懐かしき日々へ(デルフィニア戦記・暁の天使たち他)   作:shellfish

128 / 156




第百十話:連邦大学の非日常

 今日の始まりを告げる曙光が、厚手のカーテンを透過してフォンダム寮の一室を薄く照らし出す。

 ペギー・メイは、今日もきっかり、朝6時に目を覚ました。念のためと6時5分にセットしていたアラームを切り、それからベッドの上で体を起こし、大きく背を伸ばす。

 二段ベッドのはしごを下り、洗面所へ向かう。少々いぎたないところのあるルームメイトは、まだ夢の世界にいるらしい。可愛らしい寝息を立てて、安らかに眠っている。その寝顔を微笑みながら見遣ったペギー・メイは、洗面所へと向かい、眠気の残滓を払うために顔を洗った。

 数度、手のひらに溜めた水を、強めに顔にぶつけてやると、意識の輪郭がはっきりしていくのを感じる。

 大きく息をついたペギー・メイは、柔らかなタオルで顔をぬぐい、それから鏡に映った自身の顔をふと眺めた。

 短く整えられたベリーショートの黒髪。中等部生だった頃より肉付きが薄くなり、引き締まった頬のあたり。カラーコンタクトの入っていない鳶色の瞳。手入れに割く時間が減った分、以前に比べれば肌は少し荒れているだろうか。

 まるで同年代の少年のような顔立ちである。

 何一つ、一年前の自分ではありえない。一年前の自分が今の自分を見れば、きっと卒倒するか、それとも泣き出すに違いない。『なによそのみっともないかっこう!あなたなんて私じゃない!』、そう泣き叫びながら。その様を思って、ペギー・メイは苦笑した。

 金色に染めた長髪をツーテールにして、流行色のカラーコンタクトをはめ、雑誌のモデルを真似たお化粧をしなければ、ろくに外を歩く気にもならなかったあの頃。ひらひらした服がお気に入りで、学生には些か不釣り合いな高級化粧品やら香水やらと一緒に、いつもいつも親にねだっていた。

 別に、一年前の自分が間違えていたとは思わない。それでも、自分は変わった。ペギー・メイはそう思う。それは自身の評価であり、そして彼女を知るおおよそ全ての人間の感想だった。

 きっかけは明白だ。数か月前、自分が巻き込まれた大事件。

 元々、ちっとも乗り気でなかった、自然体験型の課外活動であった。電気も水道も十分でない自然の中で、2泊3日のキャンプ活動をするなど、ちっとも自分には似合わない、そんなのは野蛮な男子連中に任せればいいのだと思っていた。

 それでもやむにやまれず参加して、開催場所の星に到着してみれば、そこはキャンプ地でもなんでもなく、自分たちは偽もの船長にかどわかされて、哀れ未開の惑星に置き去りにされてしまったのである。

 生き死にの狭間にいたのだと思う。あの時、もしもヴィッキーやシェラが同じグループにいなければ。誘拐の舞台が、例えば不毛な砂漠地帯であれば。

 自分はなすすべなく死んでいただろう。

 思い出すと、悪寒と震え、そして強い羞恥心と無力感が湧き上がる。医師に言わせると、典型的なPTSDの症状らしいのだが、大事なのは、自分がその感情を整理できず、飲み込めてもいないということだ。

 今思い返せば赤面の思いではあるが、あの課外活動に参加する前、もう自分はすでに一人前の人間だと思っていた。学生の身分ではあるが、精神は立派に成熟しており、今すぐ社会に出ても、他の大人たちと堂々渡り合えるのだと。

 しかし、遭難中の自分は、まるで闇夜に怯えてぐずる赤子であり、親の手を焼かす駄々っ子であり、リーダーの足を引っ張るお荷物そのものだった。

 つまり、自分は何者でもなかった。ただの子供だったのだ。

 その苦い自覚がある。

 だから、変わりたい。変わらなければならない。そう、強く思ってきた。

 そして、今の自分がいる。

 就寝前のお肌の手入れ、朝のお化粧や髪型のセットに使っていた時間を、そのまま早朝のランニングに使っている。ゲームやテレビの時間を削って、運動系の部活動を3つ掛け持ちしている。そうすると、わずか半年足らずの間に無駄な肉はみるみる削げ落ちた。今ではうっすらと腹筋が割れていたりするのがペギー・メイのひそかな自慢だ。

 良い精神は良い肉体に宿るとはよくいう諺だが、身体面の充実はそのまま学業にも直結し、ペギー・メイの学力も、身体能力と比例するように向上している。自然、両親も娘の変化を喜んでいるらしい。

 そして、ペギー・メイには、夢ができた。まだ、誰にも話していない夢だ。両親にも話していない。話せばきっと、少女一流の冗談だと決めつけられるか、一笑に付されるか、それとも気が狂ったと病院に連れていかれるか。

 それがわかっているから、誰にも話していない。でも、今、私はその夢をかなえたい。そして、その夢を選んだ自分を誇りに思う。

 だから、ペギー・メイは今日も走る。その小さな一歩が、夢へと至る一歩だと信じて。

 ペギー・メイは鏡の前で微笑み、そして薄暗い寝室に戻った。そこには、毎朝一緒のランニングパートナーが、可愛らしい寝息を立てているのだ。

いたずら顔で微笑んだペギー・メイは、忍び足でベッドに近づき、そしてルームメイトの布団を一気にはぎ取ってやった。

 

「さぁ起きなさいねぼすけフィナ!一緒に走りに行くって言ったのはあなたでしょう!?」

「ふぁっ!?な、何事だっ!てっ、敵襲か!?」

 

 よくわからないセリフとともに、目をしょぼしょぼさせたルームメイトが、寝ぐせ頭で跳ね起きるのを見て、ペギー・メイは堪えられずに笑った。

 

 

 ペギー・メイとウォルの二人は、払暁のあさぼらけの中、息を弾ませながら走った。

 フォンダム寮を出発し、アスファルトに舗装された街路を少し行くと、グエル自然公園にたどり着く。自然公園とは言いながらも、連邦大学のほとんどの公園がそうであるように、人の手で整備された公園だ。

 それでも、公園の中央に設置された大きな人工池には多くの魚が泳ぎ、その周りの雑木林は小鳥や小動物の姿がよく見られる。人工池では手漕ぎボートを楽しむこともでき、休日は各種出店やキッチンカーなども多く、学生や家族連れの憩いの場である。

 人工池の周囲は、約2キロほど。ジョギングを楽しむ人のために、合成ゴムでコースが作られている。

 二人はそのコースを並んで走った。ウォルは最初のうちこそねむけまなこであったが、次第にしゃっきりと、いつもの溌溂とした彼女の顔に戻っている。

 そうすると、ウォルのペースがぐんぐん上がってくる。これはいつものことなので、ペギー・メイは今更驚かない。

 

「いいわよフィナ、先に行って。いつも通り、ボート乗り場で待ってるから」

 

 弾む呼吸でそう言うと、先を走っていたウォルは振り返ってからにこりと微笑み、

 

「よし、それではペギーどの。おれが10周するが早いか、それともあなたが5周するが早いか、勝負だな」

「今日こそ負けないから!」

 

 

「あなた、前世はカモシカなのかしら?わたしも一応運動部なんだけど、自信を無くしそうだわ」

 

