懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第九十五話:夢の果て

「なぁ、あんた、もしかして銀星の親分さんのとこの、ヤームルじゃねぇかい?」

 

 年老いて嗄れた声が、若き日のヤームルの肩越しにかけられた。

 思わず振り返ってしまったのは、そのぞんざいな口調に懐かしいものを感じてしまったからだろう。

 

「そうだ、やっぱりそうだ。あんた、ヤームルだろう。猟犬の、ヤームルだ」

 

 混み合った、場末の酒場だった。

 紫煙と着古した服に染みこんだ汗の臭い、そして安酒特有のアルコール臭さが混じり合った空気漂う、とても上品とは言えないその店は、一杯の酒に癒しを求める、疲れ切った労働者で溢れかえっていた。

 時代後れのテレビが、調子の外れた音量で今日の共和宇宙の最新ニュースを垂れ流しているが、その内容に注意を払うものは一人もいない。仲間連れは大声でがなり笑い罵り合いながら日頃の憂さを晴らし、一人客は背を丸めてひたすら酔うためだけに酒を飲んでいる。

 メニュー表のようにお上品なものはない。酒を頼めば、味を二の次三の次に考えて造ったとしか思えない、ただただ酔っ払うための酒が出てくる。肴を頼めば、大量の塩で炒った豆が出てくるだけ。

 その店の短所を数え上げればきりがない。旧い、汚い、親父の愛想は絶望的。それに引き替え、長所は一つだけ。最底辺の労働者の雀の涙のような日銭でも、なんとか一杯の酒くらいは飲める。それほどに、その店は安かった。

 だからヤームルもここで飲んだ。というよりも、他の店で飲むことが出来ないから、この店で嫌々、工業用アルコールの親戚のような不味い酒を飲んでいるのだ。

 

「隣に座っていいかい」

 

 ヤームルは嫌とも応とも言わず、ただ、タバコの焦げ跡が目立つテーブルをぼんやりと眺めていた。

 猟犬ヤームル。

 すでに懐かしささえ覚えるような呼び名であった。

 もう、ラナート海賊団が解散してから、数年の歳月が経つ。最初にシスという名の気弱そうな航海士が船を下りて以来、一人、また一人と姿を消し、そして最後にラナート本人が姿を消した。それはつまり、ラナート海賊団がこの宇宙から消滅したということだ。

 未練たらしく一味に名を連ねていた連中もそれで踏ん切りがついたのだろう、皆、それぞれの道を探し歩み去っていった。その中に、ブルットという名の、豪毅で偏屈で泣き上戸の突撃隊長もいた。

 皆、自分の道を見つけた。あるいは、見つけるための努力を始めた。当然だ。団が無くなっても団員だった人間はいる。そして、団員で無くなった人間は、新たな自分の立ち位置を探すために歩き出さなければならない。それが生きるということだ。

 そして、ヤームルだけが取り残された。

 ラナートに不満があるわけではない。あいつは良くやってくれた。腕っ節しか誇るところのない自分のような破落戸を、よくもまぁ辛抱使い続けてくれたものだと思う。その上、宇宙に名だたる大海賊団の副頭目など、どう考えても分不相応な肩書きまで設えてくれた。

 別に、なりたくてなった役目ではないにせよ、しかし居心地は存外に悪くなかった。それはきっと、ラナートを頭目として集まった連中が、ヤームルと同じ夢を見ていたからだ。この男を、宇宙で最も偉大な海賊にするのだ、と。

 その夢路は、きっと途絶えたのだろう。いや、途絶えたのだ。ただ、ヤームルという男を一人残して。

 ヤームルは、まだ自分が夢の中にいる気がしていた。全宇宙を股に掛け、共和宇宙軍や警察連中を煙に巻き続け、あらゆる悪名とあらゆる名声の対象となったはずの『銀星』の異名が、既に記憶の中にだけ輝く光明となってしまったなど、悪夢以外の何物だというのか。

 もう、長いことヤームルは、他人と話すことを止めていた。当て処もなく辺境を流離い、辿り着いた名も知らない星で、その日暮らしの仕事で糊口を凌ぎつつ、ただ生きていた。女かそれとも薬物にでも逃避することが出来ればまだ救われたのだろうが、彼の根っこにある最後の誇りがそれを許さなかった。

 仕事は、きつければきついほどいい。無心になって体を動かしているうちは、全てを忘れることが出来る。何も考えないで済む。

 ――もう、何も思い出させないで欲しいんだ、俺は。

 

「……残念だが、人違いだな。俺は、生まれてこの方そんな名前で呼ばれたことはねぇよ、爺さん」

「おいおい、嘘を言いなさんな。じゃあ、あんたの名前は何てぇんだ?」

「生憎、生み親から名前をつけられたなんて恵まれた身の上じゃねぇ。だから、あんたが好きなように呼んだらいい。それが俺の名前だ」

 

 嘘では無い。もう、自分はあの星で生きていく資格を失った。親を親と呼ぶ権利も、死に目を看取る権利も、全て、全て。全てをかなぐり捨て、そして今、この手には何も残っていない。

 失い、戻ることもないならば、それは元から無かったのと同じ事ではないか。

 ヤームルは、薄汚れたテーブルを睨み付けながら、アルコールくさい酒を一気に煽った。

 

「頑固だねぇ。なら、あんたはヤームルさ。俺が名付け親でもいい。そういうことにしておきな」

「……あんたがそう呼びたいなら、俺は止めないよ」

「ああ、そういうことにしておきな」

 

 矮躯の老人は、歯の欠けた笑顔で心底愉快そうに笑った。

 あらためてヤームルは老人の顔を見た。海賊同士の繋がりに疎いヤームルだったが、老人の顔には見覚えがあった。名前こそ知らないが、確か名のある海賊団の頭目だった男のはずである。もう十年も前の話、宇宙に数ある海賊達の隠れ宿の一つで、グランド・セヴンの面々と楽しげに語り合っていたのを横目に見た覚えがある。何人もの荒くれ者を従え、颯爽とした足取りで自らの船に乗り込んでいった。

 だが、今の老人に、当時の威厳は微塵も残されていなかった。ごま塩のような白髪は腰がなく、糸くずのように頼りない有様で、本当に辛うじて老人の頭を覆い隠している。ところどころ破れ、擦り切れ、痛みきった作業服は、雑巾を継ぎ接ぎして作ったと説明されても納得できる程にぼろぼろだった。そして、長年の野外作業のせいで、真っ黒に焼けて硬くなった皮膚。

 どこからどう見ても、グランド・セヴンと肩を並べた大海賊の頭目には相応しくない有様だ。有り体にいえば、空き缶や空き瓶の回収でその日暮らしをする数多くのホームレス達と、全く同じ身なりであった。

 その老人が、縁の欠けたグラスになみなみと注がれた安酒を、ちびりちびりと、舐めるように飲んでいた。

 

「旨い。旨いなぁ。この一杯のために生きてるよ」

 

 老人は歓喜に喉を振るわせた。思う存分下げた目尻に少量の涙を湛え、堪えられないふうに笑顔を歪め、

 

「この酒場の裏に、どでかいゴミ山があったろう?あれが、今の俺の飯の種だよ。鉄くずの中から、少しでもましなジャンクを探してパーツ屋に売るんだ。お世辞にも稼ぎのいい仕事じゃねぇけど、昔取った杵柄ってやつさ。人よりは、そこらへんの目利きが効くからよ、店の親父にも重宝されてるんだぜ」

 

 黙りこくったヤームルが空のコップを掲げると、無愛想を絵に描いたような酒場のマスターが、飛沫を飛ばすことを気にも止めない様子で安酒をどぼどぼ注いだ。

 その様子を無感動に眺めながら、ヤームルはぽつりと呟いた。

 

「あんたが重宝されてる、ねぇ。……とてもそうは思えないね。あんたが重宝されてるなら、もう少しましな酒を飲める場所なんていくらでもあるんだ。どうしてそこに行かない?そこに行くだけの金をもらってないからだろう?つまり、今のあんたの価値なんて、その安酒程度だってことだろう?」

「知ってるさ、わざわざあんたに言われるまでもない。それでも、まぁ何とか食っていけるだけの金を恵んでもらえるんだ。悪し様に言っちゃ罰が当たるってもんじゃねぇか。それに、月に一度はこうやって酒も飲める」

 

 老人は再びグラスに口をもっていき、啜るようにして酒を飲んだ。

 

「……昔は、もっと良い酒を浴びるように飲めたなんじゃないのかい?」

「そうだったかねぇ。忘れちまったよ。ただ、良い酒には良い酒の、安酒には安酒の良さって奴がある。どちらかしか知らずにくたばるよりは、両方知ってくたばる奴の方が幸せってもんだ。違うかい?」

