懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
ウォルの、インユェに対する仕置きがどれほど凄惨だったかは語るまい。
ただ、インユェの中での怒らせてはいけない女性ランキング(無論、メイフゥ、ジャスミン、ダイアナは登録済みだ。)の最上位にウォルがランクインしたのは言うまでもない。
インユェがぼろ雑巾のような姿でリングから叩き出された後、残った6人は順番にパートナーを変え、思う存分運動を楽しんだ。
結果は、一番勝率が高かったのはダントツでルウ、次にリィが続き、ウォル、シェラ、ヴォルフとメイフゥは団子といった感じであった。基本的にマススパーであったから、全員怪我を負うようなこともない。ただ、ヴォルフとメイフゥが、プロレスのように手四つの態勢で力比べに及んだときは、押し負けそうになったメイフゥが危うく『虎人』に半形態変化しかけたため、これは全員が慌てて止めさせた。
「ったく、正面から力比べで負けたのは、真っ当な人間の中じゃあんたが初めてだ。その上、殴っても蹴っても、ぽんぽんはじき返されて、まるでダメージを与えてる気がしない。大型トラックのタイヤを叩いてるのかと思ったよ。一体何食えばそんな馬鹿みたいな身体になれるんだい?」
唇を尖らせたメイフゥのぼやきに、ヴォルフは大口を開けて笑いながら、
「目の前にあるものは全部、食えるだけ食う、これがこつだな。メイフゥ、お前も中等部でそのガタイなら、まだまだ十分望みはあるぜ」
「あたしはいいんだよ、これ以上でかくなると、男漁りに支障が出るからね。ただ、愚弟はもう少しでかくしてやらねぇと、並んだときに見栄えがよろしくないからね。これでも、あいつは船長、あたしはその部下だ。船長が部下よりちみっこいってのはどうにもよろしくねぇ」
そんなのんびりとした会話を交わしつつ、一同は小休止に入った。
普段は分厚い猫を被った生活しないと騒ぎを起こしてしまう面々だったから、限界まで身体を酷使できる機会は貴重である。一休みする一同の顔には、すっきりとした笑みが浮かんでいた。
魂が抜けたように倒れ込んでピクリとも動かないインユェを尻目に、車座にマットに座り、自身の近況などを話したりしている。
「ところでヴォルフどの。どうしてあなたは連邦大学に引っ越してきたのだ?」
ふかふかのスポーツタオルで汗を拭いつ、ウォルが問いかける。
それに対して、こちらは、2リットル入りペットボトルのスポーツドリンクを一息に飲み干したヴォルフが、からからと笑いながら、
「別にどうってことはねえさ。ただ、前の職場を馘になってな、絶賛無位無官の身の上だ、どうせ住むなら面白い奴らのご近所にって思っただけのこった」
「馘とは穏やかではないが……何があった?」
気遣わし気なウォルの言葉に、ヴォルフは噛みつくように獰猛な笑みを浮かべ、
「気に食わねえ上官をビルの屋上から放り投げた」
これには、流石にこの場にいた全員が唖然とした。荒事には慣れっこのメイフゥですら、一瞬我が耳を疑ったほどである。
「そんな顔しなさんな。相手さんは無事――かどうかは知らねえが、とりあえず死んじゃいねえよ」
「……死んでないからいいとか、そういう問題ですか?」
この中では比較的穏健派の枠に入るシェラが、恐る恐る尋ねる。
これに対して、ヴォルフは、まるで他人事のように軽く肩をすくめて、
「どうもそういう問題じゃなかったから、晴れて俺も自由人の身ってことらしいな。ま、幸いなことに結構な退職金ももらったからよ、当面の間は懐も暖かいし、こうして大手を振って、お日様の下で遊びほうけていられるわけだな。ありがてぇこった」
顎下の無精ひげをさすりながら、のんびりした様子のヴォルフであった。
◇
惑星ヴェロニカでの事件の後、そのけじめとして、ヴォルフは自身を裏切った元上官アレクセイ・ルドヴィックを執務室から拉致し、連邦情報局ビルの屋上から投げ捨てるという、共和政府でも前代未聞の大事件を起こした。
情報局ビルは五階建て、高さ30メートルはあろうという建物だから、その屋上から放り投げられたとあっては、普通なら命はない。
