懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他) 作:shellfish
ウォルとノーマンが乗り込んだバスは、幸いと言うべきか、乗客がちらほらといった様子だったから、二人は一番後ろの座席に座ることができた。重たい機材を肩から降ろすことができたノーマンは、文字通り一息つくことができた。
アイクライン校とホプキンス大学は立地的にも近接しており、交流も密である。アイクライン校の高等部からホプキンス大学に進学する生徒は多いし、ホプキンス大学はスポーツの盛んな大学なので、ホプキンス大学のスポーツイベントにアイクライン校の学生が参加することもしばしばだ。時には、合同でパーティーイベントを開催するようなこともある。
だから、ノーマンなどは、バスは混み合っていると思っていたのだ。立ったままでもそれほど時間のかかる行程ではないが、落ち着いて資料を読めるならそれに越したことはない。
ただ、今はどちらかと言えば、折角の有名スポーツ選手の取材現場に姿を見せない、女性スタッフのほうに気を取られているようだ。何度も携帯端末を確認する姿に、ウォルは彼がやきもきしているのがよく分かった。
「まだ連絡はないのか?」
ウォルが、車内用にひそめた声でそう訊くと、
「うん……どうしたんだろう、今までこんな事、一度だってなかったんだ。もしも体調不良とかなら、必ず連絡を入れてくる、ミラはそういう子だ。大丈夫かな、もしや彼女の身に何かあったんだろうか……」
ノーマンは心配そうに俯いた。
ウォルは頷きつつ、しかし同時に、ノーマンの言葉に少し違和感を覚えた。彼女の身に何かあったのかという言葉が、例え約束の時間に姿を現さないスタッフを心配しているのだとしても、少し不穏当なものに感じたのだ。
もしかすると、ノーマンには、ミラという女性がこの場に姿を見せないことについて、何か心当たりがあるのだろうか。そして、それは彼女の身の安全に関わるような、物騒なことなのか。
ただ、それは今、ノーマンに問いただすたぐいの質問ではない。まずは、差し迫った目の前の問題に対処するのが先決だ。
「ノーマンどの、おれが口を出す筋合いではないのかも知れんが、もしも、そのミラという女性が来られなかったことを考えるなら、代役を用意しておかなければ不味いのではないか?」
「君の言うとおりだ。でも、TBSBもそれほどスタッフが潤沢というわけではないからね、今からこちらに回してもらえる臨時スタッフは確保出来ないだろう。そうなれば、仕方ない、僕がインタビュアーをやるしかないね」
「今回の取材のスタッフは何人?」
「本当は僕と彼女だけだったんだ」
「なら、カメラや機材なども、全てノーマンどのが準備することになるのか?」
驚いた様子のウォルに、ノーマンは事も無げに頷いた。
「大手のマスメディアならいざ知らず、学生テレビなんてそんなもんだよ。オリベイラ選手の時はあの回の放送の目玉だったからね、スタッフもいつもより多かったけど、本当なら、今回の取材も僕一人の予定だったんだ。それが、報道局所属のミラにインタビュアーをお願いしたのは、スタッフの数以外にも事情があったからなんだ」
「事情?」
「見るかい?今日の取材の台本だ」
ノーマンは鞄から、無骨な冊子を取り出した。
ウォルは少し驚いた調子で、
「台本?取材に台本などあるのか?」
「勿論、飛び込みの取材や突撃取材なんかは用意されていない。でも、今回みたいに時間と場所を決めてする取材は、ある程度取材する側もされる側も、打ち合わせをしていることがほとんどだ。でないと、話が明後日の方向に進んで収集がつかないこともあるし、大事なところを押さえられないこともあるからね」
そんなものかと思いつつ、ウォルは、ノーマンから手渡された台本をぺらぺらとめくる。
そこには、今回の取材対象の経歴、取材に至った経緯、取材のポイントなどが分かりやすく列挙されていた。
おそらくノーマンの手書きだろうといういくつもメモが書き入れられ、色とりどりの附箋が貼られ、その熱意の程が伺い知れる。
内容を理解するにつれ、なるほど、この取材が、単に結果を残したスポーツ選手に対するそれではないことを理解した。インタビュアーに、スポーツ局担当の男性であるノーマンではなく、社会問題や事件を取材する報道局担当のミラという女性が相応しい理由も。
「なるほど、確かにこの内容なら、男性であるあなたよりも女性の方が相応しいといった理由がよくわかるな」