「……ものは言い様ってやつだな。いずれにせよ、あんたも俺も碌なもんじゃない。このままこの場所で、馬車馬よりも惨めに働かされて、働けなくなったらゴミのように捨てられる。どれだけ日々を頑張ろうが、それが早いか遅いかの違いだけだ」

「あんたの言ってることは事実だがね、お若いの。そいつは、どこの世界だって同じことさ。俺は別に、今の自分に絶望してるわけじゃない」

 

 自分に絶望していない。

 その言葉が、どうしてか、かえしのついた釣り針のように、ヤームルの心に突き刺さった。

 

「おい、爺さん、あんた――」

 

 その時、視界の端に映った砂嵐混じりのテレビ画像に、ヤームルがこの世で最も嫌悪する男の顔が映し出された。

 今の自分の稼ぎで果たして何十年分はするだろうかという高級なスーツに身を纏い、一分の隙もない笑顔に威厳を漂わせ、共和宇宙の経済界をカメラ越しに睥睨する、その男。

 クーア財閥の三代目、世紀のシンデレラボーイ、そして、かつては海賊王と呼ばれたその男。

 名を、ケリー・クーアと言った。

 その男が、テレビ画面に映し出されていた。

 テレビの内容などどうでもいい。クーア財閥の利益が過去最高を更新したとか、ショウドライブの新型が発表されただとか、毒にも薬にもならないような内容を垂れ流している。

 少なくとも、ヤームルにとって、酒を不味くするだけの情報だった。

 

「なあ、親父、テレビのチャンネルを変えてくれないか」

 

 不機嫌そうなヤームルの声に、しかし忙しそうな酒場のマスターは答えない。ただ、淡々と他の客のグラスに安酒を注いでいる。

 ヤームルは舌打ちをした。せっかく日々の憂さを晴らすためにこんな場所に来ているのに、どうして世界で一番気に食わない男の、気に食わない様子を見せつけられなければならないのか。

 もう一度、大きな声でマスターに声をかけようとしたとき、老人が嬉しそうに笑った。

 

「いやぁ、あの小僧も有名になったもんだねぇ。嬉しいことじゃないか」

 

 ヤームルは耳を疑った。

 

「嬉しいだと?この男が有名になり、栄華を極めることがか?」

 

 老人は頷く。

 

「日の当たらない稼業で糊口を凌いできた俺達の代表がさ、表の世界で大活躍だ。これが嬉しかないはずがあるかい。痛快だよ。こいつが頑張ってくれてるから、俺も頑張れるってなもんさ」

「……どうしてそんなことが言える。この男が開発を推し進めたショウドライブのせいで、海賊達がどんな目に遭ったのか、知らないわけでもないだろう」

 

 ヤームルの言葉に老人は苦笑する。

 

「まぁ、あんたの言うことも分かるがね。しかし、ショウドライブは、こいつが何とかしなくったって、いつかは日の目を見てた代物だよ。こいつは、それを早めただけのことだ」

「なるほど、やはりこの男が、海賊の命数を縮めたわけだな」

 

 老人は首を横に振る。

 

「違う。いや、仮に違わなかったとして……もう、俺達のような海賊の生きる場所は、宇宙には無くなってたのさ」

 

 老人は、コップ酒を啜るように飲み、堪えられないというふうに眉を寄せた。

 

「ああ、旨い……。いいもんだねぇ。お日様の当たるところで稼いだ金で飲む酒ってのはさ」

 

 ヤームルも、静かに酒を口に含む。

 

「俺達の流儀、困窮するところからは奪わず、殺さず傷つけず、そして女子供を犯さない。それは、立派なお題目だ。間違えてたとは言わないよ。でも、結局は自己欺瞞だ。どんなに綺麗なお勤めでも、奪われるほうからしたらたまったもんじゃない。ただの犯罪者の集まりだわな」

「だが、その犯罪者の集まりが、本当の意味での鬼畜連中を抑え込んでいたことは事実だ」

「なるほど、俺達みたいな海賊の存在は、いわゆる必要悪だったってことかい?」

 

 ヤームルは頷く。

 老人は、ヤームルを、まるで血気盛んな若者を見るように、優しく眺め、

 

「その言葉はね、例えば薄汚い政治家連中が自分の悪行を正当化するか、それとも俺達みたいな犯罪者が自分の行為を見て見ぬふりをするときにだけ役立つ言葉だよ。少なくとも、その必要悪に迷惑かけられた被害者からすれば、必要な悪も必要じゃない悪も、つまるところ同じ悪さ。今なら、それが分かる」

 

 老人の、穏やかで、しかし容赦ない言葉に、ヤームルは反駁できなかった。

 

「本当に鬼畜連中を抑え込みたければ、警察か軍にでも入ればいいんだ。でも、俺達はそれをしなかった。結局は五十歩百歩で、犯罪者であることに変わりはない」

 

 もう一度、老人は酒を啜った。

 

「だが、この小僧は違うだろう」

 

 老人は、テレビに映った男を見遣る。

 そこには、深い微笑みを湛えながら聴衆に向けて片手を上げる、ケリー・クーアという男がいる。

 

「こいつが海賊なんて言われて警察連中に追い回されていたのは、不法にゲートを所有していて、そしてトリジウム鉱山なんていう爆弾を秘匿していたからだ。俺達みたいに、誰かを泣かせて金銀財宝を巻き上げたからじゃない。この小僧は、誰の涙も流さなかった。それでいて、俺達みたいな連中から祭り上げらて、いつからか海賊王なんて呼ばれ方をするようになっちまった」

「……」

「さぞいい迷惑だったろうさ、この小僧からしたらね」

 

 老人は、炒った豆を、歯の欠けた口に放り込み、こりこりと噛み砕いた。

 そして、また酒を啜った。

 

「この小僧は飛べばいいんだ。誰も手の届かないところを、誰も及びもつかない速度で。それが、この男が海賊王と呼ばれた所以なんだからね。その時に、俺達みたいな、薄汚れて地を這いずり回る連中のことなんて考えちゃいけねぇ。俺達が海賊稼業を続けられなくなっても、こんな場所にしか生き場所がなくなったとしても、そんなことを考える必要なんてないのさ。この小僧は飛び続けなくちゃいけねぇんだ。それが、裏の世界でも、表の世界であったとしてもね」

「……なるほど、爺さん、あんたの言う通りかもしれないね」

「俺達がこの男を罵ることがあるとすれば、この男が飛ぶことを辞めたときだよ。その時は、この男は全ての海賊達の恨みを背負うことになるだろう。海賊達の恨みが、この男の心臓に銃弾を撃ち込むだろう。それでも――この男は、きっと飛び続けるんだろうさ」

 

 老人はさも愉快そうに笑い、コップに残っていた僅かな酒を口に運んだ。

 たったの一滴の酒も残すまいとするように、コップを垂直に持ち上げ、しばらくそのままの姿勢でいてから、老人はコップをテーブルに戻した。

 

「ああ、旨かったなぁ。これで、あと一か月は生きられるよ」

 

 老人は立ち上がり、垢じみたズボンのポケットから数枚の硬貨を取り出し、テーブルの上に置いた。

 

「なぁ、ヤームルさん。あんたのところの親分さんは、今、何をしてるんだい?」

「……さぁな。今は連絡も取っちゃいない。だいたい、今の俺達とどっこいどっこいの有様だろうさ」

「そうかい。なら、幸せなことじゃないか。毎日、労働に汗水流して、たまに安酒を喰らう。それが人生の幸せってもんだよ」

 

 かっかと笑った老人は、ひょこひょことした足取りで、酒場を出ていった。

 ヤームルは、しばらく、酒を飲むこともなく、じっとテーブルに座っていた。

 じっと、己の奥を覗き込むように、テーブルに座り続けた。

 

「――なぁ、あんた。もう店じまいだよ。そろそろ出てってくれると有難いんだがね」

 

 不機嫌そうな店の親父の声で、はっと我に返ったときには、すでに日も変わろうという時間だった。

 いったい、自分は何を考えていたのか分からない。先ほどの老人との会話が、ずっとぐるぐる脳内を回っていた気がする。

 果たして、自分はあの男を――ケリー・クーアという男を恨んでいるのか。

 分からない。

 自分の感情を判別できないのが、どうにも気に入らなかった。

 店の親父が、なおも退去願いを繰り返そうと口を開きかけたとき、ヤームルは、先ほどの老人と同じように、数枚の硬貨をテーブルに置き、席を立った。

 酒はまだ残っているが、それを飲む気にはならなかった。

 

「毎度」

 

 愛想の籠らない声を背中に、ヤームルは店を出る。

 外は、寒風吹きすさぶ冬の裏町だった。

 月は無い。真っ黒く染まった夜空を、分厚い雲が覆っており、風には時折みぞれが混じる。

 薄手のジャンパーの襟を立て、首を竦めるように歩く。

 また明日も、きつい労働が待っている。それは、心安らがない未来予想図だ。それでも、あの老人は、それこそが幸せだと言った。まるで、自分が海賊団の頭目だった時よりも、今のほうが幸せだというかのように。