無論、ヴォルフもそのつもりでアレクセイを放り投げたのだ。結果として、軍人の身分を失うことも、逮捕収監されることも覚悟の上である。それらを天秤にかけてなおアレクセイの裏切りは許し難く、ヴォルフは本気で怒っていたのだ
しかし、余程幸運を司る星の下に生まれたのか、アレクセイはビルに横付けして駐車していた大型トラックの荷台に着地することとなり、幸か不幸か一命を取り留めた。
こうなってしまっては、流石のヴォルフも、もう一度アレクセイの命を狙おうとは思わない。もしもこれが天の差配であるなら、天はあの男がもう少し生きても良いと、それとも、今、自分があの男を殺すべきではないと、そう言っているのだろう。ヴォルフはそう理解した。
とはいえ、ヴォルフの行為は正しく殺人未遂であり、起訴されれば厳罰を免れない。ヴォルフもそうなるのだろうと思っていた。
ただ、事件現場が情報局のお膝元であり、被害者も情報局の人間、そして加害者はといえば、元の身分は軍属とはいえ、情報局に出向中の人間であったことが、事態を明後日の方向へと運んだ。つまり、情報局の人間同士のいざこざなのだから、警察に通報する前に、まずは情報局内で事情聴取をすべきだろうという運びとなったのだ。
ほどなく、連邦情報局ビルの取調室に連行されたヴォルフは、狭い室内に輪をかけたように小さな椅子に座らされ、二人の査問官によって詰問されることとなった。
「ヴォルフガング・イェーガーくん、きみは優れた軍人だと聞いている。勤務評価、作戦の成功確率、そして獲得した勲章の数。いずれも、一流の共和宇宙軍の軍人として相応しいものだ。そのきみが、何故このような、野蛮な行為に及んだのかね!?」
至極当然の質問である。
しかし、本来であれば、被尋問者に圧力を加えて精神を摩耗させ、真実を語らせる――或いは自身の要求する内容を真実として語らせる――ことが職務であるはずの査問官達だったが、軍の最前線で修羅場を潜ってきたヴォルフが相手では些か役者不足であったらしい。
背もたれに身体を預けてリラックスした様子のヴォルフに対して、査問官は、二人がかりでもプレッシャーをかけることができず、むしろ査問官側が冷や汗を流している有様だ。
無理もないだろう。もしも目の前の大男が何かの拍子に暴れだせば、どう考えても自分達だけで取り押さえるのは不可能だ。加えて、この大男は現実に、過去の上司を殺そうとしているのである。
まるで猛獣と一緒の檻に入れられたように、二人は萎縮してしまっていた。
そんな二人を前に、やはりゆったりとした微笑みを浮かべたヴォルフは、
「そんなに怯えんでも、あなた方をどうこうするつもりはありませんよ。別に恨みがあるわけでもなし、取って食っても美味そうには見えませんしね」
「……余計な口は叩かず、先程の質問に答えたまえ!」
明らかに怯えた様子の査問官に、寧ろヴォルフは気の毒そうな視線を遣り、
「そんな大騒ぎするほどのことじゃないと思うんですがね。私は、ただ、あの男に落とし前をつけてもらっただけのですよ」
「落とし前だと?」
「ええ、そう表現するほかに、言い表しようがありません」
そしてヴォルフは語った。
先般の、惑星ヴェロニカで起きた大事件の顛末、自分がその事件の中でどういう役回りを演じることとなったか、そしてアレクセイの裏切りが自分やウォル達をどれほど危険に晒したか。
ヴォルフの釈明――と呼ぶにはあまりに不遜な態度っであったが――を聞いた査問官は、真面目な表情でその話を聞き、調書を作成しながら、しかし内心鼻で笑った。惑星ヴェロニカの騒動は耳聡い彼らにとって周知の事実であったが、ヴォルフの語った内容はあまりに荒唐無稽で、到底真実とは思えなかったのだ。
これは、精神に異常をきたした軍人の、被害妄想による事件として片付けるのが妥当だろうか、そう考え始めた査問官は、ヴォルフから聴き取った内容を報告書に起こし、それを己の上司である査問室長へと報告した。その報告を聞いた査問室長は、やはり部下と同じ感想を抱きつつ、しかし念のためということで、さらに自身の上司である、情報局長官アダム・ヴェラーレンに報告した。
