懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第百二話:ノーマンの誘い

 ノープス中央体育館での出来事から、一週間が経った。 

 初夏の気候は日に日に暑さを増していき、もうそろそろ半袖のシャツや冷たいアイスクリームが恋しくなったきた、そんな日々である。 

 ウォルは、本日最後の、歴史学の講義をちょうど終え、分厚いカバンを抱えて教室から出たところだった。

 廊下の窓から覗く緑の木々は、日々枝を伸ばし葉を大きくし、力強さが増している。枝にとまった小鳥が無邪気に戯れる様子に、ウォルは思わず頬をほころばした。

 あの日のヴォルフの怪我は、頑健な彼であっても流石に治療を要するもので、組織再生療法を受けた後も、まだもう少し自宅で安静にしているよう医者に言い渡されたらしい。怪我の後に大量の飲酒をしたことを咎められた後だったから,口調も結構きついものだったと聞かされている。

 片腕では日常生活に不便があるだろうから、もしよければ家政婦の真似事でもしに行こうかと手を挙げたウォルだったが、当のヴォルフに、

 

『学生さんは勉学に励むのが仕事だろうが。それに、独り身の男の家には、女に見られたくない秘密の一つや二つ、あるもんだ。余計な気を回さず、一度きりの学園生活を楽しんでな』

 

 そう言われて、断念した。

 まぁ、本当に誰かの助けが必要であれば、そうと言う男である。不要と言うならば、本当に一人でなんとかできるのだろう。それとも、自分以外の誰かが面倒を見に行っている可能性もある。

 とにかく、自分は自分で、為すべきことを為すだけだ。

 そう考え、日々の勉学に勤しんでいたウォルであるが、背後に気配を感じ振り返ると、見覚えのある事務員の男性がこちらに向かって小走りに駆けてくるところだった。

 

「ああ、フィナ・ヴァレンタインくんだね、ちょうどよかった」

 

 男性は、柔和な笑みを浮かべながら言った。

 はて、何かこの人に呼び止められるようなことがあっただろうか、ウォルは小首を傾げそうになったが、礼儀正しく一礼し、

 

「あの、何か書類の提出忘れでもありましたか?」

「いや、そうじゃないんだ。実は、君に面会希望が入っている」

「面会希望ですか」

 

 ティラボーンは、その性質上学生が多く、当然のことではあるが、防犯には十分すぎるほどに気を使っている。

 例え同じ学生であっても、図書館や体育館などのオープンスペース以外の場所、他校の校舎や寮などには、許可なく入ることはできない。事前に予約をしたり、事務室を通じて許可を得てからようやく立ち入ることが許される。

 また、他校の人間と面会するときも、私的に交流があるなら別段、そうでなければ面会するにも幾つも手続きを踏まなければならない。学校の事務室に自身の身分や来訪目的などを告げ、それが相当のものであると判断されれば対象の学生に取り次がれ、その学生が承諾すればいざ面会という流れとなるのだ。

 例えば、件のちょっとおかしな映画監督が、お目当ての怜悧な美貌の男子高校生に対してしたように、下校時間に校門の傍で目当ての学生を待ちわび、その姿を見つけていきなり声をかけるなど、警察に突き出されても文句は言えない所行ということなわけである。

 ウォルなどにしてみれば、ずいぶんと過保護なものだという印象を受けるが、連邦大学には各国の要人や資産家の子女が数多く通っていることから、やむを得ない処置であると言える。

 とにかく、今回は、そういった正式な手順を踏んだ何者かが、ウォルに面会を求めているということらしい。

 

「一体、誰が私に面会を?」

「学籍は聞いていないが、連邦大学学生放送局に所属しているノーマン・ディーゼルという青年だ。取り次いでもらえれば、名前は知っているはずだと言っていたが……」

 

 一瞬考えたウォルであったが、一週間前のことを思い出し、ぽんと手を叩いた。

 

「ああ、その青年なら知人です。そして、私の名前と学籍も伝えています」

 