 果たして、そうなのか。自分も、今のほうが幸せなのか。宇宙を股に掛けて暴れまわり、宇宙の男たちの畏怖と尊敬を一身に集めていた時よりも、今のほうが幸せなのか。

 分からない。

 ぽつりぽつりと歩きながら、今まで自分が殺してきた人間の顔を思い返す。ほとんどは名前も知らない悪党ばかりだ。殺しても、誰も悲しまない、むしろ喜ぶ人間のほうが多いだろう、卑劣漢ばかりだった。

 それでも、殺した人間の顔だ。

 そして、あの少女の顔も思い出す。

 惑星ヴェロニカで出会った、初恋の少女。病に冒され、もだえ苦しみ、最期は怪物のような異形となって死んだ、少女。

 そうだ、あの星は、今、どうなっているのか。まだ、あの星のトリジウム鉱山が公になったという話は聞かない。あれほど異常な鉱山である、もしもその事実がつまびらかになれば、今の自分のような人間にも、風の噂程度には伝わるだろう。

 ならば、まだ、あの星はトリジウムの密貿易に手を染め続けているのか。そして、あの少女と同じように、異形に変じて死んでいく人間がいるということだろうか。

 ヤームルは、無性に泣きたくなった。

 自分は何をしているのだろうか。

 子供だった自分が、あの時、ヴェロニカ教の僧侶――ビアンキと言っただろうか――に叩きつけた偉そうな言葉が、今は自分を殴りつけているような気がした。

 そんな時、ヤームルは、道端に何かを見つけた。

 それほど大きなものではない。しかし、見過ごすほどに小さくもない、黒い塊。

 無言でそれに近づく。どうやら、倒れた人間のようだ。

 ヤームルは、何故だか、予感がしていた。それを見つけたときに、何故だか、そんな気がしていた。

 それは、先ほどの酒場で声をかけてきた、老人だった。老人が、この寒空には相応しくない、ぺらぺらでぼろぼろの外套に身をくるみ、そして倒れていた。

 

「爺さん」

 

 声をかけるが反応はない。駆け寄り、そして身をかがめて老人の脈を取る。

 すでに外気温と同じ程度に冷たくなった手首からは、一切の拍動を感じることができなかった。

 老人は、死んでいた。ただ、その死に顔は穏やかで、きっと苦しみなく死ねたのだろうと、ヤームルは思った。一杯の安酒が末期の水だったのだとしても――この男は、満足だったのだろうか。

 

 ――これが、この時代の、海賊の死に様なのだな。

 

 これが正しい死に様なのか。果たしてそうなのか。これが、俺達が受けるべき報いなのだろうか。

 老人の死体を抱え上げ、道路の脇に下ろす。朝には誰かが見つけ、そして然るべき筋に連絡するだろう。そしてこの老人は、身元不明の死体として、共同墓地にでも埋葬されるのだろう。

 きっと、数多の元海賊と同じように。

 しばし黙とうを捧げたヤームルは、表情を消し、再び、吹き付ける寒風に向かって歩き始める。

 その瞳には、決意があった。死に様は、死にゆく者が選ぶものだとしても――せめて、その選択肢を増やすくらいのことはしてやるべきではないか。

 もしも自分に、それだけの覚悟と手段が残されているのならば。

 脳裏に、あの少女の死に顔が蘇る。少女が、自分を罵る声が聞こえる。

 それでも為すべきことが、為せることがあるのならば――自分は悪魔にでも尻尾を振ろう。

 ヤームルは、かつての友の連絡先を思い出し、そして、うらびれた電話ボックスに入った。

 もしもこれから自分の為そうとすることが――友に為させようとすることが、彼から安息と幸福を奪うことなのだとしても――それは、きっとあの時代に生きた海賊としてのけじめの取り方だ。

 ヤームルは、受話器に小銭をねじ込み、友の連絡先を――友の連れ合いとなった己の娘の連絡先を押す。

 しばらく呼び出し音がして、受話器の向こうから、年若い女性の声が聞こえてくる。

 もう、何年も耳にしていなかった、我が子の声。

 

「もしもし……どなたでしょうか?」

 

 きっと、携帯端末に表示された見慣れない電話番号に警戒しているのだろう、訝しむような声は、しかしヤームルの記憶の中の最も懐かしいところを刺激した。

 自分が切り捨てた、一番大事で、一番強かったはずの絆。

 

「俺だ……ユエか?」

「お父さん!?」

「急で悪いが……銀星につないで欲しい」

 

 しばらくの逡巡があって、受話器の向こうで相手が変わった気配がした。

 勘の良い娘のことだ。きっと、縁の切れた父親からの電話が、不吉を告げることであることを察したのだろう。

 そうだ。これは、不吉の電話だ。もう宇宙からは離れ、地に足をつけた男を、再び宇宙へ連れ戻そうというのだから。愛すべき夫を、愛すべき父親を、再び海賊へと戻そうというのだから。

 きっと、ユエは俺を恨むだろう。この一事をもって、自分は、ユエの親である資格も、メイフゥとインユェの祖父である資格も失った。

 それでも、為すべきことがあるならば――後悔はない。

 

「俺だ、ヤームル」

 

 懐かしい声がする。自分が、人生において最も烈火とした時間を共にした、友の声だ。

 

「久しいな、ラナート」

「今、どこにいる?」

「そんなことはどうでもいい。お前に頼みがあるんだ」

 

 電話の向こうから、旧友の、僅かに緊張した気配を感じる。

 これから、この男を口説き落とさなければならない。そして、再び、ラナート海賊団の旗を宇宙に掲げるのだ。もっともその時には、団の生業は海賊行為などではなく、トリジウムの密輸というこすっからいものに成り果てているのだろうが。

 だが、ヤームルの決意に揺らぎはない。

 あの時代を生きた海賊達に、生き場所を与えることができなくても――せめて、死に場所を選ばせることくらいはできるように。

 この男を、海賊を統べる存在へと押し上げるのだ。この男こそ海賊王に相応しいと、万人に言わしめるのだ。

 例え娘に恨まれても。例え孫に恨まれても。例え、ラナート自身に恨まれても。

 そのためだけに生きることを、ヤームルは誓った。

 

 

 二隻の母艦から、二機の戦闘機が同時に発進した。

 母艦の一隻は、《パラス・アテナ》。もう一隻は、《シルヴァー・スター》。飛び立ったのは、深紅色の戦闘機と、漆黒色の戦闘機である。

 ケリーは、久しぶりに味わう三半規管の失調を楽しみながら、普段より小さめの揺りかご――それとも棺桶と呼ぶべきか――に自身の身体を委ねた。

 

 ――無重力ってのも、考えてみれば久方ぶりだ。さて、いつ以来だったか。

 

 人類が単一惑星のゆりかごから這い出て以来、宇宙空間と無重力は切り離すことのできない存在であったが、重力制御システムの開発により、宇宙旅行者は惑星の地表を遠く離れても、己の足裏に心地よい重みを感じることができるようになった。

 宇宙開発のターニングポイントの一つとなったこの発明は瞬く間に全宇宙の船乗りへ受け入れられ、今となっては、この装置を積んでいない船など、およそ人を運ぶための宇宙船には存在しない。

 極々少数の例外が、人を運ぶことよりも優先すべき機能を備えた船であり、その代表例が戦闘用の宇宙船、特に単座式の宇宙戦闘機である。彼らに期待された役割は、安全快適に搭乗者を目的地に運ぶことではなく、一発でも多くの銃弾やミサイルを抱えて飛び、できる限り多くの敵を宇宙の藻屑と変えることなのだ。その対価として、搭乗者が無重力に耐えなければならないくらい、安いものだと考えられているのだろう。

 ケリーが操る《クインビー》にも、当然のことではあるが、重力制御システムは搭載されていない。そんなものを積むくらいに常識的な設計が為されているならば、間違えても20センチ砲などという化け物を装備させようとはしないだろう。

 とにかく、《クインビー》は何とか母艦から発進し、宇宙船同士の一騎打ちという馬鹿げた趣向の舞台である、戦闘宙域へと船首を向けた。

 そこは、大海賊シェンブラックの隠れ家に相応しい、荒れた宙域だった。合計4つの太陽が瞬き、重力異常を至る所に生み出す。大小の岩石惑星が帯状に流れを作り、侵入者を拒む。加えて、狭い宙域には通常考えられないほど多数のゲートが存在し、ゲートから発生する電波や磁場に異常な乱れが起きている。