 まだまだ息の荒いペギーの、少し恨みがましいような言葉に、さっぱりした笑顔のウォルはからからと笑う。

 

「自慢するわけではないが、この身体は特別製だ。普通の人間と性能を比べるのは、それこそ人と馬が一緒に駆け比べをするようなものだからな。ペギーどの、あなたの足も十分に速い。そう気を落とされるな」

 

 言葉尻を捉えれば、自身の身体能力を鼻にかけて自慢していると受け取られても仕方のない言葉だが、会話の調子と、何よりきらきらとしたウォルの表情が、言葉全体から毒を抜いている。

 結局、勝負はウォルの勝ちだった。全身汗みずく、息も絶え絶えのペギー・メイがボート乗り場についたとき、ウォルは完全に息を整え、涼しい顔で柔軟運動をしていた。この分では、自分がゴールするより、軽く10分以上は先に着いていたに違いない。

 つまり、ペギー・メイの啖呵は不発に終わったということだ。しかしそれは予想された結果であって、別に悔しい気持ちがあるわけでもない。

 いつも通りの光景に、ペギー・メイは、諦めたように軽く微笑んだ。

 

「全く、こんなに運動神経が良いのに、顔は可愛らしくてテレビ写りも最高。レポーターも上手で、頭も良い。神様って不公平よね。一人の人間に、3つも4つも才能を与えちゃうんだもの」

 

 ペギー・メイは唇を尖らせながらそんなことを言いつつ、しかし内心では、目の前の少女を好ましく思っている自分自身に驚きを感じていた。例の誘拐事件の前の自分なら、自身が持ち得ない才能をいくつも備えた他人に、嫉妬を覚えないはずがなかった。きっと、話すのも、視界に入れることすら我慢ならなかったはずだ。それは、なまじ自分が並より優れているから尚更に。

 この変化は何だろう。もしかすると、これが大人になるということなのか。それとも身の程を知るということなのか。ペギーには判断できなかった。ただ、それが不快ではない。

 ランニング後のストレッチを終えた二人は、いつも通り人工池に縁のベンチに腰掛け、会話を弾ませている。

 

「ねぇ、フィナ。こないだの『スポーツ・スチューデント・トゥデイ』見たんだけど、あなた、本当に総合格闘技の男子大会に出場するの?」

 

 流石に少し心配そうな声色のペギー・メイの言葉に、ウォルは天真爛漫に頷く。

 

「ああ、そのつもりだ。おかげさまで、TBSBもその方向で支援してくれている。性自認とやらが男だなどというややこしい方便を使ったのも、男子大会に出るためだからな」

「そういえば、そんなことも言ってたわね。フィナ、あなたって、その、そうなの?」

 

 ペギーは軽い調子で尋ねた。そうとは、つまり性自認が男性なのか、という意味だ。

 ウォルは苦笑して、

 

「なんとも難しい質問だ。正直に言うと、おれにもよく分からん。というよりも、だんだんと分からなくなってきた言ったほうが正しいか」

「分からないって、自分が女の子なのか、それとも男の子なのかが?」

 

 ウォルは首を横に振り、真剣な調子で、

 

「男として生きるべきなのか、それとも女として生きるべきなのか」

 

 ウォルは、池の向こう岸の、遙か先の朝日を眺めながら言った。

 ペギー・メイは咄嗟に言葉を紡ぐことが出来なかった。目の前の少女が、何かとても大事で、他人が容易く踏み込んではいけない領分で悩んでいるような、そんな気がしたからだ。 

 

「それよりもペギーどの。おれのような人間が同室で気持ちが悪かったり、恐ろしかったりはしないか?そちらのほうがおれには心配だ」

 

 申し訳なさそうなウォルの表情に、ペギーは苦笑を浮かべ、

 

「性を含めた個性の理解と尊重は連邦大学で最初に教わることでしょう?あなたがどういう存在だったとしても、わたしはあなたを気味悪がったり怖がったりなんかしないわよ」

「だが、知識で知り第三者として接するのと、実際に自分と同じ部屋で生活するのとは話が別だろう?多かれ少なかれ、人間とはそういうものだ」

 

 悟ったような台詞は、いまだ中等部の少女には些か相応しくないものだったかもしれない。

 ペギー・メイは、わざと戯けた調子で、

 

「例えば、あなたが鼻息荒く私のベッドに潜り込んでくるっていうの?あなたのほうが、何倍も私より可愛らしいのに?世の中は広いし、蓼食う虫も好き好きっていうから、絶対にないなんて言い切れないけど、まぁありえないでしょ。そしてわたしは、ありえないことを心配して大騒ぎしたり怯えたりするほど暇じゃないの。以前のわたしならいざ知らず、ね」

「……そうか、ペギーどのの寛容に感謝する」

 

 ウォルは嬉しそうに微笑み、ペギー・メイに頭を下げた。

 もちろんウォルには後ろ暗いところなどないし、未成年の少女であるペギーに劣情を抱くなど天地がひっくり返ってもありえる話ではないのだが、ウォルのような変わった身の上の少女にこうして別け隔てなく接してくれるルームメイトの存在は何よりありがたいものだったし、自分を受け入れてくる同性の友人は頼もしかった。

 なにせ、こちらの世界での女性の友人といえば、ジャスミンやメイフゥといった超のつく武闘派か、ダイアナのような『ちょっと』変わった女性か。いずれにせよ、いわゆる普通の女性の友人というものが極端に少ない。 そういう意味でも、ペギーのように、良くも悪くも一般的な感覚を備えた友人というのは、ウォルにとって貴重であった。

 

「話を戻すけどさ、ウォル、あなたは将来、何を目指してるの?MMAの選手?テレビのニュースキャスター?」

 

 ウォルはふぅむと顎に指を当て、

 

「さしあたり、ニュースキャスターと選手の二束のわらじで名前を売り、その後はアイドルを目指す、というのが目標か」

「じゃあ、アイドルになるのがフィナの夢なんだ」

 

 ペギー・メイの言葉にウォルは苦笑を浮かべ、

 

「夢……というと少し違うのだが……何とも言葉にしにくいな」

「そう、でも、素敵な夢だわ。そしてフィナ、あなたならきっとその夢を実現できると思う」

 

 そう言ったペギー・メイは、静かに朝日の昇る方向へと顔を向けた。

 自然、ウォルも同じように、橙色の太陽を、目を細めながら眺めた。

 二人で、地平線の向こうから顔を半分出した朝日に相対する。まるで陽光がぱちぱちと全身に弾けるようで、得も言われぬ爽快感がある。

 しばらくの間、無言の二人だったが、やがてペギー・メイがおずおずと口を開いた。

 

「ねぇウォル、ちょっと変なこと言ってもいい?」

「どうした、そんなにあらたまって」

 

 ウォルが微笑みながら顔を向けると、ペギー・メイは真剣な表情で朝日をまっすぐ見つめながら、

 

「わたしにもね、夢があるの。将来、なりたいもの」

 

 ウォルは何も言わない。曙光に照らし出されたルームメイトの横顔を、じっと見つめている。

 

「わたし、冒険家になりたい」

 

 ペギー・メイは、固い声で言った。

 

