懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

111 / 156
第九十六話:御伽噺の終わり

 決闘は終わった。

 決着は勝者に何をもたらすわけではなく、そして敗者に何を与えることもなかった。

 ただ、勝者は生き残り、敗者はこの世を去った。過程に意味を求めないならば――ただ、それが結果であった。

 勝者であるケリーは、敗者であるヤームルの遺体――小さなねずみの姿をした――を《パラス・アテナ》に持ち帰った。

 《クインビー》を《パラス・アテナ》の格納庫に着艦させると、《パラス・アテナ》に乗っていた全員がケリーを出迎えた。

 ケリーは無言で彼らの前を通り過ぎる。その胸に、小さな戦士の死骸を抱いたまま。

 一人、《パラス・アテナ》の倉庫に入る。そこには、宇宙を旅する者の義務として、いくつかのスペースコフィンが格納されている。その中から、ペット用のサイズのものを選び、ヤームルの死骸を納めた。

 そして、手荷物程度のサイズのそれを、《パラス・アテナ》の冷凍室に安置する。

 それだけの作業を終えてから、デッキに戻る。一番最初にケリーを出迎えたのは、ジャスミンであった。

 

「終わったのか」

「ああ。しかし、まだ終わっちゃいない」

 

 ケリーは、モニターに映し出されたダイアナに向けて、

 

「ダイアン、《シルヴァー・スター》へ通信をつなげてくれ」

 

 ダイアナは、無言で頷く。

 そして、間もなく画面にラナートが映し出された。

 ラナートの顔には、如何なる感情も浮かんでいないように見えた。ケリーの勝利を祝うでも、友の死を悼むでもなく、ただ、全てを受け入れて、そこに立っているように見えた。

 

『見事だ、キング。まさか本当に、ヤームルに勝つとはな』

「たまたまさ。それに、もしも、あの男の全盛期にやり合ってたら――」

 

 最後にあの男が放とうとしていた一撃は、自分を貫いていたのではないか。

 勝負にもしもは無い。ヤームルは老いていて、蘇った自分には若い肉体があった。全てを承知の上で、あの男は自分に勝負を挑んだのだ。

 ならば、結果が全てだ。仮に自分が逆の立場だったとして、醜い言い訳は絶対にしない。

 それでも、ケリーはもしもを口にしそうになる。仮にの話をしてしまいそうになる。

 それを押しとどめたのは、乞うようなラナートの視線だった。

 

『それ以上は言うな。それ以上は、ヤームルへの侮辱になる』

 

 怒りを込めるでも、悲しみを込めるでもなく、淡々とした調子でラナートは言う。

 

『お前は勝ったんだ、キング。勝者は全てを手にし、敗者は全てを失う。当然のことだ。しかし、それでもなお敗者に残るものがあるとするならば、それは敗者としての誇りだ。敗れたということに対する誇りだ。いくら勝者でも、その誇りだけは奪い取ることはできない』

「……お前の言う通りだな」

『ヤームルは全盛期だったのさ。今が――お前と戦うことができたこの瞬間こそが、全盛期だったんだ。どの瞬間のこいつよりも、研ぎ澄まされていたんだ。だから、こいつは満足して死ぬことができた。その誇りを、誰が否定しても、お前だけは分かってやってくれ』

 

 ケリーは頷いた。

 

「この、小さな勇者の遺体を、お前に引き渡したい。《パラス・アテナ》とドッキングできるか?」

 

 ラナートは首を横に振った。

 

『近くに、有人惑星がある。通常航行でも3日もあれば着く。そこで落ち合おう』

 

 ほかならぬラナートがそう言うならば、否やは無い。

 ケリーは、先行する《シルヴァー・スター》に、《スタープラチナ》を牽引する《パラス・アテナ》を追いかけさせる形で、その宙域を離脱した。

 途中、ケリーとヤームルの勝負を見届けた海賊の艦艇が、列を作っていた。

 『花火師』アーウィン・ショウ の《ファイヤ・クラッカー》、『毒花』バーバラ・ベル・ゲデスの《ベラドンナ》、『血頭』ダシール・ハメットの《デザート・フォックス》、『亡霊師団』サミュエル・ドミトリクの《フライング・ダッチマン》、セルバンテス海賊団の副旗艦《ワイバーン》、その他、無数の海賊船が列を作り、《シルヴァー・スター》と《パラス・アテナ》を見送る。

 それは、勝者を祝う凱旋の催しのようでもあり、死者を悼む葬列のようでもあった。

 そして三日が過ぎ、三隻の艦艇は、名も知れぬ有人惑星へと到着した。

 当然のように、入国審査用の感応頭脳を誑かしたダイアナは、《パラス・アテナ》と《シルヴァー・スター》、そして《スタープラチナ》を、無害な輸送艦として入国させる。

 三隻は、手近にある発着場へと着陸した。そして、《パラス・アテナ》からは全ての乗員が降り、《シルヴァー・スター》からはラナートだけが降りた。

 ケリーは、両手で恭しく抱えた、ペット用のコフィンを、ラナートに渡そうとする。

 

「待って、ちょっとだけ、待って……」

 

 そう言ったのは、3日の間に繭から回復したメイフゥだった。

 全ての事情を知らされて、しかしヤームルの遺体とは、今まで向き合うことはなかった。

 だが、これが最後の別れだと理解しているのだろう、すがるような声でケリーに言う。

 

「ごめん、最後にお別れを言いたいんだ」

 

 ケリーは無言でヤームルをメイフゥへと渡した。

 憔悴した様子のメイフゥは、ペット用のコフィンのガラス窓から除く、小さなねずみを見る。それは、既に毛皮がごわごわに毛羽立ち、生気の欠片も感じられない、小動物の死骸そのものだった。

 だがそれは、間違いなく、メイフゥの育ての親の遺体だったのだ。

 

「ごめんね、ヤームル。本当は、もっと早くお別れを言うべきだったのに……あたしが臆病だから、こんなに遅くなっちまったんだ……」

 

 メイフゥは、ケースを抱きしめ、囁くように言う。

 

「今まで、本当にありがとう。ありがとう、ヤームル。もう、あたしは大丈夫だから。インユェも、大丈夫だから。ゆっくり休んでおくれよ。もう、あたし達は大丈夫だから……」

 

  ケリーは、その様子を見遣り、そしてぼそりと言った。

 

「俺を恨め、メイフゥ。ヤームルを殺したのは俺だ。お前にはその資格がある」

 

 メイフゥは首を横に振る。

 