 普通の宇宙船の感応頭脳であれば、「航海に適さず。別のルートを選ぶべし」と一言に断ずるであろう、そこは宙域だった。

 その宙域に、《クインビー》は猛スピードで突っ込んでいった。それは、半ばは操縦者であるケリーの意思であり、半ばは《クインビー》の激烈とも呼ぶべき推進力を持て余した結果でもあった。

 

「くそ、言うことを聞け、このおてんばが!」

 

 先ほど感じた、無重力感への郷愁などどこへやら、一時間にも満たなかったジャスミンの講習を思い出し、必死の思いで《クインビー》の制御を試みるケリーである。しかしこの戦闘機は、ある意味では《パラス・アテナ》以上の荒馬であり、突如背に跨った不躾な騎手を振り落とそうとしているかのように、強烈に嘶き、暴れ狂うのだ。

 このままでは、果たして敵の攻撃で撃沈するのが早いか、それとも小惑星に突っ込んで大破するのが早いか、そんな有様だったが、しかしケリーは、戦闘機に関しても並外れた操縦手であった。

 発進して僅か数十秒の間に、《クインビー》のくせを理解し、その操縦を機体に同調させ始めた。それは、ジャスミンなどから言わせれば、

 

「この女たらしめ!」

 

 と表現するに十分な様子であった。

 少しずつ、自分の意思が《クインビー》と一体化していくのを、ケリーは感じていた。自身の感覚が少しずつ広がり、そして《クインビー》の外周と一致していく。自分の外側と《クインビー》の外殻を同じものと認識したとき、ケリーは、完全に《クインビー》を乗りこなしていた。

 

「ふぅ、なんとか間に合ったか……しかし、女王め、普段からこんなじゃじゃ馬を、あんなに涼しい顔で乗りこなしてやがるとは、やはり常識外れだ……」

 

 ヘルメットの内側、自らの鼻の横を伝い落ちる冷や汗を舐めとり、ケリーは毒づいた。

 もっとも、ジャスミンに言わせれば、僅か一時間ばかりのレクチャーと数十秒の実戦で《クインビー》を乗りこなしてしまうなど、それこそ常識外れ以外の何物でもないのだが。

 とにかく、なんとか戦闘態勢を整えたケリーは、やや遅まきながら敵影を探す。

 それほど時間はかからなかった。この、致死の障害物と異常磁場の混在した危険宙域を、一直線に向かってくる、漆黒の機影を見つけたのだ。

 無論、目視など不可能な距離であるが、《クインビー》のセンサーは、敵影を拡大し、スクリーンに投射する。

 その姿を見て、ケリーは呟いた

 

「まじかよ銀星……こいつはひでえ冗談だ!」

 

 そして、《パラス・アテナ》のデッキで、《シルヴァー・スター》から出撃したその戦闘機を見たジャスミンも、驚愕の叫びを上げた。

 

「馬鹿な、あれは《クインビー》そのものじゃないか!」

 

 他ならぬジャスミンがそう口にするほど、その漆黒の機影は、《クインビー》そのものだったのだ。

 戦闘機としては大型の、全長40メートルの機体。船首に設えられた、巨大な20センチ砲の砲門。後部の二つのタンクに見える膨らみは、《クインビー》と同じ設計ならば、重力波エンジンとショウドライブが格納されているはずだ。

 あまりの驚きで二の句が継げないジャスミンに応えたのは、巨大なスクリーンに突如映し出された、褐色の肌に銀色の長髪をした男性だった。

 

『あなたのいうとおりだ、ミズ。あれは、あなたの乗る戦闘機の模造品だよ』

「キャプテン・ラナート」

 

 ラナートは、悪戯を成功させた子供のように微笑みながら、

 

『くだんの『撮影会』の時、あなたの駆る《クインビー》に、ヤームルがひどく興味を持ってね、悪いとは思ったが、勝手にコピー機を造らせてもらった……』

「……まさか、一度《クインビー》の戦闘を見ただけで、コピーを造ったというのか?そんなこと、不可能だ」

 

 ラナートは頷く。

 

『確かに、あの戦いを分析するだけで簡単にコピーができるほど、クーアカンパニーの技術は甘いものではないだろう』

「ならば……」

『だが、あなたの携帯端末に収められた《クインビー》の飛行記録を分析すれば、話は別だ』

 

 いったいどういうことかと、ジャスミンは無言で先を促す。

 

『いつか、あなたを《シルヴァー・スター》に招いた時、携帯端末を肌身離さず持ち歩いていたか?』

 

 悪気なく微笑むラナートを、ジャスミンは睨みつけた。

 

「……なるほど、そういうことなら話は別だな」

『海賊の船に乗り込んだんだ。お宝の一つや二つ、盗まれるのが普通というものじゃないかね?』

 

 ラナートの言葉に、ジャスミンは黙り込む。

 

『無論、それでも簡単に《クインビー》を再現できる訳がない。当時のクーアカンパニーの最高技術の結晶である機体だ。一介の海賊風情に理解できる機体ではなかった』

「当然だ」

『しかし、その設計思想だけならば十分に理解できる。そして、パイロットに何を要求するのかも。ヤームルは、それを正確に理解し、共感し、熱望した。そして造り上げたのさ。《クインビー》と同じ運用方法の機体、空飛ぶ棺桶の二号機をね。それがあの機体――《ドーマウス》だ』 

 

 閃光は《クインビー》と《ドーマウス》、二機の戦闘機から同時に放たれた。

 各々の主砲である20センチ砲は、例えば分厚い装甲を有する大型戦艦ですら一撃で葬ることが可能なだけの威力を有している。いわんや、戦闘機サイズの機体で、しかも防御機構を著しく排除した両機体など、掠るだけでも撃墜するほどの威力だ。

 漆黒の宇宙空間を稲妻のように切り裂いた二つの光点は、擦過するように交わり、そして互いの機体の傍を通り抜けた。

 二機の姉弟機の操縦士は、鏡合わせのように映し出された彼我の姿を無感動に眺めた。想定被弾位置に対エネルギー防御膜を万全の状態で展開させても、20センチ砲の前には砂糖菓子よりも脆く崩れ去るのを理解している。

 だから、これは挨拶のようなものだ。互いの技量と、そして殺意を確認するための。

 

「ちっ、めんどくせぇじいさんだ!」

 

 操縦桿を握り締めたケリーは、片頬を歪めながら毒づいた。おそらくは相手さんも同じような有様だろうと想像しながら。

 そして二機は、当然のように三次元のドッグファイトへと突入した。飛行機が戦場に姿を現して以来、その戦場が空であった時代も、そして宇宙である時代も、最も有利な位置は相手の後方であり、その場所取り合戦こそが戦闘機の戦いの本質といってもよかった。

 二機の航跡は、まるで絡み合う大蛇のように、くねり、捩じれ、嚙み合った。宙域を満たす大小の岩石惑星をかわし、異常磁場を避けつつ、それでも倒すべき敵を見定め、ひとときも相手を視界から外さなかった。

 この時点で、ケリーはヤームルという男の技量について、少々甘く見ていたことを認めざるを得なかった。あのラナートをして、最強と言わしめるほどの男だ。無論、並みのパイロットではないだろうと予想していたが、これはその3枚ほど上を行く。一流の上に超をつけて、それでもまだ足りないほどの腕前だ。

 そして、《クインビー》を模したとしか思えない、あの漆黒の機体。性能上限はまだまだ見えないが、伊達や酔狂で《クインビー》の真似をしたとは思えない。少なくとも、20センチ砲の威力は《クインビー》と同等のものであったのだ。

 そんなケリーの内心は置いて、戦況は目まぐるしく流転し続けた。まず、設定した戦場が戦場である。普通の船乗りならば、そこの足を立ち入れるだけで命がけの場所で、二機は戦っているのだ。例えるならば、目隠しをした状態で地雷原に立ち、そこで殺陣を演じているようなものである。次の瞬間、どちらの船が吹っ飛んでも不思議はない。

 しかし、二機のドッグファイトは、時間の経過とともに天秤が片側に傾き始めた。ケリーの駆る《クインビー》の猛追に、《ドーマウス》が追い回され始めたのである。

 当然だ、と、ジャスミンは思った。無論、パイロットの腕前もある。だが、それ以上に機体の性能差が有意に開き始めているのだと感じていた。

 《クインビー》は、ジャスミンが冷凍睡眠から目覚めた瞬間こそ、40年前の型遅れの戦闘機に過ぎなかったが、その後、ダイアナの手助けもあり、猛烈な勢いでバージョンアップが為されている。無論、根本にある設計思想に変わりはないが、クーアシステムも最新のものに換装されているし、各種パーツの精度や耐久性は、既に現在の最新鋭を超える水準を誇っているのだ。

 転じて、《ドーマウス》は、いくらラナート海賊団の技術の粋を集めて造った機体であったとしても、語弊を恐れずに言うならば、所詮は海賊お手製の模造品に過ぎない。パーツをより集めて《クインビー》そっくりにしてはいるが、その性能は比べるべくもないだろう。まして、ラナート海賊団が現役で活動していたのは、もう10年以上も前なのだ。