「でも、もしもミラが来なければ仕方ないからね。少し画は弱くなるけど、僕がインタビューすることになるだろう。フィナくん、折角来てくれたのに、中途半端な仕事を見せてしまって申し訳ないね」
ウォルは残念そうなノーマンの様子に、しかし朗らかに微笑み、
「ノーマンどの、これはもし、そのミラという女性が取材現場に現れなかった場合の話なのだが……もしあなたやTBSBという組織として問題がないなら、おれが今回の取材のインタビュアーをするのはどうだろう?」
「君が!?」
ウォルの申し出に驚いたノーマンが、思わずウォルの顔を覗き込む。
もしかすると、この少女なりの冗談かと思ったのだ。ひょっとしたら、思春期の少女が、使命感に駆られて身の丈に合わない仕事に立候補したのかとも考えた。
しかしウォルの表情は、冗談を口にしたふうでもなければ、不自然に力むでもない。あくまで自然に、自信に満ち溢れた笑みを浮かべている。
「……君は今まで、インタビュアーをしたことがあるのかい?」
当然ともいえるノーマンの問いに、
「あなたの言うところのインタビュアーをしたことはないな。しかし、会ったこともない人と顔を合わせ、話を訊いたり本音を引きずり出したり、厄介な交渉事をまとめたりするのは得意中の得意だぞ。何せ、長いことそれで飯を食ってきたようなものだからな」
そう言って胸を張ったウォルである。
無論、少女としてのウォルの話ではない。あちらの世界で、王として君臨していた頃の、ウォルの話である。
例えば、戦の論功行賞。目覚ましい戦働きをした家臣には、当然のことながら褒美を与えなければならない。金銀財宝の場合もあるだろうし、領地の場合もある。しかし、与えられる褒美には限界がある以上、そして各人の働きには大小がある以上、誰にどの程度の褒美を与えるべきか、その判断は重要になる。それが不公平だと思われれば、王の統治への不満に繋がり、将来への禍根となりかねない。
また、日々の業務として、各地の貴族の諍いを収めることも重要であった。それは領地の境のもめごとであったり、水利権の争いであったり、種類は千差万別である。また、貴族といっても、名前は知っていても顔は知らない場合など珍しくもない。彼らには、それぞれもっともな主張があり、一聞すればいずれの主張も正しく思える。しかし、間違いなく腹の中には一物を隠し持っているのだ。そんな人間の言い分に耳を傾け、そして万人が納得する裁きを下すのは、当然ながら容易なことではない。
物事の本質を大づかみする理解力。相手の言い分の正当性を見極める洞察力。何より、こちらの判断を正当なものだと相手に思わせる交渉力と説得力。
それらの力が無ければ、如何に不敗の闘将であったウォルとはいえ、その治世を盤石のものにはできなかったに違いない。そしてウォルはそれらの困難事を、まるで当然のように、日々こなしてきたのだ。
であれば、たかがインタヴュアーとして相手の話を訊き、その本音を引きずり出す程度、何程のことがあろうか。
そんな事情は露ほども知らないノーマンであったが、しかしウォルの自信満々な様子と、失敗しても元々であるというある種の開き直りがそうさせたのだろう、彼は少し心配そうではあったが、頷いた。
「わかったよ、フィナくん。君に任せよう。もしも失敗しても、僕がフォローすればいいだけの話だし、今回の取材対象は僕の知り合いなんだ。気のいいやつだ、少々の不手際でへそを曲げるようなこともないだろうしね」
その言葉を聞いたウォルは頷き、台本をノーマンへと返した。
ノーマンは、怪訝な顔をする。
「どうしたんだい?さっきも言ったけど、今回の取材は台本ありきだ。もう、ホプキンス大学まで時間もない。少しでも読み込んでおいて欲しいんだけど……」
「大丈夫。もう覚えた」
事も無げに言ったウォルである。
これには流石に唖然としたノーマンが、疑わし気な調子で訊き返す。
「……本当に?僕には、ぱらぱらと飛ばし読みしていたようにしか見えなかったんだけど……」
「さっき言ったように、厄介な交渉事をまとめるのも得意だが、こういう台本を読んで、事前の取り決め通りに振る舞うのも仕事の一つだった。信頼してもらって構わない」
これも、王だったウォルの日常の仕事である。
他国の使節団との夜会、戦勝記念日の儀式など、各種式典では、王は事前に取り決められた段取りに従って、祝辞を延べ、貴賓と談笑し、無事に儀式を成功へと導かなければならない。その際、儀式の流れを決めるのは家臣の仕事だが、それを理解し、いわば操り人形としてその流れを成功に導くのはウォルの仕事だった。