「冒険家っていってもね、宇宙船で未知の宙域を探検する宇宙冒険家じゃないの。新たに発見された居住用惑星の、未踏破の山や島を、自分の足だけで制覇する、昔ながらの冒険家になるのが夢。誰も登ったことのない山を登って、誰も見たこともない景色を見て、もしかしてその山なんかに、わたしの名前でもつけてもらえたら最高ね」

 

 表情はやはり真剣なままだが、そのどこかに一握りの羞恥と、その裏に隠れた怯えがあることに、ウォルは気が付いた。

 そして、やはり何も言わない。ただ静かな面持ちで、次の言葉を待っている。

 そんな様子のウォルに、ペギー・メイは苦笑して、

 

「ちょっと、なんとか言ってよフィナ。これでもわたし、自分の夢を他人に話したの初めてなのよ。何の反応もないと怖気付いちゃうじゃない」

 

 少し慌てたように陽気な調子でそう言うルームメイトに、ウォルは、年にそぐわない落ち着いた微笑みを浮かべて、

 

「ペギーどのに相応しい、素晴らしい夢だと思う」

 

 端的で真剣なウォルの言葉に、ペギー・メイは一瞬目を丸くしてから、ほっとしたように微笑み、

 

「ありがとう、フィナ。あなたにそう言ってもらえて、わたし、正直嬉しい。だって、わたしみたいな子供がこんなことを言ったら、きっと気でも違ったと思われるか、絶対に無理だって笑われるか、どっちかだと思ってたから」

「あれだけ真摯な顔で夢を語ってくれた友人に、そんな対応ができるのは、阿呆かそれとも相当な恥知らずかのどちらかだ。おれは、今のところそのどちらでもないつもりだ」

「あはは、そうね、あなたの言う通りだわ」

 

 ペギー・メイは愉快そうに笑い、しかしすぐに少し沈んだ表情になり、

 

「でもね、フィナ、一年前のわたしは、きっと今あなたが言った、阿呆か恥知らずか、そのどちらかだったわ」

「……」

「自分の言葉が他人をどれだけ傷つけるのかも分からず、自分の狭い価値観で他人を測って、いつもわがままに振る舞ってた。今のわたしみたいに、将来の夢を教えてくれた友達を、せせら笑ったり最初から無理だと否定したり……。今考えれば顔に火が付くくらい恥ずかしいし、何ならそんな恥知らずな自分を絞め殺したくなるの」

 

 穏やかとは言えない言葉で、ペギー・メイは言った。それも、歯を軋らせるような、悔し気な声で。

 普段の彼女ならば、いくら信頼するルームメイトであっても、ここまで本音を吐露することはなかっただろう。ただ、初夏の早朝の空気はあまりにも爽やかで、走り終えた体を甘い痺れと心地よい満足感が覆っていて、穏やかな風に黒髪を弄らせるウォルの横顔があまりに綺麗だったから、ペギー・メイの、新たに形成されつつある人格が、自分の進むべき方向の正しさを確認したがっただけのこと。

 例えそれが、ペギー・メイの無意識が紡ぎだした弱音の発露であったとしても、きっと、ちっとも恥ずべきことではないはずだった。

 だから、ウォルは、まるで自身の孫を見つめるように優しい視線でペギー・メイを見つめた。

 

「大きすぎる夢を追うのも、過去の自分を省みて羞恥を覚えるのも、そして新しい自分を築くため足掻くのも、全て若者の特権だ」

 

 ウォルはベンチから立ち上がり、池の畔に設えられた手すりに身体を預けた。

水面を反射した曙光が、嘘のようにきらきらと輝き、ウォルの目を楽しませる。

そしてウォルは振り返り、

 

「人生は短い。それは比喩ではなく、きっと事実なのだと思う。賢しげに立ち回ろう、準備を整えてから始めよう、本当の自分とやらを探そう、そんなことをしている間に時間は過ぎ、身体は衰え精神は摩耗して、あっという間に老人になってしまう。そして人はようやく気が付くのだ。全てを始めるのが遅すぎたことにな」

 

 ベンチに腰掛けたままのペギー・メイが、ちょっと唖然とした顔でウォルを見つめている。

 そのことに気が付いているだろうウォルは、しかし外見にそぐわない、老成した口調で続ける。

 

「ならば、今のあなたのように、只管に夢を追い、過去の自分を叱咤し、未完成の今の自分を受け入れて確実に歩を進めることがどれだけ尊いだろうか。ペギーどののいうとおり、あなたの夢を嘲笑う人間もいるだろう。危険だ無茶だと引き留めようとする人間もいるだろう。もしかしたら、無価値な夢だと非難する人間もいるかもしれない」

「……」

「それらの意見に、絶対に耳を塞ぎ続けろとは言わん。自分の意志にそぐわない他者の意見であるからこそ、本当に大事なときもある。良薬口に苦しというやつだ。だが、それは自分が、やってやってやりきって、もう前に進めない、これ以上は無理だと納得できたときにこそ必要になるもの。今のあなたにちっとも必要ではない」

 

 ウォルは真剣な表情でペギー・メイを正面から見つめ、

 

「だから、忘れないでほしい。この広い世界のうちに、仮にたった一人だとしても、あなたの夢を心から応援する人間がここにいることを」

 

 唖然としていたペギー・メイは、ややあってようやく自分を取り戻したのか、苦笑を浮かべながら問いかける。

 

「フィナ……ええっと、あなた、私より年下のはずよね?」

「ああ、その通りだな」

「うん、そう、あらためて確認する必要もないはずなんだけど……ちょっとびっくりした。まるであなたが、学校の先生や、お父さんやお母さんよりも、もっともっと年上の人に思えたから」

 

 ウォルは、本心を窺い知ることができないような、底の深い笑みで微笑んだ。

 事実、ウォルは、あちらの世界では齢七十を超えた老人であった。そして何より、国を、騎士を、民を背負い続けた王であった。ペギー・メイの第六感は、正しく的を射ていた。

 だが、ウォルはあいまいに微笑み、ペギー・メイの言葉に答えることはせず、別のことを口にした。

 

「ペギーどの。あなたはおれに夢を教えてくれた。だからおれも、おれの本当の夢をあなたに伝えたい」

「本当の夢?アイドルになるのが夢なんじゃなかったの?」

「アイドルになって名前を売り、金を稼ぐのは、その夢をかなえるための手段だ。それ自体が目的ではない」

 

 ウォルの微笑みに少しばかり気圧されていたペギー・メイは、若干掠れた声で、

 

「ありがとう、フィナ。じゃあ、あなたは将来何になりたいの?」

「おれは、王になりたい」

「王って……王様になりたいっていうこと?」

「ああ、そうだ」

 

 頷いたウォルは、ペギー・メイに手を差し出した。ペギー・メイはその手を取り、ベンチから立ち上がる。そして二人、先ほどのウォルと同じ姿勢で、手すりに身体を預ける。

 ペギー・メイはウォルに顔を向けた。ウォルは、まっすぐ、日の出の空に顔を向けている。その凛とした表情をまぶしく思いながら、ペギー・メイは訊いた。

 

「王様って、なりたいからなれるっていうものじゃない気がするんだけど……。それってつまり、連邦主席になりたいっていうことなのかな?」

「少し違うのだが……なんとも説明が難しい。まぁ、似たようなものだと思っていただけるとありがたいな」

 