 加速性、旋回性、攻撃性能、防御性能。それらをひっくるめて、総合的な機体の性能で、《クインビー》は《ドーマウス》を寄せつけていない。ケリーが《クインビー》を操縦するのが初めてだということを差し引いても、総合力で圧倒的に勝っている。

 そして今、正しく、《クインビー》は《ドーマウス》の後方を位置どった。

 《ドーマウス》が《クインビー》のコピーならば、おそらく後方への狙撃も可能なはずだ。しかしそれはケリーも十分承知のことであり、決して油断はしない。油断がないならば、20センチ砲の砲門を突きつけられた《ドーマウス》の運命こそ、風前の灯火というべきであった。

 

「キャプテン、そろそろ勝負はついたようだぞ。ヤームルという男を死なせることもあるまい。どうだろう、ここいらでこのファルスに幕を下ろしては」

 

 ジャスミンの言葉が勝者の優越感とともに吐き出されたのであれば、ラナートは嫌悪をもって応えただろう。

 だが、ジャスミンは、優れた宇宙船乗りをこよなく愛する癖がある。その点、ヤームルの腕前は、例えケリーに及ばずとも、素晴らしいものであると認めざるを得ない。ならば、このようなところで無為に死なせるのが惜しい。例え、それがケリーと生死を賭けて戦う敵だったとしても。

 ジャスミンには、そういう甘さがある。だからこそ、先ほどの台詞なのだ。

 そして、ラナートは、ジャスミンの内心を理解している。この女傑が、そういう人間なのだと理解している。

 それでもなお、ラナートは首を横に振った。

 

『そろそろさ、ミズ。君たち夫妻が、本当の意味でヤームルという男の真価を知るのは』

 

 ジャスミンは、ラナートの言葉をただの負け惜しみだとは思わなかった。そんな意味のないことを言う人間ではない、その確信があった。

 ジャスミンは再び、視線を二機の戦いへと戻す。戦いは、逃げる《ドーマウス》と追う《クインビー》の状況が続いており、《ドーマウス》の操縦は十分に華麗と呼べるものだったが、更に上を行く《クインビー》をどうしても振り切ることができないでいる。

 そして、二機は直線上に並び、その間に、如何なる障害物も存在しない、《クインビー》にとっては絶好の、《ドーマウス》にとっては絶体絶命のタイミングが訪れた。

 

 ――今だ。

 

 心の中でジャスミンは呟いた。自分が《クインビー》に乗っていたならば、今、間違いなく20センチ砲のトリガーを引く。相手が誰だとか、その生死がどうだとかではない。例えそれらがどうあっても、《クインビー》の操縦士である以上、絶対に見逃してはいけないタイミングだったのだ。

 そして、ジャスミンの心中の呟きと同じタイミングで、《クインビー》の砲身から、20センチ砲の砲撃が放たれた。

 勝負ありだ、ジャスミンは思った。あの一撃が、ヤームルという男の命までをも奪うかは、運命の神の御手に委ねられることだろう。しかし、ヤームルの命が助かっても、《ドーマウス》は決して無事では済まない。航行不能の一撃を与えられる。

 そういうタイミングだった。

 しかし、そうはならなかった。

 《クインビー》の砲撃は空しく宙を裂くだけに終わり、そして《ドーマウス》は――いつの間にか、《クインビー》の後方に位置どっていたのだ。まるで、さきほどの二機を逆にしたように。

 果たして何が起きたのか。

 ジャスミンは何が起きたかを理解した。しかし、どうしてそれが可能なのかを理解できなかった。

 言葉にするならば単純だ。《ドーマウス》は急停止したのだ。そして《クインビー》をやり過ごし、そして急発進し、その背後についた。

 それだけだ。

 異常だったのは、《ドーマウス》の挙動が、あまりに常軌を逸していたのである。亜光速の超スピードから、絶対速度でほぼゼロ速度まで超減速し、その直後に、再び亜光速まで超加速してみせたのである。

 

 ――死んだ!

 

 ジャスミンは、恐怖にも似た感情と共にそう確信した。

 ケリーがではない。

 ヤームルが、だ。

 あの急減速は、戦闘機に搭載可能な慣性制御装置の限界を明らかに超えている。それも、例えば急激なGによって意識を失うとか、そんな生易しい結末ではありえない。操縦席に座った人間の運命は、相殺しきれなかった慣性に押しつぶされ、あたかもミキサーにかけられたトマトのように成り果てるだけである。

 しかし――《ドーマウス》は再度急加速し、《クインビー》の後方に――戦闘機同士の戦いで最も優位な位置に陣取った。

 つまり、《ドーマウス》とそのパイロットはいまだ健在ということだ。

 

「馬鹿な!何故、あれで生きている!?」

 

 激昂したジャスミンは、テーブルを思い切り殴りつけた。

 あり得ない。絶対にあり得る話ではない。

 あり得るとすれば、可能性があるとするなら――!

 

「ダイアナ!あの戦闘機の感応頭脳をアレンジしろ!これは既に決闘ではない!ヤームルという男は、戦士の誇りに泥を塗った!」

 

 《ドーマウス》という戦闘機は無人であり、完全な自立型感応頭脳により操作が為されているか、それとも。

 

「もしくは、外部操作型だ!それなら、電波をジャミングするんだ!」

 

 ジャスミンは、瞳を激怒の金色に染めながら叫んだ。

 宇宙戦闘機に搭載された最も脆弱なパーツは、いうまでもなく、人体そのものである。それを排すならば、宇宙戦闘機は、現行の限界よりも遥かに運動性を高めることができる。例えば、たった今ジャスミンが想定した、完全自立型感応頭脳による自動操縦や、電波による外部操作による宇宙戦闘機が存在する。

 しかしそれらにも欠点がある。自立型感応頭脳は、戦闘機に搭載可能なサイズのそれでは、より大きな、例えば戦艦クラスの感応頭脳には歯が立たず、行動を先読みされて撃墜されてしまうのだ。また、電波操作型はジャミングに甚だ弱いという弱点がある。

 結果として、多少の運動性を犠牲にしても、有人戦闘機の優位は動かないというのが、現状の兵器運用となっている。

 しかしそれは、あくまで宇宙戦闘機を戦場で運用する場合に限定される。例えば今、この場所で行われているように、一騎打ちを念頭に置くならば、自立型感応頭脳や電波による外部操作の機体の方が、単純な運動性能でアドバンテージがある分、有利となる。

 そして、ヤームルという男は、禁断の選択肢に手を染めたのだ。

 それは、正しく許されざるべき行いだった。一騎打ちを申しこんでおきながら、自分は戦闘機に搭乗せず、外部から、安全に戦闘を行っていたとするならば。

 ジャスミンは、如何なる手段を用いてでも、その報いを支払わせるつもりだった。万死に値する行為だと確信した。

 だが。

 

「――無理よ、ジャスミン!アレンジもジャミングも効かない!」

 

 ダイアナの悲痛な叫びである。

 ジャスミンは驚き、

 

「どういうことだ!?お前にもアレンジできない、特殊なタイプの感応頭脳をということか!?」

「違うわ!あなたの《クインビー》がアレンジできないのと同じ理由よ!つまり、あの戦闘機、電算飛行してる!」

「――!」

「あれは、自立型感応頭脳による操作でも、電波による外部操作が行われているのでもない!《ドーマウス》は完全な有人飛行戦闘機よ!」

 

 ジャスミンは茫然自失の態で言葉を失った。

 電算飛行をしている戦闘機。自分の愛機である、《クインビー》と同じように。

 それ自体は、十分にあり得る話だ。何せ、《ドーマウス》は《クインビー》の設計思想をもとに作成されている。それに、自分と《クインビー》がこの宇宙で唯一の存在であると己惚れるほど、ジャスミンは愚かではない。

 しかし、有人飛行の戦闘機が、どうして明らかに慣性制御の限界値を超える飛行ができるのか。それは、操船技術の優劣とか、そういう問題ではない。人間という種の身体構造が抱える、最も根源的な問題だ。個々の人間の才能や努力では決して埋めることのできない、物理的な問題だ。

 ジャスミンは脳内でシミュレーションする。

 自分が《クインビー》で、先ほどと同じ動きを試みたとする。亜光速にも近い速度から、絶対速度でほぼ静止状態まで速度を落とし、そして即座に亜光速まで機体を加速させるのだ。

 その結果、機体はどうなるか。自分はどうなるか。

 

「……無理だ。どう考えても、絶対に死ぬ。それ以外の結果はあり得ない」

 