「恨まないよ。だって、ヤームルはきっと、満足して死んだんだもの。それなのにあんたを恨んだら、きっとヤームルが悲しむよ」

 

 メイフゥは力なく微笑んだ。

 

「ヤームルはね、死にたがりだったんだよ」

 

 遠い、儚い声で、そう呟く。

 

「ずっとずっと、死に場所を探していた。それがきっと、ようやく見つかったんだねぇ。あんたと戦ってなら、死んでもいいって思えたんだねぇ。だから……ありがとう、兄さん、ヤームルを死なせてやってくれて……」

「……無理をするなよ。お前みたいな女の子に、そんな顔でそんなことを言われるくらいなら……殴られたほうが、幾分ましってもんだぜ」

「うん、うん、ごめんねぇ……でもね、でもねぇ……あたし、あたしさぁ……かなしいよぅ、かなしいよぅ……」

 

 メイフゥの大きな瞳から、ぼろぼろと涙が零れ落ちる。

 メイフゥの、いつもは快活に笑う口元が、堪え切れない嗚咽に歪む。嗚咽そのものを噛み潰そうとするかのように、歯が食いしばられる。

 しかし、その食いしばられた歯の隙間から、堪えても堪え切れない嗚咽が漏れ出す。

 その様子を、ケリーは、痛みとともに見つめる。

 

「……だから、恨めよ。恨めば、それはきっと、怒りに変わる。怒りに変われば、悲しまずに済む……」

 

 メイフゥは首を横に振った。涙が、きらきらと宙を舞う。

 

「うらまないよ……だって、うらめばヤームルがかなしむもの……でもねぇ……あたし、あたし……」

 

 口元を戦慄かせて、メイフゥは、大声を上げて泣いた。

 ヤームルを抱きしめながら、泣いた。

 

「うわあぁぁぁぁん……!」

 

 顔を少し持ち上げたまま、目を瞑り、大きく口を開き、まるで転んだ幼児のように、泣き続けた。

 その声を止める術を、ケリーは知らなかった。 

 ただ、己に課せられた罰のように、泣き続けるメイフゥの前で項垂れた。

 

「あぁぁぁぁぁん……あぁぁぁぁぁん……!」

 

 泣けば、大事な人が戻ってきてくれると信じているかのように、メイフゥは泣いた。

 そんなメイフゥを――姉を、辛うじて瞳を涙で湿らせたインユェが搔き抱く。

 

「泣くなよメイフゥ!泣くな!お前が泣いたら、ヤームルが静かに逝けないだろう!?」

 

 メイフゥは、頷く。弟の胸の中で泣き続けながら、頷く。

 

「うん、うん、そうだね、インユェ……でも、でも、あたし、さみしいよぉ……さみしいよぉ……」

「寂しくなんかない!俺がいるだろう!だから、泣きやめよメイフゥ!俺がいるから!絶対に俺がお前を一人にさせないから!」

「そうだね、そうだね、インユェ……あんたがいてくれるねぇ……でも、もう、あたしたち、ふたりぼっちになっちゃったねぇ……もう、ふたりだけなんだねぇ……」

「二人じゃねぇよ!ウォルもいる!リィもシェラも、ケリーさんもジャスミンさんもダイアナさんもいるじゃねぇか!俺達は二人じゃねぇよ!そうだろう!?」

「そうだね、そうだね、インユェ……でもね、でもねぇ……」

 

 しばらくメイフゥは泣き続けた。

 それでも何とか泣き止んだメイフゥは、唇を引き絞り、ヤームルの眠るコフィンをケリーへと手渡す。

 ケリーは押しいただくようにそれを受け取り、そして、ヤームルの友であった男へと渡す。

 ヤームルの友は――ラナートは、ヤームルのコフィンを、大きな布で包んだ。黒地の絹織物に、銀糸で流星が描かれた旗、それが、ラナート海賊団の海賊旗であることを、ケリーは知っていた。

 

「これで、うちの海賊団も手じまいだ」

 

 ラナートは淡々と言う。

 

「もう、ずいぶんと前に、終わっていたんだ。だが、これで区切りがついた。本当の意味で、ラナート海賊団は解散だ」

「そうか……寂しくなるな」

「お前がくたばったときほどじゃないさ」

 

 ラナートはくすりと微笑った。

 ケリーも、同じように微笑った。

 

「さらばだキング、お前と顔を合わせるのも、今生ではこれが最後かも知れんな」

「さぁな。そう言って、案外明日にでも顔を合わせるかも知れないぜ?」

「――そうだな。あまり大層な別れ方をすると、その時に、間の抜けた思いをすることになるな。ならば、別れの挨拶はこの程度にしておこう」

 

 ラナートの言葉に、ケリーは頷く。

 そしてケリーは、まだしゃくり上げるメイフゥをちらりと見てから、意味ありげな視線をラナートへ送った。それに気が付いたラナートが、ふとケリーの隣に立ったジャスミンを見てみれば、こちらも厳しい視線で何事かを訴えている。

 規格外の夫婦が何を言いたいか理解したのだろう、ラナートは苦笑した。

 そして、メイフゥとインユェのそばに歩み寄る。

 

「……何だよ、何か用かよ」

 

 目を赤くしたインユェが、メイフゥを守るように背に隠し、ラナートに相対する。

 その時のラナートの、二人を見つめる視線に込められた感情の多さを、果たして誰が理解することができるだろう。

 ラナートは、ただ無言で、二人を抱きしめた。

 そして、ラナートの突然の行動に驚く姉弟に向け、囁くようにこう言った。

 

「お前たちは、ふたりぼっちじゃない」

 

 ラナートは、唖然とした瞳を向ける二人に、淡い微笑みを浮かべ、背中を向ける。

 メイフゥはその時、唐突に思い出した。

 遠い昔、自分を抱きあげてくれた、大きな腕と大きな背中。

 潮の灼けたような匂いと機械油の匂いの入り混じった、不思議な匂い。

 それは、メイフゥの遠い記憶、一番旧い記憶を呼び起こす香りだった。

 

「まさか、あんた……!」

 

 メイフゥの声など聞こえていなように、ラナートの背中は遠ざかる。

 唖然とした表情だったメイフゥは、しかし、確信を持って、その背中に向けて叫んだ。その顔に、雲間を切り裂く陽光のような微笑みを浮かべて。

 

「覚悟しておけよ親父さま!いつか、結納金と初孫の出産祝い、それと今までの養育費、もろもろ利子をつけて全額取り立てに行ってやるからな!」

 

