懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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転章

 そもそも、レティシアの私室をヴァンツァーが訪れるのは極めて稀なことであった。

 レティシアが専攻するのは医学であり、通うのは主にセム大学のキャンパスである。それに対してヴァンツァーが専攻するのは経済学であり、通うのはプライツィヒ校のキャンパス。寮こそ同じエクサス寮ではあるが、それ以外の生活圏はまったく異なる。

 食堂で顔を会わせれば会釈程度はするし、世間話を交わすこともある。だが、端から見ればそれほど親密という雰囲気ではないから、彼らが友人である(それぞれに言い分はあるかも知れないが……)ことを知らないものも少なくない。

 一つの寮で異なる学校の学生が共同生活を営むのは、それ自体が別に珍しいことではない。一つの星が丸ごと学校で埋め尽くされている連邦大学ティラボーンである。一つの学校に一つの寮というスタイルではなく、多くの学校に多くの寮というスタイルを取っている以上、違う学校に通う生徒、違う専攻を選択している生徒が同じ寮で生活するのはむしろ普通のことなのだ。

 だからといって、同じ寮に住む異なる学校の生徒同士の交流が疎らなのが普通かというと、そうではない。むしろ連邦大学の首脳陣は、異なる学校の生徒同士が積極的に交流することをこそ望んでいるのだ。

 どれほど開放的な雰囲気をもつ連邦大学であっても、一つ一つの学校が独自の校風を纏うのは避けられないし、それを悪しきことであるとも考えていない。そして、それぞれの校風を身につけた生徒同士が同じ寮で交わり、異なる価値観を理解した上で切磋琢磨する。これぞ共和宇宙の縮図であり、連邦大学の目指すべき教育理念であると信じているのだ。

 そういう理由から、たとえ専攻や学校が違っても、同じ寮に住み仲の良い学生というのは数多い。そして、彼らは、いったん授業が終われば同じ寮の仲間として街にくり出し、学生らしい健全な遊びに時間を忘れることもしばしばである。

 だから、学校や専攻が異なること自体が、ヴァンツァーをしてレティシアの私室から遠ざける理由にはならない。

 ヴァンツァーが、自分と同郷の出であるレティシアの部屋に近寄らない理由は一つではない。勉学が忙しくてそんな時間が取れない、そもそも部屋を訪れる必要性がない、美少年である自分とレティシアが頻繁に同室に籠もることで妙な勘ぐりを受けるのが鬱陶しい――。

 それらの理由は至極もっともなものではあったが、それよりも遙かに大きな理由がある。

 ヴァンツァーはレティシアが苦手なのだ。

 もっと極端にいえば、ある種の嫌悪感を抱いているといってもいい。そして、それと同等かそれ以上に恐れてもいる。

 かつて自分が闇の稼業に勤しんでいたときから、同業同僚であったレティシアである。ある意味では古なじみといっても間違いではないのに、その頃から、麝香猫の瞳をした痩せっぽちの少年がどうしても好きになれなかった。それはヴァンツァーに限らず、レティシアという男を知る全ての人間の総意であっただろう。

 暗殺術の達人ばかりが揃った一族の中でもずばぬけた実力を誇り、一度だって仕事を失敗したことはない。これでレティシアがもう少しまともな暗殺者であったならば一族中からの尊敬を一身に集めていたのだろうが、彼はあらゆる意味でまともではなかったのだ。

 毒蛇毒虫の群れに混じっていても、さらに際だった残虐性。人を殺すのを楽しむのではない。むしろ、人を人であると理解していない、いや、理解しながらもそれを無視するような、熟練の暗殺者であっても肌を粟立てる冷酷さと無関心。そして、圧倒的なまでの人殺しの技量。

 人が自身よりも優れた人間に賛辞を送るのは、その牙が自分に向かないことを確信しているからだ。たとえ自分よりも優れていたとして、目の前でまさに飛びかかろうとしている獅子に、誰が惜しみない賛辞を向けられるのだろうか。