 連邦主席。この宇宙における最高権力者。立派で、極めてハードルの高い目標である。

 しかし、歴代の連邦主席の多くがティラボーンに学籍を置いていたことを考えるならば、決して荒唐無稽な夢ではない。事実、連邦大学の中でも偏差値の高い学校の卒業文集などを見れば、そう言った目標を語る卒業生は多い。

 ただ、それはこの少女に相応しい夢だろうか。この少女は、もっと、異なる価値観の世界を生きているような、そんな気がしていたのだ。例えば、あの誘拐事件でペギー・メイ達を助けてくれた、金髪の青年のように。

 少し意外の念を覚えたペギー・メイだったが、あらためて考えてみればウォルには相応しい目標に思えた。

 

「頑張ってねフィナ、あなたなら連邦主席だってきっとなれるわ。お世辞なんかじゃない。絶対になれるって、わたし、本当に信じてる」

「ありがとう、ペギーどの。あなたにそういっていただけると、本当に心強い」

 

 ウォルはペギー・メイのほうを見て、にかりと微笑んだ。

 ペギー・メイは、どうしてか、無性に気恥ずかしい思いを味わうこととなった。別に、この少女に恋愛感情を抱いているわけではない。いや、ウォルでなくとも、同性に対して恋愛感情を向けたことなど、一度足りとてないのだ。

 なら、この感情はなんだろう。胸の奥から湧き上がる、甘く、暖かく、それでいて全身を軽く痺れさせるような、ぴりぴりとした情動。憧憬とも恋慕とも母性本能とも違う、だが、それら全てを同時に含んでいるような、不思議な感情。

 

 ──ああ、つまり、わたしはこの少女のことが、好きなんだ。

 

 ペギー・メイは理解した。無論、性愛の対象ではない。ただ、尊敬できる友人として。本音を語り合える友人として。うぬぼれでなければ、これからもお互いを高めあえる友人として。

 ペギー・メイは、心からの微笑みを浮かべ、ウォルに右手を差し出した。

 

「フィナ、これからも、わたしの友達でいてね」

 

 ウォルも、まるで太陽が笑ったような微笑みで、ペギー・メイの手を握った。

 

「こちらこそ。きっとおれは変わった人間だと思うが、どうかお見捨てなきよう、これからもよろしく頼みたい」

 

 そんなふうに、ウォルとペギー・メイが会話を楽しんでいると、ウォル達の背後から、聞き覚えのない男達の声が近づいてきた。

 何となく嫌な感じがして、ペギー・メイは、身構えるように声のほうに向きなおった。

 

「あれ、あの子、昨日『スポーツ・スチューデント・トゥデイ』のキャスターやってた女の子じゃねぇ?」

「おっ、ほんとだ。確か、ウォルちゃんって名前だったはずだぜ」

「へぇ、テレビでも可愛かったけど、実物はもっと可愛いんだねぇ」

 

 そこには、男が三人、いた。

 無遠慮で無思慮で無教養な、如何にも軽薄な感じの会話をしながら、男たちは二人に近寄ってくる。

 おそらく、年の頃は大学生だろうか。三人が三人ともがっしりとした体格であり、格闘技かラグビーか、そういった種目の部活動に明け暮れている、そういった風情であった。

 三人とも、上半身に着ているのは半袖のシャツかタンクトップだったが、肌の見える部分には、果たして何の意匠かよくわからないタトゥーが彫り込まれている。

 お世辞にも風体の良いとは評せない、もっと端的に言うならば女性に恐怖と警戒感を抱かせるに十分な、不審な男たちだった。

 ペギー・メイは、咄嗟に身構え、ウォルを自分の体の後ろに隠した。それは、女性としての防衛本能であり、ウォルという後輩を守るための先輩としての義務感であった。

 しかし、表情を固くしたペギー・メイなど視界に入らないのか、三人の男たちはウォルの目の前まで歩み寄り、薄っぺらい笑顔を浮かべながら話しかけてくる。

 

「やぁ、ウォルちゃん。昨日のテレビ、見てたよ。すげぇ可愛かった!」

「みんな言ってるぜ、アイドルみたいだって」

「キャスターなんて地味な仕事は辞めて、アイドル目指すべきだよ、その可愛さ!ウォルちゃんがアイドルになったら、俺、絶対にファンになってあげるよ!」

 

 口々に、ウォルの容姿を褒めそやす。

 ペギー・メイは、緊張に身を固くしながら、しかし男たちの言葉に呆れていた。キャスターとしてのウォルをテレビで見たというなら、話しぶりやらコメントの切り込み方やら、もっと他に褒めるところがありそうなものだが、容姿だけを取らまえているあたり、男たちの興味がどの点にあるのか、明らかすぎるほどに明らかだ。

 つまり男たちは、自分たちよりも遥かに年下のウォルに対して、女性としての性的な興味を持っているのだ。

 趣味嗜好は人それぞれであり、自分の内心に押し留めておくならば誰から非難を受ける必要はないが、こうもあからさまに言動に表すのは、ペギー・メイにとって軽蔑の対象であった。

 そんなペギー・メイの内心など気が付きもしないのだろう、男たちは無神経に続ける。

 

「自己紹介させてよ。俺がブルック。こっちがアクセル、そんでこいつがウォーカーだ」

「よろしくねーウォルちゃん!」

「実は俺たち、ナバラ大学アメフト部のレギュラーなんだ。こないだの地方大会でも、3位に入賞したんだぜ」

「ここだけの話だけどさ、俺たちのチーム、取材とかはお断りしてるんだ。でも、ウォルちゃんなら俺たちが話をつけてやるよ」

「取材拒否のチームに初取材なんてことになれば、きっとウォルちゃんの評価も上がるよなぁ」

 

 そんなことを言いながら、三人はウォルを取り囲み、鼻を高くした様子で頷きあう。

 だが、地区大会で3位程度のチームならば、そもそも取材対象として旨味がないのが事実であり、取材拒否をしているというよりも、お声がかからないのが本当のところだろう。ペギー・メイはそう思い、そしてウォルも同様に考えているらしかった。

 ウォルは眉を寄せて申し訳無さそうな笑みを浮かべ、

 

「あの、お褒めいただいたのは嬉しいですし、お話はありがたいのですが、私はそろそろ寮に帰って講義の準備をしないと……」

 

 そう言って三人の隙間から身を抜け出そうとしたのだが、しかし男たちの一人──男たちの中でも一番体格の良い男であり、確かブルックと名乗っただろうか──がウォルの腕を不躾に掴み、

 

「そんなつれないこと言わないでよ、ウォルちゃん」

「講義なんて、ちょっとさぼったって大丈夫だって」

「俺たちが、講義なんかよりもよっぽど社会で役立つ、大人の遊び方ってやつを教えてやるからさ」

 

 腕を掴んだのとは別の男──こちらはアクセルと紹介されたはずだ──が、ウォルを自分の所有物と勘違いしているかのように、気安く肩に手を回して、

 

「ウォルちゃんは真面目そうだもんねー。でもさ、今のうちから大人の世界を知っておかないと、将来悪い男に引っかかっちゃうかもよ?」

 

 恥ずかしげもなくそんなことを口にする。

 ペギー・メイは、鏡で自分の顔を見てみろ、そこにお前の言うところの悪い男が映るはずだ、と思ったが、流石に恐ろしくて口に出すことができない。

 咄嗟に、周囲に助けを求められる大人がいないか視線を彷徨わせたが、運悪く、それともだからこそこの男たちもこれほど大胆なのか、この場所にいるのはペギー・メイとウォル以外には、不逞の輩が三人だけである。