ヴェラーレン長官にとって、一介の職員、しかも出向中の職員の不祥事など、本当にどうでもよい話である。無論、例えば外部的な問題に発展するならば局の最高権者として対応せざるを得ないが、今回は内部の人間同士のごたごたである。如何様にでももみ消せるし、口を封じることもできるだろう。そう考え、興味の薄い様子で書類をめくる。
だが、長官の表情が青ざめるのに、そう時間はかからなかった。無味乾燥とした文章の中に、彼の脳髄に恐怖とともに刻み込まれた固有名詞を見出したからである。
「エドワード・ヴィクトリアス・ヴァレンタインに、ルーファス・ラヴィーだと……?」
それは正しく、彼にとっての悪夢を体現する名前の組み合わせであった。慌てて報告書の頭に戻り、一字一句逃さずに読み直す。
惑星ヴェロニカの事件の経緯そのものは、当然のことではあるが、ヴェラーレン 長官の耳にも入ってきている。そして、その中でエストリアが暗躍し、あやうく一つの惑星を目標としたジェノサイドが実行される直前だったこともだ。
だが、その大事件の中で、ヴェラーレンの言うところの『金色の魔獣』と『黒い悪魔』がどのような関わり方をしたのか、情報局長官という要職に就く彼も、この時点で初めて知ったのだ。そして、情報局に席を置くアレクセイ・ルドヴィックという人間の背信が、彼らにどれほど危険を及ぼしたのかも。
ヴェラーレン長官の顔色が、死人のように青ざめるまで、そう時間はかからなかった。無理もない。彼らは――あの歩く超新星爆発と呼吸するブラックホールは、自分達に害を及ぼす存在が現れた時、存在自体の排除ではきっとその刃を収めない。きっと、いや、間違いなく、その組織の長の責任を糾弾し、弾劾するはずだ。それも、弁舌ではなく、実力行使で。
その場合、組織とは連邦情報局であり、責任者とは自分、アダム・ヴェラーレン である。
過去の経緯から、彼らが自分に対して好意的な感情をひとかけらも抱いていないことなどはっきりしているし、彼らの矛先が自分に向けられたとき、どのような言い訳も反撃も不可能であることは身に染みて承知している。
ならば、方法は一つだけだ。全てを、彼らに知られる前に、あるべきかたちに処断するのみである。
次の日、留置所に放り込まれて、狭いベッドで窮屈そうに眠っていたヴォルフは、息せき切ってきた査問官に叩き起こされ、着の身着のままで情報局長官室へと放り込まれた。
刑務所や辺境の惑星へ強制連行されたり、最悪は口封じに殺されることも十分覚悟していたヴォルフであるが、まさか情報局長官と面談することになるとは考えていなかったので、こは何事かと訝しんだ。
「情報局長官アダム・ヴェラーレンだ。ヴォルフガング・イェーガー少尉だね?」
黒檀の執務机に腰掛けたヴェラーレン長官の、重々しく迫力のある口調に、
「ええ、ただし元少尉と言ったほうが適切でしょうな、今の小官の立場であれば」
軽く肩を竦めてヴォルフが応じる。
ヴォルフとヴェラーレン長官の間には、比較するのも馬鹿馬鹿しいほどの階級差が存在する。それは彼らの体格の差と反比例するようなもので、いくら数多くの武功を立てているとはいえ所詮はいち少尉であるヴォルフなど、情報局長官のヴェラーレンにしてみれば吹けば飛ぶような階級の人間に過ぎない。
しかし、ヴォルフの口調にも態度にも、そんな格上の人間に対する際の、萎縮し畏まった様子はない。それは、ヴォルフという人間生来の性質によるところが一番大きいのだが、もはや軍人という身分を見切ってしまったからでもある。馘にされた平社員が、どうして社長にへいこら頭を下げなければならなのか、ということだ。それでも、一般人であればなおのこと、情報局長官という肩書の恐ろしさと権威に萎縮するのが普通であるから、ヴォルフの肝の大きさは身体のサイズに比例していると言うべきだろう。
「かけたまえ」
ヴェラーレン長官が執務机の前に置かれた応接用ソファを手で指し示す。
ヴォルフは遠慮なくソファに腰掛けた。体重200キロを超えるヴォルフの体重を受けて、ソファはヴェラーレン長官が想定していたよりも大きく沈んだ。