ならば、この程度のインタビューの台本を覚えるなど、如何ほどのこともない。要点を掴んでしまえば、後は自分の判断で事を進めて構わないのだ。むしろ、自分の裁量の幅が大きい分、簡単であるとすら言える。
「ノーマンどの、それよりも、この選手の試合映像があれば見たいのだが、お願いできるか?それに、フットボールのルールも、実はあまり詳しいところは知らないのだ。フットボール選手に取材するのに、そのルールすら理解していませんでは失礼そのものだ。それをご教示いただけるとありがたい」
「……わかった。あまり時間はないから、早送りの映像と駆け足の講義になるよ。それでもいいかい?」
「ああ、三倍速で構わんぞ」
臨時の打合せ室のようになったバスの後部座席で、二人は熱心に言葉を交わした。
◇
ウォルとノーマンは、ホプキンス大学前駅で止まった学内バスから下車した。
バス停の周辺を伺うが、やはりミラの姿はどこにも見当たらない。ノーマンは重たい溜息を吐き出し、携帯端末でどこかへと連絡を取った。
「――うん、そうなんだ、ミラが取材現場に姿を見せない。先方との約束もある、僕はこのまま取材を続けさせてもらう。申し訳ないけど、そっちはミラと連絡が取れないか、確認してほしい。万が一の時は……ああ、そうしてほしい……」
通信を切ったノーマンは、ウォルの方へ向き直り、気持ちを切り替えた様子でホプキンス大学の校門を潜った。
守衛室で来客用のIDカードを受け取った二人は、TBSBの局員証と一緒に首から下げて、ホプキンス大学の広い敷地を一路目的地へ急いだ。
途中、幾人もの学生とすれ違う。当然ではあるが、アイクライン校と違って、ほとんどの学生が大学生だから、顔立ちも体格も、ほとんど大人と言っていい学生ばかりである。
そんな彼らが、ウォルの姿を認めるや、茫然とした表情で立ち止まり、視線と意識を奪われる。アイクライン校では既にそれと知られた美少女のウォルだったが、ホプキンス大学ではそうとはいかないから、かなりの人間がウォルの美貌に足を止めてしまうのだ。
自身の美しさを誇るでもないウォルは、先程のバスの中でインプットした情報を整理しつつ、インタビューの展開をシミュレートしながら、真剣な調子で歩いている。
果たしてフットボール部のクラブハウスはすぐに見つかった。その建物はウォルが想像したよりも大きなものだった。それもそのはず、ロッカールームやシャワールームは勿論、ミーティングルームに監督やマネージャー用の個室まで備えており、一見すればそれが一つのクラブのための建物にはとても見えないほど立派な造りだった。
「ノーマンどの、おれはまだこの世界の常識に疎いのだが、一つのクラブ活動にこれほど大きな建物を用意できるほど、この大学の予算は潤沢なのか?」
建物の大きさから予算の規模に思いを馳せるあたり、普通の女子中学生とは思考パターンが大きく違うウォルであるが、ノーマンは真面目な調子で答える。
「普通の大学のクラブ活動やサークル活動で、これだけの規模のクラブハウスを用意するのは、確かに難しいだろう。だが、ホプキンス大学のフットボール部は、連邦大学でも有数の強豪チームだからね。連邦大学の学生だけじゃなく、他の星にもファンがいるし、他の星に招待されて試合をすることもある。そういった試合の報酬や放映権料、グッズの収入なんかは大学側が管理することになる。だからこういう立派な施設を維持管理できるってわけだね」
なるほど、とウォルはあらためてフットボール場を見渡す。
色違いのビブスを身に着けた部員たちが、敵味方に別れて試合形式の練習を行っている。その表情は真剣そのもので、まるで実戦さながらの強い当たりのプレーをしていたりする。その横では、走り込みは筋力トレーニングの基礎練習を黙々とこなしている部員もいる。
そのいずれにも共通しているのは、全員が真剣に練習に取り組んでいることだ。コーチや監督が激しい檄を飛ばす中、誰一人不服な顔を浮かべるでもなく気を抜くでもなく、練習に集中している。
フットボール場の周りには、たくさんのファンらしき女生徒がいて、黄色い声援をお目当ての選手に向けて飛ばしている。年頃の男子学生であれば、その声援に応えて愛想をふりまいたり、そうでなくても意識の一つも取られて集中力を削がれてしまうのがむしろ普通のように思えるが、そんな選手は一人もいない。