 大声で助けを呼ぶべきだろうか。しかし、もしも男たちが興奮して殴りかかってきたら。自分やウォルは殺されてしまうかもしれない。

 

 ──どうしよう。助けて。誰か、助けて。

 

 恐怖に顔を青ざめさせたペギー・メイがそう願っている間にも、男たちは身勝手な理屈を並べ、ウォルを口説き続けている。

 そして、目に見えて困惑している様子のウォルは、やはり自分と同じように、恐怖で体を竦ませている……ように、ペギー・メイには見えた。

 

「大丈夫、安心しなって。絶対に退屈させないからさ」

「学生時代、勉強だけじゃ良い思い出が作れないよ?もっと遊ばなきゃ」

「俺たちもそうだったけど、こういう、ちょっと危ない大人の冒険ってやつが、将来良い思い出になるんだって」

「そうそう、こいつの言うとおり!」

 

 身勝手を体現したような台詞を口にしながら、男たちはゲラゲラと下品に笑う。

 限界だ。ペギー・メイは決意した。例え自分がどんな目にあわされるとしても、後輩であるウォルだけは絶対に守らなければならない。

 

「ちょっと、やめなさいよあなた達!この子、嫌がってるでしょう!」

 

 震える声でそう叫んだが、しかし男たちは自分たちよりも年下の少女であるペギーの叱咤に臆した様子はなく、むしろ興味をそそられたようにほくそ笑み、

 

「あれ、こっちの子も結構可愛いじゃん」

「ごめんごめーん、ウォルちゃんにばっかりかまけて、放ったらかしにしちゃったね」

「君も、一緒に遊びに行こうよ。授業なんて、一回くらいサボったって構わないって。風邪を引いたって連絡入れとけば、誰も疑ったりしないからさ」

「大丈夫大丈夫、全部お兄さんたちに任せておきなって。あっちに車を停めてるからさ、とりあえずみんなで海でも行こっか!」

 

 相も変わらず身勝手なことを宣いながら、ペギー・メイの右手首を握り、自分の方に引き寄せようとした。ペギー・メイは無論抵抗したが、しかし体格の良い男──ウォーカーという名前だったはずだ──の腕力には抗いようもなく、たたらを踏むようにして抱き寄せられてしまった。

 

「おっと、こっちの子は乗り気みたいだね!」

 

 ウォーカーはペギー・メイの腰に手をまわしながら、そう言ってへらへら笑った。

 今まで男性にこんな乱暴な扱いを受けたことのないペギー・メイの顔は蒼白で、まなじりには恐怖の涙が浮かんでいる。呼吸は浅く早く、抗議の叫び声を上げることもできない様子だ。

 どこからどう見ても無体な暴力に怯える哀れな少女なのだが、しかし男たちはペギー・メイの、少なくとも表面上は大人しい様子をどう曲解したのか、

 

「こっちの子は素直じゃん。そうそう、女の子は素直が一番!」

「ウォルちゃん、友達を一人にしちゃ可哀想だよ!変な意地っ張りなんてやめて、一緒に遊びに行こうって!」

 

 そう言いながら、ウォルの腕を強引に引く。

 事ここに至って、流石のウォルの堪忍袋も限界を迎えつつあった。

 自分は、敢えてテレビに出演して顔と名前を売っているのだから、多少のトラブルは有名税のうちと割り切っている。ある程度の非礼や無礼は笑って済ませる覚悟もある。

 しかし、被害が自分以外に及ぶなら、話は別だ。ましてそれが、ペギー・メイのようにいたいけな少女であれば、不逞の輩に遠慮する必要性など、一欠片も見出すことはできない。 

 

「おい、貴様ら、いい加減に──」

 

 激発しかけたウォルだったが、しかしその言葉を遮るようにして、

 

「ねぇ、お兄さん達。何してんの?ずいぶん楽しそうじゃん。俺も仲間に入れてよ」

 

 緊迫した場面にはそぐわない、なんとも脳天気な声が、一同の背後からかけられた。

 それは、青年の声だった。

 

「ああっ!?なんだ、てめぇ!?」

 

 ウォルの肩に腕を回していたアクセルが、威嚇の唸り声を発しながら振り返る。その様子は、せっかくの美味しい獲物を逃すまいとする野の獣のようであった。

 そして、男たちの視線の先、そこには、曙光に輝く金色の、少し癖っ毛の青年がいた。

がっしりとした体格の、アクセルの恫喝に毛ほども動じない、悠然とした微笑みを浮かべながら立っている。

 アクセルは、一瞬、女かと思った。それほど、その青年の顔立ちは整っている。しかし先程の声は青年のものであり、周囲にいる人間は、目の前で微笑む性別不詳の人間だけだ。

 つまり、これは男であり、女を狩ろうとしている自分たちに声をかけてきたということは、敵だということだ。

 男たちは、明確に敵意を込めた視線で、青年を睨みつけた。

 突然の闖入者に牙を剥いて威嚇した男たちだったが、よくよく見れば、自分達よりも年下の子供である。肉付きの薄い体つきで、シャツから覗く腕はか細い。

 どうみても、単純な力比べで、自分達に敵うとは思えない。

 それに、周囲には、この青年以外の人間は誰もいないようだ。

 男たちは視線を交わし、にやりとした表情で頷きあった。

 

「おいおい坊や、何勘違いしてるのか知らねえけどさ、お兄さんたちはこれからこの子たちと遊びに行くところなんだよ」

 

 男たちのうち、一番体の大きなブルックが、精一杯に作った凶悪な面相で、青年に近寄っていく。そして、頭一つ分も高いところから青年を見下ろしながら嘲るように嗤い、

 

「ぼくちゃん、朝のお散歩の途中に正義の味方気取りでしゃしゃり出るのは結構だけどよ、正直お呼びじゃないんだわ。大人しくお家に帰って、今日のお勉強の準備でもしてろよ。それともこの子たちの前に、お前から遊んでほしいのかい?」

 

 そう言って、青年の胸を手のひらで強く突き飛ばした。

 青年は軽くたたらを踏み、数歩後ろへよろけた。

 普通なら、明確に示された敵意と突然振るわれた暴力に居竦み、恐怖と緊張で何も言えなくなるだろう。少女たちが連れ去られるのを黙って見過ごすしか出来なくなるに違いない。少し気骨のある人間なら、その後で警察に通報くらいはするだろうか。

 しかし、その青年──麝香猫のようにくりくりとした黄色い瞳の青年は、少しも怯えたところない無邪気そうな視線で男たちを眺めて、

 

「お兄さん方、俺もさ、ナンパの途中に横槍を入れるなんて野暮の極みだって分かってるのよ。悪いなって思ってる。ただ、やむにやまれぬ事情ってやつが、こっちにもあるわけ」

 

 諦めたようにため息をつき、お手上げというふうに両掌を上に向ける。

 そして、ちっとも怯えを感じさせない無邪気な表情で笑いながら、癖のある金髪を掻き上げる。

 

「悪いこたぁ言わねえからさ。今日のところはこの辺りで切り上げてくれねえかなあ?見た感じ、女の子の方もイマイチ乗り気じゃないみたいだしさ。ほら、このとーりっ!」

 

