懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

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第百三話:ウォルの秘密

 リィ、シェラ、そしてウォルは、フォンダム寮のリィの部屋に集まり、一緒になって今日の課題をやっつけていた。

 時間はもう遅い。夕食も済み、ほとんどの寮生は自室で、今日の授業の復習と、翌日の授業の宿題に勤しんでいることだろう。

 三人も、課題をこなしているのは他の寮生と同じなのだが、男性であるリィの部屋に、女性であるウォルがいるのが異質であった。風紀の保持の観点から、こんなに遅い時間に異性の部屋に立ち入るのは、寮規違反である。

 ただ、ウォルにしてみれば、リィもシェラも同性の友人感覚なのだし、後ろ暗いところは少しもない。無論、監視カメラに映らないよう、壁をよじ登って部屋に入ってきたあたり、悪いことをしている自覚はあるはずなのだが、生来の気質は結構悪戯好きなウォルであるから、ウォルがリィの部屋にいるのもありふれた光景であった。

 既に、夜も遅い。窓の外は、夜の帷が下りている。遠く、歩道沿いにある街灯が、ぽつりぽつりとした明かりで夜の片隅を照らしている。何ともものわびしい風景だが、学生寮の夜などそのようなものだ。

 

「うーん、リィ。この問題はどうやって解くのだ?」

「んん?ああ、このパターンは初めてだな。これはな、左辺のXにこっちの式を放り込んで、まるごと因数分解して……」

 

 金色の頭と黒色の頭、その二つの距離が、紙一枚を挟んでも落っこちない程に近い。二人して、一つの教科書を覗き込んでいるからだ。

 背の低いテーブルを間にして、リィとウォルが向かい合って座っている。椅子を置くには低すぎるテーブルなので、二人とも床にクッションを置いて、その上に胡座を組んだ姿勢だ。

 ウォルは、シャープペンシルを唇の上に置いて、大いに頭を悩ませた表情である。今にも頭の上にクエスチョンマークが現れそうな顔で、リィが走らせるペン先をじっと見つめている。

 リィは、そんなウォルの愉快な様子に頬を綻ばしながら、淡々と説明を続ける。

 

「で、だ。こうしてやったら、この部分とこの部分が等しい値になるだろ?っていうことは……」

「おおっ、なるほど!ということは、これをこうして……!」

 

 リィのペン先を押し退けるようにして、ウォルがノートに数式を走らせる。

 正しく、一心不乱といった様子である。

 そして、一言。

 

「出来た!どうだ、リィ!」

「うん、正解。やっぱりお前は飲み込みが早い。これならおれも楽が出来る」

 

 ウォルの答えと模範解答を見比べたリィが、満面の笑みで言う。

 その言葉を聞いて、一安心といった面持ちのウォルは、お行儀悪くごろりと床に寝転んだ。

 

「これで、数学の課題は終了だな。やれやれ、学生稼業も中々に楽ではないな」

 

 頭の後ろで手を組み、天井を見上げながら言った。

 国王だった時のウォルであれば、間違えてもこんな様子を他人に見せることはなかっただろう。執務室で書類の山と格闘し、少し息抜きしたくても、どうしても部下や家来の目がある。だらしなくするにも限度というものがあるのだ。

 翻って今はといえば、どんなに締まりのない様子でも、見咎める人間はいない。リィはそういったことに頓着しないし、もう一人の友人は、軽い溜息とともにたしなめるくらいである。

 然り、ウォルにとってもう一人の友人であるシェラが、薫り高い紅茶のティーカップが並んだ盆を片手に、軽いというには少々棘のある台詞を口にした。

 

「ウォル、年頃の淑女がそういった姿を人目に見せるものではありませんよ。それに、シャツが捲れあがっておへそが丸見えです」

 

 小言の多い侍従長のようにぴしゃりと言ったが、当の少女は馬耳東風、課題の終わった解放感から気持ちよさそうに目を細めて寝そべっている。

 そんな、だらけきった様子のウォルを見て、シェラは溜息をついた。彼の記憶にあるデルフィニア国王は、王としてはあまりに気さくすぎるきらいはあったものの、もっと威厳に満ち満ちていたはずなのに。

 しかも、どうやらこの少女の地はこちらの姿なのだということが分かってしまうので、シェラとしてももう驚くこともできない。できるのは、小言をもってウォルに少女らしさを教示してみせることくらいである。

 