 自然界の補食者の天敵が、しばしばそれと同族のより大きな個体であるように――蛇が蛇を喰らうように――ファロットと呼ばれた一族にとって、レティシアという少年は伝家の宝刀であると同時に自決用の毒薬でもあったのだ。

 そして、ファロットの中でもレティシアと最も親しかったのは、一族の長であったファロット伯爵を除けば(本人にとっては極めて不本意ながら)ヴァンツァーという男であった。

 レティシアのほうも、里出身という、ファロット中枢では珍しい出自を持つ寡黙な男を気に入ったようで、二人の関係は、それ自体が双方の望んだものであるかどうかは別にして、結構長く続いた。具体的に言うと、ヴァンツァーが一度黄泉路に旅立つまで、である。

 それからほどなくして、ファロットという闇の一族は、運命に定められていたかのように滅びの道を辿り、一族の忌み子であったレティシアもその後を追った。これで、銀盤の月となった少年以外、ファロットを背負うものは現世から姿を消した。

 はずであった。

 それが、まったくもって何の因果かわからないが、自分たちが元いたのとは似ても似つかぬこの世界で復活し、のんべんだらりと学生などをやっているのだ。彼らではなくとも果たしてこれが現実かと疑いもするだろうし、全知全能の神であったとしてもこんな未来を見通していたか否か。

 とにかく、二人の腐れ縁は、世界を違えても現在進行形で継続中なのである。

 この世界では、彼らの技量――この上なく物騒な技量だ――は、基本的に必要とされることが少ない。使ったことが全くないといえば嘘になるが、それは止むに止まれぬ事情というやつであって、彼らの方から積極的に行ったのではない。「目指せ一般人」という奇妙な標語を掲げる少年が、彼らを蘇らせたある種の恩人だから、というのもあるだろう。

 ヴァンツァーも、幸か不幸か、レティシアの妙技を目の当たりにする機会を劇的に減らしている。数多くの友人に囲まれて、輝くような笑みを絶やさない麝香猫の瞳を見る度に耐えがたい違和感を感じるが、それは向こうも同じことなのだろうと、さしあたり理解は出来ずとも納得はしているのだ。

 だからといって、仕事以外で、この超特大の危険物と積極的に交わろうとは思わない。そういう意味でいえばヴァンツァーも人の子なのであり、いわゆる常識の持ち主であった。いくら自分を襲わないという確信があり、あちらもそれを公言しているとしても、いまだ牙の鋭い毒蛇の前に進んで肌を晒すのは勇気ではなく無謀であり、生物としての致命的な欠陥でしかない。

 つまり、ヴァンツァーはレティシアが苦手なのだ。

 

「どうしたの、珍しいじゃん」

 

 ごろりとベッドに横になって雑誌をめくっていたレティシアが、くりくりとした黄色の瞳に興味の色を浮かべて、自分を見ている。一昔前であれば、あまりの現実感のなさに白昼夢かと疑うような光景である。

 ヴァンツァーは何も言わず、後ろ手に扉を閉めた。

 これで、部屋には二人きりだ。

 猛獣の檻に閉じこめられたよりも激しい不安感が、ヴァンツァーの心臓を握り絞ったが、少なくとも表面上は平静を装っている。

 しかし、それはあくまで表面上のことであり、その奥を見通す術に長けた手練には通じない。

 レティシアの、麝香猫のように大きな瞳が、心底愉快そうに歪む。

 

「お前さ、いつまでたっても、その癖が抜けねえのな。おれがお前をぶっ殺したって、今んとこ何のメリットもないことくらい、早いとこ分かれよ」

 

 繰り返すが、それなりに付き合いの長い二人である。ヴァンツァーとてそれくらいのことは重々承知している。

 目の前の男は、快楽性の愉快殺人鬼のように、可愛らしい存在ではない。

 だが、それ以上に、この危険物が、とんでもなく気まぐれなことも理解している、いや、思い知らされている。

 ある日突然、この平和な世界に、

 

『飽きた』

 

 と言い、

 