 ラナートはその声を背中で受け、軽く手を上げて応え、《シルヴァー・スター》の搭乗口へと姿を消した。

 ほどなくして《シルヴァー・スター》からエンジンの駆動音が響き、そしてその機体は宙を浮き、そのまま上空へと姿を消した。

 メイフゥとインユェは、万感の思いでその機影を見送る。

 この複雑な生い立ちの姉弟にも、一つの区切りがついたのだろう。ケリーとジャスミンは視線を交わし、同じ拍子で軽く肩をすくめた。

 

「それでは、儂も、ここでお暇させていただくといたしましょう」

 

 《パラス・アテナ》の乗員であった一人の老人が、そう呟いた。

 

「ビアンキ老。何故このようなところで。後ほど、惑星ヴェロニカまでお送りいたします」

 

 ジャスミンが少し慌てたように言うと、枯れ木のような老人は、かっかと笑った。

 

「この身は、ヴェロニカでは既に死んだ身。今更、あの星へ帰ろうとは思いませぬ。それに、罪に塗れたこの身が、ヴェロニカの大地に還るなど許されざることでしょう」

「何をそのような。ヴェロニカ共和国を救ったのは、確かにあなたの功績でもあるのです」

 

 ジャスミンは断言した。

 そうなのだ。ヴェロニカ共和国が、全住民のジェノサイドの危機に曝されていると判明した次の夜、ヴェロニカ共和国の軍上層部と政府高官の多くが見たという夢。

 それは、死したビアンキ老師の魂が為した奇跡などではない。生きたビアンキが、リィやルウの手を借りて要人の居宅に忍び込み、シェラ謹製の嗅ぎ薬で夢と現実の境を曖昧にさせ、その上で行った『死者のお告げ』だったのだ。

 儀式の夜、生贄に捧げられるはずだったウォルの剣で心臓を貫かれたビアンキは、確かに死んだと思った。刃の冷たい感触が胸から入り背中に抜けていく感覚も確かに感じた。

 だが、ビアンキは生きていた。

 生きていたからには、為すべきことがある。そして、自分が為すべきは、ヴェロニカ共和国を守ろうとする若人達の背中を押すこと。ビアンキはそう確信し、行動し、成し遂げた。

 そして今、皺だらけの顔に穏やかな笑みを浮かべながらジャスミンに相対し、やはり笑顔のまま首を横に振った。

 

「儂はあの夜、そこにおわす王の一撃で、確かに命を断たれたのです。無論、それを恨むわけでも、悔いるわけでもない。寧ろ、今の今まで生かしていただいたことに感謝するほかありませぬ。ただ、今の儂は、いわば亡者のようなもの。亡者のこの身が、今更ヴェロニカの大地に必要ではありますまい」

「……では、ビアンキ老はこの星で何を?」

「はて……そう言われると返答に困りますが……しばらくは、乞食でもして……生きるだけ生きたら、野垂れ死にをしようかと思っております」

 

 深い笑みを浮かべて、ビアンキは静かに言った。その言葉のどこにも、自暴自棄とか自虐的な響きはない。ただ安らかに、己の人生の到着点を見定めた声だった。

 ジャスミンは、本当に、老人がそれを望んで言っているのだと分かった。

 誰にも看取られることのない、孤独な死。誰にも省みられることのない、無為な死。ヴェロニカ教の真実を知り、背負い続けた老人の、最後の望みがそれなのだ。

 ジャスミンには、もはや老人を止める言葉は無かった。止める言葉がないならば――微笑って見送るのが、最上の礼儀だろう。

 微笑んだジャスミンに、ビアンキは、深く腰を折り、頭を下げた。

 

「それでは、おさらばです、皆様。今生においてもうご尊顔を拝することも無いでしょうが……どうか、末永く、ご壮健でありますように。そして、ヴェロニカの神の恩寵が、皆様にありますように」

 

 そう言って、ビアンキは、しっかりとした足取りで発着場を旅立った。

 その後姿を見送りながら、ウォルは、隣に立ったリィに向けて呟く。

 

「リィよ、俺はな、あの時、確かにあの老人を斬った。心臓に向けて突き刺した切っ先が、背中から飛び出るのを確かに見た。それでも、あの老人は生きていた。それが不思議でならんのだが……やはりこの剣の仕業か?」

 

 リィは、はっきりと頷いた。

 

「ウォル、お前も知ってると思うが、ラー一族の刀工の鍛えた剣は意思を持っている。そして、担い手が斬りたいと思ったものを斬り、斬りたくないと思ったものは斬らない。その気になれば銃弾だって容易く斬り落とすし、担い手が望んだならば斬った人間を生かすこともできる。あの爺さんが死ななかったのは、お前が殺したくなかった、その意思を剣が汲んでくれたからだ」

「……恐ろしい剣だな」

 

 ウォルは、腰に履いた鞘を撫でながら呟いた。

 リィは、そんなウォルの様子を見ながら、

 

「お前がその剣を恐れ、そして敬い、その信頼を預けるならば、その剣はいつでもお前のために力を貸してくれるだろう。逆に、お前がその剣の力に慣れ、己の力だと勘違いをし始めたら、剣からお前を見放すに違いない。その剣は、そういうものなんだ」

「それはなんとも……」

 

 ウォルは苦笑した。

 戦士とは、剣と一心同体であるべきだとは思っていたが、ここまで剣のほうから信頼をされると、なんだか荷が重いようにも感じてしまうのだ。

 それでも、その信頼には応えたいと思う。その信頼に応えられる自分であり続けたいと思う。

 

「あらためて、ありがとう、リィ。最高の贈り物だ」

「この世界では、婚約者には指輪を送るのが慣例らしいんだけど……おれ達には、こんなもののほうが相応しいだろう?」

「なるほど、この剣は婚約指輪の代わりというわけか。これは困ったな、もうこれからは易々と婚約破棄などと口にもできん」

「なんだ、もう一度婚約破棄するつもりがあるのか?」

「いやいや、そんなことはないぞ。絶対に、お前の妻になってみせる、その決意をあらたにしただけの話だ」

「なら、早いところおれに抱かれる決心をするんだな。こっちはいつでもいいんだから」

「それができんから困っているのだ。あちらの世界では俺に一度も抱かれなかったお前だ、今の俺の気持ちくらい分かってくれてもいいではないか」

 

 リィとウォルは、同時に笑った。

 そんな二人を見て、一同が笑う。その中には、インユェの、ほろ苦い微笑みもある。

 