 事務員の男性は頷いた。

 

「一応念のためだが、君の意に反するような取材の申し込みであったり、中学生の身分に相応しくない業務のあっせんであったり、そういうことはないね?」

 

 ウォルは笑顔で頷き、

 

「話を聞いてみないと詳しいことは分かりませんが、おそらくそういったことではないと思いますし、万が一私の手に余る内容でしたら、後ほどご相談にあがります。とりあえず、面会を受けさせていただきたいと思います」

 

 男性職員は、ノーマンがすでに面談室で待機している旨をウォルに伝えると、笑顔で立ち去って行った。

 ウォルはその後ろ姿に一礼し、そして面談室へと向かいながら、はてあの青年が何事のために自分に面会を求めているのかと思いをはせる。

 確かに、何か困ったことがあれば、自分の名前を出していいとは言った。ならば、事態が彼の手に余るような、厄介なことになっているのだろうか。

 些か沈鬱な表情のウォルは、足早に面談室へと向かった。

 

 

 面談室は、中央にテーブルが置かれ、椅子が4つ配置されただけの殺風景な部屋であるが、壁かコンクリートではなく透明アクリルであり、窓も意図的に大きく設えられているので、閉塞感はない。防音性を高めてプライバシーに配慮しつつ、万が一トラブルが起きたときに職員が気がつくできるようにした造りだ。

 少し息を乱したウォルが面談室に入ると、すでに見知った顔が中で待っていた。

 

「やあフィナくん。急に、アポイントメントもとらずに押しかけてしまってすまない。時間を作ってくれたことに感謝するよ」

 

 ノーマンは、線の細い顔に笑顔を浮かべて立ち上がり、右手を差し出した。

 ウォルも、笑顔でその手を握る。

 

「ノーマンどの、先日は色々とご迷惑おかけした。あの後は大丈夫でしたか?」

 

 自分が、あの悪戯小僧にお灸を据えたこと自体は間違ったこととは思っていないが、それが第三者に迷惑をかけたとすれば、申し訳ないと思っていたウォルである。

 ノーマンは、なんとも複雑な表情で、

 

「大丈夫かそうじゃないかで言えば、正直、あの後は色々あったよ。救急車を呼んだり、学生課に事態の説明をしなければいけなかったり、企画を急遽差し替えたり……。だから、君と話をするのがこんなに遅れてしまったんだけどね」

「そうか、それはやはり申し訳なかった。何か、俺にできる償いはあるだろうか?」

 

 生真面目な様子のウォルに、ノーマンは首を横に振り、

 

「謝る必要があるとすれば、それは僕のほうだ。せっかく、トレーニングルームを予約使用していた君達に、無理を言って場所を使わせてもらったばかりか、結果的にあんな騒動に巻き込み、あの大きな男の人には大怪我までさせてしまった。本来なら、懲罰委員会に訴えられても不思議じゃない。こちらこそ、本当に申し訳なかった」

 

 ノーマンは、年下のウォルに深々と頭を下げた。その様子には、言葉以上の謝罪の意思が感じられた。

 年下であり、加えて連邦大学の後輩にも当たるウォルにこうも率直に頭を下げられあたり、ノーマンという青年の気質は、気弱なのではなく丁寧であり、それ以上に誠実なのだろう。ウォルは目の前の青年に好感を覚えた。

 

「では、お互い様ということにしておこう。少なくともおれは、あなたに頭を下げてもらう所以はない」

「そう言ってくれると助かるよ。でも、君とは別に、怪我をされたあの大きな男の人には謝らないといけないと思っているんだ。もしよければ、あの人の連絡先を教えてもらってもいいかな?」

 

 ウォルは、首を横に振った。

 

「ヴォルフどのは、あの男と戦う前に、怪我は自分持ちだと言っていた。ならば、戦いがどういう過程だったとしても、その結果負った怪我について、誰を恨むことも怒りを覚えることもないだろう。逆にあなたに頭を下げられれば、悪い事をしたと気に病まれるかもしれん。あれは、そういうお人だ」