 青年は、片方の目を瞑ってウインクを作り、顔の前で両手を合わせた。

 ペギー・メイは、突如現れた救い主であるはずの青年に、呆れと感心を等分に抱いていた。

 この青年が、自分達を助けるために声をかけてきてくれたのは間違いない。心底ありがたい、頼もしいことである。

 しかし相手は、ペギー・メイの見たところ、体重でいえば青年の倍ほどもあろうかという巨漢が三人、しかも、揃いも揃って指名手配の凶悪犯罪者と見紛うほどに人相が悪いのだ。

 そんな連中を前に、見た目に頼りない細身の青年が、ほんの少しも臆することなく堂々と交渉をしている様子は、勇敢を通り越して無謀に思えるし、何とも奇異な光景に映ってしまう。

 

 ──この青年は、恐怖心が故障しているのだろうか。それとも、余程に正義感が強いのだろうか。

 

 ペギー・メイは、自らの置かれた危機的な状況を忘れて、唖然としてしまっていた。

 だが、その隣に立つ、未だ凶漢に捕らえられたままのウォルは、何とも複雑な表情である。敵意、嫌悪感を表情に出したいのに、しかし青年の好意──それがどういう経緯のものかは別にして──も理解できるし助けてくれようとしているのは素直に感謝すべきなのだともわかっているから、顔を顰めることもできないのだ。

 そういった感情や理屈が綯い交ぜとなってウォルの繊細な表情筋を誤作動させ、緊迫した場面には相応しくない、なんとも名状しがたい間の抜けた顔となってしまっているのである。

 そんなウォルの生暖かい視線の先で、青年と男たちのやりとりは続いている。

 先ほどの青年の言葉を自分たちに対する挑発と受け取ったのだろう、ブルックが再び青年に近寄り、今度は首元を捻じり上げて恫喝してやろうと、両手を青年の襟元へと伸ばす。

 否、伸ばそうとした。

 だが、青年はその前に動いていた。別に、後ろに逃げ出したわけでも、男たちに向かって走り出したわけでもない。

 掴みかかってくるブルックに向けて、無造作に右手を伸ばしたのだ。そして軽く握られた右手からは、人差し指だけが伸ばされ、ブルックの顔の方に向けられている。

 そしてその表情は、蜜を含んだように柔らかく微笑んでいる。

 ブルックは一瞬、青年が拳銃等の武器を取り出したのかと体を強張らせたが、しかしただ指を向けているだけだと気が付き、そのあとで、この青年が自分を馬鹿にしているのだとようやく気が付いた。

 

「……おい、何の真似だクソガキ。これ以上大人を舐めると、ただじゃあおかねぇぞ」

「あ、なんだ、舐められてるっていう自覚、あったんだ。思ったより頭いいじゃん」

 

 青年はせせら笑い、

 

「でもさ、俺が舐めてるのは、大人なんていう大層なものじゃないよ。ただ、あんた達を舐めてるのさ」

「……」

 

 ブルックの顔が、噴火寸前の火山の如く紅潮し、目尻が凶悪に吊り上がる。

 誰がどう見ても、激発する寸前の人間の生きたサンプルそのものである。

 しかし青年は毛ほども表情を変えず、相変わらず優し気に口元を綻ばせて、

 

「あんたたち、暇だったんだろう?どうせ今日はその女の子達と遊ぶのは無理なんだからさ、代わりに俺が遊んでやるよ」

 

 その細い指先を、目の前で怒りに震えるブルックの、ちょうど眉間の位置に向けながら、そんなことを言った。

 青年が言い終わるが早いか、怒髪天を衝く様子のブルックは、無言で青年の指を掴みにいった。そして、小生意気なその指を、捻じり折ってやろうとした。

 だが次の瞬間、ブルックの巨躯は、青年の指を支点にくるりと宙を回転し、背中から地面に叩きつけられていた。

 冗談のような、それとも手品のような光景だった。

 ブルックは、自分が何をされたかわからなかった。そして、その光景を見ていた他の男たち──アクセルとウォーカーも、そしてペギー・メイも、その青年が何をしたかわからなかった。

 ただ、青年に掴みかかろうとした男が、自分から宙を舞い、勝手に倒れたように見えた。

 唖然とした男たち、しかし最初に我を取り戻したのは、青年の指先に投げ飛ばされたブルックだった。相変わらず怒りに顔を赤くしたその男は、猛然とした様子で立ち上がり、今度は青年に向けて大きく拳を振りかぶり、そのまま肉付きの薄い頬を殴ろうとした。

 その様子を優し気な視線で見守っていた青年は、今度はその拳に指を向けた。

 ペギー・メイは、青年の、ピアニストのように細長い指がブルックのごつごつした拳と衝突し、割り箸のようにへし折られる光景を想像して顔を青褪めさせた。

 

「やめてっ!」

 

 思わず叫んだペギー・メイだったが、しかしと言うべきかやはりと言うべきか、次の瞬間、目の前で繰り広げられた光景は想像を絶していた。

 なんと、青年が、指先一つでブルックの巨大な拳を受け止めていたのだ。それも、さっきと変わらず涼やかな微笑みを浮かべながら、である。

 誰よりも驚愕したのは、青年を殴ろうとしたブルック自身であった。細い指など叩き折るつもりで、そのまま青年の顔まで殴り抜けるつもりで拳を振るったのだ。なのに、拳は青年の指先に触れた瞬間、まるで柔らかく分厚いクッションを叩いたようにふんわりと受け止められ、それ以上突き出すことができなくなってしまっていた。

 例えば、青年が何か特殊な格闘技の達人か何かで、鍛え上げた指の力で拳を受け止めたのならば、まだ理解の範疇だった。しかしブルックが感じたのは、まるで拳に込められた運動エネルギーが青年の指先で吸い取られて静止してしまったような、得体の知れない感覚である。

 馬鹿にするな、そう思ったブルックは顔から血が吹き出んばかりに力を込めて拳を前に出そうとした。しかし、拳の先に分厚く透明なガラスが存在するかのように、青年の指先はぴくりとも動かない。

 事ここに至って、ブルックは自らの心臓が不協和音を奏でていることに気が付いた。それは怒りや興奮によるものではなく、目の前の青年──いや、得体の知れない何者かに対して抱き始めている、恐怖や戦慄によるものだった。

 

「て、てめぇ、いったい何しやがった!?」

 

 狼狽したブルックの、若干裏返った叫びに、青年は人懐こく微笑み、

 

「だからさっきから言ってるじゃん。遊んであげてるんだよ、俺は」

 

 そう言った青年が指を引くと、突如支えを失ったブルックの体は、つんのめるように前へと転んび、ざりざりと派手な音をたてて地面と衝突した。

 そして青年は、ぽかんとした表情を浮かべた残りの男たちに、やはり右の人差し指を向けて、

 

「あんたらはどうする?俺と遊ばないの?俺は別に三人一緒でも構わないよ」

「こ、このクソガキが!」

 