「確か、このチームが活動を再開できたのは、ついこないだのことだったのだな」
「ああ。事件後、しばらくはチーム単位で謹慎処分を出されていたからね。TBOにもそれが原因で出場できなかった。もしも出場していれば、優勝候補の一角であったことは間違いない」
二人は正面入口からクラブハウスの前でしばらく待っていると、フットボール場から一人の選手がこちらへと歩いてくるのに気が付いた。それに気が付いた女生徒が、一際大きな歓声を上げるが、その選手は軽く手を挙げて応えただけで、淡々とした表情を崩したりはしなかった。
ウォルは、それが、今回の取材対象であるキアラン・コードウェルであることに気が付いた。事前に読み込んだプロフィール写真では、洒落た長髪の伊達男といった風貌だったが、今は髪をばっさりと短くし、その視線も心なしか鋭いものになっている。
激しいトレーニングの結果として全身を汗みずくにしたキアランは、TBSBのキャスターであり、友人でもあるノーマンに対して、気安く挨拶をした。
「やぁ、ノーマン。久しぶりだね」
「キアラン、忙しい時期に取材を受けてくれたことをあらためて感謝するよ。本当にありがとう」
キアランは、ノーマンと固く握手すると、ノーマンの横に立ったウォルに目を遣る。
ウォルは、キアランに対して一礼した。
「ところでノーマン、こちらの可愛らしいお嬢さんはどちらだい?どうやら、僕のファンっていうわけじゃなさそうだけど」
もしもキアランのファンなら、憧れの選手に会えた喜びで、もっと目を輝かせるはずだ。キアランは確かにスター選手だったから、今までもそういったことが何度もあった。だからこそ、ウォルの落ち着いた素振りから、自分に会いたがってノーマンに無理を言ったような少女ではないと理解したのだ。
「この子は、TBSBの若手局員だよ。なんと、今日入局したばかりだ」
「フィナ・ヴァレンタインと言います。本日はよろしくお願いいたします」
ウォルがあらためて一礼すると、キアランは納得の笑みを浮かべ、ウォルに右手を差し出した。
「キアラン・コードウェルだ。もしかすると、今日のインタヴュアーは君なのかな?」
キアランの差し出した右手を握り、ウォルは微笑みながら頷く。
「はい、仰る通りです。若輩者ですが、精一杯務めさせていただきます」
「そうか、お手柔らかに頼むよ……ちょっと待って、ヴァレンタイン!?」
笑顔のまま固まったキアランの表情が、少しずつ強張り、そして恐怖に近いものになる。
そして、握手した右手にじとりと汗を滲ませながら、
「ひょっとして君は、あのヴィッキー・ヴァレンタインの関係者かい?」
練習の結果ではない、精神性の冷や汗を掻きながら、そんなことを言った。
いきなり、予想外の場所で予想外の名前を聞かされたウォルは、些か驚きながら、正直に首を縦に振った。
「はい、私はヴィッキー・ヴァレンタインの妹ですが……どうしてあなたがその名前を知っているのですか?」
「いや、あの、なんていうか、もう、その、色々とあってね……」
キアランは引き攣った笑みを浮かべ、数歩後ずさった。彼の脳裏には、リィの姉であるドミューシアを公衆の面前で侮辱したことから始まった一連の事件、そしてその顛末として、リィにロッドで叩きのめされた苦い思い出が浮かんだのだ。
しかし、流石にノーマンの手前、悲鳴を上げて逃げ出すことは堪えたキアランは、なんとか姿勢をただし、ウォルに相対する。
「お姉さんもそうだったけど、君も、ヴィッキーには似ていないね……いや、雰囲気は寧ろそっくりかも知れない。こんなことを言うと、またヴィッキーに酷い目にあわされそうだけど……」
言葉の端々に苦いものを含んだキアランの台詞で大方の事情を察したウォルは、苦笑するほかないといった表情で微笑った。
「私は、確かにヴィッキー・ヴァレンタインの妹ですが、血は繋がっていません。義理の妹ですから、容姿が似ていないのは当然でしょう」
「そうだったのか。実は、僕は君のお姉さん……ドミューシアくんに、酷い暴言を吐いたことがある。それを、ヴィッキーにたしなめられたんだ」
たしなめられた、とは、些か穏便に過ぎる表現だろう。正確には、ロッドの試合で、思い切りぶちのめされたのだ。
試合の前に、リィとドミューシアの間で成立した『骨を折らない』、『歩いて家まで帰れる程度で済ませる』という約束は守られたが、それでも、かつてはロッドで高校生の全国大会3位に入賞したキアランの自尊心と身体は、美少女も裸足で逃げ出すほどに美しい中等部生に、文字通りズタボロにされたのである。