「心配せんでもシェラ、今のところ、お前たちの前以外では、こんな姿をすること予定はない。きちんと淑女のつもりで猫を被りとおすぞ」

「普段の振る舞いが、いざという時にものを言うのですよウォル。普段のあなたに問題があるなどとは言いませんが、今のだらしない恰好を見れば、殿方であれば百年の恋も冷めかねません」

「そうか、ならばインユェあたりに今のおれを見せれば、あの熱烈な求愛ももう少し落ち着いてくれるかな?」

 

 からからと笑うウォルである。

 再び溜息を吐き出したシェラは、教科書を片づけた後のローテーブルに、紅茶のカップ、そして2人の夜食として、ハムとチーズを挟んだサンドイッチを並べる。

 先程までウォルの課題に付き合っていたリィは、目を輝かせながらシェラ手製のサンドイッチに手を伸ばした。

 

「ありがたい、ちょうど小腹が減ってたんだ。シェラ、いただくぞ」

「ええ、どうぞ」

 

 簡単に作ることができるサンドイッチは、手軽な夜食の定番ではあるのだが、そこは凝り性のシェラのこと、パンはトースターで焼き、バターとマスタードを混ぜたソースを塗るなど、きちんと料理に仕上げている。

 リィは、トーストを斜めに切ったサイズのサンドイッチをペロリと片づけ、ストレートの紅茶で喉を潤し、次の一枚に手を伸ばす。

 その横から、もう一本、手がにゅっと差し入れられる。

 

「おい、リィ、おれにもよこせ。頭を使うと腹が減るのだ」

「なんだ、ウォル。お前、体重が増えたと嘆いていたじゃないか。夜食は体型の大敵だぞ。おれが全部片づけてやるから無理をするな」

「馬鹿を言え。せっかくシェラがおれのために作ってくれた夜食だ。例えどれほど太ろうが、おれはしっかり頂くぞ」

 

 軽口を叩き合いながら、二人は欠食児童さながらの勢いで、山と作られたサンドイッチを食べつくしてしまった。

 結構な量を作ったつもりだったシェラは、この二人の食欲の旺盛さに目を見張ると同時に、今後の料理の適正量を上方修正させたのだった。

 そんなふうにして、腹の虫を収め、今日一日の出来事をおしゃべりした三人だったが、ウォルが少し真剣な表情でリィとシェラを見て、

 

「少しいいか?実はお前たちに相談したいことがあるのだが……」

 

 居住まいを正し、あらためた口調で二人に声をかける。

 はて何事かとリィとシェラは顔を見合わせた。相談といっても思いつくのは、授業に関することかそれとも友人関係の悩み事かくらいのものだが、目の前の少女は存外真剣なまなざしである。

 リィは頷き、

 

「どうしたんだ、ウォル。相談ならいくらでも乗らせてもらうけど……」

 

 シェラもリィの隣で頷いている。

 少し心配そうな二人を等分に見やり、ウォルは話を切り出した。

 

「こないだ、ノープス中央体育館の一件で、ノーマンという青年がいただろう。覚えているか?」

「ああ、TBSBの関係者だっていう、目立たない感じの男だったな。それがどうかしたか?」

「今日、放課後に面会した。そして、あの一件の謝罪を受けた」

「なるほど。それで?」

「おれは、彼の謝罪を受け入れた。そこで話は終わったかと思ったのだが……続きがあってな。なんと、おれにTBSBに参加しないかと、勧誘されたのだ」

 

 リィもシェラも、少し驚いた顔をした。

 あの一件で、ウォルは、TBOの金メダリストであるレオン・オリベイラを一撃で叩きのめしている。常人からすれば、例え我が目で見ても信じがたい出来事だったはずだ。ウォルを化け物と恐れても不思議はない光景だったはずである。

 そのウォルを、怖じ気ずくでもなく勧誘してくるあたり、ノーマンという青年は、線が細いように見えて実は意外と図太いのか、恐怖に目をつぶってなおウォルを魅力的だと思ったのか、どちらかだろう。

 いずれにしても、中々見る目があるなとリィは思った。

 

「お前たちに相談したいのは正しくその事なのだ」

「TBSBに参加するべきかどうか相談したいってことか?」

 

 ウォルは首を横に振った。

 

「いや、参加することはもう決めている……というよりも、参加したいというのがおれの意志だ。しかし、おれが参加することでお前たちに何か迷惑がかかるなら、考え直さなければならないとも思っている」

「おれ達に迷惑っていうと、具体的にはどういうことを想定しているんだ?」

「おれはまだTBSBの活動を詳しく知らないが、おれ自身はニュースキャスターやレポーターのように、テレビ画面に映るような仕事を希望しようと思っている。もしおれの希望が叶えられれば、おれの顔も名前も知る人間が増えるだろう。翻って、お前たちはあまり目立つことを好んでいない。おれが注目されることで、お前たちにいらぬ面倒をかけてしまうかもしれん」