 頬を柔らかく綻ばした青年の挑発に見事に乗せられた残り二人の男たちは、ウォルやペギー・メイから手を放し、両手を広げた状態で頭から突っ込んでいった。

 先ほどの男たちの言葉を信じるならば、彼らはアメフト部のレギュラーだという。ならば、おそらくはアメフト流のタックルだろう。

 自らの体重をそのまま武器に変えたような勢いのそれは、青年の華奢な体格では猛スピードの車と正面から衝突事故を起こしたのと変わらない結果をもたらすに違いない。ペギー・メイにはそう思えた。

 しかし、結果は真逆であった。

 青年は、先に突っ込んできたアクセルの額に指を触れさせると、そのまま横に滑らせ、くるりと手首を回転させた。それだけの動作で、いったいどういう原理なのか、アクセルの巨体は真横へと向きを変え、後から突っ込んできたウォーカーとぶつかってもつれ合い、青年の脇を通り過ぎ、勢い余って手すりを乗り越えて人工池へと落下してしまったのだ。

 

「うわぁっ!」

 

 素っ頓狂な悲鳴とともに、盛大な水柱が立つ。

 その様子を見た青年は、悪いことをしたとばかりに額に手を当て、

 

「あちゃあ、すごい力だねぇ兄さん方。本当はそこまでするつもりじゃなかったんだけど、予想以上の馬力だったから、ちょっと手元が狂ったみたいだ。でもまぁ最近はあったかくなってきたところだしさ、少し時期の早い水浴びだと思って許してよ」

 

 そう言ってけらけら笑っている。

 そんなやり取りを、ペギー・メイは呆気に取られて見ていた。

 

 ──この青年は、果たして魔法使いか何かなのだろうか。

 

 ペギー・メイが半ば本気でそう信じてしまうほど、青年の神業は常軌を逸していたのだ。

 だがその時、最初に投げられたブルックが、擦り傷まみれの顔に薄ら笑いを浮かべ、腹を抱えて笑う青年の背後から性懲りもなく忍び寄っていた。ブルックは、青年を後ろから羽交い絞めにし、そのまま絞め殺してやろうと思っていた。

 じりじりと足音を殺して近づき、あと一息で青年の細い首に手が届く、正しくその瞬間だった。前を向いたままの青年が、姿勢と表情をそのままに、腕だけを後ろに振り上げ、飛び掛かる寸前だったブルックに向けて、ふたたび人差し指を突き出したのだ。

 たったそれだけの動作で、ブルックは蛇に睨まれた蛙のように動けなくなってしまった。

 そして青年は、そのままの体勢で言う。

 

「狙いは悪くないんだけどさ、遅すぎるんだよ、あんた。あと、殺気も漏れすぎ。それじゃあ今から飛び掛かりますって叫んでるようなもんだぜ」

 

 ゆっくりと肩越しに振り返る青年は、依然として優しい微笑みを浮かべているのに、ブルックには、その微笑みが、まるで冷たい毒蛇が哀れな獲物に向けるそれのように感じて、得体の知れない不気味さを味わうはめになった。

 

「う、うおぉぉっ!」

 

 ブルックはその恐怖を振り払うように叫び、ズボンの後ろポケットから、鈍く輝くナイフを取り出した。

 言うまでもないことだが、連邦大学では理由のない刃物の携行は重罪である。その点、男の本性は外見に見合ったものだったいうべきだろう。

 青年と男たちとの立ち回りを震えながら見守っていたペギー・メイは、ブルックの取り出したナイフを見て、短く悲鳴を上げた。殴り合いの喧嘩と刃物を使った殺し合いでは、暴力の次元が全く違うのだから無理もない。

 

「駄目、逃げて!殺されちゃう!」

 

 そう叫んだペギー・メイに、先ほどブルックに向けたのとは温度の違う、暖かな笑みを向けた青年は、

 

「大丈夫大丈夫、安心して見てなってお嬢ちゃん。俺、ちょっと変わった生まれだったからさ。あんなおもちゃなら、四つん這いではいはいしてたときから弄り回してたもんさ」

「四つん這いではいはいって……赤ちゃんの時から刃物……?」

 

 青年の言葉の意味するところが分からず絶句したペギー・メイだった。

 そして、二人がそんなふうに言葉を交わしている間に、ブルックは、慣れた手つきでナイフを操り、青年に向けて何度か突き出す動作をした。

 刃先は青年には届かない。それは青年が躱しているのではなく、ただブルックが威嚇でナイフを振り回しているからだ。刃物で人を傷つけたことが表沙汰になれば間違いなく退学、下手をすれば刑務所で何年も臭い飯を食べることになる。可能であれば、それは避けたい。そんな常識的な判断が、刃物を振るうブルックの脳内にも僅かながら存在した。

 それでも、刃物には持つものを狂気へと誘う魔性がある。最初は青年に怯えていたブルックの表情が、だんだんと無表情に変わり、視線が一点を見つめるように、目が据わってくる。その表情と比例するように、刃と青年の距離が少しずつ縮まってくる。

 その様子を冷ややかに見遣った青年は、面倒くさそうにため息をつき、何度も繰り返しているのと同じように、右手の人差し指を男に向けた。

 

「じれってぇなぁ、あんた。ナイフで人をぶっ殺すくらいで、何をそんなにもったいぶってるんだよ。ほら、覚悟がつかないなら目標をやるよ。ここだよ。ここに向けて突くんだ。それなら簡単だろう?」

 

 青年が嘲笑うようにそう言うと、感情を失ったような顔のブルックが、一度深く呼吸をし、狂気の叫びをあげた。

 

「あひゃあぁっ!」

 

──もう、いいや。俺の人生、どうなっても。ここでこいつを殺しちゃおう。

 

 口元を狂喜に歪めたブルックは、今度こそ思い切りナイフを突き出した。

 この得体の知れない青年が、いったいどんな魔術を用いて自分たちを翻弄しているのかはわからない。だが、まさか鋭く尖った刃先に対して、先ほど男の拳に対してしたように、指先で止められるはずがない。ならば、まずはその不愉快な指先を抉ってやる。

 ブルックはそう考えていた。

 そして、指先と切っ先、そのちょうど先端同士が触れ合った、まさにその瞬間。

 

「馬鹿だね、あんた」

 

 くすりと嗤った青年は、刃先が伸びるのと全く同じ速度で指先を引いた。

 それは正しく神業だった。

 数ミクロン単位で刃が指先にめり込んでいる状態で、青年は指を、そして腕を引き、その代わりに体をぐんと前に出したのだ。すると、ナイフを突き出して伸びきったブルックの腕をくぐって、青年と男は舌が触れるほど間近で相対することとなった。

 

 ──ぶつかる!

 

 驚いたブルックは、咄嗟に目を瞑った。

 そして恐る恐ると目を開けたとき、目の前には誰もいなかった。

 

 ──あの野郎、どこに逃げやがった!