そして、キアランがまともに動けるようになったのは、リィとの試合の後、たっぷり二週間後のことだった。もしもリィとドミューシアの間の約束がなければ、その期間は倍以上になっていたこと疑いない。
実は、それ以外に、もっと手酷い方法で、キアランの主に恋心はリィの手でずたずたに痛めつけられているのだが、それがリィの仕業だとキアランは気が付いていない。
「こんなことを初めて出会った女の子に聞くのもおかしな話だけど……君も、ロッドをするのかい?」
恐る恐るといったキアランの質問に、ウォルは事も無げに答える。
「ロッドという種目に造詣はありません。ただ、素手での戦いであれば、リィ――あなたの言うヴィッキーと、だいたい互角といったところでしょうか。剣での勝負なら、勝ち目がないとは言いませんが、到底一筋縄では勝てないでしょうね」
冷静な口ぶりから、目の前の少女は、おそらく『あの』ヴィッキーとほぼ同じくらいの腕前ということが十分理解できた。
つまり、この子も常人の尺度では測れない、人外生物のうちの一匹だということだ。
「そ、そうか、最近の中等部の学生は、みんな腕っぷしが強いんだね、先輩として鼻が高いよ……」
言葉と相反して、猛獣に恐れおののくようなキアランの表情であった。
妙に親し気な、それとも探り合うような二人の会話を聞いていたノーマンが、小首を傾げながら、
「キアラン、君はフィナと知り合いだったのかい?」
「いや、この子とは正真正銘、今日が初対面だよ。ただ、この子のお姉さんとお兄さんには些か因縁があってね……」
「因縁?」
「TBSBに所属している君だ、アイクライン校の有名人であるヴィッキー・ヴァレンタインのことは知っているだろう?」
「ああ、もちろん。面識はないけど、噂は聞いている。確か、見事な金髪と綺麗な緑色の瞳の、凄い美少年だって……」
「この子のお兄さんが、そのヴィッキー・ヴァレンタインだよ」
その言葉を聞いて、今度は目を剝いたのはノーマンであった。
「フィナ、本当かい!?」
ノーマンの反応に、むしろ驚いたのはウォルのほうであった。
確かにリィが目立つ容姿をしていることは理解しているウォルだが、年上でしかも学校の違うノーマンやキアランをしてこうも驚かせるほど、リィが有名人だとは知らなかったのだ。
「ああ、そのとおりだが……」
「……そうか、あの時、一緒にいた金髪の子が君のお兄さんか……なるほど、君が入局の時に、条件を付けた理由がよくわかるよ。確かに、君があのヴィッキーの妹だと知られれば、芸能局の連中が黙ってはおかないだろうからね」
ノーマンは苦笑した。
それでも、『なら君のお兄さんもTBSBに!』と言い出さないあたり、この青年の自制心はそれなりのものなのだろう。普通なら、一匹目のドジョウを釣り上げれば二匹目も、と思うのが人情だ。
とにかく、三人は一応の挨拶を終えて、クラブハウスのミーティングルームに場所を移した。
途中、ノーマンが、トレーニングウェアのままのキアランに、
「キアラン、僕たちはミーティングルームで待たせてもらうよ。シャワーと着替えを済ませてきてくれ」
そう言ったが、キアランは首を横に振った。
「いや、もしも君が構わないなら、このまま取材を済ませたい。正直、着替えの時間が惜しいんだ」
「トレーニングウェアのまま取材を受けるのか?洒落ものの君らしくないな。今まで、取材のときはきちんと正装で受けていたはずだろう?それとも、この後、何か大事な用事でもあったのか?」
「大事といえば、この上なく大事だ。もちろん、トレーニングを再開するんだよ。フットボール選手の僕に、それ以上大事なことなんてあるはずないだろう?」
キアランの言うことはもっともではあるのだが、ノーマンは違和感を拭えなかった。彼の知るキアランという男は、優れたフットボールプレイヤーではあったが、同時に洒脱で、悪く言えば軽薄なところがある男だった。キアランの華々しい女性遍歴も、それを裏付けている。
彼のことを好ましく思う人間からすれば、それはキアランの持つ人間臭さの現れであり、嫌う人間からすれば不純なところであったはずだ。
だが、今のキアランに、そういった、浮ついたところは感じられない。短く刈り込んだ頭や、まっすぐな視線と合わせて、一途にフットボールに取り組もうとする純粋さが感じられる。