 

 なるほど、ウォルの言うことはもっともであった。

 ただでさえ、リィやシェラは目立つ。この上ないといっていいほどに目立つ。街中を歩けば、ファッション誌や芸能事務所のスカウトに声をかけられるなど日常茶飯事だし、学校の中でもそれと知られた有名人である。想いを寄せる学生は、性別を問わず数えきれないくらいだし、実際に告白されることも日常茶飯事だ。

 そして、ウォルも二人と並んでもおさおさ見劣りしないほどの美少女だ。TBSBがウォルをどのように起用するかは定かではないが、よほど間違えた起用法をしない限り、そしてウォルが致命的なほどマスコミ業界に向いていないなどの事情がない限り、彼女は相当の人気を獲得すること疑いない。

 そうすれば、ウォルの友人であり、ウォルと同じくらいに美しい少年二人に、今まで以上の注目が集まってしまうのは避けられない事態だろう。

 であれば、リィとシェラに話を通しておこうというウォルの考えも頷けるというものだ。

 

「確かに、お前がTBSBに入れば、おれやシェラに何の影響も与えないってことにはならないだろうな」

「やはりそうなるか。弱ったな」

 

 ウォルは難しい顔で腕を組んだ。

 そんなウォルを見て、リィは苦笑する。

 

「だけどさ、ウォル。お前は、将来の夢がアイドルだって言ってたろ?もしもお前が夢を叶えれば、どうしたってお前の義理の兄であるおれにも注目が集まるのは仕方ないことじゃないか。もしもおれとお前が結婚したなら、なおさらだ」

「ふむ」

「おれはさ、確かに目指せ一般市民で頑張ってるつもりだけど、そのために友達の夢を捨てさせるつもりはないぞ。お前がアイドルになりたいっていうなら、心の底から応援させてもらう。それも、自分の力でなろうっていうならなおさらだ」

 

 言うまでもないことだが、リィにはテレビ方面に強力なコネクションがある。

 芸能界の奇跡と呼ばれ、銀幕の妖怪と恐れられるジンジャーは言うに及ばず、ジャスミンやケリーは巨大な芸能部門を抱えるクーア財閥のトップだし、他にも新進気鋭の変人映画監督や将来の大物女優の卵である少女など、数えきれないほどだ。

 そのリィが一声かければ、ウォルの前には、芸能界のトップまで駆け上るための専用エスカレーターが一瞬で建立されるだろう。

 だが、ウォルは自分の力で夢を叶えるのだという。それが例え遠回りの道程だったとしても、友が選んだ道である。リィがそれを否定できるはずがない。無論、ウォルが助けを必要とすれば、助力を惜しむリィであろうはずもないが。

 

「陛下、わたしもリィと同じ意見です。あの時は、アイドルがあなたに相応しい職業とは思えないなどと申し上げましたが、しかし他ならなぬ貴方がそれを望むのであれば、わたしに否やはありません。どうぞ、ご自身の信念に従って、道を邁進されてください」

 

 生真面目な様子のシェラの言葉に、ウォルは真剣な様子で頷いた。

 

「すまない。お前たちの温情に感謝する」

「でもさ、ウォル。お前がアイドルなんかを目指すことになった理由について、あの時は聞きそびれたと思うんだけど、よければ教えてほしい。いったいどうしてなんだ?」

 

 リィの、ある意味当然とも言える質問に、ウォルは口を一度開き、しかし苦笑を浮かべて首を横に振るだけだった。

 

「いや、それはしばらくの間、秘密にさせてもらおう。つまらない理由で、お前たちを失望させたくないからな」

 

 ウォルの言葉に、リィとシェラは顔を見合わせた。ウォルがアイドルを目指すという、それがどんな理由であったとしても失望したり嘲笑したりなどするはずがないのにと思ったのだ。

 しかし、ウォルは己の目的を語らなかった。いや、語ることができなかった。この二人が大切な友人であるからこそ、そして自分のことを大切に思ってくれているからこそ、語ることができなかったのだ。

 曖昧な笑顔でリィの質問を躱したウォルは、シェラの淹れてくれた紅茶を飲み干した後、二人に就寝の挨拶をしてから自分の部屋へと戻った。もちろん廊下を使うことはできないから、トカゲかヤモリのように壁を這い伝い、女子寮へと舞い戻ったのだ。

