ありがとう、キャプテン。一言ではとても説明出来ない色々なことがあってな、こうして無様に生き長らえている次第だ。それに、あなたも以前よりずっと魅力的になった」

「それはそれは……素直に褒め言葉として受け取るのは、些か早計なんだろうな」

 

 ラナートは苦みのある笑みを浮かべた。

 

「俺に失望したか、ミズ」

「事と次第によってはな」

 

 極めて端的なやり取りであった。まるで、何年も連れ添った男女のように。

 ふと視線をジャスミンから外したラナートは、彼女の隣に、自分を見上げる黒髪の少女を見つけた。

 

「きみとも、まさかこんなところで再会するとは思わなかったよ」

 

 少女――ウォルは、ラナートを確と見つめながら微笑み、

 

「俺も、このようなところで、あなたと再会するとは夢にも思わなかった」

「……ああ、そうだな。俺も、夢にも思わなかった」

「そして、このようなかたちであなたと再会したくはなかったな」

「全く同感だ、ウォル。どうやら今日は厄日らしい。これまでの人生で積み上げてきた女性からの評価が台無しだ」

 

 苦笑したラナートであった。

 

「まさか、きみがインユェの想い人だったとはね。それも、あれほど熱烈に愛されているとは……。父親としては、インユェを成長させてくれたことを有難く思うが、同時になんとも面映ゆくて……果たしてきみにどう接すべきなのか、迷ってしまうな」

「悪いが、おれは、この少年の婚約者でな。インユェの想いは心底ありがたいのだが、それに応えることができん身の上だ。父君には申し訳ないが、諦めてほしい」

 

 ラナートは、ウォルの隣に立ったリィを見た。

 それは、商売敵を値踏みする海賊としてのラナートの視線だった。だが、少なくとも見た目だけならば、飛び切り美しい以外はただの少年であるはずのリィは、一切怯えたところがない。ただ、自然体でラナートの視線を受け止めている。

 その様子を見て、やはりラナートは微笑んだ

 

「なるほど、きっときみは普通の女の子ではないだろうとは思っていたが、これは飛び切りらしいな。きみも、婚約者であるこの男の子も」

「まぁ、人並ではない人生を送っている自覚はある」

「それゆえに惜しいな、どうにも。義理とはいえ、きみの父親になってみれば、きっと一緒にさぞ旨い酒が飲めるだろうにね」

「おいおい、ラナート、お前、本当に世間話をするためにここに来たっていうのか?」

 

 呆れたケリーの声に、ラナートは首を横に振り、

 

「そうだな。さっさと要件を済ませてしまうとしよう」

 

 ラナートが、手にした携帯端末を操作すると、開け放たれたままだったドアの向こうから、大型の自動機械が姿を表した。

 貨物運搬用の自動機械は、その上に、薬液で満たされた医療用カプセルを搭載していた。

 そして、その薬液の中には、目を閉じたまま微動だにしない、少女が浸されている。

 

「マルゴ、と言ったか。この少女は、もう我々には不要だ。この場であなた方に返却しよう」

 

 それが当然のようにケリーは頷き、

 

「マルゴの容態は?」

「命に別状はない。擦過傷や打撲傷は数え切れないし、内臓に傷ついた箇所があったようだが、致命傷ではない。あれだけの戦闘を潜り抜けてこの程度ならば、神の恩寵がこの少女にあったと言えるだろうな。組織再生療法により、傷は完治しているはずだ」

「ならば、どうして目を覚まさない?」

「目覚めたくない事情があるのだろう。少なくとも、我々の推し量れるところではないだろうな」

 

 冷然と言い放ったラナートである。

 

「えらくあっさり、解放してくれるんだな。少なくとも、決闘が終わるまでは返してくれないもんだと思ってたんだが」

「キング、お前はヤームルとの決闘を承諾した。ならば、この少女の身柄を今、引き渡したとしても、その言葉を翻すことはないだろう。むしろ、その程度の男ならば、ヤームルと決闘するに相応しい男ではない。大人しく尻尾を巻いて逃げ去ればいいさ」

 

 それは、ある種の信頼でもあるのだろう。

 ケリーは、軽薄な笑みを浮かべ、

 

「ずいぶんな信頼の仕方もあったもんだな」

「相手がお前だからこそさ。お前は、きっとヤームルの信頼を裏切らない。何故なら、あいつは、命をかけてお前に挑むからだ」

 

 ケリーは肩を竦めた。

 