「そうは言っても……」

「それに、ヴォルフどのに怪我をさせたというならば、あの男よりもおれのほうがはるかに手酷い怪我を負わせたことがある。骨を幾本も叩き折っただけではなく、睾丸を一つ、蹴り潰しているはずだからな」

 

 そう言ってウォルはからから笑った。

 対するノーマンは、飴を飲み込んだように目を丸くしている。一瞬、この少女なりの冗談かとも思ったが、よく考えてみればこの少女はTBO金メダリストのオリベイラを一撃で葬っているのだ。冗談かかどうか、微妙なところである。

 ただ、ウォルの言わんとしていることは理解したのだろう、大きな荷物を一つ下ろしたように肩の力を抜いた。

 

「君達の寛容に感謝するよ。本当に申し訳なかった。そして、ありがとう」

「それが、おれと会いたがった理由かな?」

「いや、もちろん謝罪を伝えたかったのもあるが、それだけじゃないんだ」

 

 ノーマンは脇に置いたブリーフケースから、大きめの液晶端末を取り出した。

 

「あの後、落ち着いてから僕は、他のスタッフと話し合ったんだ。議題は、この映像をどうするべきか。その結果、まずは当事者である君の意見を聴くべきだろうということになった。まずは、映像を見て欲しい」

 

 液晶に映し出されたのは、ウォルの予想通り、あの日の一部始終であった。

 悪態をつきながら格闘技場に入室してきたオリベイラがウォル達に因縁をつけ、それを制止しようとしたヴォルフと戦いとなり、最後はウォルに仕置きされる様子が、全て明瞭に映像として残されていた。

 

「先ほどから謝ってばかりで申し訳ないが、まず、君達に許可を得ずカメラを向けてしまったことを謝罪させてほしい。ただ、言い訳をさせてもらえるなら、今回の取材対象はオリベイラ選手だったから、彼の入室から退室までをカメラに収める必要があったんだ。無論、他の生徒の肖像権的に問題のある映像は、後からカットするつもりだった」

「なるほど」 

 

 ウォルにしてみれば、肖像権という単語自体がどうにも耳に馴染まないものだったが、許可なく他人を映像に残してはいけないということは理解できた。

 

「ノーマンどの、先ほど企画は差し替えられると仰っていたな。つまり、この映像は二度と使うことはないのだろう?であれば、おれに意見を求めるまでもなく、さっさとこの映像は消去するなり破棄するなりされれば良いのではないか?」

 

 ウォルのもっともな意見にノーマンは頷く。

 

「君の意見は正しい。僕達も、大方そういう意見でまとまっていた。だが、二つほど異論が出た」

 

 ノーマンは、二本の指を立てた右手を前に出した。

 

「まず一点は、オリベイラ選手の問題ある態度を闇に葬ってしまっていいのか、という点だ。彼は、もともと素行に問題のある選手だった。対戦相手を必要以上に傷つけたり、暴言を吐いたり、ありもしない誹謗中傷をぶつけたり、好き放題をしてきた。裏側では、もっと卑劣な行為に手を染めていたという噂もある。その彼の行為が、曲りなりも容認されていたのは、彼が結果を残していたことと、決定的な悪事を働く明確な証拠が無かったからだ。その点、今回の映像は、彼が悪事を働いた明確な証拠になる。彼を裁くことで、今までは仕方ないとしてもこれからの被害者を減らすことができるなら、この映像を公開すべきではないか、そういう意見があったんだ」

「なるほど、言わんとすることは理解できるが、その点について、おれはこの映像を公開することには賛成できんな」

 

 ウォルのはっきりとした態度に、しかしノーマンは、特に失望した様子ではなかったが、

 