ヴォルフが腰掛けたのを確認してから、ヴェラーレン長官も執務机から立ち上がり、ヴォルフの正面のソファに腰掛ける。
向かい合った二人のうち、最初に口を開いたのはヴォルフだった。
「で、お忙しいご身分のはずの連邦情報局長官殿が、絶賛査問中でその後はブタ箱行き確定の元軍人の小官に、どんなご用件なんです?」
こういった場合、本来であれば目上の人間から会話を始めるのが作法であるはずなので、ヴェラーレン長官は少々の不快感を味わった。しかし、話を前に進めることを優先したのだろう、ゆっくりと口を開き、
「きみに聞きたいことは一つだけだ。ヴォルフガング・イェーガー少尉、きみと、あの二人の関係性を教えてほしい」
ヴォルフは、無精ひげの浮いた顎をさすりながら面白そうに、
「あの二人とは?」
「とぼけるな!あの二人とは、あの二人のことだ!」
思わず声を荒げたヴェラーレン長官だったが、対するヴォルフは平静そのものの態度で、
「あの二人と言われても、小官には思い当たるところが多すぎて、長官が果たして誰のことを言わんとされているのか分かりかねますな。具体的に、誰と誰のことなのか、仰っていただければ回答もしやすいのですがね」
憮然とした表情を作り、両掌を上に持ち上げ、お手上げというふうなポーズをしたヴォルフである。
ヴェラーレン長官が一瞬口ごもったのは、ヴォルフの無礼な態度への怒声を飲み込んだからではない。
ヴェラーレン長官は、殊更迷信深いわけでも信心深いわけでもなかったが、言霊という言葉があり噂をすれば影が差すということわざがあるように、その二人の名前を口にした瞬間に彼らがこの場に現れそうで恐ろしかったのだ。また、そうあってもおかしくないだけの能力を、二人が有しているというのも事実である。
無論、ヴォルフはヴェラーレン長官の奇妙な内心を分かっている。分かっていて、ヴェラーレン長官の表情が赤くなったり青くなったりする様子を楽しんでいるのだ。
そんなヴォルフの内心を知ってか知らずか、ヴェラーレン長官はソファから身を乗り出し、可能な限り小さく、そして低い声で、囁くように言った。
「エドワード・ヴィクトリアス・ヴァレンタイン、そしてルーファス・ラヴィーの二人だ 」
二人の名前を聞いてもヴォルフは驚かなかった。というよりも、あの二人以外のはずがないとすら思っていた。
ヴォルフはくつくつと笑い、
「ああ、彼らのことですか。彼らと小官の関係性は……そうですな、一言では申し上げにくいのですが……」
あらためて問われると、果たして何と表現すべきか、ヴォルフは首を傾げた。
親しい友人かと言われると、それほど仲が良いわけではない。固い絆で結ばれた仲間かと言われると、そこまでの信頼関係はない。無論、敵対しているわけではないし、彼らの性質は好ましく思っている。ただの知り合いというのは薄情だろう。
数舜の逡巡の後、
「あえていうなら……いたずら仲間というのがしっくりくるのかも知れませんな」
「いたずら仲間だと?」
ヴェラーレン長官は、信じられないものを見るように、目の前の巨漢を見た。
「ええ。きっと誰しも、子供の頃は大人連中にいたずらの一つも仕掛けたことがあるでしょうし、その時には自分一人ではなく、友人の中でも少し仲の良い連中と悪だくみしたものです。小官が彼らとの関係を評するなら、そんなところですかね」
ヴォルフの言葉はあながち間違いではない。たしかに、ヴォルフと天使一行は、いくつものいたずらを悪だくみし、実行してきた。ただ、街を支配する暴力組織を一晩で壊滅させたり、辺境とはいえ仮にも一国の軍隊を相手にどんぱちすることを『いたずら』と表現することが許されるなら、である。
ヴェラーレン長官は飴玉を飲み込んだように目を丸くした後で、苦い粉薬を含んだように顔を歪めた。
「……よくわかった。つまり、きみもあの二人と同類と、そういうわけだな」
「そう言われると照れますな」
おそらく褒められたと思ったのだろう、恥ずかし気に俯いたヴォルフがこめかみのあたりを掻く。
ヴェラーレン長官は、おそらく彼の人生でも最も特大であろう、深い溜息を吐き出した。