「とにかく、マルゴを助けてくれたことには礼を言う。その対価が、あの男との一騎打ちだっていうなら、喜んで戦わせてもらうさ。そのうえで聞きたいんだがラナート、お前がさっき言った、ヤームルを甘く見すぎているってのはどういう意味だ?」

「言葉通りの意味だ。もしもお前が《パラス・アテナ》以外の宇宙船でヤームルに挑めば、お前は間違いなく敗れる。そして、宇宙の藻屑となる」

 

 真剣な口調で、ラナートは断言した。

 ケリーは無言で続きを促した。

 

「まず前提として言っておくが、俺がヤームルに頼まれたのは、お前との一騎打ちをお膳立てするところまでだ。それは為され、そして取引材料だった少女はお前に引き渡した。つまり、俺には、お前にもヤームルにも、もう義理立てするところはない。お前とヤームルの一騎打ちについて、俺は傍観者以外の立場を取るつもりはない」

「ヤームルは、お前の海賊団の副頭目だったんじゃなかったのか?」

「過去の話さ。それに、俺はお前の友人だとも思っている。なら、どちらかに肩入れするのは、どちらかに対する不義理になる。だからこそ、俺は傍観者なんだ」

 

 ケリーは頷いた。

 

「その上で、この勝負は公正であるべきだとも思っている。もしもお前がヤームルを見くびり、中途半端な戦いを挑めば、それはヤームルに対する侮辱となる」

「ラナート、お前は、俺の腕をそれなりに評価してくれていると思ってたがな」

「ああ、高く評価しているさ。この宇宙で、お前に並ぶ宇宙船乗りはいないと確信もしている。その上で、忠告だ。お前が、万全の状態の《パラス・アテナ》に乗って、全力で戦ったとして、おそらくヤームルに対する勝率は五分五分か、それ以下だ」

 

 ラナートは断言した。

 その会話を聞いていたジャスミンは、内心で、何と馬鹿なことを言うのかと思った。

 ケリーの操る《パラス・アテナ》の精強なことは、数日前の、エストリア艦隊との戦いで証明されている。僅か5万トン程度の外洋型宇宙船である《パラス・アテナ》が、遥かに格上であるはずのウェルナー級戦艦や、さらにその上のハッチンソン級戦艦を、片手の指では数えられないほど撃沈したのだ。それは一般的な感覚でいうならば、スズメが鷹を狩ったに等しい戦果である。

 しかし、ラナートは、そんなジャスミンの考えを知ってか知らずか、

 

「キング。お前が、この宇宙で最高の宇宙船乗りであることは理解している。例えば、安定度の低いゲートを飛ぶことにかけて、お前の右に出る者はいないだろう。例えば、小惑星帯や異常磁場の、荒れ狂う宇宙を、速く、そして美しく飛ぶことにかけて、お前の右に出る者はいないだろう」

「ありがとよ、褒め言葉と受け取っておくぜ」

「だが、こと戦いとなれば、俺は、ヤームル以上の戦士を知らない。それが素手の戦いであっても、銃の戦いであっても、そして宇宙船同士の戦いであってもだ」

 

 ラナートは異論を許さないような、真剣な調子で続ける。

 

「俺は、あの『撮影会』の時に、お前と細君の戦いを目の当たりにしている。そして、今回の対エストリア艦隊との戦いの、とどめの一撃ともいえるお前の戦いを見させてもらった。共に、賞賛と畏怖に値する強さだったよ。だが――それでも、もしもお前とヤームル、どちらと戦うかを選べと言われれば、生き残る可能性の高い方を選ぶという意味でなら、お前と戦う方を選ぶだろう」

 

 淡々としたラナートの言葉に、偽りや誇張はないように思えた。

 そもそも、もしもラナートの言葉が嘘だったとして、そこに何の意味があるのか。ケリーは、こと戦いとなれば、決して手を抜かない。少なくとも、戦いが始まれば、だ。ならば、油断させたり、逆に警戒させたりしても無意味ということになる。

 しかし、戦いが始まる前――つまり、どの宇宙船で戦うかを選ぶ前にこういった忠告をしてくるということは――そういうことなのだろう。

 

「要するにラナート、お前はヤームルと俺が、互角の条件で戦うことを望んでいるのか」

 

 ラナートは頷く。

 

「《パラス・アテナ》が使えないのは残念だが、しかしキング、お前はお前に用意できる最高の機体で戦え。それがヤームルに対する礼儀であり、極少となってしまったお前の勝率を、少しでも上げる唯一の方策だ」

 