「何故だい?」

「まず、おれはあの小僧が今までどのような悪事を働いてきたか、それは知らない。それが事実かも分からない。おれが怒りを覚えたのは、ヴォルフどのが負けを認めているにも関わらず戦いを続け、あまつさえその腕を折ってのけるという蛮行を働いた点だ。そして、その点について、十分に灸を据えてやったと思っている」

 

 確かに、ウォルの一撃を灸と呼ぶなら、それは十分過ぎる痛みをオリベイラに与えていた。何せ、ウォルの膝蹴りはオリベイラの顎を完全に砕いていたのだ。

 あれでは、まともな食事は半年ほども取れないだろうし、しばらくの間はまともにしゃべることもできないだろう。

 あの日、オリベイラがなした所行に対する仕置きとしては、十分なものであるはずだ。

 

「おれには実感として分からんのだが、例えばその映像を衆目に晒したとする。そうすれば、あの男は再起不能の打撃を受けることになるのではないか?」

「……ああ、そうなる可能性が高いと思う。しかし、今までオリベイラ選手がしてきたことを考えれば……」

「ノーマンどの。繰り返しになるが、おれが為したのは、あの日、おれ達に対してあの男が働いた不埒に対する仕置きのみだ。それ以上のことは企図していない。もしもあの男が、どれほどの非道を今まで働いていたとしてもだ。もしもそれが事実なら、それは違う方法で裁かれるべきことであって、おれがあの男を叩きのめした映像を晒すことでそれを為すべきではないと思っている。それに、おれはあの一撃で、天狗の鼻っ柱を十分にへし折ってやったと思っている。もしかすると、あの男も、これがきっかけで何かが変わるかも知れん。ならば、この映像でもって再起不能に追い込むのは、今の時点ではやりすぎだと、おれは思うのだ。言葉にするとどうにも言い表しにくいのだが、言わんとすることを分かってもらえるだろうか?」

 

 ノーマンは、少し難しい顔をしたが、頷いた。少なくとも、ウォルはこれ以上の報復は望んでおらず、また、そういう意味でのこの映像の公開もまた、望んでいないということだ。

 それを理解したうえで、さらに続ける。

 

「もう一つの意見は、この映像を闇に葬るのがあまりにも惜しいということだ。これは完全に、僕たちスタッフの欲だ。でも、おそらくジャーナリズムというジャンルに携わる全ての人間がこの映像を見れば、絶対に公開したくなるだろう。それくらい、この映像は強い」

「映像が強い?」

 

 ウォルの問いに、再びノーマンが頷く。

 

「見る人の目を、もっと言えば、魂を惹きつける、一生忘れないだけの印象を残す、そういう映像だということだよ。この映像を見れば、絶対に全ての視聴者が仰天する。何せ、あのオリベイラ選手が、君のような美少女に一撃でマットに沈められたんだ。普通に考えてありうる話じゃない。しかも、その美少女が戦った理由が、オリベイラ選手に理不尽に痛めつけられた知人の敵討ち。言葉で聞いたって、絶対に信じない。その信じられないものが、こうも堂々と映像で収められているんだ。これを公開せず、人知れず消去するなんて、正気じゃない。およそ全てのテレビマンならそう考えるだろうね」

「何とも大層なことだ。おれにしてみれば、腕白坊主に拳骨を落としてやったのと変わらないのだがな」

「そう思うのは、きっとこの共和宇宙で君だけだと思うよ。これが、この映像を消去できない、二つ目の理由だ。なんとも自分勝手な理由で申し訳ないが、しかし偽らざる本心でもある」

「ちなみに、それはノーマンどのにとってもか?」

「むしろ、一番強く主張したのが僕だ。もし、僕だけが人権審議委員会にかけられるだけで事を収めるられるなら、それと引き換えにこの映像を公開したい。それくらい、強く思っていた」

「思っていた、か。ならば、今は違うということだな?」

 

 冷静なウォルの言葉に、ノーマンは苦笑する。

 