「……正直に言おう。私は、あの二人が苦手だ。恐ろしい。二度と会いたくないし、視界に入れたくもない」
「心中お察しします、閣下殿」
これまた気の入らない慰めの言葉だったが、ヴェラーレン長官は無視した。
「そして、彼らと同類のきみにも、事がこうなった以上、私の知覚可能な領域から速やかに立ち去り、二度と立ち入ってほしくない」
「お気持ちはよく分かります」
そして、やつれた様な表情のヴェラーレン長官は、はっきりとした口調で、
「ヴォルフガング・イェーガー少尉。きみは交流職員だが、情報局長官たる私の権限をもって、きみの公人たる身分をはく奪する。端的にいえば、きみは馘だ」
「ええ、当然のことでしょうな」
何を今更、と言わんばかりのヴォルフの様子である。
細かい事情に目をつぶったとしても、彼は殺人未遂事件の現行犯で拘束されているのだ。その時点で懲戒免職は確定しているはずである。
だが、ヴェラーレン長官は続ける。
「ただし、きみの退職は、依願退職扱いとする。つまり、退職金は全額支払われる。きみの経歴に傷もつかないし、また、今日をもってきみは自由の身だ。アレクセイ・ルドヴィックが屋上から落ちたのは、あくまで彼の不注意による事故として取り扱うし、余計なことをしゃべらせるつもりもない。彼には今後、彼の背信行為に相応しい人生を歩んでもらうことになるだろう」
流石にヴォルフは目を丸くした。
「……つまり、全ては闇に葬っていただけるということで?」
「当然、いくつか条件がある。惑星ヴェロニカでの一連の事件を含め、一切の経緯についてきみが口を噤むこと。そして、二度とセントラルの地表を踏まず、私の前に顔を見せないこと。その他、条件は後で文章に起こして提示する。そこにサインをすれば、それで終わりだ」
普通であれば、そんな事件処理は不可能である。第一、事件の被害者であるアレクセイが納得しない。確実に警察に訴える。
しかし、ヴェラーレン長官はそれを許さないということらしい。少なくとも、アレクセイの行いによってあの二人に危険が及んでいるのだ。情報局でアレクセイに相応の処分をしない限り、下手をすればヴェラーレン長官自身に累が及びかねないのである。つまり、有形無形の脅しか、もしくはそれ以上の手段でもって、アレクセイの口を塞ぐということだろう。
逆に、ヴォルフ自身については、これで手打ちにしてほしいという、ヴェラーレン長官の懇願であった。
ヴォルフは肩を竦め、
「承知しました。閣下の温情に深く感謝します」
大して感謝している様子ではなかったが、口に出してはそう言った。自分は為すべきことを為しただけである。その結果はどうでもいい。しかし、凶悪犯として刑務所で長い間臭い飯を食わされるよりは、退職金をもらって悠々自適の生活を送ったほうが、どう考えても得だ。価値観が常人とは些か外れているヴォルフにも、その程度の損得勘定は存在した。
ヴォルフの言葉に、ヴェラーレン長官は安堵の溜息を吐き出しながら頷き、
「私の権限の及ぶ範囲で、退職金にも精一杯の色はつけさせてもらおう。一生遊んで暮らす金額というのは無理だが、向こう数年間程度は十分に生活できるはずだ。それに、きみが望むのであれば、再就職先のあっせんもさせてもらう。無論、この星でというわけにはいかないがな」
「そこまで面倒を見ていただく必要はありませんよ。自分の飯の種くらいは、自分で見つけさせてもらいます」
「分かった。では、別室で待機してくれたまえ。誓約書はすぐに用意させる。そして、この星から出航する宇宙船のチケットもだ。出発は三日後、それまでに身辺の整理をしたまえ」
軍人であり、かつ独り身のヴォルフであるから、身辺整理に時間はかからない。この星から出ていけと言われれば、身一つで出ていくだけの話だ。
「行先について、希望は聞いていただけるので?」
「……一応、聞いておこう」
「もしお許しいただけるなら、ティラボーン行きのチケットをご用意いただけると助かりますな。何せ、閣下の仰る『あの二人』と、大したことではありませんが一つ約束がありまして、できればこの機会にそれを済ませてしまいたい」