「――じゃあ、みんな、おれ達もそろそろ行くよ」

 

 インユェが言った。

 ウォルが、気遣わしげな表情で、

 

「行くというが……どこか、当てがあるのか?」

 

 インユェは首を横に振る。

 

「当てがあるわけじゃないけど、とりあえず、まずはけじめをつけようと思う」

「けじめとは?」

「借金のことだ。おれ達は、借金から逃げ回って惑星ヴェロニカにたどり着いたわけだけど……もう、そういうものから逃げるのは嫌なんだ。おれのヘマで拵えた借金だ、当たり前のことだけど、取るべき責任は取ってしまいたい。差し当たり、銀行に頭を下げに行くよ」

 

 インユェは、清々しい表情で言った。

 

「《スタープラチナ》を諦めるということか?」

 

 ウォルの言葉に、

 

「最初からそうするべきだったんだ。ヤームルも言っていた。船は、一度失っても買い戻せばいいって。そのとおりだと思う。まぁ、楽な作業じゃないのは分かってるけど……仕方ねぇさ」

 

 さばさばした口調の、そして吹っ切れたような表情のインユェであった。

 

「全部、一から出直しだ。メイフゥ、苦労かけるけど……」

 

 メイフゥは、微笑った。インユェの成長を喜びながら、しかし口では、

 

「へん、生意気な、チビガキが言うようになったじゃねぇか!いいんだよ、苦労の一つや二つ!なんたって、あたしはお前の姉なんだ!お前が買ってきた苦労は、あたしが全部まとめてやっつけてやるさ!それがあたしの役割なんだ!」

 

 まだ目も赤いメイフゥの減らず口に、インユェも微笑った。

 そして踵を返そうとしたとき、

 

『まぁそう焦らないでよ、インユェくん。あなたの決意は立派だけど、ここはダイアナ姉さんの話を聞いてからでも遅くないと思うわ』

 

 ややアルトぎみの、魅力的な女性の声が、ケリーの右目にはめ込まれた義眼から響く。

 流石に少し驚いたケリーが、愛船の感応頭脳である女性に語りかける。

 

「ダイアン、お前が俺の義眼を勝手に改造するのはもう止めねぇけどよ、第三者との会話機能を付けたなら先に言っておいてくれ。いきなり目がしゃべり始めたら、流石の俺も驚くぜ」

『あらごめんなさいね、ケリー。でも、こういうのって一度はビックリさせてあげるのが礼儀かなって思ったのよ』

 

 悪戯気にそう言われると、ケリーも返す言葉がない。

 無言で肩を竦め、右目が話すに任せる。

 

「あの、ダイアナさん、話ってなんだい?」

『あなたの船の登記を調べさせてもらったんだけど……あなたが借金を拵えてしまったのはEUFB――エストリア・ユニヴァーサル・フィナンシャル・バンクで間違いないわよね?』

「ああ、そのとおりだけど……」

 

 不思議そうにケリーの右目を眺めるインユェの質問に、微笑いを含んだ声で、ダイアナが答える。

 

『インユェくん、あなた、本当に運がいいわね。……いや、この場合は悪運が強いって表現したほうが正確かしら』

「悪運って、何のことだ?」

『エストリア・ユニヴァーサル・フィナンシャル・バンクはね、表向きはエストリア最大の民間銀行だけど、裏では実質政府がその経営を牛耳っている官営企業なのよ』

「……それがどうかしたのかい?」

『いい?ここに、エストリアの軍隊に、とんでもない迷惑をかけられた哀れな被害者がいるわ。そして、その被害者は、エストリアがトリジウムの独占を図るために、一つの国の全ての住人のジェノサイドを企てたことを知っている……それも、ただの一般人じゃない。クーアカンパニーの実質的所有者っていう、エストリアからすればとんでもなく厄介な立場の人間がね』

 

 ダイアナは、思い切り人の悪い声でクスクス笑った。

 

『そのあたりの事情を、然るべき筋から然るべき人間に懇切丁寧に説明してもらったのよ。そして、巻き込まれた人間の中に、あなたの国の経営している銀行から借金をして、首の回らなくなった可哀そうな子供がいるって』

「……」

『そしたら、エストリアのお偉いさん、冷や汗を流しながら、快く貴方たちの借金をチャラにしてくれたわよ』

 

 インユェの表情に驚愕を浮かぶ。

 

『もちろん、わたしはその程度で今回の件を水に流すつもりは全然ないけど、あちら側のご厚意ですからね、遠慮なく受け取っておきなさいな』

 

 インユェは、携帯端末で己の口座にアクセスし、借金の状況を確かめた。

 以前確認した時は、確かに10桁からの借金があったはずが、今確認すると、借金なしと表示されている。

 まるで魔法でもかけられたかのように唖然としたインユェは、自らの頬をつねり、これがどうやら夢ではないらしいと理解して、そして膝から崩れ落ちるように地面に座り込んだ。

 

「――よかったぁ……これで《スタープラチナ》を手放さずに済むのか……」

 

 ほう、と、安堵の吐息をついたインユェは、ケリーの右目を見上げ、

 

「ありがとう、ダイアナさん。恩に着るぜ」

『いいのよ。今回の件の、正当な報酬だわ。何せ、あなたはウォルを救って、そして一つの星の住人全員を救ったんですからね。これくらいの役得、寧ろ少ないくらいよ』

「そうかも知れねぇけど……でも、本当にありがとう。これで、資源探索稼業を続けられるってわけだな」

 

 立ち上がったインユェは、静かに喜びを爆発させた。

 メイフゥも、インユェを肩に手を置き、やはり嬉しそうに笑っていた。

 

「っていうわけだ、ウォル。どうやらおれは、資源探索者をまだ続けられるらしい」

「良かったな、インユェ」

 

 ウォルは、微笑んだまま、頷いた。

 

「一応聞くけどさ、ウォル、おれと一緒に《スタープラチナ》に乗って、資源探索者になってくれないかい?」

 

 軽さを装った、その実、インユェの勇気をふり絞った言葉に、ウォルは、少し寂しそうに微笑みながら、首を横に振った。

 インユェは、頷いた。失望がなかったはずがない。しかし、それ以上の納得があった。だから、彼の表情は晴れ晴れとしたものだった。

 

「それじゃあな、ウォル」

 

 ウォルに別れを告げたインユェは、その内心がどうであれ、微笑んだ。

 微笑んで、一番愛しい少女に、別れを告げた。

 少女が微笑んでいるのだ。ならば、自分も微笑んで別れるべきだと知っていた。

 