 そう言って、ラナートは再び扉の向こうに姿を消した。

 ケリーは、ちょっと途方に暮れた。

 ラナートの言葉に嘘が無いのは理解した。仮にラナートがヤームルの肩を持っているのだとしても、ケリーにこのような忠告をして、ヤームルに益は何一つ無いのだから。

 しかし、だからといって、今のケリーに準備できる宇宙船で戦闘用のものは見当たらないのも事実である。今の《パラス・アテナ》に搭載しているのは《クインビー》を除けば送迎艇くらいのものであり、この宇宙基地にあるのは、精々が型遅れの宇宙戦闘機――例えばM7シェイクス4S、骨董品のような戦闘機である――くらいのものであった。

 ケリーは、最悪それでも構わないと思っていたのだが、ラナートの忠告を無視するわけにもいかない。これは、顔なじみの海賊連中に頭でも下げるしかないかと思っていた時、

 

「ならば、考えるまでもないな。《クインビー》を使え。幸い、お前がマルゴ達の探索活動に集中している間に、最低限の整備は済ませた。一戦交える程度なら、十分に耐えてくれるはずだ」

 

 事もなげにそう言ったのは、もちろん、《クインビー》の所有者であるジャスミンであった。

 ケリーは我が耳を疑った。それも、二重の意味で。

 

「……女王、あんたが《クインビー》に他人を乗らせるっていうのか?」

「そうだ」

「俺に、あれに乗れっていうのか?あの、『空飛ぶ棺桶』に?」

「そうだと言っている」

 

 ケリーは唖然としてしまった。

 この女は、自分が何を言っているか、理解しているのだろうか。

 《クインビー》は普通の戦闘機ではない。重力波エンジンとショウドライブを搭載し、超小型のクーアシステムをも搭載した、おそらくは最小サイズの外洋宇宙船。そして、20センチ砲という戦艦クラスの武器を持った、この世で最も恐るべき『スズメバチ』。

 到底、普通の人間に乗りこなせる機体ではない。

 

「……あんたが俺に無茶を言うのは挨拶みたいなもんだとは理解しているつもりだが、今回はとびっきりだな。アレに初めて乗って、それで決闘しろっていうのかよ」

「無論、《パラス・アテナ》が万全ならば、こんな無茶を言うつもりはない。しかし、《パラス・アテナ》が使用できないなら、そしてキャプテン・ラナートの言葉を信じるならば、お前が勝つための唯一の選択肢がこれだろう」

 

 ジャスミンは断言した。

 それでも、ケリーは俄かには首肯しなかった。

 そんな様子を見て、リィが小首を傾げる。

 

「なぁ、ルーファ。ケリーはあんなに悩んでるけど、どうしてなんだろう。宇宙船も宇宙戦闘機も同じようなものなんじゃないのか?」

「エディ、それは違うよ。宇宙船と宇宙戦艦と宇宙戦闘機じゃ、その設計思想もスペックも運用方法も全く異なってくる。それらを一緒くたにするのは、同じ馬なら農耕馬も競走馬も軍用馬も全てが同じだって言ってるようなものだ」

「なるほど、そう言われるとよく分かる。でも、馬に慣れた人間なら、どんな種類の馬であってもある程度は上手に操るもんだ。なら、ケリーが戦闘機に全く不案内ってこともないんだろう?」

 

 その言葉にはジャスミンが頷いた。

 

「この男は規格外の操縦手だ。《パラス・アテナ》と最も相性が良いのは事実だが、戦闘機の操縦とてお手の物だ。この男が悩んでいるのは、もっと別のことさ」

 

 ジャスミンは、つかつかとした歩調でケリーに近づき、その襟首を捩じり上げた。

 

「海賊、わたしを馬鹿にするなよ。貴様が《クインビー》に乗ることで嫉妬するほど、わたしを狭量だと思ったか」

 

 十分以上にどすの効いた声だったが、ケリーを委縮させることはちっとも叶わない。

 そんなことは、ジャスミンも理解している。だが、どうしてもそういう声しか出ないのだ。

 

「前にも一度言ったが、事態が定まった以上、不要な逡巡は時間の浪費であり、利敵行為以外の何者でもない。ほかならぬわたしが、《クインビー》に乗ることを許可した。そして、《パラス・アテナ》が搭乗不可能である以上、《クインビー》以外の船で相手取れるほど生易しい相手ではないらしい。ならば、選択肢は一つだけだろうが。あの時のように、もう一度貴様を殴らなければならないのか?」

 

 仮にも女房と呼ぶべき人間に、ここまで言わせてしまったのだ。これで断れば男が廃る……と思ったわけでもないだろうが、ケリーはにやりと笑い、

 