つまり、連邦大学には危険物が集合し、さらに巨大な伏魔殿へと変貌を遂げるということだ。
今後、何が起きてもあの星には絶対近づかないことを、ヴェラーレン長官は神に誓った。
そして、ヴェラーレン長官は立ち上がった。これで会談は終了ということなのだろう、ヴォルフも立ち上がる。握手はない。ただ、ヴォルフが形ばかりの敬礼を施しただけである。
そして、扉へと向かうヴォルフの背中に、
「少尉――いや、もうきみは正式にそう呼ばれる身分ではなくなったわけだが……ヴォルフくん。最後に一つだけお願いがある」
振り返ったヴォルフは、無言で小首を傾げる。
「これは、共和連邦情報局長官としての私の希望であり、そして共和宇宙に生活する一個人としての私の希望でもあるのだが……もしも可能であれば……あの二人ときみが友人に近しい関係なのだと理解して言うのだが……」
もごもごとした口調は、情報局長官という重責を担うVIPには相応しくないものだったのだろう。
しかしヴォルフは嗤うことはなく、先を促すこともなかった。
「ただ、きみにお願いしたい。もしも彼らが暴走し、この宇宙の平和に仇為すような事態になることがあれば……無論、きみの力の及ぶ範囲で結構だ。彼らにその矛を収めるよう、説得してほしい」
ヴォルフは、呆れたように鼻息を吐き出した。
無茶を言う。それが、ヴォルフの偽らざる感想である。自分が如き小市民に、あの特大の危険物の安全弁になれというのだ。どう考えても不可能事である。
しかし、溺れる者が藁をも掴むように、この男は、どれほど頼りない約束であっても、自身のストレスを軽減する処方箋を欲しているのだろう。その気持ちは十分に理解できるし、決して嘲笑の対象となるべきことではなかった。
結局ヴォルフは肩を竦め、
「可能な範囲で努力はしますよ。ただ、私の見たところでは、あれらは無害な危険物です。つまり、あなた方から下手なちょっかいを出さない限り、危険物ではあっても爆発物にはならんでしょう。逆に、これは私からのお願いですが、どうか爆薬の導火線の前で火遊びするような真似はしないでもらいたい。そして、そんな馬鹿なことをする輩が今後現れないよう、情報局長官として目を光らせていただければと、切に願うところです」
「……忠告、感謝する。そして、私も権限の及ぶところで、精一杯に努力するとしよう」
肩を落としたヴェラーレン長官が、諦めたように呟く。彼は、どうしてこの時期に、自分が情報局長官なのだと、真剣に神に問いただしたくなったのだ。
ヴォルフは、この部屋に入って、初めてにこりと笑い、
「心中お察しします、閣下殿」
先ほどと同じ台詞を繰り返し、長官室から退出した。
◇
「ま、俺がこの星に越してきた理由なんてその程度のもんさ。別に聞いていて楽しい話でもなかったろ?」
たしかに、金銀黒天使からすれば、別に楽しい話でもなかったかも知れない。何せ、登場人物が既知の人物である。自分達にちょっかいをかけて、火傷を負うはめになった、連邦情報局長官その人だ。
「別に、あいつに同情するつもりなんて毛の先ほどもないけど、相変わらず胃に悪そうな職務をこなしているらしいな」
リィが呆れた様子で言った。
ルウも頷き、
「これに懲りて、もう少し本来の職務に精励して欲しいものだよねぇ」
「全くです。ダグラスくんの時もそうでしたが、いざという時に本当に役に立たない組織のようですからね。自らの職というものに対して、もう少し真摯に向き合っていただきたいと願うばかりです」
シェラもそう続けた。
ちなみに、『ダグラスくんの時』とは、共和連邦でも五指に入る大国であるダルチェフの誇る二つの秘密部隊が、あり得ない手段で白日の下に引きずり出された、件の事件のことである。
考えてみれば、あの事件のときも、ヴェラーレン長官の胃は、ボクシング世界チャンピオンに殴られたよりも酷い胃痛でもって持ち主を苦しめたことだろう。
そんな長官の悲哀を知ってか知らずか、三人は揃って溜息を吐き出した。
一方、天使たちと情報局長官の関係など露程も知らないメイフゥは、可愛らしく小首を傾げ、
「あのよう、ヴォルフ、一応聞くけど、あんたの言ってたアダム・ヴェラーレンってのは、連邦情報局長官のアダム・ヴェラーレンのことだよな?」