「俺さ、今はまだまだ、お前と釣り合わない男だけどさ……。いつか、いつの日か、お前の隣に立っても恥ずかしくない男になったら、絶対に迎えに行く」

「ああ、分かった」

 

 ウォルは頷く。

 

「だが、俺はリィの婚約者だ。その時に、リィと所帯を持っていることもあるだろう。それでもいいのか?」

 

 インユェも頷く。

 

「それでいい。もしもお前がリィの嫁になっていても、例えば子供が生まれていても……その時に、俺を見て、もう一度、俺がお前に相応しい男か、見定めてほしい。それで、もしも相応しい男だと思ってくれたなら……」

「思ってくれたなら?」

「俺の頼みを一つ、聞いてほしいんだ」

 

 インユェははにかみながら、

 

「前も一度言ったろ?俺の故郷で、馬の乗り方を教えてほしいって」

 

 ウォルも、少しだけ、ほんの少しだけの寂しさを含めてはにかみながら、頷いた。

 

「――ああ、分かった。存分に教えてやるさ」

 

 インユェは思い描く。遠い、ふるさとの星。風が波を作る草原で、いつの日か、この少女と二人、馬で駆ける自分を。

 その時の自分は、果たしてどう成長しているのか。できれば、この少女の笑顔に相応しい、一人前の男でありたい。

 もしもそこに愛がなくても、恋がなくても、今と同じように、二人で微笑むことができますように――。

 インユェは、何気ない調子で――しかし、全身の勇気を総動員して、一歩、ウォルに近づいた。少女の漆黒の瞳が、縮まった距離の分、大きくなる。

 今度は、少し屈み、ウォルと目線を合わせ、顔を近づけていく。

 少女の肩に手を置く。指先から、この心臓の高鳴りが伝わってしまうような、そんな気さえする。

 緊張で呼吸が乱れる。自分がどれほど情けない顔をしているのか、想像もできない。でも、このまま別れたら、きっと一生後悔するから。

 そんな少年の心を読んだわけではないだろう、しかし少女は微笑み、ゆっくりと瞼を閉じた。

 インユェも、目をつむる。少しだけ顔を傾けて、鼻と鼻がぶつからないように。

 そして、唇に触れる、柔らかい感触。柔らかい暖かさ。この世で一番愛しい人の体温が伝わる。

 名付けようのない多幸感が、胸一杯に満ちていく。

 離れたくない。離したくない。このまま、少女のか細い身体を抱きしめたい。遠い宇宙の果て、自分と少女以外の誰もいない場所まで連れ去ってしまいたい。

 だが、インユェは、少なくともそんな内心はおくびにも出さず、唇を離した。

 名残惜しくないはずがない。この少女との別れに、未練がないはずがない。でも、きっと、いつの日か、もう一度少女の隣に立ちたい。少年はそう願う。

 ウォルは、もう目を閉じていなかった。いつもと同じ、太陽のような微笑みを浮かべている。

 もう、唇に少女の熱は残っていない。それでもインユェは、この瞬間を、この口づけを、死ぬまで忘れないだろうと思った。

 

 ああ――なんということだ、人は、ここまで深く、人を愛することができるのだ。

 

 きっと、少女と出会う前のインユェには、信じることができなかっただろう。

 そして、人を愛することが、これほど幸福だということも。

 だからこそ――自分は、笑って別れることができる。

 

「絶対に、また会おう。約束だ」

「約束ならば――何に誓う?」

 

 悪戯げに微笑んだ少女の言葉に、インユェは、

 

「お前が俺に与えてくれたもう一つの現身と――そして、宇宙の男としての俺の魂に誓って」

 

 ウォルは、真剣な表情で頷き、

 

「ならば、俺は、この剣と、そして戦士としての魂に誓って」

 

 インユェも、頷いた。竜胆色の瞳に薄く涙を浮かべ、しかし口の端を持ち上げて、にっこりと微笑い、

 

「じゃあ、俺、行くよ」

 

 インユェは、ウォルと相対したまま、数歩後ろに下がり、ウォルの後ろに居並ぶ面々に向けて頭を下げた。

 

「みんな、本当に世話になった。ありがとう。こんな言葉しか選べない自分が嫌になるけど――ありがとう。本当にありがとう」

 

 ルウは微笑っている。シェラも微笑っている。ジャスミンも、ケリーも、そしてリィも、微笑いながらインユェを見送ってくれる。

 零れだしそうになる涙をこらえて、インユェも微笑った。この別れに、涙は不要だ。きっと、もう一度会える。それがいつ、どこでなのか、分からなくても、絶対に、もう一度。

 インユェは、振り返り、《スタープラチナ》に向けて歩き出した。

 否、歩き出そうとした。

 その時。

 

「ちょっと待ちなさい」

 

 インユェは体を止める。

 声をかけてきたのは、ジャスミンだった。

 青灰色の瞳に優しげな光を浮かべたまま、インユェに向けて歩いてくる。

 

「すっかり忘れるところだったが、是非きみに受け取ってほしいものがある」

「俺に?」

 

 ジャスミンは、懐から小さな封筒を取り出した。

 インユェは怪訝な表情でそれを受け取った。

 

「きみには大変世話になった。別れの場面には少し無粋だが、しかし渡さないわけにもいかないからな」

「あの、ジャスミンさん、もしも餞別とかなら、俺、別に……」

「いいから。こういうものは、気持ちよく受け取るのが礼儀というものだ」

 

 そこまで言われると、インユェも断れない。ジャスミンから、封筒を受け取り、そのまま懐に入れようとする。

 その様子にジャスミンは苦笑を浮かべ、

 

「おいおい、中身をちゃんと確かめてくれ。そのために今渡したんだぞ」

 

 餞別の中身を、受け取ったタイミングであらためるのは失礼にあたるのではないだろうか。

 インユェはそう思ったが、わざわざ確かめてくれと言われると、断る理由もない。封筒の口部分を破り、中身を取り出す。

 それは一枚の書類だった。

 果たして何だろう。インユェはそこに書かれた文字を読み上げ――。

 

「……請求書?」

 

 理解が追いつかず、目をまん丸くしたインユェに、ジャスミンは、真剣な口調で、

 

「ああ、請求書だ。このままきみと別れては、一体いつそれを渡せるか分からないからな。無粋を承知で渡させてもらった」

「請求書って……何の?」

 

 小首を傾げるインユェに、ジャスミンは、思い切り人の悪い笑みを浮かべ、

 