 部屋に戻ったウォルは、据え置きの端末を使い、実家であるヴァレンタイン家へと通信をつないだ。こちらはもう夜も遅い時間だが、確かあちらではまだ宵の口といった時間のはずであり、失礼にはあたらないはずだ。

 

『あら、ウォル、突然どうしたの?』

 

 通信に出たのは、ウォルの義理の母であるマーガレットであった。四児の母であるはずだが、肌は瑞々しく表情は豊かで、まるで少女のように若々しく見える。

 

「夜分遅くに申し訳ありません。実は、義父上と話をさせていただきたく、連絡した次第です」

『あら、そうなの?よかった、ちょうどアーサーも今帰ってきたところなの。すぐに呼ぶわね』

 

 通信の向こうで、アーサーを呼ぶマーガレットの声が響き、やがてリィの実の父親であり、ウォルの義父であるアーサー・ヴィルフレッド・ヴァレンタインが姿を現した。

 まだ、彼の仕事着であるスーツとネクタイ姿であるあたり、マーガレットが言っていた今帰ってきたばかりというのも本当なのだろう。

 

『やぁ、ウォル、しばらくぶりだね。元気な姿が見れて嬉しいよ。どうしたんだい?』

「実は、相談させていただきたいことがありまして……」

 

 義理の娘の真剣な表情に、アーサーは落ち着いて耳を傾けた。

 ノープス中央体育館での一件、ノーマンからTBSBに誘われたこと、そしてリィ達に自身がTBSBに加入すると告げたこと。

 一連の話を聞いたアーサーは、深い溜息を吐き出した。

 

『ウォル、君がエドワードと同じように、普通の子供じゃないことは十分理解している。だが、素行に問題のある格闘技選手に、正面から試合を挑むなんてやりすぎだ。万が一のことがあったらどうするつもりだったんだ』

 

 アーサーの良識あるお説教に、流石のウォルも黙って項垂れるしかない。

 以前の、惑星ヴェロニカの一件では、リィの家族たちには本当に心配をかけてしまった。エドワードもマーガレットも、ウォルが死んだと聞かされ、深い悲しみに打ちひしがれていたのだ。ウォルの生存を知らされて、そして元気なウォルが帰ってきたときは、アーサーもマーガレットも、涙を流してウォルを抱き締めてくれた。

 リィはアーサーのことを頑なに父親とは認めようとしない。それはウォルも理解しているが、それとは別の話として、ウォルはアーサーを義父として受け入れているし、そして感謝もしているのだった。

 そのアーサーから、心を込めたお説教をされれば、異世界の王であったウォルとしても、スーシャの山猿と呼ばれた幼少期に義父であったフェルナン伯爵から叱られたことを思い出して、恐れ入るしかないのである。

 

「面目次第もございません、義父上」

『いや、分かってくれればいいんだ。でも、本当に、もっと自分のことを大事にしてほしい。今のきみは女の子なんだし、ぼくやマーガレットの大切な娘なんだからね』

「――ありがとうございます。心の底から、感謝します」

 

 ウォルは画面の前で、深々と頭を下げた。

 それは感謝であり、今回の件の謝罪であり、そしてこれから自分が為そうとすることの謝罪でもあった。

 

『わかってくれてありがとう。では、お説教はこれで終わりだ。それともう一つの話だね』

「はい。私がTBSBに入局する件ですが……」

 

 画面の向こうのアーサーは、父親としての慈愛を込めて、優しく微笑んだ。

 

『ウォル、そちらは全力で応援させてもらうよ。正直に言うと、異世界の王様であり、エドワードのお嫁さんでもあるきみが、どういった将来を選ぶのか、楽しみであると同時に少し心配もしていたんだ。ぼくも、TBSB出身のジャーナリストの知り合いが何人かいるが、みんな立派な方ばかりだ。きみが将来、そういった道を選ぶつもりなら、今のうちからその世界に慣れ親しむことは有意義な事だと思う』

「しかし、義父上は、子供がテレビなどに出演することをあまり快く思われていないはずでは?」

 

 アーサーは頷き、

 

『例えば、エドワードやウォルの美貌を商売道具としか考えない、二流三流の芸能プロダクションで働くのは、好ましくないことだと思っている。そういう連中は、今の君たちの美しさを商品として売ることしか考えず、君たちの才能を育てることや、芸能界特有の誘惑や犯罪から子供を守ることを、二の次三の次にしか考えないだろうからね』

 