「ああ、今は違うよ。君の意見は、一々もっともだ。首肯せざるを得ない。第一、この映像の主役である君が、そして被害者であるあの大きな人――ヴォルフさんが望まないなら、やはりこの映像は公開できないだろう。どんなに強い映像でも、その出自が隠し撮りしたものを公開しましたなら、やはり映像に傷がつく。そんな映像がどれほどもてはやされたとしても、素直に喜ぶことができないからね」

 

 そう言ったノーマンは、淡々とした様子で端末を操作し、映像ファイルを消去した。

 ウォルにそれを見せ、

 

「これで、この映像が世間に出回ることはない。無論、コピーなんかもしていない。確認してもらえたかな?」

「ああ。ノーマンどのの良識に感謝する」

「君に感謝される謂われはないよ。何せ、これは君たちの許可を得ずに撮影した映像だからね。本来は最初からこうすべきで、あるべきものをあるべきかたちにしただけの話だ。こんな大仰な真似をしてわざわざ君に確認してもらったのは、ただ、僕たちに、いや、僕自身に、みっともない未練があったからだ。ひょっとした、万が一でも、君から映像公開の許可を得られるかもしれないっていうね」

 

 ウォルは、微笑を浮かべながら頷いた。

 人間は、理屈だけで動く生き物ではないことを、彼女は十分に理解していた。それが正しい行いでなかったとして、欲望に忠実になってしまうことがある。むしろ、それが普通なのだ。

 ノーマンも、きっとそうだったのだろう。おそらく、ウォルの言ったことは百も承知だったに違いない。それでもこうして面会を求めたのは、揺れ動く自身の心に区切りをつけるためだったのだ。

 

「では、これで用件は終わりだな」

 

 椅子から腰を浮かせかけたウォルに、しかしノーマンは手で制し、

 

「いや、もう少しだけ時間を欲しい。最後に、もう一つ話したいことがあるんだ」

 

 少し意外そうなウォルは、もう一度椅子に腰掛け、小首を傾げた。

 映像を消したなら、そして謝罪も終わったなら、これ以上何を話すことがあるのだろうか。

 とにかく次の言葉を待つウォルに、しかしノーマンは何とも話しにくそうに逡巡している。

 それでも何とか口を開き、

 

「なんていうか……凄く言葉にしにくい。でも、僕の偽らざる本心なんだが……僕は、君に一目惚れした。君が欲しいんだ」

 

 真剣な、少し険を含んでいるような調子で、そんなことを言った。

 見た目はかなり年上である青年からの、突然の愛の告白に、流石にウォルは驚いて目を丸くし、

 

「……卿は、意外と情熱的なお人だったのだな」

「いや、違う、そういう意味じゃない。ああ、もう、なんていうか、すまない。やはり駄目だな、女性にこういうことを言うのに慣れてなくてね。少し極端な表現になってしまった。無論、君は美しい。本当に魅力的だ。でも、女性として君に恋したとか、君が欲しいとかじゃないんだ」

 

 所々で詰まりながら、いっぱいいっぱいの調子でそんなことを言う。

 

「そう、つまり、被写体としての君に惚れたというか、心をわしづかみにされたというか……。君が一撃でオリベイラ選手を倒し、リングを立ち去る瞬間だ。あの一瞬の光景に、僕は心を奪われた。君の姿が光り輝いて見えた。君はこちら側に、つまりカメラに写される側にいるべき人間だと思ったんだ」

「……論旨が明瞭でないな。つまり、おれにどうしてもらいたいのだ?」

「ごめん。質問を変えさせてほしい。フィナくん、今、君は何か、部活動やサークル活動に入ってたりするのかな?」

 

 質問がややプライバシーに寄ってきたのを感じたが、これまでの会話で目の前の青年がある程度信頼できると感じていたウォルは、素直に首を横に振った。

 

「いや、特に部活動などはしていないが……」

「なら、もしもよければだけど、君もTBSBで活動してみる気はないかい?」

 

 思いつめたように真剣な表情で、ノーマンは続ける。

 