「もう忘れてしまったのか?ウォルを失ったと思い込んでいた時のきみが、いったい誰の金で飲んだくれていたのかを」

 

 はっとしたインユェの背に冷たいものが走り抜ける。ざあっと音を立てるように、血の気が引いていく。

 

「な、なんでそれを……!」

「カードでの支払いなら、簡単に足はつく。ダイアナに頼めば、5分もかからず全ての経緯が知れたよ。まぁ、きみ一人がヤケ酒を煽った程度の金額なら笑って済まそうとも思ったのだが、それにしてはずいぶんな金額じゃないか。はて、どのように飲み歩けば、たったの10日程度の間に、平均的サラリーマンの生涯年収もの金額を飲むことができるのか、教えてもらってもいいかな?」

 

 インユェは、失意のどん底にあった10日間を否が応にも思い出すはめとなった。

 自暴自棄の暴走の末、酒場を貸し切り、商売女と遊び、そして他の客の酒代まで全て支払うという豪遊を続けたのだ。その結果、地場回りのやくざものに目を付けられてトラブルを起こし、リィ達と出会うきっかけとなったのだが、それは別の話である。

 とにかく、あの時のインユェの酒代は、ジャスミンのクレジットカードでまかなっていたのであり、そしてその金額がどれほどのものになっているかなど考えもしなかった。なにせ、あのクーア財閥の総帥の財布である。どれほど使おうが、尽きることはないと思っていたのだから。

 確かに、ジャスミンの財産は、インユェがどれほど湯水のごとく酒を飲もうが、女を抱こうが、酒をおごろうが、尽きるようなものではない。だが、使えば使っただけ減るのが金というものの宿命である。

 当然、ジャスミンの口座の残高は、総額からすればごくごく僅かな額であるにしても、結構な金額が減少しており、彼女の不審を買うこととなったのだ。

 

「まぁ、きみがどのように金を使ったのか、それはこの場では不問としよう。ウォルがいる前では話しにくいようなこともあるようだしな。武士の情けというやつだ」

「ア、アハハ……アリガトウゴザイマス……」

「なんだインユェ、人の金で商売女を買ったのか?それは関心せんな」

 

 もとは男のウォルであるから、十分以上に察しがいい。

 ずばりと、インユェにとって最も触れてほしくない事実を口にした。

 

「ウ、ウォル!それは違う……いや、違わないけど……とにかく違うんだ!俺にはお前だけなんだ!絶対に嘘じゃない!」

「別に良いではないか、女を買うくらいは男の甲斐性のうちだ。それに、商売女だって買ってくれる男がいなければ生活が成り立たないのだからな、遊んでやるのは決して悪いことではない。ただ、俺が関心しないと言ったのは、他人の金で買ったことだぞ。今度から、そういう時は自分の金で遊べる範囲で遊ぶようにするべきだ」

 

 慰めるような、そして諭すような口調でそんなことを言う。

 金で女を買ったのかと蔑まれるのも辛いが、しかしインユェにしてみれば、逆に理解がありすぎるのもそれはそれで辛いものがある。

 先ほど別離の口づけを交わした、最愛の少女からの容赦ない一撃に、インユェは悶絶した。

 しかも、それは完全な事実であり、何の反駁もできないところが余計に辛い。

 冷や汗をだらだら流す思春期真っ只中の少年を見下ろしながら、こほんと咳払いしたジャスミンは続ける。

 

「とにかく、重要なのは、きみがばらまいた金は私の財布に入っていたものであり、私はそれを許可した覚えはないということだ。つまり、きみには私が被った損失を補填する義務がある。だからこその請求書さ」

 

 理解したか、とジャスミンは獰猛な笑みを浮かべた。

 顔面蒼白のインユェは、口をあわあわと動かし、咄嗟の言い訳すらできない有様だ。何故なら、ジャスミンの言うことはいちいちもっともで、責任があるのは完全にインユェだからである。

 視線をあちこちにさまよわせ、何事かをどもり、総身をがたがたと震わせるという、完全に挙動不審なインユェであったが、数度深呼吸を繰り返し、ようやく少し顔色を戻してから、

 

「……すまねぇ、ジャスミンさん。全部あんたの言う通りだ。その金は俺がばらまいちまったもんで、すぐに返すことはできねぇ」

「下手な言い訳をしなかったことは褒めてやろう。しかし、どう責任を取るかは別の話だ。それはわかるな?」

 

 神妙な面持ちでインユェは頷く。

 覚悟を決めて沙汰を待つ有様のインユェに、ジャスミンは、

 

「念のため聞くが、返済のあてはあるのか?」

「……すぐには無理だ。すまねぇ」

 

 ジャスミンはにやりと哂い、

 

「そうか、ならば選択肢は限られてくるな。まぁ、幸いきみの顔は中々見られたものだ。いいところの男娼宿で数年間働けば、返せない額ではないな」

 

 男娼宿という不吉な言葉を聞いて、インユェの表情が悲壮に歪む。先ほど、ウォルと口づけたときの幸せそうな顔とは対極にある表情と言っていい。

 ウォルを拾ったとき、女郎宿に売り飛ばそうと考えたことのあるインユェだ。なるほど、因果とはこうして巡るのかと覚悟を決めかけたとき、

 

「しかし、それはどうやら、人間としての品性をどぶに捨てる行為らしいからな。この際、諦めるとしよう」

 

 ジャスミンはくすくす笑う。

 インユェは、目に見えて、ほっと胸を撫でおろしていた。

 

「……あの、ジャスミンさん、じゃあどうやって支払ったらいいかな?まさか、本当に将来まで待ってくれるのか?」

「あのな、ある時払いで催促なしの借金というのは、贈与と同じだ。わたしは、いくらお互いに背を預けあった仲とはいえ、そこまでのお人よしではない。まして、それが本当に返済されるか疑わしいときてはな」

 

 それはジャスミンの言う通りである。資源探索者とは一種の博打商売であり。当たればでかいが、外れれば最悪宇宙の藻屑と消える宿命である。そんな職業のインユェが将来返すと言っても、信じて待てというのが無茶な話だ。

 だが、現実的な話としてインユェの懐に大金は無い。そして、差しあたってインユェの財産と呼べるものは宇宙船《スタープラチナ》号だけであり、もしもこれを借金のかたに差し押さえられてしまえば、資源探索者としての息の根を止められるに等しいのである。

 インユェは、心の中で過去の自分に罵声を飛ばしたが、しかし突きつけられた現実が変わるはずもない。チェスで言えばチェックメイトである。

 