「ああ、そのとおりだが、どうかしたかい?」
さも当然のように返されて、メイフゥは流石に頭を抱えてしまった。
「うーん、あたしの知ってる連邦情報局っていったら、連邦の裏を牛耳ってて、連邦の権益を守るため、日夜列強各国のスパイ組織としのぎを削ってるはずなんだけど……どうして中等部の学生さん達に、こうもコケにされてるんだ?」
「あまりそのあたりのことは考えないほうがいいぞメイフゥ。考えても無駄ってやつだ。それに、多分こいつらに付き合って一々その程度のことで頭を抱えていたらきりがねぇよ」
ヴォルフが、慰めるようにメイフゥに声をかけた。
そして、気を取り直したように、ヴォルフが続ける。
「ま、そんな具合で、身から出た錆は綺麗に片づけたつもりだ。今更許してもらおうとは思わねぇが、ウォル、惑星ヴェロニカでは迷惑をかけたな。本当に悪かった」
そう言って、ヴォルフは頭を下げた。そういう意図が無かったにせよ、結果として、ヴォルフがウォルに仕込んだ発信機が、彼女の命を危険に晒すはめになったことを詫びたのだ。
見上げるような巨躯の男から謝罪を受けたウォルは、微笑みながら、手を顔の前で横に振り、
「ヴォルフどのに謝ってもらう謂われはない。宮仕えの悲しさというものは、おれも前世で嫌というほど理解したつもりだからな。もしも逆の立場だとして、おれもヴォルフどのと同じことをしていたかも知れん。それに、貴方がおれを救うために命を懸けて尽力してくれたことも承知している。ならば、これで足し引きゼロということにしておこうではないか」
「そう言ってくれると助かる」
ちなみに、ウォルやリィの体内に仕込まれていた特殊な発信機は、言うまでもないが既に除去済みである。流石に虫下しを飲んで退治できる類のものではなかったが、風邪薬のカプセルサイズの機械を飲み込むだけで事は済んだので、二人とも結構安心した。下手をすれば、開腹手術が必要かと思っていたのだ。
「ところでよう、今回の事件の首謀者は、結局エストリアのお偉いさんだったんだろう?もう、きっついお灸は据えてやったのかい?」
それがさも当然というふうに、ヴォルフは訊いた。彼は、この天使たちには、いわゆる神が定めたマナーである『右の頬を殴られれば左の頬を差し出せ』的な精神は全く縁遠いことを理解していた。寧ろ彼らの気質は、右の頬を殴られる前に、殴る気が失せるほどに徹底的に殲滅することをこそよしとするだろうと理解している。
だから、今回の件で、エストリアのお偉方の首が総入れ替えされるくらいは十分にありうるだろうとヴォルフは思っていた。いや、その程度では収まるまいとすら思っていた。
しかし、ヴォルフの声に応えるルウの表情は苦々しい。
「ぼくもエディもそのつもりだったんだけど、まだなんだよこれが」
驚いたヴォルフが、
「何でだい?まさか、無限の博愛精神やら平和主義やらに目覚めたわけじゃあるまい?」
「ぼくたちが?もちろんそんなわけないじゃないか。やられたらきっちりやり返す。それは掟でも認められている当然の権利だ。ただ、手札がね……」
「手札だと?」
ヴォルフの顔色が変わる。前回の事件で、ルウの操る手札が、極めて高い的中率を誇る、未来予知装置であることを思い知らされた彼だから、そのことを言われると嫌が応にも緊張が走るのだ。
「手札に、凶兆でも出たってのかい?」
「吉兆か凶兆かは分からない。ただ、今はエストリアには手を出さない方がいい、そういうふうにしか読めないんだよね、何度占っても」
「おれも、ルーファの手札がなければ、今すぐにでもエストリアに乗り込んで大統領の首を持って帰ってきてやるのに、悔しいったらないよ」
リィが唇を尖らせる。
ふぅむ、とヴォルフは顎に手を当てて考え込む。
そも、常識的に考えれば、10人にも満たない人間で超大国であるエストリアに殴りこみをかけること自体、頭のネジの外れた所業と呼ぶべきである。何も知らない第三者が見れば、気がおかしくなったかと思うに違いない。
しかし、ヴォルフは天使たちの人智に外れた力を理解しているから、この場合、相手にならないのは逆にエストリアであることも理解していた。