『ちょっくら、王妃さんと遊んでくる。そこで相談なんだがよ、ちっと体がなまっちまったからさ、リハビリ代わりにいっちょ頼むわ』

 

 と言われない保証がどこにあるというのか。

 この場合の頼むとは、試し斬りの実験台となってくれという意味であり、それは不可避の死を意味している。本気になったレティシアと正面から生身で渡り合えるのは、世界広しとはいえ、王妃と、王妃の連れである妙な占い師くらいのものだろうと、ヴァンツァーは確信していた。

 つまり、自分では歯が立たないことを理解しているのである。

 そんな相手と同じ部屋に二人きり。緊張するなというほうが無茶なのだ。

 だが、今の状況を望んだのはヴァンツァーのほうである。もしもレティシアの部屋に訪れたくなければ、電話で用件だけを伝えるという方法もあるし、談話室に呼び出すことだって出来た。

 それをわざわざ毒蛇の巣に訪れたのは、それなりの理由があるからだ。

 相も変わらず無防備に横になったレティシア、その脇を最大限の警戒とともに歩き抜けたヴァンツァーが、ベッド脇に置かれた勉強机の椅子を引っ張りだし、そこに腰掛けた。

 沈うつな面もちで腕を組み、長くすらりとした足を組んだ美少年という、何とも絵になる構図であったが、そんなことはレティシアには興味がない。この元同僚に、観賞物としての価値など、一度だって見いだしたことはないのだ。

 レティシアも流石に体を起こし、読みかけの雑誌を片づけた。それでもヴァンツァーは、相変わらず小難しい顔をしたまま、口を開こうとはしないのだ。

 レティシアは、呆れたように肩をすくめた。

 

「今更お前に景気の悪いつらをするなとは言わねえけどさ、わざわざ人の部屋に入ってきてぶすっと黙り込むって、やっぱり失礼ってやつじゃねえの?」

 

 レティシアは何とも愉快そうに言ったのだが、

 

「では、俺は機嫌良く満面の笑みを浮かべながら今日の出来事を面白おかしく語ればいいのか?」

 

 ヴァンツァーは真剣な調子で問うた。

 その言葉を聞いたレティシアは、一瞬驚きに目を丸くした後で、げんなりとした表情を浮かべて首を横に振った。

 

「だめだ。舞台以外でお前のそんな様子を見たら、こっちの脳味噌がやられっちまう。やっぱりお前は、眉をしかめた景気の悪い面のほうがお似合いだ」

 

 失礼この上ない言葉であるが、ヴァンツァー自身、その人物評が極めて公正なものであると思ったので、別に不快には思わなかった。

 口にした当人であるレティシアも、失言だったと思っていないようで、平然としながら、

 

「じゃあ、言い方を変えるけどさ。お前が、いつも通りにこの世の終わりみたいな景気の悪い面をするのは結構なことだとして、わざわざおれの部屋ですることはねえと思うんだよ。こっちは実験で疲れた心身をリフレッシュさせてる真っ最中なんだぜ。こういう場合は、気を使って用件を手早く済ませて早々に引き上げるのが友達ってやつだと思うんだがね」

 

 友達という単語を初めて聞いたように、ヴァンツァーは心底不思議そうな顔をしたが、その真意を敢えて問いただそうとはしなかった。

 ただ無言で、そして、地の底に閉じこめられた亡者が天に対してするように底冷えのする視線で、レティシアを睨め上げながら、

 

「相談がある」

 

 たった一言である。だが、レティシアの興味を引くのに、これ以上効果的な台詞もなかった。

 もともと強い瞳の光を爛々と輝かせ、身を乗り出すようにして、

 

「なになに、どんな相談?金はあまり期待するなよ。殺しは、王妃さんにばれないならオッケーだぜ。最近は退屈極まりねえからよ。女は……ま、お前からそっち方面の相談はねえわなぁ」

 