「……分かったよ。やらかしたのは俺だからな、責任は取る。支払いは宇宙船で悪いけど、どうぞ持っていってくれ」

 

 せっかく、借金のかたから外れた宇宙船であるが、仕方ないものは仕方ない。

 そんな台詞とともに。インユェが悲嘆に満ちた特大の溜息を吐き出したとき、ジャスミンは真剣な声色で、

 

「まぁそう結論を急くな。確かにわたしは、きみの散財を水に流すつもりはない。取り立てるべきは必ず取り立てる。しかし――」

「しかし?」

「きみの態度如何によっては、これを一種の投資と考えてやらんこともない」

 

 投資という予想外の言葉に、インユェは首を傾げた。

 

「早い話が、きみが大人になって、成功した暁には、この金額を倍にして返してもらおう、そういうことだ」

「……出世払いでいいってことかい?」

「簡潔に言うならばな。しかし、当然条件はあるぞ」

 

 インユェは身構えた。果たしてどのような無理難題を突きつけられるか――。男娼宿に売られるという選択肢はどうやら無いようだが、辺境の惑星で重労働を課せられるくらいは十分にありうるだろう。

 そう考えたインユェに、しかしジャスミンの出した条件は、思いもよらぬものであった。

 

「条件は、きみが連邦大学に入学し、そして優秀な成績で卒業することだ」

 

 インユェは耳を疑った。果たして、目の前の大柄な女性は、何と言ったのだろう。

 連邦大学に入学する?今の今まで資源探索者として宇宙を放浪してきた自分が?

 目を丸くするインユェに向かって、ジャスミンは続ける。

 

「資源探索者を続けることが悪いなどと言うつもりは毛頭ない。しかし、押しなべて資源探索者の収入は世間一般の水準からすれば低いと言わざるを得ない。無論、一山当てれば一生遊んで暮らせるような収入を得ることができるのは否定しないがね」

「……それは十分に分かってるよ」

「転じて、連邦大学卒業生の収入は、その社会的な地位と合わせて、高水準にある。わたしが投資家ならば、どちらに投資したくなるか、分かってもらえるかな?」

 

 インユェは、流石に睨むようにジャスミンを見遣った。

 

「……つまり、俺に宇宙を捨てろっていうことか?」

 

 ジャスミンは微笑みながら、首を横に振った。

 

「全然違う。きみが資源探索者を続けることを否定できるほど、わたしは偉くもなければ愚かでもないつもりだ。ただ、きみには選択肢を多く持ってもらいたいんだ」

「選択肢……」

「わたしの父も、宇宙生活者だった。今ではめっきり少なくなったが、ゲートハンターという生き方を選び、そして最終的にはこの宇宙で一番の大財閥を築くに至った。一応言っておくが、これは身内の自慢話ではないぞ。わたしが言いたいのは、職業に貴賤などなく、成功するかどうかも関係はない。自分の生き方は自分で選べばいいということだ」

 

 インユェは頷いた。

 

「だが、きみはまだ若い。いや、幼いと言ってもいい。そんなきみが、たった今、これからの長い人生の生きる道を決めるのは、あまりに時期尚早に思える。きみは、資源探索者として生きていくという。しかし、資源探索者以外の生き方を、きみは知っているのか?」

 

 インユェは、素直に首を横に振った。生まれ故郷を飛び出して、そして財産は父親の形見の船だけ。だから選んだのが資源探索者という生き方だったというだけで、言ってみればそれは消極的な選択の一種だったことは否定し得ない。

 

「連邦大学には色んな人間がいる。様々なことを学べる。無論、資源探索者として生きていくのに役立つ知識も学べる。それらを学んだうえで、きみが資源探索者という生き方を選ぶなら、それは素晴らしいことだと思う。そして、もしもそれ以外の生き方を見つけることができたとしたら、それも同じくらいに素晴らしいことだと思う」

 

 ジャスミンは、インユェの肩に手を置いた。

 

「わたしは、今回の事件で、戦うことしか知らず、そして戦いの中で死んでいった子供たちを救えなかった。それはわたしにとって悔いだ。だから、せめてきみには悔いを残したくない。代償行為だと言われれば返す言葉もないがな」

 

 ヴェロニカ特殊軍の子供たちの最期を、インユェも知っている。マルゴ以外の彼らが、どのようにして生き、そして死んだのかを。

 そんな彼らと共に戦い、そしてその死を見送ることしかできなかったジャスミンが、どれほどの無力感に苛まれていたのか、そして今も苛まれているのか。

 だから、インユェは咄嗟に返す言葉を持たなかった。

 

「きみは、学びなさい。それと同じくらいに青春を楽しみなさい。生き方を決めるのは、それからでも決して遅くないはずだ」

「……でも」

「言っておくが、わたしはきみに安楽な道を歩かせたいわけではないぞ。連邦大学の厳しいことは、宇宙でも指折りだからな。勉強についていけなくなったり、素行が悪かったりすれば、即退学だ。そんなことになれば、わたしは投資をすぐに引き上げる。つまり、きみの宇宙船がわたしのものになるか、それとも本当に男娼宿で働いてでも借金を返してもらうつもりだ」

 

 インユェは、今まで、いわゆる義務教育を受けたことがない。故郷の星では母親や集落の大人たちから、そして宇宙へ旅立った後は養い親であったヤームルから基礎的な学問の授業を受けていたが、連邦大学にこれから編入することになれば、その授業についていくためには相当の苦労があるのは簡単に予想できる。

 確かに、決して楽な選択肢ではないだろう。

 だが、ジャスミンの言葉が、自分に対する思いやりなのだということは、年若いインユェにも十分理解できた。

 

「……連邦大学とやらが、つまらねぇ場所だったら、すぐにでも逃げ出すかも知れないぜ?」

 

 不敵なインユェの言葉に、ジャスミンはにやりと微笑った。

 

「連邦大学はそれほど懐の浅い場所ではない。授業についていけなくなったきみが尻尾を巻いて逃げ出すことはあるかもしれないがね。まぁ、それもないだろう。何故なら――きみの一番愛しい人が、そばにいることになるのだからな」 

 

 その言葉に、インユェが、あっとなる。 

 そうだ、連邦大学には――ウォルがいるのだ!