それに、よくよく見れば、キアランの顔つきにも変化がある。フットボールの選手らしく、元から絞られた体つきのキアランではあったが、今は更に無駄な肉を絞り、顔つきは頬をこけさせるほどに鋭いものになっている。
ノーマンは、半年という謹慎期間の間に、キアランの人間性に変化を生じさせる何かが起こったのだと理解した。
「分かった。君がそれでいいなら、僕たちに否やはない。早速始めさせてもらうとしよう」
「ああ、頼むよ」
ウォルとキアランは、来客用のテーブルに向かい合わせに腰掛ける。二人を当分に捉えるように、ノーマンはカメラをセッティングし、マイクも速やかに設置した。
シャツとスラックスという女性らしからぬ服装のウォルと、トレーニングウェアのままのキアランという、些か変わった絵面ではあったが、二人ともカメラ映えするので、これはいい取材になるかもしれないとノーマンは期待した。
「オーケー、準備は完了だ。それじゃあ始めよう。3・2・1――」
◇
「皆さん、こんばんは。スポーツスチューデントトゥデイの時間です。本日はホプキンス大学フットボール部クラブハウスからお送りいたします。そして、本日のゲストは、ホプキンス大学フットボール部のキアラン・コードウェル選手です」
「こんばんは、今日はよろしく」
「こちらこそよろしくお願いいたします。さっそくですが、先日行われたロワール大学との交流戦におけるキアラン選手の活躍は目覚ましものがありました。1つのゴール、2つのアシストという素晴らしい結果以上に、あなたのプレーは常にアグレッシブで、ゲーム全体を支配するものだったと高い評価を受けています。今回の試合結果に対するご自身の感想をお聞かせください」
「まず伝えたいのは、今回の結果は、僕自身の力によるものではなく、ホプキンス大学フットボール部のチーム全体が、一つの目標に向け、集中してプレーをした結果によるものだということです。単純に点数だけを見れば、3対0の勝利でした。一方的な結果だったと言うことが出来るかも知れません。ですが、ロワール大学のプレーヤー達も素晴らしい動きでしたし、この結果が真逆のものだったとしても少しも不思議はありませんでした。それでも僕達が彼らに勝る点があったとすれば、それはこの一戦にかける集中力であり、目標へと向けたチームワークだったと思っています」
「勝利は、ご自身の活躍の結果によるものではなく、チームの結束よるものだということですか?」
「おっしゃるとおりです。今のホプキンス大学は、本当にまとまっている。みんなが同じ目標に向けて、毎日集中してトレーニングが出来ている。最高の状態だと思っています」
「専門家の中には、キアラン選手のプレースタイルの変化を指摘する声も少なくありません。以前 のキアラン選手のプレースタイルは、華麗でファンタジックで、ファンを魅了するものでしたが、反面、失礼な言い方になりますが、無理なものは無理と割り切ったようなプレーが多かったと思います。しかしこの試合のあなたは、泥臭く、必死にボール追いかけ、最後の最後まで諦めなかった。その必死さが、ゴールに繋がる場面もありました。何がキアラン選手のプレーを変化させたのでしょうか?」
「ええっと……そうですね、ちょっとした心境の変化です」
「心境の変化と仰いますが、それにしてはキアラン選手の変わり方があまりに大きいという意見もありそうです。あなたのトレードマークだった長髪も思い切って短くされ、身体もかなり絞っておられますね。それも心境の変化だけですか?」
「まいったな……ええ、正直に言いましょう。これは、僕が、皆さんもご存知のホプキンス大学フットボール部前代未聞の不祥事で謹慎処分をいただく前の話なのですが……こんなこと、言っていいのかな?」
「差し支えなければ、是非教えてください」
「僕は、一流の人間になりたいと、そう思ったんです」
「キアラン選手、お言葉ですが、あなたは一流のフットボールプレイヤーです。それは誰しもが認めるところであり、そう評されるだけの結果を残してきた。違いますか?」
「いえ、違います。少なくとも、本当の一流ではない。そう気が付いてしまった」
「詳しくお話いただければと思います」
「実は、ジンジャーの舞台を観に行ったんですよ。『ブライトカーマイン』、ご存じですか?セントラルのアレクシス劇場で上演された……」
「いえ、大変失礼ですが、存じ上げませんでした。ちなみにキアラン選手、それはお一人で観劇された?」
「黙秘権の行使は認められる?」