 指折りに数えたレティシアである。

 今までも、例えば仕事の関係で協力関係を結んだことは何度もあるし、そちらの頼みごとをされたことも珍しくはない。

 だが、それはあくまで仕事の相談である。それだけならば電話の一本で済ませればいいのであり、こんな思い詰めたような表情で、わざわざ私室を訪れる必要はないのだ。

 果たしてこの元同僚が、いったいどのような悩みを抱えて自分を頼りに来たのか、レティシアは無邪気に楽しんでいた。

 隠しきれない興味にきらきらとしたレティシアの前で、怜悧な美貌の少年は、ぼそりと呟いた。

 

「まさしくそれだ」

 

 レティシアは首を傾げた。

 

「それ?」

「今、お前が言った」

「金?殺し?」

「違う」

 

 一瞬不思議そうに首を傾げたレティシアだったが、ヴァンツァーの言葉を反芻し、理解すると、その非現実性に顔を歪めて驚愕した。

 一番あり得ない、冗談以外の何物でもないつもりで言った言葉である。

 ほとんどのことには動じることのないもと暗殺者の少年が、声を震わしながら、そして人差し指を向けながら、目の前のもと同僚に訊いた。

 

「まさか……あり得ないとは思うけど、まさか……万が一に……女?」

「そうだ」

「お前が、女のことで、おれに相談したいっていうのか?」

「そうだと言っている」

 

 目を極限まで見開いたレティシアは、これは天変地異の前触れかと恐れおののいた。思わず腰を浮かし、この場から逃れる準備をしてしまったくらいだ。

 冗談かとも思う。生き物は絶えず進化し、事物は移ろいでいくものだ。ならば、この面白味のない男が、自分をからかおうとして冗談の一つを口にするということも、あり得ないとは言い切れない。

 しかし、いつも通りの小難しい顔で腕を組み足を組んだヴァンツァーに、嘘や冗談を言っている雰囲気はどこにもない。

 これで、もしも、この男が嘘や冗談を口にしているならば、自分はこいつのことを根本的に誤解していたことになる。それとも、一度死んでもちっとも変わらなかったこの男の性格を変えてしまうほどの、とんでもない何事かが起きたのか。

 それとも、まさか、万が一に。これが間違いなく、最も恐るべき可能性であるのだが……。

 

「……本当、なのかよ?」

「……俺がお前に女の相談をすることが、そんなに奇妙なのか?」

「奇妙っていうか何ていうか……」

 

 言葉を失ってしまったレティシアである。

 奇妙といっては足りない。驚愕といっては何かが抜け落ちている。信じられないといっては薄っぺらい。

 敢えていうならば……。

 

「……何をしている」

「いや、夢じゃねえかと思ってよ」

 

 気がつけば、レティシアは自分の頬を抓っていた。これが夢――それも、なぜか悪夢に分類されると思った――ではないかと疑ったのだ。

 だが、鮮烈な痛みは、これがちっとも夢ではないことをレティシアに教えた。

 夢であってくれれば……。別に、夢であることを切望するほどの凶事があったわけでもないのだが、何故かレティシアは、今の事態が夢でなかったことを神に罵った。

 それでも、いつまでも唖然としているわけにはいかない。それに、この堅物の――果たしてそう評するのが正しいか否かは置いておいて――友人が女性に興味を持ち、そのことで自分に相談があるというのだ。

 考えてみれば、これほど楽しい出来事はそうそうありはしない。それこそ、あの黄金色の狼が絡んだ事件以外では、初めてといっていいかも知れない。

 俄然やる気のでてきたレティシアが、にやりと不適な笑みを浮かべた。

 

「ま、色々と言いたいことはあるけどさ、そこらへんはちょっぱっておこうや。でさ、その子、可愛い子ちゃんか?」

「俺の美醜の基準に照らせば、最上級に可愛らしい。おそらく、王妃だった頃の王妃といい勝負だ」

 

 王妃だった頃の王妃とはわかりにくい表現だが、レティシアはよく理解した。

 要するに、絶世の美女ということだ。

 加えて言えば、顔の造形が整っているだけで中身が空っぽの風船女では、あの王妃の足下にだって及ばない。ヴァンツァーが王妃を引き合いに出す以上、美しいことは最低限の条件であるとしても、それ以上に輝く何かが内面から滲み出ているはずだった。