例えば、エストリアが全軍の力を結集して、その軍事力の矛先の全てをこの二人に向けたとしても、おそらく、いや、間違いなく返り討ちに遭うだろう。そして、エストリアもそのことを熟知している。なにせ、惑星セントラル爆破未遂事件の時、痛い目に遭わされた政府関係者の中に、エストリアの代表もいたはずだからだ。
では、何故ルウの手札が、エストリアと関わることを否定するのか。もしや、エストリアには、特異能力者を無力化する秘策のようなものでもあって、この二人でも、今関われば危ないということか。それとも、今は時期尚早とでもいうのだろうか。
「前にも言ったけど、王様とインユェの存在が手札の精度を落としているのは間違いないんだ。それでも、やっぱりエストリアに注意しろっていう暗示は気になる。今まで、そんな相が出たことは無かったからね。あちらから手を出してくるなら仕方ないけど、少なくとも今は、こっちから行動すべきじゃない、リスクが大きすぎる、そういうことじゃないかな?」
ルウも、お手上げというふうである。
「ふぅん……」
ヴォルフは唸るようにして考え込んだ。
そして思った。この二人が動けないなら、或いは自分が動いてみるのも面白いかも知れない。無論、エストリア中枢部に食い込むような知己があるわけではないが、蛇の道は蛇というように、木っ端軍人には木っ端軍人なりのネットワークというものがあるのだ。そして、そこで得られる情報の精度も、中々に侮れないものがある。中枢の意図するところは、どれほど隠そうとしても末端に伝わってしまうものなのだ。
どうせ時間は山とある。動いて損になることはなし、失うとしても命一つのものである。
ヴォルフは、内心で太い笑みを浮かべた。
「ところでメイフゥよう、お前さん達は、なんで連邦大学に編入なんてするはめになったんだい?あれほど資源探索者の生活を誇っていたじゃないか」
ヴォルフの質問に、メイフゥは苦笑を浮かべ、
「ま、簡単にいえば、愚弟の愚行の後始末ってところさ。それとも、弟の恋路の道連れってところな?」
今度はメイフゥが、事の次第をヴォルフに語る番であった。
惑星ヴェロニカの事件の結末から始まり、インユェがジャスミンに対して拵えてしまった借金、その返済を猶予する条件としての連邦大学への入学……。
中々に波乱万丈といって差支えない運命の差配に、聞き役のヴォルフも苦笑するしかないといった様子だ。
顎の無精ひげをさすりながら、面白そうに言う。
「おたくら姉弟も到底普通の学生さんにゃ見えないが、ここの天使さん達と同じように、しばらくは『目指せ一般市民』で頑張るほかないらしいな」
皮肉気なヴォルフの言葉にメイフゥは肩を竦め、
「あんたの言う通りだよ、ヴォルフ。ただ、この連邦大学って場所も、思ったより面白そうな場所ではある。しばらくは、青春の学園生活ってやつを送ってみるとするさ」
「そういえばメイフゥ、お目当ての金持ち坊ちゃんとやらは見つかったのか?」
リィがそう訊くと、メイフゥは首を横に振り、
「だめだ。金の匂いのする坊ちゃんはゴロゴロいるが、どれも軽く撫でてやるだけで、頭が首からもげそうなもやし連中しかいねぇ。あれじゃ、強い子供が生めやしねぇよ。あーあ、どっかにいねぇかなぁ、あたしが本気で殴っても死ななくて、それで唸るほど金を持ってる、あたしだけのナイトさま……」
両手を組み、星を見上げるような姿勢で言ったメイフゥである。
何とも物騒で身勝手な夢見る少女に、全員が笑った。
そして、休憩も一段落、インユェもようやく息を吹き返したようなので、せっかくだからもう少し体を動かすかと腰を上げた全員であったが、その時、控えめに扉をノックする音が響いた。
「あのう、お忙しいところすみません、少しだけお話させていただいてもよろしいでしょうか……?」
ほんの少しだけ開かれた扉から、年の頃からして大学生だろうか、線の細い体型の男子生徒が、申し訳なさそうに顔をのぞかせている。
はて何事かと全員が顔を見合わせる。
後から思い返せば、彼の登場が、このあと続く一連の事件の発端であった。