 アーサーの言葉に、ウォルも頷いた。

 ウォルのいた世界でも、美貌の少年少女は、芸の世界で重宝されたものだ。複数のパトロンが付き、蝶よ花よと愛でられた。

 しかし、芸の世界には誘惑が多い。禁制の薬物や未成年には相応しくない人付き合い、悪くすれば売春行為をあっせんされることも珍しい話ではない。

 その中で、才能ある子女を保護し、責任を持って大成するまでその才能を育てる大人がどれほど希少で貴重だったか、ウォルは熟知している。

 こちらの世界も、どれほど文明が発達しているとはいえ、所詮は人の営む世界であることに変わりはない。つまり、そのあたりの事情も同じだと、ウォルは理解していた。

 

『だから、僕は君がTBSBで、例えばニュースキャスターやレポーターとして活躍することに、何の反対もないよ。むしろ、自慢の娘がテレビで活躍するのは、父親として鼻が高い。周りの人間に自慢できるってもんさ』

「はい、義父上のお顔に泥を塗らないよう、精一杯精進したいと思います」

 

 勇ましさすら感じさせる真剣な表情で、ウォルは言った。

 どう聞いても、まだまだ子供と呼ばれる年齢の少女、そして誰しもが溜息しか出ないような美少女であるウォルが口にするには堅苦しい言葉だったが、アーサーは父親としての喜びを噛み締めながら微笑んだ。

 そして思った。

 

 ――ああ、この愛すべき娘の百分の一でもいいから、エドワードが自分を慕ってくれたなら!

 

 内心で、ちょっぴりそんなことを考えたアーサーであったが、口に出してはこう言った。

 

『もし、テレビ出演が決まったら絶対に放送時間を教えておくれ。例え仕事を休んでも、生放送でウォルの艶姿を拝みたいからね』

「艶姿とは……私はまだ14歳の子供ですよ?」

『いや、きっと君が画面に映ったなら、そういう表現が相応しい、大人の女性の美しさを体現してくれると思っているよ。本当に楽しみだ』

 

 その後、いくつかの他愛無い世間話を交わして、ウォルは通信を切った。

 ウォルは、人知れず小さく溜息をついた。

 はて、自分が為そうとしていることを愛すべき義父上が知ったら、果たして何と言うだろうか。

 もしかしたら、深く失望するかも知れない。全力で止めるのかもしれない。それとも、荒唐無稽な空想話として嘲笑われるだろうか。

 だとしても構わない。

 例えそれが自分の業なのだとしても、為すべきことは為さねばならない。

 それだけの話だ。

 ウォルは部屋の電気を消し、今日一日を終えるため、ベッドに横になった。

 

 

 翌日の放課後、早速ウォルはノーマンと連絡を取った。

 

「昨日いただいた、おれがTBSBに参加するというお誘いだが、正式に受けさせていただきたい」

 

 ウォルの言葉に、ノーマンは、携帯端末の向こう側で喜びを爆発させた。

 

『本当かい!よかった、ありがとう!本当に嬉しいよ!』

 

 どうして他人のウォルがTBSBに参加するという事だけでこうも喜んでくれるのか、ウォルには少し可笑しくもあったが、そこはノーマンという青年の純粋さなのだろう。ウォルという綺羅星が自分と同じ世界に立ち入ってくれたこと自体が、嬉しくて仕方ないのだ。

 ひとしきり感激を爆発させた後で、少し落ち着いた様子のノーマンに、ウォルは話を続ける。

 

「ただ、中等部生の若輩で、かつ、ずぶの素人のおれがこういったことを口にするのは分不相応だと理解しているのだが、実は、条件を二つ付けさせていただきたいのだ。お願いできるだろうか?」

『条件か。当然、僕の権限の範囲内で収まる話ならできるだけ叶えてあげたいけど……どんな条件だい?』

「まず一つが、おれの友人のことだ。あの時、格闘技場に一緒に居たから、もしかすると覚えておられるかも知れないが、おれには、傍目から見れば信じられないほどに美しい友人が、何人もいる」

『ああ、覚えているよ。あの厳めしい大きな男性以外は、全員が美男美女ぞろいで驚いた。正直に言えば、オリベイラ選手の取材よりも、君たちを取材したほうが視聴率が稼げるんじゃないかと、すけべ心が湧き上がったくらいだもの』

 

 あまりに率直なノーマンの感想に、ウォルは苦笑しつつ、しかし無理もないだろうなと思い、続ける。

 

「彼らは、おれのように、例えばテレビに映って名を売ったり、そういうことを望んでいない。あくまで、一般市民として、静かに生きることを望んでいる。だから、例えばおれを出汁にして、彼らをテレビの世界に勧誘したり、そういうことをしないでもらいたいのだ」