 戦慄とともにジャスミンは呟いた。

 科学技術は日進月歩している。特に、宇宙開発分野において、それは著しい。慣性制御についても、何度もの革新的なブレイクスルーにより、その性能は一昔前から比べると飛躍的に向上している。

 しかし、それにも限界がある。先ほどの《ドーマウス》の動きは、明らかにその限界を超えていた。

 加えて言うならば、《クインビー》に搭載している慣性制御装置は、当然のように最新鋭のそれである。クーアカンパニーの持ちうる最高技術と、ジャスミン個人の潤沢な資金により開発された、市場に出回る慣性制御装置の一段も二段も上回る性能の装置を搭載しているのだ。

 それをもってしても、先ほどの動きは不可能だ。機体がそれに耐えられたとしても、中の人間は絶対に耐えられない。

 だからこそ、ジャスミンは、《ドーマウス》が無人型戦闘機だと判断したのだ。

 だが、ダイアナはそれを否定する。あれは、有人型戦闘機であると断言した。

 

「……あの男ふうにいうならば……酷い冗談だ。こんなことがあっていいはずがない……!」

『だから忠告しただろう。ヤームルは最強の戦士だと』

 

 ジャスミンは、モニターに映し出された男を睨みつける。

 そこには、驚きなど一切なく、ただ淡々と事実だけを口にするラナートがいた。

 

『あれがヤームルだ。掛け値なしのヤームルだ。無論のこと、不正や誤魔化し等ない、ありのままのヤームルという人間の実力だ』

 

 なるほど、《パラス・アテナ》に乗ったケリーと互角以上の戦いができると断言できるわけである。《ドーマウス》の、あの馬鹿げた運動性能ならば、頷かざるを得ない。

 ジャスミンはラナートの言葉には応えず、スクリーンに目を戻す。

 そこでは、《クインビー》が《ドーマウス》に追い回されるという、先ほどとは別の構図が繰り広げられている。

 

 ――海賊は、先ほど何が起きたのか、理解できたのか。

 

 遠くから、全体を俯瞰していたジャスミンですら、一瞬、何が起きたのか理解できなかったのだ。そして、理解した後ですら、その事態を正確に飲み込むまでに時間を要した。 

 ならば、今正しく、ヤームルと戦っているケリーが、それを理解できたとは思えない。おそらく、目の前で突然敵影をロストし、気が付けば尻に食いつかれているという、悪夢のような状況に違いない。

 その点、ケリーは取りうる最善の方策を取った。事態が理解できないならば、まずは己の優位を――《クインビー》の機体性能の優位性を最大限生かそうと試みたのだ。背後から迫る《ドーマウス》を振り切るように、《クインビー》を急加速させ、彼我の距離を引き離そうとした。

 それをさせじと、《ドーマウス》から20センチ砲が吐き出される。極彩色の光線が《クインビー》に襲い掛かる。並みの戦闘機であれば初撃で沈んでいたであろうそれを、ケリーは、ほとんど第六感でもって躱し、大きく旋回した。

 そして、今度は正面から《ドーマウス》と相対し、《クインビー》に搭載された20センチ砲を撃ち込んだ。

 その時、やはりというべきか、《ドーマウス》は異常な行動を取った。

 なんと、《ドーマウス》は、戦闘機を直角の軌道に曲げ、20センチ砲を回避したのである。

 これも、ありうべからざる動作であった。通常、空中であろうが宇宙であろうが、戦闘機の軌道は曲線が基本である。というよりも、それしかできない。如何に急激な方向転換を試みようとしても、慣性に従うならば、それ以外の動きなどできるはずがないのである。

 ジャスミンは、凶悪な唸り声を上げた。《ドーマウス》は、おそらく人体への負荷を無視して急停止、そして機体側面の加速装置により最大加速し、まるで直角のような軌跡を描いたのである。

 

「あの機体は、物理法則を無視している……」

 

 どう考えても、そうとしか思えない。

 馬鹿げた考えだと思いつつ、しかしそれ以外考えられないのだ。

 しかし――この宇宙を飛ぶ戦闘機である以上、この宇宙の法則に縛られるのは当然の話であり、あの動きには何かトリックが――トリックでなくとも、何らかの手妻があるはずなのだ。

 ジャスミンは考える。一体、どうすれば、あのような動きができるのか。

 人体を搭載しない、自立型感応頭脳戦闘機や、外部操作型戦闘機ならば、先ほどの動きも説明できる。つまり、ボトルネックは人体の脆弱性なのだ。そこを何とかできるならば、あの動きにも一応の説明がつく……。

 

「人体の、脆弱性……?」

 

 脳内に光を感じたジャスミンは、その可能性を考えてみる。 

 もしも、もしも、《ドーマウス》がそういう機体なのだとすれば……。

 可能だ。自立型感応頭脳戦闘機や、外部操作型戦闘機でなくとも、あのような、有人戦闘機では絶対に不可能な動きをすることができても、不思議ではない。

 そして、それは不正ではない。むしろ、ヤームルという男にしかなしえない、正しく本気の戦いということだ。

 ジャスミンは、無言でラナートを睨みつけた。

 

「なるほど、確かに不正が行われた訳ではない。しかし、これは些か不公平な戦いではないのか」

 

 ラナートは、ジャスミンが真実に辿り着いたのだろうことを理解し、僅かに驚嘆したが、表情には露ほども現さなかった。

 そして、真剣な顔で、

 

『一面からすればそうだろう。しかし、相手はあの海賊王だ。そして海賊王が駆るのは、あなたの《クインビー》だ。もしも馬鹿正直にキングと同じ土俵で戦えば、戦場の露と消えるのは間違いなくヤームルの方となる』

「……」

『ヤームルは本気で戦っている。生死を賭けて戦っている。不公平であったとしても、不公正ではあり得ない。ならば、この決闘は正当なものだ』

 

 ラナートの言葉に、ジャスミンは反駁することができなかった。個人の技量、機体の性能差、過酷な戦場環境――全てを承知の上で、この決闘は執り行われているのだ。そこに、不公平など存在して当然であり、全てにおいて公平を求めることのほうが間違えている。

 奥歯を嚙み締めたジャスミンは、スクリーンに視線を戻す。

 そこでは、既に切り札を隠すつもりはないのか、まるで慣性から解き放たれたかのような縦横無尽の動きを繰り広げる《ドーマウス》が、あらゆる方向から《クインビー》を狙撃する、一方的な戦いが行われていた。

 既にケリーも、《ドーマウス》の異常性について、そして何が起きているのかについて理解しているだろう。しかし、おそらく、その本質は理解できていないはずだ。それが理解できたのは、ジャスミンが傍観者だったからであり、もしもケリーと立場が逆ならば、寧ろ理解できるはずがない。

 

「逃げろ、海賊!このままでは……!」

 

 勝てない。

 流石にその言葉は飲み込んだジャスミンは、汗の浮いた手を握りしめ、スクリーンを食い入るように見つめる。

 そしてその瞬間は訪れた。

 常識外れの《ドーマウス》は、本来戦闘機にはあり得ない飛び跳ねるような動きで《クインビー》の背後に周り、そして、絶好とも呼べる狙撃位置、そしてタイミングを確保したのだ。

 ジャスミンの背に、冷たいものが走り抜ける。先ほど、《クインビー》が《ドーマウス》を狙撃した時に感じたのと同じ感覚。自身のトリガーと《ドーマウス》のトリガーが重なるような感覚。

 そして、無慈悲にトリガーは引かれる。

 《ドーマウス》の20センチ砲から放たれた極彩色の光線が、《クインビー》に突き刺さる。

 

 

 《ドーマウス》から放たれた20センチ砲の光線が、《クインビー》に突き刺さる。

 《クインビー》の操縦席は消滅し、ケリー・クーアを原子レベルに分解する。その後、《クインビー》の鮮紅色の機体は爆発四散し、この宇宙を漂う極少のスペースデブリの一部となる。

 モニターを見ていた全ての人間が、そう思った。

 しかし、《ドーマウス》の攻撃は目標を貫くことなく、虚空へと消えていった。

 そして、姿を消した《クインビー》は、いつの間にか、《ドーマウス》の背後、もっとも狙撃に適した位置に姿を現していた。

 何が起こったのか、いち早く理解したのは、ジャスミンだった。最先端の感応頭脳の思考よりも速い、それは反射反応とでも呼ぶべき理解だった。

 

「跳躍しただと!?」

 