 

 そう思って首を巡らそうとしたブルックは、しかし、真上から自身の頭を押さえつける強い力を感じて、視界を動かすことができなかった。

 無意識に総身に力を込めたブルックは、動かない首を無理やり動かそうとしたが、

 

「おっと、変に動かないほうがいいよ。首の骨を折りたくなければね」

 

 どこからか、青年の声がする。

 近くだ。すごく近くから声がするのに、どこから声が聞こえるのかがわからない。そして、相変わらず首にかかる強い力。

 何が起きているのか。

 それを教えたのは、池に突っ込んで濡れ鼠になっている、男の仲間たちだった。

 

「ブルック、上だ!」

 

 上。

 果たしてどういう意味か、ブルックにはわからなかった。

 だが、一瞬遅れて理解した。

 青年は、自分の上、つまり頭の上にいるのだ。それがどういう体勢かはわからない。腕で逆立ちしているのか、足で踏みつけているのか。

 ただ大事なのは、青年の全体重がそのまま、自分の頭の上から鉛直方向に預けられているということだ。

 ブルックは、我知らず恐怖で呼吸が荒くなるのを感じた。それは、辛うじてバランスが維持できているだろうこの姿勢ですら、首に満身の力を込めていなければ、首があらぬ方向に捻じれそうになるからである。

 ぴくりとも動けない。動けば重心がずれる。ずれた重心は頭上の青年の荷重方向をずらし、ずれた荷重はそのまま首をへし折るだろう。

 

「へえ、聞き分けがいいじゃん。そうそう、人間、素直じゃないといけないよな。今のあんたみたいにね」

 

 死神が耳元で囁くように、そんな言葉が聞こえた。

 いつの間にか、首にかかっていた恐ろしい力は無くなっている。青年が、ブルックの頭から降りたのだろう。

 ようやく全身の力を抜くことが出来た男は、そのままへなへなと地面に崩れ落ちた。一気に筋肉を弛緩させたからだろうか、ズボンの股間の辺りに濃い染みができ、それがじわじわと広がっていく。

 ブルックは、失禁していた。

 

「お、おい、大丈夫か!?しっかりしろ!」

 

 ずぶ濡れの二人がブルックに駆け寄り声をかけるが、まるで真昼に亡霊を見たような顔色のブルックは、過呼吸を疑うような荒い呼吸を繰り返し、焦点がはっきりしない視線で地面を見つめている。この様子では、仲間の呼びかけに気が付いているかどうかもあやしい。

 アクセルとウォーカーは、普段見たこともないブルックの様子に、息をのんだ。

 そんな、既に戦意を失ったであろう3人に、青年は、相も変わらず軽い声で問いかける。

 

「どうする?まだ、この女の子達と遊びたいくらい、遊び足りてないかい?それなら、まだまだ付き合うけど」

 

 青年の笑いを含んだ声に、二人の男ははじかれたように向きなおり、そして互いに怯えた顔を見合わせると、へたり込んだブルックを両脇から抱え上げて、すたこらと逃げ出した。

 爽やかな笑顔を浮かべた青年は、ひらひらと手を振りながら、三人の背中を見送った。

 青年と三人組のやりとりを、今にも泣きだしそうな表情で見守っていたペギー・メイは、ようやく危難が去ったことが分かったのだろう、総身に溢れていた緊張感をため息とともに吐き出すと、自分たちを助けてくれた青年に駆け寄り、深く頭を下げた。

 

「どうもありがとうございます。本当に、あなたが来てくれなかったら、今頃わたしたち、どんな目に遭わされていたか……」

 

 想像するのも恐ろしい未来図に、ペギー・メイはぶるりと身震いした。

 そして、そんな少女の救い主であった青年は、いかにも気安げな表情で笑い、

 

「この辺りは治安のいい地域のはずだけどね、あんな連中もたまにはいる。ま、災難ってやつだ。気にしないほうがいいと思うよ」

「あの、私、必ずお礼は致します。フォンダム寮でアモラ高所属の、ペギー・メイ・ワシントンっていいます。どんなふうにお礼すれば、あなたの勇気ある行動に報いることができるかわからないけど……」

「ああ、そんなに感謝してもらわなくてもいいぜ。別に大したことをしたわけじゃないし、それにこの世界の常識ってやつに照らせば、当然の行いってことになるんじゃねぇかな?」

 

 青年が人好きのする笑みを浮かべながら言ったセリフに、ペギー・メイは若干の違和感を覚えたが、相手は正しく命の恩人である。

 ペギー・メイはもう一度深く頭を下げ、

 

「すみません、こんなことを聞くのはすごく失礼なのかもしれないけど、お名前を伺ってもいいですか?それと、もしよろしければ、通っている学校も教えてくれると本当に嬉しいです。後ほど、正式にお礼に伺いたいので……」

 

 いかにも堅苦しい様子のペギー・メイに少し困惑顔の青年だったが、癖のある金髪を掻きながら、

 

「いいよ、別に隠すことでもないし。俺の名前は、レティシア・ファロット。セム大学の医学部に通ってる」

「えっ、大学生なんですか?私てっきり、同い年くらいかと思ってた……。あ、ごめんなさい、私ったら失礼なことを……」

 

 驚きに目を丸くしたペギー・メイに、レティシアは笑いかける。

 

「俺、所属はセム高だけどさ、飛び級で医学部に通ってるのよ。だから、普段はセム大学医学部のキャンパスにいる。もしも、お礼に来てくれるなら、セム大学のほうが会いやすいと思うぜ」

「なるほど、そういうことでしたか」

「それに、本当に、お礼なんていいんだよ。俺は、人として当然のことってやつをしただけだからさ」

 

 聞く人間が聞けば──例えば、レティシアと同じ姓を持つ、銀髪の美青年だ──全身を粟立てて嫌悪感に顔を顰めるようなセリフであったが、レティシアは平然とした様子である。

 そして、あちらの世界でのレティシアの経歴を知らないペギー・メイはといえば、騎士道精神を体現したようなレティシアの言葉にたいへん感動した様子だ。

 そんなペギー・メイを前に、青年は爽やかな笑みとともに続ける。

 

「だってさ、目の前で自分の恋人が強引なナンパに困ってたら、身を挺しても守るのが普通の男ってやつなんじゃねぇの?よくわからねぇけど」

「……恋人?」

 

 ペギー・メイは、思わず聞き返していた。そして、猛スピードで考える。

 当然のことではあるが、自分はこの青年の恋人ではない。何せ、先ほどまでお互い名前も知らなかったし、完全に初対面の人間である。第一、自分は今までの人生で、胸を張ってこの人が自分の愛しい人です、などと呼べるパートナーを持ったことはない。

 そして重要なのは、この場には、自分以外にもう一人の少女がいるということだ。

 弾かれたゴムのような勢いで、ペギー・メイは、もう一人の少女──ウォルという名前の、自分のルームメイトの方を向きなおると、普段の快活な彼女ではありえない、せんぶりを嚙み潰したように苦い顔のウォルがいた。

 

「そ、あらためて自己紹介させてよ、俺、そこにいるフィナ・ヴァレンタインの恋人の、レティシア・ファロット。これからもよろしくね、ペギー・メイちゃん」

 

 あまりに予想外の展開に開いた口がふさがらない様子のペギー・メイは、ウォルに対して問いかける。

 

「えっと……フィナ……この人が言っていることって……本当なの?」

「……事実だ」

 

 特大の苦虫を咀嚼中のような顔色のウォルは、盛大に眉を顰めて不快感を隠そうともせず、端的にそう言った。

 しかし、予想外の事態の展開に驚き、ウォルの表情に気が付かないペギー・メイは、親友の、喜ばしい事実に感激してしまった。だって、ウォルみたいに素敵な女の子に、こんな素敵な恋人がいるなんて、まるで夢のような出来事ではないか!

 ペギー・メイは、思わず漏れそうになった黄色い悲鳴をこらえるため、両手で自身の口をふさいだ。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。