 ヴァンツァーに比べれば人並みに女性に興味のあるレティシアが、冗談ではなく羨ましげに呻いた。

 

「あの頃の王妃さんとどっこいどっこいの女って、そんなのがこの世界にいたのかよ。ちぇ、そんなのがいればおれが唾を付けてたのになぁ。いや、もてる男は羨ましいねぇ」

「唾を付けたければ付ければいい」

 

 ヴァンツァーがあまりに平然と言うので、レティシアは首を傾げてしまった。

 

「いいの?」

「構わん。別に、俺の女というわけではない」

「へっ?」

 

 レティシアが間の抜けた声を出した。

 目の前に座った妖艶な美少年を、あからさまな軽蔑の視線で見遣り、

 

「あの頃の……女だった王妃さんと同じくらいにべっぴんで、旨そうな女がいて、まだ唾をつけてないって?」

「そうだと言った」

「じゃあ、これから落とそうとしてるんだ」

「誰が。頼まれたって御免だ」

 

 蛇蝎を睨むように顔をしかめたヴァンツァーである。

 対してレティシアは、深く深くため息を吐き出した。

 

「おまえさぁ……。いつか言おうと思ってたけど、やっぱり男としてどっかおかしいぜ」

「言われるまでもない。自覚はある」

 

 平然と言ったヴァンツァーである。

 いつもいつも言われていることだ。今更指摘されたところで、痛くも痒くもない。

 

「じゃあさ、おまえ、その可愛い子ちゃんについて、どういう相談があるんだよ。まさか、手込めにするから浚ってほしいとか、恋文を届けてほしいとか、そういう可愛らしい相談じゃないんだろう?」

「会ってほしい」

「会うって、俺が、その可愛い子ちゃんとかい?」

 

 ヴァンツァーは、平然とした顔色で首肯した。

 レティシアは、ますますわからない。

 

「そりゃあ構わないし、嬉しいくらいだがよ……。なぁんか腑に落ちねんだよな」

「俺が、お前をはめようとしているとでも?」

「いや、お前はそこまで馬鹿じゃねえだろ。おれを敵に回して明日があるなんて勘違いする輩とはものが違うしよ」

 

 レティシアの言葉はあまりに平然としていて、普通の人間が聞けばうっかり聞き落としてしまいそうなものだ。しかし、そこに込められた危険性は並大抵のものではない。

 無論、ヴァンツァーはそのことに気がついている。そしてこれも当然のことであるが、目の前の危険物を敵に回すつもりなど更々ないのである。

 

「おまえ、いったいどういうつもりだ?」

 

 レティシアが、本日一番危険な瞳でもと同僚を射抜く。

 その剣呑な輝きに気圧されているのを自覚しながら、ヴァンツァーは、その端正な唇を動かした。

 

「判断してほしいだけだ」

「判断?」

「俺には、その女が王妃に見える」

 

 レティシアが、不満げに眉を寄せた。

 

「それって、あの王妃さんと見間違えるくらいのそっくりさんってことか?」

「違う。確かに顔の造形は整っているが、似ても似つかない女だ」

「……あのさ、お前、何が言いたいんだよ。あまり遠回しだと、さすがにいらついてくるんだけどよ」

「言ったとおりだ。俺には、その女が、いや、その生き物が、王妃と同じ生き物に見えてしまう。そんなことがこの世にあるのかと我ながら信じ難いのだが、どうしても見えてしまうんだ」

 

 ヴァンツァーが苦々しげに言った。

 

「その点、お前の審美眼というか、判断は極めて信頼が置ける。俺自身の判断よりも、遙かにな」

 

 ようやく、少しずつ話が飲み込めてきたレティシアである。

 

「お前、ひょっとして、その女について何の興味もない?」

「興味はある。しかしそれが性愛に関するものかと問われれば、全く無いと答えざるを得ないな」

 

 それでも、女に関する相談であることには違いない。

 別に惚れているわけではないから、レティシアが唾をつけても一向に問題がない。

 