 ジャスミンは、ケリーの無事を喜ぶよりも、その常識外れの行動を非難するように叫び声を上げた。

 《クインビー》には二種類の跳躍エンジンが積載されている。つまり、重力波エンジンと、ショウドライブである。

 そのうち、重力波エンジンは、ゲートが無ければ跳躍することは不可能である。

 つまり、今の跳躍は、ショウドライブを用いたものということになる。

 ショウドライブを用いた跳躍自体は難しいものではない。むしろ重力波エンジンを用いた跳躍より遥かに安定しており、運用は簡単なものではある。

 しかしそれは、例えば数百光年という離れた場所への跳躍だから言えることであり、例えば今、《クインビー》が行ったような超々短距離の跳躍は、例えジャスミンであっても容易に行えるものではない。理由は簡単だ。宙帯へとゲートインした時の時空震がゲートアウトの時のそれと干渉し合い、機体に著しい負荷をもたらすのだ。下手をすれば機体は粉々に砕け散る。いや、そもそもゲートアウトが失敗し、異空間に放り出される可能性すらある。

 だがケリーは、まるで安定度の低いゲートを跳躍するときのように、時空震の発生場所の強弱を見極め、ここしかないという位置とタイミングでゲートアウトを行ったのだ。

 それは、ジャスミンにすら寒気を感じさせる、恐るべき戦法であった。

 

「いいぞ、らしくなってきたじゃないか、海賊王!」

 

 《クインビー》による背後からの狙撃を、やはり慣性を無視したような直角動作でかわしたヤームルは、《ドーマウス》のキャノピーの中で悦びの声を上げる。

 

「そうでなくてはいけない!そうでなくては面白くない!お前はそうあるべきだ!そうあるよう定められた生き物なのだからな!」

 

 再び交わる二機の機影。

 そして、背後を取ったのはやはり《ドーマウス》だ。

 そして、《ドーマウス》からの狙撃を、《クインビー》は超々短距離ワープで躱し、《ドーマウス》の背後を取る。

 これは、三次元の戦いではない。四次元空間までをも巻き込んだドックファイトそのものだった。

 

「ジャスミンどの、これが戦闘機の戦いなのか!?」

 

 緊張したウォルの言葉に、ジャスミンは、豊かな赤毛を振り乱すように首を横に振る。

 

「違う!これが、こんなものが戦闘機の戦いであるものか!これは悪夢だ!全ての戦闘機乗りの誇りを台無しにする、最も質の悪い悪夢そのものだ!」

 

 ジャスミンは、血のにじむような視線でモニターを睨みつけながら叫んだ。

 モニターに映し出された宇宙空間は、今や、その二機の織りなす軌跡を描くためのキャンパスだった。

 片や、戦闘機では本来あり得ない、稲妻のような残像を残して高速で飛翔し続ける黒い機体。

 片や、超短距離で異次元への跳躍を繰り返し、変幻自在に出現消滅を繰り返す紅い機体。

 そして、その二機が吐き出す20センチ砲の、虹色に輝く光線の軌跡。

 それは正しく、慣性無視イリーガルと悪性幻影イリュージョンの戦いだった。

 もしもこれが戦闘機の戦いであるならば――戦闘機の戦いの極地であるならば、今まで、研鑽と苦闘の果てに宇宙の露と消えた数多の戦闘機乗り達の戦いは何だったのか。

 そして、疑うことなく、現在の戦闘機乗りの頂点にあるはずのジャスミンは、獰猛に牙をむき出しにしながら、モニターを凝視し続ける。

 自分ならどう戦うか。あの二人を相手に、どう戦い、そして勝つか。否――そもそも――勝てるのか。

 頭の中で幾度も幾度も繰り返されるシミュレーションは、しかしジャスミンの意識を否定し続ける。

 戦闘機が兵器である以上、本来の運用方法は戦略思想をもととする。その最重要項目に、対戦闘機の一対一の戦闘は置かれてはいないだろう。しかし、個対個、一対一の戦いにおいて、あの二機に食らいつける戦闘機は、自分が駆る《クインビー》も含めて、存在し得ない。それが答えだ。

 そして、ジャスミンは理解した。あの時のケリーの言葉の本当の意味を。

 

『どんな戦い方をしようが、どれほど傷つこうが、文句は聞かねぇぞ』

 

 あの時点で、ケリーは、おそらくこの戦術を考えていたに違いない。

 ならば、あの言葉の真意は、《クインビー》の機体に傷がつくかも知れないという意味ではなかった。戦闘した戦闘機が傷つくのは寧ろ当たり前であり、その程度のことに、わざわざ断りを入れる男ではなかった。

 あの言葉は、ジャスミンの誇り、戦闘機乗りとしての誇りに傷がつくかもしれないと、そういう意味だったのだ。

 

「いい度胸だ、海賊……!」

 

 獰猛な笑みを浮かべた女傑が、その光彩を金色に染めながら呟く。

 いいだろう。確かに、今はお前に勝ちえない。それは認めよう。

 だが、それは今だけの話だ。明日は違う。明後日はもっと違う。再びお前と肩を並べて戦う時のわたしが、今のわたしと思うな。

 ジャスミンは、その金色の瞳に危険な色を浮かべながら、モニターを凝視する。

 そこに描かれた戦いは、常識外れではあったが、しかし五分五分の戦いであった。両機の挙動こそ常識では測りがたいものではあったが、戦いの天秤はどちらへ傾いているようにも思えなかった。

 これは千日手か。

 しかし、ジャスミンの考えとは別に、ダイアナが、気遣わしげに呟く。

 

「不味いわね……このままじゃ、ケリー、負けるわよ」

 

 ジャスミンが、ダイアナを睨みつけた。

 

「どうしてだ」

「ジャスミン、わたしには、あの二機がどうしてあんな戦い方をできるのか、理解できないわ。でも、起こっている事象そのものだけを捉えるなら、《ドーマウス》には慣性法則の常識が通じず、そして《クインビー》はショウドライブを用いた超々短距離跳躍でそれに対応しているということになるわ」

 

 ジャスミンは頷いた。

 ダイアナは続ける。

 

「これらは、一見互角に見える。偶然放たれた一撃が勝負を決めることも十分ありうる話だけど、それがないと仮定すれば、この勝負に終わりは見えないように思える。でも、もし先に限界が訪れるとすれば――それは、ケリーの戦い方だわ」

「どうしてそう言い切れる?」

「ショウドライブによる跳躍は、通常空間から宙帯へ潜り込み、そしてゲートアウトを行うというものよ。それが数百光年も離れた場所同士なら、駆動機関の限界を無視すれば、理論上無限に跳躍が可能なはず。でも、今ケリーが行ってる超々短距離跳躍だと、時空震の影響が強すぎるのよ。例えるなら、水面に小石を投げ続けて、その波紋を躱しながら跳躍をしているようなものだわ。もしもその波紋に捕まれば、まともな跳躍ができるはずがない……」

 

 まともな跳躍ができなくなれば、跳躍に失敗して宇宙の藻屑となるか、それとも20センチ砲の狙撃で極少の塵と化すか……。

 

「跳躍の度に、この宙域に小石は投げ続けられてる。波紋は、どんどん多く、大きくなっている。今の状態ですら、ゲートで言えば、すでに安定度は50を切ってるような状況よ。このままいけば、安定度は一桁に、そしてゼロになる。そうなれば、いくらケリーでも跳躍はできない」

 

 ダイアナの言葉は、正鵠を射ていた。

 だが、ジャスミンはもう一つ、《ドーマウス》の方の限界も理解していた。

 もしも《ドーマウス》が、ジャスミンの想像するとおりの機体だとすれば、それは慣性を無視しているのではなく、極限まで慣性相殺を高めた機体であるに過ぎない。ならば、操縦者に対して、影響がないのではなく、影響を限りなく少なくするのが限界である。

 つまり、《ドーマウス》のパイロットであるヤームルという男にも、必ず限界は来る。

 問題は、それが、《クインビー》の跳躍能力と、どちらが先に訪れるか、ということである。

 

「海賊……!」

 

 スクリーンには、相も変わらず常識外の動作で戦い続ける二機が映し出されている。その優劣は、今のところどちらにあるか分からない。

 ジャスミンは、祈るように手を強く握った。

 

 

 鼻の舌から口の端を通り、とろりとした液体がたれ落ちているのを感じる。

 舌で舐めとると、想像通り、濃い鉄の味がした。

 もう、先ほどから、何度も咳き込み、血を吐き出している。

 慣性を無視した《ドーマウス》の挙動は、ヤームルの内臓を強かに痛めつけていた。内臓だけではない。毛細血管が破裂したのだろう、視界は赤く染まり、上手く像を結んでくれない。頭は割れるように痛み、拍動の度にずくずくと抉るような激痛を与えてくれる。