『なるほど、要するに、TBSBに参加を希望するのはあくまで君だけ、数珠繋ぎに君の友人を参加させようとか、そういうことは考えてはいけない。そういうことだね?』

 

 ウォルは携帯端末を持ったまま頷いた。

 

「それともう一つが、おれの名前のことだ。もしもおれがキャスターやレポーターとして活躍することができれば、世間におれの名前を売ることができる。そういうことで間違いないな?」

『うん、そのとおりだ。レポーターもキャスターも、取材やコメントの後で自身の名前を明らかにするのが慣例だ。それが、自分の報道に責任を持つということでもあるしね。それに、君くらい可愛ければ、間違いなくファンがつく。ファンの間で、君の名前は知れ渡ることになるだろう』

「ならば、その時の名前を、偽名にしても構わないか?」

 

 偽名というウォルの言葉に、通信の向こう側のノーマンも流石に少し驚いた様子だった。

 

『偽名を使うとは穏やかじゃないけど……君は、自分の名前を有名にするために、TBSBに加入したいと言ったよね。でも、有名にしたいのは自分以外の名前だと、そういうことかな?』

「正しく仰るとおりだ。無論、偽名といっても、荒唐無稽でとんちんかんな名前というわけでもない。その名前も、おれの名前の一つではあるのだ。だから、偽名というよりは別名というのが正しいかも知れない。どうだろう、難しいかな?」

 

 ノーマンは少し考え、

 

『……正直に言うと、あまり好ましいことではないと思う。ただ、色々な事情で、本当の名前を表に出したがらない学生がいるのは事実だ。例えば、自分の名前から、自身が資産家や王侯貴族の子女であることがばれてしまい、防犯上の問題があるという局員には、ステージネームの使用を認めるケースもある。さっきも言ったけど、ジャーナリズムにおける報道する側の責任という観点から言えば、褒められたことじゃないのは確かだけどね』

 

 ジャーナリズムは、一定の権力を保持した機関であることは間違いない。政治、立法、司法を監視し、その適性を判定するのが一つの仕事なのだから。その上、ジャーナリスト自身には、市民による選挙や信任などの過程を経ないのだから、より一層の自制と責任が求められるのは言うまでもない。

 であれば、その代弁者であるキャスターやリポーターが偽名で活動しているのでは、ジャーナリズムの信頼性に疑問が生まれかねない。極端な話ではあるが、自分の恣意で極端な報道を行い好き放題やっておいて、旗色が悪くなれば雲隠れし、ほとぼりが冷めてから別名義で活動するという無茶が罷りとおってしまう。

 TBSBは、学生の課外活動の一環ではあるが、曲がりなりにもジャーナリストの端くれを名乗っている以上、そういった無責任を許すわけにはいかない。だからこそ、その覚悟として、学生ではあるが、実名での報道を前提に活動している。

 

『……わかった。その点については、上に掛け合ってみよう。どうやら、君にも色々と事情があるらしい。もしかすると、例えば事件記者や政治記者のように、真実性の責任が強い仕事には就けないかもしれないけど、例えば僕が担当するスポーツ局のように、エンターテインメント性が強い仕事なら問題ないだろう。それでも構わないかな?』

「ああ、ノーマンどのの寛容と配慮に深く感謝したい」

『当然、一つ目の条件の、君の友人を無理にTBSBに勧誘したりしないという条件は、厳重に守らせてもらう。全ての局員に、彼らに対する一切の勧誘活動を厳禁するよう、通達しておくよ。確かに君の友人はとても魅力的だけど、正直、僕には君が一番光り輝いて見えたんだ。宝石の群れに目が眩んで、一番美しい太陽が岩戸に籠ってしまいましたでは、あまりに情けないからね』

「おれのことを買ってもらっているのは嬉しいが、卿の言い方はなんとも大仰だ。あまり期待されると、重圧で推し潰れてしまいそうだぞ」

『本当にプレッシャーにやられる人間は、そういうことを口にしないものだよ。僕の経験からするとね』

 

 ノーマンはくすくすと微笑っていた。

 

「では、あらためてノーマンどの、色々とご迷惑をおかけするかと思うが、よろしくお願いする。手続きなどは、どうすればいいのかな?」

『手続きは、後日で構わないよ。その時、君の歓迎会なんかも開催できればと思う。ただ、フィナくん、今日、何か予定が入っていたり、明日の課題で手が放せなかったり、そういう事情はあるかな?』