「残念ながら、ここは警察の取調室でも裁判所でもありません。どうか諦めてください」
「ええ、ええ、一人ではありませんでしたよ。二人で観に行きました」
「お連れ様は男性?それとも女性?」
「あらためて伺いますが、黙秘権の行使は?」
「黙秘権の行使は、この場合、被疑者の容疑をより深めるとご理解ください」
「あなたは、見かけによらず中々に手厳しいインタヴュアーのようだ」
「お褒めにあずかり光栄です。――で、お相手の性別は?」
「女性です。とても、そう、本当に素晴らしい女性です。ただ、誤解しないでください。彼女は僕の恋人ではなかった。僕が一方的に想いを寄せていただけだったんです。そして、今の僕に恋人はいません。つまり、そういうことです」
「なるほど、そういうことですね。理解しました」
「ああ、本当に手厳しいな……。そう、僕のプレースタイルが変化した理由ですよね。それは、彼女の一言がきっかけです」
「その女性は、あなたに何と?」
「僕に直接言ったわけではありません。ただ、その舞台を演じた、ジンジャー・ブレッドを評して、こう言ったのです。どんな分野でも一流と呼ばれる人間はすごい、と。当然といえば、至極当然の台詞です。僕も、その時は聞き流していた。でも、後から考えれば、意味するところは明らかでした。つまり、あなたは違うわよ、と、彼女はそう言っていたのです。僕は彼女の言う、一流の人間ではなかったのです」
「彼女はフットボールに詳しかったのですか?」
「いえ、フットボールの試合はつまらないと言っていました。きっと、僕にも何の興味もなかったはずです。それでも、彼女の言葉は、まるでかえしの付いた釣り針のように僕の心に突き刺さって、そして今でも抜けていません。それはきっと、彼女の言葉が正しかったからだと、今の僕は思っています」
「だから、一流になりたい、ですか。それは、彼女を見返したいという意味でしょうか?」
「とんでもないことです。今の僕には、彼女に対する感謝の気持ちしかありません。今の僕があるのは彼女のおかげであり、そして今日の勝利も、ある意味では彼女のおかげだと思っています。きっと、今後の試合の勝利も彼女のおかげだと、僕は思うでしょう」
「まるで勝利の女神のようですね」
「はい。本当に、女神様が裸足で逃げ出すほどに、美しい女性でした。あの時は、それしか見えていなかった。今は美しい以上に、素晴らしい女性だったのだと思っています」
「失恋は、素晴らしい思い出に昇華されたわけですね」
「まだ昇華しようと足掻いている真っ最中です」
「これは失礼いたしました。次の質問に移らせていただきたいと思います。先程、キアラン選手は、ホプキンス大学フットボール部で前代未聞の不祥事があったと仰いました。それは、多くのスポーツファンにとって周知のところです。その結果、ホプキンス大学フットボール部の監督やコーチ陣は総入れ替えとなり、部としては半年間の対外試合の禁止、キアラン選手ご自身も長い間練習自粛という処分が下されました。まず、練習自粛の間、あなたは何を考え、何をしていましたか?」
「……考えていたことは、ほとんど二つのことだけです。一つは、被害に遭われた女生徒のこと。それともう一つは、フットボールのことです」
「あの事件では、私と同じ年頃の少女が、口にするのもおぞましい手段でその尊厳を踏みにじられたのだと聞いています。そして、その少女たちの多くが、キアラン選手のファンだったことも。その点について、あなたはどうお考えですか?」
「まず、事件の被害者の方々に、深く謝罪したいと思います。あの事件は、当部のマネージャーだった男が……そして僕の友人だった男が、その立場を利用して起こした事件です。僕や他の部員は、事件については何も知らなかった。それは本当のことです。しかしそれが、何の言い訳にもならないことも理解しているつもりです。本当に申し訳なかった。それしか言葉がありません」
「事件の首謀者とは友人だった?」
「はい、友人でした。そして、とても信頼していた。有能なマネージャーでもありました。こんな言い方をすると勘違い野郎に思われるかもしれませんが、僕にはたくさんのファンがいます。その中には、偏執的で、正面から相手にするのが危険な子もいる。それは事実です。そして、彼がそういう子から僕を守ってくれていると信じていた」
「蓋を開けてみたら、その友人が、あなたのファンを毒牙にかけていた」
「あの男の正体を見抜けなかった自分の間抜けさを、悔いています。そして、これからの一生、ずっと悔い続けるのだと思っています」