 インユェが、ウォルを見遣る。

 ウォルは――微笑っていた。嬉しそうに。インユェがそばにいることを、喜ぶように。

 それが、例え友人としての微笑みだとしても、インユェにとって、どれほど嬉しかっただろう。

 喜び勇んだインユェはウォルのもとに駆け出し、そして、今度こそウォルの細い身体を抱きしめた。

 

「ウォル!やった!これから、ずっと一緒だ!」

「ああ、そうだな、インユェ。お前も、おれの仲間だ」

「うん!仲間だ!そして、いつか、絶対に、お前をおれのものにしてやるから!おれの恋人にしてやるんだ!」

「それは約束できんな。何といっても、おれはリィの婚約者なのだから」

「そんなの知ったことかよ!」

 

 インユェはウォルの小さな身体を持ち上げて、くるくると一緒に回った。それは、少年の喜びを全身で表していた。

 その幼い様子を見て、ウォルの婚約者であるリィも苦笑していた。

 

「やれやれ、また騒々しくなったもんだな」

「いいじゃないか、エディ。凪ばかりの海が味気ないみたいに、平穏無事ばかりの毎日じゃつまらない。恋もさや当てがあったほうがわくわくするでしょ?」

 

 ルウの言葉に、リィはやはり苦笑を浮かべるばかりである。

 そして、隣に立った大柄な少女に声をかける。

 

「インユェが連邦大学に編入するのは決まったようなもんだけど、メイフゥ、お前はどうするんだ?」

 

 そう問うリィに、メイフゥはのんびりとした様子で欠伸を一つして、

 

「《スタープラチナ》の船長はインユェさ。その船長が、しばらくの間は地に足をつけるっていうんだ。あたしもそれに倣わせてもらうさ。幸い、連邦大学は将来の金持ち坊ちゃんの卵の宝庫だ。今のうちに唾をつけとく相手でも見繕うとするさね」

 

 メイフゥはにやりと笑った。

 なるほど、この少女の狩猟本能は、連邦大学でも発揮されることなるらしい。少なくとも外見だけならば、十分すぎるほどに見目麗しい少女である。特大の猫さえ被り続けることができるなら、さぞ華々しい青春を送ることができるだろう。

 

「だけどさ、リィ、あんたさえいいなら、あたしは本気であんたの嫁になりたいって思ってるんだけどね」

 

 冗談とも思えない口調でメイフゥは言う。

 リィは苦笑する。

 

「だから言ってるだろ?おれは、ウォルの妻であり、婚約者なんだ。今のところ、重婚の予定も婚約破棄の予定もないんだから、勘弁してくれ」

「そっかー、そりゃ残念だ。ま、気が変わったら言っておくれよ。あたしは、永遠の愛が欲しいなんて少女趣味なことは言わないよ。一夜の情熱でも構わないからさ」

 

 熱烈なメイフゥの言葉にも、リィは肩を一つ竦めただけである。

 こりゃ脈無しか、と天を仰いだメイフゥは、

 

「ま、確かにウォルは可愛らしいもんなぁ。あの店でも、なんだかんだいって売り上げはウォルに負けてたんだし……」

 

 手を首の後ろで組みながら、悔しそうに唇を尖らせる。容姿にかけてはそれなりの自信のあるメイフゥであったから、ウォルの方が客を捕まえていたことが悔しいらしい。

 インユェに持ち上げられて、くるくると一緒に回っていたウォルの笑顔が、ぴしりと固まった。

 

「そうだ、メイフゥ、一度聞こうと思って忘れてた。どうしてウォルは、あんな馬鹿らしい服を着て、場末の酒場で働くはめになったんだ?」

 

 馬鹿らしい服。それは、もうウォルは思い出したくもない、バニースーツのことである。

 そうだった、自分があの服を着て、白粉に紅まで引いていたときの映像が、リィに届いているのだった。

 ウォルは、一番思い出したくもない思い出を、半ば無理やり思い出すはめになった。

 そんなウォルの絶望と焦りなどどこ吹く風、メイフゥはしれっと答える。.

 

「そりゃあ決まってるさ。ウォルが、一度でいいからああいう服を着て男の相手をしてみたいって聞かないから、未成年を働かせるのは悪いと知ってたけど、泣く泣く働いてもらうことになったわけさ」

 

 インユェに持ち上げられたままのウォルが、すごい表情で叫んだ。

 

「おいこらメイフゥどの!言うに事を欠いてしれっと嘘をつくな!おれを裸にひん剥いて、あのふざけた装束を無理矢理着させたのはあなただろうが!」

 

 メイフゥは、ウォルの言葉などまるで聞こえないふうで、

 

「まぁ口ではああいうけど、結構気に入ってたわけよ、ウォルも。ほら、見てみなよリィ。鏡に向かってウィンクを決めるウォルの決定的瞬間」

 

 メイフゥは自らの携帯端末をリィにかざし、動画を再生させた。

 そこには、自分が隠し撮りされているなどまるで気づいていないだろうウォルが、仕事合間のふとした瞬間に、鏡に向かってちょっぴりセクシーなポーズを決め、ウィンクするという、正しく決定的な瞬間が映し出されていた。

 

「ウォル、お前……」

 

 リィは、もとは男だったはずの自らの婚約者に対して、ちょっとだけひいた。

 

「違う!違うのだリィ!確かに、よくよく見てみれば中々様になっているなと思ったのは事実だ!しかし、決して楽しんでいたわけではないぞ!俺は心の中で血涙を流しながら……!」

「いやぁ結構楽しんでいるように俺にも思えたぜ。好きな酒も思うさま飲めるし、男連中にはちやほやしてもらえるし、チップも弾んでもらえるし……」

「わたしが抱き締めたいとお願いしたときも、どんとこいという有様だったしな」

 

 怪獣夫婦が頷き合う。

 

「そうだった、王様、あなたにはああいう服もいいけど、もっと可愛らしい衣装のほうが似合うと思うんだ!連邦大学に帰ったら、一緒にショップ巡りしようね!」

「ええ、そうですね、この方を飾り付けるのは、素材が良い分、腕が鳴るというものです。小物なら、手作りで合わせるのも面白いですね!」

 

 ルウとシェラは、どういうコーデがウォルに相応しいか、早くも熱論を交わし始めている。

 

「いいじゃねぇか、ウォル!どんな服を着てたって、お前はお前だ!この世で一番可愛いことに変わりはねぇからよ!」

 

 ウォルを抱き締めたままのインユェの、熱烈な言葉である。

 ウォルは、ぷるぷると震えながら、

 

「ちっがーう!俺には、戦士の姿が一番相応しいのだー!」

 

 どこからどうみても戦士にだけは見えない、愛らしい少女の心からの叫びであった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。