「いや、時間を作ろうと思えば出来なくもないが……どうされた?」

『実は、今日、有名なスポーツ選手のインタビューの仕事が入っている。もし君がよければ、見学に来ないかい?君がアナウンサーやレポーター志望なら、実際の現場を見ておくことは無駄にならないと思うんだ』

 

 なるほど、ノーマンの言葉には一理ある。ウォルにしてみれば、TBSBという活動がどのようなものなのか不勉強だし、そもそもこの世界の常識に疎いところもある。

 こないだのノープス中央体育館での出来事も、有名スポーツ選手のインタビューだったわけだが、結果があのようなことになってしまったため、正式なインタビューがどのような手順でなされるのかは知っていたい。その現場を見ることができれば、今後のための勉強にもなるだろう。

 それらの事情を覗いても、単純に課外活動として有意義なものであるのも間違いない。

 

「ノーマンどのがご迷惑でないなら、是非ともお願いしたいな」

『君ならそう言ってくれると思っていたよ。取材は、先方の大学のクラブハウスで行うことになっている。幸い、アイクライン校のお隣さんだ。移動にそう時間はかからない。君の学校の、そうだな、図書館前のバス停で、30分後に落ち合おう。それで構わないかな?』

 

 ウォルはノーマンの口にしたスケジュールを承諾して通信を切り、一路、図書館へと急いだ。

 アイクライン校の放課後の校内は、学生らしい、少し浮ついた雰囲気が流れている。授業の緊張から解放された学生の話し声、笑い声、今日の授業が難しかったことに対する愚痴や溜め息などがそこかしこから聞こえてくる。

 

「ムーア教授の歴史学、まさかあのタイミングで、共和宇宙連邦初期のパワーバランスについて意見を求めてくるかね。そんなの、予習の範囲になかったぞ。いくらなんでも反則だよ」

「仕方ないさ、あの人の投げる変化球は、毎年鋭さを増してるって話だもの。災難だったと思って諦めろよ。それより、今日はロッドの練習試合なんだろ?気合入れなおして頑張って来いよ」

 

 そんなことを言いながら、気分を切り替えて、クラブ活動や課外活動へと繰り出す準備をしたりしている。

 学生達の愚痴も、仕方ないものだろう。連邦大学の授業は、中等部であっても、ただ先生の話に耳を傾けてノートにペンを走らせ、テストでそこそこの点数を取ればよいというものではない。課題に対して自身の意見を持ち、それを積極的に発言し、他の生徒の意見や教授の言葉を噛み砕いて理解するといった、より深い学習が求められる。中等部でも、レポートや論文の課題も普通に出されたりもする。

 並みの中学生なら目を回して、両手をあげて降参しても不思議ではない状況で、多少の不満をこぼしながらではあっても、しかしそれらの授業をこなしつつ課外活動まで行う連邦大学の学生は、やはり共和宇宙のエリート揃いではあるのだろう。

 彼らを横目に、街路樹の日陰となった歩道を、ウォルは足早に歩いていく。日差しも結構強くなってきたこの時期、若葉を豊かに茂らせた街路樹の木陰はありがたい。人工的な冷房も悪くはないが、ウォルにとっては、木陰を渡るそよ風か何より心地よかった。

 しばらく歩くと、赤い煉瓦造りの、大きな建物が視界に入った。アイクライン校の、中高共同施設である図書館だ。これから何か調べ物でもするのか分厚い鞄を抱えた学生が、自分と同じく図書館を目指して歩いている。

 ウォルは、きょろきょろと辺りを見回した。普段、あまり図書館には足を運ぶことがないので、この辺りには些か不案内である。

 少し不安げな表情であたりを伺う美少女というのはなんとも男の庇護欲を刺激するものだが、周りの男子学生は声をかけることはなかった。

 それは、彼らが不親切だったからでも、勇気がなかったからでもない。ただ、ウォルの濡れ鴉のように艶やかな黒髪が、新雪のようにきめ細やかで真白い肌が、精巧な人形よりも整った顔立ちが、あまりに美しすぎて、自分と同じ世界に住む生き物とは思えなかったからだ。

 ただ、ウォルに見惚れる学生の群れの中で、一人、こちらも街中を歩けば十人中十人が振り返るほど怜悧な美貌の男子学生が、ウォルの姿を遠目に発見し、驚愕の色をその表情に浮かべた。

 その様子を見ていた彼の友人が、『氷の貴公子』とまで呼ばれる友人の、普段は見せない様子に少々の驚きを交えて、問いかけた。

 

「どうしたんだい、ヴァンツァー」

「……いや、何でもない」

 