「もしかして、口を聞いたこともない?」

「俺は、あんな生き物の側に進んで近寄ろうとするほどに命知らずではないつもりだ」

 

 だから、レティシアに依頼するのだ。この男ならば、どのような危険に晒されても問題ないだろう。

 よしんば何かがあったとしても、ヴァンツァーにとっては身近な危険物の一つが消えてなくなるだけであり、さしてデメリットもない。

 そして、その女と会うことは、それだけの危険を内包しているのだとヴァンツァーは判断した。

 なるほど、これは立派な「依頼」であった。

 レティシアのいたずらげな瞳が、愉快そうに笑う。まったく、このもと同僚はこういうふうに可愛らしいから、どうしても構いたくなってしまうのだ。

 

「おまえさ、やっぱりいい性格してるぜ」

「怖いなら、それとも面倒なら断ってもらっても構わない」

「誰が。そんな可愛い子ちゃんで、しかも王妃さんと同じなんだろう?なら、是が非でも会ってみたいね」

 

 うきうきとした、今にも獲物に向かって飛びかかりそうな声で、レティシア。

 無理もない。彼にとっての王妃は、極上の麻薬と同義であった。ひとたび用法を誤れば死、絶えず用い続けても死、そして決してやめる気にはなれない。だが、それを使っている間は天上の快楽を約束してくれる。

 そんな生き物が、この世にもう一匹いるかもしれないという。これが嬉しくなくて、何が嬉しいものか。

 もう、今更やめるといえば拷問でもされそうな勢いであった。

 それを期待して話を持ちかけたとはいえ、ヴァンツァーには信じられない思いである。

 好色で、女のことしか考えられない発情漢が、目当ての女に入れ込むのではない。ヴァンツァーの何気ない話の中にどれだけの危険が内包されているのかを十分に理解しながら、それでもその危険物に近づきたいのだ。

 匂いを嗅ぎ、前足でつつき、甘噛みし、いったいどんなものなのかを知りたい。出来れば、自分のものにしてみたい。

 それが、レティシアという人間、いや、生き物の習性であった。

 

「でさ、おれがその子と会ってさ、やっぱり王妃さまと同じ生き物だって判断したらどうするんだ?」

「正直、迷っている。積極的に排除するべきなのか、それとも無視を決め込むべきなのか」

 

 思ったよりも過激な意見に、レティシアは驚いた。

 

「へぇ、おまえもそんなことを言うんだねぇ」

「今日、俺がその女と顔を会わせたのがごくごく低い確率の偶然ならばいい。だが、もしも生活圏が同じで、今までたまたま出会わなかっただけならば……今後の俺たちの身の安全に関わる問題になりかねない」

 

 レティシアは、ヴァンツァーの意見を大げさだとは笑わなかった。

 もしもその女がヴァンツァーの言うとおりに王妃と同様か、それに近い生き物であれば到底安易に扱っていい存在ではない。

 将来自分たちにとって不利益になる存在であれば早々に排除するのが得策であるし、そうでなくても素性を調べあげて非常時に備えるくらいの手は打っておいた方がいい。

 あれは、ファロット一族の最精鋭である二人をしてそれだけの警戒をさせる、最大級の危険物なのだ。一度その鋭い牙が自分たちに向けられれば、命のやり取りを覚悟しなければならない。

 

「わかった、お前の依頼は引き受けさせてもらうさ。個人的に興味もあるんでね。ちなみに、その子の住所は?それくらいは調べてるんだろう?」

「いや、まだだ。何せ、今日初めて顔を見た。どこに住んでいるのか、どの学校に通っているのかも定かではない」

 

 普段のヴァンツァーにはあり得ない杜撰さだ。

 しかし反面、それだけ急いでレティシアに依頼を持ってきたともいえる。

 その点は、レティシアはヴァンツァーを批判しなかった。

 

「いったいどこで会った?」

「アイクライン校の図書館だ」

「名前はわかるのか?」

 

 ヴァンツァーは頷いた。

 

「フィナ。確かにそう名乗っていた」

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