「僕はね、昔見たある映画に衝撃を受けたことがあるんだ。『詐欺師たちの贈り物』……知ってるかな?ジンジャー・ブレッドの中期代表作の一つなんだけど……」

 

 ウォルは首を横に振った。

 

「あいにく、とんと映画というものには疎くてな。作品もそうだが、そのジンジャー・ブレッドというお人も聞いたことがない」

「ジンジャーを知らない!?」

 

 ノーマンはあまりの驚きに腰を浮かし、ウォルに詰め寄った。彼にとって、ジンジャー・ブレッドは正しく憧れの女優であったのだし、そして彼女の存在は共和宇宙の常識だと思っていたからだ。

 

「ジンジャー・ブレッドは、この共和宇宙で一番有名な女優の名前だよ。彼女の名前を知らないなんて、もしかして君はロストプラネット出身なのかな?」

 

 ノーマンにしてみれば軽いジョークだったのだが、ウォルは結構真剣な顔で頷いた。

 

「似たような身の上だ。おれは、この世界の常識というものに殊更疎い。せっかくの話題についていけなくて申し訳ない」

「いや、すまない、こちらこそ無神経だった。少し配慮が足りなかったよ。今の言葉は忘れてもらえるとありがたい」

 

 ノーマンは慌てたように謝罪し、

 

「とにかく、僕はジンジャーの映画に衝撃を受けた。僕も、ああいうふうに役を演じて、そして誰かの心を震わせたいと思った。でも、気が弱い自分が、そういう役回りに向いていないのはすぐに思い知らされた。だから、せめて彼女と同じように、将来はカメラの向こう側で仕事がしたいと思って、TBSBに入ったんだ」

「そのことと、おれを勧誘することと、どう繋がるのだ?」

「正直に言おう。僕は、あの時の君の姿を見て、ジンジャーの作品を初めて見たときと同じ衝撃をうけた。まるで、スポットライトが君を照らし出しているように思えた……いや、違うな。君自身が、まるで太陽のように輝いているように見えたんだ」

 

 自身を誉めそやすその言葉を聞いても、ウォルの表情はちっとも動かなかった。それが、ノーマンには少し意外でもあり、しかし納得もできた。

 普通、この年代の少女が、これほど明け透けに自分を褒められれば、いくら絶世の美少女で普段から自身の美貌を賞賛され慣れていたとしても、もう少し感情の機微が表情に出るものだ。

 しかし、ウォルの顔に、そういった感情は一切浮かんでいない。淡々と、ノーマンの言葉を受け止めるだけだ。

 やはり、この少女は普通ではない。おそらく、自分のような一般人とは、精神とか魂とか、そういう根源的なところで構造が違うのだろう。ノーマンはそう思った。

 

「これは、完全に僕の主観だ。でも、少なくとも僕は確信している。君は、きっとカメラの向こう側で生きるべき人間だ。カメラに写されて、世界中の人間に感動を与えることができる人間だ。だから、是非、TBSBの活動に加わって欲しい。TBSBなら、例えばキャスターやレポーターとしてでも、君にはあまり似合わないが裏方で働くことでも、学生のうちにマスコミ業界について学ぶことができる。もしも君が将来、マスコミやそれに近い世界での活動を希望するなら、決して無駄にはならないだろう。どうかな、もちろん、今、この場で返事が欲しいわけじゃない。考えてくれるだけでいいんだ」

 

 ふむ、と、ウォルは顎に形の良い指を当てて、考え込んだ。

 そして、言った。

 

「あなたの言い分が正しければ、もしも例えば、おれがあなたのいうジンジャー・ブレッド女史と同じくらい有名になれば、この広大な宇宙でおれの名前を知らない人間がいないと、そういうことになるわけだな?」

 

 目の前の少女が、例え話でも、あのジンジャーを引き合いに出したのに多少面喰いながら、ノーマンは頷いた。

 