 ヴァンツァーと呼ばれた少年はそう応えたが、しかし何でもないことはないのは、傍目にも明らかであった。

 なぜなら、彼の目には、遠目に映るその少女が、自分のよく知った人物--おそらくは、人類というカテゴリの中では最も危険な存在の二人のうちの一人である--にしか見えなかったからだ。

 しかしヴァンツァーの表情が緊張したのは本当に一瞬の出来事で、次の瞬間には表情を消していた。

 

「すまない、スティーブ、用事を思い出した。図書館での調べものは、一人で頼む。無論、埋め合わせはする」

「えっ、ちょ、ヴァンツァー?」

 

 ヴァンツァーは、野生の獣も恥じ入るほどに気配を消して、その場を立ち去った。

 自身を最大級の警戒とともに観察していたその少年の存在にはついぞ気がつかなかったウォルだったが、待ち合わせをしていた人物であるグレッグ・ノーマンはすぐに見つかった。

 ノーマンは、図書館の正門のすぐ横でウォルを待っていた。薄緑色の半袖シャツにアイボリーのスラツクスという初夏向けの出で立ちで、見るからに涼やかである。周りの学生達が中等生、高校生中心なので、大学生である彼は、よくよく見れば少し目立つ様子だ。

 

「ノーマンどの」

 

 ウォルが駆け寄ると、ノーマンは嬉しそうに手を振った。

 ひょろりと高い身長、見る人によって臆病とも柔和とも取れる少し垂れ目がちな顔は、意外と整っていて、男前の一歩手前と言ったところか。銀縁のメガネと合わせて、ジャーナリストというよりは科学者か研究者のほうが似合いそうな面持ちだ。

 おそらく撮影機材が入っているのだろう、少し大きめのリュックを背負っているが、狭い肩幅とあいまって、どうにも大儀そうな印象を与えている。

 

「やあ、フィナくん。突然のお願いで申し訳なかったね。そして、よくぞTBSBへの参加を決めてくれた。全ての局員を代表して、歓迎するよ!」

 

 その熱烈な様子はウォルを今にも抱きしめんばかりであったが、こんなところで中等生に抱きつく大学生など、即刻通報され警察のご厄介になるところだ。

 その点、ノーマンは愚かでも変質者でもなかったので、ウォルを抱きしめたりはせず、柔らかな笑みを浮かべただけだった。ただ、周囲の生徒たちは、ウォルの輝くような美しさとノーマンの冴えない様子を見比べて、若干訝しげな様子であったが。

 弾むような足取りでノーマンに相対したウォルは、表情をあらためて、深く腰を折った。

 

「これからお世話になります。ウォル・ウォルフィーナ・エドナ・デルフィン・ヴァレンタインでございます。前にも申し上げましたが、ロストプラネット出身も同然の常識知らず、右も左も分からぬ田舎者故、色々とご迷惑おかけすることもあるかと思いますが、どうぞよろしくご指導ご鞭撻いただければと思います」

「うん、こちらこそよろしく、フィナくん。確かに、君がTBSBに加入した以上、僕は君の先輩だ。いくらでも頼ってくれて構わない。でも、そういうふうにかしこまってもらう必要はないよ。さっきまでの君の話し方で構わないからね」

 

 ノーマンは柔和な微笑みを浮かべて言った。

 なるほど、中々堂に入った先輩ぶりである。居丈高になるでも、変に卑屈になるでもない。これなら、きっと多くの後輩に慕われているのだろう。ウォルは、この少し冴えない青年に好感を覚えた。

 しかし、当のノーマンはウォルから視線を外し、何やら落ち着かない様子である。

 そして、腕時計で時間を確かめ、ちらちらと周りを確認する。

 ウォルは気遣わしげに、

 

「誰か、他にも同行する方がおられるのか?」

「うん、ミラっていう女性局員なんだけど、今日のインタビュアーをしてもらうんだ。彼女はアイクライン校の高校生だからね、本当は君より早く集合する予定だったんだけど……何かあったのかな……」

 

 心配そうに眉根を寄せながら、ノーマンは携帯端末でどこかに連絡を取る。しばらく端末を耳に当てるが、やがて首を横に振った。

 

「駄目だ、繋がらない」

「どうなされる?」

「そろそろ出発しないと、約束の時間に間に合わない。とにかく、僕達だけでも現地に向かおう。もしかしたら連絡に不手際があっただけで、ミラも先に向かっているかも知れない」

 

 若干の焦りを滲ませながら、ノーマンはウォルを伴って、ホプキンス大学行きの学内バスに乗り込んだ。

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