 何度も繰り返した嘔吐で、既に胃の中は空になり、今は黄ばんだ胃液を絞るように吐き出すだけだ。 

 満身創痍だった。本当は、最初の一撃で片を付けるつもりだったのだ。それを、まさかこんな泥沼に引き吊り込まれるなんて考えもしていなかった。

 だが、それがなにより楽しく、嬉しい。自分が苦境に立たされていることを、悦んですらいる。

 それはつまり、あの男が強いからだ。海賊王の大看板を、自分の意思ではなく、全ての海賊達から認められる事で背負った、あの男。

 ケリー ・キング。

 ここまで自分が苦戦させられたのは、いつ以来だろうか。少なくとも、戦闘機同士の戦いという意味では、初めての経験だ。今までの相手は、全て初撃で屠ってきた。

 ケリーは、その攻撃を躱すどころか、無茶苦茶な跳躍を行い、反撃に転じてきたのだ。

 ショウドライブが開発され、広く普及されて、しかしこのような運用方法が為されたことはいまだかつてないだろう。第一に意味がなく、第二に危険すぎる。最高級の戦闘機用感応頭脳ですら、卒倒する様子でパイロットを制止するに違いないのだ。

 いや、もしかすると、クレイジーダイアンならば、それに付き従うのだろうか。

 ヤームルは、苦痛で引き攣れる顔に、辛うじて笑みを浮かべた。

 その視線の先で、また、ケリーが跳躍した。今度はどこに姿を現すのか。全身の感覚で、それに対応する。必ずしも背後に現出するとは限らない。

 然り、ケリーが姿を現したのは、ヤームル本人の位置からするならば、鉛直方向に頭上だった。そこから、まるで爆弾を投下するかのように狙撃をしてくる。

 ヤームルは、《ドーマウス》の操縦桿をあり得ない方向に捩じり、そして機体を真横に動かした。当然、横方向の強い重力に、ヤームルの身体が痛めつけられる。いつからか聞こえていた鬱陶しい耳鳴りが、それすら聞こえなくなった。鼓膜がやられたのか、音を感じる脳細胞が破壊されたのか。

 朦朧とするヤームルの意識の中にこだまするのは、たった一つの言葉だ。 

 

 勝ちたい。

 

 あの男に、勝ちたい。

 

 勝って、どうしたいのではない。勝って、何かを手に入れたいのではない。

 勝ちたい。その想いだけが原動力となり、既に限界を超えた身体を動かし続ける。今にも途切れそうになる意識をつなぎとめる。

 勝って、その後何をするのか。勝って、自分はどうなるのか。

 そんなことは、意識の埒外にある。善悪の彼岸、正否の彼方にある。

 本当に勝ちたいのか、それすらも分からなくなる。

 朦朧とした意識は、勝利と生存のための最善手を選び続けながら、しかし、自分が今、この時のために生きてきたのだと確信させる。海賊として生き、海賊としての生き場所を失い、海賊たちの死に場所を作り続けて……。

 そうして辿り着いたのだ。海賊王との戦いの舞台へと。そうだ、人生を舞台と呼ぶならば、これは正しく晴れ舞台であり、スポットライトは自分とあの男のためだけにある。

 ならば、演じきらなければならない。もしも自分に割り当てられた役が、無様な道化であり、何も生みだすことのない無為な存在だったとしても――全てを捨てた自分に向けられる観客の視線が、嘲りであろうとも、侮蔑であろうとも、同情であろうとも。

 戦うのだ。勝つのだ。勝って――その後のことは、その後考えればいい。

 幸福があるとは思っていない。穏やかな死など、とうの昔に諦めている。

 それでも――勝ちたい。

 神に祈るのではない。敵に懇願するのでも、もちろんない。

 ただ、己に向けて。

 勝つ。

 勝ってみせる。

 自分に胸を張れるように。

 ヤームルは、戦い続ける。今までがそうだったように。人生の最後の瞬間がそうであるように。

 そして、その瞬間は訪れた。

 先に限界を超えたのは、ヤームルでもなく、ケリーでもなく、戦闘宙域そのものであった。

 《クインビー》が、跳躍を失敗したのだ。いや、それは失敗ではない。すでにその空間の時空震は限界を超え、跳躍が不可能な状態となっていたのだ。安定度一桁のジャンプを成功させるケリーであっても、ゲートが無ければ跳躍が不可能なように、その空間では跳躍そのものが不可能となっていたのだ。

 《クインビー》は、《ドーマウス》の照準の中央に、その無防備な背を曝していた。

 ヤームルは、肺腑を空にするように、雄叫びを上げた。

 

「俺の勝ちだ、海賊王!」

 

 そしてヤームルは、20センチ砲のトリガーに指をかけた。

 

 

 ケリーはその瞬間、死を覚悟した。

 自分を通過する20センチ砲の激烈なエネルギーを感じたくらいだった。

 呼吸が止まり、一気に冷や汗が吹き出る。思い出したくもない走馬灯らしきものが、脳裏をよぎった。

 しかし、狙撃は無かった。《クインビー》の背後、絶好のポジションに位置どった《ドーマウス》からは、一切攻撃の気配がない。

 次にケリーが感じたのは、焼けつくような怒りだった。自分は情けをかけられたのだと思った。

 それは、侮辱だ。自分と、そして自分と死闘を演じたヤームルというあの老人自身への。

 ケリーは、既に跳躍が不可能となったその空間で、《クインビー》を大きく旋回させ、《ドーマウス》の背後へと回り込んだ。その際中も、《ドーマウス》からは一切の気配がない。

 流石に不審を覚えたケリーが、《ドーマウス》の背後から接近し、並行飛行に移る。依然、《ドーマウス》からは、反撃に転じるような動きが全くない。

 ケリーは、大きく息を吐き出した。身体から緊張感が抜けていく。操縦桿を握っていた手に、思っていたよりも強い力が込められていたのだと実感する。

 勝負が、終わったのだ。

 ジャスミンが勝負の途中に気が付いたのとほぼ同じタイミングで、ケリーも《ドーマウス》の秘密に――というよりも、ヤームルの秘密に気が付いていた。

 確かに、《ドーマウス》の異常な動きは、現在の慣性相殺の性能では説明のつかないものであった。

 しかしそれは、搭乗しているのが人間である場合の話だ。

 もしもそれが人間以外の生き物――もっと小さく、もっと質量が少なく、かつ、戦闘機を十全に操作する、そんな生き物ならば、慣性相殺は人体に対するよりも強力にその性能を発揮するだろう。人間であれば即死するような挙動にも、何とかパイロットを守ってくれるかもしれない。

 無論、そんな生き物は存在しない。だが、その実例を、ケリーは知っている。メイフゥとインユェの姉弟。人でありながら、人以外の現身をもった、本来ならばおとぎ話の中にしか存在し得ない人間。

 メイフゥは、いつか、《パラス・アテナ》で食事をともにしたときに言った。ヤームルも、自分たちと同じなのだと。

 ケリーは《クインビー》を操作し、《ドーマウス》の機体に押しつけ、減速を試みた。それは成功し、速度を弱めた二機は、手近にあった小惑星へと着陸する。

 ケリーは《クインビー》のキャノピーを開き、小惑星へと降り立つ。そして、強制的に着陸させた《ドーマウス》へと歩み寄る。

 宇宙服姿のケリーは、外部操作で《ドーマウス》のキャノピーを開いた。当然であるが、もしも中のパイロットが健在ならば、そのような外部操作を受け付けるはずがない。外部操作が可能となるのは、中のパイロットがそれを望んだ場合か、既に外部操作を拒否できる状態にない場合だけである。

 

「――」

 

 ケリーは言葉を失った。

 開け放たれたキャノピーには、本来あるべき、操縦席のスペースが存在しなかった。まるでキャノピー自体がダミーであるかのように。

 本来操縦席があるべきスペースのほとんどが、おそらくは慣性相殺装置と思われる機械装置に埋め尽くされている。なるほど、本来の操縦室のスペースにすら、慣性相殺装置を搭載していたのだ。あの常識外れの動作が可能となる一因なのだろう。

 だが、そのほぼ中央に、子供用のスコップで掘った程度の小さな窪みがある。

 ケリーはそこを覗き込む。

 そこは、異形の操縦席だった。

 小さいのだ。

 全てが、まるでミニチュアの戦闘機のように、小さい。計器類も、操縦桿も、モニターすらも。

 到底、人が入れるサイズではない。掌サイズの小人のために操縦席のミニチュアを作ったとすれば、こういう造りになるだろう、そういう具合だった。

 その操縦席に、一匹のねずみがいた。

 全身の毛を白くした、そして口元を吐血で赤く染めた、老いたねずみだった。

 そのねずみが、やはりミニチュアサイズのシートベルトでその小さな体を操縦席に固定させ、操縦桿を握り、今まさにトリガーを引き絞ろうとしていた。

 ケリーは、無言で、ねずみの身体を縛るシートベルトを外してやる。すると、無重力の空間に、ゆっくりゆっくり、ねずみの身体が浮き上がる。

 両手で、ねずみの身体を包み込む。手に、暖かさは伝わらない。そして、拍動も。

 老いたねずみは、吐しゃ物と吐血でその身体を汚し、そしてその紅く濁った小さな瞳を見開いたまま――死んでいた。

 

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