「もしも君が第二のジンジャーになれば、きっとそうなるだろう。この共和宇宙で、一番の有名人に、君はなることができる」

「金はどうだ?おれは、この宇宙に名を広めることと合わせて、金を稼ぎたい。稼がなければならない。そのために、実はアイドルというものを志しているのだが……そういう意味で、TBSBとやらに入ることは、有益か?」

 

 ウォルのような少女が、真剣な表情で金が欲しいと言ったことを、少し意外には思ったが、ノーマンは頷いた。

 

「もちろんだ。TBSBのキャスターやレポーターが、芸能事務所に引き抜かれて、アイドルになったケースはいくらでもある。そのためには、努力もいれば才能もいる。色々な苦労もあるだろう。だが、きみの夢がアイドルだというなら、むしろTBSBに加入するべきだと、僕は思う」

「なるほど。であれば、前向きに考えさせてもらいたい。だが、おれ一人で決められることではない。親や友人とも相談しなければな」

 

 ウォルが思い描いたのは、配偶者であり婚約者でもある黄金色の狼と、その遺伝上の両親のことだった。

 果たしてリィは、自分がテレビ業界に関わることをどう思うだろうか。それに、確か、ウォルにとって義理の親にあたりアーサー卿などは、自分の子供が、テレビの被写体になるような目立ち方をするのを、あまり好ましく思っていなかったのではなかったか。であれば、少なくとも彼らに話を通しておく必要がある。そう思ったのだ。

 そのあたりの事情など当然承知していないノーマンは、前向きに考えるというウォルの台詞を聞いて、嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「ありがとう。本当に嬉しいよ。これが、僕の連絡先だ。君の中でこの話の結論が出れば、連絡をくれると有難い」

 

 ウォルは、ノーマンから名刺を受け取った。

 

「それと……これは完全に興味本位なんだけど……もしもよければ教えてほしい。どうして君は、アイドルを目指しているのかな?」

「おれがアイドルを志していることが、そんなに不思議か?」

 

 ノーマンは慌てたように首を横に振った。

 

「いや、さっきも言ったけど、君は女性としてとてもチャーミングだ。顔も美しいし、華があるし、光り輝いて見える。もしも君が望むなら、アイドルは天職のように思えるよ。でも、何ていうかな、君は、もっと超然としているっていうか、そういう世俗の職業に興味がないように思えたんだ。だからこそ、きっと君を口説き落とすのに、もっと苦労すると思ってたんだけど……」

「さっきも言ったが、おれは有名になりたい。そして、金を稼ぎたいのだ。そのためには、アイドルになるのが一番てっとり早いと、入院していたときに懇意にさせてもらった看護師から伺ってな。おかしいかな?」

「いや、おかしくはない。確かに、アイドルになれば、有名になれるしお金も稼げるだろう。それは、普通の女の子が夢見る未来でもある。でも……そうか、君は、それが目的じゃないね?」

 

 思春期の少女がアイドルを夢見ることは、よくあるだろう。だがその場合、おそらくはアイドルになるという事自体が目的となる。アイドルになって有名になり、誰からもちやほやされたいという承認欲求。たくさんお金を稼いで贅沢な生活をしたいという即物的な欲望。それらは普通のことであり、別に誰かに非難されるようなものではない。

 ただ、ウォルが彼女達と違う点があるとすれば、それは目的地の違いだとノーマンは気が付いた。普通の少女にとっての目的がアイドルになってそれらの欲求を満たすことならば、ウォルにとってのアイドルは――そして有名になり金を稼ぐということは、彼女にとっての目的ではなく、真の目的を果たすための手段に過ぎないのではないか。ノーマンはそう思ったのだ。

 ウォルは、ノーマンの疑問に、底の深い微笑で応えた。そしてノーマンも、それ以上追及しなかった。彼にとっては、ウォルという光り輝く逸材が、自分と同じ世界で活躍してくれさえすれば、それ以上を求めようとは思わなかったのだ。

 二人は、もう一度、先程よりも強く握手を交わし、そして面談室を後にした。

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