「私は、この事件において、キアラン選手の立場は非情に微妙なものだと思っています。結果から見れば、あなたは加害者の操り人形として被害を広めてしまった一方、事件の結果あなたは謹慎処分を受け、今も罪悪感に苦しめられている。いわば、加害者でもあり被害者でもあるのです。その立場をどう思いますか?」
「……難しい質問です。正直に言えば、自分の中に、僕も被害者だと主張する自分がいます。僕も、あの男にだまされたのだと。しかし、そのことが……ほんとうに……ほんとうに……くるしい……」
「……」
「かんがえれば……かんがえるほど……じぶんが……みじめに……おもえて……ひきょう……ものに……おもえて……」
「……」
「すみません……すみません……ちょっとだけまって……まって……ください……」
「……」
「……ああ、ありがとう、少し、落ち着きました」
「もしよろしければ、もう少しお待ちしましょうか?」
「いえ、結構です。本当に苦しいのは、僕などではなく、被害に遭われた少女たちです。彼女達には、何の責任も無かった。本当に何一つ悪いことをしていないのに、卑劣な犯罪の被害者になってしまった……」
「彼女達には、どのように償うべきだと思いますか?」
「可能な限りの償いをしたいと思っています。クラブとして金銭的な補償は進めていると聞いています。僕も、微力ながらその手助けをするつもりです。無論、金銭だけで贖える問題ではないことも理解しています。性犯罪の被害に遭ってしまった方への精神的なケアも必要になるでしょう。今後当クラブは、そういった支援活動にも積極的に関わっていくことになると思います。それと、僕個人としては、もしも今回の被害に遭われた少女に直接会うことが許されるなら、何を置いても会いに行きたい。そして、心からのお詫びを伝えたい。それが本心です」
「意地の悪い質問をお許しください。もしかすると、被害に遭われた少女の中には、キアラン選手がフットボールを続けることに嫌悪感を覚える子がいるかもしれません。自分達がつらい境遇なのに、あなたにスポットライトが当たり続けることに不条理を感じる子がいるかもしれません。例え被害者がそう思わなくても、そのように主張するフットボールファンは一定数いるでしょう」
「仰る通りです。事実、ロワール大学との交流戦においても、そういった野次が飛びました」
「あなたのこれからのフットボール人生は、栄光に満ちたものであると同時に、茨の道でもあるように思えます。あなたは、これからどのようにフットボールと向き合っていくおつもりですか?」
「先程、謹慎期間中に何を考えていたという質問がありました。僕は、真剣にフットボールについて考えました。ずっと考えました。時には、もう諦めようかとも思った。違う道を選ぼうかとも思いました。それでも、最後に辿り着いた結論は、僕にはフットボールしかない、ということです」
「そしてあなたは、一流を目指すことにしたわけですね」
「フットボールに対する姿勢として、今までの自分が間違えていたとは思いません。今までの自分の積み重ねで、今の自分があるからです。それでも、今までの自分から生まれ変わりたいと思いました。真剣に思いました。だから、全てを捨てて、フットボールに打ち込もうと思いました。その結果が、今日の試合でした」
「今日のあなたのプレーは、多くの人に感動と勇気を与えたと思います」
「ありがとう。あなたにそう言ってもらえると、本当に報われた気持ちになります。僕がフットボールを続けることが、今回の事件の被害者にとって痛みになるのか、それとも、ほんの少しでも慰めになってくれるのか、正直僕にはわからない。それでも、僕はフットボールを続けます。どうか、僕がフットボールを続けることを許してほしい。被害者の方に、そしてファンの皆さんに、全ての方に。本当に、そう願っています」
「最後に、今後の目標について教えてください」
「チームとしては、この冬に行われる共和宇宙大学リーグの優勝を目指しています。僕個人については、今のところ、先の事は考えないようにしています。できるだけ、チームの勝利のために尽くしたい。それが目標です」
「ありがとうございました。本日のゲストは、ホプキンス大学フットボール部のキアラン・コードウェル選手でした。インタヴュアーは、TBSBスポーツ局所属のウォル・グリーク・ロウ・デルフィンが務めさせていただきました――」