「分かった、女王。だが、そこまで啖呵を切ったんだ、どんな戦い方をしようが、どれほど傷つこうが、文句は聞かねぇぞ」

 

 ジャスミンはケリーの襟首を離し、同じように、噛みつくような笑みを浮かべた。

 愛機を他人の手にゆだねるという重大な問題は、この二人の間ではそれで十分だったのだ。

 

「お前が操縦でへまをするならいざ知らず、少々手荒く扱った程度でわたしの《クインビー》は傷一つつかん。心配するなら、そのでかい図体が《クインビー》の操縦席に収まりきるかを心配するんだな」

「おいおい女王、あんたに図体のことでとやかく言われる日が来るとは思わなかったぜ。ま、とにかく、そういうことなら、あと一時間弱だな、《クインビー》の操縦のいろはを教えてもらうとしようか」

「無論だ。精神統一だの遺書をしたためる時間だの、そんな可愛らしいことに使える時間は残っていない。つまり、貴様に要求されるのは当たり前のように勝つことだ。それを覚悟しておけ」

 

 頷き合った怪獣夫婦は、ともに、《クインビー》が毒針を研ぎ澄ます格納庫へと歩を進めた。

 

 

 

 

「お前の言葉は、キングに全て伝えてきた。マルゴという少女も返却した。もうこれで、本当にお前の頼みは全て叶えてやった」

 

 《シルヴァー・スター》の艦橋に戻ったラナートは、そこで自身を待つ、旧い友と顔を合わせた。

 

「ああ、ありがとう、銀星。恩に着る。今生で返せる恩ではないのだろうが……できれば、来世につけておいてくれ」

 

 ラナートはくすりと笑った。

 

「来世でもお前と腐れ縁か。それは遠慮したいところだな」

「ずいぶんつれないことを言うじゃないか」

「言いたくもなるさヤームル。もしもお前との縁が続くなら――生まれ変わっても、また俺は、血なまぐさい一生を送らなければいけないということだからな。次は、もう少しのんびりとした一生を送る、そう決めているんだ」

 

 ヤームルも、これから命を賭けた決闘をするとはちっとも見えないように、気安く微笑む。

 

「無理するなよ、そういうのが好きなくせによ」

 

 そして、一つ息を吐き出し、

 

「インユェと、メイフゥは?」

 

 ラナートは頷き、

 

「無事だ」

 

 ヤームルは、二人の父親である男の言葉に、小さな溜息で応えた。

 安心したかのように、天井を仰ぎ見る。

 その様子を身ながら、ラナートは、

 

「だが、そのせいでキングは《パラス・アテナ》を使えない。まさか、お前がそんなことを計算した訳ではないだろうが……」

「それはどうでもいいことだ。あの男が何に乗って戦おうと、それが宇宙船である以上、あの男はこの宇宙で最強だ。例え天と地がひっくり返ったとしても、その事実だけは変わらない」

「そして、お前はその男に挑もうというのだな」

 

 ヤームルは応えなかった。

 淡々と歩を進め、艦橋から出ていこうとする。

 そして、扉を開け、立ち止まり、ラナートに背を向けたまま、言った。

 

「銀星、これが、最期の頼みだ。もしも――もしも、お前が俺を許してくれるなら――俺の死骸は、ユエと同じ墓に入れてほしい」

 

 それが、旧い友の遺言であると、ラナートは理解した。

 だが、ラナートは答えなかった。旧い友が、それを望んでいるとは思えなかったからだ。

 然り、未練を断ち切ったかのような足取りで、ヤームルは、艦橋から姿を消す。

 しばらくして、ヤームルの乗機から、発艦可能の信号が送られる。

 ラナートは頷き、そして、ヤームルの乗機へのチャンネルを開く。

 

「骨は拾ってやる。精々華々しく散って来い」

 

 それこそ、ヤームルの待ち望んでいた言葉だった。

 そして、発艦のシグナルを送る。

 艦橋のスピーカーから、万感の想いと覚悟を込めた声が響く。

 それが、きっと、自分が聞く、旧い友の最期の言葉だ。

 

『乗員番号AA002ヤームル、機体コードFKA-001《ドーマウス》、出るぞ!』

 

 《シルヴァー・スター》のカタパルトから、大型の宇宙戦闘機が射出された。

 漆黒の機体。それは、ラナート海賊団のほとんどの人間にすら秘された機体だった。

 しかし、《パラス・アテナ》の面々は、その機体に見覚えがあるだろう。そして、見れば驚愕が彼らを襲うことになるに違いない――。

 ラナートは、人の悪い笑みを浮かべた。

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